土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

流転の三重塔を見たくて園城寺(三井寺)へ。その1

2011年03月08日 | 滋賀の古寺巡り


(2011.03.05 訪問)
二月五日に訪ねた吉野の名刹世尊寺ブログの中で、世尊寺は旧比曽寺跡でその比
曽寺東西両塔跡が残りますが、うち東塔は文禄期豊臣秀吉により伏見城へ、慶長
期徳川家康によって三井寺に移転と書いています。その東塔の現在の姿を是非見
たくて三井寺を訪ねました。
久し振りに豪快なお寺で巡りごたえ○。観光寺院に徹している所がこれまた○。
園城寺や三井寺とバラバラに寺名を使いますがご容赦を!

▼三井寺全山案内板


[ 園城寺 ] おんじょうじ 俗称 三井寺
●山号 長等山(ちょうとうさん)
●寺号 園城寺(おんじょうじ)
●宗派 天台寺門宗総本山
●開基 大友与多王(大友皇子の皇子)
●中興 智証大師円珍
●本尊 弥勒菩薩
●西国三十三所観音霊場の第十四番札所

園城寺縁起
壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子、大友与多王が父の霊を弔うために田園城邑を
寄進して寺を創建、天武天皇から園城という勅額を賜わったことが園城寺の始ま
りとされています。
三井寺と呼ばれるようになったのは天智、天武、持統天皇の三帝の誕生の際に産
湯に用いられたという泉があり御井の寺とと呼ばれていたものを後に智証大師円
珍さんが厳儀三部潅頂の法儀に用いたことに由来するそうです。平安中期山門派
と寺門派とに分かれ幾度となく対立、抗争で焼失、再興を繰り返し山門派は延暦
寺、寺門派は園城寺として現在に至っているといことです。早い話円仁派と円珍
派の対立、今はどうか知りませんが要するに仲が悪いという事です。きっと最澄
さん嘆いていると思いますがいかが。そのために殆どの伽藍堂宇は江戸期の再建、
移築といいます。

▼京阪電車三井寺駅
ここから三井寺に向かいます。駅はともかく大津の街はきれいな街です。


▼三井寺前交差点
本名か俗名か、どちらかにした方がいいんじゃないですか。


第一歩は中院エリアから
▼中院参道


▼仁王門(重文)
中院の表門。
この門の由緒は天台宗の古刹常楽寺の門で、秀吉が伏見城に、家康が現在地に移
築たとしています。


▼仁王門の千社札
まァなんと所狭しと千社札貼りまくり、いい雰囲気ではありませんか。ボクも作
りたいです。作ろかなァ。よし作ろう。千社札に見とれて両脇の仁王さんを見る
の忘れました。


▼釈迦堂(重文)
仁王門を入ってスグの右に建つお堂です。
本尊 釈迦如来立像。
正面七間 側面四間 向拝付き 入母屋造 桧皮葺 室町期の建築。
堂内正面須弥壇お厨子に佇む本家とはいくらか印象は違いますが、清涼寺式の釈
迦如来立像です。


▼金堂への参道
金堂東面に向かう参道です。




▼手水舎


▼金堂(国宝)
本尊 弥勒菩薩(秘仏)
正面七間 側面七間向拝付き 入母屋造  桧皮葺 桃山時代の再建。
ご本尊は拝見出来ませんが、お堂後陣には平安以降の仏像群が置かれています。
四仏界の仏たちのオンパレード見応え充分。
円空仏八体も異形を放っていますよ。




▼金堂説明板


▼金堂正面向拝外廊


▼鐘楼(三井の晩鐘)(重文)
近江八景三井の晩鐘で名高い梵鐘が吊られています。


▼三井の晩鐘説明板


▼閼伽井屋(重文)
金堂西脇に寄り沿うように建っています。三井寺の名のもとになった御井。


▼閼伽井屋の内部の泉
耳を澄ますとプクプクと水が湧く音がしますがこれボクの錯覚か空耳か?


▼閼伽井屋左甚五郎の龍


▼霊鐘堂
弁慶の引きずり鐘が置かれています。


▼弁慶の引きずり鐘
山門派と寺門派との戦いで山門派の弁慶が園城寺の鐘を奪って比叡山へ引きずり
上げて撞いたところ鐘が帰えりた~いと鳴ったので弁慶怒って谷底へ投げ捨てた
という因縁がある鐘です。
ジックリ見ると傷や割れ目が確かにあります。だけどほんとかなァ。鐘の前にあ
る変なものなんでしょうね?


ここから唐院エリアです。
このエリアは智証大師円珍さんを祀る大師堂を中心としますが、大師堂へは近づ
くことが出来ません。
唐院伽藍にはこの日の一番の目的、三重塔が建ってます。

▼唐院山門参道


▼唐院説明板


▼唐院四脚門


▼唐院潅頂堂(重文)
大師堂の拝殿。四脚門と大師堂の間に建つ伝法潅頂を執行するお堂。


▼唐院護摩堂


▼唐院三重塔(重文)
比曽寺東塔を秀吉さんが伏見城へ、それを江戸のタヌキじゃなかった家康が三井
寺に移築したものです。
本尊 木造釈迦三尊像 三間三重塔婆 本瓦葺 室町時代の建造。
各層の軒が深く安定感抜群、均整のとれた美しい三重塔です。思ったよりも大き
く感じました。このような塔が東西に建っていた吉野の比曽寺、相当大きなお寺
だったのでしょう。しかし時の為政者は何を思って建造物を移動させたのでしょ
うか。






▼唐院三重塔の組み物


▼唐院三重塔南面
一層目の外廊と正面石段。


▼唐院三重塔説明板


▼村雲橋
唐院伽藍を出て、南院エリアに向かうスグの所にある円珍さんにまつわる伝説が
語られる小さな石橋です。


中院エリアと唐院エリア お し ま い。南院エリアに続きますよ。