二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

印象…

2007-11-27 09:34:43 | 徒然に想う
携帯の写真を整理していた。何じゃ、こりゃ? 数日前の富士山。大きく見え、かっこいいなぁと思い、写真を撮った、はず。

同じように、朝陽や夕陽が大きくみえることがある。で、映像で残し、後で見てみると、どうもその大きさやスケール感がない。科学的な説明や撮影技術の問題はこの際どうでもいい。大きく見えた富士山・朝陽・夕陽が事実なのだろうか。それとも、写真で残ったもの、どちらだろう。

はたして、同じ風景を二人並んで見た場合、その人にはどのように映るんだろう。やはり大きな富士山であり、大きな朝陽だろうか。だが、そうだとしても、どうやって確認する?事実を伝えるとき言葉で表現することの限界があるように、映像にもやはり限界がありそうだ。どうやって事実を伝え合う?

伝え合おうと言葉や映像で切り出したことで、事実が消失してしまった? だとしたら、切り出してしまうことに意味がない。だが、文明は事実の記録を残し続けている。はたして…いったい。

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