土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

黄檗山萬福寺、黄檗禅の総本山。

2016年05月17日 | 京都の古寺巡り





(2016.05.14訪問)


萩の黄檗禅東光寺、山口の曹洞禅瑠璃光寺を一週間前訪ね感激して帰ってきましたが、こちらに帰ってきて本家本元を訪ねない訳に
はいきません。久々に京都宇治に総本山黄檗山萬福寺と道元さん初開道場興聖寺を訪ねました。迷車大和路号には千百キロ走行のお
駄賃休暇を与えたため今日は京阪電車でやってきました。取り敢えず黄檗駅で降ります。



▼総門(重文)。まさに中国風で木部はベンガラ塗り。境内の広さに比べて非常に小ぶりな印象の門です。
 三間一戸、八脚門、切妻造、左右の屋根が低い牌楼(ぱいろう)式という中国風門。寛文元年(1661年)建立。





[ 萬福寺 ]
●山号 黄檗山(おうばくさん)
●寺号 萬福寺(まんぷくじ)
●宗派 黄檗宗(おうばくしゅう)
●開基 隠元隆琦禅師(いんげんりゅうき)
●開創 寛文元年(1661年)
●本尊 釈迦如来坐像
▲時間 8:30~17:00
▲拝観 500円 文華殿 300円 朱印300円   
▲京都府宇治市五ヶ庄三番割34 電話0774-32-3900
▲http://www.obakusan.or.jp/
▲JR奈良線「黄檗」下車 徒歩5分
 京阪宇治線「黄檗」駅下車 徒歩5分
 京滋バイパス「宇治東」ICから5分 京滋バイパス「宇治西」ICから10分





▼総門扁額。「第一義」と書かれています。黄檗山五世高泉性敦禅師(こうせんしょうとん)の揮毫。






黄檗山萬福寺縁起
黄檗山萬福寺は寛文元年(1661年)に中国僧隠元隆(いんげんりゅうき)禅師によって開創されました。禅師は中国明朝時代の臨済宗
を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応
じ、六十三歳の時に弟子二十名を伴って承応三年(1654年)に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中
国の自坊と同じ黄檗山萬福寺と名付けました。その後、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗と改宗し現在に至ります。日本でいう禅
宗は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。




▼屋根棟の両端不思議な生物。摩伽羅(まから)と云う想像上の生物で、聖域結界の入り口、屋根、仏像等の装飾に使われているそう
 です。







▼総門からの参道。前方を右に曲がると三門になります。







▼放生池。もうしばらくすると池面イッパイの睡蓮で埋まるのでしょう。







▼放生池越しの三門。







▼三門(重文)です。貫禄十分、堂々の三門ですネ。
 入母屋造、本瓦葺、三間三戸楼門形式、延宝六年(1678年)建立。













▼楼上の扁額。「黄檗山」開山隠元禅師の書です。







▼初層の扁額。「萬福寺」これも同じく隠元禅師の書です。







▼三間三戸の三門は開放的で、いつでもどなたでもどうぞの優しさを感じます。







▼中央戸口から一直線の参道。







▼参道の先には天王殿が見え、左右も相当広いです。







▼天王殿(重文)。桁裄五間、梁間三間、単層入母屋造、本瓦葺、正面梁間一間は吹き放し。寛文八年(1668年)建立。
 天王殿は黄檗宗の寺院にしかなく、中国寺院の特徴だといいます。













▼天王殿の扁額。黄檗山二世木庵性瑫禅師(もくあんしょうとう)の書。







▼天王殿のキャラスター、布袋さんは弥勒菩薩の化身とされています。それにしても堂々の太鼓腹。
 像高110.3cm、木造、漆箔。寛文二年(1663年)造立。







堂内左右に四天王像。
▼増長天。                         ▼持国天。



▲広目天。                         ▲多聞天。 





▼大雄宝殿(重文)。萬福寺の本堂です。
 桁裄三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺き。重層ではなく下屋根は裳階。正面一間は吹き放し。寛文八年(1668年)建立。
 境内最大の建物。







▼さすが貫禄重文ですネ。







▼上層の扁額。「大雄宝殿」開山隠元禅師の書です。







▼下層の扁額。「萬徳尊」木庵性瑫禅師の揮毫。







▼堂内は非常に質素な荘厳。中央須弥壇に本尊釈迦三尊が祀られています。







▼今しも若い修行僧がお経を読み始めました、がサッパリ理解出来ません。オール中国語のお経です。







▼本尊釈迦三尊。中尊釈迦如来坐像、左脇侍(向って右)迦葉尊者立像、右脇侍(向って左)脇侍阿難尊者立像。
 寛文九年(1669年)造立。







            ▼本尊を横から。







▼開山隠元さんとはこんな方。後ろ堂に安置されてます。







            ▼堂内床は瓦タイルが全面に敷かれています。







▼堂前の白砂利敷き月台。この広場のもう一つの意味は、月光を白砂に反射させを堂内に取り入れるためにとも云われています。







▼法堂(重文)。桁裄五間、梁間六間、入母屋造、棧瓦葺、正面1間通は吹き放し。寛文二年(1662年)建立。
 内部には須弥壇のみを置き仏像は安置されてなく住持の晋山式などに使うお堂。内部は非公開。







▼扁額「獅子吼」隠元禅師の師、費隠通容禅師(ひいん つうよう)の書。







▼法堂勾欄は卍崩しの文様で有名ですネ。







            ▼宝篋印塔。怨親平等塔と云い、日中戦火に倒れた兵民の精霊を慰め、
             日中両国が一日も早く友好親善の実現の祈願に建立。







▼祖師堂(重文)。桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺。寛文九年(1669年)建立。







▼祖師堂本尊 達磨大師坐像。像高166.5cm。達磨大師は釈尊より二十八代目の弟子で禅宗の初祖。
 世に知られるダルマさんとはイメージが違い人間味豊かな像形です。左右に歴代住持の位牌が祀られています。







▼鼓楼(重文)。方三間、重層入母屋造、本瓦葺。延宝七年(1679年)建立。







▼廻廊の中途に合山鐘。開山堂、寿蔵、舎利殿で行われる儀式の出頭時にのみ鳴らされるそうです。







▼廻廊前に干上がった池の黄菖蒲。直射でヨレヨレ。







▼やはり廻廊前に建つ、なんでしょうコレ。







▼隠元さん廟、生前に築造された寿塔(重文)。







▼寛文二年(1663年)建立、六角堂、本瓦葺、宝形造の中国式墳墓。







▼舎利殿への石段。場所が場所だけに少々ビビります。







▼舎利殿(重文)。通常人は余り寄り付かないと思われる寿塔北の高台に立つ後水尾法皇が黄金の佛舎利多宝塔を奉安したお堂。
 方三間、宝形造、本瓦葺。寛文七年(1667年)建立。







▼開山堂山門、通玄門(重文)。四脚門、切妻造、本瓦葺、ベンガラ塗りの赤門。寛文五年(1665年)建立。







▼扁額。「通玄」隠元禅師の書。







▼開山堂(重文)。隠元72歳の木像を安置、頭髪、髭が植毛されているそうです。
 桁裄三間、梁間一間、入母屋造、本瓦葺、一重裳階付、正面は吹き放し。







▼下層扁額。「開山堂」木庵性瑫禅師の書。







▼上層扁額。「瞎驢眼(かつろげん)」隠元禅師の師、費隠通容禅師の書。







▼開山堂内陣須弥壇の奥に隠元さんが祀られているのでしょう。







▼渡り廊下。境内殆どの堂宇は渡り廊下で結ばれています。







▼儀式の時を知らせる2mの開版。







▼何やら声を張り上げて雲版を打つ僧。







▼青銅製の雲版。







▼伽藍堂(重文)。桁裄三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺、寛文九年(1669年)建立。伽藍を守護する伽藍神華光菩薩を祀る。







▼扁額。「伽藍堂」木庵性瑫禅師の書。







▼伽藍堂本尊華光菩薩像。像高163.5cm。賑々しく赤中心の荘厳です。







▼鐘楼(重文)。方三間、重層入母屋造、本瓦葺。寛文九年(1669年)建立。鼓楼に相対して建っています。







▼文華殿。宝物、隠元遺品、中国伝来品の収蔵保管と展示を行い、年二回春秋に一般公開。昭和四十七年(1972年)建立。







▼御朱印です。






萬福寺はとにかく広い、その広い境内に中国明様式の伽藍配置で、創建当初の姿が今日まで残され、代表的な禅宗伽藍建築の主要伽
藍二十三棟が重文に指定されているそうです。とても全部回れませんでした。
開創は江戸期以降なので、仏像や伽藍の歴史は感じることは出来ませんが、それぞれのお堂には随所に中国の薫りがします。萬福寺
のこれだけの寺域に壮大な伽藍群を整え、大景観を今の姿にするのには、皇室、幕府からの信頼援助があればこそ。カリスマ隠元さ
んの力は相当なものだったんでしょうネ。

このブログで伽藍の扁額を多く紹介しています。黄檗寺院の扁額はとにかく大きい、そして名僧の筆は誰が見てもスゴイ!
扁額行脚だけでもお寺を訪ねる価値あると思いますヨ。

長々とありがとうございました。皆様お目を大切に!





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