二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

幼稚な、

2016-01-30 22:59:56 | 徒然に想う

おとなになった時の思い出がありません。いや、「なった」ことがあるんだろうか、とさえ言えるかもしれません。そう、ずっとずっと、子供、なんです。子供のまま大人になれずにここまで来たと言える。ピータパンシンドロームなんて言葉もありましたが、大人になりたくなかったのではなく、なれなかったんだと思います。 

例えば、突然寂しくて寂しくてたまらなくなります。かまってかまってと駄々を捏ねたくなります。そんなとき、年齢は酒を飲んでいいから、酒を飲みます。で、その時、その間はいいのですが、問題なのが、その後。余計ひどくなるんです。もちろん、朝から飲むわけにいかず、それを紛らわすのに、無為に一日を過ごすってことをする。これは、落ち着いてから、大いに痛手になる。反省するといっても、その失った一日を取り返せない。第三ステージでの一日の価値は、これまで経験してきたステージのとは全く違います。ひたすら、どうしてくれようと思うだけです。

こっちにきて、外出はひたすら車になりました。歩くということがめっきり減ってしまいました。ですが、まれに歩くことがあります。すると、同じところにいても、運転席から見る風景とは違う感覚になるし、新たな発見をします。それが実に楽しかったりするんです。あの子規が「吟行するなら、歩くに限る」と言ってます。歩くといろいろなことが視覚に入るからなんでしょうね。

車で飛ばしてて、あれ?と思ってたところ歩きました。石垣がきれいな町、なんです。小さな沈下橋を見つけました。小さなお地蔵さんたちも見つけました。どれもが、歩くという速度じゃなければわからなかった風景です。家にたどり着いてそんなこと思って、ふと気が付いたら17時。まだ、周囲が明るい? 日が長くなった? 



今日の一枚:仁淀川に流れ込む支流のわきの道を歩いてて見かけました。8時ころ。