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森羅万象 ~ 歩く印象派

ドンペリ飲んで豪遊、37万円無銭飲食の16歳少年を逮捕

2008年01月19日 12時40分48秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
1月19日12時37分配信 読売新聞

 埼玉県志木市の無職少年(16)が、同県新座市のクラブで、高級シャンパンなどを飲んで豪遊し、約37万円分を無銭飲食したとして、新座署に詐欺の現行犯で逮捕されていたことが19日、わかった。

 少年は「酒が飲みたかった。最初から無銭飲食するつもりだった」と供述しているという。

 調べによると、少年は16日午後10時30分ごろ、一人で来店し、ホステス5人を指名した上、ホステスの分も含め、高級シャンパンのドン・ペリニョン(1本約10万円)を2本、カクテル、ウイスキーなど計60杯を注文。17日午前4時の閉店時間ごろまでカラオケも楽しんだ。

 会計時に「金がない」と言い出したため、店側が110番通報し、駆けつけた同署員が現行犯逮捕した。

>午後10時30分から午前4時まで5時間余りの間、店側が不審に思わなかったのは何故なんだろう?
この16歳の少年って何者?

藤竹 暁 (著)『事件の社会学―ニュースはつくられる 』(中公新書) (1975年) その7

2008年01月19日 12時08分29秒 | 読んだ本・おすすめ本・映画・TV評
(その6より続き)
擬似環境

たとえば、今日の新聞だと信じてページを開き、むさぼるようにあるニュースを読んでいたとする。そのうちに、その新聞が一ヶ月前のものだとかに気付く。するとたちまち、その新聞の魅力は消えてしまうという経験を、読者は持っているであろう。そして、なんだ、今日の新聞ではなかったのかと投げ出してしまうであろう。その新聞が報道している事実それ自身が持っている意味は、まったく変わっていない。読者は新聞の日付によって、今日の新聞は読むべきものであり、大切なものと判断し、機能の新聞を読むことは、時間の浪費と決めてしまっているだけである。週刊誌のことを思い出してみると、もっとよくわかる。何故に、今週の週刊誌でないと、小脇にかかえて外出する気にならないのか。今週の週刊誌は、先週の週刊誌にくらべて、どれだけ新しい環境像をそこに盛り込んでいるのであろう。古い新聞や週刊誌を最新のものであるとして読んでいたことに気付いた時のあの味気なさはどこからやってくるのであろうか。

 そのとき読者は、自分一人だけが過去の環境に接しており、社会の他の人びととともに、共通世界に接していると錯覚していたことに気付いたからである。ここには、日付によって、人間にとって「擬似環境」のもっている重みが変わることが示されている。

 擬似環境が環境化する事態が進行すると現場(オリジナル)とニュース(コピー)の人間との関係は現場が復讐力をもって迫ってくる状況を次第に稀薄にしてしまう。現場の力は相対的に弱められてしまい、それだけ「擬似環境」が人間に対して共有世界としての力を発揮する度合いは高まってくる。

 現場の力が弱まってくると、現場のもっている「重み」を借りることのかわりにマスコミの消費者である民衆の期待と解釈に依存する傾向が強まってくる。(もし)マスコミがなければ、事件が人びとにとって「共有世界」となるためには、たくさんの人びとの口から口への「会話」によって受け継がなければならない。また、事件はこうした息の長い会話の連続に耐えるだけの、魅力ないしは人間の生存に対する重みをもっていなければならない。もちろん、今日、マスコミで報道される事件も、多かれ少なかれこうした素質を要求されてはいるが、それにもまして、マスコミの力が強く働いている。マスコミのもつ権威と威力が、事件を共有世界とするからである。だが、そのマスコミとても万能ではない。もしも人びとがその事件に興味を示さないことが事前にわかっていたら、マスコミはそれを事件としては扱わない
                              (その8へ続く)

ダイエット大作戦Ⅱ(ミッション122) 2008年1月18日

2008年01月19日 07時50分36秒 | 1年かけてダイエット
本日食べたもの(kcalは厳密なものではありません。目安です。)
朝:お茶。
計:0kcal

昼:おにぎり(明太子、梅:450kcal)、お茶。

計:450kcal

夜:湯豆腐(若布、昆布、豆腐、巾着、ネギ:400kca)、クレソンのベーコン炒め(340kca)、白飯(240kca)、おたふく豆(200kca)、お茶。
計:1180kcal

日計:1630kcal
歩行:14089歩(468kcal)
差し引き1630kcalー468kcal=1162kcal

本日は車を使わず通勤(第1回)

大田経財相「もはや経済一流ではない」 国会演説で指摘

2008年01月19日 07時40分38秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
写真
衆院本会議で、施政方針演説をする大田経済財政担当相=18日午後、国会内で
2008年01月19日06時02分

 大田経済財政相は18日の通常国会の経済演説で、「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれるような状況ではなくなってしまった」と述べ、日本の経済力の国際的な地位低下を指摘した。その上で、「もう一度、世界に向けて挑戦していく気概を取り戻す」と、成長力の強化に力を入れる考えを強調した。

 大田経財相が根拠としたのは、06年の1人当たりの名目国内総生産(GDP)が、経済協力開発機構(OECD)加盟国(30カ国)中18位に低下したことだ。比較可能な80年以降で最低の水準だ。

 演説では、日本がバブル崩壊後、不良債権など負の遺産の解消に追われている間に、中国やインドなど新興国が急成長したことも指摘。「我が国は、世界経済のダイナミックな変化に取り残され、今後も成長を続けていく枠組みはいまだに出来上がってない」と訴えた。

 大田経財相は演説後の会見で、「日本の10年後を考えると、しっかりと成長力をつけるための改革をしていかなければならない時期にきている。危機感からスタートしたい」と述べた。

>「もはや」と聞くと「もはや戦後ではない。」を連想するのは年のせいかしら?
それはさておき、私としては「もはや経済成長信仰にすがる場合ではない」に尽きます。だって、これまでだって一度たりとも「経済が一流」だなんて実感はまったくなかったんだから。「一流」であったことのデメリットならいくらでも挙げられるけど、何かいいこってとあったっけ?