朝、家をでるとミンミン蝉の声が道いっぱいに広がっていました。
会社から出かけた先でも、街路樹のミンミン蝉が元気に鳴いていました。わたしは、子どものころ、仲間でセミをみつける名人だったので、いまでも、木の枝のなかにとまっているセミをすぐに見つけてしまいます。
関西では、いまごろ鳴くのは、クマゼミです。シャンシャンシャンと勢いよく鳴きます。透明な羽と大きな体は子どもたちに人気があります。ミンミン蝉は、それよりは少し小型です。
セミといえば、松尾芭蕉が元禄2年5月27日(1689年7月13日)に山形市立石寺に参詣した際に詠んだ俳句「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」が思い出されます。
立石寺に行き、そびえる岩の崖をみて、はじめてこの俳句の意味をしりました。
なぜ、あのさわがしい耳をつんざくような蝉の声が「閑さや」なのか、ずっと疑問でした。現地に行ってわかりました。その崖の岩は、風葬の岩なのです。多くの人たちが亡くなり、その岩山にとむらわれて、白骨になり自然にかえっていく。あの騒がしい蝉の声が、岩に染み込み、まるで静寂のようです。芭蕉は、その静寂にはっと気がついたのでしょう。どんなに騒がしく鳴いても、すべて岩に吸い込まれていきます。
わたしが、もっとも好きな俳句です。「山寺や 岩にしみ入る 蝉の声」であれば、あたりまえの俳句です。
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声ーーー生きることを考えさせられる壮絶な俳句です。
会社から出かけた先でも、街路樹のミンミン蝉が元気に鳴いていました。わたしは、子どものころ、仲間でセミをみつける名人だったので、いまでも、木の枝のなかにとまっているセミをすぐに見つけてしまいます。
関西では、いまごろ鳴くのは、クマゼミです。シャンシャンシャンと勢いよく鳴きます。透明な羽と大きな体は子どもたちに人気があります。ミンミン蝉は、それよりは少し小型です。
セミといえば、松尾芭蕉が元禄2年5月27日(1689年7月13日)に山形市立石寺に参詣した際に詠んだ俳句「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」が思い出されます。
立石寺に行き、そびえる岩の崖をみて、はじめてこの俳句の意味をしりました。
なぜ、あのさわがしい耳をつんざくような蝉の声が「閑さや」なのか、ずっと疑問でした。現地に行ってわかりました。その崖の岩は、風葬の岩なのです。多くの人たちが亡くなり、その岩山にとむらわれて、白骨になり自然にかえっていく。あの騒がしい蝉の声が、岩に染み込み、まるで静寂のようです。芭蕉は、その静寂にはっと気がついたのでしょう。どんなに騒がしく鳴いても、すべて岩に吸い込まれていきます。
わたしが、もっとも好きな俳句です。「山寺や 岩にしみ入る 蝉の声」であれば、あたりまえの俳句です。
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声ーーー生きることを考えさせられる壮絶な俳句です。