曖昧批評

調べないで書く適当な感想など

ホンダ・S660でMT教習の巻

2016-06-29 23:10:12 | クルマ
先日、ホンダカーズ某店にてS660を試乗した。約1年ぶり、3度目である。ATのつもりだったのだが、諸般の事情により直前でMTになってしまった。MTは前回の試乗で何度もエンストしてトラウマになっている。ワクワクしかなかった試乗が一気に緊張感のあるのものに。

前回も書いたかもしれないが、僕はガソリンMT車の運転経験がほとんどない。教習車はディーゼルのマツダ・カペラだった。ディーゼルはトルクがあるので、多少回転数を外しても粘ってくれる。回転数の上昇もゆっくりだ。父親の車もずっとディーゼルMTで、免許を取ってからもほとんどディーゼルしか運転していなかった。唯一の例外が母のスバル・ビビオだったが、それを運転したときは、かなりエンストした。

今回のS660はアドミラルグレーのα。幌はまたしても閉じた状態。だが、タダでさえ注目を集める車なのにエンストする可能性があるのだから、オープンじゃないほうがいい。

トラウマにはなったが、僕なりにイメージトレーニングはしていた。エンストの原因はクラッチを早く離しすぎることだった。今回はゆっくり慎重に足を緩めていくぞと固く誓って望んだ。

その甲斐あって、多少ギクシャクすることはあってもエンストすることはなかった。左足の筋肉は悲鳴を上げているが、全身全霊を傾けてクラッチを繋いだ。運転を楽しむどころではなかったが、我ながら成長したわと思って満足だった。

大きな交差点の右折レーンで渋滞し、半クラッチのみで前進するシーンが何度かあった。もう汗だくで必死にクラッチをゆっくりと、ゆっくりと離す。それやってるうちに半クラッチの位置は嫌でも分かった。さらにもう一つコツを発見した。

S660は寝そべって座るため、足は投げ出すようにしてペダルを踏む。足が入るスペースの天地が狭く、クラッチ操作の際に靴の踵がフロアマットに引っかかってスムーズに動かせないことが多々あった。タダでさえ左足の筋肉パンパンなのに引っかかると非常に危険だ。筋肉とエンストが。

停車中に何度かクラッチを踏んだり離したり練習しているときに閃いた。つま先で踏むからダメなんじゃね?

僕は繊細なペダル操作のためにはつま先で踏むべきだと何故か思いこんでいた。まあ、ATでもMTでもアクセルはそうしてるんだし、左足もそうしていた。が、もう左足が限界なので、多少雑になってもいいから土踏まずで踏んでみようと思って、実行した。すると、かかとは引っかからないし、力いっぱいやらなくてもいいし、いいことだらけだった。

これだ! そういえば、教習所時代もつま先では踏んでなかったような気がする。

それからは、土踏まずよりちょっと上でクラッチペダルを踏むことにして、試乗後半は安定した。すげー簡単なことだし、こんなことで悩んでいたのは僕だけかもしれないが、トラウマは解消した。まあ、ディーラーに戻って縁石を乗り上げたとき(坂道発進の形になってしまった)と、駐車でバックに入れたとき(3回目にして初めてバックにギアを入れた)にエンストしたけどな。

というわけで、S660がどうこうではなく、MT教習みたいな試乗になってしまった。降りてみて、初めて自分が運転していたのがモデューロフル装備だったことに気づいた。リトラクタブルのリアウイングも付いていた。付いてたどころではなく、開いていた。全然知らなかった。そういえば、シフトノブが全金属銀色の細身のやつだった。あれもモデューロだったんだな。


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「真田丸」第25回「別離」の感想

2016-06-26 23:35:06 | 大河ドラマ


秀吉の一人息子のお捨て改め鶴松が危篤の夜、関係者が淀城に集まる。各自の回想がいくつも差し込まれ、ここまでの経緯が語られる。

まず、いきなり千利休が切腹する。鶴松の病気は利休の恨みではないのか、そして、彼はなぜ切腹することになったのか…を振り返っていく。

発端は例の鉛だ。自分のマークを入れて北条家にも売るなんて、迂闊にもほどがある。敵味方関係なく売りまくっていたことで咎めるのだが、秀吉を説得する秀長の理屈が強引だった。有力大名が鶴松を支えるべきで、一つの大名が強くなりすぎてはいけないと。そりゃそうかもしれんが、その理屈で利休を警戒するのはちょっと無理があった。で、秀長はナレーションだけであっさり死亡。境屋太一の「豊臣秀長」を面白く読んだ者としては、かなりがっかり。

利休を切腹に追い込むには、やはりそれだけでは不足だったようで、例の山門の木像の件が出てくる。だが、僕のイメージとはかけ離れた巨大な木像(ほぼ実寸大の利休)だった。門の寺の名前プレートの脇にちょこんと乗せておくイメージ(全高20センチ程度)なのだが。

信繁「何でそんなものを殿下の頭上に置くかなー?」
利休「運命・・・ですかな」

この時点では何を言ってるのか分からんが、後で茶々が大徳寺に預けるように進言したことが判明。茶々の色香に迷って言うとおりにしてしまったのが運命ということかな。

カオルさんがなぜか上京していて、朝鮮人参のようなものを鶴松の薬にと献上する。煎じかたが難しい、とのことで、片桐且元が自ら加工の手伝いをすることに。ふわふわした根が残り、上手くいったと思ったら、薬になるのは捨てた煮汁のほうだった。加工してなかった根の切れ端で一粒の薬を精製したが、昌幸が味見してしまった。

昌幸「苦くない。これなら鶴松さまも飲めるだろう」
カオル「それが全てでございます」
昌幸「わしが元気になってどうする!」

人が一人死ぬというときに、コントやってていいのか。ていうか、鶴松が死んだのはこの薬がなかったから、かもしれんぞ。

大谷刑部が鶴松の葬儀の手配などする。利休粛清を主張したのは彼であり、利休に祟られるなら鶴松ではなく自分だと言っていた。利休の怨霊のせいで失明するとか、そういう話になるのかも。

加藤清正久々登場。一旦は断られるが、三成と水垢離する。三成だけが上半身をはだけたのは、筋肉を見せ付けるためか。御懐妊おめでとうございます。

家康と昌幸は、鶴松が死んだら面白くなると思っているが、会話では心配している。本当に戦争大好きなおっさんたちだ。

沼田城主となった信幸は統治で忙しい。とナレーションがあったのに、稲さんに言い寄って逃げられ、しかたなく元妻のおこうさんに迫る。ぜんぜん統治で忙しくしてはいなかった。

鶴松が死に、自分が関白になったら、結婚してくれと秀次がきりにプロポーズ。やはり好きだったのか。こんなときにする話ではないと、きりは上手く逃げた。まあ逃げなくても秀次も今後の人生長くないわけだが。

で、鶴松が息を引き取り、ふらふらと部屋から出た茶々が、寧さんに抱きとめられて号泣。次の間に控えていた大名・家臣たちは、それなりに数が揃っていた。揃っていたといえば、三成が豊臣家の一族を集めたシーンで、小早川秀秋もいたのだが、「軍師官兵衛」でも小早川秀秋をやっていた浅利陽介じゃないか。確かにメンタルが弱い裏切り者・小早川秀秋のイメージにはぴったりの役者だが…。

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「真田丸」第24回「滅亡」の感想

2016-06-19 23:05:08 | 大河ドラマ


義兄・小山田茂誠と再開したところからスタート。お松さんが死んだ場所から動かずにいたが、腹が減って里に下り、北条の家臣になったと手短に説明してくれた。「長かった?」と気にしながら。話をした蔵は、信繁と茶々が密会した大坂城の蔵の使いまわしのように見えた。

信繁が氏政に謁見。もっと近う寄れと言われて寄ったら、案の定刺客が。真田には何度も振り回されたから殺すと言う。今日のお前が言うなスレはここですか? 天井裏では万一に備えて佐助が待機していた。佐助がサクっと氏政を殺ってしまえば、話が早いのにと思った。できる位置にいて、できる腕があるんだから。

例によって信繁が人道的な説教をし、伊達も豊臣に下ったと言うと、なんかあっさり説得成功。次のシーンでは、もう髷と化粧を落とした氏政がいた。そこから家康、景勝の説得が長い。今まで北条氏政がいい奴だという描写は一切なかったので、彼を助けたいという気持ちが分からん。昌幸だけは「どうでもいいわ」みたいな顔をしていたが。

「ここまで、でござる」と言い残して、氏政は切腹した。最後にご飯を食べていた。汁かけご飯だったかどうかは描写がなかった。氏直は出家して高野山に。

忍城のほうは映画「のぼうの城」後半の状態。石田三成が攻めあぐねていた。北条氏は滅びたのに、なぜ抵抗するのか理論的な三成の頭ではわからないらしい。昌幸が「卑怯な手ですが」と言って、氏政の兜を使って心を制する策を提示……したと思ったら、次のシーンではもう城が落ちていた。その策が効果を発揮するシーンも見たかった。三成は昌幸に「戦の何たるかを教えて欲しい」と依頼。このやりとりが関が原で昌幸が西軍につくことに繋がるのだろうか。

小田原城から魚のマークがついた鉛が消えた。千利休が籠を飛ばして回収に来ていた。本人が来る必要はないのでは。あと、あんな分かりやすいマークを入れるなよ。

この期に及んで、昌幸はまだ秀吉打倒を狙っていた。伊達と家康と景勝が立ち上がれば東日本の大名は全部反秀吉になる。

信幸「秀吉を倒した後はどうなります? また乱世に逆戻りですよ」
昌幸「それの何が悪い」

反戦平和主義が建前の大河ドラマでは意外なほどの過激発言。もっと意外だったのは、一番打倒秀吉を狙っていそうな出浦氏が本気じゃなかったことだが。

その肝心の伊達政宗が、ずんだもちを作り、秀吉に媚を売りまくる軽い男で昌幸がっかり。だが、秀吉から小県と沼田の安堵、家康の与力業務の解除を言われてニッコニコ。しかし、家康本人の前で「今からこいつの命令を聞かなくていいぞ」というのは、ボスとしてどうなんだろう。

というわけで、名実ともに天下は秀吉が統一した。大坂城と思われる広間で居並ぶ大名たちにそれを宣言……したのだろうが、大名たちの数はそれほどでもなく、20人もいたかなあという感じ。100人くらいが一斉にひれ伏すくらいのイメージなんだけど。

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iPhone 5sでHipstamatic ~ Pinhole Snappakの巻

2016-06-16 23:44:07 | カメラ
6月配信のPINHOLE SNAPPAKの紹介です。
iTunesカードで入れているiTunesのお金がなかったのと、内容的になかなか買う気にならなかったので遅れました。

Pennyレンズはピンホール写真風のエフェクト。Aristotleフィルムはピンホール写真に適した白黒フィルム。DIYケースは段ボールで作ったピンホールカメラのイメージ?

ピンホールカメラはトイカメラの範疇かもしれないけど、こういう激しく絵を壊すエフェクトは使わないんですよね。僕は写真は芸術の前に記録だと思っているので。しかも、ピンホール写真てこんなじゃないし。少なくとも幼いころに父に作ってもらったピンホールカメラは、放射状に像が流れたりしなかった。

というわけで、近年まれにみるやる気のなさで作例も2つしかないんですけど、見てやってください。



茶畑の中の農道?みたいなところなんですが、こういう一点透視の構図だとスピード感が出ますね。



Aristotleフィルムは、白黒フィルムとして使えるんじゃないかと思ってLowyレンズでテスト。四隅が暗く落ちるのが、若干気に食わないですな。

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「真田丸」第23回「攻略」の感想

2016-06-13 18:09:17 | 大河ドラマ


北条征伐が始まった。陣立ては石田三成が考えた。総大将は一応秀次。まだ後継者の位置にはいるらしい。後見人が家康。

上杉景勝と直江兼続久々登場。真田は上杉と共に上野を攻める。徳川の与力なのに。なぜか嬉しそうな真田昌幸。

信繁にとっても久々の対面。
信繁「御館様。私の気持ちは変わっておりませぬ」
景勝「・・・すまん」
なんだこのおホモ達な会話は。
景勝が好きな人は、やはり兼続なのか。そうなのか?

豊臣軍18万の兵で小田原城をガッツリ包囲。しておいて、身内を呼んだり出雲阿国を呼んだり温泉に入ったりしてじっくり待つ。鳥取城攻めてもやった手だ。

家康が信繁を誘って立ち小便。だが、それは秀吉とやるのでは? と思ったら、直後に秀吉が家康を誘い、後の世で関東の連れションと呼ばれようぜ、みたいな。小便しながら関八州に移れと重大な命令。秀吉はタイミングで意表を突くのが上手いよね。家康の小便が止まったのはびっくりしたからではなく、信繁との連れションで出し切っていたからだが。

上杉真田軍は忍城攻めで苦戦中。忍城といえば「のぼうの城」である。城主は凡庸なことでは天下無双の成田長親。信長の野望・天道では、戦闘力たったの4である。なのに、なんで苦戦しているのか。三成でなくても首をかしげる。

忍城のせいで計画が狂った三成、腹痛を訴える。あのシーンは、関ヶ原敗戦後の、腹を壊しているからと言って柿を断るエピソードに繋がるのだろう。

北条氏政は一ヶ月も風呂に入らず、化粧してサッカーに興じていた。どうみても病んでいる。なのに、家康は氏政を戦上手だとか豊臣政権を支える器量があるとか擁護する。

氏政が恃みにしていた伊達政宗が、死装束で秀吉に謁見。これで北条は詰んだ。だが、氏政以外は概ね降伏したいと思っており、氏政の説得に何故か信繁が指名される。

何故って主人公だからだろう。「軍師官兵衛」でも、官兵衛が北条の説得役だった。官兵衛は秀吉の第一軍師だから変ではないが、信繁がやるのは変だ。変だけど、以前真田を馬鹿にしていた北条氏直に頭を下げられて溜飲は下がった。

で、氏政と対面するのかと思いきや、信繁はいかにも討ち手が潜んていそうな廊下で襲撃された。すかさず、使える男・佐助に導かれて裏に回ったら、何故か義兄小山田氏がそこに現れた。続きは来週。

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