天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

2012-2013中欧鉄道音楽紀行 番外編:2 ポーランドの列車にも「栓抜き」があった

2013-02-27 | 食べる

番外編:1 ワルシャワの横断歩道はピアノだったからの続き

皆さんはご存知だろうか、
かつての列車の窓枠にあった小さなテーブルには、
「栓抜き」が備え付けられていたことを…!


今から30年以上前、まだJRが「国鉄」だった頃に製造された鉄道車輌の車内には、
窓枠テーブルに必ず「栓抜き」が付いていたことを憶えておられる方も多いかと思います。


こんなのです。
※これは日本のブルートレイン「なは」号のB寝台車で撮影した「栓抜き」です


で、こんなふうにして飲み物の栓を抜きます。



まだペットボトルが普及していなかった当時、列車の車内に持ち込まれる飲み物は大抵、
いわゆる“王冠”の嵌ったビン入りが主流だった頃の名残ですね。

この昭和の香り漂うノスタルジックな列車の栓抜き、
どうやら日本だけのものでは無いようでして…


ポーランドの列車の車内にもしっかりありました(笑)
これはワルシャワからリトアニアの国境の駅Šeštokaiまで行く国際列車「HAŃCZA」号の
1等車コンパートメントの窓枠テーブルの下に付いていた「栓抜き」としか思えないツール。
(→参照:Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 18:HANCZA リトアニア国境行き国際列車

もちろん、ポーランドでも既に駅のキオスク等で売られている飲み物はペットボトル入りが主流なので、
この車内栓抜きはポーランドでもノスタルジックな代物になっていると思われます。
探せば他の国にもありそうですね、この「列車の栓抜き」。

番外編:3 KLMオランダ航空862便(成田→アムステルダム)の機内食に続く

2012-2013中欧鉄道音楽紀行 番外編:1 ワルシャワの横断歩道はピアノだった

2013-02-25 | 旅行

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行の連載は書き終わりましたが、
本編で紹介できなかったちょっと面白いもの、
旅先で見つけた小ネタや毎回お馴染み食べ物の話題等を番外編として書いてみます。
もう暫く気楽にお付き合い下さいませ!


という訳で、先ずはポーランドの首都ワルシャワの、文化科学宮殿前の道路で見つけたこれ。
横断歩道のシマシマ模様が、よく見るとピアノの鍵盤になっています。
ちゃんと「黒鍵」も表現されていますね。
これはモチロン、ポーランドが生んだピアノの詩人、フレデリック・ショパン へのリスペクトでしょう。
ワルシャワの道路局も、なかなか粋なことをしますね!

番外編:2 ポーランドの列車にも「栓抜き」があったに続く

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 30:Finale Ferrara号Kansai行き

2013-02-23 | 旅行
blue moment


29:OPERA NIGHT ウィーン国立歌劇場からの続き

夜明け前にウィーン・シュヴェヒャート国際空港を飛び立ったKLM1838便のボーイングB737は、
宇宙とつながっているような中央ヨーロッパの青い空のただ中を飛んでいきます。
アムステルダムのスキポール国際空港までは2時間足らずの余りにも速い空の旅です。
一昨日までのように地上を国際列車で走って行けば、きっと丸々1日がかりの長旅なのでしょうが…



2013年1月4日

日本への帰りの飛行機の乗り継ぎ行程もKLMオランダ航空の欧州域内大幅減便のあおりで、
早朝便でウィーンを出て、アムステルダムでは日本行き便への乗り継ぎ待ちが5時間以上も空くという
ひどく不便なものになってしまいました。


スキポール国際空港に到着した時点で、まだ朝9時です。
さて、午後の日本行きの飛行機の出発時間まで、オランダで何をして過ごしましょうか…

とりあえず到着ゲートから外に出て、
そのまま空港ターミナルビルの地下にあるスキポール空港駅へ行ってみましょう。
スキポール国際空港に直結しているオランダ鉄道のスキポール空港駅から電車に乗れば、
20分足らずでアムステルダム市内まで行くことが出来ます。


「この黄色い電車に乗っちゃおうかな?
でも、旅の疲れも出ているし、あんまり無理して動き回らない方がいいかもなぁ…」


プラットホームで優柔不断に思いを巡らせているうちに、電車はさっさと発車して行ってしまいました。
そのまま何となくプラットホームに佇んでいると、次から次にいろんな列車がやって来ます。
スキポール空港駅はアムステルダムとベルギー方面とを結ぶ幹線上にあるので、
アムステルダムの近郊電車だけでなく長距離線の高速列車も姿を見せるという、利便性が高くて賑やかな駅です。


ロッテルダム経由でオランダ南部のブレダという街に向かう、国内線の高速列車Fyraがやってきました。
オーストリア連邦鉄道のRailJet(レイルジェット)と似た、一般形の電気機関車が客車を牽引するスタイルの高速列車ですね。


パリとアムステルダムを結ぶ国際線のTGV、THALYS(タリス)もやって来ました!
真っ赤な車体がスポーツカーのようで、実に格好良いですねぇ。
思わず見とれてしまってシャッターチャンスを見事に逃してしまいましたが(笑)

結局、暫くスキポール空港駅で列車を眺めてからターミナルビルに戻り、
スーパーマーケットで買い物をしたり食事をしたりして過ごしているうちにお昼になってしまい、
そのまま出国審査を済ませて日本行き便の搭乗ゲートへ向かいました。

数年前までの僕なら、間違いなくあの黄色い電車に乗ってアムステルダムの街に向かっていたでしょう。
大急ぎでトラムに乗り換えて、オランダ国立美術館やゴッホ美術館を駆け足で観て回ったかも知れません。
でも、今の僕にはもうそんな無理の効く体力も気力もありませんでした。もう若くはないのですね…
…やっぱり、旅でも何でも若くて元気いっぱいのうちに思う存分やっておかないと駄目ですね。後で後悔することになります。
僕はこれから先、どんどん老いてくことでしょう。だから今のうちに、やれることはやっておかないと!
これ以上、もう後悔はしたくないですからね。



僕を日本に連れ帰ってくれるKLM867便は関西空港行きの便なのですが、
飛行機はジャンボジェットではなく中型機のボーイングB777-200でした。台湾への乗り入れに対応したKLM asia仕様の機材です。
この機体には「Ferrara City」 という愛称が付けられているようです。
Ferraraとはルネッサンス期からの歴史地区があり世界遺産にも登録されているイタリアの都市のようですが、
アムステルダムとも大阪とも、そして台湾とも全く関係のない都市名が機体の愛称となっているのはやっぱり何か妙な感じ…



2013年1月5日


朝9時半。
ユーラシア大陸を飛び越えたKLM867便は、関西空港に無事到着。
日本に帰って来ました!

関西空港に着いたら、すぐにリムジンバスに乗って伊丹空港へ。
本当は南海電鉄の超絶デザインの空港特急「ラピート」に乗りたいのですが、
ちょうど今、関西空港と伊丹空港とで飛行機を乗り継ぐ航空券を提示すると
両空港を連絡するリムジンバスの乗車料金が無料になるキャンペーンをやっていたので、
タダで伊丹空港まで乗せて行って貰う事にしました。
…それにしても、数年前まではわざわざ伊丹空港まで行かなくても関西空港で直接、国内線の飛行機に乗り移れて便利だったのに、
どんどん利便性が悪くなっていくのはどうしたものか。
大阪府知事から大阪市長になった例のあの人は一時期、伊丹空港を廃港して関西空港に一本化する意向を表明していたけど、
実際すぐにでもそうしてくれないと、このままじゃ不便でどうしようもないよ!





伊丹空港から乗り込む福岡空港行きの国内線は、ビジネスジェットのような小型機でした。
ANAとのコードシェア便ですが、
IBEXエアラインズという会計ソフトを開発販売しているIT企業の傘下にある航空会社が運行している飛行機です。





瀬戸内海沿いの空を飛んで、1時間足らずで福岡空港に到着。
ここからは九州新幹線つばめ号に乗り継ぎです。


すっかり日が暮れた頃、熊本駅に到着しました。
「ああー、やっと着いた!日本に着いてからが大変だった…(笑)」

かくして音楽を鉄道でつなぐヨーロッパの旅は幕を閉じたのですが、実は既に次の旅の計画が着々と進行中なのです。
次は…終着駅のその先の、さらに先を目指します。


Sestokai駅で見送った、リトアニア鉄道の列車。
あの列車の行く先のさらに先、国境を越えてリトアニアの隣国ラトビアのさらに先へ!
2013年の初夏にエストニアと、そしてフィンランドへ行ってきます。





Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 終章
…そして次の旅へと続く

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 29:OPERA NIGHT ウィーン国立歌劇場

2013-02-23 | 映画・演劇・コンサートを観る
Wiener Staatsoper


28:kunst historisches museum 美術史美術館からの続き

すっかり日の暮れた午後5時半頃、今朝歩いた場所に戻って来ました。




夜の帳の降りたウィーンの街で、一層輝きを増したウィーン国立歌劇場
いよいよ今回の旅で最後のオペラ鑑賞です。


ウィーン国立歌劇場は一流の音楽通が集う世界最高峰のオペラハウスであると同時に、
ウィーンを代表する観光名所でもあります。
その為、観客層も音楽好きな人々ばかりでなく世界中から訪れた観光客も入り混じり、
開演前のエントランスホールは大変に賑やか。
周囲からは久しぶりに耳にする日本語の会話も聞こえてきます。




今夜の演目は、旅を華やかに締め括るのに相応しい古典的名作、
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯最後のオペラ「魔笛」です!
余りにも有名な作品なので、あらすじは殆ど諳んじているし序曲やアリアはすっかり耳に馴染んでいますが、
さて世界最高峰のウィーン国立歌劇場ではどんなに素晴らしい「魔笛」を見せて聴かせてくれるのでしょう。

今夜も期待に胸を膨らませながら、昼間に国立チケットハウスでピックアップしたチケットを片手に
紳士淑女たちと共に大理石の階段を登って最上階のバルコニー席へと向かいましょう。

それにしても、ウィーン国立歌劇場は建物の規模が大きい!
ビュッフェもホワイエの一画にあるのではなく、専用のフロアを持つカフェバーコーナーになっています。



ここは立ち見客の天井桟敷の人々のための休憩スペースでしょうか。
この場所で室内楽のミニコンサートが開けそうな広さです。

そして、ここが最上階。


今夜もバルコニー席の最前列、舞台に向かって右手側の席です。
ちなみにウィーン国立歌劇場の公式Webサイト経由でオンライン予約したチケット代は44ユーロ也。
購入時のレートだと日本円で4500円程なのですが、
ハンガリー国立歌劇場の約2倍、プラハ国立歌劇場の約5倍の価格になります。
さてこの価格、高いと考えるか安いと感じるか…




バルコニー席の舞台正面からは、この眺め。

←サムネイルをクリックすると大きなパノラマ画像が開きます


ウィーン国立歌劇場は第2次世界大戦末期に連合軍の爆撃で破壊され、戦後に元通りに復元されたそうです。
そのせいか、客席の装飾もシンプルで、シャンデリアもとてもすっきりとしています。
重厚かつ豪華絢爛で歴史を感じさせるブダペストやプラハのオペラハウスと比べたら随分と近代的なのが意外でした。

そして、今夜見る最後のオペラの夢の世界…
聴き慣れた軽快な序曲と共に「魔笛」の幕が上がるのです。





…幾度目かのカーテンコールの後で、
パパゲーノやパパゲーナ、タミーノとパミーナ、ザラストロと夜の女王が舞台の幕の向こうに消えた時、
旅の終わる時が来たことを実感しました。
今回の旅もうたかたの夢の世界の彼方に去り、想い出になろうとしています。

「さぁ、僕も旅の舞台の幕を下ろそう。そしてまた暫し日常に戻ろう。日本に帰らなくちゃ…」



30:Finale Ferrara号Kansai行きに続く

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 28:kunst historisches museum 美術史美術館

2013-02-22 | 博物館・美術館に行く
Theseus besiegt den Centauren/Antonio Canova


27:Das gibt's nur einmal ウィーン散歩からの続き

ウィーン美術史美術館の開館時間となりました。
早速、正面玄関前に出来ている入場待ちの行列に並びましょう。



入場前に気が付いたのですが、美術史美術館の外壁の窓にもそれぞれ芸術家たちの名前が掲げられていますね。
こんな所まで自然史博物館の建物と共通の造りになっています。
この窓はレオナルド・ダ・ヴィンチのようです。

美術史美術館は建物は大規模なのですが、入り口とチケットカウンターは狭くて開館と同時に大混雑です。
何とかチケットを購入して、いよいよ館内へ…


入場者を出迎えてくれるのが、この素晴らしいエントランスの階段ホールと天井画です。
このホールの装飾デザインは、グスタフ・クリムトの手に依るものだとか。


そして圧巻の、吹き抜け丸天井ホール!
ホールはカフェとなっていて、名画を鑑賞した後は美術館の建築そのものを堪能しながらお茶を楽しみ、
贅沢な余韻に耽る事が出来るのです。

さあ、絵画ギャラリーへ…
このドアの向こうには、ハプスブルク王朝によって集積された無限の芸術世界が広がっています!



フェルメール!ラフィエル!ルーベンス!ヴェラスケス!アルチンボルド!
…美術の教科書で一度は見たことがある、誰もが知っている名画中の名画が並ぶ回廊がどこまでも続きます。

そして、この至宝の洪水の中でも一際目を引く逸品には大抵、
プラハに居た芸術と科学を愛した皇帝の特別コレクションであることを示すプレートが添えられていました。
美術史美術館の収蔵品の中でも特に人気のある究極の作品群は、
プラハ城から移された、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が愛したコレクションなのです。

ルドルフ2世の芸術的才覚の素晴らしさと審美眼の確かさには、改めて感服させられます。


そして、ウィーン美術史美術館を象徴すると言っても過言ではないブリューゲルの一大コレクション。
牧歌的で素朴であり厳しくもある農村の日常風景や、
一見ユーモラスながらも奇妙な緊張感と不気味さが漂うバベルの塔を取り巻く状況を見渡しながら、
小一時間ほども回廊のソファに座って過ごしてしまうのでした…

お昼過ぎまでウィーン美術史美術館で過ごしてから、ホテルに荷物を受け取りに戻ります。
明日は夜明け頃の飛行機でウィーンを発つので、今日のうちにシュヴェヒャート国際空港のエアポートホテルにチェックイン。

そして夕刻、再びウィーン市内に戻ります。
旅の最後の夜、ウィーン国立歌劇場でオペラの夢を見ましょう。

29:OPERA NIGHT ウィーン国立歌劇場に続く

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 27:Das gibt's nur einmal ウィーン散歩

2013-02-21 | 旅行
Opernring


26:Wagon restauracyjny 「Sobieski」号の食堂車からの続き

2013年1月3日


旅の終わりの日の朝が来ました。
今日は一日、ウィーンの街で過ごします。

ウィーン西駅前のInterCityHotelを早めにチェックアウトして、フロントに荷物を預かって貰い、
そのまま手ぶらでUバーン(地下鉄)3号線に乗り込みます。
数駅先のシュテファンスプラッツ駅で下車して、地上に登ると…


目の前にゴシック様式の大聖堂がそびえ立っています!
ウィーンのシンボル、シュテファン大聖堂です。


12世紀の創建以来、実に800年以上に渡る歴史を持つシュテファン大聖堂。
この大聖堂を中心としたウィーン市内の一帯は「ウィーン歴史地区」として世界遺産にも登録されています。

大聖堂の中に入ってみましょう。


何と、大聖堂の中は極彩色に照らしだされています。
これには、余りのけばけばしさに一瞬たじろぎました。
新年の記念ライトアップなのかも知れませんが、ちょっと毒々しいですよねぇ…

でも、大聖堂の中ではド派手な照明を気にするでもなく静かに朝の礼拝が行われていました。
ここシュテファン大聖堂では、かつてモーツァルトの葬儀も執り行われています。
僕も大作曲家と、そして自分の祖先を偲んで、敬虔な善男善女の方々の後ろでそっと祈りを捧げさせて戴きました。



シュテファン大聖堂で朝のお祈りを済ませたら、ケルントナー通りを歩いていきます。
10分も歩くと、チョコレートケーキの「ザッハトルテ」 で有名な喫茶室がある老舗ホテルSacher(ザッハー)が見えてきます。
朝のお茶とザッハトルテを楽しみたい誘惑に駆られますが男一人ではさすがに入るのを躊躇してしまい、
喫茶室の窓辺で楽しげに語らう人々を横目で見ながら進んで行きます。


トラム(路面電車)の走る大通りに行き当たります。オーパンリンク通りです。
そして、この大通りに面して建つ壮麗な建物こそ…


ウィーン国立歌劇場です!

数々の栄光に彩られた世界最高峰のオペラハウスであり、
グスタフ・マーラーやリヒャルト・シュトラウス、ヘルベルト・フォン・カラヤンや近年では小澤征爾といった
綺羅星の如きマエストロたちが音楽監督として名を連ねる音楽の都の殿堂。
ここで毎夜繰り広げられる華やかなオペラの舞台と煌めく音楽は、世界中の音楽ファンの憧れの的であり、
夢の世界そのものなのです。

そして今夜、僕もその夢の世界へと旅立つのです!
今回の旅で三回目の、そして最後のオペラ観賞はウィーン国立歌劇場。
世界最高峰のオペラハウスで、旅の最後を華やかに締めくくります。

今夜のチケットは勿論、事前に公式Webサイト経由で予約してありますが、
ウィーン国立歌劇場では予約したチケットを事前に窓口まで受け取りに行く必要があります。
今朝、早めにホテルを出たのは、朝一番でチケットを受け取っておきたかったからなのです。
オンラインのEチケットを自宅でプリントアウトして持って行けばそのまま入れたハンガリー国立歌劇場やプラハ国立歌劇場に比べるとちょっと不便ですが、
事前にオペラハウスの外観を下見して期待を膨らますことが出来るので、これはこれで乙なものかも知れませんね。

ウィーン国立歌劇場の裏口、オーパン小路にある国立チケットハウスで無事に今夜のチケットを発券して貰い、
気が楽になったところで、
オーパンリンク通りから地下に潜ってカールスプラッツ駅からUバーン3号線に乗り込み、
すぐ隣りのムゼウムクォーティア駅で下車。
ここはムゼウム(Museum)という駅名の示す通り、世界第一級の博物館や美術館がひしめく一画です。



その博物館美術館群の中で、今日はここに狙いを定めました。


ウィーン美術史美術館。
世紀末ウィーン美術やモダンアートにも惹かれましたが、
ウィーンで最も正統派で最も綺羅びやかだと思うこの美術館で、今日は過ごすことにしましょう。

…しかし、ちょっと早く来過ぎましたね。
開館時間の午前10時まで30分以上もあるので、その辺りを散歩してきましょう。

ウィーン美術史美術館は、女帝マリア・テレジアの像が鎮座まします公園を挟んで
外観がそっくりの建物と向い合って建っています。



写し鏡のように向かい合うこのもう一つの建物は、ウィーン自然史博物館です。
まるで「文系」と「理系」の優等生同士が並び立ち競い合っているようで面白いですね。


自然史博物館の建物の壁には、窓ごとに偉大な科学者たちの名前が掲げられています。
この窓はコペルニクスですね。探せばガリレオ・ガリレイやニュートンやティコ・ブラーエの窓もありそうです。

自然史博物館も見学したかったのですが、恐らく一度足を踏み入れたら丸一日かかる筈なので、
次にウィーンを訪れた時の楽しみとして取っておきましょう…


美術史美術館と自然史博物館から、トラムの通る大通りを渡ったところにはホーフブルク宮殿があります。
ウィーンの宮殿と言えば郊外にある離宮のシェーンブルン宮殿が有名ですが、こちらは都心のど真ん中にあり実用的です。
ハプスブルク王朝最後の宮殿であり、「新王宮」とも呼ばれています。

少し散歩しただけでも、この辺りは見所が沢山あるのでちょっとした観光ツアーになってしまいますね。
さあ、そろそろ午前10時です。
ウィーン美術史美術館に行って、ヨーロッパ絵画と美術の世界に浸るとしましょう。

28:kunst historisches museum 美術史美術館に続く

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 26:Wagon restauracyjny 「Sobieski」号の食堂車

2013-02-19 | 食べる
Wagon restauracyjny / EC105/14002 Sobieski


25:Sobieski Express 国際列車Sobieski号の旅からの続き


EC105/14002列車「Sobieski」号の食堂車は、街のお洒落なカフェのような明るいインテリア。
今日も午後遅い時間に来たので空いていて、気楽にランチやティータイムを楽しめそうです。

という訳で、今回も先ずはノンアルコールビールをオーダー。

ポーランド国鉄が所有する食堂車らしく、地元ポーランドのブランドの瓶ビールが出て来ました。
でも、ウェイトレスのおばさんはグラスは持ってきてくれたけど、栓抜きをくれません。
さては昔懐かしい日本の国鉄の車輌のように、テーブルの横か窓枠の下辺りに固定式の栓抜きがあるんだなと思い
覗きこんで探してみるけれど、こんなお洒落な今風のカフェレストランにそんな無粋なものがある訳もなし。
どうしたものかと王冠の嵌ったままのビール瓶を見つめて途方に暮れていると…

料理を運んできてくれたウェイトレスのおばさんが、
「やれやれ、困ったお客さんだね」とばかりに瓶を取り上げて、何と素手で王冠をひねって外してしまったではないですか!
「何という怪力の持ち主!ポーランド女性恐るべし」
と思わず呆気に取られてしまいましたが、何のことはない、
王冠には最初から「回して開けろ」というように矢印が小さく書かれていました。
いかにも栓抜きで開ける王冠のように見えますが、実はスクリューキャップだったんですね。
デザイン的にはクールなのかも知れないけれど、何とも紛らわしい!(苦笑)


さて今日の食堂車でのランチは、いつものシュニッツェル…ではなくてサーモン料理にしてみました。
インディカ米ですが、ライスと一緒に頂けるのが嬉しいですね。お新香代わりのザウワークラウトも山盛りで付いています。
シャケと漬け物と白いご飯…嗚呼懐かしいふるさと日本の味(笑)


食後にデザートとコーヒーを追加オーダーして、そのまま遅い午後のお茶の時間を楽しむことにしました。
メニュー表から何とかベリーと書かれたケーキを選んでみたところ、このド迫力!
コーヒーは無難にエスプレッソにしましたが、
ちゃんとチェイサーの水のグラスとビスケットも添えられた本格派のものが出てきて、これがまた美味しい!

エスプレッソの本場イタリア流の“正しい飲み方”である、砂糖をたっぷり入れてかき混ぜずに飲み干し、
最後にカップの底に残った溶け残りの砂糖をすくって楽しむというやり方を堪能し、
ポーランドとの別れの午後と夕暮れを「Sobieski」号の食堂車で過ごしたのでした。

27:Das gibt's nur einmal ウィーン散歩に続く

コペルニクス生誕540年記念日

2013-02-19 | 宇宙

今日、2013年2月19日は
地動説を提唱した偉大なる天文学者ニコラウス・コペルニクスの540年目の誕生日です。
Googleのトップページのロゴも、地動説を表現したレトロな太陽系のプラネタリウム動画になっていますね。
コペルニクスは1473年の今日、ポーランドのトルンという街で生まれたそうです。

さて、上に揚げた写真は先日の中欧鉄道音楽紀行の旅の途中、ワルシャワ中央駅で偶然見かけた列車。
遠く離れたプラットホームに停車していたのを見つけて慌ててズームで撮ったのでブレていて見難いですが、
行先表示器の一番上の段にポーランド語でKopernik と表示されています。
ワルシャワ中央駅を朝7時に発車して、コペルニクス生誕の地トルン方面へと向かう
TLK15107列車「Kopernik(コペルニク)」号です。
コペルニクスは列車となって、21世紀の今も毎日故郷に錦を飾り続けています。

ヨーロッパでは祖国の英雄的人物の名前を付けられた列車が数多く走っていますが、
科学者や天文学者の名前を持つ列車もあります。
確かミュンヘンとプラハを結ぶ「アルベルト・アインシュタイン」号も走ってたような…


ちなみに、そのプラハの旧市街にある天文時計「orloj(オルロイ)」は天動説に基づいたプラネタリウムとなっています。
コペルニクスがこの天文時計を見たら、何て言ったでしょうね。。。

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 25:Sobieski Express 国際列車Sobieski号の旅

2013-02-18 | 鉄道
EuroCity105/14002 Sobieski


24:PLANETARIUM ワルシャワのCarl Zeissからの続き


ワルシャワ中央駅から、フレデリック・ショパン空港行きの近郊列車に乗って、
ヴィスワ川の鉄橋を渡ってワルシャワ東駅にやって来ました。空港行きの列車は流線型でスマートな、凄いデザインです。

ワルシャワ東駅は、手狭な地下駅のワルシャワ中央駅に代わって長距離列車の編成を仕立て上げ、
始発駅となる役割を持っています。
この駅から、ヨーロッパ各国へと国際列車が旅立ち、またヨーロッパ各国からの国際列車がこの駅に到着します。


その為にワルシャワ東駅ではヨーロッパ各国の列車の姿を見ることが出来ます。
向こうのプラットホームに停車しているグレー地に赤いポイントの入った車輌は、ロシアの寝台車のようです。
ワルシャワからモスクワやサンクト・ペテルブルグに向かうロシアの夜行寝台列車にも、一度乗ってみたいですね。

さて、僕がこれから乗るのは、ワルシャワ東駅12:18発ウィーン西駅行き
EC(ユーロシティ:ヨーロッパ国際急行)105/14002列車「Sobieski」号。


Sobieskiはソビエスキーと読むのでしょうか。
ソビエトと語感が似ていますが、旧ソビエト連邦とは逆の西側に向かって走る列車です。
帰国後、ネットで検索して調べてみたところ、どうやらポーランド王室の家名のようですが、
どういう経緯での列車名命名なのか、詳細は不明です。

「Sobieski」号はポーランド国鉄の車輌で編成されていますが、
昨日乗った「HAŃCZA」号より新しいピカピカの新型客車が使われています。
華やかな都ウィーンへと乗り入れる国際急行列車ということで気合が入っているみたいですね。
車体の乗降ドアも自動、しかも超高速列車のようなプラグドアですよ。


でも車内は伝統的なコンパートメントスタイルでした。



1等車のコンパートメントは6人部屋なのも昨日の「HAŃCZA」号と同じです。
でも新しい車輌なので、車内が本当に清潔です。これは今日も気分良く旅が楽しめそうです。

定刻にワルシャワ東駅を発車した「Sobieski」号はヴィスワ川を渡り地下に潜って、ワルシャワ中央駅で10分間停車。
ワルシャワ中央駅から乗っても良かったんですが、ワルシャワを離れる列車には始発駅から付き合いたかったので
わざわざ東駅まで「Sobieski」号を迎えに行ったのです。


ドア窓内側には、折り返し逆向きのワルシャワ行き「Sobieski」号のサボが挿さったままになっていました。
…いつか必ず、僕もまたワルシャワに戻って来るぞ。
そう心に誓いながら、ワルシャワに別れを告げます。




「Sobieski」号は、一昨日のプラハ発ワルシャワ行き「プラハ」号と同じルートを辿り、ヴィスワ川を遡るようにポーランドを南下して行きます。
ウィーンまでは8時間余り。曇り空の午後の中欧を駆ける、少しメランコリックな帰りの旅路です。
コンパートメントで本を読んだり、食堂車で遅い昼食と遅い午後のお茶をしたりして大人しく過ごします。
どうやら、僕もそろそろ旅の疲れが出てきたようです。


ポーランドの大地に、日が沈んでいきます…
恐らくこの辺りで、一昨日乗ってきた「プラハ」号とすれ違った筈ですが、
かなりの高速で走っているのですれ違い列車を識別することは出来ませんでした。

そして辺りがすっかり暗くなった午後5時頃、ポーランドとチェコの国境の駅Bohumínに到着。
ワルシャワからここまで「Sobieski」号を牽引してきたポーランド国鉄の電気機関車が切り離され、
チェコ鉄道の電気機関車に交替します。











「Sobieski」号に連結されたチェコ鉄道の電気機関車も、「プラハ」号を牽引していたものと同じ形式のようですが、
車体にサッカーボールのラッピングが施された特別塗装機のようです。

その後、「Sobieski」号は2時間程でチェコ国内を縦断し、オーストリアに入りました。
国境を越えたらおよそ1時間半足らずでウィーンに到着です。

午後8時半、「Sobieski」号は終着駅のウィーン西駅に到着しました。



5日ぶりに、ウィーンに戻って来ました!
チェコとオーストリアの国境駅でも機関車を交換したようですね。「Sobieski」号の最終区間を牽引したのは、
ここから旅立った時に乗ったRailJet(レイルジェット)と同じタイプのオーストリア連邦鉄道の電気機関車でした。

今夜はウィーン西駅の駅前にあるドイツ鉄道(DB)系列の鉄道ホテルInterCityHotelに泊まります。
ドイツの主要駅の駅前には大抵あるので便利なビジネスホテルチェーンですが、オーストリアの駅前にもあるんですねぇ(笑)



InterCityHotelには何度も泊まっているので、鉄道好きの顧客として登録されているという訳でもないでしょうが、
窓のすぐ下にウィーンのトラム(路面電車)が走るのが見えるトラムビュー(?)の部屋に通されました。



これは楽しい!
トラムが来る度に窓を開けて眺めてしまいますね。

でも、今夜はそろそろ寝ましょう。
明日はいよいよ旅の最後の日。ウィーンの街を散歩して、それから…最後にまたオペラを観に行きます。


夜のウィーンの街を照らすお月さまに、おやすみなさい…

…あっそうだ、夜が明けてウィーンの街に散歩に出かける前に、ちょっとだけ。今日の午後のお茶の時間の話をしましょうか。
「Sobieski」号の食堂車でのランチとティータイムを振り返ってみましょう。

26:Wagon restauracyjny 「Sobieski」号の食堂車に続く

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 24:PLANETARIUM ワルシャワのCarl Zeiss

2013-02-17 | 博物館・美術館に行く
CARL ZEISS JENA/MUZEUM TECHNIKI


23:ASTRONAUTYKA 宇宙科学展示室からの続き

ワルシャワ科学技術博物館の宇宙科学展示室にある、プラネタリウムのドーム。


直径数メートル程の、本当に小さなものです。
ドームの中はどうなっているのでしょうか。


小さなドーム内には、これも小さな“御本尊”が。
可愛らしい投影機が据え付けられていました。
でも、この投影機の独特の形状は…これは、ひょっとして!?


やっぱりそうです、銘板にはCARL ZEISS JENA の文字が!
プラネタリウムの名機「カール・ツァイス」です!!




長年使い込まれているようで、実に味のあるフォルムのカール・ツァイス。
かなり小型のモデルなので、九州の福岡県宗像市にある宗像ユリックスのカール・ツァイス製プラネタリウム
「SKYMASTER ZKP4」と同等クラスかも知れませんが、ずっとクラシカルなフォルムです。
(※参照→宗像ユリックスプラネタリウムでカール・ツァイスを見てきました

これは是非とも、投影された星空を見てみたいですね!


しかし残念ながら、投影は1日2回のみで、次の投影時間を待っていたら列車が発車して行ってしまいます。
涙を呑んで今回は諦め、後ろ髪を引かれながらワルシャワ科学技術博物館を後にします。

「またいつか必ず、ワルシャワにカール・ツァイスのプラネタリウムの星空を観に来るぞ!
それまで、現役のままで残っていてくれよ、科学技術博物館のカール・ツァイス…」


ホテルで荷物を受け取って、ワルシャワ中央駅に向かいます。
ワルシャワとは、これでお別れです。国際列車に乗ってウィーンに戻ります。

25:Sobieski Express 国際列車Sobieski号の旅に続く

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 23:ASTRONAUTYKA 宇宙科学展示室

2013-02-17 | 博物館・美術館に行く
astronomicznej ekspozycji/MUZEUM TECHNIKI


22:MUZEUM TECHNIKI 科学技術博物館からの続き


ワルシャワ科学技術博物館の館内の一角を占める、一際広い展示室。
宇宙科学関連の部屋です。

展示室の入口ではスプートニク1号とボストーク宇宙船、そしてサターンVロケットとアポロ宇宙船が出迎え、
ドッキングするソユーズとアポロを描いた巨大なタペストリーが壁を飾ります。


←サムネイルをクリックすると大きなパノラマ画像が開きます

宇宙機関連の展示は、特に旧ソ連系のものが中心という訳ではなく、
アメリカのものとソ連のものが半々といった構成でした。


これはソ連版スペースシャトル「ブラン」!?
…かと思ったら、アメリカのスペースシャトル「コロンビア」号でした。


かわいそうな犬のライカを乗せたスプートニク2号ですね。




ガガーリン少佐に関する展示はさすがに充実していました。


ちょっとレトロですが丁寧に作られた、太陽系の惑星と彗星の軌道を説明するパネル。


これは…何でしょうか?
ごく初期の頃の電波望遠鏡の巨大パラボラかな?
駆動部が恐ろしく複雑なトラスを組み合わせた構造なのが面白いですね。

レトロなものばかりでなく、最新の宇宙科学事情もしっかり紹介されています。


話題の火星ローバー「キュリオシティ」の特設コーナーもありました。


金星の太陽面通過や日食などの天文ニュースも取り上げられていますね。

全体的に、手作りの展示ですがこまめに更新されていて、
スタッフの方が日頃から熱心に活動されている様子が伺えて、とても良い感じです。


この屈折望遠鏡は今でも使えるのかな?


こういう昔ながらの科学館の雰囲気って、やっぱりいいですね!
きっと多くのワルシャワ生まれの宇宙科学と天文好きな少年少女たちが、ここから巣立っていったことでしょう…

…ところで、展示室の奥にドーム天井が見えますね。
これは、そう!プラネタリウムです。
ちょっとプラネタリウムのドームの中を覗いてみましょう。

24:PLANETARIUM ワルシャワのCarl Zeissに続く

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 22:MUZEUM TECHNIKI 科学技術博物館

2013-02-17 | 博物館・美術館に行く
Palac Kultury i Nauki w Warszawie


21:Sestokai 終着駅、そして鉄路は続くからの続き

2013年1月2日

今日はお昼に発車する国際列車でワルシャワを離れます。
午前中は時間があるのですが、行ってみたい場所があるのです。

ワルシャワの街を睥睨する、悪名高き怪摩天楼、文化科学宮殿。
その下層階には科学技術博物館があるとガイドブックに書かれています。
共産主義時代の遺物であるグロテスクなスターリン・ゴシック様式の大伽藍の中にある博物館…
なかなか不気味に興味をそそられるではありませんか!

ホテルをチェックアウトして、そのまま荷物をフロントに預け、すぐ近くの文化科学宮殿に歩いて向かいます。
摩天楼の麓をぐるりと歩いて回ってみると、
MUZEUM TECHNIKIと掲げられたギリシア神殿のような荘厳な入り口が見つかりました。


重く分厚いドアを開けて中に入り、14ズロチ也の入場料を払います。
案の定というか、館内には他に殆ど見学者がおらず静まり返っていました。


館内の展示はこんな感じ。
天井が高くレトロな雰囲気の回廊に、様々な科学技術に関する展示品が並びます。


交通の技術発達を紹介するコーナーでは、翼にCCCPの文字が刻まれ赤旗が翻るソ連製航空機の模型が。


でも何故か、こんなものまで展示されています。
これは…映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場するタイムマシンカー「デロリアン」ですよね!?
どうも撮影に使われた実車っぽいですが、何でデロリアンがワルシャワの科学技術博物館に…
う~ん、カオスだ!(笑)

科学技術博物館の館内は思ったより広く、いくつもの展示室があります。


これは印刷技術に関する展示でしょうか。


豊富な鉱物資源に恵まれていて鉱業の盛んなポーランドらしく、鉱物に関する標本展示はとても充実していました。


コンピュータの歴史と発展についての展示室もあります。


軍事に関するコーナーでは、旧日本軍の軍用機の模型も大量に展示されていました。

そして、模型コーナーのようになっている一画にはこんなものが。


ソ連の宇宙船「ソユーズ」です!
7K-OKとありますから、初期のバージョンですね。

そう、科学技術と言えばやっぱり宇宙科学。
ワルシャワ科学技術博物館には、宇宙に関する大きな展示室もあったのです。

23:ASTRONAUTYKA 宇宙科学展示室に続く

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 21:Sestokai 終着駅、そして鉄路は続く

2013-02-16 | 鉄道
Šeštokai geležinkelio stotys


20:Trakiszki 国境地帯を列車は往くからの続き



終着駅Sestokaiに到着したワルシャワ発の国際列車「HAŃCZA」号。
ここはリトアニアの南の果て、ポーランドとの国境からは十数キロ程しか離れていません。
駅の周りには、木材の積み出し基地と思われる施設がある以外は数軒の民家が建ち並ぶ小さな集落が見えるのみ。
雰囲気はまさしく“辺境の駅”です。

こんな駅が、どうして国際列車の最終目的地なのでしょう…?



「HAŃCZA」号は、このままSestokai駅で折り返してワルシャワ行きの列車となり、ポーランドに戻ります。
僕も「HAŃCZA」号と一緒に、今日中にワルシャワに帰らなくてはなりません。
何しろSestokai駅とワルシャワとを結ぶ列車は1日1本、この「HAŃCZA」号だけなのですから、
もし乗り遅れてここに取り残されたりしたら大変です!

所定のダイヤではSestokai駅到着後に“機回し”を行い、進行方向を変えてから、15分後に発車することになっていますが、
今日は30分程遅れて到着したので、既に定刻の発車時刻は過ぎています。
機関車の入れ替えと連結作業が済み次第すぐに発車してしまうと思われますので、
残念ながら駅の周りをゆっくりと見る時間はありません。
せめて、プラットホームに降りて列車の横を歩いてみることにしましょう。
列車が発車しそうになったら、すぐに近くの乗降ドアから乗り込むことが出来ますからね。

Sestokai駅に停車中の「HAŃCZA」号の編成の横を歩いて行くと…



同じプラットホームの向かい側に、リトアニア鉄道の列車が停車していました。
眺めていると、車掌さんから
「Kaunas(カウナス)か?早くこれに乗れ!」
と声を掛けられ手招きされます。
カウナスはリトアニアの都市名です。そう、この列車は「HAŃCZA」号の到着を待っていたリトアニア鉄道のカウナス行き列車。
「HAŃCZA」号は、Sestokai駅でこの列車に接続して、
ワルシャワとカウナス、さらにその先のリトアニア国内の各都市とを結ぶという使命を帯びた国際列車だったのです。

思わずカウナス行きの列車に乗り込んでしまいたくなりますが、我慢して
「No,Warszawa! 違うよ、ワルシャワに行くんだよ」
と応えます。
その時、プラットホームの向こうから「HAŃCZA」号の編成に機関車を連結する音が聞こえてきました。



「ああ、もう列車が発車する…僕は帰らなくちゃ…」

急いで「HAŃCZA」号の最後尾の車輌に乗り込みます。
1日に1本の列車を見に来たらしい地元の子どもたちが、見慣れぬ東洋人の旅行者に奇異の眼差しを向けて
笑いながらプラットホームを走っていきます。




「HAŃCZA」号の発車を待たずに、カウナス行きのリトアニア鉄道の列車が先にSestokai駅を発車していきました。






走り去るリトアニア鉄道の列車。
あの広軌の線路は、この先カウナスへ、そしてさらにその先のリトアニアの街へと続いています。
いつか、僕もこの先まで行きたい…

カウナスは第二次世界大戦期にはリトアニアの臨時首都であり、
そこにあった日本領事館に赴任していた杉原千畝外交官がドイツ領内からの大量のユダヤ人難民に対して
「命のビザ」を発給し続けていた地であったということを知ったのは、
旅を終えて帰国した後、改めてカウナスについて調べていた時です。
…これは、本当にいつの日かカウナスに行かないといけませんね。勿論、あのリトアニア鉄道の列車に乗って!


そして「HAŃCZA」号も、Sestokai駅を発車します。
束の間の、国境地帯の駅での滞在でした。

車窓には夕闇が迫っています。
リトアニアの大地に、2013年最初の日の太陽が沈もうとしています…






「HAŃCZA」号は夕陽を追いかけて走ります。





どうか今年も、世界が穏やかで良い一年になりますように…!

帰り道は順調でした。
夜のポーランドを駆け抜けて、殆ど定刻通りの午後8時50分頃、
「HAŃCZA」号はワルシャワ中央駅に帰って来ました。


終わり良ければ全て良し、いい旅が出来たことに先ずは感謝!
(あっ、そう言えば何故か帰りのリトアニアからポーランドへの国境通過ではポーランドに入国した直後に国境警察の職員が列車に乗り込んできて
パスポートチェックがあったなぁ…
何で帰りだけ国境検問があるんだろう?まぁ僕の場合は何も問題なかったから別にいいんだけど。)


帰りの「HAŃCZA」号は途中の駅でかなり乗客を拾って、2等車は混雑していたようです。
皆さんも、長旅お疲れ様でした。



Sestokai駅では大急ぎで折り返し発車したせいか、サボは帰りもWarszawa発Sestokai行きのままでした。
こういうところが大らかというか、実にアバウトなのがポーランド国鉄らしさかな(笑)

「HAŃCZA」号はワルシャワ中央駅から先のワルシャワ西駅まで走ります。
終着駅のワルシャワ西駅まで、最後にもうひと頑張りです。


「今日はお疲れ様。そして、ありがとう『HAŃCZA』号!明日からも、故障には気をつけて元気に走ってくれよ。」







正体不明の国際列車「HAŃCZA」号は、
ポーランドの首都ワルシャワとリトアニアの各都市を結ぶ為に走る1日1本だけの貴重な列車でした。
国境地帯の小さな終着駅Sestokaiには、線路の幅の違いを乗り越えて二つの国をつなぐ乗り継ぎのドラマが待っていました。
終着駅は列車の最終目的地ではありません。
その先にも、まだ線路は続いていました。終着駅のその先へ、旅はまだまだ続くのです。

いつの日か、僕もその先の鉄路を旅したい。そんな想いと共に、今夜はホテルに帰ります。
明日はワルシャワを去ります。
今回の旅は折り返し点を過ぎました。明日からは、日本への帰り途が始まります。

22:MUZEUM TECHNIKI 科学技術博物館に続く

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 20:Trakiszki 国境地帯を列車は往く

2013-02-16 | 鉄道
Trakiški geležinkelio stotelė


19:Bialystok 「HANCZA 」号にトラブル発生!からの続き



Białystok駅を発車した「HAŃCZA」号は、これまでのトラブルで生じてしまった1時間の遅れを取り戻そうとばかりに
かなりの速度で飛ばしていきます。
Białystok駅では列車の先頭に立つ機関車が非電化区間用の大型ディーゼル機関車に交換されましたが、
同時に編成の後方では何輌かの2等車の客車も切り離されました。
編成が短くなったせいか、列車の足取りも軽くなったようです。

…でも、どうせ編成を切り離すなら、さっき床下機器にトラブルが発生して列車の遅れの原因になっていた客車も
わざわざ操車場に引き込んで修理しなくても、さっさと切り離して置いて行っちゃえばいいのにな。
敢えてそうしないのがポーランド国鉄の流儀?(笑)



国境地帯を目指し走る「HAŃCZA」号の車窓には、美しい森林と田園風景が交互に現れるようになりました。





「HAŃCZA」号の頑張りはたいしたもので、駅に到着する毎に遅れが回復していきます。
国際列車を大幅遅延させてリトアニアに迷惑をかける訳にはいかぬとばかりに、ポーランド国鉄が本気を出したようです!






やがて車窓には針葉樹林越しに、凍結した湖が見えてきました。
ポーランドとリトアニアの国境地帯は森と湖が散在する湖水地方となっており、
コテージや、湖の湖畔にプラットホームを設えた臨時駅のようなものもあります。
夏のシーズンにはこの辺りも、観光客が訪れるリゾート地になるのかも知れません。

ちなみに今乗っている列車の「HAŃCZA」号という愛称も、この湖水地方にある湖の名前から取られているようです。


午後1時過ぎ、赤レンガの重厚な駅舎が印象的なSuwałki駅に到着。
この時点で、列車の遅れは半分の30分にまで縮まりました。


Suwałki駅でリトアニアに向かう路線とポーランド国内北部へと向かう路線が分岐する関係で、
「HAŃCZA」号は“機回し”を行い、進行方向を変えます。


Suwałki駅を発車し、雪に覆われた原野の中を進む「HAŃCZA」号。車窓にはいかにも国境地帯らしい景観が広がります。
そしてこの先の区間を走る旅客列車は、1日1往復の「HAŃCZA」号だけなのです。

午後1時45分、ポーランド国内で最後の停車駅であるTrakiški駅に到着。







Trakiški駅を出たら、もう終点であるリトアニアのSestokai駅まで停車駅はありません。

辺りの風景はいよいよ荒涼としてきました。無人の原野が、地平線の向こうのリトアニアまで広がっています…



リトアニア共和国は1990年のバルト三国独立までは、ソビエト社会主義共和国連邦に組み込まれていました。
同じくポーランドもソ連の衛星国であり、つい20年ほど前まではこの辺りは「鉄のカーテン」の向こう側。
しかも軍事的に重要な国境地帯ということで、
“西側自由主義陣営”からの旅行者が足を踏み入れる等ということは絶対に不可能だったことでしょう。
今こうして、誰もがパスポートさえ携えていれば自由に列車に乗ってここへやって来ることが出来るということは、
本当に素晴らしいことだと思います。

そして…この自由を手にする為に、多くの人が闘い血を流し、苦難を耐え乗り越えてきたことを忘れてはならないと感じます。

世界を自由に旅することを愛する者として、自由のために闘った人々に感謝の気持を捧げずには居られません。

午後2時7分頃、「HAŃCZA」号は時刻表には載っていない駅を通過しました。

恐らく、ここがMockava国境駅。
ポーランドとリトアニアが共に、欧州の国境での入国審査を撤廃する「シェンゲン協定」に参加した2007年までは、
ここで列車の乗客の出入国管理が行われていたのでしょう。
今ではパスポートコントロールも行われないので、1日1往復だけの旅客列車である「HAŃCZA」号も素通りしてしまいます。

しかし、実は僕はこの駅である手続きが必要となります。
僕の持っている中欧5カ国の列車が乗り放題となるヨーロピアンイーストパスは、リトアニアでは有効ではないのです!
でも大丈夫。
事前に国境のMockava駅から終点のSestokai駅までの乗車券をヨーロピアンイーストパスと同時に手配しておいたので、
安心して素通り出来ます。

さあ、いよいよ初めての国、リトアニア国内に入ります!!


Mockava国境駅の構内を出る分岐機を渡るところで、面白いことに気が付きました。
どうやら、この先の区間はポーランドから続くヨーロッパの鉄道線路の規格である標準軌(線路幅1435mm)よりも線路幅が広い
ソ連規格の広軌となっているようなのです。
「HAŃCZA」号は、明らかに今までより幅の広い線路に乗り移ったように見えました。
しかし、Mockava国境駅では停車せずに通過してしまったので、
もちろん車輌の台車を標準軌のものから広軌のものへと履き替えたりはしていません。
(ポーランドからベラルーシへと直通する国際列車では、実際に国境駅で台車の履き替えを行なっているそうですが…)

一体どうなっているのかと、列車の最後尾の車輌へと行って後方の景色を見てみると…

何と、レールが4本も敷かれています!



どうやら標準軌と広軌の線路を互い違いに敷設しているようです。
レールを3本並べて、2種類の線路幅に対応できるようにした「三線軌条」は世界中で割とよく見かけますが、
4本も並べた「四線軌条」というのは初めて見ました。

傾いた冬の太陽が、四線軌条のレールを穏やかに照らしています。
夕暮れの近づいたリトアニアの雪と氷の原野を、ラストスパートです!






午後2時半頃…
いや、ポーランドとリトアニアの間には1時間の時差があるので
1時間進んで午後3時半頃。
国際列車「HAŃCZA」号は約30分遅れで終着駅Sestokaiに到着しました。
ワルシャワから7時間半の旅でした。

21:Sestokai 終着駅、そして鉄路は続くに続く

Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 19:Bialystok 「HANCZA 」号にトラブル発生!

2013-02-14 | 鉄道
Dworzec kolejowy w Białymstok


18:HANCZA リトアニア国境行き国際列車からの続き

ワルシャワを離れ、一路リトアニアを目指しひた走る「HAŃCZA」号。
元日の静かな朝を迎えた小さな町の駅にこまめに停まりながら、まるでローカル線の列車のような、
のんびりとした国際列車の旅です。


インターネットの時刻表サイトからダウンロードして持参した「HAŃCZA」号の運行時刻表を見ながら、
スコアを付けるように所定の各停車駅の着発時刻の横に実際の時刻を書き込んでみることにしました。

スコアを見てみると途中で定時より少し遅れて駅に着いたり、その後一生懸命走って遅れを取り戻したりを繰り返しながら、
まあそれなりに順調に走っていた「HAŃCZA」号ですが…
ワルシャワを出てから3時間程走った辺りで、駅に停車したまま動かなくなってしまったのです。
発車時刻を過ぎても走り始める気配の無い「HAŃCZA」号。
一体何があったのでしょうか?




コンパートメントの窓を開けて、プラットホームの様子を見てみると、
乗務員が集まって、何輌か先に連結されている客車の床下を覗き込みながら途方に暮れている様子。
何か車輌トラブルが発生しているようです。
ポーランド国鉄の列車は車内の清掃と手入れが行き届いているので、よく整備されていると感心したばかりなんですが…
やはり長年使い込まれてきたと思しき年季の入った車輌なので、それなりに傷みやガタが出てきてしまったのでしょうか。

それにしても、これは困った。下手をすると運転打ち切りか、別列車に振替輸送か?
しかし、何の説明も案内も無いままです。辛抱してこのまま待つしかありません。
結局、駅に停まったまま20分くらい経ったところでいきなり発車。でも、トラブルが解決した訳ではなく
「とりあえず、騙し騙し走ってみようか?」という感じで、ゆっくりゆっくり足元を確かめるように頼りなく進みます。


徐行運転で30分以上遅れて、Białystok(ビャウィストク)駅に到着。
ここはリトアニア方面行きの路線とベラルーシ方面行きの路線の分岐駅です。



この駅で機関車交換が行われるようなので、プラットホームに降りて見に行きました。


ワルシャワから「HAŃCZA」号を引っ張ってきたギョロ目の青い電気機関車が切り離されます。








続いて、日本のJRのDE10型機関車によく似たスタイルの凸型のディーゼル機関車が連結されました。
このまま非電化区間に向かって出発かと思っていたら、どうも様子がおかしいような…






何と、駅構内でスイッチバックして駅の隣にある操車場の中へと押し込まれていきます!
そのまま操車場内の車輌検修区と思われる場所まで運ばれて、
そこで待ち構えていた整備士が先程トラブルが発生していた客車の床下に潜り込んで何やら作業を始めました。

…どうやら、乗客を乗せたままの営業列車を直接検修区に取り込んで応急修理してしまうつもりのようです。
日本では考えられないアバウト過ぎるやり方ですが、鉄道ファンとしては正直「凄い!面白い!楽し過ぎる!!」


応急修理を済ませた「HAŃCZA」号は、再びBiałystok駅のプラットホームに据え付けられ、
改めて本線用のディーゼル機関車が連結されて、1時間遅れでようやく発車しました。

終着駅Sestokaiまではまだ道程半ば。
この先、「HAŃCZA」号は果たして無事にリトアニアへと辿り着くことが出来るのでしょうか?

20:Trakiszki 国境地帯を列車は往くに続く