天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行番外編その6 ドイツの飲み物といえば…

2012-02-26 | 食べる
(カリーヴルストとドイツのジャンクフードの話の続き)

ドイツの飲み物といったら、何はさておきこれでしょう。


ドイツビール!!
…と言いたいところなのだが、実はこれ、ただのドイツビールではない。
2本ともノンアルコールビールなのだ。

実は僕天燈茶房亭主は、とある理由2020年まで酒を一切断つ と誓ってしまったのでビールも口に出来ない身の上。
なのでビールの聖地ドイツでもその芳醇なる味わいのことは忘れ、ストイックに断酒道を貫き通す!

…とは言え、やっぱりビール飲みたいよね。
元々大のビール好きだし、ドイツに来てるんだし(笑)

という意志薄弱な天燈茶房亭主の為にあるのが、ノンアルコールビール!
最近、日本国内ではかなり流行していますが、ドイツにもしっかりありました。
もっとも、ビールの聖地の国民からはやはり正統派とは見なされていないらしく、街の酒屋などでは殆ど見かけない。
外国人旅行者が行き交うフランクフルト空港の搭乗ゲート前のバーでようやく見つけた、
本場ドイツ産の瓶入りノンアルコールビールがこれ。
買うときにバーテンダーから「これはアルコール入ってないぞ!ホントにこれでいいんだな!?」と念を押されてしまいました。

味の方は、心なしか日本のビールメーカー各社が作っているノンアルコールビールよりも
風味が自然な感じがして美味しかった。
帰国後調べたところによると、ヨーロッパでは
「本物のビールからアルコールを抜き取る」という方法でノンアルコールビールを作っているらしい。
このやり方、日本のメーカーでは酒税法の関係で難しいのでやっていないんだそうだが、
絶対ヨーロッパ式の方が美味しいと思うぞ。

ちなみに帰国後に参加した飲み会で連れて行って貰った福岡市内のビアホールで、
ドイツで飲んだのと同じ銘柄のノンアルコールビールと再会しました。


日本で飲んでも、やっぱり美味しかった!

そう言えば、
ポーランドからベルリン経由してチェコへ向かう国際列車の食堂車でもノンアルコールビール飲んだっけ…



(ともあれ、2020年にはオーストラリアのウーメラ砂漠で「一筋の流れ星」を見ながら思う存分飲むぞ!
ひとくち目は“迎え酒” 虎之児 、続けてドイツビールだな!!)


しかし今回の旅行中は何も、ノンアルコールビールばかり飲んでいたわけではないですよ勿論。


これはポーランドのŚwinoujścieという街に泊まった晩に、ホテル近くの雑貨屋で買ったミネラルウォーター。
何故か緑茶(green tea)もあったので一緒に買ってみたが…
レモンティーです。日本茶とは全然違う飲み物でした。


ドイツにもお茶があった。
ベルリン中央駅のスーパーマーケットで見つけた、やたらと巨大な缶に入ったお茶はレモンティー仕立て。
ドイツ人やポーランド人はレモンティーがお好きなのかな?

旅先でちょっと不思議なものを飲んだり食べたりするのはやっぱり楽しいなぁ!
…という訳でこの次は旅先の、それも飛行機の中でしか食べられない食事、機内食のことでも書いてみます。

川口淳一郎先生特別講演会「小惑星探査機『はやぶさ』が成し遂げた偉業と乗り越えた苦難」 レポート

2012-02-25 | 宇宙

平成24年2月19日
鹿児島県指宿市で小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトマネージャ川口淳一郎先生の特別講演会が開催されました。
「はやぶさ」の地球帰還カプセル公開展示にあわせての企画だったようで、カプセル展示の1週間前の日曜日の開催でした。

九州で川口先生から直接お話を聴ける貴重な機会ですので、
僕も九州新幹線と特急「指宿のたまて箱」号を乗り継いで、指宿まで行って来ました!


特別講演会会場の指宿市民会館
鹿児島在住の宇宙クラスタmatteruさんと指宿駅で合流してクルマで連れてきてもらいましたが、早く着きすぎました。
エントランスで子供がゴム飛びをして遊んでいます。長閑…



でも、やがて大勢の聴衆が集まり始め、開場時刻が若干早められる程の大盛況となりました。
「はやぶさ」が打ち上げられた内之浦がある大隅半島とは錦江湾を挟んで向かい合う薩摩半島の指宿市でも、
「はやぶさ」と川口先生の講演への関心はかなり高いようです。
午後3時、800人の参加者(主催者の指宿市考古博物館公式ブログ発表による)で満席となった指宿市民会館での川口淳一郎先生特別講演会、開始!

川口先生は昨夜鹿児島入りされて、今日は種子島での講演を終えられてからのハシゴ講演となります(川口先生、ハードスケジュール本当にお疲れ様です!)

種子島からの飛行機では埼玉から講演を聴きに来たという家族連れと一緒になったが、何と以前の獨協大学での講演を既に聴かれている方々だったとか。
「何度も同じ話を聴かせて恐縮です」

公開中の「はやぶさ」映画の話。
東映の映画では主演が渡辺謙と聞いてビックリ。観てみたら一番格好よかったのは江口洋介だったのでまたビックリ。
FOXの映画では若手研究者の実像、科学技術研究に携わる研究者の実像が描かれていて良い。
松竹の映画はCG動画が素晴らしい。人情ドラマである。でも、内容にいくつか間違いが…
かりんとうが好物なのは本当。かりんとうと粒餡の豆大福が好物です。

(砂粒のサンプルを持ち帰るので)映画のタイトルは「砂の器」でいいんじゃない?と東映の人に言ったら、
それは松竹映画ですと言われた(笑)

小惑星探査で何が分かるか?
地球の起源を知ることが出来る。
そこから、地震の手がかりを掴むことも出来る。地震は地球内部の運動の表れ。地球の中身が動けば地震が起きる。

地震の手がかりは小惑星にあり。
地震を調べるには、地球の内部を知りたい。その手がかりは、小惑星の上にある。
小惑星のかけらを地球に持ち帰ると、地球の中身を知ることが出来る。

でも、イトカワを探査をしただけでは地球を知った事にはならない。
そのためのはやぶさ2プロジェクト。水や有機物のある小惑星へと向かう。
そのことで、気候の変化までも知ることが出来る。
小惑星探査は生命の起源の解明にもつながる。

その大事なサンプルを調べていた某教授が、検査針の先でサンプルを弾いて飛ばしてしまい、
青くなって探しまわってやっと発見したというエピソードも…

宇宙技術は実生活でも役に立っている。
ボイジャーが深宇宙からの通信で初めて使った誤り訂正符号化技術は現在、
地デジの技術として活用されている。

川口先生ご自身の生い立ちについてのお話。
小学生の頃、既存の暦の日時の並びが気に入らず、ユリウス暦を改良する自由研究をしていた。うまくいく筈が無かったが。
また、固体燃料ロケットの推進薬を作って遊んでいた。

「はやぶさ」命名の理由、当初は「アトム」という名前が有力候補だったが私は「はやぶさ」にしたかった。
鳥のハヤブサと、東京発西鹿児島行きブルートレイン「はやぶさ」にちなんでいる。だから「はやぶさ」地球帰還前にブルトレ「はやぶさ」が廃止されたのは嫌だった。
でもその後、青森まで行く最速の新幹線の名前として復活したのは嬉しかった。

実は川口先生は鉄道が好き。「列車を見るのが好きでした」
故郷の、奥羽本線と五能線が分岐する駅(※天燈茶房亭主注:川口先生の郷里・青森県の弘前駅の2つ隣の川部駅と思われます)で五能線に直通する列車の蒸気機関車を見ていた(※五能線では、現在JR九州でSL人吉として運転されているものと同形式の8620形機関車が走っていました)
中でも、炭水車を先頭にして逆向きに走る蒸気機関車や貨物ヤードを眺めるのが好きだった。
青森から大阪まで延々走り続ける特急「白鳥」もお気に入りの列車。快適なので大好きだった(※川口先生が京都大学の学生だった昭和50年頃はちょうど特急「白鳥」がディーゼル車から電車に置き換えられた時期にあたります)

将来、宇宙機と航空機の境界が無くなる時代が必ず来る。
「人をいつまでミサイルに縛り付けて打ち上げるのか?」
スペースプレーンが、時代を変える。

家庭に1枚の写真が10年間ずっとあれば、それを見続けて育つ子供は確実に影響を受ける。
私は父の部屋にあった宇宙の特集が載っている雑誌を読み耽りました。

…予定の時間を大幅に超えて、東京へ戻られる飛行機の時間ギリギリまで
熱くそしてユーモアたっぷりに語って下さいました。
川口先生ありがとうございました!


指宿から鹿児島市内へと戻る途中、matteruさんが面白い場所に連れて行ってくれました。
コアラがいることで有名な平川動物公園に隣接した錦江湾公園です。
ここは実は鹿児島市内の宇宙スポットだそうで…


パラボラアンテナがあります!
これはかつて国立天文台三鷹キャンパスにいたパラボラさんで、
1993年にここに移設されて以来現在でも現役で使用されているとのこと。

そして、公園の丘の上には…


H-IIロケットの実物大モデルがいました!
これは以前、鹿児島で開催された博覧会の開場で展示されたものだそうです。
H-IIロケットの実物大モデルは種子島宇宙センターにもありますが、あれは横に寝ている姿で展示されているので、打上げ時さながらの姿で立っているH-IIロケットは貴重かも。
…って、もう既に日が落ちて真っ暗ですね。ここにはまた今度、暖かくなってから昼間のうちに来たいと思います。


いぶたま!「指宿のたまて箱」号で指宿へGO!

2012-02-25 | 鉄道

JR九州が九州各地で運行する観光特急の中でも、一際個性的なのが「指宿のたまて箱」号、愛称はいぶたま!
どこが個性的なのか?それは列車の顔を見ればわかります。
何はともあれ、まずは列車に乗りに行きましょう!

平成24年2月19日


という訳で、九州新幹線に乗ってやって来ました。新幹線の最南端の終着駅、鹿児島中央駅
ここがいぶたまの始発駅。薩摩半島の南部にある温泉地、指宿まで走ります。




朝9時半頃、鹿児島中央駅の在来線プラットホームに登場した、これが「指宿のたまて箱」号!
さあ、この顔をご覧あれ!!



白黒半分です(笑)
顔のド真ん中で、車体色が見事に白黒2色に分かれてます。
こんな突拍子も無いデザインの列車、他に有り得るでしょうか?

このアヴァンギャルドなデザインを手掛けたのは、勿論!
JR九州のデザイン顧問でありドーンデザイン研究所を率いる水戸岡鋭治先生
こんなデザインを考えつくのはきっと、世界中でも水戸岡先生だけですねぇ。
そしてさすが水戸岡先生の作品だけあって、このいぶたま、奇抜なだけではなくて実はなかなか美しいのです。


ステンドグラスに護られていぶたまの車内に鎮座する、これは玉手箱!
「指宿のたまて箱」という名前は薩摩半島南部に伝わる浦島太郎伝説 に因んで名付けられたもの。
強烈な白黒半分の車体色も、実は玉手箱を開けた浦島太郎の黒髪が瞬時に白髪になってしまった様子を表わしているんだとか。
車内に玉手箱を納めたいぶたまは、さしずめ走る竜宮城?


浦島伝説に関連して、海にまつわるオブジェもさり気なく並びます。


乗務員室も、水戸岡先生の手に掛かれば小粋なオブジェに早変わり。
こういった小さな工夫で車内をお洒落に楽しく見せる水戸岡先生の手腕にはいつも驚かされます。


竜宮城の玉座というべきソファー席。
全席指定で様々なタイプが用意されたいぶたまの座席の中でも一度は座りたい、ここは特等席ですね。


ソファー席の周りを囲む本棚。本棚も最近の水戸岡デザインでは必ず用意される重要な設備ですね。
本棚の中には浦島伝説を意識してか神話や民話、そしてちょっと不気味な伝奇や妖怪、呪術に関する本が揃っていて車内で読むことが出来ます。


海側を向いたカウンター席。錦江湾の風景を思う存分見るための座席です。


グループ客のために、4人用のボックス席も用意されています。






ベビーサークルと子供用の小さな椅子、そして子供たちを寛ぎながら見守る大人のためのソファー席。
これも水戸岡デザインではお馴染みの設備です。
本当にいろいろな種類の、洗練された美しいデザインの座席が用意されていますね。

夢中になって車内を観察しているうちに、
「指宿のたまて箱」1号は09:54に鹿児島中央駅を発車。
走る竜宮城に乗って、指宿までの小さな旅が始まります。





この日は2月の真冬の曇り空が広がる天候でしたが、それでも錦江湾を満喫出来ました。
でも、やっぱり夏の青空の下の海が見たいですよねぇ~ 
今度は夏に、また乗りに来ないと(笑)


車内には小さなサービスカウンターもあり、JR九州の客室乗務員さんが飲食物の販売も行なっています。
指宿温泉サイダーというのを買って飲んでみました。
これも夏向きの爽やかな飲み物ですね。

いぶたまの車内では、乗客が書いた誰かに伝えたいメッセージを客室乗務員さんが車内放送で読みあげてくれるというサービスも行われており、僕もメッセージを読んでもらいました。
←こんな内容です(写真をクリックすると拡大)。
そう、今日はこれから指宿に着いたら、小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトマネージャ川口淳一郎先生の講演会を聴きに行くのです!

川口先生がこのいぶたまに乗車されている訳ではないけれど、毎日忙しく全国を飛び回って「はやぶさ」と日本の宇宙科学について語られている川口先生への僕の感謝の気持ちを表現したくなったのです。

それにしても、僕のメッセージを読み上げた後に続けて客室乗務員さんが、
来週から指宿市内で始まる「はやぶさ」の地球帰還カプセルの展示についても紹介してくれたのにはビックリ!
よく地元のイベント情報を把握されているなぁ、そして「はやぶさのカプセル」という言葉が出てきたのが宇宙ファンとして本当に嬉しかった!
あんまり嬉しかったので、指宿駅に到着する前に客室乗務員さんにお礼を言うと、
何と「はやぶさ」が九州を走っていたブルートレインの愛称から命名されたことまで御存知でした。
JR九州鹿児島ベースの客室乗務員のクオリティの高さ、恐るべし!

鹿児島中央駅から1時間足らず。10:46に「指宿のたまて箱」1号は終点の指宿駅に到着。




駅に着いてドアが開くと、「玉手箱」だから当然白い煙(水蒸気のミスト)が吹き出します!
乗客の白髪が増えないか心配です(笑)

かくして、「指宿のたまて箱」号の小さな旅は終わりましたが、
いぶたまは指宿駅に僅か数分間の停車後に鹿児島中央駅行きの列車として慌ただしく折り返し発車していきます。







いぶたまを見送ってから、指宿駅まで迎えに来てくれていた鹿児島在住の宇宙クラスタmatteruさんと合流。
さあ、これから川口淳一郎先生の「はやぶさ」講演会へと向かいます。
(という訳で、この後は川口先生講演会レポに続きます!)


おまけ画像

川口先生の講演会まで時間があったので、
matteruさんのクルマで日本最南端のJR駅西大山駅に連れて行ってもらいました。
ここははやぶさ帰還ブログIES兄が実施した伝説の企画「はやぶさ位置の「西大山ー(西鹿児島)ー東京ー淵野辺」スケール換算」の起点駅として、今や宇宙ファンにも有名な場所だったりします。



以前は漬け物工場が近くにあるだけの、煙草畑に囲まれたなーんもない場所にポツンとある実に情緒のある無人駅だったのですが、
いつの間にやら駐車場やお土産物屋まで整備されて、すっかり観光地化していて驚きました。


最南端の駅とどういう関係があるのかはよくわかりませんが、幸せの黄色いポストまであります。




プラットホームから見える開聞岳の雄姿だけは今も変わりませんね。


西大山駅から枕崎方面に少し歩いた、この踏切の辺りで線路が北向きにカーブしています。
ここが正真正銘、日本本土で最南端のJRの線路です。

もっとも、東シナ海を隔てた沖縄本島には正真正銘の日本最南端の鉄道「ゆいレール」があるんですけどね。
そして沖縄の更に南には台湾の鉄道が…
鉄道は、地球の各地をくまなく結んでいます。線路は続くよ、地球のどこまでも。

愛車VIVIOビストロ、2回目のタイミングベルト交換

2012-02-18 | 日記

愛車のSUBARU VIVIOビストロ君のタイミングベルトを交換しました。
これで2回目の交換です。

実は今回のタイミングベルト交換は結構大変だったのです。
当初は数時間の作業で終わるはずが、エンジンをバラしてみるとサーモスタット部のボルト2本が腐食してステイに固着していることが判明。
何とかボルトを緩めようと試みるも、1本は頭部がねじ切れてしまい、もう1本は全く回すことも出来ない状態。
やむを得ずステイを含む台座丸ごと交換が必要と判断してパーツセンターに発注をかけたところ、何とメーカー在庫が日本全国で残り1個だけ!という際どいタイミングだったそうです。
結局、日本で1個だけの台座部品が届くまで約1週間、ビストロ君はディーラーの整備工場に入院して過ごすことになってしまいました。


これが、今回全取替えとなったサーモスタット部。
中央の銀色の部分がそうです。
SUBARUの名車VIVIOも生産終了から既に10年以上が経過して、部品も徐々に枯渇しつつあるのですね。
でもSUBARUディーラーの整備士さんによると、中古部品はまだ相当数が市場に残っているとのことなので、まずは一安心。
それに今回真っ更の新品に交換したから、サーモスタットは今後十数年は持つだろうしね。
ともあれ、今回もビンテージ17年物の旧いクルマを丁寧に手入れしてくれたSUBARUディーラーの整備士さんに感謝!

かくしてタイミングベルトは無事に交換完了。
ついでにエンジンオイルも交換して、劣化の進んでいた樹脂パーツも一通り新品に取り替えて、エンジンがすっかりリフレッシュしたビストロ君。
今日現在の総走行距離は183923キロ。


地球から月を目指して、目標の38万キロまであと20万キロ!
頑張って月に行くぞビストロ君!!

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行番外編その5 カリーヴルスト

2012-02-16 | 食べる
(ドイツの寿司の話の続き)

ベルリンの名物料理、と言う程でもないが地元の人に大人気の立ち食いジャンクフード、
それがカリーヴルストだ。
要するに「カレー風味のケチャップかけソーセージ」、実に単純で他愛もない食べ物。
でも、これが病みつきになる旨さなのです。


ベルリン市内のあちこちにある、カリーヴルスト専門のファストフード店でオーダーした
「標準的なカリーヴルスト」
焼いたソーセージを専用のマシンでブツ切りにしてケチャップをぶっかけ、仕上げにカレー粉をぱらり。
付け合せはマヨ(マヨネーズ)を添えたポンメス(フライドポテト)。
ドリンクとセットで4.99ユーロ也。


こちらはベルリン動物園の近く、カイザー・ヴィルヘルム記念教会周辺の
クリスマスマーケットのインビス(屋台)で売っていたカリーヴルスト。
炒めた玉葱と一緒にカレー風味のケチャップで煮込んである、ちょっと手の込んだスタイル。
閉店間際なので大盛りサービスで、値段も定価3ユーロを2ユーロに負けてくれた。


一方、ドイツでは新興勢力であるアジアンテイストのファストフード
老舗のカリーヴルストに迫る勢いで大攻勢をかけている。


こちら、ベルリンzoo駅の中にあるアジア料理専門のファストフード店で買ってみた鶏唐揚げヌードル。
中華料理風だが、何故かテーブルにはキッコーマンの醤油差しが。


かなりボリュームがあります。
ヨーロッパ旅行中に、たまには中華麺で気分を変えるのもいいかも。

ベルリン市内のスーパーマーケットでは、カップ麺も売っている。
ただし日本のカップラーメンではなく、タイ料理風と銘打っているが。



…これは正直、
「日本のカップラーメンがしみじみと恋しくなるような味」でした(笑)

食べ物の話が続いたので、次回はドイツの飲み物のことでも書きます。

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行番外編その4 ドイツの寿司BENTO

2012-02-15 | 食べる

(ドイツのおかしなお菓子の話の続き)

今や世界中に広まり、愛されている大人気の日本食、寿司(SUSHI)

僕は海外旅行に行った先々で、スーパーマーケットで売っているパックのSUSHIを買って食べてみるのが楽しみなのだ。
国によって、日本で食べる寿司に引けを取らない美味しいものもあれば、
もはや寿司とは次元が異なる何か別の食べ物に進化というか変化しているものもある。

勿論、話のネタ的に面白いのは「現地に適応しすぎて変わり果ててしまった『SUSHIのようなもの』なのだが…
味はともかく。

さて、ドイツはベルリンの中央駅にあるスーパーマーケットKAISER'Sで見つけたこのSUSHI、
いかにも几帳面なドイツらしい、きっちりとしたパッケージに丁寧に寿司詰めにされている。
ドイツ人の気質にSUSHIは合うのかも知れない。



パッケージを開けてみると、こんな感じ。
巻き物がズラリ。具はサーモンとエビがメインのようですな。

そして何故かケーキのホイップクリームのように上品に盛り付けられたワサビと、
日本から直輸入したと思しき魚のかたちの醤油入れ。
そういえば、どこの国のSUSHIでも醤油だけはやたらと本格派なんだよなぁ
(日本の醤油メーカー各社の、プロ○゛ェクトXばりの営業努力の賜物でしょうかひょっとして)

ちなみにこのSUSHI、PREMIUM BENTOと銘打っており価格も7.99ユーロとなかなか強気。
お味の方は…普通でした。話のネタ的にはつまらんな、残念(笑)
(※但し、日本人が食べても違和感なく普通だと感じるんだから、実際には相当レベルが高い味だと思われる。)

でもやっぱりドイツではSUSHIよりお肉、ソーセージが美味いよなぁ。
という訳で、明日は本場ドイツの屋台の立ち食いソーセージの話でもします。

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行番外編その3 ドイツのチョコレートは日本?

2012-02-14 | 旅行
(ペーネミュンデのねこの話の続き)

今日はバレンタインデーですね。
日本ではチョコレートを贈る日ということになってるけど、ヨーロッパではチョコに限らず
花束やグリーティングカードなんかをやり取りする習慣があるそうです。

さて、そんなヨーロッパでもドイツでは、チョコレートがちょっと大変なことになっていたのである。これがそうだ。



チョコ「ニッポン」です。
パッケージのデザインも、まるで日の丸のような日出ずる処のデザインですよ。

ベルリン中央駅のスーパーマーケットで見つけた、この謎の日本チョコレート。
早速開けてみると…



ポン菓子のようなものをチョコレートで固めたものでした。
ドイツにポン菓子があるのも驚きだが…
結局、何故これがchoco「nippon」なのか、そもそも「nippon」とはやはり日本のことなのかどうかは
わからずじまいなのであった。
(※どなたかドイツ事情に詳しくて、詳細を御存知の方が居られましたら是非ご一報下さい)

ちなみにスーパーマーケットには別に謎のお菓子を探しに行った訳ではなくて、
僕が海外に行ったら楽しみにしている外国の寿司を買いに行ったのだ。
海外で独自の進化というか変化を遂げた寿司は、なかなか面白いのだよ…

という訳で、明日はドイツの寿司の話でもします。

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行番外編その2 ペーネミュンデのねこ達

2012-02-13 | ねことか

(和歌山電鐵のねこの駅で初詣した話の続き)

世界初の宇宙ロケットV2が生まれたロケットの聖地、ドイツのバルト海沿いにあるペーネミュンデにも
やっぱりねこがいる。

ペーネミュンデ歴史技術博物館のチケット売り場の裏庭で出会った彼らは、
毎日V2ロケットの実物大モデルやエネルギーセンターを見上げて
フォン・ブラウンやセルゲイ・コロリョフが闊歩したであろう工場敷地を散歩して暮らす果報者である。


暫く後をついてきた、人懐っこい子。
でもなかなか顔を撮らせてくれない。


眼光するどいけど、ちゃっかりカメラ目線の子。

ともあれ、一つ確かなのは
「世界中どこに行っても大抵ねこはいて、そしてねこは可愛い!」 ということだな、うん。
…そう言えばフォン・ブラウンやコロリョフはねこ好きだったのかな?

ところで、僕は、ねこも好きだがチョコレートも好きだ。
明日はバレンタインデーですねぇ。いや、だから何だという訳でもないですが。

明日は、ドイツのチョコレートの話でもしますかね。

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行番外編その1 ねこの駅で初詣!

2012-02-12 | 食べる


平成24年1月4日ロケットの聖地ペーネミュンデを訪ねる旅から帰国した僕は、
関西空港まで出迎えに来てくれた宇宙クラスタ鉄道部関西支部長と一緒に、
JRの関空快速と紀州路快速を乗り継いで和歌山をめざしたのだった…
(何故、帰国早々和歌山なのか?それは追々分かる)

和歌山駅に着いたら、ローカル鉄道の和歌山電鐵に乗り換え。
そのまま終点の貴志駅




この和歌山電鐵貴志駅、今ではすっかり有名になったねこの駅長・たまさん がいる駅なのだ。
…しかしこの日は、たま駅長は正月休みで不在のようだったが。

以前は典型的な田舎のローカル駅といった佇まいだった貴志駅、今ではたま駅長のおかげで観光名所となり、
何と水戸岡鋭治先生デザインの新しい駅舎まで建ってしまった。
何て恐るべきヤリ手なんだ、ねこの駅長の手腕恐るべし…


駅舎もねこ顔(笑)

ところで、この屋根に猫の目があるデザインは
バルカン半島辺りの伝統的な「魔除け窓」の建築様式を取り入れてますな。
←こういうのね。(2007年1月、ルーマニアのシギショアラで撮影)

猫目の屋根の下はこんな感じ。

駅舎の中は「たまカフェ」になっているのだ。
これがホントの猫カフェなのだが、今日はたまさんはいない。残念!

たまカフェで寛いで、関西支部長と新年早々男二人でねこ充・鉄道充したのだが、
関西空港から九州への帰りの飛行機の時間が迫っている。
名残惜しいがすぐに退散。

帰り際に貴志駅のプラットホームの脇へ。そこにあるのは…







貴志駅プラットホーム上には、3つ並んだ可愛い神社。

そう、今日はここまで初詣に来たのです!

和歌山電鐵を走る3つの個性的な電車の名前にそれぞれあやかった神社、
鉄道好きと猫好きにはたまらない御利益がありそうだね。
ちなみに「たまカフェ」では「たまみくじ」も売ってます(笑)

かくして慌ただしく初詣を終えて、やっと九州へ帰ったのでした
(関西支部長、正月から鉄道部の活動に付き合ってくれてありがとう)

そうそう、ねこと言えば、ドイツにいたねこも可愛かったな。
(次回、ドイツのねこの話に続く)

映画「はやぶさ 遥かなる帰還」を観てきました

2012-02-12 | 映画・演劇・コンサートを観る
公開初日に観てきました、映画「はやぶさ 遥かなる帰還」





一連の「はやぶさ映画」シリーズの中でも特に前評判が高かったこの作品、期待を裏切らない出来でしたね。

この作品の前に公開された映画「はやぶさ/HAYABUSA」があくまでリアルを追求した記録映画のような仕上がりだったのに対して、
「はやぶさ 遥かなる帰還」は「見せる作品」です。役者さんも熱く演技しています。
渡辺謙演じる川口プロマネ、江口洋介演じる國中先生、まるでサムライです。NASAを向こうに回しての立ち回り、IESに懸けた情熱、カッコ良すぎます!
宇宙研の先生方やメーカーの担当者が議論を交わし声を荒げるシーンもあり、宇宙ファンも没頭して熱く楽しめる内容です。

ただし、「はやぶさプロジェクト」の膨大な情報量を持つストーリーを人間ドラマも織り込みつつ凝縮したせいか全体的にストーリー展開がかなり駆け足になっており、当時「はやぶさ」をリアルタイムで追いかけていた者としては物足りなさを感じる点も…
何しろ、イトカワ到達までの往路とIES停止までの帰路、「はやぶさ」の長く地道な宇宙での行程がほとんど省略されてしまっていますからね。
1bit通信や地球スイングバイについても説明があまり無いので、その辺の事情を熟知した宇宙ファンはともかく、宇宙に興味のなかった方は途中で内容についていけなくなるのではないかと心配になりました。

でもその分、テンポ良く進むストーリーでエンディングまで一気に観ることが出来ました。
エンドロールを飾る宇宙研の歴史と辻井伸行のピアノ曲に思わず涙腺が緩む、そんな作品でした。

JAXAタウンミーティング in 鳥栖に行って来ました

2012-02-11 | 宇宙

平成24年2月11日、佐賀県鳥栖市で「第73回JAXAタウンミーティング」 in 鳥栖が開催されました。

“鳥栖から羽ばたく 宇宙(ゆめ)への挑戦”
「第73回JAXAタウンミーティング」 in 鳥栖の開催について


今回の登壇者はH-IIAとH-IIBを手掛けたロケットの専門家遠藤守先生と、
JAXAの宇宙科学広報・教育普及を担う御存知イケメン天文学者阪本成一先生という豪華メンバー。
鳥栖までは、僕の住む熊本県八代から高速道路で2時間足らず。なので勿論、ひとっ走りして参加してきました!

今回のJAXAタウンミーティングの会場は、JR鳥栖駅の真裏にあるサンメッセ鳥栖




受付の横に並べられた鳥栖市周辺の陸域観測技術衛星「だいち」画像や日本人宇宙飛行士関連の紹介パネルと
「はやぶさ」とロケット関連の展示品。




今回は定員180名がほぼ埋まって満席御礼とのこと。

13:30、鳥栖市長の挨拶でタウンミーティング開始。
JAXA広報部長の寺田弘慈先生によるJAXAの事業概要説明とタウンミーティングの概要説明に引き続いて、
遠藤守先生の話題提供「ロケットの今と夢」



◎JAXAと佐賀県の連携事例として、「だいち」のデータを使った嬉野茶生産の取り組み
◎宇宙の定義とロケット打ち上げに関する基礎説明

◎日本のロケット開発の歴史
固体燃料ロケットと液体燃料ロケット、
H-IIA・H-IIB・HTVこうのとりの概要説明、
世界の主要ロケットとの比較、
基幹ロケットの抱える課題と次期基幹ロケット構想

◎イプシロンロケットの概要
来年夏に内之浦で復活する固体燃料ロケット

◎次世代宇宙輸送システムの研究開発

これに対する意見交換

Q:今後のロケット利用は、どういったものが考えられるか?
A:アメリカでは既に個人の大金持ちがチャレンジしているが、お金を払っての宇宙観光旅行が考えられる。
また、常に太陽光の当たる静止衛星軌道上に発電衛星を送って宇宙発電をという構想もあるが、現時点ではコストが掛かり過ぎるので夢物語。

Q:日本でのロケット打ち上げ回数はどの位?一度、打ち上げを実際に見てみたい。
A:日本では基本的に年間2機、種子島から打ち上げる 全世界では年間60~70機、最近は軍事利用が減っているので回数が減少している。
中国は年間約20機、ロシアが約30機、アメリカは10機足らず。
(阪本先生の補足説明)日本では、内之浦から年に数回観測ロケットの打ち上げも行なっている。内之浦は陸続きなので、是非見に行って欲しい。

Q:宇宙ゴミの回収方法は?
A:大きなものは地上観測で捕捉して回避するようにしている。小さなものは、国際宇宙ステーション等ではプロテクタを装着して防いでいる。実際プロテクタに幾つか衝突している。
現在、投網をエイヤッと広げて宇宙ゴミを捕まえて大気圏に再突入させる方法も研究開発中。

Q:2010年に佐賀県立宇宙科学館で「はやぶさ」の帰還カプセルの展示があったが、帰還カプセルの大気圏再突入を撮影したのは確か地元佐賀県出身の方だと思うが御存知か?
また、今夜19時頃に佐賀県上空を国際宇宙ステーションが通過するが、国際宇宙ステーションの船内には速度計があって現在速度を表示していると聞いたが本当か?
A:(阪本先生)「はやぶさ」帰還カプセルの写真をオーストラリアで撮影したのは確か佐賀県の方だと思う。
国際宇宙ステーションの速度計の話は聞いたことがないです。
(遠藤先生)私も速度計の話は知らなかった(笑)
(ISSの速度計…あんまり意味ない設備だけど、あったら確かに楽しそうですねw)

Q:新しいロケットの推進剤の研究等は行われているのか?
A:メタンを使う推進剤を研究中。
(阪本先生)固体燃料ロケットの上段に小さな液体燃料ロケットを取り付けて両方のいいとこ取りをしようという研究開発は、現在イプシロンロケットのオプションで行なっています。

Q:アポロ陰謀説について。
A:(阪本先生)陰謀説はすべて論破されています。
それに、米ソが強硬に対立していた冷戦期に、ソ連がアメリカの月着陸に納得してる位だから…(笑)

続いて阪本成一先生の話題提供「宇宙に出てはじめて分かる地球のこと
~日本の太陽系探査・スペース天文学の挑戦~」
と、
引き続き意見交換



Q:福岡の高校生です。文系なのですが、JAXAで雇ってもらえますか?
A:(遠藤先生)JAXAには理系だけでなく、文系の人もいます。JAXAは世界の宇宙機関と付き合いがあるし、世界と協力するには文系の人が必要。宇宙基本法やマネジメント関連でも。
(阪本先生)あなたは「とにかくJAXAに入りたい」のか、「宇宙に関わる仕事がしたい」のか。おそらく後者だろう。現代社会の問題と宇宙を重ねあわせて考えると、ブレークスルーで何かが見えてくる筈。だからJAXAに入ることにこだわる必要はない。

Q:「はやぶさ」の形状について。何故、立方体なのか?バランスを考えると球状のほうが都合がよくないか?
A:立方体のほうが作りやすいから!昔の衛星はスピン安定型だったので円筒形のものが多かったが、最近の衛星は3軸制御が主流なので立方体で作ることが多い。勿論、立方体でも熱構造の計算等はきちんと行なっているので、球状より都合が悪いということはない。
(遠藤先生)立方体だと、後で蓋を開けて搭載機器の調整なんかもしやすいしね。

これ以外にも多数の意見が交わされ、大盛況のうちに「第73回JAXAタウンミーティング」 in 鳥栖は幕を閉じました。
また、今回でJAXAタウンミーティングの延べ参加人数が1万人を超えたとのことで、1万人目に受付を済ませた参加者への記念品進呈も行われました。

閉会後、大勢の参加者から質問攻めとサイン攻めにあっている阪本先生と遠藤先生に僕もご挨拶。
遠藤先生には先日のペーネミュンデ旅行のお話もすることが出来たのですが、
「V2はミサイルではなく紛れも無い世界最初の宇宙ロケット。フォン・ブラウンは何もないところからあれだけのものを創り上げたのだから、やはり素晴らしい。」
「日本の液体燃料ロケットは、アメリカからの技術導入とは言え、肝心なところはブラックボックスで何も教えてもらえなかった。だから日本人の手で、自分たちで開発した。」というお言葉が強く印象に残りました。

日本のロケットが、ますます好きになりました。ありがとうございました!

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 9、ベルリンの休日 エピローグ

2012-02-10 | 旅行
ベルリン市内を走る路面電車 アレクサンダープラッツにて


遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 8、再びV2からの続き

2012年1月2日

今日は、ベルリン滞在の最終日。明日には日本に帰る。
旅の最後の一日は、特に予定を入れていない。のんびり気ままに、ベルリンで休日を楽しむつもりだ。

ホテルを出て、冷たい小雨の降るベルリン市街をぶらつく。
キリスト教圏の西ヨーロッパではクリスマスが終わってしまうと冬の休暇シーズンはもう終わりという感じらしく、新年2日目だというのに街は既に平日の装いに戻りつつある。



Sバーン(ベルリン市街・近郊電車)に乗って、デパートや大型書店の立ち並ぶフリードリヒシュトラーセ駅周辺でお土産物やドイツ語の本の買い物を楽しんでから、アレクサンダープラッツ駅へ。
一昨日の年越しの晩には、花火と爆竹が打ち鳴らされ狂乱騒ぎの場だったアレクサンダー広場も、今日はしっとりと小雨に沈んで落ち着いた佇まいだ。
アレクサンダー広場周辺はドイツ鉄道(DB)の駅を中心にSバーンやUバーン(地下鉄)そしてトラム(路面電車)が集まるベルリンの交通の要衝である。特にトラムはアレクサンダー広場の中にまで入ってくるのでよく目立つし、何だか乗ってみたくなった。
インターシティホテルで貰ったベルリン市内公共交通乗り放題パスは勿論トラムも使えるので、早速いま来た路面電車に飛び乗ってみる。





トラムの車内は、近代的な超低床式。日本でもよく見かけるタイプで、地元で乗り慣れた熊本市電の超低床電車とよく似ている。

アレクサンダー広場の停留所から乗ったトラムはMetroTramのM2系統という路線らしいが、手許のガイドブックにもトラムの路線図は何故か載っておらず、ベルリンの街のどこへ行く路線なのかよく分からない。
とりあえず終点に着いたらそのまま折り返して帰ってくればいいやと、目的のない路面電車のベルリン散歩を楽しむことにした。



現存するベルリン市内のトラムはすべて、かつての東ベルリン地区で運行されているらしい。
車窓には、特に華やかでもない東独の街並みが流れていく。




終点のAm Steinberg停留所は、郊外の工場や自動車ディーラーなどが並ぶ殺風景な場所だった。

近所の住人といった感じの人達が乗り降りして、トラムは繁華街のアレクサンダー広場に向かい折り返す。



これといって見所がある訳でもなかったが、
生活路線のトラムに乗ってベルリンの市井の風景を眺めることが出来たので面白かった。

アレクサンダー広場に着いたら今度はUバーンに乗って、ポツダム広場へ。
ここはかつてベルリンの壁が通っていた地区を統一後に再開発して生まれた区画であり、美術館やベルリン・フィルハーモニーをはじめとする各種の文化施設が集積しているベルリンの新しい顔である。



ポツダム広場の一角には、ベルリンの壁の遺構が展示されていた。

イデオロギーが都市を、国家を、そして人々の生活を引き裂いていた歴史の遺産は、
今ではコンクリートの塊と化して近代的な街の中に骸を晒していた。


ポツダム広場の象徴ともいうべき場所がここ、ソニーセンター。
巨大なテントの下の空間にはどうやらつい今しがたまでクリスマスツリーがあったようなのだが、ちょうど撤去が終わったばかりのようで、樅の木を積んだトラックや高所作業車が撤収準備をしていた。

ベルリンがクリスマス休暇の装いを脱いで普段着に戻るのに合わせるかのように、僕の旅も終わりが近づいていた。
真冬の短い日はもう傾き、街は旅の最後の夜に包まれようとしている。


ホテルに戻る前に立ち寄ったベルリンost駅には、西ドイツ方面へと向かう超高速列車ICEが停車していた。
「そう言えば、今回はこいつに乗れなかったなぁ…」
この次は、この列車にも乗ろう。そして、もっとドイツを駆け巡ろう。鉄道の旅をしよう…

2012年1月3日


昼前にベルリン・テーゲル空港を飛び立ったルフトハンザ航空国内線LH185便は、平原に風力発電の大風車が林立する風景を翼の下に眺めながら小一時間でフランクフルト国際空港に到着した。

フランクフルト空港で、日本に直行する長距離便に乗り換え。帰りは関西空港経由、LH740便 ボーイングB747-400。
この路線は、最近ではあまり見かけなくなってきたジャンボジェットを使用している。




離陸して機内食の食事を済ませ、一眠りして目を覚ますと、ジャンボ機はもうシベリアのこちら側、アジアの入り口を飛行していた。
眼下には朝陽に染まる雲海が広がる。ドイツも、ポーランドも、ヨーロッパはもう遙か彼方の空の向こうだ。


空と雲を見ながら、考えていた。

「ロケットなら、ヨーロッパからここまで数十分で来れるな… そろそろ、第一段目を切り離す頃かな?」

僕の瞼の裏には、
ペーネミュンデから打ち上げられた、V2によく似たロケットが高度を上げていく様子が浮かんだ。
ロケットはどんどん翔んでいく。決して、無様に墜ちるようなことはない。



ロケットは、すべての人から笑顔で祝福されて、宇宙に行くんだ…


そこには、戦争や報復なんて哀しく惨めな考えは微塵もない。
人類の飽くなき宙(そら)への想いを乗せて、煌めきながらロケットは翔ぶ。



「きっと、あなたもそのことをいつも心の底から願ったんでしょう?
たとえ、大いなる夢を成し遂げるために、
悪魔のように冷酷な覚悟と揺るぎようのない信念をもって、
そして或いは諦観の境地にいたとしても。
そうではないですか?ヴェルナー・フォン・ブラウン…」




ロケットは何故、おぞましい殺戮の道具として生れなければならなかったのか。
フォン・ブラウンは何故、悪魔と契約を結んでまで宇宙を目指そうとしたのか。
宇宙が好きで、そこを目指す宇宙機・探査機・衛星たち“宇宙の子”を載せて翔び立つロケットが好きで、そのことに情熱を燃やす人たちが好きな僕の中でそれは大きな謎で在り続けた。
そして、そんなロケットが初めて宇宙へ旅立った地…遙かバルト海の沿岸、かつてV2の秘密基地が建設されたペーネミュンデに自分の足で立ち、自分の目で見て確かめたかった。

大いなる謎を秘めたロケットの聖地を目指す旅を終えようとしている今、僕なりに謎は解け始めたと感じている。

これからもロケットが決して墜ちることなく翔び続けるよう見守ること、それが僕たちの義務。


画像提供:JAXA

 記事一覧

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 1、プロローグ ベルリン

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 2、ベルリン発ペーネミュンデ

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 3、廃墟のエネルギーセンター

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 4、博物館

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 5、国境の港街

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 6、プラハ行き国際列車

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 7、ベルリンの蒸気機関車たち

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 8、再びV2

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 9、ベルリンの休日 エピローグ


僕がペーネミュンデへの旅に出るきっかけとなった著書
「月をめざした二人の科学者 アポロとスプートニクの軌跡」を書かれた
的川泰宣先生に感謝致します。
ありがとうございました。 天燈茶房亭主mitsuto1976 拝

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 8、再びV2

2012-02-04 | 博物館・美術館に行く
ベルリン、ドイツ技術博物館 新館の航空機展示


遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 7、ベルリンの蒸気機関車たちからの続き

ドイツ技術博物館のエントランスホールがある、屋上に飛行機の載った建物は、航空と船舶の展示室のある新館。
鉄道の展示にどっぷり浸った後は、こちらも覗いてみる。




新館の下層階は独特の雰囲気の、船の展示。
実物の汽船やスクリュー等の巨大な展示物のほか、模型の展示がとにかく充実している。
また、ナチス関連と並ぶ「ヨーロッパの歴史の、負の遺産 」として、アフリカから黒人奴隷を「出荷」していた奴隷貿易船の船倉をそのまま再現した展示もあった。

そして上層階は、建屋の中を埋め尽くさんばかりの飛行機の群れ!
蒸気機関車の実機展示も凄かったが、航空機の実機展示数も桁外れなのだった。







翼を折り重ねんばかりの密度で詰め込まれた飛行機たちに、ただただ圧倒される。
どれも皆、歴史上名高い名機なのだろうけれど、生憎と飛行機に関する知識が無いのでただ感心しながら眺めるばかりだ。






戦闘機と並んで、ペーネミュンデでも見た飛行爆弾V1が展示されていた。

そして、V1の奥には…


見憶えのある、奇妙なかたちの機械。
宇宙ロケットA4、V2のエンジンが、復元され組み立てられた状態で置かれていた。

ペーネミュンデの歴史技術博物館で出会ったV2との、首都ベルリンでの再会である。


ペーネミュンデでは壊れたエンジンの燃焼室上部、燃料噴射ノズルのカットモデルを見たが、
ここドイツ技術博物館にあるのはエンジンの完成品である。
複雑な形状の、光沢のある液体燃料のパイプ類が接続された燃料噴射ノズルは、日本で見たH-IIAロケットのメインエンジンLE-7Aにも脈々と連なる液体燃料ロケットの始祖としての独特の雰囲気をまとい、鎮座していた。

そしてその隣には、朽ちたエンジンがある。
連合国空軍による度重なる空爆を受けたペーネミュンデの研究開発施設の跡地か、或いはドイツの敗戦間際まで報復兵器V2を大量生産していたハルツ山脈南東の地下工場ミッテルヴェルク から掘り出されたものであろうか。







変わり果てた姿となったロケットエンジンが、宇宙ロケットの背負った宿命を静かに語りかけてくるようだった。











V2の開発過程で使用されたのであろう、風洞実験モデル。
それは奇しくも、日本が独自に開発した宇宙科学研究所の固体燃料ロケットの始祖、ペンシルロケットととてもよく似ている。
だが、V2とペンシルロケットではそれぞれが背負うものは天と地程も違う。
生まれながらに報復兵器としての側面を持たされたV2とは正反対に、ペンシルロケットは純粋に人類の幸福と進歩に貢献する科学の申し子として、戦争が終わった平和な空に翔び立ったのだ(但し、最初は水平方向への飛翔だったのだが…)。

だがしかし、V2もまた、やがて人類の進歩の為に翔び始める。



V2のエンジン復元モデルの奥には、巨大な液体燃料ロケットエンジンがあった。
戦争の呪縛から解き放たれ、報復兵器ではなくなったV2は真の姿へと進化を遂げた。
NASAのアポロ計画で使用されたサターンI/サターンIBロケットの第一段目エンジンとして使用されたH-1エンジン
それはやがて更に巨大で強力なF-1エンジンへと進化し、人類を月へと送り届けるサターンVロケットに搭載されることとなる。


そしてV2の展示室の出口に置かれていた観測ロケット、petrel 1とSuper Loki、Skua。
ドイツのロケット技術を元に開発されたイギリスとアメリカの固体燃料ロケットで、気象観測や大気の観測を行ったという科学ロケットだ。
固体燃料ロケットは日本以外の各国では主に軍事用のミサイル技術として用いられるのが普通だというが、学術目的の観測ロケットとしても大いに平和利用されている。

結局、空を翔ぶものが遙か宇宙を目指すロケットとなるか、人々の頭上に墜落するミサイルとなるかを決めるのは、
人間なのだ。

ロケットを、決して墜としてはならない…

それが、空を翔ぶ術を手にした人間に課せられた絶対の義務なのだと思う。

そこまで考えた時、謎が解け始めたような気がした。
ペーネミュンデで、そしてベルリンで、V2がそのことを僕に教えてくれた。
このことを決して忘れはしない。そして、これからも考え続ける。ロケットが生まれた本当の意味とは、一体なんなのだろうかと…




元日の午後を過ごしたドイツ技術博物館を出ると、外はもう日が暮れていた。
ホテルに帰る前にベルリンの正月気分を味わいたくて、西ベルリンの繁華街クーダムへ寄り道してみる。
3日前、ドイツに到着した晩に泊まった地区だ。




ちょうど、zoo駅前にあるカイザー・ヴィルヘルム記念教会が午後6時の鐘を打ち鳴らし始めた。
教会の周辺にはクリスマスマーケットがまだ営業を続けている。
今夜は暖かな明かりを灯した屋台を巡って、ベルリン名物の立ち食いカリーヴルスト(カレー風味の焼きソーセージ)を味わって行こうと思う。

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 9、ベルリンの休日 エピローグに続く

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 7、ベルリンの蒸気機関車たち

2012-02-04 | 博物館・美術館に行く
ベルリン、ドイツ技術博物館に眠る名機01 1082


遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 6、プラハ行き国際列車からの続き

今夜のベルリンの宿は、ドイツ鉄道(DB)のost駅の中にあるインターシティホテル。
DBが経営するビジネスホテルで、宿泊客には滞在期間中ベルリン市内の公共交通が乗り放題になるパスをくれたりするので便利だ。
部屋に荷物を置いてから早速、乗り放題パスでSバーン(ベルリン市街・近郊電車)に乗って、2011年最後の夜を迎えたベルリンの街へ繰り出してみた。




先ずは、アレクサンダープラッツ駅で降りて駅前の広場へ。
ここには旧東ベルリンの象徴だったテレビ塔がそびえ立つ。共産圏東ドイツの威信を西側のベルリン市民に見せつけるべく建てられたという、レトロフューチャーでどこか京都タワーをも連想させるテレビ塔は、東西統一後の現在もベルリンのシンボルのひとつ。
東西陣営の対立に翻弄されたベルリンの近代史を物語るテレビ塔の周辺は、現在では再開発されてデパートやショッピングモールが並び建つ賑やかな繁華街となっている。
年越しの今夜も多くの人が集まっていたが、ヨーロッパでは大晦日の晩には街中至る場所で花火や爆竹を盛大に鳴らして祝う習慣があるようで、中には面白半分に群衆に向かって花火を投げ込む不心得者もいるので何とも危なっかしい。
テレビ塔周辺でもそこかしこで花火が炸裂してかなり物騒な雰囲気になっていたので、早々に退散する。





アレクサンダープラッツから数ブロック歩いて、ベルリンで最も名高い大通りウンター・デン・リンデンに行ってみた。
今夜はウンター・デン・リンデンも歩行者天国になっているようだが、とにかく大変な人出で思うように歩けない程。
電飾の並木道の遙か向こうにはライトアップされたブランデンブルグ門がかすかに見えるのだが、とてもそこまで辿り着けそうにない。
結局、ここでも爆竹がけたたましく鳴り響いて落ち着かないし、それにポーランドからの陸路の旅の疲れも感じていたので、夜の街から引き揚げることにした。

でも、ホテルに帰る前にもう一箇所だけ寄り道をする。


ベルリンからスイスのチューリヒへと向かう国際夜行列車、
CNL(City Night Line)1258 Sirius がベルリン中央駅の下層階プラットホームに入線する。


CNLは日本のJRの寝台特急「カシオペア」や「北斗星」にも似たダブルデッカーの新型個室寝台車が連結される新世代の寝台特急列車で、Sirius以外にもドイツ国内を中心に西ヨーロッパ各方面へと運行されている。
以前は車体も日本のブルートレインを連想させる美しい濃紺に塗装されていたが、近年になってCNLの運行形態が合理化された関係で、夜汽車には似合わないDB標準色の赤白ツートンの車体色になってしまったのは残念なところ。

22:15、CNL1258Sirius 発車。
目的地のチューリヒに着く頃にはもう新年の朝だ。
旅立つ列車、特に夜行列車を見送ると、自分も乗って行きたくなるのはいつものこと。特にこのCNLの寝台特急は、その独特の雰囲気が魅力的で以前からヨーロッパを旅していて駅で見かける度に一度は乗りたいと思いつつ、未だその願いを果たせてはいない。
間もなくやって来る新年、2012年こそは願いを叶えてCNLに乗りたいとの思いを胸に今夜はインターシティホテルに戻り、シャワーを浴びて歯を磨いているうちに日付が変わったようで、
部屋のTVには先程遠目に見えたブランデンブルグ門の前で開催されている年越しライブイベントで熱狂する人々の様子が、生中継で映し出されていた。


2012年1月1日

元日の朝は少し寝坊をして、お昼近くになってから起き出す。


ホテルからもらったベルリン市内乗り放題パスでSバーンに乗って、さぁ今日も出かけよう!

途中でUバーン(地下鉄)に乗り換えて、Gleisdreieckという駅で下車。





運河沿いの路を暫く歩くと、屋上に飛行機(東西ベルリンが壁で隔てられた直後、孤立した西ベルリンへと物資をピストン輸送した機種らしい)を載せた巨大な建物に辿り着く。
Uバーンの車内からもよく見えるこの凄まじく派手な建築物が、ベルリンのドイツ技術博物館(Deutsches Technikmuseum Berlin)だ。
かつてはアルハンター駅というベルリンの旧ターミナル駅に隣接する機関区だった場所を再開発して産まれた博物館で、その場所柄からか特に鉄道関連の展示が充実していることで知られていたが、近年では航空や船舶をテーマにした新館も開設されて、文字通り「技術大国ドイツ」のすべてを網羅した一大博物館となっている。

ドイツ技術博物館は元日早々でも午後からは通常通り開館するので、今日は半日かけてじっくりとこの巨大博物館を見学しようと思う。


エントランスを入ってすぐの展示室では「風」をテーマにした特別展をやっていた。
日本の鯉のぼりも「風」を用いたオブジェとして展示されているのが目を引く。

順路に沿って、以前はアルハンター機関区の扇状機関庫だった展示室へと進むと…
そこはさながら、蒸気機関車の王国だった!

製造年代順に累々と並ぶ無数の蒸気機関車たち。

















壮観を通り越して、思わず圧倒される眺めである。

九州の門司機関区の蒸気機関車が装備していた「門鉄デフ」の原型とも言える形状のデフレクター(除煙板)を装備した大型機。



スピード感のある前面形状とは対照的な、タンクのような丸底の炭水車(テンダー)を従えているのが何ともユニーク。
第2次世界大戦末期に急遽大量生産された、戦時設計の機関車だそうだ。

写真や絵でしか見たことのない珍しい機関車もいる。



南アフリカで使用されていたガーラット式機関車。
動輪の付いた炭水車が前後からボイラーを支えているという、何とも奇妙な形状をしている。
このタイプの機関車は、確か子供の頃に図書館で借りた絵本でしか見たことがなかったなぁ…
まさか実物と対面できる日が来ようとは、思ってもいなかった!

そして、僕が一生に一度は実物を拝みたいとずっと願っていた憧れの蒸気機関車も、そこには居た。


01型蒸気機関車

世界最高の名機の一つと謳われる、ドイツの急行列車用蒸気機関車である。


サラブレッドのような精悍さと、貴公子のような気品と風格を兼ね備えた世界一美しい蒸気機関車、01。
日本の鉄道博物館にも、その動輪のみが展示されているが、遂に全身を備えた完璧な01に会うことが出来たのだ。




直径2メートルという巨大さを誇る、真紅の動輪。


数十年来、想いを抱き続けた夢の蒸気機関車に出会えて、
まさに夢心地のひと時を味わった。

その01の隣に置かれた、赤い電気機関車。


反対側の先頭部に周ると、そこには…

何と、ナチスのハーケンクロイツの紋章が掲げられている。
第三帝国時代の車輌なので、敢えて原型を留めたままの姿で展示されているようだが、
現在もドイツに於いてはハーケンクロイツは、公共の場所に持ち出すことは犯罪とされる程に最大のタブーの筈。
実に衝撃的な展示である。

鉄道車輌の展示はまだまだ続く。
蒸気機関車の群れとナチスの電気機関車の奥には、可愛らしいレールバスの姿が。


機関庫の最奥部には、数両の電気機関車が展示されていた。



片方の先頭部を球状にした奇妙な電気機関車。
1985年にドイツの鉄道150周年を記念してこのような出で立ちになって、そのままここに展示されたらしい。


そして実物の鉄道車輌群の隣には、
往時のアルハンター駅と後にドイツ技術博物館となる機関区を再現した、これまた広大な鉄道模型のレイアウトが広がっていた。

とにかく凄まじい展示数なので、すべての車輌を観て回ったらすっかりくたびれてしまう程に見応えがあった。
ベルリンのドイツ技術博物館、恐るべき鉄道の殿堂である。





機関庫の建屋の2階は、何故かカメラ関係の展示室だった。
マニア垂涎と思われる膨大なカメラやレンズ類が待ち構えている。

余りにも多い展示物を続けざまに見たせいか目眩がしてきたので、ちょっと休憩。
扇状機関庫の外には見学者が自由に散策できるバックヤードの森が広がっている。


ヨーロッパの冬らしい、無彩色の木立ちの中に佇む古い機関庫。




散歩道を進むと、森の中に線路が現れた。
博物館の展示車両を出し入れしたり、保存車両の走行展示なども行なっているのだろう。


木立ちの奥に突然現れた、剥き出しになった蒸気機関車のボイラーと思われる物。
屋外展示の一つだろうか。


どこかミステリアスな雰囲気の漂う給水塔を見上げる。



…居並ぶ無数の蒸気機関車と鉄道車輌に囲まれ、いや埋もれるような気分のひと時だった。
だが、実は今見てきた展示は、ドイツ技術博物館に収蔵された膨大なコレクションのごく一部に過ぎないのだ。
迷宮をさまよい歩くような博物館散歩はまだまだ続く…

遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 8、再びV2に続く