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森羅万象 ~ 歩く印象派

ダイエット大作戦Ⅱ(ミッション108)2008年1月4日 

2008年01月04日 21時56分41秒 | 1年かけてダイエット
本日食べたもの(kcalは厳密なものではありません。目安です。)
朝:お茶。
計:0kcal

昼:焼肉店にて。








計:900kcal

夜:家でしゃぶしゃぶ

計:621kcal

日計:1521kcal
歩行:11920歩(385kcal)
差し引き1521kcalー385kcal=1136kcal



ゴンドラに腕はさまれ落下、スキー場従業員死亡 群馬

2008年01月04日 10時37分43秒 | 山関係のニュース(報道されたもの)
2008年01月03日20時12分

 群馬県嬬恋村のスキー場パルコール嬬恋スキーリゾートのゴンドラ駅で2日午前11時20分ごろ、埼玉県桶川市下日出谷、アルバイト従業員伊藤正志さん(63)が動き出したゴンドラのドアに腕を挟まれて宙づりになり、約15メートル下の雪面に落下した。伊藤さんは胸や足の骨が折れ、3日未明に死亡した。出血性ショック死だった。群馬県警は業務上過失致死の疑いもあるとみて調べる。

 長野原署や同スキー場によると、伊藤さんはゴンドラの山頂駅で客の乗降の補助をしていた。男性客がゴンドラ内に置き忘れた手袋を取ろうとゴンドラに近づいたところ、ドアが閉じ、左腕を挟まれたとみられる。

 ゴンドラは、駅に着くとドアが自動的に約90秒間開き、幅18センチ以上のものが挟まると自動停止する仕組みだった。異変に気づいた従業員が手動の非常停止ボタンを押したが、間に合わなかったという。ボタンは駅の運転室とホームの2カ所にあった。

 同署は、事故当時の状況などを調べている。同スキー場では、90年の開業以来、ゴンドラで人身事故が起きたのは初めてだった。

 遺族によると、伊藤さんがアルバイトを始めたのは昨年12月下旬。長年勤めた会社を定年退職し、「趣味と実益」を兼ねてこの仕事を選んだという。娘の藤繁佳代子さん(32)は「山が好きで、60代とは思えないくらい活動的で若々しい父でした」と突然の悲報に声を詰まらせた。

>昨年、7月このホテルに泊まったことを思い出した。

<防衛省>火災の「しらね」除籍 修理なら2年200億円

2008年01月04日 10時00分22秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
(毎日新聞 - 01月04日 02:32)
 防衛省は、昨年12月に火災を起こしたヘリ搭載護衛艦「しらね」(5200トン)の修理を断念し、一線を退かせる「除籍」とする方向で調整を始めた。しらねの耐用年数が残り約5年しかないのに、修理に2年程度、200億円以上かかるとの暫定的な見積もりが出たためだ。ほかに除籍予定のヘリ搭載護衛艦が2隻あり、配備計画(2隻)を上回る除籍で、防衛整備計画の見直しを迫られる事態にも発展しそうだ。

 しらねは昨年12月14日深夜、横須賀基地(神奈川県)に停泊中に出火。艦船の中枢部分である戦闘指揮所(CIC)が火元とみられており、事実上コンピューターを含む指揮通信系統をすべて交換する必要が生じた。修理費は300億円程度に膨らむ可能性もあるという。

 全国に四つある護衛隊群の旗艦には、4隻のヘリ搭載護衛艦があてられている。このうち、しらねは第1護衛隊群(横須賀)の旗艦で80年の就役。第3護衛隊群(舞鶴)の「はるな」(73年就役)と第4護衛隊群(呉)の「ひえい」(74年就役)は老朽化が激しく、「しらね」より先に除籍する予定だった。

 現行の防衛計画では、新型のヘリ搭載護衛艦「ひゅうが」が09年3月に就役。その2年後に同型護衛艦がもう1隻就役する予定だった。これら2隻は、はるな、ひえいと交代することになっていたが、しらねが先に除籍すれば、後継艦が足りなくなる。はるな、ひえいの耐用年数を引き延ばすには改修が必要で、運用に支障が出るのは避けられない見通しだ。【古本陽荘】

藤竹 暁 (著)『事件の社会学―ニュースはつくられる 』(中公新書) (1975年) その1

2008年01月04日 08時54分35秒 | 読んだ本・おすすめ本・映画・TV評

もうかなり前に書かれたもので、すでに絶版である。何度も繰り返し読み直しているが、そのメッセージはいささかも色褪せることはない。

核心部は以下の部分。いささか長い引用だが、現代の私たちにとって重要な示唆を与えてくれる。

 社会学に「トマスの公理」といわれるものがある。それは、「もし人間がある状況をリアルなものとしてとらえれば、その状況は結果においてリアルである」という、アメリカの社会学者W・トマスの言葉によって示されている。
 われわれが環境としてとらえているものは、実は「あるがままを事実とするのではなくて事実であると想像している(あるいはそう考え、そう判断している)ことを事実とする」という心理的メカニズムの所産である。したがって、人間が何らかの意味を状況に与えると、その次にその人間が行う行動と、その行動の結果はその意味によって規定されることになってしまう。
 われわれが「見た「と考えるもの、また「事実である」とするもの、これがわれわれの「環境」にほかならない。そこではわれわれがある状況に対して定義を下した結果、あるものは「存在」し、あるものは「存在しなくなる」という仕組みが働いている。これがわれわれの環境に対する認知の基本的なメカニズムである。社会学者トマスがこの有名な公理を生み出し、洗練し、社会学の基礎概念まで仕上げていったのと同時代に、優れたジャーナリスト、W・リップマンはこの公理をジャーナリスト論の基本にすえて、古典的な名著『世論』(1922年)を次のようなエピソードで書きはじめた。

 1914年、イギリスの郵便船が六十日に一度だけやってくる孤島に、少数のイギリス人とフランス人とドイツ人が住んでいた。もちろん、その島には電話は通じていない。九月になってもまだ郵便船は島を訪れず、彼らの最大の関心は、先便でとどけられた新聞が報じていた「カイヨー夫人事件」についてであった。待ちかねた郵便船がやってきたとき、ひとびとが波止場に集まり、好奇の眼で熱心に知りたがったのは、カイヨー夫人に対する陪審員の評決であった。彼らはすでに六週間も前から、第一次世界大戦が勃発していたことを知らなかったのである。
 ところが、郵便船は彼らに対して、まったく新しい世界をもたらした。彼らの世界は、ヨーロッパに住んでいる人たちよりも六週間おくれて、そのときはじめて、大きく揺れ動いた。彼らは六週間にわたって、違った「状況の定義づけ」を下していたのである。

 リップマンのエピソードはここで終わっている。人びとが状況に応じて下す定義づけが、人びとの環境である。あるがままを事実とするのではなく、事実として想像している、あるいはそう考え、そう判断していることを事実とする、というメカニズムにもとづいてわれわれの世界が形成されているとすれば、このエピソードは次のように発展させることができる。

 いままで平和な生活を送っており、彼らの間の最大の関心が「カイヨー夫人事件」であったイギリス人とフランス人とドイツ人は、まったく異なる話題の中に、身を置かなければならなくなった。それが「状況の定義づけ」の大変更を意味していた。彼らはこの瞬間から、敵対的な関係に立たされてしまったのである。
                     (その2へ続く。)

※カイヨー事件 CAILLAUX CASE (フランス)については

以下をクリック 
アンリエット・カイヨー事件  (殺人博物館のページ)