二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

炊き上がる?

2007-11-23 10:10:30 | 徒然に想う
やれやれ、朝方散歩に出かけるとお腹がなってしかたない。あまぁ~い香が漂ってくる。ご飯の炊き上がり?蒸気が吹き上がり、お釜がカタカタ。白い割烹着のお母さんが忙しなく台所を右へ左へ…。もう、まもなくだ。エノキの香り? あぁ、ごま油ねぇ。歩いていてもどんどん伝わってくる、目に浮かぶ。で、グゥとなる。

ところで、お釜がなるって、わかってもらえるだろか。庵主も四十年近く昔の子供頃の風景。今どき電気の炊飯器しかなく、蒸気はふいても、蓋はなりはしない…。そういえば、おこげの香りもなぁ。となると、この描写は伝わってない…。

ここ何日か、表現することの意味を考えている。はたして、ほんと伝えよう・伝えたいものは伝わるのだろうか。表現に使った言葉が個人でまちまちに理解されたとしたら、意図したことは伝わらない。意図したことが伝わらなくともよい、一つのことを確実に伝えることはない? 言葉の定義という障壁? 

伝えたいものにもよる…。伝えようということが無駄であったんですね、きっと。表現を否定するのではなく、伝えるべきものが「一つ」なら、伝えようとする必要がない。だって、伝える前に共有されている。