同じパーカー・ポイント100点満点のワインでも、リリースされた当時のことを思い出してみると、その様相は随分違っていた。
1986年は巨大で凝縮しており、色濃くその構造は堅固。
一方1982年は個性的で、派手でメリハリがあり、しかしながらそれらの要素は最も内向的で予測が付かないほど神秘的ということだった。
で、今回正しく信じがたいことだが、この2本の偉大なムートンを並べて飲む機会があった。
1986年は32年、1982年は36年が経過している。
ここで飲みごろ感を端的に言わせてもらえば、1986年は第1次飲み頃期間を過ぎている、すなわちこれはこれで美味しく飲めたのだ。
一方1982年は未だ硬く成長も中途段階と言ってもいいのだろう。
果実はとろりとして見事なテクスチャーを誇るも、あきらかに未だ先があり全てを見せてはくれないのだ。
その昔、ロバート・パーカー曰く、1986年は15年から20年は必要、あるいはもっと、そして1982年は50年から60年は持ちこたえうると。
コレだけ見れば、なるほどパーカーも捨てたもんではないということになるようですな。W
いずれにしても、そこまでは待てないわけだから、どこの切り口で飲むのか?ということになるけれど、今回のこの2本の偉大なムートンは記憶に残る物であったと言うことだけは間違いない。
まずは主宰に感謝するのみである。
1986年は巨大で凝縮しており、色濃くその構造は堅固。
一方1982年は個性的で、派手でメリハリがあり、しかしながらそれらの要素は最も内向的で予測が付かないほど神秘的ということだった。
で、今回正しく信じがたいことだが、この2本の偉大なムートンを並べて飲む機会があった。
1986年は32年、1982年は36年が経過している。
ここで飲みごろ感を端的に言わせてもらえば、1986年は第1次飲み頃期間を過ぎている、すなわちこれはこれで美味しく飲めたのだ。
一方1982年は未だ硬く成長も中途段階と言ってもいいのだろう。
果実はとろりとして見事なテクスチャーを誇るも、あきらかに未だ先があり全てを見せてはくれないのだ。
その昔、ロバート・パーカー曰く、1986年は15年から20年は必要、あるいはもっと、そして1982年は50年から60年は持ちこたえうると。
コレだけ見れば、なるほどパーカーも捨てたもんではないということになるようですな。W
いずれにしても、そこまでは待てないわけだから、どこの切り口で飲むのか?ということになるけれど、今回のこの2本の偉大なムートンは記憶に残る物であったと言うことだけは間違いない。
まずは主宰に感謝するのみである。