土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

薬師寺、5日は玄奘三蔵縁日法会が。初めて参加です。

2014年07月08日 | 奈良の古寺巡り



(2014.07.05訪問)


今日は毎月五日に執行される、玄奘三蔵縁日法会と世界平和祈願法会の日。
宗教紛争や内戦、図体デカイ独りよがりの紅い国、数え上げればきりがない今の世界の暗き情勢、真っ暗闇
を明るくしょうじゃないかと、玄奘三蔵伽藍で執り行われた玄奘三蔵縁日法会と世界平和祈願法会に行って
まいりました。
「ナヌ、おまえが世界平和の祈願」に、とヌカスじゃなかった
おっしゃる諸兄もいらっしゃるでしょうが、ホンマに行って来たんです。


▼玄奘三蔵縁日法会、お堂に入りきれない方がいますヨ。





[ 薬師寺 ]
●寺号 薬師寺 (やくしじ)
●開創 天武天皇9年(680年)
●開基 天武天皇 (てんむてんのう)
●宗派 法相宗大本山
●本尊 薬師三尊 
▲奈良市西ノ京町457 TEL.0742-33-6001
▲拝観料 白鳳伽藍 500円 白鳳伽藍と玄奘三蔵伽藍公開時 800円 御朱印300円
▲拝観時間 8:30~17:00
▲HP http://www.nara-yakushiji.com/
▲近鉄奈良線「大和西大寺」で乗り換え、 近鉄橿原神宮線「西ノ京駅」下車すぐ。
▲平成十年ユネスコ世界遺産の登録


▼新発見!参道入り口に建つ寺名駒札。今まで気がつきませんでした。





薬師寺縁起 (薬師寺HPから抄出)
天武天皇により発願、天武天皇九年(680年)持統天皇によって本尊開眼、文武天皇元年(697年)文武天
皇の御代に至り飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。
その後、和銅三年(710年)平城遷都に伴い養老二年(718年)現在地に移されたものです。


▼参道を真っ直ぐ行くと、





▼右に曲がり突き当たりを左に曲がると、





▼南門に着きます。





▼堂々と世界遺産碑。古都奈良の文化財薬師寺です。





▼中門。昭和五十九年(1984年)復興再建。白鳳伽藍への入口ですよ。
 五間三戸、十二脚門、切妻造、本瓦葺、両サイドに二天王像を安置。





▼向かって右の阿形像。





▼左、吽形像。



二天像 (薬師寺HPから抄出)
平成三年(1991年)復元復興。享禄元年(1582年)兵火により中門とともに焼失。その後約四百年復興を
みることがありませんでしたが、発掘調査により裸形の仁王像ではなく武装した二天王像ということが判明し
ました。



▼中心伽藍、金堂です。昭和五十一年(1976年)復興再建。
 本尊 薬師三尊 (国宝)、桁行五間、梁間五間、竜宮造の重層楼閣、裳階付、本瓦葺。



金堂 (薬師寺HPから抄出)
金堂の再建は薬師寺とっての悲願でした。昭和四十二年(1967年)高田好胤師が晋山し、百万巻写経勧進に
よる金堂再建を提唱、全国に写経勧進行脚、その結果昭和四十六年(1971年)金堂の起工式を行い昭和五十
一年(1976年)四月に白鳳時代様式の本格的な金堂として復興しました。



▼ご本尊に手を合わせる若者君二人。さてさて何を祈るのでしょう。





▼世界一のご本尊、薬師三尊。余計な言葉は要らないですよね。











三尊写真は堂外から撮ってます。



         ▼昭和の西塔。





▼平成の大講堂。平成十五年 (2003年) 復興再建。薬師寺伽藍最大の建物。
 本尊 弥勒三尊 (重文)、桁行九間、梁間五間、竜宮造、裳階付、本瓦葺。





▼本尊 中尊弥勒如来坐像 (重文)。



中尊写真は堂外から撮ってます。
ちなみに左脇侍は法苑林菩薩、右脇侍は大妙相菩薩です。(写真には写ってません)



▼大講堂の後堂には現代日本彫刻界の最高峰、中村晋也さん造像の釈迦十大弟子像が安置。釈迦往時の精神
 聖域を現代に甦らせればこうなると云う彫刻家像仏の見本のような作例。現代の仏師と云われる方々とは
 作風が相当違います。素晴らしい十大弟子像ですヨ。





         ▼トップ十大弟子、第一次結集の責任者、大迦葉尊者。



十大弟子写真は堂外から撮ってます。
それにしてもヘタな写真は愛嬌と思ってくださいネ、穴に入らなくても済みますので。



▼蓮華のシーズン到来ですね。
 薬師寺の蓮鉢は十字廊の発掘現場の回りに置かれています。この写真で判ります?





▼これからなのか、もうオシマイなのかよく判りません。花の数は少なく、花も小ぶりです。
 遠慮がちに五点だけ、選りに選ってこれですワ。




















さて今日の本番はここからです。玄奘三蔵縁日法会に玄奘三蔵院へGO!

玄奘三蔵縁日会とは (薬師寺HPから抄出)
毎月五日に玄奘三蔵院伽藍において玄奘三蔵縁日法会と世界平和祈願法会を執行。玄奘三蔵院伽藍の中央玄
奘塔には玄奘三蔵の御頂骨がお祀りされており、僧侶は般若心経・唯識三十頌を読経後法話、さらに北側の
大唐西域壁画殿へと移動、平山画伯の大唐西域壁画を拝観。玄奘三蔵求法の旅を描いた壁画は7場面13壁面
にわたり、壁画ご本尊とされる「西方浄土須弥山」の前にて世界平和の祈りを込めて法要を執行いたします。



▼白鳳伽藍興楽門を出て、玄奘三蔵院参道を行きます。





▼礼門です。両袖は回廊で繋がってます。平成三年(1991年)玄奘三蔵院伽藍建立。





         ▼門前の石碑。玄奘さん由縁が刻されているのでしょうか、サッパリ判りません。





▼礼門の扁額。





▼回廊に囲まれた中は、一面瓦敷きで蓮池の池面、随所に蓮華が咲き白い輝きは白瓦で波頭を表現したもの
 だそうです。池の真ん中にそびえるのが、





▼玄奘塔。





▼玄奘塔扁額。





▼五名の僧侶方入堂。僧侶下駄がガランガランと伽藍の池面に響きます。









▼本尊 玄奘三蔵とご頂骨をお祀りしています。





▼堂内はすでに参列者で一杯。外縁から参加の方々。





▼玄奘さんの横顔。





▼法会真っ最中。般若心経、唯識三十頌を読経。参列者も唱和します。



玄奘塔での法会が終わると、大唐西域壁画殿へと移動、平山さんの大唐西域壁画を巡り西方浄土須弥山の前
で世界平和の祈り法要執行、世界各地で起こっている紛争、内戦の解決を祈って玄奘三蔵縁日法会が終わり
ます。所要時間約1時間。
それにしても、僧侶方の声のいいこと、低音でブレスの続くこと、お経のありがた味がいや増すこと。合掌。

ちなみに大唐西域壁画殿は年4回特別公開されています。
■1月1日~1月15日■3月1~6月30日■8月13日~15日■9月16日~11月30日


▼今にも降りそな曇天に、蓮の花も映えないことこの上なし。でした。





▼咲き始めの萩と一緒に御朱印です。




法会は午後一時からでしたが、十五分前には参列者でイッパイ。平和祈願の人々のいかに多いことかを改め
て実感した一日でした。





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聖衆来迎寺、近江の正倉院と呼ばれているそうです。

2014年07月01日 | 滋賀の古寺巡り



(2014.06.29訪問)


比叡山を西にいただく、坂本の地にある聖衆来迎寺を訪ねました。このお寺は信長の比叡山焼き討ちでの難
を免れたそうで、それ故に近江の正倉院と呼ばれ、結構な寺宝を多く残していると聞き、訪ねることにしま
した。
が、堂内拝観やお庭拝観は事前申し込みが必要で、「二~三日前に申し込んでください」との文が方丈玄関
口に掲示され、御朱印も書置きが置かれ日付記入用の筆ペンが用意されていました。
と云うことで、境内写真だけ撮らせていただいて、スゴスゴと帰ったことは云うまでもありません。


▼本堂。





[ 聖衆来迎寺 ]
●山号 紫雲山(しうんざん)
●寺号 聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)
●開創 伝延暦九年(790年)
●開基 伝最澄
●中興 恵心僧都源信 長保三年(1001年)
●宗派 天台宗
●本尊 阿弥陀如来 
▲滋賀県大津市比叡辻2-4-17 TEL.077-578-0222
▲拝観料 境内自由 御朱印300円 本堂客殿拝観は事前申し込み350円
▲拝観時間 9:00~15:00
▲JR湖西線「比叡山坂本」駅下車 徒歩約15分
 京阪電車石山坂本線「坂本」駅下車 徒歩約20分


▼参道両側に続く穴太積石垣に白壁。





聖衆来迎寺縁起(滋賀県政eしんぶん報道資料から)
延暦九年(790年)に最澄が地蔵教院を建立して開基、長保三年(1001年)に、延暦寺の恵心僧都源信が紫
雲に乗じた弥陀聖衆の来迎を感得して「紫雲山(しうんざん)聖衆来迎寺」と定めたと伝えています。
十六世紀には坂本城主であった明智光秀をはじめ、丹羽長秀、豊臣秀吉などの庇護を受けました。



         ▼寺標。





         ▼参道前の小さな石橋。





▼参道。





▼表門。一間一戸、切り妻造、本瓦葺。坂本城の城門を移築。安土桃山時代建立。



(滋賀県政eしんぶん報道資料から)
表門は、明智光秀が築城した坂本城の城門を移築したとの寺伝がありましたが、平成二十一~二十三年に行
われた解体修理により、櫓門の二階部分を取り除き一階部分の上に本瓦葺の屋根を載せたと考えられること、
使われた工具の加工痕が坂本城築城の年代と一致すること、聖衆来迎寺と明智光秀との深い繋がりがあった
ことから、坂本城の城門を移築したことがほぼ明らかとなりました。滋賀県内では最古の城門の遺構であり、
また聖衆来迎寺の歴史的景観を構成する要素としても重要な建造物です。



▼境内。





▼手水舎。入母屋造、桟瓦葺の豪華な手水舎。井戸から汲み上げで手水鉢へ。





▼基壇上に建つ立派な鐘楼。桁裄、梁間一間、切妻造、本瓦葺。元禄六年(1693年)建立。





▼本堂。桁行五間、梁間六間、寄せ棟造、桟瓦葺。本尊 阿弥陀如来。



(滋賀県政eしんぶん報道資料から)
本堂は、寺蔵文書から寛文五年(1665年)に建立されたことが分かります。桁行五間、梁間六間の比較的
規模の大きな仏堂で、内部は内・外陣が前後に区分されていますが、内陣が正面側に突出部を持つ凸字形の
平面形式であり、近世に見られる凸型平面の天台宗仏堂の初期の本堂として貴重です。また内部は大虹梁を
縦横に架けて柱を省略して変化に富んだ構造を見ることができ、さらに全面に極彩色が施され、技法的にも
意匠的にも非常に質の高い建築です。



▼扁額と云うより奉納額かも、よく判りません。





▼本堂外縁。三方縁を木造と同形に花崗岩で作られています。こんな例があるんですね、とにかく凄い。





▼中央階段、外縁受け、周辺溝の縁石まで花崗岩。





▼本堂屋根の鬼瓦。





▼客殿(重文)。桁裄十間、梁間六間、南面入母屋造、北面切妻造、杮葺。
 内部は六室からなり書院、茶室付き。狩野探幽の障壁画で飾られているそうです。
 寛永十六年(1639年)建造。





▼客殿。





▼開山堂。桁行三間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。本尊 恵心僧都源信像。



(滋賀県政eしんぶん報道資料から)
寺蔵文書に寛永十五~十六年(1638~39年)に再興の記述があり、様式手法からもこの時の建立と考えら
れます。桁行三間、梁間三間で、小規模な仏堂ながら、内部を内外陣に建具で区分した、三間堂としては類
例の少ない平面の仏堂です。外観は柱が太く、軒は二軒繁垂木で軒の出が深く、正側面の中備に蟇股を備え、
さらに内陣は極彩色を施すなど、華やかで堂々とした、江戸時代初期を代表する優れた三間仏堂です。



▼開山堂。向拝軒お堂軒の蟇股のデザイン彫りが凝りに凝っています。全てが透かし彫りで鳥や草木が見事。
 文だけでは判りませんよね、一転にわかの雨でウロウロ、写真撮り忘れました。





▼森蘭丸の父、森可成(もりよしなり)の墓。この方のお墓がこのお寺に在ったお陰で、信長比叡山焼き討
 ちでの難を免れたと云います。森可成は織田信長の家臣、織田軍と浅井朝倉軍との阪本合戦で討ち死した
 武将。





▼本坊。





▼書院玄関前に放生池。





▼御朱印です。御朱印は書置きで、朱印帳に貼り付けて撮ってます。 





自分でも何回も書いてるんですが、事前調べやるべし、聞くべし、電話するべし。
またまた反省、アホですねまったく!




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