この春に出た村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」です。発売日に買いました。
ブームだからではない。僕はもう20年以上村上春樹を読んでいます。
だが、いわゆるハルキストではない。どうもあの呼称はいやだなー。
発売日に買って、大急ぎで読みました。あれだけ騒ぎになると、ネットのどこかでネタバレするからね。めんどくさい時代だよ。
ミクシィのレビューでは星5個付けたんだけど、4に近い5で、すべてがよかったとは思わない。謎解きで引っ張る話で、グイグイ読めたけど、なんか違う。というか、「海辺のカフカ」あたりからずっと、村上春樹はなんか違う。
デビュー作「風の歌を聴け」以来、村上春樹作品の主人公「僕」は、ほぼ村上春樹本人だった。ビールとジャズが好きでテレビや新聞はほとんど見ない。簡単な料理とアイロンがけが得意。ノルウェイだけ若いが、だいたいアラサー付近。
つまり、我々は、村上春樹が自らを様々な状況や、実際とは違う人生を生きたらどうなるか、というセルフシミュレーションを読まされてきたわけだ。それは、普通の人もやる「あのときああしていれば」とか「宝くじが当たったら」などの妄想の、やたら高度なやつであり、世界観や哲学や価値観を表現しているらしい。
「色彩を~」の主人公、多崎つくるは鉄道オタクである。正確には駅オタクだが、村上春樹の趣味とは明らかに違う。村上春樹は、おそらく多崎つくるに自分を投影して人生を妄想していない。
しかし、酒が苦手という設定なのに、結構酒を飲む。酒が苦手な人間は、具合が悪くなったり、吐いたりしたくないので、外で自分の意思で飲むことはまずない。なのに、つくるは結構飲む。嘘臭い。
モテない設定なのに、いつも通りいい女が寄ってきて、コジャレた会話を楽しんでいる。勃起したり射精したりする。やれやれ。これじゃいつも通りじゃないか。
結局そういう風になるんだから、無理しないでダンスダンスダンスの続編にしてしまうか、自分の年齢に合わせた初老男性の物語を書けばいいのに。カフカのあたりから、無理に自分じゃない人物を書こうとしてぎこちなくなっているような気がする。
もしくは、全部伝聞形式にするか。「ねじまき鳥」の本田さんのノモンハン戦記とか、「僕」が聞き手の場合は、かなり上手に"村上春樹とはまったく別の人物"の物語を書けるんだから。