'In a bid to strengthen its mobile business, Google announced on Monday that it would acquire Motorola Mobility Holdings, the cellphone business that was split from Motorola, for $40 a share in cash, or $12.5 billion.・・・・The acquisition would turn Google, which makes the Android mobile operating system, into a full-fledged cellphone manufacturer, in direct competition with Apple.'(The New York Times)
きょうは、終戦記念日です。新聞は、そう報道しています。
もちろん、本当は敗戦記念日です。
戦争中、敗退を「転進」とごまかして発表していたのは大本営です。戦闘に敗れ粉砕されて逃げ回っても「転進」です。現実を直視しない精神の弱さともみることができますし、あるいは、まやかしのことばで国民に真実を隠していたともいえます。
「ただちに身体に影響があるとはいえない」も同じですね。きっと。ほんとうの危険を教えていない。隠している。
敗戦記念日を終戦記念日と言ってきた戦後民主主義の弱さは、いつかつけがまわってくるのかもしれません。
ところで、いまから10年ほどまえに、ネットを活用したさまざまな教育のこころみがありました。そのひとつは、日本の高校と韓国の高校をネットでつないでディスカッションするというものでした。そのとき、たまたま8月15日が話題になり、両国の高校生にとって新鮮なおどろきと発見がありました。同じ日を、日本の高校生は「終戦の日」といい、韓国の高校生は「解放の日」と言ったのです。韓国では、8月15日は、日本の植民地支配から解放された日であり、休日なのです。日韓の高校生は、直接の対話でそれを知りました。
米国にとっては、対日戦争の勝利の日でしょう。
平和の大切さをあらためて考える日でもあります。
もちろん、本当は敗戦記念日です。
戦争中、敗退を「転進」とごまかして発表していたのは大本営です。戦闘に敗れ粉砕されて逃げ回っても「転進」です。現実を直視しない精神の弱さともみることができますし、あるいは、まやかしのことばで国民に真実を隠していたともいえます。
「ただちに身体に影響があるとはいえない」も同じですね。きっと。ほんとうの危険を教えていない。隠している。
敗戦記念日を終戦記念日と言ってきた戦後民主主義の弱さは、いつかつけがまわってくるのかもしれません。
ところで、いまから10年ほどまえに、ネットを活用したさまざまな教育のこころみがありました。そのひとつは、日本の高校と韓国の高校をネットでつないでディスカッションするというものでした。そのとき、たまたま8月15日が話題になり、両国の高校生にとって新鮮なおどろきと発見がありました。同じ日を、日本の高校生は「終戦の日」といい、韓国の高校生は「解放の日」と言ったのです。韓国では、8月15日は、日本の植民地支配から解放された日であり、休日なのです。日韓の高校生は、直接の対話でそれを知りました。
米国にとっては、対日戦争の勝利の日でしょう。
平和の大切さをあらためて考える日でもあります。
八丈島のわたしが住む地区は、きのうときょうと盆踊りです。
フォークダンスもあれば、炭坑節もある。第二次世界大戦のあと、傾斜生産方式による産業復興は、まず、炭鉱に好景気をもたらしました。「あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ」自然をも圧倒する勢いです。
その炭坑節が、50年以上をへて、まだ盆踊りでおどりつづけられているのですね。盆踊りがあるかぎり、続くのかもしれません。歴史の時間の感覚を少し実感しているようなきもします。
ことしは、花火が平日だったので見に行けなかったのが残念です。
フォークダンスもあれば、炭坑節もある。第二次世界大戦のあと、傾斜生産方式による産業復興は、まず、炭鉱に好景気をもたらしました。「あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ」自然をも圧倒する勢いです。
その炭坑節が、50年以上をへて、まだ盆踊りでおどりつづけられているのですね。盆踊りがあるかぎり、続くのかもしれません。歴史の時間の感覚を少し実感しているようなきもします。
ことしは、花火が平日だったので見に行けなかったのが残念です。
緑に囲まれた書斎です。
夏の八丈島の気温は都心より平均5度ひくい。30度をこす日はあまりありません。日差しは強いのですが、適度の風が吹き気持ちよい。
15分程度の通り雨も多く、大地をひやしてくれます。
緑に目をやすめながら、英語の勉強をしています。
夏の八丈島の気温は都心より平均5度ひくい。30度をこす日はあまりありません。日差しは強いのですが、適度の風が吹き気持ちよい。
15分程度の通り雨も多く、大地をひやしてくれます。
緑に目をやすめながら、英語の勉強をしています。
「中国が米国債を売る日」は確実に近づいている。ーーきょうの日経新聞の記事の最後のことばです。
中国の米国債保有額が日本を抜いて世界一になったのは3年前の2008年9月末。つまり、リーマン・ショックの直後です。
それから3年ほどの間に中国の外貨準備高は3兆2000億ドル(6月末)に膨れあがりました。1.8倍になったのです。
中国は、外貨準備の7割近くを米国債などドル資産で運用しています。
ドル安になれば、当然米国債の価値は失われます。120円で1ドルだった時期に購入した米国債を、80円で1ドルになって売却すれば、円にもどせば価値は3分の2に減っています。
だから、中国政府は、米国債をふやしつづけてきたことをネットではげしく国民から批判されているのです。しかし、中国につぐ米国債をかかえつづける日本では、国民からの批判のこえは弱い。
米国債を手放すタイミングも、日本はおくれそうです。あるいは、米国とともに沈むと覚悟をきめているような選択をしています。
中国の米国債保有額が日本を抜いて世界一になったのは3年前の2008年9月末。つまり、リーマン・ショックの直後です。
それから3年ほどの間に中国の外貨準備高は3兆2000億ドル(6月末)に膨れあがりました。1.8倍になったのです。
中国は、外貨準備の7割近くを米国債などドル資産で運用しています。
ドル安になれば、当然米国債の価値は失われます。120円で1ドルだった時期に購入した米国債を、80円で1ドルになって売却すれば、円にもどせば価値は3分の2に減っています。
だから、中国政府は、米国債をふやしつづけてきたことをネットではげしく国民から批判されているのです。しかし、中国につぐ米国債をかかえつづける日本では、国民からの批判のこえは弱い。
米国債を手放すタイミングも、日本はおくれそうです。あるいは、米国とともに沈むと覚悟をきめているような選択をしています。
今年から来年にかけて、eラーニングは、いよいよ第二世代へ移行をはじめるでしょう。
これまで、eラーニングの可能性は10%くらいしか引き出せていないと考えています。
いま、第二世代のeラーニングがはじまれば、eラーニングの可能性の25%くらいは引き出せると思います。つまり、現在の第一世代の倍以上へ飛躍があります。
第二世代のeラーニングは、ネットをとおして、集合研修と個別研修、インストラクションとラーニングを統合し、これまでまたくなかった総合的なあたらしい教育・学習を作り出していきます。
教育機関もこのあたらしい仕組みを積極的に活用していくでしょう。
ネットラーニングが提供するプラットフォーム「マルチバース」は、その基盤となるものです。
これまで、eラーニングの可能性は10%くらいしか引き出せていないと考えています。
いま、第二世代のeラーニングがはじまれば、eラーニングの可能性の25%くらいは引き出せると思います。つまり、現在の第一世代の倍以上へ飛躍があります。
第二世代のeラーニングは、ネットをとおして、集合研修と個別研修、インストラクションとラーニングを統合し、これまでまたくなかった総合的なあたらしい教育・学習を作り出していきます。
教育機関もこのあたらしい仕組みを積極的に活用していくでしょう。
ネットラーニングが提供するプラットフォーム「マルチバース」は、その基盤となるものです。
8月は、14日が満月です。
でも、今夜の月は満月かとまちがうばかりに煌々とかがやき、夜の世界にくっきり影をつくっています。
夜風がすずしい。
八丈島の夜空には、うすい雲のむこうに天の川も見えます。
でも、今夜の月は満月かとまちがうばかりに煌々とかがやき、夜の世界にくっきり影をつくっています。
夜風がすずしい。
八丈島の夜空には、うすい雲のむこうに天の川も見えます。
資本主義は、主要国の財政があいついで破綻するような局面を経験したことがない。
資本主義は、国家を武器として活用してきた。便利な道具とも言っていい。
国民経済をなりたたせるために、貿易の制限もおこなった。社会的な矛盾を緩和するために、さまざまな社会福祉政策も実行してきた。産業構造の転換にも国家の力を活用してきた。他の主要な資本主義国と武力で争うこともあった。アメリカこそ、その武力を最大に活用して、第二次世界大戦後の世界経済の編成の主導権をにぎってきた。
資本主義にとって、国家はなくてはならないものであった。
しかし、資本主義の矛盾と危機は、国家を破綻させつつある。こんなことは、資本主義は一度も経験していない。
2008年の金融危機において、「100年に一度」の深刻な経済危機ともいわれた。80年前の1929年大恐慌との比較があったのだ。
しかし、「100年に一度」ではないことが次第に明らかになっている。資本主義は、現在進行中のような経済危機をかつて経験したことはないのだ。国家の総力をあげても、中央銀行が死力をつくしても、噴出する危機に対応できず、国家財政が破綻にひんし中央銀行が疲弊し始めている。
国家財政の破綻がいかなる深刻な経済危機をもたらそうとも、もはや、それを救うための国家の本格的な経済活動はないのだ。
たぶん、経験したことがないほどの激烈な世界経済の再編が進行するのだろう。武力をつかわなくとも、ヘゲモニーのすさまじい移行があるのだろう。国家財政がまだまだ健全な新興国が主導権をとっていくのだろう。しかし、それはすべての国を巻き込んだ世界的な恐慌のなかで進展する。
全体のプロセスは、10年以上にわたるにちがいない。1929年恐慌からの再生は、第二次世界大戦の廃墟からの復興というプロセスをとった。実に15年以上の時間の経過をへて。
実際のところ、資本主義がかつて経験をしたことがない歴史的な破綻に直面するときになにがおきるのか、だれにも予測しきれない。
資本主義は、国家を武器として活用してきた。便利な道具とも言っていい。
国民経済をなりたたせるために、貿易の制限もおこなった。社会的な矛盾を緩和するために、さまざまな社会福祉政策も実行してきた。産業構造の転換にも国家の力を活用してきた。他の主要な資本主義国と武力で争うこともあった。アメリカこそ、その武力を最大に活用して、第二次世界大戦後の世界経済の編成の主導権をにぎってきた。
資本主義にとって、国家はなくてはならないものであった。
しかし、資本主義の矛盾と危機は、国家を破綻させつつある。こんなことは、資本主義は一度も経験していない。
2008年の金融危機において、「100年に一度」の深刻な経済危機ともいわれた。80年前の1929年大恐慌との比較があったのだ。
しかし、「100年に一度」ではないことが次第に明らかになっている。資本主義は、現在進行中のような経済危機をかつて経験したことはないのだ。国家の総力をあげても、中央銀行が死力をつくしても、噴出する危機に対応できず、国家財政が破綻にひんし中央銀行が疲弊し始めている。
国家財政の破綻がいかなる深刻な経済危機をもたらそうとも、もはや、それを救うための国家の本格的な経済活動はないのだ。
たぶん、経験したことがないほどの激烈な世界経済の再編が進行するのだろう。武力をつかわなくとも、ヘゲモニーのすさまじい移行があるのだろう。国家財政がまだまだ健全な新興国が主導権をとっていくのだろう。しかし、それはすべての国を巻き込んだ世界的な恐慌のなかで進展する。
全体のプロセスは、10年以上にわたるにちがいない。1929年恐慌からの再生は、第二次世界大戦の廃墟からの復興というプロセスをとった。実に15年以上の時間の経過をへて。
実際のところ、資本主義がかつて経験をしたことがない歴史的な破綻に直面するときになにがおきるのか、だれにも予測しきれない。
こども手当の背景には、急速に給与の構造がかわっていることがあります。
戦後の日本社会では、年功序列、終身雇用を基本にした給与体系がとられてきました。給与は生活給的な性格が強く、若い独身の間は比較的低く抑えられ、年齢があがり家族がふえると上昇する仕組みなっていました。扶養手当などもあり、子供がおおければその手当もありました。
しかし、いまは、ほとんど生活給的な性格をうしない、扶養手当などはほとんどありません。賞与も給与の一部という側面はうしなわれつつあります。
その社員の業績に応じて給与が支払われるのであれば、家族が何人いても給与は同じです。
この大きな変化のなかで、当然、こどもが多い家庭は経済的に苦しくなります。
企業が生活給をやめ、子供の多い家庭が経済的に苦しくなるのなら、国家が未来の担い手の子供たちを支援しましょうというのがこれまでの資本主義国家の普通の考え方です。
このような時代背景からうまれてきた子ども手当は、本来なら当然の国家の政策として多数の支持をえるものです。未来の担い手である子供たちをささえるのは、社会共通の利益だからです。
しかし、国家はもはやその力をもっていない。国家は、破綻しつつある財政をかかえて余分な支出はかたっぱしから削減したいと考えている。であるならば、まず弱い人たちに犠牲になってもらいましょうということになりかねないのです。いっぽうで、法人税は減税して、企業はもっと強くなってくださいという。
国家が力を失っているのだとしたら、では、もういちど、私企業や地域やさまざまな共同体になにができるのかをあらためて考え直すことも必要でしょう。その企業独自の給与体系があってもいい。
ネットラーニンググループは、どのような独自の給与体系をとっていくのか、真剣に考え続けたい。
戦後の日本社会では、年功序列、終身雇用を基本にした給与体系がとられてきました。給与は生活給的な性格が強く、若い独身の間は比較的低く抑えられ、年齢があがり家族がふえると上昇する仕組みなっていました。扶養手当などもあり、子供がおおければその手当もありました。
しかし、いまは、ほとんど生活給的な性格をうしない、扶養手当などはほとんどありません。賞与も給与の一部という側面はうしなわれつつあります。
その社員の業績に応じて給与が支払われるのであれば、家族が何人いても給与は同じです。
この大きな変化のなかで、当然、こどもが多い家庭は経済的に苦しくなります。
企業が生活給をやめ、子供の多い家庭が経済的に苦しくなるのなら、国家が未来の担い手の子供たちを支援しましょうというのがこれまでの資本主義国家の普通の考え方です。
このような時代背景からうまれてきた子ども手当は、本来なら当然の国家の政策として多数の支持をえるものです。未来の担い手である子供たちをささえるのは、社会共通の利益だからです。
しかし、国家はもはやその力をもっていない。国家は、破綻しつつある財政をかかえて余分な支出はかたっぱしから削減したいと考えている。であるならば、まず弱い人たちに犠牲になってもらいましょうということになりかねないのです。いっぽうで、法人税は減税して、企業はもっと強くなってくださいという。
国家が力を失っているのだとしたら、では、もういちど、私企業や地域やさまざまな共同体になにができるのかをあらためて考え直すことも必要でしょう。その企業独自の給与体系があってもいい。
ネットラーニンググループは、どのような独自の給与体系をとっていくのか、真剣に考え続けたい。