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田端文士村

2015年08月18日 13時00分25秒 | 話題
 お笑いコンビ「ピース」の“又吉直樹さん”が受賞して話題になった芥川賞・・。
 新人作家の登竜門として知られるこの文学賞にその名を冠した“芥川龍之介さん”は、
  学生時代から亡くなるまでを東京・田端で過ごしたといわれています。
 明治~昭和初期に多くの著名な文人や芸術家が移り住み、後に「文士村」と呼ばれた地がある
        
      「ある日の暮れ方の事である。一人の下人が、羅陽門の下で雨やみをまっていた・・・」

  7月26日・日曜日の昼下がり、JR田端駅北口から歩いてすぐのこのホールに80人ほどが
  集まっていたそうです。  お目当ては? 7月24日の芥川の命日合わせ、2012年から毎年
   その前後に開かれている朗読会「音声河童忌」に出席するためなんだそうです。
   江戸噺や朗読を手掛ける“吉澤さん”という人の語りに聴衆が引き込まれていくんだそうです。
   会を結んだ作品は「羅生門」。今年は芥川がこの作品を発表してからちょうど100年の節目
   会場は「田端文士村記念館」 かなり以前は街に文士ゆかりの建物としてあったそうですが、
   戦時中の空襲で焼失してしまったそうです。 往時の姿の痕跡をたどる頼りは散策マップ
   その地図をまとめた記念館は・・さながら文士村巡りの相談所のようになっているようです
   マップを頼りに街を散策してみると、ビルや住宅が並ぶ今の姿に文士村を感じるのは非常に
   難しくなっているんだそうですが「坂や道筋は当時のまま」というところも多いんだとか・・?
   田端駅南口近くの不動坂は芥川も『雨のふるときは下駄で下りるのは大分難渋だ』と親友への
    手紙に書いているんだそうです!  芥川の住居跡などには記念館が置いた標示板もあり、
   歩いて見つけるのが楽しくなってくるそうです。 モデルルートなら1時間ほどの道のり・・。
    涼しくなったら、ゆっくり・のんびり歩くのもいいものかもと思っています。

   そもそも田端は閑静な農村だったそうです! 
    転機となったのは1889年に東京美術学校(現・東京芸術大学)が上野にできたことだそうだ
    上野に近い割に地代は安く、若手芸術家が続々とアトリエを構えるようになったそうで・・
    画家の“小杉未成醒(放庵)”が草分け的的存在だそうで、陶芸家の“板谷波山”や
    “浜田庄司”らも居を構えたんだそうです。
    芥川が1914年に移り住むと、“室生犀星や萩原朔太郎”らが続き文人が急速に増えた
    芥川賞創設に尽力した作家の“菊池寛”や女性解放運動家の“平塚らいてう”、
     漫画「のらくろ」の“田川水泡”ら著名な文人・芸術家だけでも100人以上が「田端人」
     だったそうです・・?

     1945年4月13日の空襲で焼け野原になるまで輝きを放っていたそうですョ!

     ◇田畑には俳人の正岡子規が眠る大龍寺もある
      著名人の墓参りで各地を巡る「墓マイラー?」たちには知られたスポットなんですって?
      田端文士村記念館でも夏や年始を除き月1回程度、街歩きイベントを企画しているそうだ
      次回は9月19日で「子規から始まる文士と野球」がテーマなんですって!
     ◇記念館は10月1日よりリニューアル。 ホールが常設展示室になるそうです
      芥川の暮らした住居を1/30サイズで再現したジオラマも登場するんですって・・

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