天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

2013初夏・北欧バルト海紀行 #032:KLM869便(アムステルダム→福岡)帰国、想い出の地を飛び越えて

2013-06-30 | 旅行

#031:オランダ・アムステルダム中央駅で高速列車タリスを眺めるからの続き

アムステルダム中央駅からスキポール駅に戻って来ました。

時間はちょうど正午。わずか4時間のアムステルダム散歩でした。

スキポール駅の真上の空港ターミナルビルに上って出国手続きを済ませたら、これから福岡直通の飛行機に乗って、いよいよ日本に帰ります。

帰りの飛行機はKLMオランダ航空869便、福岡空港行き。
スキポール空港の搭乗ゲートでFukuokaの行き先表示を見ると、やはり新鮮ですね。
ヨーロッパと九州が一つにつながる時代が来たことを実感します。




帰りに乗る機材も、行きと同じKLMオランダ航空のボーイングB777-200。
でも、機体にはオランダ王室の王冠をあしらったKLMオランダ航空のロゴの代わりにasiaと記載されています。
これはKLMオランダ航空が台湾に乗り入れ運行を始めた際に中国(中華人民共和国)政府から嫌がらせ目的の政治的圧力を受けたため、それをかわす目的で一見別会社のようなダミー塗装の機材を用意してしたたかに対応した時の名残り…らしいのですが、実際には台湾線専用の機材という訳でもなく日本へも運行しているようです。




このB777-200の機体愛称はMount Kilimanjaro号、もちろんアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山のことですね。
それにしても、本来は台湾用に用意された機材なのに福岡行きで、しかも何故キリマンジャロ…
KLMオランダ航空、色々とアバウトすぎるような(笑)

ところで、「キリマンジャロ」号の後ろの遥か彼方の誘導路の先に、飛行機の機体のような妙なものが見えるのが気になるのですが…

望遠で見るとこの通り。この形状はどう見ても…ジャンボジェットのボーイングB747?
でも航空会社の塗装が施されていないし機体は汚れて錆だらけ、主翼はあるけれどエンジンが見当たらず窓もありません。
よく見ると機体後部の垂直尾翼が途中で切り取られたようになっていて、筒状の別部品が取り付けられているようにも見えます。
これは一体、何なんでしょうか?
この謎のジャンボジェット機の正体をご存じの方が居られましたら、是非コメント欄に書き込んで教えて下さい!

午後3時頃、KLMオランダ航空869便はスキポール空港を離陸。




眼下にオランダの北海沿岸の街を見ながら一路、ヨーロッパの空を日本へ向かって飛んでいきます。

離陸後、機体が巡航高度に達して水平飛行になると同時にウェルカムドリンクが配られます。


そしてすぐに一回目の機内食。



チキン料理を選んだら、サフラン風味のチキンライスでした。
デザートの、チョコレートがたっぷりかかったシュークリームがいかにもヨーロッパ風で美味しかった!

食事をしているうちに、気が付けばKLM869便はバルト海に出ていました。
そのまま、バルト三国へと進路を取ります。そしてエストニアの上空へ…
座席のモニタに、旅の間にすっかり馴染んだTallinn(タリン)やTartu(タルトゥ)、そしてHelsinki(ヘルシンキ)の都市名が表示されています。



飛行機は、エストニアの平原の上を飛んでいきます。タルトゥからタリンまで、旧ソ連製のエストニア鉄道の列車で走った区間の上空を突っ切って行くようです。
わずかな期間の滞在でしたが、想い出がたくさん残った北欧バルト海地方。エストニア、そして遥かな水平線の向こうのフィンランド。
旅の最後に空の上からもう一度、想い出の地を見ることが出来ました。



ロシアの上空に出たところで、機内が消灯されて就寝モードになりました。

飲み物が配られるワゴンに、見慣れない缶が載っていたのでもらってみたらミネラルウォーターのペリエでした。
日本で売っているものとは缶のデザインがずいぶん違います。



よく見ると、ギリシャ・スペイン・ポルトガル専用品というような記載が…
何故そんな商品がオランダ発日本行きの飛行機で配られるんだ?

ガス入りミネラルウォーターを飲んでお腹がふくれましたが、さらにガッツリ夜食も頂きます。
KLMオランダ航空ではCAにリクエストすると、エコノミークラスの乗客にもこっそり夜食のカップ麺をくれるらしい…という噂を以前から聞いていて、実際に就寝時間の機内にインスタントラーメンの匂いが漂っていたこともあったので気になっていたのですが、思い切ってギャレーに行って「あの~、カップ麺とかもらえます?」と聞いてみたらホントにくれました!
KLMオランダ航空エコノミークラスの裏メニュー(?)、日清のカップヌードルの欧州バージョン品です!



気圧の低い機内用の特別品という訳ではなく、地上のスーパーマーケット等で一般的に売られているのと同じもののようですが、ギャレーのコーヒーサーバーのポットから入れてもらったお湯でも普通に美味しく出来上がりました。
嗚呼、懐かしい日本の味!
でも、真っ暗な寝静まった機内にカップ麺をすする音と香ばしい匂いが漂うので、やはり少し気恥ずかしいです(笑)


夜食のカップヌードルを食べ終えると、今度はアイスクリームが配られました。


その後、トイレに行くついでにギャレーのおやつコーナーからスナック菓子ももらってきました。
…って、どれだけ食べるんだ我ながら!


結局、散々食べまくっているうちにKLM869便はシベリアを横断してモンゴルの上空に到達してしまいました。
このまま南下してゴビ砂漠上空を通り、南側から直接九州に向かうルートを飛ぶようですね。

そして機内が明るくなり乗客が起こされて、二回目の機内食。



豆とマッシュポテトとスクランブルドエッグの、定番の朝食メニューです。
さすがにあれだけ夜食とおやつを食べまくったので胃が重いのですが、これもしっかり完食。
日本に着いても、当分は何も食べなくても大丈夫です(笑)





2013年5月4日

朝8時、KLM869便は福岡空港に着陸。日本に、九州に帰って来ました!
出発した時と同じ、国際線ターミナルビルから一番遠い駐機スポットに沖止めしたB777-200「キリマンジャロ」号に地上から別れを告げます。

…旅が終わりました。
一昨年の年末以来、四回に渡り続けてきた「鉄道と宇宙、そして音楽と芸術」 をテーマにしたバルト海沿岸の国々の旅に、ひとまずこれで終止符を打ちます。
幸いなことに、たいしたトラブルもなく毎回無事に帰ってくることが出来ました。終わりよければ全てよし…

だがしかし。
最後の最後で、終わりよければ全てよくいかなかったのです。
福岡空港に着陸する直前、CAが唐突に
「たった今、スキポール空港から連絡が入りました。手荷物預かりシステムにトラブルが発生して、この飛行機に搭載する予定だった大型の荷物コンテナが1個、スキポール空港に置いたままになっていることが判明したそうです。相当多数のお客様のお荷物が、この飛行機に乗っていない可能性がありますので、手荷物受取所で荷物が出てこないお客様は係員にお知らせ下さい」
と、とんでもない事をアナウンス。
ええ~!?なんてこったい…

結局、僕のトランクも手荷物受取所のターンテーブルからいつまでたっても出て来ませんでした。
「ああ、何てことだ。旅の最後の最後でこんな冗談みたいな理由で、長年愛用してきた大事なリモアのトランクをロストバゲージするとは…

これはもう、次の旅では最後まで問題なく上手くいくように願って、また旅に出るしかないな!!

という訳で決意も新たに、僕はまた旅に出ます。
次の旅の目的地は、アメリカ合衆国!
首都ワシントンDCに君臨する世界一の博物館「スミソニアン博物館」で、さらに深く科学と芸術の空間にどっぷりと浸ってくるつもりです。

天燈茶房TENDANCAFE 2013-2014スミソニアン博物館ツアー
2013年12月28日出発予定



それでは皆さん、年末にまた旅先でお会いしましょう!
今回の旅で出会った人々、お世話になった全ての人々に感謝を込めて。天燈茶房亭主mitsuto1976 拝

追記:スキポール空港に取り残されていたリモアのトランクは、
関係者の皆さんが頑張って探してくれたおかげで帰国の3日後に無事に僕の手許に戻りました。
(→荷物も無事に帰ってきました 2013年05月07日

2013初夏・北欧バルト海紀行 #031:オランダ・アムステルダム中央駅で高速列車タリスを眺める

2013-06-30 | 鉄道
THALYS


#030:オランダ・アムステルダム街歩き 静かな運河と混沌の路地裏の散歩からの続き

オランダの首都アムステルダムの陸の玄関、アムステルダム中央駅。
オランダ国内を走る列車はもとより、ヨーロッパ各国との間を行き交う国際列車や高速列車が発着する交通の要衝であり、とても賑やかな駅です。
次々にやって来る個性的な列車たちを眺めているだけでも楽しく、見飽きません。

スキポール空港へと戻る前に少しだけ、アムステルダム中央駅で列車を眺めて、ヨーロッパの鉄路の旅に思いを馳せることにしました。


黄色いオランダ鉄道標準色の「げんこつスタイル」の電気機関車に牽引された、ドイツ鉄道の寝台車。
モスクワやワルシャワからの寝台車も併結した、本格的な国際寝台列車です。古き良き欧州国際寝台列車の薫りを残すこんな列車が、まだ現役で運行を続けていたんですね。
ああ、いつかロシアまで乗ってみたい!


発車していくこの列車、オランダ国内線の高速列車Fyraです。
ベルギーまでの国際運行を行うべく新造した最高速度時速250キロの専用電車がトラブル続きで運行停止処分となり、代役の客車列車のみがかろうじてオランダ国内だけで運行を続けているというかなり残念な高速列車Fyra、どうやらこのまま運行終了となってしまいそうなのです。
走り去る後ろ姿が何とも寂しげに見えます…


こちらは全車2階建ての、オランダ国内線のインターシティ列車。
スキポール空港方面へも走るのですが、駅の構内アナウンスで「この列車はサプリメント(追加料金)が必要なので、乗車前にサプリメントのチケットを買っておくように」と放送していたので、ついケチって乗りませんでした。
オランダまで来ておきながら、我ながらセコい(笑)

追加料金無しで乗れるのは、このスプリンター列車。
ずいぶん速そうな名前ですが、実質各駅停車の普通列車です。



スプリンター列車は編成が短く高頻度で運転しているせいもあってか、アムステルダム中央駅では効率よく列車を捌くために一つのプラットホームに2本の編成が同時に停車していて、それが別々に発車したりもします。
プラットホームの中央付近で渡り線を使って、器用に他の編成をかわして出て行ったりするのはなかなかお見事です。

このように数多くの列車が行き交うアムステルダム中央駅ですが、その中でも一際目立つ特別な存在感を放つ列車があります。


流線型のスマートなボディにセンスの良いロゴを散りばめ、欧州メーカーのスポーツカーのような艶やかで深い真紅をまとったこの列車…
オランダとベルギーとフランスを貫き、アムステルダム中央駅とパリ北駅との間を所要時間わずか3時間半、最高速度時速300キロで結ぶ国際超特急。
高速列車タリス(Thalys)です!


かつては“陸の豪華客船”と讃えられた欧州横断特急TEEが数多く運行され、「イル・ド・フランス」や「エトワール・デュ・ノール」等の綺羅星のような名列車たちが行き交った西ヨーロッパの三都を結ぶ鉄路を、現在はファッショナブルな赤い超特急タリスが颯爽と駆け抜けています。


タリスは日中は毎時1本運転。
1時間に1回、アムステルダム中央駅のドーム屋根の下に真っ赤な超特急が現れ、周囲の乗客の視線を一身に集めます。




お昼のパリ行きタリスがアムステルダム中央駅で出発を待ちます。
タリスの車輌はフランスの超特急TGVをベースにした専用編成でいくつかのバージョンがありますが、これは丸みを帯びた車体デザインが特徴で客車が2階建ての「TGVデュプレックス」がベースになっている車輌のようですね。ただしタリスの客車は2階建て構造にはなっておらず、全ての編成が平屋構造の客車を使用しています。
ボンネット部にオランダ王室の王冠のエンブレムを戴いた、オランダ鉄道の所有する編成です。


まもなく、アムステルダム中央駅からタリスがパリに向かって出発します。
旅立つタリスを見送ることにしましょう。



…さあ、僕もスキポール空港へと戻りましょう。
あのタリスがパリ北駅に到着する頃、僕もアムステルダムを飛び立ち、北海に沿ってヨーロッパの上空を北上している筈です。

#032:KLM869便(アムステルダム→福岡)帰国、想い出の地を飛び越えてに続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #030:オランダ・アムステルダム街歩き 静かな運河と混沌の路地裏の散歩

2013-06-29 | 旅行

#029:さらばエストニア、また来る日までからの続き


スキポール空港からアムステルダムの街までは、空港のターミナルビルの直下にあるオランダ鉄道のスキポール駅から電車に乗って20分足らずで行くことが出来ます。
ただし、空港ターミナルビル内にある駅の窓口は慣れない外国人旅行者で大混雑しているし、チケット自販機も微妙に使い難いせいで人だかりが出来ており、チケットを購入するのに一苦労…
しかもスキポール駅からアムステルダム中央駅までは往復割引きっぷでも7.80ユーロもします。物価の安かったエストニアから来ると、余りの高額にちょっとしたカルチャーショック(苦笑)


大枚叩いてやって来た、ここがアムステルダム中央駅。
威風堂々としたネオゴシック様式の赤レンガ造りの駅舎は、東京駅の丸の内駅舎のモデルとも言われていました。
実際にはビクトリア様式の東京駅とは建築様式が全く異なるそうで、建築学上は縁が無いそうなのですが、それでもやはりどこか東京駅に似ているような気もします。


↑サムネイルをクリックすると大きな画像が開きます↑



アムステルダム中央駅の駅前広場からは、市内各方面へと向かうトラム(路面電車)が発着しています。
トラムに乗ってのんびりアムステルダム散歩を楽しみたいところですが、あいにく今日は時間がありません。中央駅の周辺を少しだけ、徒歩で見て回ることにしましょう。

駅前広場から伸びる大通りを道なりに進んでいくと、大きな建物に囲まれた広場に出ます。
ここがアムステルダム旧市街の中心、ダム広場です。


ダム広場で一際目を引くこの重厚な建物がオランダ王室の王宮です。こんな街のど真ん中に王宮があるんですねぇ。
しかも、つい3日前の4月30日にはこの王宮でウィレム・アレクサンダー新国王の即位式が行われたばかり。
日本からも皇太子ご夫妻が出席されたので話題になりましたね。

ダム広場の周辺には王宮の他にもアムステルダム新教会や老舗のデパート、そしてマダム・タッソーの蝋人形の館やレストラン等が並んでいます。
観光客も多く集まり、まさにアムステルダムの中心地といった賑やかさです。


↑サムネイルをクリックすると大きな画像が開きます↑


でも、喧騒のダム広場と大通りから一歩、路地裏に足を踏み入れると、そこには静かに流れる運河が…



アムステルダムの街の象徴でもある運河。
元々アムステル川に築かれた堰を中心に発展してきたという歴史を持つ水の都アムステルダムには、網の目のように運河が巡らされており、水辺の美しい都市景観を作り上げています。
世界遺産にも登録されているアムステルダムの運河の穏やかな流れを楽しみながら、暫し散策…




運河に係留された船や水面で遊ぶ水鳥たち。
まるでアムステルダムの街そのものが水辺公園のようです。





しかし、美しい運河のすぐ脇には混沌とした裏町が広がっています。




狭い路地の奥に彷徨い入る時は要注意!何故なら…

そこは飾り窓地区かも知れないからです!

王宮とダム広場のすぐ近く、静かな運河から通り一本隔てた場所には、先進国とされているオランダの首都の中心部であるにも関わらず無秩序に広がる売春地帯…


飾り窓などと言うときれいに聞こえますが、実際には、まぁ目を背けたくなるようなおぞましさが漂う場所です。
何しろ、通りに面して並ぶショーウィンドウの向こうから本物の、気迫漂う「売春婦」がガラス窓を叩いて、ぼんやりと歩いていた僕に向かって商売を持ちかけてくるのですから…
あの気持ちの悪さ、居たたまれなくなるような気分は、とても言い表せません。
しかもここは、アムステルダム旧教会の聖堂の真横なのです。

…真っ昼間に、観光客や子どもも普通に入って来られる場所で、しかも教会のすぐ隣で、売春が合法的に堂々と行われているというアムステルダムの現実。
僕には全く理解出来ません。オランダの人々は、これを本当に21世紀の当たり前の光景だと思っているのでしょうか?
聞いてみたい気がします。


日本では売春は禁止されていますが、ヨーロッパでは合法である場合が一般的です。
しかし、例えばドイツの港街ハンブルグにも歓楽街レーパーバーンがあり売春が行われている地帯がありますが、そこは事情を知らない観光客や一般市民、ましてや子どもや女性が間違っても入り込まないように明確に区切られ、入り口には見張りの警官まで立っています。
アムステルダムのように通り一本隔てて売春地帯などという街は、かなり異常だとしか思えないのですが…


オランダでは飾り窓の他にも街中に公然と大麻や一部の薬物を提供するいわゆる“コーヒーショップ”と呼ばれる店もあり、まあそういう国なんだと言ってしまえばそれまでですが、やはり僕はオランダのこういうところが根本的に理解出来ないのです…
アムステルダムの運河があれ程美しいだけに、その光と影の落差と混沌に考え込まざるを得ません。
考えても解答は出そうにないのですが…


少々考え疲れてうつむき加減で歩いていたら、こんな素敵な窓を見つけました。
こういう窓ばかりなら、もっと楽しい街になるでしょうね。僕も元気が出て来ました。

そろそろ中央駅に戻ろうかと思い、ダム広場の大通りへと向かう途中、
路地の向こうが一面、桃色に染まっているのに気が付きました。



路地の奥は幼稚園で、その庭に八重桜のような花が咲いていたのです。

…清濁併せ呑む、混沌としたアムステルダムの街にも春の花が咲く。
色々とあるこの街もまた、大きな空の下の広い世界の一部なり。


さあ、帰りましょうか。

#031:オランダ・アムステルダム中央駅で高速列車タリスを眺めるに続く

梅雨時のももちゃん

2013-06-25 | ねことか
雨の日は眠い?ももこ


このところ北欧バルト海の旅行記に夢中になっていて、すっかりご無沙汰の京都在住アメショーももちゃん。
今日、「最近、全然ももの記事が上がってない!」と京都の妹夫婦から苦情が来たので緊急特集(笑)


先月の10日は8歳の誕生日だったみたいね。
誕生日の記事を書かなくてゴメン寝。


ライオンキング。ねこだけど。


梅雨時なのでベッドに生えた謎の新種キノコ。


雨空を見上げて、またね~



2013初夏・北欧バルト海紀行 #029:さらばエストニア、また来る日まで

2013-06-23 | 旅行

#028:旅先での食事事情からの続き

2013年5月3日

今日はいよいよ、エストニアの地を離れます。
早朝5時にタリン空港へ向かい、オランダのアムステルダム行き便にチェックイン。

搭乗ゲートへと向かう通路に、こんな写真展示コーナーがありました。

これまでにタリン空港を訪れたセレブリティ・有名人たちの記念写真集のようです。
国際的に有名な政治家や文化人、スポーツ選手のタリン空港でのスナップ写真が並んでいます。

スポーツ選手のコーナーには、この人の姿も。

大相撲の関脇、把瑠都 関。故郷エストニアに帰省した時のスナップでしょうか。
この後の平成25年五月場所では残念ながら7日目の稀勢の里 との取り組みで敗れた際に左膝を傷めてしまい翌日から休場となってしまいましたが…
恵まれた身体を持つ豪快な力士ですので、是非とも今後復活してエストニア人の大和魂を見せて欲しいところです。

タリン空港は、エストニアの首都の空の玄関である国際空港ですが、ターミナルビルはこじんまりとしていて日本の地方都市の空港のようです。
就航している航空機もパスポートチェック免除の「シェンゲン協定」が適用される欧州各国へと向かう便が主体なので、出国審査場も見当たりません。


フランクフルトかミュンヘンへと向かうルフトハンザドイツ航空機が駐機していました。
そう言えば、ベルリンからワルシャワへと向かう国際特急列車「ベルリン-ワルシャワ-エクスプレス」号のルートを将来的に延長する形で、ベルリンからワルシャワ、リトアニアのヴィリニュス、ラトビアのリガを経由してエストニアのタリンまでを高速列車で直結するという気宇壮大としか言いようのない計画(その名もRail Baltica計画!)も検討されてはいるようなのですが…
タリン駅にベルリン中央駅から直通の国際高速列車が乗り入れるのは、いつの日になることやら。


これが、今から乗る飛行機。
エストニアに来る時も乗ったエストニアン・エア(エストニア航空)のCRJ900、KLMオランダ航空2833便とのコードシェア便であるエストニア航空0173便です。




タリン空港を午前6時45分に飛び立ったCRJ900は、名残惜しいタリンの街並みを眼下に眺めながらバルト海に沿って南下していきます。


さらばエストニア、また来る日まで!




バルト海からスカンジナビア半島の南端、デンマークの上空を横切って、約2時間半でアムステルダム・スキポール空港に到着。
途中で東ヨーロッパ時間から中央ヨーロッパ時間への時差も飛び越えているので、朝8時にアムステルダムに降り立ちました。

スキポール空港からは日本の福岡へと飛ぶKLMオランダ航空869便に乗り継ぎますが、KLM869便の搭乗開始時刻は午後1時40分なので乗り継ぎ待ち時間が5時間以上あります。
今日はいい天気だし、重くてかさばるトランクはタリン空港でチェックインする際に福岡まで直通の預け入れ荷物にしてしまったので手ぶらで身軽です。

…旅の最後に、これからちょっとアムステルダムの街まで遊びに行きましょう!

#030:オランダ・アムステルダム街歩き 静かな運河と混沌の路地裏の散歩に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #028:旅先での食事事情

2013-06-22 | 食べる

#027:エストニア・タリン郊外の駅と近郊電車からの続き

ヨーロッパのパンは、とにかく美味い!
日本の主食、炊きたてご飯が美味しいように、ヨーロッパの主食であるパンは本当に美味しいのです。
ふっくら軟らかい日本のパンと違って、生地の密度が高くぎっしりと練りこまれていて噛み締める食感があり、食べ応えがあります。
エストニアのスーパーマーケットにはたいてい自家製パン専用のコーナーがあって、いろいろな種類のパンを選んで買うことが出来たので、毎日違う種類のパンを買って食べ比べをしていましたが…飽きませんね。また食べたい!


旅行中は野菜不足対策で、サラダもよく買って食べます。
左はコールスローのようなタイプで、右は白菜のサラダ。エストニアでは生野菜のサラダといえばキャベツではなく白菜のようです。白菜が生でも美味しいとは知りませんでした。
ちなみに、サラダはどちらも1つ1ユーロ以下。エストニアは物価が安いので助かります。


何となく買ってみた飲み物。多分、レモネードだと思う…うん、そんな感じの味だった(笑)
飲み物に関しては、国民性というか地域性が出ますね。妙に個性的なものが多いです。

一方こちらは、日本ではまずお目にかかれないかもしれない一品。



ロシアのノンアルコールビールです。
エストニアは酒類の価格が安いのでバルト海の対岸のフィンランドから大量に買い付けに来る人も多いようですが、そんなエストニアのスーパーの酒売り場でも特に安くて品揃え豊富なビールはロシア製でした。
しかし、世界一の大酒飲み国家ロシアにもちゃんとノンアルコールビールがあるんですねぇ。
…何となく、かなりアルコール分が残っていそうで不安な感じもしますが(笑)

ロシアのノンアルコールビール、シベリアの大地を思わせる味わいでした(意味深)。

#029:さらばエストニア、また来る日までに続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #027:エストニア・タリン郊外の駅と近郊電車

2013-06-22 | 鉄道

#026:エストニア・タリン街歩き 旧市街路地裏散歩からの続き

タリン旧市街から港の方へと向かい、そのままトラムの走る大通りを15分ほど歩くと、近代的なビルが立ち並ぶタリン新市街の中心部に出ます。

中世からそのまま時が止まったような旧市街とは打って変わって、タリン新市街は力強く経済発展を成し遂げる若い資本主義国エストニアの勢いを感じさせる賑やかさ。
旧ソ連邦時代の建物はほとんど姿を消し、クルマの行き交う大通りに沿って高級ブランドのロゴを掲げたデパートやガラス張りのオフィスビルが林立する光景は日本やヨーロッパ先進国の都市とほとんど変わりません。
これもまた、タリンという街の素顔の一つなのです。


新市街のデパート前の大通りが、タリン市内の路線バスの集まるターミナルになっています。
ここから2番の路線バスに乗車。
2番のバスは、タリンの港から新市街を抜けて郊外の空港までを結ぶ、旅行者にとって利便性の高いルートを走ります。
バス停には路線ごとのルート表があるしバスは必ず前面に路線番号を表示しているので、外国人でも迷うことなく乗ることが出来るのもいいですね。


バスに乗ったら、運転手さんに申し出て均一運賃の乗車券を購入。値段は1回1.6ユーロ。
運転手さんからではなく、乗車前にバス停近くのキオスクや郵便局で買うと割引になるようですが、こういう時に限ってキオスクが見つからない…
ちなみにバス車内に貼り出されていた料金表によると、路線バスでもしっかりEチケットが使えてこれも割引運賃が適用されるようです。
さすがIT立国“eストニア”、路線バスも抜かりなくIT化されています!

路線バスは賑やかな新市街の目抜き通りを走りますが、ほんの10分も走るともう郊外へ出てしまいました。
タリンは本当に小さな街なんだということがわかります。

タリン空港の一つ手前のバス停で下車。ここは巨大なショッピングモールの真ん前で、買い物帰り風の人もバス待ちをしていました。
このショッピングモールの隣に、今夜泊まるホテル
…先週、エストニアに着いた日の夜にも泊まった空港近くのホテルがあります。
明日はタリン空港から早朝のフライトに搭乗してエストニアを後にしますので、念の為にと思い空港に近いホテルに泊まることにしたのですが、結果としてエストニア最初の日と最後の日は同じホテルの世話になりました。


ホテルの部屋からは噴水と、道路の向こうに大きな湖が見えます。この湖はウレミステ湖という人口湖らしいのですが、この辺り一帯の地名もウレミステというようですね。ホテルの名前もウレミステでした。

さて、無事ホテルにもチェックインして、後は明日の早朝フライトに備えて部屋でのんびり休息を…
と思ったのですが、せっかく大きなショッピングモールが隣にあるのでちょっと遊びに行ってみることにします。
それに、ショッピングモールの先にはタルトゥからタリンに戻って来る時に乗ったエストニア鉄道の駅もあるので、駅で列車も見たいですね。

という訳で、ホテルを出て駅の方に向かってぶらぶら歩いていると、機関車の汽笛が聞こえていきなり列車がやって来ました!


大型のディーゼル機関車に牽引された長大編成の客車、あの列車は…
間違いありません、タリン発モスクワ行きの国際寝台特急「タリン・エクスプレス」号です!


現在、エストニア国内を走る唯一の夜行寝台列車であり国際列車である「タリン・エクスプレス」号。
タリン滞在最後の日に、1日1本だけの特別な列車を偶然見ることが出来ました。何という幸運!
しかも駅に停車しているのではなく、郊外の線路をスピードを上げて遥かロシアを目指し疾走する雄姿です。


目の前の駅を通過していく「タリン・エクスプレス」号。
青に白帯の寝台車が日本のブルートレインを彷彿とさせます。これはカッコイイ列車です!

いつかは乗りたい…と思ってしまいますねぇ。
それに「タリン・エクスプレス」号は、昨日ヘルシンキ中央駅で見た「トルストイ」号と同じモスクワのレニングラーツキー駅に発着していますので、「タリン・エクスプレス」号と「トルストイ」号を乗り継いでエストニアからロシア、そしてフィンランドまでの周遊旅行も出来るなぁ…
ああ、いつの日かあの列車たちに乗って北の大地を駆け巡りたい!

いきなりいい列車が走って行く様子を見られてテンションが上がってしまいましたが、改めてショッピングモール隣の駅を見てみる事にします。




駅名も湖や地区名と同じウレミステ駅です。
コンクリート打ちっぱなしの無人駅ですが、デザインはかなり洗練されていてお洒落です。


市街地のタリン駅方面行きと郊外のタルトゥ方面行きの対向式プラットホームがあるだけの、シンプルな駅です。
でも、プラットホーム上の待合スペースや照明灯のデザインも斬新で凝っていますね。この駅構内デザインはタリン近郊の駅では共通のようです。


ウレミステ駅の構内の隣には、広大な貨物ヤードが広がっているのが見えます。


プラットホーム上に掲示された時刻表を見ると、タリン都市圏の近郊区間ではそれなりに多くの本数の列車が運行されています。

そうこうしているうちに、早速、近郊列車がやって来ました。

缶ビールをあおるおじさんの後ろから現れた、タリン駅発の近郊列車。
パンタグラフを上げているので、電車です。


何ともカラフルな塗装の電車です。
よく見ると前面の運転室窓下にRVRのロゴがあるので、ソ連邦時代にラトビアにあったソ連の鉄道工場で造られたものであることがわかります。
先日、タルトゥから乗った気動車列車にもよく似た、いかにもソ連製らしい無骨でもっさりした印象のデザインです。
塗装はやたらと派手ですが(笑)

タリン駅発の電車が行ってしまうと、今度は行き違いにタリン駅行きの電車がやって来ました。



さっきの電車と同じ系列だと思われますが、前照灯のデザインや細部の仕様と塗装のパターンが若干異なります。
タリン近郊線の電車は、かなりバリエーションが豊富なようですね。






タリン駅へと向かって走り去る電車を見送ると、つい「あの電車に乗って、もう一度タリンの旧市街へ行きたい…」と思ってしまいます。

まだ真っ昼間のように明るいですが、もう午後7時を回りました。
そろそろホテルに戻りましょう。
おっとその前に、ショッピングモールで夕飯を買い出しして行かないとね。

#028:旅先での食事事情に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #026:エストニア・タリン街歩き 旧市街路地裏散歩

2013-06-19 | 旅行

#025:Ballet Matinee エストニア国立オペラ劇場“Rahvusooper Estonia”からの続き



午後。
エストニア国立オペラ劇場から、再びタリン旧市街に戻って来ました。
これから夕刻まで、旧市街を散策して過ごすことにします。

旧市街には、たくさんの入り組んだ迷路のような、石畳の小路の路地裏があります。




白昼夢のように中世から時が止まったままの、こんな路地裏をあてもなく彷徨い歩いてみましょう。




路地裏の先に、こんなお店を見つけました。ギャラリーでしょうか。
Sumi-eとは勿論、日本の墨絵のことですね。
軒先に提げられた円盤状の物は、そこが何の店なのか誰でも一目でわかるよう工夫された国際交易都市タリンならではの看板…だと思うのですが、この看板の意匠は何を表してるのかちょっとわかり難いような(笑)


この看板はわかりやすいですね。


もっと立体的でリアルな看板も発見。
お店の人のこだわりが覗えます。


これは寸胴鍋かなぁ?
枠から外して洗えば、そのまま実際に鍋として使えそう。


王冠をかぶった、ねじれプレッツェル?うずまき唐草の支柱もいい感じです。

看板ではなく、国旗を誇らしげに掲揚している建物もあります。

青地に金十字の旗と紋章を掲げたスウェーデン大使館。
タリン旧市街には、世界各国の大使館も集まっているようです。スウェーデン大使館以外にもあちこちで、それぞれの国旗を掲げた大使館を見かけました。

そして勿論、日の丸を掲げた我が在エストニア日本国大使館も…

…いまいち構図が良くなかったので、タリン旧市街に翻る日の丸の写真は撮りませんでしたが、そのかわりこんな素敵なものを見つけました。



日本大使館の前庭には、日本とエストニアの友好を願う桜が植えられていました。
あいにく、冷涼なバルト海地方ではまだこの時期でも桜の花が咲くには早すぎたようですが、きっともうすぐエストニアの遅い春を彩る友好の桜が美しく咲くんでしょうね。
桜の下の東屋では、花見の準備と思しき作業も進められていますよ。

ああ、いつか僕もタリンで花見がしたいなぁ!

ちなみに日本大使館は旧市街の山の手、トームペアの丘の「台所を覗く塔」のすぐ隣にあります。
「台所を覗く塔」からは日本大使館の厨房も覗けるかもしれません…いやまさか(笑)


そしてこちらが、トームペアの丘に建つトームペア城です!
トームペア城の原型は13世紀頃から造られていたそうですが、現存するのは18世紀後半に女帝エカテリーナ2世の命により建てられたバロック様式の宮殿で、帝政ロシア時代は知事公館として、そして現在はエストニア共和国の国会議事堂として使われています。
トームペア城は今でも、エストニアの政治の中枢として機能しているのですね。

昔も今もこの国の表舞台として、観光客から外交官まで世界中から人々が訪れ交流するタリン旧市街。
今もなおバルト海の潮風にのってハンザ同盟都市の自由の薫りが強く漂う、素敵な街歩きを満喫しました。
そろそろ、この街を離れる時間です。名残惜しいのですが…

ホテルに戻り、荷物を受け取ってから旧市街出口の城門へと向かいます。


旧市街の街外れに建つ、可愛らしい色違いの三つ子の建物が見送ってくれました。
その名も「三姉妹」と呼ばれる14世紀の商館で、現在はお洒落な高級ホテルになっているそうです。

「三姉妹」の先はもう沿岸大門(スール・ランナ門)です。
3日前から、この城門を出たり入ったりしていましたが、とうとうこれで最後。沿岸大門を出てタリン旧市街を去ります。



沿岸大門を出ると、お馴染み「太っちょマルガレータの塔」に別れの挨拶です。

さようなら、タリン旧市街。必ず、また来るよ!

#027:エストニア・タリン郊外の駅と近郊電車に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #025:Ballet Matinee エストニア国立オペラ劇場“Rahvusooper Estonia”

2013-06-19 | 映画・演劇・コンサートを観る
Rahvusooper Estonia


#024:エストニア・タリン街歩き 朝の旧市街散歩、教会巡りからの続き


タリンの旧市街と新市街の境目にある、公園に囲まれて建つネオクラシック様式の建築。
タリンのオペラハウス、エストニア国立オペラ劇場“Rahvusooper Estonia” です。
帝政ロシアの末期、1913年に建てられたそうなので、今年でちょうど100周年を迎える歴史ある劇場です。
建屋はそれ程大規模ではないのですがオペラ座とコンサートホールの両方を備えた、大変立派な施設を持つ劇場となっています。

今日はこれから、エストニア国立オペラ劇場でバレエのマチネ公演(昼間の公演)を観ます。

…本当は夜の公演でオペラを観てもよかったのですが、今夜は旧市街ではなく郊外の空港近くのホテルに移って泊まることになっているので、公演終了後の夜中になってからの空港ホテルへの移動を避けたくて、この時間帯の公演を予約したのです。
とりあえず、歴史あるエストニアの歌劇場でのステージを一目観ておきたかった為、演目もろくに確認せずにネットでチケットを手配してしまいました。

さて、特に意識せずに観ることになった今日のマチネ公演の作品は…
世界中の誰もが子供の頃から知っている名作中の名作、お馴染みのグリム童話を基にしたバレエ作品
「白雪姫と七人の小人(Snow White and the 7 Dwarfs)です!
…思いっきりお子様向けの作品ですね、何しろパンフレットにもハッキリ“Children’s ballet”って書いてありますから。

劇場のホワイエもご覧の通り、白雪姫のバレエを観に来た地元タリンの子どもたちで一杯でまぁ賑やかなこと!(笑)
それにしても、子どもたちばかりの観客の中に何故か紛れ込んでる、いい歳した東洋人男性の一人客は悪目立ちしまくりです。
引率の先生方や保護者のちょっと不審そうな視線が痛いぜ…


オペラ座の中に入って座席に着いたら、周囲を完全に子どもたちに囲まれてしまいました。
前列の席に座った女の子たちが興味津々といった顔で僕の方を覗き込んでくるので、思わず苦笑い。でも、面白いものを見つけた子どもたちの表情は、世界中どこに行っても変わりませんね。みんないい笑顔してます!
僕もつい、子供の頃に母に連れられて市内の劇場に人形劇を観に行った時の、遠い記憶を想い出してちょっと切なくなってしまいました。

童心に戻って観た、エストニア国立オペラ劇場のバレエ「白雪姫と七人の小人」


…面白かった!それに、とても本格的で素晴らしいバレエでした!
子供向けとはいえ、侮れません。白雪姫役バレリーナの儚さと優雅さ、七人の小人たちのコミカルでダイナミックなダンス…
バレエに関しては全くの素人で初心者(何しろ、バレエは高校生の頃にロシアのバレエ団の巡業で「白鳥の湖」を観て以来、実に二十年ぶりの鑑賞!嗚呼…)の僕でも解ります。躍動する全身で表現されるバレエの美しさと楽しさ、しっかりと感じました!
「白雪姫と七人の小人」って、こんなに面白い物語だったんだねぇ…!

パンフレットをよく読み直すと、この作品はブダペストのハンガリー国立歌劇場のバレエ監督や美術スタッフが参加しているそうです。
優秀なスタッフがエストニア国立オペラ劇場に集まって、質の高い舞台を創り出していたんですね。納得!




そう言えば今日は、いつも座る天井桟敷のバルコニー席ではなく平土間のほぼ中央という、随分と上等な席で観ることが出来ました。
実はオペラ劇場で平土間に座るのは、これが初めてだったりします。
オーケストラピットは平土間からだと、公演中着席してると一切見えないんですねぇ(ホントに知らなかった…(笑))
でも、僕の周りは小さな子どもたちばかりだったので、ひょっとしたら後列の子どもたちには視界を遮っちゃって悪い事したかな…?もしそうならゴメンね。
でも、座高の高い東洋人男性のせいでバレエやオペラ劇場のことを嫌いになったりはしないで欲しいな…


マチネ公演は、真昼の短い夢。
終演後オペラ劇場の外に出ると、明るい午後の陽射しと日常が変わらずそこにありました。
でも、ここは中世以来の夢を今でも見続けることが出来る街、タリン。
旧市街に戻って、もう少しだけこの最北のハンザ同盟都市の歴史を感じ、夢見ることにしましょうか。

#026:エストニア・タリン街歩き 旧市街路地裏散歩に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #024:エストニア・タリン街歩き 朝の旧市街散歩、教会巡り

2013-06-16 | 旅行

#023:エストニア・タリン街歩き 真夜中の旧市街を彷徨うからの続き

2013年5月2日

今日は一日中タリンに滞在します。ホテルに荷物を預けて、朝から旧市街を歩きましょう。
今回の旅を始めてエストニアに入国してからもう何日も過ぎましたが、タリンにはほんの少しの時間滞在しただけですぐに次の目的地、タルトゥやヘルシンキに移動していたので、一日じっくりとタリン旧市街を眺めるのはこれが初めてです。


先ずは、ホテルのお隣にそびえる聖オラフ教会(オレヴィステ教会)。
昨日の夕方にも尖塔を外から眺めましたが、今日は聖堂の中に入ってみます。


祭壇には大きなキリストの画があるだけで、とてもシンプル。


パイプオルガンとシャンデリア。
白い壁と天井が印象的で、外観同様にとてもすっきりとした聖堂内です。
それにしても、尖塔が元世界一高い建築物だっただけあって、聖堂も天井がとても高いですね。

聖オラフ教会を後にして、ライ(Lai)通りを旧市街中心部のラエコヤ広場方面に進んで行きます。


ラエコヤ広場の近くでピック(Pikk)通りに抜けると、壁に大時計が埋め込まれたゴシック様式の教会があります。
聖霊教会です。
この時計、1684年製だそうですが、どことなくプラハの天文時計「orloj(オルロイ)」に雰囲気が似ています。
タリンのオルロイ、といったところでしょうか。

そのままラエコヤ広場を突っ切り、どんどん進んで行くと坂道となります。
タリン旧市街の南西側はトームペアの丘と呼ばれる丘陵地となっていて、ここには城が築かれています。
3日前、タルトゥから列車でタリン駅に到着した時に駅前に見えていたのが、このトームペアの丘ですね。


トームペアの丘には、城と向かい合うようにして玉ねぎ頭のドームを持つロシア正教の教会が建っています。
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂です。
このロシア正教教会が建てられたのは、帝政ロシアの消滅する僅か十数年前のこと。
当時、帝政ロシアへの反抗意識と民族運動が高まりつつあったエストニアに対して、最後の睨みを効かせたいという意図があったのでしょう。

トームペア城とエストニアの人々を威圧するかのように、帝政ロシアの支配とロシア皇帝の権威の象徴として、豪華絢爛たる威容を誇るこのアレクサンドル・ネフスキー大聖堂。
その後は幾度も取り壊そうという意見があがりますが、ロシア系住民の反対運動もあって命を繋ぎ、現在は民族対立の歴史を越えて建築学上非常に価値のある傑作として評価されるようになったそうです。

恩讐の彼方にあって、平和なタリンを見守るという素晴らしい役目を得たアレクサンドル・ネフスキー大聖堂。
聖堂内部もとても美しいイコンで飾られており、また丁度僕が訪れた時間は朝の礼拝が行われていて荘重で感動的な雰囲気が漂っていましたが、当然ながら異教徒が礼拝の様子を撮影するのは遠慮しました。


こちらはアレクサンドル・ネフスキー大聖堂からトームペアの丘を少し下ったところにある、聖ニコラス教会
ドイツ商人たちの多く住んでいた住宅地の中にあります。
聖ニコラス教会の聖堂内は現在では博物館とコンサートホールになっているようです。


聖ニコラス教会から再びトームペアの丘の方角へと向かう坂道を登ると、「太っちょマルガレータの塔」をスリムにして引き伸ばしたような高い塔があります。
15世紀後期に、トームペアの丘と城を守るために建てられたこの塔、「台所を覗く塔」と呼ばれています。
(タリンでは古い塔に妙な渾名を付けるのが流行ってたのかなぁ…(笑))
実際にこの塔に詰めていた兵士が、ふざけて近所の家の台所を覗き見していたのでいつしかこう呼ばれうようになったそうですが、イヴァン雷帝率いるロシア軍が襲来した際には塔の上層部を砲撃で吹き飛ばされ、今でも幾つもの砲弾が壁に埋まったままになっているとか。
呑気な渾名のわりには、激戦を闘い抜けてきたんですね。


路地の向こうに見える尖塔は、聖マリア大聖堂
トームペアの丘で最も標高の高い場所にあり、また西暦1233年以前からこの地に存在していたことが確認されているそうなので、事実上エストニアで最古の教会ということになります。
ちなみにこの聖マリア大聖堂、地元では単に「大聖堂」(トームキリク)と呼ばれていて、これがトームペアの丘の語源になっているそうです。

標高の高い聖マリア大聖堂近くの路地裏には、いくつかの展望スポットがあります。
ここからはタリンの旧市街と、その向こうに広がる新市街、さらにはバルト海までもを一望することが出来ます。
トームペアの丘からの眺めを、大きなパノラマ写真で是非ご覧下さい。


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そろそろ、トームペアの丘を降りて下町に向かいましょう。


トームペア城の裏手を通る、谷底のような坂道を下って行きます。


ラエコヤ広場まで戻って来ました。
昨夜も真夜中まで賑やかでしたが、昼間も賑わっていますね。


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タルトゥのラエコヤ広場の市庁舎は現役でしたが、タリンのラエコヤ広場の市庁舎は既に引退していて現在はコンサートホールや資料館として使われています。
教会のような旧市庁舎のバロック様式の尖塔の裏に廻って、昨日確認した道を通って新市街へと向かいます。

もうすぐお昼。
今日はこれから、新市街にあるエストニア国立オペラ劇場(Rahvusooper Estonia)でバレエのマチネ公演を観るのです。

#025:Ballet Matinee エストニア国立オペラ劇場“Rahvusooper Estonia”に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #023:エストニア・タリン街歩き 真夜中の旧市街を彷徨う

2013-06-12 | 旅行
vaimu tänav


#022:エストニア・タリンのスーパーマーケットで寿司を買ってみたからの続き


およそ千年に及ぶ長い歴史を持ち、バルト海最北のハンザ同盟都市 として繁栄したタリン
世界遺産にも登録されている旧市街は、中世以来この街で暮らしていたハンザ同盟のドイツ商人たちの影響が今も色濃く残り、「ドイツよりもドイツらしい」と讃えられています。

タリンはまた、歴史に翻弄された都市でもあります。
ハンザ同盟以降、スウェーデンや帝政ロシアの支配下に置かれ、20世紀以降はエストニア独立からナチスドイツとソビエト連邦による占領を経験し、第二次大戦後は長らくエストニア・ソビエト社会主義共和国の首都となりました。
ソ連邦時代はタリンにもソ連の軍事関連施設などが置かれていたようで、当然ながら“西側諸国”の外国人が自由に訪れることが出来る場所では無かったのです。

しかしながら、抑圧が長く続いた社会主義体制下にあったタリンの旧市街は中世当時からの姿をそのまま残して変わることなく、まるでタイムカプセルのように生き永らえました。
この美しい中世の古都が再び自由な世界に開かれたのは、バルト三国がソ連からの独立を果たした1991年のことです。


そんな歴史の幾星霜が折り重なる、真夜中のタリン旧市街を、少し彷徨い歩いてみましょう。
夜の闇の中に沈んだ街角は、旅行者にも何かを語りかけてくれるかもしれません。
この街の長い長い記憶と古くからの物語を、感じることが出来るかもしれません。




昼間は観光客が行き交いよそ行きの顔をしていた路地も、夜にはその真実の姿を見せます。


石門の向こうに切り取られた箱庭にブルーモーメントの夜空と、三角屋根の塔と星が一つ。
深夜のタリンに出現した、稲垣足穂の「一千一秒物語」 の世界…

旧市街のメインストリート、ピック(Pikk)通りからは、分かれて建物の間に入る横丁の路地が幾つもあります。
その中でもいわくありげなのが、旧市街の下町地区のほぼ真ん中を通るこのvaimu通り



…vaimu(ヴァイム)とは、エストニア語で「幽霊」。
そう、この道の名は何と幽霊通りなのです。
言い伝えによれば17世紀に、ここでオランダ商人による妻の殺害事件があり、
以来この道では夜な夜な不気味な足音や物音が聞こえてくるとか、こないとか…


…千年の歴史を持つ街なのだから、怪談話や幽霊通りの一つや二つはあっても可笑しくありませんね。

でもやっぱり怖いから、薄暗いvaimu通りではなくて街灯の点っている明るい大通りを歩いて行きます(笑)





つるべ井戸のある広場に出ました。
この井戸にも、水の精が住んでいるという伝説があるそうです。でも、今は蓋をされて使われていないみたいですね。
井戸に閉じ込められた水の精はどうなってしまったのかな…?


段々人通りが多くなって来ました。旧市街の中心部が近いようです。


そしてここが、旧市街の中心。ラエコヤ広場です。
エストニア第二の都市タルトゥにもラエコヤ広場がありましたが、どうやらラエコヤとはエストニア語で市庁舎のことのようです。
美しくライトアップされた市庁舎の周囲に広がる広場は真夜中だというのに観光客で大賑わい。
オープンテラスのカフェで一杯やってる人も多いようです。皆さん元気だねぇ…


↑サムネイルをクリックすると大きな画像が開きます↑


夜明けまで盛り上がっていそうなラエコヤ広場を後にして、そろそろ帰りましょう。



路地を一本入ると、すぐに辺りは暗闇と静けさに包まれます。


ホテルはどっちだったっけ…
迷っちゃったみたい。

適当に歩き回ることにします。
何、タリン旧市街は全長1キロ程の小さな区画。彷徨い歩いていれば、いつかホテルに行き着く筈…




何となく通り過ぎた薄暗い路地で見つけた、僕と同い年のマンホールの蓋。

そして、ふと路地の住所板に目をやると…


「vaimu通り…何てこった。ここは、幽霊通りじゃないか…!」

この時はさすがに、背筋が寒くなりました。
さっきは避けて通った幽霊通りに、結局迷い込むなんて…ひょっとして、幽霊に呼ばれたかな?まさかね…




でも、幽霊通りを出たところはホテルに続くLai通りでした。尖塔がライトアップされた聖オラフ教会が見えます。
「きっと、幽霊が道案内してくれたんだな。親切な人じゃないか、オランダ商人の奥さんは、ははは…」


ホテルに辿り着いた時には、もう午前1時を回っていました。

あの細長い部屋に戻ったら、シャワーを浴びてさっさと寝てしまいましょう。
初夏のエストニアの短い夜は、あっという間に明けてしまうでしょうから…
それに…

vaimu通りから誰かが着いてきてたら、困るからね…

#024:エストニア・タリン街歩き 朝の旧市街散歩、教会巡りに続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #022:エストニア・タリンのスーパーマーケットで寿司を買ってみた

2013-06-10 | 食べる

#021:エストニア・タリン街歩き 遅い午後の旧市街からの続き

男の一人旅なので、世界遺産のお洒落な街に泊まっていても夕食はホテルの部屋で侘しく一人ぼっちで済ませます。
まぁ、気楽でいいんですけどね~

今夜の食事は、タリンの新市街のデパ地下にあった大きなスーパーマーケットで買ってきました。
豪勢に寿司ですよ!

これがエストニアの寿司、その名も「SUSHI IN TOKYO」です!
ちなみにエストニアでは寿司は大変人気がありポピュラーな料理のようで、デパ地下スーパーにも大きな寿司コーナーがあってたくさんの種類のパック寿司が並んでいました。
また、同時にかなりの高級料理でもあるようです。この「SUSHI IN TOKYO」も1つ5.60ユーロもしました。
物価が安くてサンドイッチやホットドッグなら1ユーロ程度で買うことが出来るエストニアでは、相当高額な商品ということになります。


エストニアでは寿司や日本食がかなり一般家庭に浸透しているのでしょうね。
デパ地下スーパーの食品売り場では普通に「割り箸」も売られていました。ひょっとしたら「マイ箸」を持ち歩くエストニア人サラリーマンもいるのかも…


それでは早速、エストニアの寿司を頂きましょう!
中身は海老とサーモンの握り、それにカニカマとサーモンの巻き寿司のセットでした。
ガリとわさび、そしてカップに入った醤油も添えられています。

「いただきま~す」

…うん、美味い!
ヨーロッパの寿司らしくシャリが少々硬くてポロポロしていますが、それでもあまり硬い食感が気にならない程度には上手く炊かれています。
ネタの海老とサーモンも、バルト海地方は言わば“本場の漁場”なのでとても美味しい。
ヨーロッパではかなり上出来の寿司なのではないでしょうか。


サイドメニューでサラダも買ったのですが、これはスゴイ…
何と刻んだネギが入っています!ネギサラダなんて食べるのは生まれて初めてだぞ!!
でもこのネギ、「SUSHI IN TOKYO」のサーモン巻きに添えたらネギトロサーモンみたいになって絶品でした(笑)


食後の甘いものも、たくさん買って来ました。…もちろん、これだけの量を全部一人で食べたりはしませんよ。
食べきれない分は日本に持ち帰って、お土産として親しい人たちに配ることにします。
空港の免税品店などでいかにも「お土産用」として売られているお菓子よりも、こういった地元の方々が日常的に食べている駄菓子的なものの方が旅先の空気をよりリアルに伝えられると思うので、僕はいつも街中のスーパーマーケットで売っている安いお菓子をたくさん買って帰るようにしています。


今回、一番エストニアらしいなぁと感じたのがこのお菓子。
カラフルなパッケージと描かれたキャラクターの可愛らしさに惹かれて中身は何なのかを気にせず購入したのですが、キャラメル風味の砂糖菓子でした。
今までに味わったことのない、タリンで初めて知った味だったので、僕の中ではエストニアの想い出は砂糖菓子の味になりました。

さて、寿司でお腹が満たされた上に甘いものも食べたので元気になりました。
寝る前に、少しだけタリン旧市街に夜の散歩に繰り出しましょう。

#023:エストニア・タリン街歩き 真夜中の旧市街を彷徨うに続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #021:エストニア・タリン街歩き 遅い午後の旧市街

2013-06-10 | 日記

#020:ヘルシンキ→タリン 快晴の午後のバルト海ショートクルーズからの続き


到着したタリンも青空が広がりまだ真昼のようですが、既に午後6時半を回っています。


昨日の朝に通ったばかりの沿岸大門(スール・ランナ門)をくぐって、再び旧市街へ。
遠くからでもとても目立つ「太っちょマルガレータの塔」を目印にすればいいので、港から歩いても道に迷う心配はありません。

そして旧市街に入れば、今度はとにかく背の高い尖った屋根が特徴的な聖オラフ教会(オレヴィステ教会)を目指して狭い路地を歩きます。
今夜泊まるホテルは、この聖オラフ教会の真横にあるのです。



旧市街にあるクラシックホテルは、ロケーションと雰囲気は最高にロマンチックなんですが、
シングルの部屋はご覧の通り随分と狭くて細長い妙な間取り。まるで寝台列車の個室寝台みたい…

まだ外は明るいし、細長い部屋で壁を眺めているのはもったいないので、タリン旧市街の街歩きに繰り出しましょう!


まずは、ホテルを出ると目の前にそびえる高い尖塔の聖オラフ教会。

現在、この教会の尖塔のてっぺんまでの高さは120mほどあるとのことですが、14世紀に建造された当初はもっと高くて160m近くもあり、当時は断トツで世界一高い建築物だったとか。
これほど高い塔を建てた理由は、やはりハンザ同盟都市だったタリンの街をバルト海の沖合を往く交易船からでもしっかりと認識できるようにするための、灯台としての役割があったからなんでしょうね。

しかし、この聖オラフ教会の尖塔はその圧倒的な高さ故に幾多の災難にも見舞われているようで、過去に何度も落雷の被害を受けて焼失しているそうです。
さらにソ連邦時代にはKGB(カーゲーべー:ソ連国家保安委員会)によってタリン市民に不穏な動きがないかを見張る監視塔と電波通信塔としても利用されたと言います。

世界一高かった建築物としての華やかな歴史とともに苦難の記憶も刻み続けてきた聖オラフ教会の尖塔は、21世紀の初夏の穏やかな遅い午後の陽射しを受けて静かに佇んでいます。
この街とこの国にようやく訪れた平穏な時代が、これからいつまでも続きますように…




ホテルの前から聖オラフ教会を通って伸びる広小路(Lai通り)を、旧市街の中心部方面へと歩いて行きましょう。



市庁舎広場を通り抜け、そのまま左手に曲がって小路を進んでいくと、いつの間にか旧市街の外に出てしまいました。
タリンの旧市街は全周が城壁に囲まれている訳ではなく、東側ではそのまま新市街につながっている区画もあるようです。

新市街に出たところに、ネオクラシック様式の優雅な建築がありました。

エストニア国立オペラ劇場(Rahvusooper Estonia)です。
明日は、ここでバレエのマチネ公演を観ることにしていますので、事前に場所を確認しておきたかったのです。
旧市街からでもすぐに歩いて来られる場所にあったので安心しました。


夏至間近の長い長い午後も、ようやく日が暮れようとしています。
そろそろホテルに帰りましょうか…

あっ、帰る前にスーパーマーケットに寄って、夕飯買って行かなくちゃ。

#022:エストニア・タリンのスーパーマーケットで寿司を買ってみたに続く

おまけ画像


エストニア国立オペラ劇場の駐車場の入口ゲート。
クルマが通ると、指揮棒を持った手が振られるようです(笑)

2013初夏・北欧バルト海紀行 #020:ヘルシンキ→タリン 快晴の午後のバルト海ショートクルーズ

2013-06-10 | 旅行

#019:フィンランド・ヘルシンキ街歩き 港の市場とウスペンスキー大聖堂からの続き

午後4時半、ヘルシンキ港西ターミナルから出航。再びバルト海を渡って、エストニアのタリンへ戻ります。




ヘルシンキの港と街がだんだん遠ざかっていきます。
やっぱり、わずか約28時間の滞在では物足りなさ過ぎましたね。素敵な街でした。







タリンへと向かう船は、昨日も乗ったタリンクシリヤライン社の大型豪華フェリー「スーパースター」です。
今日のバルト海は本当にきれいに澄み切ったド快晴。時刻は既に午後5時を回ろうとしていますが、陽はまだ高くて真昼のようです。
海風は少し冷たいですが、オープンデッキ甲板で太陽の日差しを浴びながら青空と海を眺めて過ごす、最高のショートクルーズになりました。



波穏やかなバルト海を滑るように船は進み、気が付けばもう行く手にはエストニアの大地が近づいています。
帰りもあっという間の、タリンまで2時間の船旅です。


青空を背に、天を突いてそびえ立つタリンのランドマーク、タリンテレビ塔が出迎えてくれました。


港の入り口の水路で、タリンを出港してヘルシンキへと向かう船とすれ違いました。
タリンクシリヤライン社のライバル、ヴァイキングライン社の「ヴァイキング XPRS」です。
「ヴァイキング XPRS」も、「スーパースター」と同じくらい大きな船です。こんな大型船がひっきりなしに行き交っているのだから、タリンとヘルシンキとは本当に交流が盛んで経済的にもしっかりと結びついているという事がわかりますね。


こちらはタリン港に係留されたままの改修中の「イザベル」です。
ヴァイキングライン社からタリンクシリヤライン社に移籍してきた「イザベル」、よく見ると船体色の塗り分けパターンが「ヴァイキング XPRS」とほとんど同じで、ロゴの部分だけTALLINKに書き換えているようです。




午後6時半、「スーパースター」は無事にタリン港Dターミナルに接岸しました。
すぐに折り返しヘルシンキに向かって出航する準備を慌ただしく始めた「スーパースター」に別れを告げて、明るい日差しの降り注ぐ下をタリンの街へと歩きます。

ただいま!また帰ってきたよ、タリン。

#021:エストニア・タリン街歩き 遅い午後の旧市街に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #019:フィンランド・ヘルシンキ街歩き 港の市場とウスペンスキー大聖堂

2013-06-08 | 旅行

#018:フィンランド・ヘルシンキ中央駅で国際列車を眺めるからの続き

ヘルシンキ中央駅からトラム3B/3T系統に乗って、Kauppatori(カウッパトリ)という停留所で下車。
ここは港に面した市場で、面白いから是非行ってみるようにとフィンランド通のTwitter宇宙クラスタ・日蝕貧乏知恵者猫さんからも勧められていた場所でした。


うわ~、賑やかですねぇ!
青空の下にテントの屋台が並び、地元のヘルシンキっ子たちや観光客が大勢集まっていて楽しい雰囲気の市場です!


食べ物の屋台が特に多くて、メニューもバラエティ豊か。
きっと「フィンランドのB級グルメ」的なものを食べられるんでしょうね。

それから、集まっている人たちの中に、揃いの白い水兵さんの帽子のようなものをかぶった人が目立ちますね。
これも日蝕貧乏知恵者猫さんに教えてもらったのですが、この日5月1日はフィンランドではVappu(ヴァップ) と言って春の訪れを祝う学生達のお祭りの日だったそうです。白い帽子は学生帽で、ヴァップのシンボルみたいなもののようですね。
学生ばかりでなくヘルシンキ中の人がこのヴァップを楽しんでいるようで、若い連中からおじさんおばさん、そしてお年寄りまで思い思いに学生帽をかぶって街中でピクニックをしたりして楽しんでいて、とても大らかで愉快なお祭りなんですね!

ぶらぶら歩くだけでも楽しいカウパットリを通り抜けて先に進むと、港を望む丘の上に重厚な赤レンガの建物が見えてきました。


東方正教会の大聖堂、ウスペンスキー大聖堂です!
昨日見たヘルシンキ大聖堂と並ぶ、ヘルシンキを代表する大聖堂ですが、
ヘルシンキ大聖堂が優美な白亜の建物なのに対して、このウスペンスキー大聖堂はがっちりと堅牢ないかにもロシア風の建築となっており、とても対照的です。

ウスペンスキー大聖堂の中に入ってみましょう。


高いドームの天井から提げられた巨大なシャンデリアと、綺羅びやかなイコンの壁。
典型的な東方正教会の佇まいですが、これもシンプルで静謐だったヘルシンキ大聖堂の内部と好対照を為しています。




帰り際、大聖堂の建屋の裏に回ると、壁に埋め込まれた銘板に気が付きました。
これは帝政ロシアの皇帝アレクサンドル2世を祝福したものです。
この東方正教会の大聖堂が建設された1860年代当時、この地はフィンランド大公国としてロシア皇帝に統治されていたのですね。
ウスペンスキー大聖堂は、ロシア皇帝アレクサンドル2世のフィンランドへの置き土産といったものなのかも知れません。



…またいつか、もう一度この街を訪れたい。
そう祈って、大聖堂を後にします。

ホテルに戻り、預けていた荷物をピックアップする前に、
少しだけ時間があったので国立オペラ劇場裏手の湖の畔に広がる公園を散策しました。
湖の向こう岸に、先程乗車したヘルシンキ近郊線の電車が走っていくのが見えます。



行き交う電車を見ていたら、何故だかとても寂しくなってきました。
ほんの少しだけ街に溶け込んで体感できたヘルシンキの日常と、もう別れなくてはならない…
旅情と共に、そんなせつなさを感じる瞬間でした。

さあ、もう港へ行く時間です。
さようならヘルシンキ。この次はもっとゆっくりと、この北欧の街を歩きたいな…

#020:ヘルシンキ→タリン 快晴の午後のバルト海ショートクルーズに続く