The Wine Heat!

オテル・ド・ヤマダ ワインフォーラムの主催者であるDr.ヤマダのワインな日々の記録です。

コンベンショナルなワインの流れはいかがでしょうか?

2019-11-20 06:28:05 | ワイン
自然派やニッポンワインがはびこる今のワインの世界で、あくまでもコンベンショナルなワインに拘るワイン愛好家がいる。
とうのワタクシも普段は自然派も飲むし、ニッポンワインも飲むけれど、いざと言う時にはそうゆうワインを開けてしまうのだ。

それは好き嫌いはともかくとして、そこにはワインの区別など関係無し。
とにかくワインという飲み物に惚れているからなのだ。
そして飲んだことの無いワインを開ける瞬間は、さながら新着のレコードに針を落とす時のヨロコビにも似て、その高揚感は格別なのだ。

先日このような↓ワイン会があった。
全てオテル・ド・ヤマダが元気であったころのラインナップである。
写真のみの報告になるが、まずはお目通しを。







本当の所、スカーとして心穏やかに実家に帰ったような気持ちになるのは、ワタクシだけではないはず。
さてさて、ワインというものへの関わりはさまざまで、これから少しの時間を削って、その辺を深彫りしてゆこうと思っている。

では・・・

リッシュブール

2019-11-18 22:52:40 | ワイン
よもやこの年末に来て、名だたるリッシュブールをご相伴に預かれるとは、思いも寄らなかった。
そのリッシュブールの造り手は、1989年産のDRCと1990年産のメオ・カミュゼなのだ。

89年、90年、と言えば、ブルゴーニュの潮目のようなヴィンテージと言える。
それは80年代の純朴無比でいささか荒削りな時代から、90年代の濃密、洗練、気品が誉めそやされる時代になって来たのだ。
そんな時代にあって、DRCは常に時代の旗頭にあり、ワインに備わる品格は群を抜くもの。
一方メオ・カミュゼは92年までのアンリ・ジャイエの傘下にあってもなお、その出来映えはまちまちであったようだ。



今回実際飲んでみて、まず気付くのはメオ・カミュゼが比較的状態が良かったということ。
1990年というヴィンテージを差し引いても、驚くほどの安定感を見て取れる。
それに加えて、香りは極上のジャイエ・フレーヴァー満載で、薔薇やヴィオレットのお花畑に、特有のスパイス感が鏤められ、そこに甘いミルクチョコの香気が立ち昇るのだ。

それに比べると、DRCの熟成香は僅かにダウングレード。
果実は熟れ加減からドライなニュアンスを加えつつ、香りば鮮やかな花の香気はどこへやら、ランシオのニュアンスを感じてしまったのは私だけであろうか?
これはよく言えば、DRCのワインはそれだけ鋭敏であり、セラーの僅かなキャヴィテーションでも影響を受けるということなのだろうか?

ということで、この2本の優良年のグランクリュの飲み比べは、1990年のメオ・カミュゼに軍配が上がったのだ。

まあそれにしても、両者共にリッシュブール!
その精妙さとずば抜けた余韻はブルゴーニュの見本のようなもの。

そしてこの年に、この2つの巨匠の89’90’物を飲めるのは、まずは奇跡と言ってもイイのだろう。

回顧録 第100回 オテル・ド・ヤマダ

2019-09-16 21:51:17 | ワイン
今思い出してみると、とんでもないワイン会が執り行われたということだ。
地方の一都市盛岡の単なるワイン好きの自宅においてだ。

まあこれもひとえに自分一人の力だけでは成し得るわけはない。

ここではどのように展開されたかを敢えて詳らかにはしない。
ただしそれなりの飲み頃の物を用意し、ある程度分かるワイン飲みによって飲み干された事だけは確かだ。

四の五の言わずに、まずはラインナップを見てくだされ。↓





















ここで2本並んだワインはレギュラーボトル、1本のものはマグナムボトルである。
参加したワインヒートは定かではないが18名、レギュラーボトルは好きなほうを選んでもらった。

今は昔のリアル・ワイン会!
もう一度やってくれと言われても先ずは無理でしょ。
目の保養にはなると思うのだが・・・

1989 ジュブレイ・シャンベルタン レ・シャンポー フィリップ・ルクレール

2019-08-25 12:03:00 | ワイン
あえてレジェンドとは言わないまでも、ワイン入門時に堤防のように立ちはだかったドメーヌが幾つかある。
ドメーヌ・フィリップ・ルクレールもその一つと言っても良いのだろう。

当時凝縮し、色の濃いワインに執着し、後先考えずに飲み散らかしてきた。
そしてそのワインを自らが美味しいと思うのではなく、こうゆう物こそ美味しいのだ!と言い聞かせてきたのだ。
そこには頑強かつ堅固なタンニンと舌を窄めるほど強烈な酸味があるのだが・・・

でもヘーッチャラ、そんな事などされかまないで、その奥底に潜んでいる何かを探求するジブンがいたのだ。



思い出してみると、89年物のルクレールはルクレール節も微かに聞こえはせども、かれのその前10年の経歴をなぞって見れば、むしろ抗し易いヴィンテージだと思う。

そしておりしも今回のパパジイで、89年物のルクレールをご相伴に預かることが出来た。
第一印象はピノではない、熟成したネッビオーロ、もしくはサンジョベーゼ?
強烈だけれど、果実にはどこかしらシリアスなニュアンスがある。
そこには冷静さが同居しているのだ。

でもまてよと、あと30分ほど待ってみる。
するとそこにお決まりの果実感が沸々と立ち上がって来るではないか。
こうなれば、もちろん80年代のブルピノまで到達する。

しかしよもやあのルクレールとは・・・
ヘルスエンジェルスを髣髴とさせるあの赤鬼ルクレールとは。

懐かしいかなエクスペリエンスとオドロキの邂逅!
こうなれば、出展のTチャンマンには、またまたありがとうと言わざるを得ないのだ。

1995 ブルゴーニュ・オー・コート・ド・ニュイ ジャイエ・ジル

2019-07-23 05:34:41 | ワイン
ここ最近、相当投稿をさぼっている。
その理由は何のことはない、霞目と集中力の欠如なのだ。
FBは日記帳代わりに書き込みを続けているけれど、やはり自分にとってはブログこそメインストリーム。
少し早く目が覚めたこの朝に、やっとこさ重い腰を挙げることにした。W

さて表題のワインだが、恐らく一年遡ったとしても、美味しく飲めた白ワインのベスト3に入ると思う。
タケちゃんの持込ゆえ、もちろんブラインドで供された。

のっけから濃密極まりなく、香りには蜂蜜からミードのニュアンスがあり、そこに何かの香辛料を連想させた。
果実は熟れており、パインのジャムやらイエローチェリーのコンフィやらマンダリンやらで、複雑に絡み合うのだ。
そして焦がしバターやダージリンなどのオマケまでつくわけだ。。

色合いから見ても、これは90年代!
それも例外的なヴィンテージに思われた。
飲んでみて熟成は感じられるも、いわゆるヘタリは無く、見事な調和で納まっている。
そして甘みはあるが、それを支える酸度が半端じゃないのだ。
そうくると92年、もしくは95年となるが、外公的な印象が強く95年と見た。





実はそれがご名答で、そのあとワタクシはジャイエ・ジルの造り手まで探り当てたのだ。

ええ・・・、最近少し変なんです。(汗)
ブラインドで妙にあたりすぎる。

その理由はにわかには答えられないが、さてさて・・・
今月ぞろ目の60台になって、随分同年代のワイン・ヒートが影を潜める今日この頃なのだ。

たまに混ぜてもらう若人とのワイン遊びが面白すぎる。
こんな日が永く続けばイイなあと思うのだ。


1999 アルボワ・ピュピラン サヴァニャン ピエール・オヴェルノワ

2019-07-07 21:53:07 | ワイン
このワインがいかに手に入りにくいものかをワタクシは知っている。
だからと言って、飲みたくてしょうがない代物でもなかったのも事実なのだ。
実は今回ワケありで飲めたのも、正しく偶然で、それは軌跡に近い出来事だった。
そして飲んでみて、なるほど何故にこのワインが、世のワイン好きから引く手あまたであるかの理由もいくつか分った。





色合いや風味がどうであれ、1999年が素晴らしい出来のサヴァニャンが採れたことは明白だ。
それは酸化熟成の特有の香味を伴いつつも、果実には非常に強い旨みが閉じ込められている。
そして濃密な液体を舌で転がしながら飲み込むと、そこには壮麗な酸味の下支えがあり、後ろ髪引かれる余韻もある。
加えてこれが一番大事なことなのだが、他のナチュールに見られる否定的な香りは微塵も感じる事は無いのだ。
それは相当な年月を持ち応えた上質なシェリーでもあり、アジアのスパイス市場にでも迷い込んだかのようでもある。

このワインはこの際、ここでおさらばでも良い。
日常に有るべきワインでも無いのだろう。

フッと湧いた飲めるチャンスに、当方これだけのワイン・エクスペリエンスがあって良かったと心底思うだけ。
持ってきてくれたYシャチョーに心から感謝なのだ。

2004 シャンボール・ミュジニ レ・クラ ジョルジュ・ルーミエ

2019-06-13 20:52:06 | ワイン
2004年というブルゴーニュの赤にとっては控えめなヴィンテージでも、ブルゴーニュにおいてをや、ここの造り手の独壇場と言っても過言では無い。
妖しげな保管情況を差し引いても、今回のこのレ・クラは間違いなく見事なお手並みだった。

風味に適切なミネラルがあり、果実はプロの家政婦にでもお願いしたかのように整頓され、裏打ちされた酸味は壮麗な羽衣の舞のようでもある。



もちろん、この造り手の三強のクリマには及ばないが、ブルゴーニュの正統な物を紹介するのに、これ以上の素材はまずは思いつかない。
まあ素材などとは、間違っても言ってはいけないが、それほど価格はアッパーであり、手の届かないワインとなってしまった。

おそらく造っている当の本人でさえも、ありがたくない今のブルゴーニュの相場なのだろう。
確かに絶品な代物ではあるけれど、3000円のナチュールの30倍美味しいとは口が裂けてもいえないのは、おそらくワタクシだけではないと思う。

まあだから昨今、ワインライフは飲み方が大事なのだ。
大物を貪り飲むのは時代に合わない。
20年前なら、よし!

適切な時間に節度のあるメリハリの利いた飲み方にワタクシは注目する。
これがよわい66を迎えるへなちょこワイン・ヒートの正直な今のワインシーンへの思いということだ。

2016 プティ・プソー ドメーヌ・ド・ロクタヴァン

2019-05-13 05:36:50 | ワイン
ナチュール系のワインで飲んでシックリ来るものを挙げよ!と言われれば、この造り手と『マイ・エ・ケンジ・ホジソン』を挙げるだろう。
『マイ・エ・ケンジ・・・』はロワールだが、この造り手はアルボワで、シャルル・ダガンとアリス・ブヴォのカップルが5haの畑をオーガニックに耕作して、自然なワインを少量生産している。

今回いつもの鮨屋で開けたものはアルコール度数12%のシャルドネ100%の白のフラッグシップと言えるワイン。
とりあえず醸造において一切の化学的な介入は行っていない造りなので、その香りと味わいは出たとこ勝負の感がある。



しかしながらワタクシにとっての『ロクタヴァン』はいつも裏切ることはないのだ。
このワインもユルユル、シミジミとしたスタートだが、中盤から底味のエキスの立ち上がりが半端じゃなくて、壮麗なにごりワインをマッタリ、ジックリと楽しむ事が出来るのだ。

それは大地に舞い降りた天使のようでもあり、むしろ極めてニッポン的な天女の羽衣のようでもある。
だからシックリ合うわけで、DNA嘘つかないの原則は、このワインでも踏襲されるというわけだ。

で、一つだけ触れておかなければならないのは、このワインもその他の『ロクタヴァン』も、価格が比較的高いということ。
それに関しては、心して飲んでくだされ!ということなのだ。
まあそれも、The Wine Heatに述べるということは、老婆心でということではあるのだが。
さてさて・・・

1995 アメリア シャルドネ コンチャイトロ

2019-05-04 16:20:35 | ワイン
このワインが先の『パパジイ』で目隠しで登場したのだから堪らない。
もちろん出題者はタケちゃんに決まっている。

確かにアルコール度数は相当あるのは承知したが、ブルゴーニュだって良年ならばこれくらいの物はフツーにある。
加えてバランスも相当に良かったし、香り的にも魅惑の局地、そして肝心のエレガンスもある、結果速攻ブルシャルと答えた。

そしてらタケちゃん、違う違うのジェスチャーをするものだから、さて困ったと言うわけだ。
不正解でシャルドネ産地の世界一周旅行をした後で、やっとこさチリに辿り着いた。



このワインこそ、コンチャイトロの創始者ドン・メルチョーが愛して止まなかった妻の『アメリア』の名を冠したシャルドネ。
チリ最高峰のシャルドネであることはもちろんのこと、世界のシャルドネが束になってかかっても、そう簡単にはこのワインを打ち負かすことは出来ないだろう。

そしてヴィンテージは1995年、チリにおいてシャルドネにとっても例外的に良かった年だったようだ。
そして黄金に輝く蜂蜜垂らし~の、パインを漬け込み~の、スパイシ~のなどなど、モンラッシェ様も及び腰になるスンバラシイ劇的シャルドネが出来上がったと言うわけだ。

ここまでコンチャイトロやチリワインを小馬鹿にしてゴメン!そしてこのワインを飲んだ以上、造ったドン・メルチョーにも敬服せざるを得ないのだ。
ワイン好きの皆様にも『アメリア』を瓶熟させて、ココまでくることを伝えたいのだが、まあワインが無いのだからさてさて、というところ。

またこの夜もワインのラヴィリンスに迷い込んでしまったようだ。

1989 シャトー・ディッサン マルゴー

2019-05-03 23:53:23 | ワイン
令和になってはじめての『パパジイ』でこれを開けた。
30年目を迎えたヴィンテージは例外的に良くて、無論ストローク的にはおそらくイイ感じに練れてるだろうと思われた。

リリース直後のイメージは思いのほか辛めで軽い印象だったけれど、今飲んでほほ~と思ったのだ。
実にステキな熟成感で、ほど良いボディーと味わい深い底味が存分に楽しめる。
そして香りはハードボイルドなボルドー古酒、加えてマルゴーのミネラルと金気臭さも感じ取れるのだ。



ここにきて、ボルドーのグランクリュクラッセの中堅どころのここまで熟成した物を味わえる機会は少なくなったけれど、やはり時折り折りに試してみたいよね。
やはりそこには、他には無いシリアスな部分の何かがあるんだよな~
だからその時の記念『パパジイ』では、ソレを感じてみたくて開けた。
そして美味しく飲めた。

造り手の技量は変わるけど、地所のポテンシャルは変わらない。
やはりディッサン、意外にも良いテロワールなのだろう!