凡そロエロと言えば、マテオ・コレッジアと来るわけだけれど、サント・ステファーノ ロエロに自然派の物凄い造り手がいた。
先日上の橋のいつものイタリアンで、この表題のロエロを飲ませてもらった。
2008年に父の畑を引き継ぎ、2011年にファースト・リリース。
ということは、このワインの造り手は駆け出しも良い所。
それが目を見張るほどの見事さで、そこいらのバローロも形無しなのだ。
その日は2013年のヴィンテージの自根の葡萄を混ぜたヴァルドヴァートも並べて飲ませてもらって、いかにカッシーナ・フォルナーチェのロエロが凝縮している物であるかを目の当たりに出来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/c4/fbf0d36b4db07e8dfe1806256cfa8616.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/18/6a6286dff00ac84640dca7cf3b1041fb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/8d/1d5688db7395a0771030e094ecbd6563.jpg)
その迫力たるや、並みのロエロではない。
オーガニックの畑の耕作に、ビオディナミの調剤を取り入れて、不耕起、無肥料を踏襲す。
醸造はナチュラルと言えば在り来たりなのだが、その徹底振りは他を寄せ付けず、いわゆる何も引かない、何も足さない。
そして出来たワインが、ファンファーレを鳴らさんばかりの、目の詰まった、果実味全開なのだ。
山形村の短角牛を炙っていただいて、まさしくココは極楽浄土!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/70/1ab52d249e26cb4b304960acbd31e67d.jpg)
そう思ったのは、もちろんワタクシだけではなかったはず。
月に何度かイタリアンに通い、こんな瞬間をいつも待っている。
ブルとボルだけの時代はこうして終わって行くのだとも感じている。
先日上の橋のいつものイタリアンで、この表題のロエロを飲ませてもらった。
2008年に父の畑を引き継ぎ、2011年にファースト・リリース。
ということは、このワインの造り手は駆け出しも良い所。
それが目を見張るほどの見事さで、そこいらのバローロも形無しなのだ。
その日は2013年のヴィンテージの自根の葡萄を混ぜたヴァルドヴァートも並べて飲ませてもらって、いかにカッシーナ・フォルナーチェのロエロが凝縮している物であるかを目の当たりに出来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/c4/fbf0d36b4db07e8dfe1806256cfa8616.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/18/6a6286dff00ac84640dca7cf3b1041fb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/8d/1d5688db7395a0771030e094ecbd6563.jpg)
その迫力たるや、並みのロエロではない。
オーガニックの畑の耕作に、ビオディナミの調剤を取り入れて、不耕起、無肥料を踏襲す。
醸造はナチュラルと言えば在り来たりなのだが、その徹底振りは他を寄せ付けず、いわゆる何も引かない、何も足さない。
そして出来たワインが、ファンファーレを鳴らさんばかりの、目の詰まった、果実味全開なのだ。
山形村の短角牛を炙っていただいて、まさしくココは極楽浄土!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/70/1ab52d249e26cb4b304960acbd31e67d.jpg)
そう思ったのは、もちろんワタクシだけではなかったはず。
月に何度かイタリアンに通い、こんな瞬間をいつも待っている。
ブルとボルだけの時代はこうして終わって行くのだとも感じている。