私はもう10年以上前から、インプラント植立手術したその日から綺麗に歯を入れる、即時荷重と言われる治療をしてきました。
何だ当り前だろそんな事、と思うかも知れません。
確かに一般的には歯医者の治療で、歯があるのは当り前でしょう。
抜歯されて歯が無くなる以外には。
しかし、それは全くの誤解です。
実は、今尚インプラント植立手術したその日から綺麗に歯を入れるのは、先端技術であり、なかなか難しいものなのです。
え、嘘だろ、だってネットのHPやブログでは、すぐに噛めるとか、歯が入るのが患者さん皆に出来るみたいに書いてあるじゃないか?と思われるでしょう。
だからこそ、私がこうしてブログで話題にし、書こうとしているのです。
結論から言いますと、すぐに歯が入る治療は、私には出来ますが、他の方が出来てるのかどうかは分からないし、存じ上げません。
私はちゃんと論文としてまとめ、海外の一番権威がある学会PRDに出してますので、公的に実力は証明されている、と明言出来ますが、国内では他の方が出しているのは余り見ないし、論文に値する症例数、科学的考察論じたものは見た事がありません。
見た事があるのは、せいぜい2、3回やって見て上手く行った、と言う症例報告程度です。
これが実態です。
では、何故出せている、出しているんですか?と不思議に思われるでしょう。
それはネット内には何の規制もないし、基準、ガイドラインも法的にはなく、又幾ら作り話書いても罰則、罰金は今はまだないからです。
道義的倫理的責任は間違いなくある筈ですが、残念ながら今の厳しい歯科業界では背に腹は変えられない、まずは目立ち患者さん集めで、と言う止むに止まれぬ事情とやらが出てしまうのです。
そして、優しく丁寧に対応して、患者さんを一回抱き込んでしまえば、あなたには難しいですね、と説明して在り来たりなインプラント治療、何回もの手術をするとか、歯が入るまで何ヶ月も待たせる、とかにまとめてしまうのです。
そうすると、日本人の患者さんは素直で真面目で諦めの良い方が多いですから、先生が言うんだから、私には最初から歯が入るなんて無理なんだ、と納得してしまうのです。
こう言う現実を見せ付けられて、私は義憤で肩が震えるのを抑え切れません。
助かる、救われる筈の患者さんが、みすみす救済の道から外れて行くのが堪らなく気の毒だからです。
ここで話がズレますが、私の子供の頃の話を書きます。
救済と言う事に、何故私が半端ではない気持ち、情熱を持っているのか、その理由が分かっていただける、と思うからです。
私は整形外科医の息子として産まれました。
父は、その世界のゴッドハンドとして大変有名なDRです。
若かりし頃から有能であった父は、大学の医局の命で色々な病院を転勤させられ捲ってました。
医師と言うのは、転勤族なんです、特に優秀だと。
そして、私が幼い頃、伊豆のある大きな病院に父が行く事になり、家族全員で社宅住まいでした。
医者と言っても、若い頃は決して裕福ではありません。
どちらかと言うと田舎から米や野菜送って貰ったりしてましたし、私なんか継ぎ当ての服着てましたからギリギリの生活してた、と感じます。
昭和30年代は、まだまだ日本中がそれが当り前、の時代でした。
でも、私はワルガキそのもので、近所の友達と駆けずり回って遊んでました。
そして、社宅住まいでしたから、遊び場は病院の庭とかだったりしてたのです。
私は無邪気と言うか天真爛漫と言うか、有り難い事に病院の看護婦さんや患者さんにまで、皆に可愛がられるヤンチャ坊主でした。
ある日の事、私達はいつものように、病院の庭で遊んでいました。
父は専門が整形外科でしたから、患者さんには身体障害者の方が沢山いました。
身体障害者の方はリハビリが日課です。
リハビリの場は庭だったりします。
その周りを私達はキャーキャー賑やかに遊んでたのです。
そして、大事件が起きました。
ある身体障害者の患者さんが、リハビリで歩行練習をされてたのです。
その姿はピョコタンピョコタン、と言う感じで、ヤンチャ坊主達には面白く見えたのでしょう。
私達は、その患者さんの後ろに繋がって列を作り、そっくり真似をして皆でピョコタンピョコタンと歩いて見せたのです。
それを見ていた周りの大人達、入院患者さん、看護婦さん、ワルガキ達のお母さん方は思わず微笑ましく見ていたのです。
尚更得意になって私達は真似をしていました。
そこに父が通りかかり、烈火のごとく怒ったのです。
当然、私達はいきなり雷を落とされ、ワーワー泣いてしまいました。
父は患者さんに謝り、私達にも謝りなさい、ときつく叱りました。
そうしたら、その患者さん自身が幼子のした事なんですから、と庇ってくれたのです。
その時のその方の眼差し、何と表現すれば良いのか、私には分かりません。
本当の本物の強さ、諦観に満ちた真の暖かさ、でも奥底に哀しみを讃えている、そんな瞳。
未熟な私の表現力では表し切れていない、と思いますが慈悲に満ちた眼差しだったのです。
私達は泣きじゃくりながら謝りました。
良いんだよ、良いんだよ、と言いながら、その患者さんは微笑んでくれました。
この経験が、私の生涯にかなりの影響を与えています。
医学医療が幾ら進んでも、救われない方は悲しい事ですが、必ずいるのです。
そう言う運命に定められた人は、あの患者さんのように苛酷な宿命、命を生き続けなければならない。
医学医療の虚しさ、及ばぬ悔しさが、あの時の父の怒りの根底にはあった、と私は思います。
救えない悔しさ、力が及ばぬ辛さ、父は多分私達ワルガキの姿が、自分達医者への悪質なからかいに見えたのではないか、そう思います。
その気持ち、感覚は今の私には、父には及びませんが、多少なりとも分かります。
救える筈なのに救えない、しかも、医者側の実力不足でこのような事態が起きる事に、私はとても耐えられなくなったのです。
だから、学生時代余り真面目に勉強した記憶がない私ですが、社会人になってからの方が真面目に勉強し続けています。
いつも言いますが、総義歯の文献、専門書等は平積みで天井に届く程読んでいます。
根管治療の本もかなり読んでいます。
勿論、歯周病関連の本も世に出たものは一通り目を通しています。
インプラント関係は残念ながらまだまだ発展途上な為本だけでは足らず、大変ですが原著論文に当たるしかありません。
正直、これは辛いです。
自分が書く羽目になった時は、電話帳タウンページの厚いやつ2冊以上は読みました。
他の分野でも、私は半端じゃない位読みます。
全ては救えない辛さ、悔しさを克服したいから、他の誰も救えなくても私は救える力が欲しいからです。
その一念だけで23年以上頑張って来たらここまで来た。
それだけです。
苔の一念岩をも通す、の典型かも知れません。
私は救える筈なのに救えないのは嫌です。
何故医療人側から諦めるのでしょうか?
だから、私は生涯学び続けて行くつもりです。
そして、並外れた力を身に付け、今出来る限界と言われるレベルを遥かに超えて克服したいのです。
今日はかなり長くなりましたが、今まで語らなかった、語りたくなかった治す事への拘り、想いを書きました。
今私は断言出来ます。
手術したらすぐに綺麗な歯が入るインプラント治療はかなりの場合でも出来るのです。
治せない悔しさ、辛いのをこれ以上私は見たくないです。
本気の熱いインプラントの真実を知りたい方は、お電話下さい。
真摯に当たらせていただきます。