農業じゆう人

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退屈しのぎ?

2014年05月13日 13時55分05秒 | 私事
 「みんな欠伸をしていた」・・・・・。
 1959年の刊行されたあの“三島由紀夫”の小説「鏡子の家」の、よく知られた書き出しですよネ
 戦後10年あまり、ある資産家の娘の邸宅に集う4人の男の物語でしたですよネ。(昔の事なので記憶が疑問)
 かれらの抱える退屈さと時代の空気を、“三島”は冒頭の一文で言いあらわしていた・・?
 作品に出てくるような、金持ちの令嬢が集う‘サロン’などというものにはまったく縁などない!
 しかし、近ごろの陽気だとうっかり人前で‘大あくび’をしそうになり、慌てて口を覆うことがある。
 「欠」という字は、それだけで‘あくび’のことで、口を開けて立つ人を横から見た形だというとか?
 へぇ~? そう知って駅のホームなど眺めているとあっち・こっちで「欠・欠・欠・・」の春日だ!

 しかし「欠」というと、皆さん頭に何が浮かびますか・・もっぱら「欠ける」の方ではないでしょうか
 「欠陥・欠如・欠落」などと、世間の不祥事を語るときに、この文字がしょちゅう登場しますでしょ・・
 こちらの意味の「欠」は本来は「缺」という字だったそうですが、かつて当用漢字をきめるときに
 ‘あくび’の「欠」で代用させたそうです。 こう思えば大雑把な漢字改革だったんですネ~・・

 もともとはユルい風情だった「欠」の字も、そんなわけで現代ではすっかりあくびの面影が薄れた?
 そんなわけでせめて古典に、この字の本当の味わいを求めようと「漢字日暦」を見てみようかと?
 この本、元・京都大学名誉教授で京都国立博物館などを務められた“興膳宏さん”が書かれたもの
 さすが中国文学の第一人者らしく、白居易の朝寝坊の詩を紹介している。
 曰く「枕を転じて重ねて安寝し、頭(こうべ)を廻(めぐ)らして一たび欠伸(けんしん)す」
 こういう「欠」が人生に欠かせない!と思いませんか・・?

  でも、このような難しい詩よりは、私は「狂」が付くほどの落語好きです。
  遊び好きの若旦那“熊五郎”が習いに行く稽古につき合わされた“八五郎”の気持ちがピッタリ?
  その稽古は一番易しいという‘夏のあくび’の稽古です。 現代にはバカバカしい噺
  若旦那はなかなか上手くできず悪戦苦闘。  つき合わされた“はっつあん”は脇で居眠り・・
  たたき起こされた“はっつあん”曰く、“若旦那”は稽古をしているからいいけれどよぉ~・・
  ただ見ているだけ俺は・・退屈で退屈でならね~・・とあくびを一発
  それを聞いた“おっしょさん”あら!お連れさんの方が、ずっと御器用ですネ~ ・・と
  このような「欠」に係わるバカバカしい噺を“志ん生師匠”や“談志師匠”で聞く方がわかり易い

  何かと忙しい現代の世の中、時にはゆっくりと周りを気にせずこのように過ごしたいものです・・
  できれば、難しい詩からの「欠]を感じるよりも、私にとってはこっち「欠」の方で!・・です。