数十年ぶりですが、二回目の訪問をしております。 12月に入りましたので、紅葉はもうおしまいですが、かろうじて残っているのを捉えることができました。
2-14. 千早赤阪小学校講堂 (大阪府千早赤阪村) 写真左手前水色の建物
明治30年ころの建設で、一階が雨天体操場、二階が講堂となっている。 今はこの中は「立体写真館」として常設展示されている。
2-15. 第四高等学校物理化学教室 (金沢市) 写真左手前水色の建物のすぐ奥
明治23年の創建。 明治19年に「中学校令」が公布され、東京大学予備門が第一中学校に、大阪大学の分校が第三に、仙台に第二が、金沢に第四が、熊本に第五が設置されたが、明治27年の「高等学校令」により高等学校に改称された。
2-16. 東山梨郡役所 (山梨市) ・・・重要文化財
明治11年「郡区町村編制法」により、県令により郡内の行政を指導監督することになり、山梨県は4郡に分けられたが、その時に「東山梨郡」ができ、30の村が編入された。
2-17. 清水医院 (長野県大桑村)
2-18. 東松家住宅 (名古屋市)
2-19. 京都中井酒造 (京都市) 以上3件省略
2-20. 安田銀行会津支店 (会津若松市)
明治12年国立銀行の設立が打ち切られ、以降私立銀行が急速に設立された。 安田銀行も明治13年に開業し、23年には会津若松支店ができた。 この建物は40ねんに落成した。 伝統的な土蔵をもとにしているが、要所には洋風デザインとしている。
今は、中で「ハイカラ衣裳化館」として、明治時代の衣装を5分間¥800で貸し出しを行っている。 衣装を着けた写真モデルも貸してくれるようだ。
2-21. 札幌電話交換局 (札幌市) ・・・重要文化財
1844年にモールスが電信機を発明し、明治9年(1876)にはベルが電話を発明した。その後急速に進歩して、我が国は維新後ただちに全国通信網整備が実施された。 明治23年に東京と横浜で電話交換業務を開始し、全国に普及していった。
この札幌電話交換局は、外回りの壁を厚い石で築き、床、壁、を木造で組み上げ、屋根には桟瓦を葺いている。明治31年に竣工し、33年から業務を開始している。
現在、建物内は各種電話機、電話交換機、各種郵便箱などが展示されている。
2-23. 京都七條巡査発出所 (京都市)
幕府が崩壊後の東京では、明治元年薩摩、長州などの藩兵が警護、治安維持をした。その後各藩から選抜して府兵を、各地方では県兵が組織された。 さらに、軍と警察の分離するとともに、警察組織の全国統一を目指した。そして、明治19年に警察庁、各府県警察本部の名が定められ、中央集権制度は昭和22年まで続いた。
この派出所は京都駅の近く、七條通りに面し、西本願寺、龍谷大学の入口角に建てられていた。 木造であるが、当時はやりのレンガ造風建築に似せて、化粧レンガを張り上げている。
この交番の前には、「めん処・なごや庵」がり、小休止する。
これより三丁目に入る。
3-24. 京都市電
1881年にドイツで初の電車が走ったが、日本では市内電車としては、明治28年に京都市電が最初であった。 琵琶湖から流れる「疎水」を使い、初の水力発電が始まり、京都電気鉄道が設立され、明治28年に伏見線が開業運転を始めた。 同年に第四回内国勧業博覧会の開催に花を添えることにもなった。
現在ここでは、下の写真の位置「市電品川駅」から、村内の半分近く、歩いても10分もかからないと思われる距離を、「市電名古屋駅」と称するところまで、ゆくりのんびりと、大人¥500で運行している。
3-25. 北里研究所本館・医学館 (東京都)
日本の細菌学の先駆者北里紫三郎が、大正4年に建てた研究所の本館である。 東大で医学を学んだ後、ドイツに留学、コッホのもとで細菌学を研究し破傷風菌の培養などの功績が認められた。帰国後福沢諭吉の後援を得て初の伝染病研究所を設立した。その後独自でこの研究所を創立した。
現在、この建物の中では、顕微鏡など当時の医療研究機器が展示されている。
3-26. 幸田露伴住宅「蝸牛庵」 (東京都)
露伴は自分の家を「かたつむりの家」と呼び、やどかりのように幾度となく住まいを変えている。隅田川の東にあったこの家もその内の一つで、明治30年からの約10年間を過ごしている。 周辺には豪商の別邸や下屋敷が多く、この建物もその雰囲気を伝える。
3-27. 西園寺公望別邸「坐漁庵」
3-28. 茶室「亦楽庵」 以上2件は補修工事中で見ることはできなかった。
3-29. 品川灯台 (東京都) ・・・重要文化財
外国船の往来が多くなり、条約を受け入れる事もあり、東京湾沿岸の観音崎、野島崎、城ヶ崎、品川に様式燈台がフランス人により建設された。 この燈台は品川沖に造られ、明治3年に点灯された。 石油による光で、光源の高さは5.8m、海面上16m、光の届く距離は18kmと記録されている。
3-30. 菅島燈台付属官舎 (鳥羽市) ・・・重要文化財
菅島燈台は明治6年に伊勢湾の入口、鳥羽沖合の菅島に建てられた。 この頃は燈火の管理も外国人により行われたために、付属の官舎もレンガ造の洋式住宅になっている。 写真右はこの官舎の中に展示されている燈台の光源であるが、これは電気で灯されている。
3-68. 芝川又衛門邸 (西宮市)
大阪の商人(輸入業)、「むかで屋」の主人芝川氏が明治44年に別荘として建てたもの。 ここは何故か内部に入ることはできなかった。 ガイド付きなら入れてもらえるようでもあるのですが・・・?。
明治村探索、第二編は以上です。
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