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森羅万象 ~ 歩く印象派

藤竹 暁 (著)『事件の社会学―ニュースはつくられる 』(中公新書) (1975年) その2

2008年01月05日 18時35分22秒 | 読んだ本・おすすめ本・映画・TV評
(その1からの続き)
 第一次世界大戦が勃発したという「情報」は、島民の「状況の定義づけ」を変えてしまい、ドイツ人を敵国人として見てしまうことになった。ドイツ人にとっても状況は同じである。「環境」は変わったのである。こうしてお互いにとって、きのうの仲間はきょうの敵に変じ、いままで想像もしなかった母国が、背後に大きな姿をあらわした。憎しみが生まれ、疑惑が生じた。いずれは終わる戦争なのであるから、この島には、第一次大戦勃発の情報は、届けられなかったほうがよかったのではないか。
 第一次世界大戦に関する情報が「抜け落ちて」いたら、この島に住む人びとは、従前通りの平和な生活を続けることができたのではなかったか。外界から遮断されているこの島では、人びとを対立させる戦争の「情報」が抜け落ちていた方が、しあわせだったともいえるであろう。情報がなければ、島の「環境」は変わらなかったからである。島の生活を営んでゆくうえでは直接的に関係のない情報によって、この島の環境・・・平和は乱されてしまった。人間にとって、ある場合には、情報のない場合のほうが都合のよい場合もある。少なくとも、環境についての定義を変えなくてすむのであるから。知らないことのしあわせ、あるいは知りすぎたことの不幸として従来いわれてきたことがそれである。
 
 ルバング島で29年間、残置謀者としての行動を続けた小野田元少尉の場合はリップマンのエピソードとは好対照である。救出された小野田さんはトランジスタラジオをもち、短波放送をきいていた。また、厚生省派遣団が残していった新聞や雑誌を丹念に読んでいた。
「栄養失調、カロリー、ビタミン不足、公害、スピード狂・・・こんな言葉がポンポン飛び出し。ジャングルの忍者を想像していた私たちを驚かせた。ルバング島での記者会見では“英語の力は”との質問にたちまち“今の中学三年生くらい”。学制改革まで知っていたのだ。」(『毎日新聞』昭和49年3月15日)ルバング島にも「情報化」の波は打ち寄せていた。

 小野田さんはリップマンのエピソードにある孤島のように、公式の情報連絡便からは完全に遮断されていたのだが、1914年の孤島とは反対に、外界・・・日本社会、そして世界の情勢の変化に対して、驚くべき量の「情報」をもっていたのである。だが、情報の豊かなルバング生活であったにもかかわらず、小野田さんは三回にわたる厚生省派遣団の捜索を「毒まんじゅう」かもしれないと判断していた。

 1914年の孤島では、第一次世界大戦に関する一片の情報によって、いままでの平和な空気が憎悪と疑惑へ一変した。一つの情報が島の環境の定義を変えたのである。これに対して、小野田さんの場合は、日本が大きく「変わった」ことを示す数多くの情報をもちながらも、敗戦という「事実」、さらには残置謀者という任務の遂行がすでにナンセンスになっている事態を、確信することはできなかった。彼にとっては「環境」を変えるだけの力をもった一つの決定的な情報だけがなかったのである。
                     (その3へ続く。)