土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

願はくは 花の下にて 春しなむ ……、 弘川寺を訪ねました。

2010年08月24日 | 大阪の古寺巡り


(2010.8.22 訪問)
またまた大阪の古刹、葛城山西側山麓河南町に在る弘川寺を訪ねました。このお
寺は草創以来ビッグネームがズラリ。開山役行者、天武天皇請雨祈願の勅願寺、
行基がこの地で修行、嵯峨天皇勅願で空海が中興、空寂上人による後鳥羽天皇快
気、そして弘川寺のスーパービッグネーム歌聖西行法師終焉(他所の説もあるよ
うです)の地でもあります。
春は西行桜、秋は紅葉と葛城山麓の自然美も、今はなにもない夏のただ単に暑い
だけの日を選って出かけるあほらしさはさておいて、弘川寺をエイヤーで訪ねま
した。

[ 弘川寺 ] ひろかわでら
山号 龍池山、寺号 弘川寺、宗派 真言宗醍醐派準別格本山。

●参道石段。
このお寺には山門はありません。石段下は 駐車場になっています。


●本堂。
石段を上ると真正面に本堂が見えます。正面向拝付きのお堂。屋根は銅板葺き。
外廊は欄干が巡っています。1463年守護畠山兄弟の兵火により全山焼失。以来
500年ぶりに再建されたそうです。


いがいに広いお堂外陣でご本尊、薬師如来坐像と対面させていただきました。小
ぶりのお像ですがこれまたかなり小さい日光、月光両菩薩脇侍の薬師三尊の形式
で後面に十二紳将が控えています。お堂内は暗いのでお顔はハッキリとは判りま
せんでした。天武天皇勅願像と聞きました。印相がやや珍しい形をとっています。
通常は施無畏与願印(奈良の大仏様を思いだして下さい)といって、右手は施無
畏印、左手は与願印で左手のひらを上に向け、薬壷を乗せているのですが、この
薬師如来は、両手の手のひらを上にして膝上で上下に重ね合わせた定印を結び手
のひら上に薬壷を乗せています。釈迦如来に多い印相をしています。


●御影堂。
弘法大師空海さんをご本尊としてお祀りしています。


●護摩堂。
不動明王がご本尊です。お堂もご本尊も新しいものです。本尊横には役行者も祀
られています。




●本堂から南を観ます。


●鐘楼堂。
護摩堂の隣に建っています。


●鎮守堂。
弘川寺の鎮守社。八所権現を祀っています。このお寺で一番古いお堂で桃山時代
の建築だそうです。


●地蔵堂。
御影堂横にこぢんまりと建っています。


●本坊山門。
本坊には庫裡門として立派な山門が建っています。


●本坊庭園。
本坊を巻くように庭園が。お庭に降りることは出来ません。


白い花は百日紅です。




●本坊間からお庭。




さていよいよ、桜山に行きましょう。本堂右横の参道を上ります。


●西行堂が見えてきました。


●西行堂。
西行坐像を祀っています。このお堂は西行さんを師と尊び西行顕彰に生涯をかけ
た江戸期の歌僧似雲法師が建立。この方はこの地にある西行墳を発見された方で
もあります。毎年4月の第一日曜日のみ開帳されるそうです。




●西行墳。
しばらく参道を上りますと突如広い平坦地に出ます。西端に西行さんの墳墓がこ
んもりした小山を造っており前に自然石二段の墓石に「西行上人之墓」と刻され
ています。経10m位の円墳のような感じ、周囲を巡ることが出来ます。
1189年当時の座主空寂上人を慕い西行さんが入山、僅か一年の寄寓で翌1190年
七十三歳でこのお寺にて入寂されたと伝わります。






●似雲墳。
似雲法師を葬っています。西行墳の対面東端にあり、墓石に「似雲法師之墓」と
刻されています。
この方は西行終焉の地を探しつくし、藤原俊成歌集所載により弘川寺であること
を教えられ江戸享保十七年二月十六日、奇しくも西行入寂の日にこの墳を発見、
出来過ぎの感はありますが、そう伝えられています。


●西行歌碑。
名歌「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」が刻まれて
います。
西行墳の横に建つ歌碑。揮毫は歌人で国文学者の尾山篤二郎(おやまとくじろう)
さん。この弘川寺には歌碑、句碑が14基建てられ、西行歌碑はそのうち6基ありま
す。


●西行桜
似雲墳の横から、桜山を巡る周遊路が上に向かっています。山周辺に桜千本が植
樹されているそうですが、今は小道も草に埋もれ緑一色、桜花の風情は当然なが
らありません。山中には西行庵、似雲庵跡の案内板だけが寂しく残されています。
面白い桜を発見!二本が絡み合い完全にくっついています。まるで似雲さんが西
行さんと踊っているようで喜びがこちらまで伝わってきます。桜のシーズンにど
んな咲き方をするのか、もう一度観てみたい思いでシャッターを押しました。


弘川寺は葛城山西麓山中にありながら山岳寺院、修行寺院の印象はありません。
やはり放浪の歌人西行さん終焉の地という、平安期最後の歌聖の印象が強く残る
お寺ではないでしょうか。