裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

5、New Frontier/ドナルド・フェイゲン

2016年10月06日 01時03分44秒 | マイベストカセット
時代は完全に洋楽志向に傾いてた。
・・・少なくとも、オレの周囲では。
列島内では、チェッカーズとか、ブルーハーツとか、爆風スランプなんてのががんばってた気がするんだけど、MTVが深夜枠で開始されてからは、街角ではほぼ全的に洋楽しか聞こえなくなってた。
バブルの風が吹きはじめたわが国では、それまでの「12時には電気を消して寝ませう」みたいな、つまり人間的な生活から脱却して、「24時間戦いませう」「朝までオールで遊びませう」というハチャメチャなことになってた。
それに従うように、テレビの番組編成も変わったんだった。
あのね、昭和の時代、テレビは深夜の12時を過ぎるともう、ザアザアと耳障りな砂嵐が吹きすさぶモノクロ画面か、カラーチャートとピー音の「トリニトロン」(意味不明)みたいな画面しか見られなかったんだよ、若いキミたちにはわかんねっか。
その深夜枠のすかすかの空き地に、突如として洋楽のチャート紹介みたいな番組が林立し、さらに満を持して、アメリカ大陸からMTVが殴り込みをかけてきたんだった。
深夜の1時から4時近くまで、三時間ぶっ通しに洋楽のミュージックビデオを流す、なんてことをはじめたわけだ。
途中でCMも入らず(映像自体がプロモーションだから)、3分から5分程度の曲が間断なく連なる映像形態はクールでセンセーショナルだったし、どのビデオの内容も冒険的・実験的で面白かった。
新しもん好きがこれに飛びつき、オレたち高校生も、「こいつは外せないぜ」ってなことになる。
音楽を聴きながら、その音のトーンにマッチした映像を目で追う複合的な鑑賞方は、新鮮な感覚を与えた。
今となっては当たり前のようだが、それははっきりと新しい文化の芽生えだった。
スピルバーグだかルーカスだかが、「映画の出来は音楽で決まる」みたいなことを言ってるが、とにかく、音楽と映像は切っても切り離せないものとなったのだ。
この時代、逆に、素人が映像を撮る、ってムーブメントも盛り上がった(ミュージックビデオのつくりがどれも素人っぽかった、ってこともある)。
いろんな映像コンクールや賞が創設され、ヒトビトをそそのかす。
オレたちもまた、そこに食いついた。
8mmフィルムで自主制作映画を撮ろう、となった。
オレが進学した美術系の高校では、周囲に有能な変人や天才的バカが複数いて、誰もが、なにかをはじめなければ、って焦燥感にあぶりたてられてた。
時代に爪痕を、ってわけだ。
こうして、わが青春時代ハズカシの主演映画「虚像の周辺」がつくられたんだった。
特殊効果満載の、コンセプチュアルでアバンギャルドなやつだ。
文化祭や市祭では好評を博し、賞を総なめにした問題作だが、今思えば、青かったな・・・(遠い目)
さて、ドナルド・フェイゲンは、今でこそ「おしゃれな音の権化」と一部で崇められるまでになったが、迷惑な話だろう。
彼の音は、芸術作品なのだ。
創造的で、緻密で、クールで、知的。
いちばん好きな「ニュー・フロンティア」もまた、ある年の大晦日の、「朝まで7時間ぶっ通しMTV」みたいな番組で発掘したものだった。
印象的に小節を刻むベース音の上に、ジャジーなピアノ、ブルージーなハモニカ、ギターのブレイク、そして間の手みたいな声の断片を、まったく別個に配置しながら、か細い糸で総合する。
多くの音を足して足して膨らませてくオーケストラとは逆アプローチの、ほとんどコードの移動のみで進行してく削ぎ落としの妙。
まさしくマエストロだ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
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