農業じゆう人

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過酷

2021年08月09日 12時57分26秒 | 世間
  昭和天皇が初めて新幹線に乗ったのは1965年5月。 前回の東京五輪の半年ほど後、   
   西日本へと向かう公務でのことだそうだ。 
  「四時間にてはや大阪に着きにけり新幹線はすべるがごとし」。 乗車の印象を詠んだ
   一首だそうです。 人々が、戦後の発展を肌で実感した時代だったようだ。

  昭和天皇実録に、「浜松市付近より愛知県蒲郡市付近までの間、運転台を御覧に」との
   記述がある。 そのとき、思わぬ「事故」が起きた。 「避け得ずに運転台にあたり
   たる雀のあとのまどにのこれり」。 光と影。 快適な乗り心地だけでなく車中で偶
   然、目にした小さな命の不運も歌に残した。 まさに、生物学者のまなざしなのだ。

  意識が遠のいていたのではないだろうか。 札幌市に会場を移した東京五輪最終日のメ
   イン種目、男子マラソン。 ふらつきながら73位で完走した“服部勇馬選手”はゴー
   ルと同時に抱えられ、車椅子で会場を去った。 多くのものを背負い、精魂尽きた。
   暑さで約」3割の選手が途中で棄権した。 「感動」という言葉で総括するには、あ
   まりにも過酷な競技環境であったようだ。
   (以前、中東ドバイで開かれたマラソンで完走した有力選手が、その後体調が回復するまでに約1年かかった
     という。そのくらい暑さの中での競技は大変酷なことです)


  五輪が幕を閉じ、2週間後にはパラリンピックが開幕します。 この国は、世界はどん
   な状況だろうか。 「この度のオリンピックにわれはただことなきをしも祈らむとす  
   る」。 昭和天皇は前回の東京大会に際し、吟じている。 
   メダルの数や国の威信ではない。 ただ平穏でありますようにと願うばかり・・。 
   その詩魂が切実に胸に響く盛夏であったと思いました。

  私がこの東京五輪で素晴らしい活躍した選手は次の3選手だと思っています。
    陸上女子1500㍍で8位に入賞した“田中希実選手”。 
    陸上男子3000㍍障害で7位に入賞した“三浦龍司選手” 
    男子高飛び込みで7位入賞の14歳の“玉井陸斗選手”
   3人ともメダルには届きませんでしたが、陸上トラック競技では決勝に進むこと
    さえ難しいのに日本新記録を出し且つ入賞。素晴らしい!
    (以前、現・東海大でコーチをされている“高野進先生”が400㍍で決勝に出られた。高野さん曰く、
      強い人たちは決勝にならないと真の力を出してこない。従って決勝に進まないと強い選手と自分の
      力を肌で知ることができないので、決勝でびりでもいいからファイナリストになりたいと。)

   一方、飛び込みの世界でまだ14歳の少年が入賞。 次回が楽しみです。
    是非、飛び込み会のレジェンド“寺内健選手”の後を継いでほしい。