二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

晩秋の桜

2007-11-14 08:56:53 | 徒然に想う
散歩のコースに川べりのところがある。両サイドが桜の木だ。今は勿論、黄や赤やの葉だけだが、朝陽の夕張メロンのオレンジとも似た光に照らされて幹と共に、春にはない美しさだ。

暫くすると、彼らは全ての葉を落とし、春へと眠りに就く。葉も何もない幹だけの姿は時には寒々しい、必要最低限の活動のみを思わせる。もうすぐだ。

彼ら、寝ているんだろうか。あの満開に花を咲かせる姿を思うと、寝てなんかないだろう。エネルギーをひたすら蓄え、その時に備えようとしているに違いない。誰が決めたのでもない、教えたのでもない。温度や湿度や彼らを取り巻く環境の下、何もしないで、そのようになっていく。花や葉や幹がきれいだとかも、彼らには関係ない。ただ、そのときに応じて、自然とそうなる。

先日、放射線だか何かを使って黄金色の蕾を持つ桜を「作った」というニュースが出ていた。桜にとって人間にとって何の意味があるのか、人間が桜を操作していいのか、考えさせられてしまった。桜のことは桜に任せ、人間が余計な手出しをしてはならないのじゃないかと…。