きょうは、終戦記念日です。新聞は、そう報道しています。
もちろん、本当は敗戦記念日です。
戦争中、敗退を「転進」とごまかして発表していたのは大本営です。戦闘に敗れ粉砕されて逃げ回っても「転進」です。現実を直視しない精神の弱さともみることができますし、あるいは、まやかしのことばで国民に真実を隠していたともいえます。
「ただちに身体に影響があるとはいえない」も同じですね。きっと。ほんとうの危険を教えていない。隠している。
敗戦記念日を終戦記念日と言ってきた戦後民主主義の弱さは、いつかつけがまわってくるのかもしれません。
ところで、いまから10年ほどまえに、ネットを活用したさまざまな教育のこころみがありました。そのひとつは、日本の高校と韓国の高校をネットでつないでディスカッションするというものでした。そのとき、たまたま8月15日が話題になり、両国の高校生にとって新鮮なおどろきと発見がありました。同じ日を、日本の高校生は「終戦の日」といい、韓国の高校生は「解放の日」と言ったのです。韓国では、8月15日は、日本の植民地支配から解放された日であり、休日なのです。日韓の高校生は、直接の対話でそれを知りました。
米国にとっては、対日戦争の勝利の日でしょう。
平和の大切さをあらためて考える日でもあります。
もちろん、本当は敗戦記念日です。
戦争中、敗退を「転進」とごまかして発表していたのは大本営です。戦闘に敗れ粉砕されて逃げ回っても「転進」です。現実を直視しない精神の弱さともみることができますし、あるいは、まやかしのことばで国民に真実を隠していたともいえます。
「ただちに身体に影響があるとはいえない」も同じですね。きっと。ほんとうの危険を教えていない。隠している。
敗戦記念日を終戦記念日と言ってきた戦後民主主義の弱さは、いつかつけがまわってくるのかもしれません。
ところで、いまから10年ほどまえに、ネットを活用したさまざまな教育のこころみがありました。そのひとつは、日本の高校と韓国の高校をネットでつないでディスカッションするというものでした。そのとき、たまたま8月15日が話題になり、両国の高校生にとって新鮮なおどろきと発見がありました。同じ日を、日本の高校生は「終戦の日」といい、韓国の高校生は「解放の日」と言ったのです。韓国では、8月15日は、日本の植民地支配から解放された日であり、休日なのです。日韓の高校生は、直接の対話でそれを知りました。
米国にとっては、対日戦争の勝利の日でしょう。
平和の大切さをあらためて考える日でもあります。
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