大森インプラントクリニック松元教貢歯科医院腫れ痛みなく早く、骨不足でも骨ができて直ぐに歯が入る幸せのブログ

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インプラントDRの分類について

2007年04月16日 | Weblog
患者さんはインプラントDRと言うと、皆同じような感覚を持っていますね。
しかし、何度も言いますが違うんです。
そこで今回は反発必死な、インプラントDRの世代分類をお話しましょう。
まず第一世代、私はこれはブローネマルクの一番初めのプロトコールを遵守して、時代に適応出来ないDRを、ここに居ると考えています。
この世代よりも古いインプラントDRは、旧人世代です。
サファイヤインプラントや、ブレード、骨膜下インプラント等をいまだにしているDRです。
私自身ここからスタートしていますので、旧人でした。
私は、ブレードやサファイヤの経験数もそれなりにあります。
20年前からインプラントして来たのですから、その時代はそれしかなかったのです。
その頃に、ブローネマルクが日本に来ました。
そして、全国で研修会を開きまくり、拡大して行きました。
新しかったことは、まずインプラント素材がチタンであった事、バイコルチカルサポートで初期固定を重視していた事。
2回法の術式で切開線の入れ方、オペの仕方、補綴の考え方(高床式で後ろに伸ばす)全てが斬新でした。
しかし、その高飛車な態度、オペ室がない医院は話に成らないとか、メーカーのブランド戦略は非常に嫌味なものがありました。
今では、その影すら見れませんが、そりゃ鼻息は荒かったものです。
当然それを取り入れていたDRは、それはそれはプライドが高く、一つの勢力として急増して行きました。
これらのDRが、第一世代です。

これらのDRは、旧世代を蔑視し、あいつらとは違うと言う戦略でした。
旧世代も、黙って引き下がりません。
何か別のものを求めて、海外から色々入れ出しました。
しかし、世界の風潮でインプラント素材はチタンと言う事に落ち着き、オペ室まではうるさく言わない、例えばITIのような1回法で表面がざらざらしているインプラントをやり始める方々が増えて行きました。
もうその頃は、ブレードやサファイヤや骨膜下インプラントをする方は殆ど消滅して行きました。
原因は成功率の低さと長期的な予後の悪さでした。
かつてはインプラント認定医私見でも10年以上でOKであった時期があったのです。
その為に、つい10年前位にある北九州の有名なS先生がインプラントは10年以上も持ってしまう、と言う言い方をしていた位です。

そして、インプラントが信頼が出来そうだと分かり始めて、部分的な入歯に変りそうだと応用されだしたのが第2世代でしょう。
又その頃と同時にGBR骨造成が出来ると言う話が出始めたのが17年前位からで,GTRと言い歯周病でも、支持組織を再生出来るの治療が出始めて、その応用としてGBR骨を再生する治療が出始めました。
これも、日本のN先生が世界でも3番目か位に発表をし、センセーショナルに取り上げられました。
しかも、この概念で世界で一番の権威に成ったのが、ブーザーで皮肉な事にITIの世界的DRでした。
そして世界的にGBRを皆が先陣を争ってしだしました。
元来、GBRは骨移植を避けるための手段として考え出されたものだったのです。
GBRで骨を造れば、別の部分に傷を付けず骨を造れる、それが特徴な筈でした。
ここら辺までが第2世代と言えるでしょうか。

長くなるので、続きは明日話します。