goo blog サービス終了のお知らせ 

木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1342 府南寺(鈴鹿市)と「アイナシ」

2015-04-19 08:00:00 | 寺社一般

 毎日の日課として、パソコンを明け、受信メールを見てますが、今朝は友から鈴鹿市のお寺で「アイナシ」が咲いている。 そして4/14現在散り始めと言う。 私の「花写真館」に無い花(ここでは ”新種” という)の情報をしばしばくれるが、これもその一環。 ”新種”ならば何も考えることはなし、直ちにカメラを持って我が家を飛び出した次第。 2015.04.16(木)午前10時撮影

 

「府南寺(ふなんじ)」  真言宗御室派  泰平山

    鈴鹿市国府町2548   入山、駐車:無料

 

「南門」

 

「本堂」

当寺は聖徳太子の創建とされ、その後平安時代初期、真言宗に改宗したと伝えられ、御室派仁和寺末寺で準別格本山の称を与えられている。

縁起によると、この地には泰平山無量寿寺と補陀落山府南寺とがあったが、天正年間(1573年 - 1592年)の兵火により、国府の南部観音山にあった府南寺が焼失したため、兵火を免れた無量寿寺と合併し、泰平山府南寺としたとあり今日に至っている。

 

「ヤマブキ(山吹)」

 

「梵鐘」

 

「国府千手観世音菩薩」

 

 

「東門」

 

「アイナシ(間梨)」

寺の東門の外、駐車場の端に植えられていますが、ここも寺の境内のようです。

カンバンによれば・・・(一部編集)

アイナシは自生種(イヌナシ)と栽培種との間に生まれた自然交配種で、その果実はほとんど発芽育成しないので植物学上、非常に珍しく貴重なものとなっている。 この樹は、わが国で二番目に発見された(昭和46年)もので、現在他には発見されていない。 (中略) 当寺のアイナシは江戸時代すでに大樹であったとつたえられているが、明治の中ごろ伐採されて、現在では根本から五本の”ひこ生え”が育ったもの。 県指定天然記念物。

ちなみに、発見されたアイナシの一番目は、私が卒業した四日市の山手中学校のすぐ前にあり、これは国の天然記念物となっており、私はその中学の科学部に入っていたので、先生の指導で、夏休みに草刈をしたことがあり、前からブログの一頁をと考えていたが、果たせず、ついに先を越されました。

 

花はほとんど散り尽くし、残っていた一枝です。

 

友のお蔭で、私の「花写真鑑」は、めでたく”新種”がまた一つ増えて、1097種類となりました。

 

 

 


1333 鶴林寺(加古川市)

2015-04-10 08:00:00 | 寺社一般

  2015.04.01(水)雨は予報通り午後は止んだが、空は暗く写真写りは極めて不良なれど、今年の桜シーズンは晴天は望めないとし、友と二人して、兵庫に来ています。 新装成った「姫路城」を見たあとは、友の好みでお寺にやってきました。

 

「鶴林寺(かくりんじ)」   刀田山(とたさん)  天台宗

     加古川市加古川町北在家424   

     入山料¥500(宝物館とセットでは¥900)  駐車無料

 

 「仁王門」

 

 「本堂」   国宝

 近畿地方に数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、太子建立七大寺の一つともいうが、創建の詳しい事情は不明である。平安時代建築の太子堂(国宝)をはじめ、多くの文化財を有し、「西の法隆寺」とも称されている播磨地方有数の古寺である。

 「三重塔」  県重文

 「太子堂」  国宝

 「梵鐘」  重文

「講堂」

「新薬師堂」

ウインクする仏像というが???

 「観音堂」

 本堂の鬼瓦

 

 三重塔の「三面瓦」

見る角度によって、三つの様相の異なる顔が見える鬼瓦。

 

「宝物館」   宝物館拝観料¥500

 友の目的は、ここに保管されている「金銅聖観音立像(重文:白鳳時代)」。しかし残念なことに内部は撮影禁止。 高さ830mmの細身の青銅の仏様。あいたたの観音さまの別名も。

 

「リキュウバイ(利休梅)」  「花写真鑑」はこちら。

 

帰路は若干の交通渋滞にあったものの、同じ道を経て予定通り18.00に我が家につきました。 本日は約一万歩歩きましたが、ピッチの大きいお城の階段を登ったせいか、足の疲労は大きく、シップ薬の張り増しを要するほどの疲労でした。また一段と体力が落ちたようです。

 

 


1314 菅原神社(鈴鹿市)の梅

2015-03-22 08:00:00 | 寺社一般

  梅が花を開くのを待ちかねて、今年三度目の訪問になりますが、どうやら満足の行ける花を見る事が出来ました。 今回のブログは梅に焦点を絞っているので、神社の詳細は別途とします。  撮影日 2015.03.12(木)

 

 「菅原神社」    鈴鹿市国分町811

      入場、駐車料:無料

今日(2015.03.12)は平日ですが、結構な人が見に来ていました。 今日も¥100の甘酒を戴きながらの観梅としゃれ込み(?)ました。

黄色い花は「ヒウガミズキ」です。

 

ここには過去何回もきていますが、ようやく本物の梅を見た気持ちになりました。

 この後は、鈴鹿市の森庭園に向かいます。

 

 


1250 二見浦の神社と太江寺

2014-10-27 08:00:00 | 寺社一般

 伊勢神宮の奥の院と言われる「金剛証寺」で、神宮の遷宮に合わせて、20年に一度の御開帳とTVで伝えられた。 寺には伊勢志摩スカイライン(有料)を通って来たので、その先にあるに二見浦を訪れた。

 「二見輿玉神社」 (ふたみおきたまじんじゃ)

神社のホームページによれば・・・

 古来、伊勢神宮に参拝する者は、その前に二見浦で禊を行うのが慣わしであった。それに代わるものとして、二見興玉神社で無垢塩祓いを受ける。これに使う幣は、二見の海で採れる海草でできている。
神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持ち行事への参加者は浜参宮を行う。

 

 

 蛙は大神の御使いと信じられ、境内の置物は、無事かえる、貸した物がかえる、若がえる等の縁起による・・とのこと。

 

「夫婦岩」

 

 夫婦岩の頂上に見慣れないものがあり・・・

 300mm望遠レンズを目いっぱいのばしてみると、鵜の仲間のようだった。

 ここにも蛙の奉納が・・・。

 

「天岩戸」

古来より日の出を拝む夫婦岩とともに日の大神がお隠れになった天の岩屋と伝えられておりますが、我が国の随所に、天の岩屋、天の岩戸と称される処があります。当社も、その1つであり古くから石神(しゃくじん)とも申され宇迦御魂大神(豊受大神とも称される)をお祀り申し上げております。日の出に対し日の入(隠れられた処)、天照大神と豊受大神という関係と伝えられております。 (神社のホームページより)

 

こちらが本来の神社の参道。

 

二見に来たついでにと、立ち寄ってみた。

 「太江寺」(たいこうじ)   潮音山 真言宗醍醐派

    伊勢市二見町江1659  境内自由

 

 ペットの健康長寿の祈願や供養を行う「ペット寺」。本尊は先手観音菩薩像(国の重文)。季節には、藤や紫陽花も見られる。

 

 まだ、帰るには早いので、この後「松阪ベルファーム」を訪ねることにしたが、その記録は次回にしたい。

 


1249 金剛証寺(伊勢市)

2014-10-25 08:00:00 | 寺社一般

 TVで20年に一度の御本尊の御開帳と出たので来て見たが、予想に反して、参拝者は少なかった。 何とか千家の会がここでも行われており、2~3台の観光バスやタクシーが待機していたが、今は下に示す「開山堂」に集合しているらしく、境内は閑散としていました。 

 

「金剛証寺」  勝峰山  臨済宗南禅寺派

    伊勢市朝熊町   境内自由、駐車無料 

 

「仁王門」

 昔より伊勢神宮の鬼門を守る寺として、神宮の奥之院ともいわれ「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の俗謡にも唄われ、参宮する人々は当寺に参詣するのが常でありました。 当山の草創は古く欽明天皇の頃、暁台上人によって開かれ、平安時代には弘法大師(空海)によって堂宇が建立され、密教修業の一大道場として隆盛を極めました。 (寺のホームページより抜粋)

 

「梵鐘」

  

 

「本堂」  国の重要文化財

 これより先は撮影禁止。・・・上がって見ると、格子戸の先に安置された仏が見える。これが、御開帳だ。

 「知恵寅」と「福丑」が参道の両側に鎮座。

 「明星堂」

 奥の院への門、「極楽門」

 奥の院への道すがら、何百本いや千本を超えるかと思う「卒塔婆」が・・・

 奥の院の本堂

 

 

 

この橋のさきには、「雨宝堂(重文)」がありますが橋は渡れません。

 

 「開山堂」

 

 

 金剛証寺を二見方向に出て2~3分で、朝熊(あさま)山頂広場につく。(標高555m)ここには、茶屋や足湯もあるが、人影は少ない。

  スカイライン通行料:¥1250

 

 残念ながら鳥羽湾は霞んでいた。

 

この後、二見浦に向かったが、記録は次回にします。

 

 


1248 伊勢神宮内宮

2014-10-24 08:00:00 | 寺社一般

 伊勢志摩スカイラインの途中、朝熊山頂付近にある、「金剛証寺で、何年ぶりかの御開帳があると、前日のTVで放映されたので、ならばと出かけたのでした。

門前を通るのに、素通りはできないと、今年は二度目になりますが、伊勢神宮内宮さんにお参りしたのです。 今日は、2014.10.10(金)天気もよく、神宮は朝から多くの人が訪れていました。

 

 

 

 

 今日はお茶かお花か知りませんが、会合があるようで、和服姿の女性が数台のバスを連ねてやってきておりました。

 いつみても美しい橋です。

 

おかげ横丁ですが、この写真は9時30分頃の撮影で、人通りは少ないですが、帰り道の10時20分にはいつもの賑わいを見せていました。念のため。

 

この後、久々にスカイラインに入り、金剛証寺に向かいました。

 

 


1244 四国の旅 (10) 極楽寺

2014-10-19 08:00:00 | 寺社一般

2014.10.01(水)、四国を巡る旅は3日目 、今朝は高知を出て、徳島にきている。 徳島市内の徳島城跡、徳島中央公園などを見て、30分余り走って、四国八十八ヶ所の一番札所を見た後は、霊山寺を見たので、すぐ近くにある二番札所に入った。

 

「極楽寺」  高野山真言宗  日照山  四国八十八ヶ所第二番札所

     鳴門市大麻町ダンノ上1-2   境内自由

 ここにもお遍路さんの姿が・・・・・

お寺のホームページより・・・原文のまま

 極楽寺は四国八十八ヶ所第二番のお寺であり、真言宗高野山派に属す。 三方を山に囲まれた閑静な雰囲気の中にあり、宗教的な霊気につつまれている。
もともとこの地方は古くより開かれた土地で、寺の裏山からは旧石器時代の造物が多数出土している。
この地を弘法大師が第二番と定めたのは、弘仁六年(815年)即ち、千二百年も前のことである。
御本尊阿弥陀如来、その慈愛に満ちたほほえみとやさしさは、拝む人々の心を打ち、 第一級の仏像として国指定重要文化財に指定されている。さらに寺有の「両界曼荼羅」の仏画もすばらしい。 「両界マンダラ」とは、宇宙における多くの「仏」「菩薩」を配置した絵図で、宇宙における真理を表したものである。

 

 

 

 階段は足の弱った私に、仏が試練の場を与えてくれたと決めて、上り始めるが、頂上に着くまでに、何回も休まねばならなかった。

 

本堂

 

 

 極楽寺を出たのは13時10分、まだ時間は早いが、自宅まで走らねばならないので、四国を巡る旅は、最後の訪問地「うず潮の道」に向かってスタートした。

                      << 続く >>


1243 四国の旅 (9) 霊山寺

2014-10-18 08:00:00 | 寺社一般

 2014.10.01(水)、四国を巡る旅は3日目、昨夜は高知で宿泊し、ホテルを7時30分に出て、徳島道を東進、徳島終点で降りて徳島城址を見学、そして一般道を13kmほど走り、きょうの二番目の目的地に到着した。

 

 「霊山寺(りょうせんじ)」  竺和山(じくわざん)一乗院  真言宗

    四国八十八ヶ所第一番札所

    鳴門市大麻町板東塚鼻126   参拝入場、駐車無料

 縁起によると、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創された。弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられた。

 

本殿

 さすがは第一番の札所、多数のお遍路さんの姿が見られた。

 

梵鐘

 

多宝塔

 

 お参りに際し、線香をたてようとするも見当たらない。うろうろしていると、東南アジアから来られたと思われる女性が、二人分として6本の線香をくださった。これが”お接待”と、外人さんに教えられた。 

 

 

 

 

 この門を出たのが、11時55分、昼食をと近くの洋食店に入って食べていると、一人のお遍路さんと、車で来た夫婦らしき人が話をしており、聞くともなく聞いていると、一人のお遍路さんが何か乗り物の時間に間に合わないので、二人組の旦那さんらしきが、食事中にも拘らず車で送って行くという。それならば食事代を払うと言うが、”お接待、お接待”と言って受け取らず、奥さんを残して送って行った。

こんな人たちばかりなら、日本はもっといい国になり、”おもてなし”の国と胸をはれるになあ!!!・・・と思った次第。

                       << 続く >>

 

 

 


1240 四国の旅 (6) 金毘羅宮

2014-10-12 08:00:00 | 寺社一般

 2014.09.30(火)、四国の旅は二日目、高松の宿を7時35分に出て、屋島寺、善通寺を見て次はここも50年前に新婚旅行で訪れたところにやってきた。

 

 「金毘羅宮」

   香川県多度郡琴平町」川西892-1    境内自由

 石段の始まり。 50年前に妻はハイヒールでここら辺りをあがろうとして、店の人に”それでは無理、替えなはれ”と言われたことを思い出していた。

 

「大門」   ここまでの階段の数は 365段

階段など登坂力が極端に落ちた私には、こんぴらさんは極め付けの難所。当初の予定では、ここ「大門」で折り返す予定であったが、時計を見ると時間はたっぷりあり、一休みした後は気分的には余裕あったので、もう少し上がることにした。

こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新神仏分離廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある

 

なんとかなるだろうと、上がり始めた階段ではあったが・・・ 

 

「こんぴら狗」  ここまでの階段数 431段

立札には・・・飼い主に代わって犬がこんぴらさんへ首に巻いた袋に初穂料と道中の食費を入れて、飼い主が旅の人に託した。 無事代参をすませると再び旅をして家族の元へ帰ってきた・・・とか・・・!。

 悪戦苦闘!。 その連続!!。 後から来る人に励まされながら・・・!。

 

やっと本殿にたどり着いたと、汗をぬぐっていると、隣の団体さんについたガイドさんが、「ここは本殿ではありません」と言う。・・・・がっくり!。

「旭社」   ここまでの階段数 628段

 

”もう限界!”と何度も唱えながらも、妻には負けたくないと思う一心で、息も絶え絶え漸く本殿らしきが見えてきた。 

 

やっとこさの「本宮」  ここまでの階段数 786段

786では”なやむ”と読むから、”三難”取って783(悩みなし)段と言うそうな

 

ここから更に奥の院などに行けば1300段はあるというが、ここまで来れば大満足として、下ることにした。しかし弱った足腰、特に膝には、階段は衝撃が加わり下りでも決して楽ではない。その点下の写真は下り専用の道は階段でなく一部は斜面となっており、大変にありがたかった。

 

 

 結局、金毘羅宮には2時間あまり滞在して、12時20分に車は次の予定地高知に向かった。

 

                           << 続く >>

   


1239 四国の旅 (5) 善通寺

2014-10-09 08:00:00 | 寺社一般

 2014.09.30(火)、四国の半周を車で回る旅は二日目、ホテルを7時10分に出た後、高松市内の「屋島寺」を見て、高松ICから高速道路を善通寺ICまで走り、一般道を5分ほど走った所で、次の目的地「善通寺」に入った。時に9時25分であった。

 

 「善通寺」   真言宗  総本山  四国八十八ヶ所霊場の七十五番札所

    善通寺市善通寺町3-3-1  境内入場自由   

 

和歌山県高野山京都府東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられる。平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された。伽藍は創建地である東院と、空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。 

以下は東院である。

 

御影堂

 

 

 

 梵鐘

 ここでも高くない位置に梵鐘がおかれている。

 

 

 西院

西院があることを知らなかったために、内部の写真を撮ることを失念したので、外観のみここに載せる。

 

善通寺には35分ほどいて、10時丁度に次の訪問地金毘羅宮に向かった。

 

                          << 続く >>   


1238 四国の旅 (4) 屋島寺

2014-10-07 08:00:00 | 寺社一般

 2014.09.30(火)、四国を巡る旅は二日目を迎えた。ホテルを7時35分に出て、屋島ドライブインを経て源平合戦の檜舞台と知られる屋島の屋島寺に入る。(ドライブウエーの通行料:¥630 駐車料を含む)

 

 屋島寺   四国八十八ヶ所八十四番札所  真言宗 南面山

  高松市屋島東町1808   標高293m

「東大門」

屋島ドライブウエーの終点に車を置いて寺に入にはこの門をくぐる。

 屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。 

本堂

室町時代の再建と伝わる朱塗りの本堂は、本尊の千手観音座像とともに国指定の重要文化財。

 

蓑山大明神

四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏神。子宝、縁結びや家庭円満などの神さま。

 

 

 

 梵鐘

鎌倉時代の作で、「平家供養の鐘」といわれる。国指定重要文化財。

本土で見る梵鐘は決まって高台上にあるが、ここでは平地とほとんど変わらないので、違和感を覚えるのは私だけであろうか?。 

 

七福神

 

「仁王門」  寺の南に位置する門。

50年前に来た時は、山上に来るにはケーブルカーできたが、今はその跡形もなくなっていた。当時ケーブルカーに乗って、窓を閉めようとして、手に怪我をした事を妻は覚えていた、これぞまさに「センチメンタルジャーニー」か?!。

 

 屋島ドライブウエーの途中にある展望台に置かれた守神のタヌキ。

 展望台からは、源平合戦の古戦場と言われる場所が見渡せる。

 

 このあとドライブウエイを下って、一般道を経て、高松ICから高松道に入り、坂出方面に向かった。なお、高松ICに入ったのは、9時丁度であった。

                       << 続く >>

 

 

 


1234 天岩戸

2014-09-26 08:00:00 | 寺社一般

 志摩からの帰路、伊勢市と磯部町を結ぶ「伊勢道路」の中ほど、神路ダムの上流に位置するところにある、「天岩戸(あまのいわと)」にやってきました。

ここは、十数年以上前に、高校の仲良し5人組で伊勢志摩で一泊した帰り道に立ち寄ったことがあり、懐かしく思い出し、訪ねて見たくなったのです。

 伊勢道路から脇道に入り2~3分走った所に車を置き、 うっそうと茂る杉林の道を歩きます。

 

 

 

駐車場から数分歩いて、清い水の湧き出ているところにやってきました。

 環境庁指定「名水百選」に選ばれています。

 禊の場。

 

 小さな神社にお参りをして・・・。

 この洞穴から湧き出る、冷たくておいしい水をいただきます。

  

「天岩戸」の神話につてはこちらをご参考にしてください。

     http://amanoiwato-jinja.jp/publics/index/8/  

 

 

 

 これにて本日の”お出かけ”を終了として、ここより、10分ほど走った歩いた後、伊勢道に乗り東名阪を経て帰りました。

 

 

 


1229 水子供養

2014-09-14 18:00:00 | 寺社一般

 この年になって、今更水子供養とは、少し気概にかけるが、山口県に転勤中の8年を除くと、30年以上になるが、毎年訪れている。

毎年春と決めていたが、今年はいろいろあり、遅れてしまい、暑さがや和らいだので、お参りに参じたのであった。 2014.09.13(土)

 

 鉄筋コンクリート製の本殿。

 

 我が家のは高いところにあり、足元が不安になったいまは、「風車」どころか、近くにも行かず、下からのお参りとした。

 設立後40年以上が経過し、建てた人々が高齢化し、「前掛」も「風車」の数も少なくなってきた。 我が家では、子供たちには引き継がない墓であるから、我々の亡き後はどうなるのだろうと、余計な思考が過る。

 

 ここは、松阪市の南隣の明和町というところ。 伊勢にも近いので、ここまで来たのだからと、久々に伊勢志摩方面にドライブすることとし、まずは志摩市にある「大王崎灯台」に向かったが、その記録は次回に掲載したい。

 

 


1120 慶明寺(伊賀市)の蓮

2014-07-14 08:00:00 | 寺社一般

 かねてから体を慣らすために、どこかへ行きたいと思っていたところへ、急に蓮を見に琵琶湖に行こうと決まり、準備をしていたところ、前日の夕方のTVで、伊賀市の寺の蓮が見頃と出たので、少し寄り道になるが、同じ方向のために行くことにした。

 都合のよい2014.07.12(土)は久々の好天との情報。暑そうだが、体力が十分でない私は長時間でなければ問題なさそうだし、歩く距離も多くなさそうと分かった。また、今回は娘が同行してくれるので、万一の場合の代行運転も可能と考えたのだった。

蓮は早朝から午前中の花。都合で早く出られないから、琵琶湖の蓮は何度も見ているので、道順としては若干効率的ではないが、初めて訪れる寺の蓮を優先したのであった。

JR上野駅から少し山に入ったところにある、こじんまりとしたお寺であり、TVで紹介したからには多くの人かとの予測は大きく外れ、だれ一人も参拝者はなく静まりかえっていた。

 

「慶明寺(けいみょうじ)」   浄土宗 空照山

      伊賀市野間659  境内自由、駐車場あり(数台)

 

 お寺のホームページより抜粋

仏教の多くの経典に「人間は仏心を持ちながら、日々泥のような生活をしている。しかし、信心をえたときには、泥からぬけ出た蓮のように清らかな心となる」と説かれています。

当寺の回りには、約300種ほどあります。そしてその花の名称には、それぞれの故事来歴があり、そのいわれを知るのも面白いものです。又、咲き方も個性があっておもむきがあります。青(緑) 黄 赤 白 斑があつて、それが大型・中型・小型とあり、一重、八重、更に咲き方もことなり、一口に蓮といっても様々で自然の創造に驚かされます。

 

  

下は「茶碗蓮」のようだ。

この寺は、蓮の種類が多い事が知られているようで、「博物館」とも呼ばれているが、訪れたのが少し遅かったのか、多種の蓮を見た感じは残らなかった。

 

 

「アサザ」と思われる。

 

白い「キョウチクトウ」  少し花の形がちがうようだが・・・?。

 

 地方版とは言えTVで取り上げるからには、それなりの期待はするのが普通と思うが、今回、ここは何かの間違いであったのかと思うほどに、期待を裏切られたのであった。

ま、それは忘れてご一行様は琵琶湖の水の森公園に向かった。

 

 


1100 千代坊稲荷神社

2014-05-27 08:00:00 | 寺社一般

 私は商売人ではありませんでしたが、ここには過去何度も来ています。多くは商売をしている人にくっついてきましたが、近くで夕寝位なのに、纏まった写真が無く、ブログにも登場していませんので、江南の藤を見た帰り道にちょっと寄り道をしました。   訪問日 2014.04.25(金)

 

「千代坊稲荷神社」  通称:「おちょぼさん」

    海津市平田町三郷

海津市観光協会によれば・・・ 

今から約500年前の室町時代、森八海が須脇の里を開き、義家公から授けられた源氏の霊璽や宝剣等を祀ったのが始まりとされています。
 商売繁盛や家内安全の神様として知られており、年間200万人の参拝者が訪れます。

 

ろうそくと”油あげ”を買って(¥50)、おキツネ様にお参りしました。

 

私は軽かった(ふり?)ので、願いがかなうらしいが、カミサンはそうもゆかないようです・・・?。

 平日ですが、ここはいつも人通りが絶えません。

 

 神社を出たあたりですが、こんなのがあるとは今まで気が付きませんでした。

 

 まだ時間はたっぷりありますし、足の方も万全ではないものの、最後にもうひとつと欲を出し、帰り路だからと、「天王川公園」に向かいました。