半透明記録

もやもや日記

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『1984年』

2008年03月25日 | 読書日記ー英米
ジョージ・オーウェル 新庄哲夫訳(「世界SF全集10」早川書房)


《あらすじ》
エアストリップ一号の首都ロンドンにある真理省に勤めるウィンストン・スミスは、普段どおり熱心に「現在に合わせて過去の文書を書き換える」仕事に励んでいた。しかし、ある日、ふと立ち寄った店で手に入れた手帳に、日記をしるそうと思い立つ。【偉大なる兄弟】への反逆の始まりだった――。


《この一文》
“ 思想犯罪は死を伴わない。思想犯罪は死そのものだ。  ”

“ふと気づいた点だけれど、近代生活における本当の特色は、その残酷さや不安定にあるのではなく、ただ単にその空しさやみすぼらしさ、冷たさにあるにすぎないのだ。自分の周辺を見渡せば、生活はテレスクリーンから流れ出る嘘とは似ていないばかりか、党が達成しようとする理想とも似ていないことが分るのである。”


最後の方は「ご飯が炊けるまでの間に読んでしまおう」と思って読んでしまいましたが、いつ炊きあがったのかに気が付かなかったばかりか、読み終えてみるととても飯など食う気にもなりません。飯を食うかわりに、なるだけ正確にこの衝撃を書き記しておきたいと思います。これはあんまりだ。恐ろしいこの物語がなぜこれほどまでに恐ろしいのかと言えば、それは物語に描かれたような悲惨を私があまりにも容易に想像できてしまうからにほかなりません。「あり得ないこと」とは到底思えない。あんまりな説得力。泣きたくなる。

ここにあるのは一体何だろうか。失望だろうか。絶望だろうか。憎悪だろうか。それとも恐怖だろうか。少なくとも私が感じるのは恐怖だ。恐怖、恐怖、恐怖。ひとりの、ある思想を持ってしまった人間がここまでぶちのめさなければならない理由がどこにあるのか。しかし、たしかに理由は「ある」。あまりにもたしかに「ある」。それが恐ろしい。その前ではどんな奇麗ごともまったく歯が立たない。わずかな希望にもとづく反抗など「最初からなかった」に等しい。

このような恐怖に直面したとして、このような恐怖に直面しているとして、たとえば私のような人間にできることはどんなことだろうか。それはどう考えていっても、無知と無関心に落ち着く。屈従こそ自由である、まさに。どこにも逃げ場がない。死を選ぶことすら、反逆的思想を持ったままでは許されない。英雄的な死さえもはや存在することのない完成された世界。虚偽と弾圧こそが正当な世界。
吐きそうだ。

読んでいる間中、しばしばこの作品と並べられることのある映画『未来世紀ブラジル』やザミャーチンの小説『われら』においても描かれていたのと同様のイメージが次々と駆け抜けていきました。どのようなイメージかと言えば、徹底的な管理社会に置かれた個人、正体のはっきりしない絶対的権力の存在、いわゆる人間的な友情・愛情関係と思想的自由の弾圧と抹殺。

同じようなイメージから受ける同じような恐怖心。私はなぜこれらを恐ろしいと感じるのか。恐怖にはそれなりの理由があるのだろう。わけもなく恐ろしいということはない。「わけもない」ということだって理由にはなる。私にはこれらを恐ろしいと考えるだけの理由が感じられているのだろう。今ここで直ちにはっきりと述べることはできないけれども。

私は、ただひとつのことを全員が「その通りだ」と述べることがあっても良いと思うし、そういうことは起こりうるとも思う。ただし同時に「そんなことはない」と述べようとする誰かの存在が正当に認められなければならないとも思っている。だが、どうやって? どうやったらいいのだろう。

意見の違いごときで、なぜ滅ぼしあわねばならないのか。私はそれを絶対に突き止めなければならない。恐れと悲しみでいっぱいになるけれども、もうしばらくは続けられるだろうと思う。いや、続けなければならない。きっといつまでも結論にはたどり着かないだろう。しかしそれは問題にはならないのだ。




あとがきにも書いてあったような気がしますが、どうもこの作品を単なる「反共小説」として読むことは不可能なようです。過去においてそのように名付けられたある思想とそれに反するある思想の対立というだけには留まらない気がします。
過去にそれがあったように、現在にもそれがあり、きっと未来にもあるだろうこの恐怖が、別人になるまで誰かを、私を、徹底的にぶちのめしてしまう前にもっと考えておかなくてはならないのでしょう。


同じ本に収録されたハクスリイの『すばらしい新世界』も読みます。そっちも読んだらきっと「何という気の滅入る組み合わせ!」と絶叫することでしょう。しかし読まねばなりません。どういうわけか気の滅入るこの道を避けて通ることは、私にはできないようなのでした。