(2015.01.24訪問)
六波羅蜜寺からものの五分ばかり「京の冬の旅」で特別公開されている六道珍皇寺へ向かいます。
このお寺土地柄平安の昔は葬送の地であり六道の分岐点、この世とあの世の境、お盆には精霊が冥土からこ
こを通って帰ってくると信じられ、現在も夏の風物「六道まいり」として賑わい、また平安貴族小野篁(お
ののたかむら)のスーパーマンぶりを伝える井戸のお話など、冥界、冥土、閻魔、精霊、黄泉などとゾクゾ
クッとする言葉が氾濫するお寺なんです。
▼非公開文化財特別公開「京の冬の旅」パンフ。
[ 六道珍皇寺 ]
●山号 大椿山 (だいちんざん)
●寺号 六道珍皇寺 (ろくどうちんのうじ)
●開基 伝 慶俊僧都 (きょうしゅんそうず) 他異説多数
●開創 伝 延暦年間 (782年~805年) 他異説多数
●中興 聞溪良聰(もんけいりょうそう)
●宗派 臨済宗建仁寺派
●本尊 薬師如来坐像 (重文) (秘仏)
▲拝観料 境内無料 本堂庭園は要予約有料 朱印 300円
「京冬の旅」特別公開中は600円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595 Tel.075-561-4129
▲http://www.rokudou.jp/
▲京阪電車「清水五条駅」下車 徒歩約10分 または「祇園四条駅」下車 徒歩約10分
市バス「清水道」下車 徒歩約5分
六道珍皇寺縁起 (六道珍皇寺HPから抄出)
当寺の開基は、弘法大師の師にあたる慶俊僧都で、延暦年間(782年~805年)の開創である。建立には諸
説あり、空海説や小野篁説をはじめ承和三年(836年)の平安前期に当地の豪族であった山代淡海が国家鎮
護の道場として建立したなど起源には多くの説がある。 珍皇寺はもと真言宗で、平安鎌倉期には東寺を本寺
として多くの寺領と伽藍を有していたが、中世の兵乱で荒廃、南北朝期の貞治三年 (1364年) 建仁寺の住持、
聞溪良聰により再興、現在に至っている。
▼山門。
▼山門手前に「六道の辻」碑。
▼山門から本堂まで一直線の参道。
▼参道右に薬師堂、旧本尊薬師さん (重文) が安置されています。コンクリート収蔵庫です。
▼薬師堂に並んで一棟二堂の閻魔、篁堂です。
左閻魔堂には閻魔大王像、右篁堂には小野篁像が祀られています。
▼平安のスーパーマン小野篁。 ホンマにスーパーマン?
写真はネットから借りてきました。
▼冥界のキング閻魔大王。 ホンマにコワイです!
写真はネットから借りてきました。
▼四方が壁に封印された鐘楼、手前の綱を引くと鐘が鳴り精霊迎えに撞くので「迎え鐘」と云うそうです。
▼お地蔵さんを中心に石仏が並んでいます。
▼本堂です。本尊 薬師如来像、脇侍に「日光・月光菩薩像」の薬師三尊が祀られています。
前に建つのは野辺送りに先立ち引導を渡したという「三界万霊十方至聖」の石塔婆。
▼小野篁にとことん拘ってます。
▼本堂東に小さいながらも枯山水庭。
▼お庭北に、かの有名な「冥土通いの井戸」 お姉さ~ん、あんまり覗くと吸い込まれるヨ。
小野篁は昼は朝廷に、夜はこの井戸から冥土へ行き、閻魔大王のもとで死者の裁判に立会ったという。
篁の冥官説は平安時代に始まり、今に伝わるそうです。
▼「黄泉帰りの井戸」のお話は上手く出来ていて、冥土通いの井戸から冥土へ行った篁は、この井戸から現
世に帰って来たそうで、この井戸は(2011年)に発見されたそうです。
嵯峨薬師寺にも黄泉帰りの井戸のお話が残ってるんですが。
▼本堂中庭の石仏、後ろに山茶花が一輪。
▼御朱印です。
小野篁という宮廷人は偉丈夫で身長186cmの大男だったそうで、和歌や詩が上手く武芸優秀、嵯峨天皇の受
けもすこぶるよく参議にまで登ったが、不羈な性格で奇行が多かったそうです。
ちなみに篁は小野小町のおじいちゃんです。
されば、嵯峨天皇にかわって質問! 篁は簡単に読んだそうですよ。
「無善悪」これなんて読むでしょう。
「子子子子子子子子子子子子」なんと読むでしょう。
●解説と答えはネットでどうぞ。
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