2011年の東日本大震災以来の大津波警報が出た能登半島地震で、発生6~7分後までに半数の人が
逃げ始めていたことが、スマホの位置情報の分析だ分かった。 所要時間は13年前の半分以下。
教訓が生きた半面、危険とされる車での避難を4~5割が選んだ。 地域によっては移動の難しい高
齢者が多い。 柔軟に対策を考える必要もありそうだ。
「津波が来るぞ! 逃げろ!」。1月1日午後4時10
分。石川県珠洲市に住む会社員"Hさん(44)"は強い揺れ
の直後、怒鳴るような声を聞いた。とっさに小学1年生
の娘の手を引いて走り出した。自宅は海からわずか50
㍍しか離れていない。「大きな地震が来たらすぐに高台
へ逃げると決めていた」 脳裏をよぎったのは東北の沿
岸部を襲う津波の映像の記憶だ。東日本大震災は死者・
行方不明者が計2万2千人を超えた。多くは溺死だった。
今回、津波の犠牲者と判明しているのは2人。大きな波
が来なかったわけではない。土木学会によると海面から
の高さは最大約5㍍に達した。 東北大学のグループに
よると、珠洲市は最短で地震から1分以内に最初の波が
到達した。中心部は約20分後に浸水が始まり、約35
分後に最大の波が襲来した。"今村教授"は「避難の猶予
時間は東日本だ御震災よりもはるかに短かった」と指摘
する。
では被災者はどう動いたのだろうか。 日本経済新聞はソフトバンク子会社のアグープが提供する匿名
の位置情報を分析した。 被害が大きかった珠洲市と能登町で地震直後に浸水想定域内にいた104
人を対象とした。 避難を始めた割合が50%を超えたのは珠洲市で6分後、能登町で7分後。80
%に達したのはそれぞれ11分後、10分後だった。 大津波警報が出る12分後より前に多くの人
が逃げていたことが分かる。 珠洲市の避難者の平均標高は20分後には21㍍に達した。 住宅地
と高台が近い能登町では5分後に17㍍を超えた。
現地調査した中央大学の“有川教授”は「尋常でない揺れが危機意識に結びついた。 訓練で避難先を事
前に把握していた人も多く、地震直後に近隣住民への声かけもあった」と話す。
東日本大震災では避難の遅れが被害の拡大を招いた。 国土交通省が沿岸部から逃げた5500人を調
べたところ、半数が動き出すまでに14分かかっていた。
その後の法整備で、都道府県知事が最大クラスの津波を前提とする「浸水想定区域」を設定・公表する
仕組みができた。 今回の分析では、深く浸水する想定の場所にいた人ほど避難開始が早かった。
過去の教訓が金科玉条というわけではない。 13年前は車に頼った結果、渋滞で身動きがとれずに津
波にのまれた犠牲者も多かった。 道路の寸断などのリスクもあるため、国は歩いて逃げるのを原則
とする指針を定めた。
珠洲、能登の両市町で迅速な避難に一役買ったのは車だった。 移動速度から判断すると4~5割が使
ったとみられる。 高齢化や過疎化で車がなければ日常の移動もままならない地域事情が背景にある。
近い将来の巨大地震が想定される太平洋側の沿岸部でも同様の場所は少なくない。 高知県内などで防
災計画づくりに携わる京都大学防災研究所の”矢守教授”は「地域によっては車の避難はメリットも多
い。 一律に否定するのではなく、それぞれの実情に応じた避難のあり方を議論する必要がある」と
訴えている。 私もその通りだと思います‥実情に合わせた議論は絶対必要だと思います。
逃げ始めていたことが、スマホの位置情報の分析だ分かった。 所要時間は13年前の半分以下。
教訓が生きた半面、危険とされる車での避難を4~5割が選んだ。 地域によっては移動の難しい高
齢者が多い。 柔軟に対策を考える必要もありそうだ。
「津波が来るぞ! 逃げろ!」。1月1日午後4時10
分。石川県珠洲市に住む会社員"Hさん(44)"は強い揺れ
の直後、怒鳴るような声を聞いた。とっさに小学1年生
の娘の手を引いて走り出した。自宅は海からわずか50
㍍しか離れていない。「大きな地震が来たらすぐに高台
へ逃げると決めていた」 脳裏をよぎったのは東北の沿
岸部を襲う津波の映像の記憶だ。東日本大震災は死者・
行方不明者が計2万2千人を超えた。多くは溺死だった。
今回、津波の犠牲者と判明しているのは2人。大きな波
が来なかったわけではない。土木学会によると海面から
の高さは最大約5㍍に達した。 東北大学のグループに
よると、珠洲市は最短で地震から1分以内に最初の波が
到達した。中心部は約20分後に浸水が始まり、約35
分後に最大の波が襲来した。"今村教授"は「避難の猶予
時間は東日本だ御震災よりもはるかに短かった」と指摘
する。
では被災者はどう動いたのだろうか。 日本経済新聞はソフトバンク子会社のアグープが提供する匿名
の位置情報を分析した。 被害が大きかった珠洲市と能登町で地震直後に浸水想定域内にいた104
人を対象とした。 避難を始めた割合が50%を超えたのは珠洲市で6分後、能登町で7分後。80
%に達したのはそれぞれ11分後、10分後だった。 大津波警報が出る12分後より前に多くの人
が逃げていたことが分かる。 珠洲市の避難者の平均標高は20分後には21㍍に達した。 住宅地
と高台が近い能登町では5分後に17㍍を超えた。
現地調査した中央大学の“有川教授”は「尋常でない揺れが危機意識に結びついた。 訓練で避難先を事
前に把握していた人も多く、地震直後に近隣住民への声かけもあった」と話す。
東日本大震災では避難の遅れが被害の拡大を招いた。 国土交通省が沿岸部から逃げた5500人を調
べたところ、半数が動き出すまでに14分かかっていた。
その後の法整備で、都道府県知事が最大クラスの津波を前提とする「浸水想定区域」を設定・公表する
仕組みができた。 今回の分析では、深く浸水する想定の場所にいた人ほど避難開始が早かった。
過去の教訓が金科玉条というわけではない。 13年前は車に頼った結果、渋滞で身動きがとれずに津
波にのまれた犠牲者も多かった。 道路の寸断などのリスクもあるため、国は歩いて逃げるのを原則
とする指針を定めた。
珠洲、能登の両市町で迅速な避難に一役買ったのは車だった。 移動速度から判断すると4~5割が使
ったとみられる。 高齢化や過疎化で車がなければ日常の移動もままならない地域事情が背景にある。
近い将来の巨大地震が想定される太平洋側の沿岸部でも同様の場所は少なくない。 高知県内などで防
災計画づくりに携わる京都大学防災研究所の”矢守教授”は「地域によっては車の避難はメリットも多
い。 一律に否定するのではなく、それぞれの実情に応じた避難のあり方を議論する必要がある」と
訴えている。 私もその通りだと思います‥実情に合わせた議論は絶対必要だと思います。