「みんな欠伸をしていた」・・・・・。
1959年の刊行されたあの“三島由紀夫”の小説「鏡子の家」の、よく知られた書き出しですよネ
戦後10年あまり、ある資産家の娘の邸宅に集う4人の男の物語でしたですよネ。(昔の事なので記憶が疑問)
かれらの抱える退屈さと時代の空気を、“三島”は冒頭の一文で言いあらわしていた・・?
作品に出てくるような、金持ちの令嬢が集う‘サロン’などというものにはまったく縁などない!
しかし、近ごろの陽気だとうっかり人前で‘大あくび’をしそうになり、慌てて口を覆うことがある。
「欠」という字は、それだけで‘あくび’のことで、口を開けて立つ人を横から見た形だというとか?
へぇ~? そう知って駅のホームなど眺めているとあっち・こっちで「欠・欠・欠・・」の春日だ!
しかし「欠」というと、皆さん頭に何が浮かびますか・・もっぱら「欠ける」の方ではないでしょうか
「欠陥・欠如・欠落」などと、世間の不祥事を語るときに、この文字がしょちゅう登場しますでしょ・・
こちらの意味の「欠」は本来は「缺」という字だったそうですが、かつて当用漢字をきめるときに
‘あくび’の「欠」で代用させたそうです。 こう思えば大雑把な漢字改革だったんですネ~・・
もともとはユルい風情だった「欠」の字も、そんなわけで現代ではすっかりあくびの面影が薄れた?
そんなわけでせめて古典に、この字の本当の味わいを求めようと「漢字日暦」を見てみようかと?
この本、元・京都大学名誉教授で京都国立博物館などを務められた“興膳宏さん”が書かれたもの
さすが中国文学の第一人者らしく、白居易の朝寝坊の詩を紹介している。
曰く「枕を転じて重ねて安寝し、頭(こうべ)を廻(めぐ)らして一たび欠伸(けんしん)す」
こういう「欠」が人生に欠かせない!と思いませんか・・?
でも、このような難しい詩よりは、私は「狂」が付くほどの落語好きです。
遊び好きの若旦那“熊五郎”が習いに行く稽古につき合わされた“八五郎”の気持ちがピッタリ?
その稽古は一番易しいという‘夏のあくび’の稽古です。 現代にはバカバカしい噺
若旦那はなかなか上手くできず悪戦苦闘。 つき合わされた“はっつあん”は脇で居眠り・・
たたき起こされた“はっつあん”曰く、“若旦那”は稽古をしているからいいけれどよぉ~・・
ただ見ているだけ俺は・・退屈で退屈でならね~・・とあくびを一発
それを聞いた“おっしょさん”あら!お連れさんの方が、ずっと御器用ですネ~ ・・と
このような「欠」に係わるバカバカしい噺を“志ん生師匠”や“談志師匠”で聞く方がわかり易い
何かと忙しい現代の世の中、時にはゆっくりと周りを気にせずこのように過ごしたいものです・・
できれば、難しい詩からの「欠]を感じるよりも、私にとってはこっち「欠」の方で!・・です。
1959年の刊行されたあの“三島由紀夫”の小説「鏡子の家」の、よく知られた書き出しですよネ
戦後10年あまり、ある資産家の娘の邸宅に集う4人の男の物語でしたですよネ。(昔の事なので記憶が疑問)
かれらの抱える退屈さと時代の空気を、“三島”は冒頭の一文で言いあらわしていた・・?
作品に出てくるような、金持ちの令嬢が集う‘サロン’などというものにはまったく縁などない!
しかし、近ごろの陽気だとうっかり人前で‘大あくび’をしそうになり、慌てて口を覆うことがある。
「欠」という字は、それだけで‘あくび’のことで、口を開けて立つ人を横から見た形だというとか?
へぇ~? そう知って駅のホームなど眺めているとあっち・こっちで「欠・欠・欠・・」の春日だ!
しかし「欠」というと、皆さん頭に何が浮かびますか・・もっぱら「欠ける」の方ではないでしょうか
「欠陥・欠如・欠落」などと、世間の不祥事を語るときに、この文字がしょちゅう登場しますでしょ・・
こちらの意味の「欠」は本来は「缺」という字だったそうですが、かつて当用漢字をきめるときに
‘あくび’の「欠」で代用させたそうです。 こう思えば大雑把な漢字改革だったんですネ~・・
もともとはユルい風情だった「欠」の字も、そんなわけで現代ではすっかりあくびの面影が薄れた?
そんなわけでせめて古典に、この字の本当の味わいを求めようと「漢字日暦」を見てみようかと?
この本、元・京都大学名誉教授で京都国立博物館などを務められた“興膳宏さん”が書かれたもの
さすが中国文学の第一人者らしく、白居易の朝寝坊の詩を紹介している。
曰く「枕を転じて重ねて安寝し、頭(こうべ)を廻(めぐ)らして一たび欠伸(けんしん)す」
こういう「欠」が人生に欠かせない!と思いませんか・・?
でも、このような難しい詩よりは、私は「狂」が付くほどの落語好きです。
遊び好きの若旦那“熊五郎”が習いに行く稽古につき合わされた“八五郎”の気持ちがピッタリ?
その稽古は一番易しいという‘夏のあくび’の稽古です。 現代にはバカバカしい噺
若旦那はなかなか上手くできず悪戦苦闘。 つき合わされた“はっつあん”は脇で居眠り・・
たたき起こされた“はっつあん”曰く、“若旦那”は稽古をしているからいいけれどよぉ~・・
ただ見ているだけ俺は・・退屈で退屈でならね~・・とあくびを一発
それを聞いた“おっしょさん”あら!お連れさんの方が、ずっと御器用ですネ~ ・・と
このような「欠」に係わるバカバカしい噺を“志ん生師匠”や“談志師匠”で聞く方がわかり易い
何かと忙しい現代の世の中、時にはゆっくりと周りを気にせずこのように過ごしたいものです・・
できれば、難しい詩からの「欠]を感じるよりも、私にとってはこっち「欠」の方で!・・です。