土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

永保寺、夢窓疎石作庭の庭園が見ものです。

2018年12月12日 | 岐阜の古寺巡り





(2018.12.08訪問)


岐阜の名刹を訪ねる第二弾は、多治見市の虎渓山永保寺を訪ねます。
迷車大和路号は近畿自動車道、第二京阪、名神高速、東名高速、中央道と日本の幹線高速を突っ走り、東に向かっています。
オッと間違いました、迷車大和路号は突っ走ることは出来ません、例によりチンタラ走行で約200キロを行かねばなりません。
さてさて何時間かかるやら。高速道路は高速で走れるクルマのため、迷車大和路号はスピードが出ません、しかし高速道路を走ります。
ひょっとして今話題のあおり運転をヤラレているかも、しかしそれすら気付かないまま迷車大和路号は悠然と高速道路を走っています。
本当はビクビク。





▼穏やかな土岐川の流れ。手前に永保寺が境内を広げています。







[ 永保寺 ]
●山号 虎渓山(こけいざん)
●寺号 永保寺 (えいほうじ)
●宗派 臨済宗 南禅寺派 (りんざいしゅうなんぜんじは)
●開創 夢窓疎石 (むそうそせき)
●開山 元翁本元 (げんのうほんげん)
●開創 正和二年 (1313年)
●本尊 聖観世音菩薩
▲岐阜県多治見市虎渓山町1-42 TEL. 0572-22-0351
▲拝観料 境内自由 (制限日、時間あり) 御朱印300円
▲拝観時間 5 : 00~17 : 00
▲http://www.kokei.or.jp/
▲JR多治見駅から東鉄バス小名田、小滝行き「虎渓山」下車、徒歩7分
 中央道多治見ICから県道381号経由8分





▼土岐川に沿って建つ簡素な黒門、この門からの入山です。







永保寺縁起 (永保寺 HPから抄出)
山号は虎渓山、虎渓の名称は景色が中国廬山の虎渓に似ていることによるといわれています。正和二年(1313年)土岐氏の招きをう
けた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創されましたが、文保元年(1317年)夢窓は同門の元翁本元(仏徳禅師)に後事を
託して上京。建武二年(1335年)夢窓が臨川寺(京都)開山となったとき、永保寺開山は元翁本元に改められました。 元翁の寂年は元
弘元年(1331年)で、開山となられた時にはすでに遷化していましたが、 元翁の塔所である南禅寺正的庵末寺の五山派寺院として展
開しました。 しかし文明期以後には衰微しましたが、江戸時代延享三年(1746年)には末寺28カ寺、孫末寺1カ寺を有し、 山内塔
頭の輪番によって住持をつとめ護持されてきました。





            ▼虎渓山永保寺と自然石に刻された寺号石標。いきなりのボケPでど〜も。







▼もみじとお地蔵さんが迎えてくれました。







▼お寺では鐘つき堂と云ってるようです。







▼鐘つき堂とさざんか。花の色はこのさざんかだけでした。







▼キレイですネ。







▼鐘つき堂。







▼旧本堂跡に再建された本堂。桁裄七間、入母屋造、檜皮葺の横になが〜い建物です。







▼本堂仏間。須弥壇奥のお厨子に本尊がお祀りのはずです。







            ▼本堂前に対の燈籠。3mはあるでしょうか陶製の燈籠。







▼境内の一部です。







▼本堂と庫裏を繋ぐ建物の唐破風玄関。出入りはしてないようです。







▼庫裏です。







▼一瞬一休さんのお寺に来たのかと錯覚しそう。







            ▼どうですこの堂々たる冬景色。大銀杏なんですが葉っぱはすでに下一面。
             永保寺のイチョウ、多治見市指定天然記念物、
             樹高25.5m、枝張り21.2m、樹齢約700年。







▼まさに黄色の絨毯。手で押さえるとクッションになってました。







▼再び庫裏。







▼臥竜池。観音堂を中心として、手前に臥竜池を配すなど名勝に指定されている庭園です。     
 夢窓疎石の作庭と伝わるそうです。













▼臥竜池の汀に建つ観音堂(国宝)。







▼前面一間の吹き通し、桁裄五間、梁間四間、入母屋造、檜皮葺、一重裳階付、鎌倉時代。
 永保寺のもっとも重要な仏殿、鎌倉末期の禅宗様建築の代表的遺産、檜皮葺屋根の大きな軒反り、凄いでしょ。
 残念ながら堂前でシャットアウト、堂内は窺うこと出来ません。







▼観音堂須弥壇。中央岩窟式厨子の中に本尊がお坐りです。(写真はネットからもらってきました)







            ▼本尊聖観世音菩薩坐像(重文)。像高62.5cm、檜寄木造、玉眼、盛上彩色。
             本尊御開帳は毎年3月15日、年1日だけの御開帳です。
             (写真はネットからもらってきました)

 





▼再び観音堂。屋根の大きな軒反りよく判るでしょう。







▼臥竜池とオシャレな反り橋、無際橋。







▼無際橋。反り橋の中央に観月台。







▼池の汀に立つ石灯籠。







▼手を叩くだけでこれだけ寄ってきました。







▼無際橋観月台。







▼橋に扁額。

 





▼も一度無際橋。







▼切り立った断崖絶壁の梵音巌。







▼梵音巌のテッペンに建つ六角堂霊擁殿。







▼梵音巌斜面には石仏が一杯。                    







▼萱葺の小さなお堂、六角堂霊擁殿。中には千体地蔵が祀られているそうです。







▼流れる小川に秋の名残が……。







▼池を巡る回遊路。この小径はもう冬の装いが始まってるようです。







▼自然石積みの瓦土塀が独特の味を醸しています。塀中に見えるのは開山堂。













▼開山堂は少し離れた塀の中、入ることは出来ないので扉の菊紋から覗いてみると……。







▼開山堂(国宝)。
 入母屋造、檜皮葺、南北朝時代。方三間の昭堂(外陣、礼堂)と奥の方一間裳階付きの祠堂の複合建物。
 昭堂には夢窓国師および開山仏徳禅師の頂相が安置、奥の祠堂には開山の墓塔である石造宝篋印塔を安置している。
 (写真はネットからもらってきました)







▼参道沿いに獅子吼庭。
 京都東福寺本坊庭園の「井田の庭」を模しているそうです。何故ここにこんな庭があるのかよく判りません。







よく判らないまま永保寺 オ シ マ イ

▼拝観初めからオシマイまでこんな天気でした。






開基の夢窓疎石という人は、相当なマルチ人間だったらしく、臨済宗の禅僧で天龍寺の創建に関わり、各地に多くの禅刹を開山、
時の権力者室町将軍家から国師号を与えられ、政治的発言力もあり将軍家からも重用された人物だったようです。
中でも夢窓疎石の名を不動のものにしているのは、作庭家としての名声。お馴染みの「枯山水庭園」「池泉回遊式庭園」を最初に
手掛けた人物とされているそうです。そんな夢窓疎石が手掛けた永保寺の名勝庭園は、素人のボクの眼から見ても、名庭要素が総
てクリアされた庭園に見えました。お寺としての構成要素は、観音堂と開山堂の国宝建造物二棟と本堂、庫裡、庭園の臥竜池、そ
して断崖絶壁の梵音巌と変化に富んだ境内です。大阪から三時間かけてやって来た「お値打ち多ありの永保寺」でした。

これにて永保寺 オ シ マ イ