goo blog サービス終了のお知らせ 

木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1052 永慶寺 (大和郡山市)

2014-04-09 08:00:00 | 奈良の寺社

 今日(2014.03.31)訪ねる予定にはなかったのですが、大和郡山城址の門前に大変立派なお寺があったので、参拝させて」戴いたものです。

 「永慶寺」  黄檗宗 龍華山   

      大和郡山市永慶寺町   拝観:自由、駐車無料(数台)

  郡山城の菊門(南門)を移築した山門であり、現存する唯一の郡山城の遺構です(上の写真)。

 忠臣蔵にも登場する柳澤吉保の子(吉里)が国替えと共に、甲府から移した柳澤家の菩提寺です

 寛永2年(1625)甲斐国岩窪に創建、 享保9年(1724)現在地に移転

  

 

 黄色い花は「レンギョウ」。

 

白い花は「ワビスケ」

「黄檗宗」らしい山門

 

 

 この後は、橿原市の方角に少し走って、「百済寺」ですが、それは次回に掲載します。

 

 

 

 

 


1050 氷室神社 (奈良)

2014-04-05 08:00:00 | 奈良の寺社

 2014.03.31(月)、奈良の大安寺にて「癌封じの祈祷」を受けた後、近くの桜花見を始めた。最初は奈良県庁や奈良公園近くにある・・・

 「氷室神社」  奈良市春日野町  拝観無料、駐車料¥500/50分(桜シーズン)

平城遷都にともない春日野に氷池や氷室をつくり、稲作に重要な夏の天候を呪う祭紀を行ったのが始まりとされています。  献氷祭ではコイやタイを封じ込めた高さ1メートルほどの氷柱が神前に供えられます。

 

白い花は「ハクモクレン」で、右側に見事な「シダレザクラ」があります。

 

正殿から出たところの「シダレザクラ」の下から、正門の方向を撮る。

今日は天気も良く、風はあるが温かく、花見の客で”ごった返し”でありました。

 

 

 出発前にどこに行くかを決めるために、周辺の桜の開花状況を調べたところ、満開とつぼみのところがあり、従来と少し違って開花がまだら模様に」なっていた。その中の開花に近い処を回ってみたが、結果は急に暖かくなったせいか、行くところすべてが”桜真っ盛り”になってました。

この後は、「大和郡山城址」に向かいました。

 

 

 


1049 大安寺(奈良)

2014-04-04 08:00:00 | 奈良の寺社

早くも5年になりますが、 藁にもすがる気持ちにて、「癌封じの寺」に毎年お参りしていますが、今年も”お礼と祈り”の時がやってきました。

その効果と祈祷料との因果関係は定かではありませんが、上限のない料金の下の部類に近い金額では、若しかしたら効かないであろうことも念頭に、しかし、心の内では効いてくれれば・・・と真面目に祈りをささげたのでありました。 

特に、今年は再手術の必要性が指摘されており、早々とその成功祈願も付け加えたのでありました。 願いを増やすのなら、料金を増やすべきと思いますがねー!。

 

 本堂に入り、鐘や太鼓など様々な器具を使っての祈祷を受け、真剣に祈りをささげましたので、効いてくれるものと期待をしています。

 

 

 

ようやく咲き始めた”さくら”も、応援してくれたように、思っています。 

 

 

 

  

 

 

「大安寺」の山門前に畑があり、そこに白い花が咲いていました。”杏”かもしれませんが、純白で美しい花でした。

 

この後は、少し早目のさくら探訪へと繰り出しましたが、それは別途報告したいと思います。

 

 


898 奈良北西部の古寺 吉田寺

2013-04-21 08:00:00 | 奈良の寺社

2013.03.30(土)、今日は少し雲はあったが、暖かい春が始まったばかりの、奈良県北西部にある古寺をめぐっている。もう17時を過ぎてやや日が傾いているが、本日最後の寺にはいった。

 

 「吉田寺」   (きちでんじ)  別名:「ぽっくり寺」

     浄土宗   清水山

     奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1-1-23

     境内参拝自由、  駐車場無料(20台)

     ぽっくり往生の寺として知られる。

吉田寺の創建は古く、天智天皇の勅願によると伝えられ、本堂西側には妹君・間人内親王の御陵と伝えられる清水の古墳がある。その後、平安時代末期、永延元年(987年)に恵心僧都源信が開基された。
浄土教の先駆者として知られる恵心僧都源信はお念仏のみ教えを早くから世に広められ、その著書の「往生要集」では、お念仏による衆生救済の功徳を理論付けられた。浄土宗の法然上人や浄土真宗の親鸞上人にも多大な影響を与えられた。

 

「本堂」

 

「梵鐘」

 

「多宝塔」   重文  室町時代の創建

 

花は「サンシュユ」

この時は桜が咲き始めたばかりであった。

 

「チンチョウゲ」

 

「ヤブツバキ」

 

 本ブログは掲載日がかなり遅くなったので、花はその時期の様子である事を、書き添えておきたい。

癌封じのお礼参りに奈良に来たついでにと、合計7寺を見て来た。癌封じの祈祷は先客があったので、待たされたりして、時間が掛かり早朝に出た割には、数が少なかったが、過去と違って数を稼ぐ事は止めて、ゆっくりじっくり見ることにしたからである。

以上で「奈良北西部の古寺めぐり」は完結とする。

 

 


897 奈良北西部の古寺 松尾寺

2013-04-19 08:00:00 | 奈良の寺社

 2013.03.30(土)、奈良市にある大安寺に”巖封じ”のお礼参りに来たついでに、奈良県の北西部の日頃音是れル事の少ない地域にある古寺を北から順に回っている。

最初が「長弓寺」そして、「宝山寺」「霊山寺」「東明寺」と見て回り、6番目の寺にやってきた。

 

「松尾寺」   (まつおでら)

      真言宗  補陀洛山(ほだらくさん)

      大和郡山市山田町683

      参拝境内自由、  駐車料無料

      日本最古の”厄除け寺”  また、バラの名所としても知られる。

矢田丘陵の南端近くにある松尾山の中腹に位置する山寺である。慶長11年(1606年)成立の『厄攘(やくよけ)観音来由記』、延宝4年(1676年)成立の『松尾寺縁起』等によると、当寺は天武天皇の皇子・舎人親王養老2年(718年)に42歳の厄除けと「日本書紀」編纂の完成を祈願して建立したと伝わる。なお、松尾寺の北方の矢田丘陵に位置する東明寺(大和郡山市矢田町)も舎人親王の開基を伝える。

続日本紀』延暦元年(782年)7月21日条には、「松尾山寺」の尊鏡という当時101歳の僧についての言及がある。また、松尾山の山頂近くに位置する鎮守社の松尾山神社境内からは奈良時代にさかのぼる古瓦や建物跡が検出されており、当寺が奈良時代の創建であることは間違いないと思われる。

 

「本堂」  重要文化財

日本三大黒のひとつ、重文の「木造大黒天立像」が祀られているが、時間も過ぎており、見る事は叶わなかった。

 

「梵鐘」

 

「三重塔」  明治21年の再建。一部は古材を使用しているとか。

 

 

 ここを出た時にはすでに、17時を過ぎていたが、気候もよいせいか、珍しく同行の妻がまだ行くと言う。ならばと「法隆寺」の中にある「中宮寺」に来て見たが、ここらは時間厳守が厳しく、すでに門は固く閉ざされていたので、次の「吉田寺」にカーナビをセットした。

 


896 奈良北西部の古寺 東明寺

2013-04-17 08:00:00 | 奈良の寺社

 2013.03.23(土)、奈良県の北西部の古寺を尋ねているが、今日5番目の寺は、紫陽花で名高い「矢田寺」の近くにひっそりとたたずむ古寺だ。 

「東明寺」  (とうみょうじ)

      真言宗   鍋蔵山

       大和郡山市矢田町2230

       境内自由、駐車無料

矢田寺(金剛山寺)の北方、矢田丘陵の中腹に位置する。当寺は、持統天皇7年(693年)、舎人親王により開基されたと伝わっている。

矢田村の惣鎮守であった矢田坐久志玉比古神社の神役を江戸時代には勤めていた。

 

「本堂」

歴史はかなり古く、かつては栄えたであろう寺ながら、今は訪れる人も見当たらない。

 

「ツバキ」

 

「バイモユリ」

 

記事は写真のみで、ストーリーも何もないが、尋ねたと言う記録、どんな寺であったかの記録を残したいので、敢えて掲載させて戴いたもの。読み飛ばし歓迎。

 

この後御一行様は、更に南下して「松尾寺」に向った。 

 

ここを訪れたのは随分前のことであるが、題材によっては公開時期が遅れるとその価値が一段と下がると思うので、季節感の少ない記事は、公開を先延ばしさせて戴いたからなのであり、ご理解を賜りたいのである。

 

 


911 奈良桜シリーズ⑥ 室生寺

2013-04-12 08:00:00 | 奈良の寺社

奈良県宇陀市の桜めぐりのしんがりは「室生寺」であるが、境内に入っても桜は余り見る事がなく、入口近辺に集中していると言う友の言葉を信じ、門を入らずに入口周辺のみ撮った。 

 

「室生寺」

  以前に寺の説明文は載せているのでここでは省略して桜のみ掲載する。

以前のブログ  http://mokunenblog.jugem.jp/?day=20090503

 

 

以上、六箇所の桜探訪を終了し、帰路についた。よって、「奈良桜シリーズ」はこれにて完了とするが、桜はまだまだ終わらない。

 

 


910 奈良桜シリーズ⑤ 西光寺

2013-04-11 08:00:00 | 奈良の寺社

2013.04.05 (金)、奈良県宇陀市の桜を巡っているが、その五番目は・・・

 

 「西光寺」

     宇陀市室生31

     境内自由

     寺には駐車場はなし、墓地のそれを借りる。

 

城之山桜と言われるしだれ桜は、樹齢三百年とか。、

 

 

話は遡るが、この前に尋ねた「仏隆寺」からこの寺に来るに際し、30分は短縮可能と言う近道があり、最近車が通れるようになったとかで、山中を暫く走ると、下のようなフェンスに出会い、すわ!通行止めかと思いきや、鍵はかかってなく通ることが出来た。見ると”獣害対策”とある、この辺りにも鹿や猪などが出没するものと思われる。

 

 

この後、直ぐ近くの室生寺に向った。


909 奈良桜シリーズ④ 仏隆寺

2013-04-10 08:00:00 | 奈良の寺社

2013.04.05(金)、奈良県宇陀市の桜めぐりをしているが、四番目の寺にやってきた。

 

 「仏隆寺」  (ぶつりゅうじ)

     真言宗    摩尼山

     宇陀市榛原赤埴1684

     拝観料¥200

室生寺の南門として本寺と末寺の関係にある。 空海(弘法大師)が唐から持ち帰った最古の茶を栽培したといわれ、大和茶発祥の地とされる。彼岸の頃には約200段もの石段の両側をヒガンバナの花が埋め尽くす。平安時代前期の嘉祥3年(850年)に空海(弘法大師)の高弟・堅恵(けんね)により創建されたと伝わるが、それ以前に奈良・興福寺修円が創建したともいわれる。

 

県指定「天然記念物」のサクラの巨木

花付きが悪いのか、まだ早いのか、それともお疲れになってるか、元気のないのが少し残念だ。

その桜もこちら側(北側)は白く咲いているのだ。

 

「開祖堅恵大徳・入定石室・西歴859年構築」との立て札があった。(重文)

内部を写させてもらった。

 

上(寺)から見た表参道。咲いてない桜が多数あった。陽気のせいか?。

 

「この木は山梨で樹齢450年、長十郎の原木」と記されていた。

 

寺とは関係なさそうだが水車小屋が・・・

 

この後地図にはまだ出て居ない、最近拡張されたらしい山道を通って「西光寺」に向った。

 


908 奈良桜シリーズ③ 宇太水分神社

2013-04-09 08:00:00 | 奈良の寺社

 桜を求めて、奈良の宇陀市あたりに来ている。 2013.04.05(金)

 

 「宇太水分神社」   (うだみくまりじんじゃ)

      宇陀市菟田野古市場244-3

      境内自由 

「参道」

宇太水分神社は、第十代崇神天皇の勅祭と伝えられており、古くから、水のまもり神として信仰を集めてきました。
鎌倉時代に建造された社殿は国宝の指定を受けております

「拝殿」

水分と書いて「みくまり」と読む。「くまり」は「配り(くばり)」の意味である。水の分配を司る神を水分神(みくまりのかみ)と言い、水源地や水路の分水点などに祀られる。崇神天皇の時代に大和の東西南北に水分神を祀り、宇太(うだ)水分神社、葛木(かつらぎ)水分神社、吉野(よしの)水分神社、都祁(つげ)水分神社とした。これらを大和四水分神社という。

 

国宝の「本殿」

「夫婦杉」

根元は夫婦の和合を表し、縁結び、夫婦円満、家内安全、子孫繁栄にご利益があるとか。

 

表参道を横切る「芳野川」の堤防には桜並木が続き、「さkら祭」も最高潮、今まさに満開の状態であった。

 

参道のお宅で咲いていた”名も知らぬ”花。

 

この後は「仏隆寺」に向うが、それは次回に掲載したい。

 


906 奈良桜シリーズ① 長谷寺

2013-04-07 08:00:00 | 奈良の寺社

2013.04.05(金)、縦長の奈良県の中央部のやや北に位置する桜井市、宇陀市周辺の名高い桜の名所を、友と二人で見て回った記録である。 明日は”春の嵐”が来るとの予報が全く信じられない程に、おだやかで暖かくよい天気に恵まれた。

今年の桜前線は、私の情報では東京が早く、次いで愛知周辺、その後に我が三重県北部の順にやってきたようで、いつもと逆の様な感じを持っている。先のブロぐでも紹介したように我が地は既に満開であるし、前日には強い風雨があったので、奈良の桜には期待せず、寺社を見れば良しとして出掛けたのであった。 

 それでも、混雑が予想される場所なので、朝8時に待ち合わせ場所に集合し、友の車、友の運転にて早速出発した。名阪道は極めて順調に走り、9時30分には最初の目的地に到着した。

 

「長谷寺」

      拝観料¥500、 駐車料¥500

      この寺は再々訪れているので、寺の説明などは省略させて戴く。

心配して来た桜の花は、今が見ごろ、最高の時期に来たことを実感。

 

この後は、有名な「又兵衛桜」を見にゆくが、それは後日に公開したいと思う。

 

先に取材(?)して、途中まで公開した、「奈良北西部の古寺シリーズ」及び、「なばなの里・花ざんまい」は季節感が少ないので、先送りとして、「桜」の公開は時期を外したくないので、今回を含め6編を割り込み掲載とさせて戴く。

 


895 奈良北西部の古寺 霊山寺

2013-04-01 08:00:00 | 奈良の寺社

 2013.03.23(土)、例年の通り癌封じの寺にお礼(?)参りに来たついでに、奈良県の北西部、京都府と大阪府の県境近くを廻って、古寺を訪ねている。

「長弓寺」「宝山寺」を参拝した後は、一旦東方に走り、奈良市に入った。

 

  「霊山寺」   (りょうぜんじ)または(れいさんじ)

       真言宗   登美山(とみさん)

       奈良市中町3879

       拝観料¥500.  駐車無料

奈良市の西郊、富雄地区にあり、富雄川の支流湯屋川をはさんで南北両側の丘陵上に鎌倉時代建立の本堂(国宝)、三重塔(重文)などの建物が建つ。これら古建築とともに、全面金箔貼りの黄金殿、バラ園、温泉、ゴルフ練習場、大霊園などの設備を有する異色の寺院である。

伝承によれば、小野妹子の子である小野富人は、壬申の乱(672年)に加担したかどで右大臣の地位を辞し、今の霊山寺境内にあたる登美山に閑居して登美仙人あるいは鼻高仙人(びこうせんにん)と称したという。鼻高仙人となった小野富人は、登美山に薬師如来を祀り、病人を癒すために薬草を栽培し薬湯を設けた。これは、彼が熊野本宮大社に参篭した際に出現した薬師如来(熊野速玉大神の本地仏)のお告げにしたがったものであった。

咲いてた黄色い花は「トサミズキ」。

 

 

「本堂」(国宝)

 

「シダレザクラ」

 

シダレザクラ」の右は「梵鐘」

 

「ツバキ」

 

「ヒイラギナンテン」

 

立派な「バラ園」であるが、漸く芽が出始めたばかり・・・・。

 

この後は、「東明寺」に向ったが、それは次回に公開としたい。

 


894 奈良北西部の古寺 宝山寺

2013-03-30 08:00:00 | 奈良の寺社

 癌封じのお礼参りのつでに、折角奈良に来たのだからと、通常あまり訪れる事のない、西北部の古寺を訪ねている。

最初は京都府の県境付近まで北上して「長弓寺」を尋ねたが、ここからはUターンして南西方面に向い、大阪府の県境近く、東大阪市にニアミスする、「信貴生駒スカイライン」の東の入口を少し入った所に寺がある。ここは生駒山(標高642m)の中腹に位置する。

 スカイラインを3分位走った所で外れて、道幅が細く車と同じくらいの道を、しかも急な坂道を昇る事になるが、久々に手に汗する程にスリルを数分間味わうことになった。

 

 「宝山寺」  (ほうざんじ)   別名:生駒聖天

      真言律宗  生駒山

      生駒市門前町1番1号

      境内無料、 駐車無料      

生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海(弘法大師)も修行したと伝わる。その当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名であったという。

江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀った。この時が事実上の開山と思われる。

江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪庶民の信仰を集めた。京都皇室江戸徳川将軍家郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、聖天信仰の霊場として名高い。1918年には日本最初のケーブルカー、生駒鋼索鉄道(現、近鉄生駒鋼索線)が敷設されるほどだった。歓喜天を祭り、現在でも年間300万人の参拝客を集めるとされる。

参拝してみると、参拝者の行動や、飾りものが違うのだ、ちょっと説明し難いが普通と異なる気がしていたが、調べて見ると「外国人に受けが良い寺」とあり、更には「朝鮮寺」とも言われているらしいのだ。

熱心な参拝者はどこにもいるが、そのしぐさが少しことなるが、韓国や中国で見たのと直結はしなかったから、少し変形しているのかも知れない。

 

木彫りの珍しい巾着型の「賽銭箱」、他にも同様形状の銅製もあり。

「般若窟」 絶壁の岩を繰り抜いて祀られている。

珍しい八重の「ツバキ」。

「アセビ」

「紅梅」に漸く間に合ったようだ。

 

昇る時はいつ通れなくなるのかの不安を抱いていたが、帰路はその不安は無いが、運転席の高い車で、急な坂道を下るのは、また別のスリルを味わうこととなった。

この後は、車は南東方向に走り「霊山寺」に向った。


893 奈良北西部の古寺 長弓寺

2013-03-27 08:00:00 | 奈良の寺社

 2013.03.23(土)曇 癌封じとして知られる大安寺に参ったついでに、奈良の北西部でまだ尋ねていないお寺で、歴史とか由緒のある寺を見て回ることにした。

奈良市は京都府木津川市と隣接するが、ここは生駒市であるから、奈良市の北西になるので、京都府京田辺市に接している。

 ここは「日本書紀」にも出て来る”金鵄伝説”ゆかりの古い土地だそうな。

 

「長弓寺」  (チョウキュウジ)

       真言律宗  真弓山

       生駒市上町4445

       境内拝観無料(本堂拝観は志納とある)、 駐車無料(数台)

長弓寺の創建についてはいくつかの説があり、定説を見ない。『長弓寺縁起』によると奈良時代に息子の流れ矢に当たって死んだ豪族・真弓長弓(まゆみたけゆみ)を悼み聖武天皇が僧・行基に開かせたと伝わり、後に藤原良継が堂塔を整えたとされる。盛時には塔頭が20院あったとされるが、現在は4坊が残るのみである。

上は国宝の本堂である。

木造十一面観音立像などの重文があるが、見る事はできなかった。

 

 

子院も境内は無料で公開されている。

 

「フキノトウ」

 

「ツバキ」

 

「シキミ」

 

「ヤブツバキ」

 

奈良には一体幾つの寺があるのだろうか?。 京都は千とも言われているが、私の感覚としては、600位かなと思っているが、奈良については今の所全く感じとる事は出来ないでいる。

JTBパブリッシングと言う所が出している「奈良・大和路の古寺」と言う本に取り上げている寺は82となっている。他にもこのような本がないか調べたが見当たらないので、この82を当面見て回るべき寺としてリストアップしており、それは下記表にまとめている。

奈良の寺リスト http://sky.geocities.jp/spdpn334/kyoto-nara/naratera.htm

その表で見ればわかるように、2008年3月以降に尋ねた寺は、この「長弓寺」が51番目となる。死ぬまでに82の全てをと思って作った表であったが、残りは31寺(38%)となった。死期がそれだけ近づいたと言えるかもしれないが、新たな目標の設立が要とも思っている。

 

この次は、「宝山寺」を訪れる予定である。