二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

雨の振ってる日は

2016-01-29 11:03:29 | 徒然に想う

う~ん、これでは管理、出来てない。なんとかせにゃ、いかん。

去年の収支。とっくに終わらせておかなければならないのに、山に上がって疲れ晩酌の焼酎で一気に寝てしまうなんてことを繰り返していたら、とんでもないことになってた。ひとまず、入力は終えた。が、バランスを確認してゆくと、使途不明金を計上したり、なぜか現金が増えたり・・・。しかも、記帳が間違ってて固定資産に入れなきゃならないものがない。文旦を収穫してるのに、その分の記帳がない。野菜の分もあるじゃないか? 

山仕事の記録が足りない。例えば、肥料に関すること。記帳から買ったことは分かるが、細かいことがわからない。例えば、こんなことがほしい。

  1. 買ったものは?(鶏糞とか油粕とか)
  2. どこで?
  3. いくらで?
  4. 作ったところは?
  5. 袋にあるNPK率は?
  6. いつ? どの作物に? その作物は圃場のどこ? 

種に関する記録も十分じゃない。野菜どれだけ取れた? 文旦は1200キロほど収穫。伝票を繰れば、いくら送ったか分かる。でも一目でわからない。おーい、お前は暗闇の中で作業してるんか?

ここに来る前に読んだ農事暦に関する本を読み返していると、また違ってる。こう、風景、鳥たちや木々の見方・記録の仕方が甘いことを知らされる。昔の人たちはすごい。実は10年日記をもってて、去年から書き込んでる。自分の農事暦、農業記録といったほうがいいか、にしたいのだ。が、何を残すか迷っているのが明白。日によって書き込み方がバラバラ。統一感が全くない。言い方を変えれば、視点がぶれてる。

記録魔になる必要はあるまい。が、説明責任は持たなければならんよなぁ。そのために簡単にわかるよう記録しとかんと、まごつく。確実にまごつく。さぁ、何をどう残そう。雨の一日、ポツポツ、こんなことを考え始める。

 

 

今日の一枚:収支の確認してて、集中が切れた。気分転換に、雨の外に出る。ガスが山の谷に。そんな風景を見ながら過ごすのも夢の一つだった。9時過ぎのこと、家の前の道を東にちょっと歩いて。