曖昧批評

調べないで書く適当な感想など

映画「犬神家の一族」4Kデジタル修復版の感想

2024-07-04 15:31:00 | テレビ・映画
先日、BS日テレでやってた映画「犬神家の一族」の4Kデジタル修復版を録画して見たので感想。

うちのテレビは今となっては古めの2Kなので4Kの恩恵はなし。そもそも日テレBS4Kじゃないとダメなのかな? よくわからん。CM明けに変なロゴとか入らなかったのは、せっかくの高画質版だから、という配慮かも。右上のBS日テレロゴはあり。

僕はこの映画を十数回見ている。原作も5回は読んでる。無数に作られたテレビ版もほとんど見てるし、一部は当サイトで感想を書いてる。なので今更感はあるのだが、テレビ版が作られるたびに、この作品と比較されるので、せっかく最近放送されたんだから本家?も書いとくか、となったわけである。

▼ミステリーとしては疑問符

どの犬神家でも、佐智の死体処理と佐清(静馬)の逆さ死体理由について、僕は厳しく追求するのだが、本作でも全くできてない。というか、本作がやってないから後続のリメイクでもやってないんじゃないかとさえ思う。

佐清(真)が若林氏殺害の容疑を否定する時、その時僕は博多にいたとアリバイを主張する。が、毒入りタバコを渡すだけという遠隔殺人も可能な手法なので、アリバイの主張自体がナンセンスだし、なんなら犯人の松子夫人も那須にはいなかった(その日の夜中に到着する)。という新たな脚本の問題点に今回気づきました。

静馬は斧(ヨキ)で殺されたとあっさり言われ、ヨキコトキクの呪いということになるが、凶器が斧だと捜査側が判断できるシーンがない…ことにも気づきました。傷跡からかもしれんけど、水に浸かってたんだし、ナタか斧かの区別はつかないんじゃないかと。

他にもたくさんあるけど、久しぶりにWikipediaを見たら、映像化作品が取り入れてない原作のミステリー要素について、うまくまとめてあったので、気になる方はそちらもどうぞ。

の「映像化作品(共通事項)」

▼ルパン三世と同じ音

テーマ曲「愛のバラード」が印象的と評価する人が多い。が、僕はそれより通常BGMやSEの、ルパン三世との類似性を挙げたい。

本作の音楽は大野雄二である。つまり、ルパン三世シリーズ(2期)の音楽を作った人である。本作が1976年で、1979年の「ルパン三世・カリオストロの城」と近いせいか、音が非常に似ている。一部のSE的なものは、同じのを使ってるような気もする。

▼犯人当てではない

原作にはない(たぶん)松子夫人の母親(おソノさん)が、まあまあの頻度で登場する。梅子、竹子には、そのようなバックグラウンドの説明がないので、松子は明らかにもう一人の主人公=犯人扱いである。怪しいお札みたいなのを拝んだり、佐兵衛爺の幻影が見えたりして、殺意や苦悩が見え見えである。

で、佐兵衛の意志(遺志)が殺人に駆り立てたふうな演出が過剰かな。原作はそうでもなかったような。獄門島でも故・嘉兵衛さんの執念が、みたいなのがあるが、あれは原作がそうなので。犬神家に獄門島の要素を無理やり輸入した感じがする。市川崑の趣味なのか。

▼それでも愛される理由

一部のシーンで論理がおかしい、または「無い」など、ミステリとして見るとかなり欠陥の多い作品だが、本作の世間の評価は非常に高い。

子供の頃に見てトラウマになった、と言う人が多い。金田一耕助・横溝正史・市川崑に対して、全国民が抱くイメージを規定した作品だと思う。作者が出演してるので(那須ホテルの主人役)、原作からの改変、改悪も原作者公認と考えることもできる。

あのV字スケキヨやゴムマスクなど、ネタにされる要素が多く含まれているのも特徴。僕も静馬の「俺は…犬神家の一族に…勝ったんだ!」という嗄れ声の勝利宣言が好きで(変な奴)、あのシーンに来ると毎回ニヤニヤしてしまう。

色々弱点はあるものの、それらが愉快なツッコミどころに昇華している。それでいて、映像美は今でも邦画の最高峰(チープな生首などは除く)。総合的に見て、時代を超えて愛される、繰り返しの鑑賞に耐えうる不朽の名作なんだと思う。


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Netflixの実写阪「カウボーイビバップ」第1話の感想

2024-05-12 16:49:00 | テレビ・映画
子供たちが加入しているNetflixに便乗して「カウボーイビバップ」の実写版第1話を見たので感想。

僕は元々アニメ版が好きで、軽く10周は見てる(全26話)。劇場版は映画館に見に行ったし、DVDとサントラも買った。実写版のことは制作発表の段階から気になってはいたが、当時はネトフリ入ってなかったので存在を忘れてた。

これも知らなかったのだが、この実写版は10話で速攻打ち切りになったらしい。第1話は、そんなに悪かったのか?という視点から見ることになった。

まず、作品について簡単に説明すると、人類が地球を出て太陽系全体で暮らすようになった近未来が舞台。主人公スパイクとジェットは、警察が追い切れない犯罪者を捕まえるのが仕事のカウボーイ(賞金稼ぎ)。二人とも訳ありの過去を持ってて、途中からフェイという女賞金稼ぎと犬のアイン、天才少女ハッカーのエドが加わる。

実写版第1話は、アバンタイトルでカジノを襲った強盗団を捕縛・・・しようとしてカジノをめちゃくちゃに破壊。主犯格だけ捕まえてカジノの修理代もとられてほとんど稼ぎなし。まあ、ビバップではありがちな話。

テーマ曲「TANK!」が流れ、原作のOP映像を実写に置き換えた(一部違う)のが流れる。原作を見てれば分かる各シーンとキャラクターが出てきて、この映像だけで総集編というか、実写版はこんな感じなのね、というのを把握できる。教会でビシャスと一騎討ちするやつはやるのね、とか。

本編は「カウボーイ・ゴスペル」となってるが、内容は原作第1話の「アステロイド・ブルース」だった。僕が好きなエピソードの一つだ。原作とはまたちょっと違うエウロパの空気感(アメリカ南部っぽい)が好きだな。

アシモフと彼女、3人のじいさんの再現度が高い。が、レッドアイ(目薬タイプの麻薬)の効能が異常な動体視力ではなく、単に肉体強靱化になってるのが謎。レッドアイのおかげでかなり強いはずのアシモフが、ややしょぼい。

各シーンのシチュエーションは半分くらい変えてあるが、大筋は一緒で最後は火星に逃げようとした二人がISSP(警察)に銃撃されて死亡。SEE YOU NEXT COWBOY...で次回へ。

・・・・・

やっぱり、アメリカ人がアニメを実写化するとこうなるんだな、という典型的なパターンかと。過度に再現しようとして、しかもアメリカ的な解釈が入る。全体的にキャラの造形が濃いんだよね。

スパイクはイメージ通りではあるが、もうちょっとハンサムで若々しくてもいいんじゃないか?

ジェットは悪いけど見た目汚すぎかなあ。バツイチ?で娘がいるのもどうなのか。昔の女と再会する「ガニメデ慕情」とか、やりにくいじゃん。

第1話からフェイが登場するが、これが一番違うかな。もっと普通に美人のはずだが。アメリカ人て時々いい女の解釈間違うよね。最初のスパイダーマンのMJとか。

ビシャスがなー。言いたいことは分かるけど、もっと細くて顔小さいが方が良い。顔でかすぎだわ。


スパイクがいいことを言った

とまあ、文句がないわけじゃないが、1ヶ月で打ち切りにするほど悪くはないと思う。でもそれは僕が原作を知り尽くしているから、実写で見ることに意義を見い出せてるからであって、原作未見の人にとっては、どこまでコミカルで、どこがシリアスなのかわかりにくい作品なのかなあと。

ネトフリは、家族が見まくってて僕が見られる機会は少ないのだが、隙を見て最後(10話)まで視聴したいと思う。


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「すずめの戸締まり」周回遅れの感想

2024-03-23 11:17:00 | テレビ・映画
数年おきに書いている新海誠作品の周回遅れレビュー。今回も劇場には行っていないが、特にネタバレが耳に入ることはなかった。

宮崎県の女子高生・鈴芽が地震を起こす謎の巨大ミミズを抑えるために、黄色い椅子と日本各地を旅する話。ミミズを抑える手段が、廃墟のドアを閉めて鍵をかけることなので、すずめの戸締まり。

地元の廃墟から始まって、愛媛、神戸、東京、岩手(宮古)まで、フェリー、電車、オープンカーを乗り継いで旅する。経由地では、それぞれ優しい人たちと出会って少し滞在する。着の身着のまま成り行きで出発したので、お金はどうすんだと思ったら、スマホの電子決済でスイスイ進む。令和のロードムービーって感じ。

風景は相変わらず精細で美しい。風景だけなら宮崎駿を超えたかもしれない。そんな景色の中を時には人情、時にはアクションを交えながらロードムービーするんだから、見ていて楽しくないわけがない。新海誠作品で初めて途中でダレなかったよ。

ダレない理由には、圧倒的なテンポの良さもある。鈴芽はいつも躊躇なく次の行動を起こす。先のことは後で考える。運賃はスマホ決済なのね。服は愛媛の子にもらえばいいか。靴は草太(椅子)のを借りるのか。空から落下したら猫や椅子が助けてくれるのか。ならいいや…と。

面白ければいいんだ。別に分からなくても。と割り切って楽しみはしたが、不明な点が非常に多い。いつも以上に多く、いつも以上に説明がない。挙げるとキリがないので一つだけにするけど、要石は東西で一つずつ設置されて災害を鎮めるのだと思うが(宮崎と東京とか)、最後のミミズ2匹の頭に刺してOKなのは、あれでいいのか?

某映画レビューサイトで「黄色い椅子とかは何かの暗喩なのだろうが、掘り下げても奥行きがあるかどうかわからない」とあって我意を得たりと思った。

椅子とかミミズとかどこでもドアとか、新海誠としては何かを象徴してたりするのだろうが、今作のために考えた「取ってつけたような」感があるのだ。彼の人格とか潜在意識とか哲学から本気で滲み出てきたものではなく、嘘っぽいというか浅いというか。

僕はプロデューサーの川村元気のせいじゃないかと勝手に勘繰っている。グッズを展開できるキャラを出しましょう、なんか深い意味がありげなものを出しましょう、そうだ東日本大震災を絡めましょう、という感じで。

新海誠は元々激しい妄想癖を感じさせる作家だった。「雲のむこう 約束の場所」は北海道が国交のない別の国でバベルの塔みたいなのが立ってるという謎設定だったが、あれは本物の妄想だった。こいつ本気でこういうの頭の中で作ってやがる、と感じさせた。ので、変な人だとは思ったが嘘くささや軽さはなく、架空の設定に存在感があった。

本気の妄想がうまく商業的な成功に結びついたのが宮崎駿なのだが、ご存知の通り彼は成功しても愛想が悪いし、大衆が分かるような言葉を選ばないし、最新作もわけがわからない。好きなように作ったものを広告代理店が無理やり大衆受けするように演出してる。ハウル以降の宮崎駿は僕もあんまり評価してないが、それにしても新海誠が宮崎駿の狂気に追いつく気配はないな、と本作を見て思った。

キャラデザが例によって外部というか田中将賀だ。鈴芽の目がいつになくパッチリしてて、「あの花ここさけダリフラ」と差別化され、新海誠仕様かなと思いきや、草太が田中将賀にしてはシュッとしすぎてて、そこだけ細田守作品みたいに見えた。いい加減自分専用のキャラデザ確立したほうがいいと思うけど、もう手遅れかな。毎回書いてる気もするが、庵野秀明にとっての貞本義行がいないのが新海誠の不幸だと思う。



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TBS日曜劇場「下剋上球児」の感想

2023-12-19 08:41:00 | テレビ・映画
一応全話見たので感想。

プロデューサーが新井順子、演出が塚原あゆ子、脚本が奥寺佐渡子となると見ないわけにはいかない。この3人は「Nのために」のメンバーである。さらに言えば「夜行観覧車」「リバース」「最愛」も同じ。僕は全部見ている。

「VIVANT」が終了した後の特番か何かで主演の鈴木亮平が「甲子園に行くんですけど」と言ったのを聞いた。放映前の番宣でネタバレ?!放送事故?

慌てて調べた。10年連続初戦敗退の白山高校が、突如三重県大会を制して夏の甲子園に出た話が元ネタらしい。甲子園行きが確定した話なのか。安心感があると同時にハラハラ感がないドラマになりそう。

ところが最初の3年生は初戦敗退。次の年、1回戦は勝った。いつ甲子園に行くんだよ。

野球界のリアルさを追求してはいないようで、秋季東海大会(ほぼ翌春のセンバツ予選)がない世界だった。センバツを主催する毎日新聞系のTBSなのに。

で、ドラマ始まってから3年後の2018年夏の三重大会で優勝する。最初1年生だった連中が3年生。

選手役は野球経験者ばかりということで、プレーのリアルさは過去の野球ドラマ・映画とは比較にならないほどいい。エース犬塚、2番手根室共に、やってた人だなと分かるフォームで投げてた。他の選手も、打席での仕草や振る舞いに経験者を感じた。

試合内容はそんなに面白くなかった。弱小校の快進撃といえば山際淳司の「スローカーブを、もう一球」を思い浮かべてしまうのだが、あのような勝った理由が野球的にちゃんとした話ではない。

越山高の戦い方は、気持ち重視で戦術とかはあんまりない。決勝で代走久我原が転倒したふりして一二塁間に挟まれ、その間ホームインしたシーンぐらいかな。

準決勝がストーリー的に大一番だったので、決勝は省略が目立った。1点勝ってて9回裏無死満塁なら「江夏の21球」じゃん。どうやって無失点で切り抜けるのかを、もうちょっと詳細に描いてほしかった。

野球の描き方は100点とは言えないが、このドラマがすごいのは、ほぼロケだということだ。東京のセットだなと分かるシーンが少ない。溜まり場のファミマでさえ本物に見えた。ほんとに三重県、伊勢湾岸、志摩半島で撮ってるのかも、と思わせる美しい本物の風景が多かった。

決勝に勝った後、2023年に飛ぶ。犬塚がコーチになってたり、根室が社会人野球やってたりする。甲子園は? 連れていかない? ついに甲子園まで来た!でホワイトアウトして、あとはご想像にお任せで終わるかと思ってたけど、それもない?!

と思ってたら、そのさらに後に甲子園に戻る。CGかもしれんけど。11対0で負けてた(笑) スローカーブ〜の高崎高校も甲子園では初戦敗退だし、快進撃した弱小校あるあるの結末だった。負けても笑顔だったのも含めて。

このメンツならもっとすごいドラマを作れるはずだが、まあ最後ハッピーな気分にはなれたかな。

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BS-TBS「Nのために」再放送最終回の考察と感想

2023-12-14 12:31:00 | テレビ・映画
最終回の記事が、話の流れだけで長くなってしまったので、感想や考察はこちらに書く。

▪️考察

事件の最大の原因は、やはり安藤が外側のドアチェーンをかけてしまったことだろう。ドアチェーンが掛かっていなければ、西崎と杉下は野口邸を脱出できたし、脱出できれば警察に通報して野口を抑えることができた。

では、なぜ安藤がドアチェーンをかけたかというと、成瀬に対する嫉妬、敵対心と、N作戦2から外されていて、誰も何も教えてくれない疎外感からだろう。その感情は以前からちょいちょい刺激されていたが、エレベーターの中で西崎から、成瀬が作戦に参加していることと、成瀬が杉下の究極の愛の相手だと知らされて行動に出てしまった。

だが、予定通りなら西崎と安藤が鉢合わせするはずがなかった。作戦は安藤が来る前に終わるはずだった。少なくとも、西崎は安藤よりかなり早く到着するはずだった。

到着が遅れた原因は、花屋が混んでいたことだ。女に花を贈ろうとする男性達がレジ前に長い列を作っていた。西崎は店員に、クリスマスイブだから当然、みたいなことを言われている。予測が甘かったといわざるを得ない。結局、西崎の到着は20分以上も遅れ、安藤とばったり会ってしまった。



安藤も、取引先との打ち合わせがキャンセルになって到着が早まり、到着後も仕事の電話が入って少し立ち止まったりして、西崎と遭遇するように状況が流れていったところもあるが、それは5:50頃のこと。予定通りなら5:30に着くはずだった西崎が大幅に遅れたのが一番悪い。

花屋が混んでるのを予測できなかったことについては、仕上げの打ち合わせをしなかったからかもしれない。なぜしなかったかというと、シャルティエ広田氏が成瀬に安藤のプロポーズ計画を知らせたからだ。あれで成瀬は、杉下の女友達だと思っていた安藤望が男だと知り、杉下に対して消極的になってしまい、仕事を理由に追加の打ち合わせを断ってしまった。西崎と成瀬はそういうことに疎そうだが、杉下がいるので、もう一度打ち合わせをしていたら、イブで混んでるかもしれないから花屋には早めに行こうとなったかもしれない。やや飛躍した読みだが。



もうひとつ重大なやつ。奈央子が西崎個人に「花屋の振りをしてきて連れ出してほしい」と頼んだことだ。当初の計画通り、西崎がシャルティエ広田のスタッフに化けて、成瀬と一緒に突入していれば、すんなり終わっていたかもしれない。到着が6時になるので安藤と遭遇する可能性もあったが、チェーンをかけられたとしても、男二人なので野口を取り押さえられたかもしれない。



本作は、僕のテレビドラマ視聴史上最高傑作だと思っているが、ひとつ弱点があるとも思っていた。奈央子の行動理由だ。

夫のDVから守るために連れ出そうとしたら、私ではなく希美ちゃん(杉下)を連れ出して欲しいと言いう。野口と杉下がこそこそ会っているのは将棋の作戦会議だったのだが、いつも奈央子から見えない部屋に籠ってやってたので、杉下に嫉妬していたと思われる。

でもそれなら、希美ちゃんがうちに来ないようにしてくれと、もっと前から頼むのが自然だ。クリスマスイブのパーティーの前に、その場で連れ出してくれ、というのは不可解すぎる。

これだけの作品に不可解なんてない。「理由としては弱い」と言ったところか、なんて擁護していたのだが、今回の視聴でこの件について、別の解釈の余地に気づいた。

奈央子は絶命する直前に「彼と一緒にここを出ていく。酷いことをしてごめん」と言っている。この「彼」は西崎のことではないのか? この時、奈央子は西崎の腕の中にいるので、「彼」が野口という可能性も微粒子レベルで存在するが、まあ西崎だろう。奈央子は野口のことを「夫」「この人」と呼ぶことが多いし、意識がなくなる寸前の朦朧とした状態の譫言でもあるし。「ごめん」も、西崎に対しての口調としては不自然で、夫に対してだろう。

とすれはだ。やはり「西崎とここを出ていく。酷いこと(出ていくor燭台で殴る)をしてごめん」が自然な解釈ではなかろうか。西崎への電話は、自分をここから連れ出すために花屋に化けて来てくれと。花屋は通すように私がエントランスに言うから、という、そのままの意味だったのではないか。「ごめん」は奈央子の夫に対する口調としては違和感があるが、西崎母のセリフと一致させたかったのだろう。

野口が言うには、奈央子は流産してから精神的に不安定になり、裸足でふらふら道路に飛び出したりしたらしい。流産の真偽と理由(野口は転倒と言ってる)はさておき、精神的に不安定だったのは確かだろう。軽い統合失調症というか、分裂症というか、軽い二重人格というか、状況に応じて意識が入れ替わる状態だったのではないかと僕は考えている。

夫に虐待されたり、家に閉じ込められたり、携帯電話を解約されたりしたときは、西崎とここから出たいと思い、夫が他の女と隠れて何かやってたりすると、独占欲や夫への依存心が出てくるわけだ。「連れ出してくれ」の電話をしておいて、いざ西崎が来たら自分ではなく杉下を連れ出せという。そのときの状況はといえば、夫と杉下が書斎に篭って何かしている。

事件当日にわざわざ来てもらって、やはりわざわざ来ている杉下を連れて帰れ、という意味不明の行動は、こういうことなんじゃないかと。



奈央子が野口を殴り殺した件については、単に暴れる夫を止めようとしたのと、止められるのは自分しかいない(「この人を止められるのは私だけなの!」)の2点が動機かな。夫の暴力を受ける権利は私だけのもの、という意見もどこかで見たが、どうだろう。

▪️感想

安藤が「俺のせいだ」とつぶやいたとき、西崎、杉下、成瀬が安藤を見る。皆も安藤のせいだと思ってるのだが、黙っている。あれが罪になるかは分からないが、バレれば二人の死についての責任は生じるわけで。皆はその罪?が明るみに出ないように、最後まで安藤を作戦の外に出しておこうとする。それが安藤には疎外感なわけだが、そもそも安藤だけ異質なんだよね。

西崎、杉下、成瀬は親に絡んで辛い過去があるが、安藤にはない。長崎の離島出身で、親は公務員という情報しか作中には出てこないが、普通に明るく前向きで、影のない青年である。その明るい安藤が、一番暗い行動をとってしまうのが皮肉だ。



恋にも敗れた安藤だが、安藤役の賀来賢人は、ご存知の通り杉下役の榮倉奈々とリアルで結婚。このドラマがきっかけらしい。安藤の杉下への視線とか表情は、演技じゃなかった可能性が高い。

火が怖いとか、顔以外の体中に火傷の跡がたくさんあって半袖を着られないとか、虐待された体験を小説化するとか、かなり病んでいる西崎が、奈央子の罪を引き受けることで「現実を生きて」いけるようになる(と本人は考えている)。そのことを杉下に語る時や、成瀬に「杉下を守ってやってくれ」と頼む時に、ちょっと目を潤ませていい顔をする。巻き込んですまないけど、俺はスッキリしている。あとは頼む、みたいな。西崎役の小出恵介、素晴らしい演技力だったんだけどな…。

最終回は人物の後ろから手持ちで撮影したカットが多い。一人称視点なような効果があった。

久々に原作を読み返して、諸々の解釈の確認をしようと思ったのだが、ドラマと違いすぎて参考にならなかった。例えば、奈央子が野口を殴り殺した動機は、杉下に殺される前に自分が殺して、自分だけのものにする、というものだった。西崎をボコボコにしている野口の気をそらせるために、杉下が花瓶を割ろうとして振り上げたのを誤解したのだった。

再放送の最終回を見てから、この作品と事件のことばかり考えていた。考えすぎて頭が痛くなった。これを書き終わらないと次に進めないと、勝手に重圧を感じていた。ようやく終わったみたいなので、西崎のように、これからは現実を生きていこうと思う。



毎話執拗に挿入される事件当日フラッシュの中でも、この成瀬の部屋捜索シーンが印象的。毎回これを見て心拍数が上がっていた。





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