天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

2017年夏休み セルビア・ブルガリア旅行記 7-8日目(2017年8月18-19日)

2017-11-14 | 旅行記:2017 セルビア・ブルガリア

6日目(2017年8月17日)からの続き

今日はいよいよ帰国日だが…
帰りの飛行機は午後遅い時間なので、昼までちょっとソフィア市内を散歩して過ごす。


名残りのソフィア散歩はトラムに乗って…
1日乗車券を買って、気ままに乗りつぶしを楽しむことにしよう。
1日乗車券はトラムだけでなく地下鉄でも使えるので、最後に地下鉄で空港まで移動する時にも使えるので二度お得(笑)




ソフィア市内には網の目のようにトラムの路線網が張り巡らされ、色々な場所に路面電車に乗って行くことが出来る。


ソフィアのトラムの車内は、たまに謎の異臭が漂っている事もあるが基本的に清潔で安全。
落書きもゴミも無く、乗客も目付きの悪いスリ軍団は見当たらず善良そうな市民の人たちばかりで、気を抜かなければ危険を感じることは無い(夜はどうか分からないが…)。


トラムの電車も共産主義時代から使われているようなゴツゴツした旧式車だけではなく、最新型の超低床電車も走っている。
超低床電車は冷房が効いているし、何より停留所の案内表示器があるのが旅行者にはありがたい…
でもこれ、せっかくの液晶パネル表示なのに英語は出ずにブルガリア語表記だけだし、時々故障して表示が消えてるのはご愛嬌か…(笑)


トラムは観光客向けではないソフィアの日常の街角を走るのが魅力だ。
狭い石畳の道を、自動車を従えてマイペースで走ったり…


かと思うと、突然専用軌道となって森の中に分け入ったりもする。


さらには停留所に馬車も登場。ソフィアではまだ現役なんですね…

半日ほどトラム散歩を楽しんでからホテルに戻り荷物を受け取って、地下鉄で空港へ。


帰りの飛行機はルフトハンザのエアバス機。先ずはこれに乗ってミュンヘンへ向かう。
ミュンヘンでは東京行きのANA機に乗り継ぐが、乗り継ぎ時間が1時間ちょっとしか無いのでソフィアの出発が遅れないかヒヤヒヤ…


遅れの心配は杞憂に終わり、ルフトハンザ機は勤勉なドイツ人気質の誇りを見せつけるかのように定刻にミュンヘン空港に到着。
ミュンヘンで乗り換えるANA機は…あれっ?


何と!
ANAの特別塗装機、映画「スター・ウォーズ」のR2-D2を模したボーイングB787ではないか。
これはラッキー!


スター・ウォーズ・ジェットは座席の枕カバーや機内で配られるナプキンもスター・ウォーズ仕様。
これはマニアには堪らないんだろうなぁきっと…


機内食はフリーズドライやチューブ入りの宇宙食でも出るのかと思ったら…
普通の美味しいマカロニチキンでした。


そしてアイスクリームも出た。
宇宙食の乾燥アイスよりより冷たくて美味しいから、やっぱりこっちの方がいいや(笑)


映画を観たり居眠りしたりしているうちにシベリアを飛び越えてしまい、もう一回機内食を食べたらもう日本の上空。
朝食(日本標準時だと早めの夕食ですが)はあっさり朝粥をチョイス。
こういう日本人のオヤジが喜ぶメニューが選べるのが日系エアラインのいいところ…


機内で日付が変わり時差も越えて、8月19日の夕方、無事に羽田空港に到着!
スター・ウォーズ・ジェットが駐機スポットに着いた直後に凄まじいゲリラ豪雨が襲来。日本の気候は荒々しいね…


でも熊本行きの国内線が飛ぶ頃にはすっかり雨が上がっていい天気に。
名古屋市の夜景を眺めながら、一路九州へ…!

帰国後、先ず絵葉書を机の前の壁に張りました。
カレメグダン公園の露店で買ったニコラ・テスラの肖像写真のハンサムな顔を見ていたら、もうセルビアとブルガリアが恋しくなってきた。
さて、次はいつバルカン半島に行こうかな?

ああ、でもその前にモスクワやらサンクトペテルブルグやらペーネミュンデやらイエナやら、行きたい街が目白押しだ。
さあ、また頑張って旅費を稼いで旅に出るぞ!


(旅行記:完)

2017年夏休み セルビア・ブルガリア旅行記 6日目(2017年8月17日)

2017-11-14 | 旅行記:2017 セルビア・ブルガリア

5日目(2017年8月16日)からの続き


ブルガリアの首都ソフィアは今日は朝からすっきり晴れていい天気!
ソフィアの街を見下ろすヴィトシャ山の山並みがはっきりと見える。

さて今日は…
先ずはホテルを移らないといけない。
昨夜バスタブ騒動があったとはいえ、今泊まっているホテル・ブダペストは居心地がいいのでこのまま連泊したいが、諸般の事情でやむを得ずソフィア滞在中にホテルを2箇所に分けて予約してしまったので致し方ない。


という訳で朝っぱらから荷物を抱えて引っ越してきたのは街の目抜き通りである歩行者天国のヴィトシャ通りから路地を少し奥に入ったところにあるトラキアホテル。
部屋はやや古びていてバスルームはシャワーだけだが、中庭に面していて街のど真ん中にあるとは思えないほど静かなのは気に入った。
…まぁ、部屋に荷物を置いたらすぐに街に出かけてしまうのだけど(笑)

かくして、ソフィアの街歩きに出発!


先ず向かったのは、ソフィアの街の象徴である聖ゲオルギ聖堂。
ローマ時代後期から存在するソフィアで最古の建築物だが、周囲をぐるりとシェラトンホテルと政府大統領府の建物に囲まれてちょっと窮屈そうに建っている。


続いて、大統領府の近くにある国立美術館。
かつてのブルガリア王宮だった建築物である。




国立美術館には主にブルガリア人芸術家の作品が展示されていた。
…日本ではまず目にすることのない、馴染みのない作品ばかりだ。


国立美術館は古典的作品からモダンアートまで幅広いジャンルをカバーしている。
こちらはどうやら、鑑賞者自身がヘルメットをかぶる事によって作品の一分となることを意図しているらしい。


国立美術館や聖ゲオルギ聖堂のある区画一帯は、ソフィアでも特に見応えのある建築物が集まっているので順番に見ていくと楽しい。


こちらが、旧共産党本部ビル。
ワルシャワの文化科学宮殿を寸詰まりにしたようなスターリン様式の“共産主義建築”である。
きっと市民からは今でもメチャクチャ憎まれているんだろうなぁ…


こちらはツム・デパート。
共産主義時代のいわゆる「経済繁栄を見せびらかす為の国営デパート」だが、今でも営業している。


だがしかし、ツム・デパートに入ってみるとほとんど空きスペースでがら~ん…
数年前まではソフィアで一番の高級デパートとしてかなり賑わっていたというが、日本同様に今では郊外の大型ショッピングモールに客を奪われてしまったようだ。
共産主義・社会主義の崩壊に続いてデパート経営まで新しい波にのまれて葬り去られようとしているとは、歴史の流れはつくづく過酷で残酷である…


という訳で、ソフィア市街地とブルガリアの歴史と経済の栄枯盛衰を見守ってきたであろうツム・デパート周辺の景色を、
歴史の波乱万丈を感じるようにドラマチックに加工してみました(笑)


旧共産党本部ビルもこの通り(笑)
おお、「映像の世紀」みたい!パリは燃えているか(ソフィアだけど)


永くオスマン帝国の支配下にあったソフィアの街にはモスクも数多く建っている。


国立美術館の隣りにある東方正教会。
奇蹟者聖ニコライ聖堂というロシア正教の聖堂だった。


そして奇蹟者聖ニコライ聖堂の隣りにあるのが国立自然史博物館。


国立自然史博物館はそれほど目立たない小さめの建物だったが、中は凄かった。
古びてはいるが、ありとあらゆる種類の生物・鉱物等の標本類や剥製、化石がぎっしりと詰め込まれ、しかも詳細に分類されて並ぶ様子は圧巻の一言!
まさに人民の教育と文化、人材育成の機会を惜しみなく提供することに専念する「共産主義・社会主義国家の良いところ」だけが凝縮されたような空間。
…館内がいっさい撮影禁止だったのでお見せ出来ないのが残念!


ツム・デパートの隣り、地下鉄のセルディカ駅は何と建設工事中に古代ローマ帝国の遺跡が出土してしまい、あまりにも大規模な遺跡なのでそのまま駅構内が博物館として整備されている。


地下鉄の利用者はみんな普通に古代ローマ帝国の遺跡を行き交って電車に乗っています(笑)


歩行者天国のヴィトシャ通りに戻って、突き当りまで歩いたところにある巨大な建築は国立文化宮殿。
こちらも共産主義・社会主義時代につくられたものだが、今でもコンベンションセンターやイベント会場として利用されている。


ソフィアの街の中心部にある建物を一通り見て、ホテルに帰るともう日が暮れようとしている。
昼間は静かだった中庭も、夜にはオープンカフェが営業を始めるようで賑やかになってきた。


僕も晩ごはんにしよう。
という訳で、今夜も近所のスーパーで買い込んだ本場のブルガリアヨーグルトをいただきます!


ちょっとしたスーパーマーケットやキオスクでも数十種類のヨーグルトを置いているので、色々なヨーグルトを食べ比べるのも楽しい。
味もあっさりしたものから甘くてまろやかなものや酸味が強いものがあり、原料も牛乳だけでなく山羊や羊、水牛の乳を使ったものまであるという。

もっとたくさんの種類のブルガリアヨーグルトを試してみたいが、明日には旅を終えて帰らなければならない。
名残惜しいな、特にヨーグルトが…まだ食べ足りないぞ(笑)

7-8日目(2017年8月18-19日)に続く

2017年夏休み セルビア・ブルガリア旅行記 5日目(2017年8月16日)

2017-11-14 | 旅行記:2017 セルビア・ブルガリア

4日目(2017年8月15日)からの続き

今日はベオグラードの街とセルビアに別れを告げて、次の目的地であるブルガリアの首都ソフィアへと再び向かう。


ベオグラードからソフィアへの移動手段となるのが、国際列車BALKAN号。
…現在、バルカン半島では国際間の鉄道の運行系統が大幅に見直されており、このBALKAN号も夏季のみ運行の季節臨時列車である。
かつてはベオグラードからは旧ユーゴ各国や東欧各国そしてトルコへと向かう国際列車が多数運行されていたが、
現在は夜行列車は西欧のドイツ・スイス・オーストリア方面とハンガリー行き以外はほぼ全廃、昼行列車も季節ごとに臨時運行されるという不安定な状態となっている。


夏の臨時列車BALKAN号はベオグラード-ソフィアの首都間国際列車にも関わらず、2等車のみでたったの2両編成。
しかも客車は落書きだらけでかなりコンディションが悪い。
ヨーロッパの国際列車というと想像される優雅なコンパートメントの客室や食堂車での温かい食事は、到底期待出来そうにもない…


オンボロ国際列車BALKAN号の乗客は外国人観光客が中心で、それもバックパックを背負った若いツーリストが多い。
やっぱり地元の人は安くて便利な高速バスに、カネを持ってる層の旅行者は飛行機に乗るんだろうなぁ…




こちらがBALKAN号の客室。
落書きまみれで汚らしい外観に比べたら随分マシな印象。
全席指定で立ち席になる恐れもなく、冷房はないが窓が僅かに開くので、まぁそれなりに寛いでバルカン半島の旅路を過ごすことが出来そうだ。

列車はほぼ定刻の朝9時半にベオグラード駅を発車。夜8時過ぎのソフィア到着まで約11時間のバルカン半島横断の鉄道の旅の始まりだ。
途中、チトーのブルートレインの車庫の横を通ったりしながらベオグラードの街を離れていく。さようならベオグラード…


オンボロ列車の長旅の必需品、水とスナックとカメラと文庫本。
…ちょっとベタだがバックパッカーたちの旅のバイブル「深夜特急」は、実はユーゴスラヴィアを無視してギリシャから直接イタリアに渡ってしまうのだけれどもね(笑)


BALKAN号の車窓から。
何と最後尾のデッキは貫通扉が開けっ放しで、怖いけれど最高の展望車状態!




こちらは最前部、列車の先頭に立つ電気機関車との連結器がよく見える鉄道好きには堪らない絶景ポイント(笑)
喜んでずっと機関車を眺めていたら、車掌氏からも他の乗客からも不審そうな目で見られ始めたので退散…


小さな駅をいくつも通り過ぎる。




名も知らぬ駅にて。




のどかな農村風景を走る。




とうもろこし畑やひまわり畑が続くバルカン半島の農村をゆく鉄道の旅は、どこか宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」を想わせる…





セルビアとブルガリアの国境地帯ではローカル線のような非電化区間となり、列車はディーゼル機関車に牽かれて渓谷を走る。


ブルガリアに入ると真夏の日が暮れた…


21:15、定刻より1時間ばかり遅れてBALKAN号はソフィア駅に到着した。
…3日ぶりにソフィアに戻ってきたことになる。


そんなお久しぶりのソフィアの街でチェックインしたホテル・ブダペスト。
「なんかそんなタイトルの、ヘンテコなストーリーの映画があったなぁ…」などと思いつつ部屋に入ると、おお、オシャレできれいだ!


バスルームには大きなバスタブも完備で「やった、このホテルは当たりだぞ!」とご機嫌で風呂に浸かったのはよかったが…

何と、入浴後に栓を抜こうとしてもバスタブからお湯が流れ出ていかない!
慌てて身体を拭いて服を着込んでフロントに駆け込んだりしたので、せっかくの湯上がりでいい気分が台無しである。

「やれやれ、本当に『グランド・ブダペスト・ホテル』みたいなドタバタを演じることになった、なんてこったい!」
…でも、フロントのホテルマンがすぐに詫びて代わりの広い部屋を用意してくれたので、まぁ合格点(笑)


気分直しの夜食はキオスクで買った本場のブルガリアヨーグルト。
おやすみなさい…

6日目(2017年8月17日)に続く

2017年夏休み セルビア・ブルガリア旅行記 4日目(2017年8月15日)

2017-11-14 | 旅行記:2017 セルビア・ブルガリア

3日目(2017年8月14日)からの続き

今日はまず、ベオグラード駅前通りにあるセルビア鉄道博物館へ。


ビルの前にいきなり小さなSLが置かれているので、すぐに場所が分かる。



入場は無料。
セルビア鉄道本社ビルの一角を使った小さな展示室といった感じだ。


規模は小さいが、展示内容はそれなりに充実している。


ユーゴスラヴィア時代の鉄道路線図。ユーゴを構成する各共和国首都近郊の都市路線図も付いた興味深いもの。
旧ユーゴ時代は西ヨーロッパ諸国にも引けを取らない高度な鉄道運行網を持っていた事が分かる…


ミュンヘン-アテネをユーゴ経由で結ぶ国際列車のサボ。


こちらは名高いシンプロン・オリエント・エクスプレスのサボ。
バルカン半島はオリエント急行の各系統が行き交う豪華国際寝台列車街道だったのだ。


ちょっと不思議な、流線型(?)蒸気機関車の写真も見つけた。
第一次世界大戦後、世界的に巻き起こった“流線型ブーム”にのって、ユーゴでも流線型機関車をつくっていたらしい。
…しかし、日本の「あじあ号」パシナ型とは随分雰囲気の異なる流線型だなこれは。鉄仮面風?


鉄道博物館の次は、いよいよここへ。
ニコラ・テスラ博物館!


セルビア人である天才発明家ニコラ・テスラの記念碑的博物館だ。
…もっとも、テスラ自身はクロアチアで生まれ育ちオーストリアやチェコで学んで、その後はフランスでエジソン社に入社してからNYに渡りアメリカの市民権を得ているので、実際には本国セルビアとの接点は殆ど無いのが実情だったりする。
ベオグラードにも生涯で僅か一晩滞在しただけだったらしいし。


だがしかし、天才ニコラ・テスラの人となりを紹介する資料の展示ではやはりここベオグラードのテスラ博物館が世界で随一だ。
テスラの直筆書簡も間近で見ることが出来る。


ファッションセンスが良く、お洒落なことでも有名だったテスラが普段、実際に着ていた服も見ることが出来る!
…ネクタイをもうちょっと丁寧に結んであげて欲しいが(笑)


テスラのファッション、小物編も。
編み上げの靴が素敵!


粋なニューヨーカーのテスラ愛用品、紳士の必需品ベルトとハットと手袋!


ハットにはNTのイニシャル入り!
この帽子、ロゴにYOUMANSとあるが、調べてみたところブロードウェイ・ミュージカル「ノー・ノー・ナネット」の挿入歌「二人でお茶を」で知られる作曲家ヴィンセント・ユーマンスの父親が経営していた高級帽子店のことらしい。
ロゴ下部にあるAlbemarle Hotelも実際にテスラがNYで活躍していた時期にブロードウェイと五番街の交差点にあったホテルなので、どうやら五番街の高級ホテルにテナントとして入っていたユーマンス帽子店でテスラが購入してイニシャルを刻印してもらったハットだということになる。
行きつけの帽子店で気に入ったハットの被り心地を確かめる伊達男テスラの様子が目に浮かぶようで、思わずニヤリとしてしまう(笑)



…余談だが、ユーマンス帽子店の息子ヴィンセント・ユーマンスはマネージャーを付けずに作曲から営業まで全て自分ひとりでやろうとして行き詰まり、結果としてショービジネス界で失敗した人らしい。
何だか父の帽子屋の顧客テスラと重なり合うような気がするのは偶然か。






もはや説明不要の、お馴染みのテスラの発明品の数々。



…以前は、戦前の日本政府特許庁が発行した日本語で書かれたテスラの発明の特許状も展示されていたのだが、これは閉架に戻されてしまったようで見当たらなかった。残念。


テスラのシンボル、テスラコイルも健在!


テスラコイル放電開始!!
…でも正直、名古屋市科学館にあるテスラコイルのほうが派手です(笑)

そして、博物館内の片隅にひっそりと展示されていたのが…


ニコラ・テスラの遺灰を納めた球体。
…これを見た時は思わず泣いてしまった。NYでは叶わなかったが、ベオグラードでやっとテスラの墓参が出来た…静かに黙祷し手を合わせた。


テスラ博物館を後にして、昼下がりのベオグラードの街角からトラムに乗り込む。




以前は旧ユーゴ時代から走っているゴツゴツしたボロ電車ばかりだったのに、最近は新型の超低床電車も随分増えた…


郊外の社会主義団地。
外観はグロテスクなコンクリート剥き出しのままだが、室内はきれいにリノベーションされているんだろうなきっと。


ベオグラード駅の裏の操車場跡地ではサバ川沿いに再開発工事が進む。
やがてこの辺りはタワーマンションが建ち並ぶニュータウンになり、駅も郊外の新ベオグラード中央駅に移転して駅舎は新しい鉄道博物館になるらしい。
ベオグラードの街並みも変化を続けていく…


西陽の差すベオグラード駅前に戻って来た…


クネズミハイロ通りから旧市街の高級住宅街方面へと歩くと見えてくるお洒落なホテル。
…最近までここにジュリア・ロバーツとデミ・ムーアが家族同伴でお忍びで滞在していたと街中のタブロイド紙が報じて、パパラッチと野次馬が押しかけて大騒ぎだったらしい。
どこがお忍びなんだか…ちょっと可哀想


共和国広場まで戻ってカフェで一休み。


共和国広場にある人気のカフェEdisanにはモスクワケーキは無かったけれど、セルビア美人のウェイターさんが勧めてくれたフルーツケーキが美味しい。
ベオグラードのスイーツは基本、当たりばかりで嬉しい!


カフェでくつろいだ後は、カレメグダン公園にある自然史博物館へ。
ここはじつは昨日も来ていたのだが、入口近くに座っている爺さん連中に「今日はClose、明日もClose」と訳の分からないことを言われて追い返されてしまっていたのだ。
まさかそんな筈がないとリベンジに来たのだが、今日も座っている爺さんたちを無視して中に入ると案の定、普通に開館していた。
何だったんだ、あの爺さんたちは…


現在、ベオグラード自然史博物館では小惑星・隕石展示を開催中。
これは、ひょっとするとひょっとして…


展示パネルをよ~く見ると…


やっぱりあった!
小惑星探査機はやぶさとイトカワの名がばっちり記載されている。
セルビアでも我らがはやぶさが紹介されているのを初確認、これは嬉しい!!
…それにしてもイトカワ小さいなぁ(笑)


大満足して自然史博物館を出るとちょうど夕焼けの時刻。
カレメグダン公園から眺める夕陽は格別だ…


旧共産圏の象徴のようなベオグラードの奇怪なランドマーク、ゲネクスタワーのシルエット。


夕陽に照らし出されるカレメグダンの砦と、下に小さく見えるプラネタリウムの屋根。


明日はこの街を離れるのが惜しくなる素晴らしい夕焼けだった。

5日目(2017年8月16日)に続く

2017年夏休み セルビア・ブルガリア旅行記 3日目(2017年8月14日)

2017-10-22 | 旅行記:2017 セルビア・ブルガリア

2日目(2017年8月13日)からの続き

今日は朝からベオグラード郊外まで「チトーのブルートレイン」の見学に行く。
(→Plavi voz ~チトー大統領のブルートレイン 1:ベオグラードの森の中に眠る青い列車

無事に見学を終え、ホテルまで戻って来た。
今日の午後はブルートレインに会えた感動の余韻に浸りながら、ベオグラード市内を散策して過ごすことにする。


先ずはベオグラード駅の先、サバ川の畔へ。


川めぐりの遊覧船もやって来た。
この辺りは最近再開発されて川沿いの倉庫を改修したお洒落なカフェやレストランが建ち並ぶエリアになっており、
ベオグラード市民の散歩コースや若者のデートスポットになっているとか。


サバ川に沿って進むと、背後にカレメグダンの砦が見えてくる…


カレメグダンの丘に登るとこの眺め。
手前に見える青いドーム屋根は古いトルコ式浴場だが、現在はプラネタリウムになっているらしい。


プラネタリウムと聞いたら観に行かない訳にはいかない!
…しかし、残念ながらこのプラネタリウム・ベオグラードは学校の児童生徒の教育用に使われているらしく、一般向けの投影は行われていないらしい。
現地在住の方に聞いた情報によると「旧ユーゴ時代にチトーが買ってきた」というカールツァイス・イエナ社製の名機ZKP-1が使われているらしいのだが。


カレメグダン砦の城門周辺は兵器の展示会場になっている。
NATO軍によるベオグラード空爆の際に反撃してステルス機を撃墜したことで名を馳せたロケット砲の実物の姿も…


小さい戦車。“豆タンク”と言うんだっけ?


カレメグダン公園の門を出てからトラムの走る道路を横断歩道で渡って、目抜き通りのクネズミハイロ通りへ…


昼下がりのクネズミハイロ通り。
ベオグラードで一番お洒落な繁華街だ。


絵を売る露店も並び、ヨーロッパの街らしい洒落た雰囲気が漂う…


だがそんなクネズミハイロ通りにも、こんな巨大ショッピングセンターの建設が進められていた。
…いかにも高級そうな店構えだけど、瀟洒なクネズミハイロに大型店はやっぱり似合わない気がするなぁ。
(と言いつつオープンしたら便利に使えそうな感じではあるけれど(笑)


クネズミハイロ通りを抜けて共和国広場へ。
セルビア国立博物館は相変わらず改修工事で閉館中。一体いつになったら再オープンするのやら…


国立博物館の斜向いにあるベオグラード国立劇場はシーズンオフで夏休み中。
ここには今度涼しい季節に、バッチリ正装してオペラ公演を観に来るつもり。


共和国広場からさらに進んでテラジエ広場へ。
この辺りの都市景観はいかにも旧共産圏といった感じで、無機質なコンクリートのビルが連なる。


ホテル・モスクワ。
かつてはベオグラードを代表する高級ホテルで、1908年の創業以来世界中の著名人が宿泊したことで知られる。
アインシュタイン博士も宿泊した事は有名だが、セルビア人の天才発明家ニコラ・テスラも生涯ただ一度のベオグラード滞在ではここに一泊したのではないだろうか…?


という訳で、僕も敬愛するニコラ・テスラにあやかってホテル・モスクワで一休み。
ホテル・モスクワのカフェで定番の人気メニュー、モスクワケーキをいただきます。


モスクワケーキは今ではベオグラード中のカフェで作られるようになって、すっかりベオグラード名物になっている。
ウィーンのザッハトルテのような、街の顔になった偉大なケーキだ。

ホテル・モスクワで一息入れたら、もうひと歩き。
ベオグラード駅前に戻って来た。


ベオグラード駅前にはNATO軍による空爆でピンポイント爆撃されたセルビア軍関連施設の通称“空爆ビル”が今も残る…
が、最近になってようやく解体作業も始まり、きれいに再開発されるらしい。


ベオグラード駅前のロータリーで見かけた黄色い路線バス。
日本の復興援助で導入されたバスで、日本からの贈り物であることを表す日の丸がセルビア国旗と並んで車体に描かれている。


もう既に導入からかなりの日時が経過している筈だが、今でも大切に使われている日の丸のバスを見ていると日本人として幸せな気持ちになる。
これからも日本とセルビアの友情のシンボルとしてベオグラードの街を走り続けて欲しい。
(…っていうか、そろそろ新しいバスも日本の追加援助で贈った方がいいんじゃない?
東日本大震災でもセルビアの人たちから信じられない程たくさんの支援金を贈ってもらった恩もあることだし。)


すっかり日が暮れた頃、再び共和国広場へ。
今日は歩き回ったのでさすがに疲れた…


シーズンオフ中でもライトアップされるベオグラード国立劇場。
…ああオペラが観たい、バレエも観たい、クラシックコンサートが聴きたい!(笑)


こちらは怪しくライトアップされて夕闇に不気味に浮かび上がる社会主義時代の高層ビル。
ワルシャワの文化科学宮殿もそうだが、なぜ旧共産圏ではただでさえ無機質でグロテスクな社会主義ビルをさらに恐ろしげに見えるようにライトアップするのだろう?
子供が見たら泣くぞ!(笑)


ライトアップされていないべオグラジャンカ(ベオグラード娘という意味で、ベオグラードで初めて建てられた高層ビル)のふもとに新しく出来ていたスーパーマーケットiDEAで夕飯を買い物して…


夜でも賑やかなクネズミハイロ通りをぶらぶら歩いて帰る。
ああ、楽しい一日だった!

4日目(2017年8月15日)に続く

2017年夏休み セルビア・ブルガリア旅行記 2日目(2017年8月13日)

2017-10-09 | 旅行記:2017 セルビア・ブルガリア
1日目(2017年8月12日)からの続き


昨夜は雨が降っていたブルガリアの首都ソフィアの朝。
どんよりとした雲の下に緑の多い街並みが見える。

今朝はすぐにソフィア空港に引き返して、イスタンブール行きの飛行機に乗らなければならない。

…当初の予定では、これからホテルの目の前の中央駅から昼行の国際列車に乗って丸一日かけてセルビアの首都ベオグラードへと向かい、
ベオグラード滞在後は夜行の国際列車で再びソフィアに戻って来るつもりだったのだが、
何と夏季のダイヤ改正でソフィア-ベオグラード間の夜行列車が突然廃止されてしまった。

「往復とも昼行列車だとさすがに飽きるなぁ…客車にエアコンも付いていないだろうから暑いだろうし体力的にもキツイな」という訳で、
急遽往路を飛行機利用に切り替えたのだ。そしてイスタンブール経由のターキッシュエアラインズ(トルコ航空)が一番、航空券が安かった(笑)
航空券が安いのには当然理由があり、何と途中のイスタンブールで乗り継ぎ待ち時間が7時間以上もあるのだが、その間に街に出てイスタンブール観光が楽しめると思えば逆にラッキー!

ちなみにソフィア-ベオグラード間の鉄道切符も以前はドイツ鉄道DBの代理店を通して日本国内で事前に予約できたのだが、
これも突然、代理店での事前予約がブロックされてしまい現地の鉄道駅でしか購入手配できない状態になってしまった。
この区間の国際列車は完全予約制の全席指定だ。もし事前に指定席券が売り切れてしまえば乗車できない!

やむを得ず、今回の復路のベオグラード発ソフィア行き国際列車が万が一にも満席だった場合を考慮して、同区間の航空券も購入しておいた。
もっともこれは、国際列車の指定席券が現地で無事に購入できたら払い戻すつもりである。

…このように、少ない休暇日数を駆使して無理やり詰め込みの旅程を組み、帰国日時が厳密に決っているジャパニーズ・リーマンパッカーには、色々と気苦労が多いのだ。
ああ、時間を気にせずのんびりと旅する“深夜特急のバックパッカー”が羨ましい!


かくして、昨夜遅くに到着したばかりのソフィア空港にすぐにまた舞い戻って来てしまった(笑)
ソフィア発イスタンブール行き、ターキッシュエアラインズ1028便は日本でもお馴染みの小型機B737。主翼の先端が大きく反り返った、最新型のB737-800だ。
東欧の航空会社の飛行機は中古機ばかりという印象があるのだが、ターキッシュエアラインズは新しくて良い機材を惜しみなく投入しているようだ。


搭乗ゲートの目の前で、預け荷物が積み込まれる様子が見える。海外では概ね荷物の扱いが乱雑で、平気で放り投げたりするので見ていてヒヤヒヤする。
僕の愛用のトランクは壊されたり行方不明になったりせず、無事に目的地の空港に届きますように…


ターキッシュエアラインズ1028便は真夏のバルカン半島南部を飛んで一路イスタンブールを目指す。
いにしえのオリエント急行の欧州最終区間であるこの辺り、地上を列車で走ると面白そうだ…いつかまた、今度は鉄道でイスタンブールまで行ってみたい。


ターキッシュエアラインズでは欧州域内の短距離便でもしっかり機内食が出る。
まぁ、サンドイッチと飲み物だけの簡単なものなのだが嬉しい。

ソフィアから1時間ちょっとでイスタンブールに到着。
アタチュルク国際空港の滑走路が混雑していたようで、30分近くもマルマラ海の上空で旋回しながら待機して着陸。
その後は今度は空港の入国審査が大混雑で、ここでも1時間近く待たされてからようやく、トルコに入国!




イスタンブールに来たら、空港に乗り入れている地下鉄とトラムを乗り継いで、先ずはここへ。
旧市街と新市街が金角湾を挟んで向かい合うガラタ橋のたもとで海とガラタ塔を眺める。


それにしても、暑い!!
気温40度はあるな…真夏の熊本より暑いかも知れん!
目の前の金角湾に飛び込んで泳ぎたいくらいだ。

本当はここで名物の鯖サンド(エキメッキ)を頬張るつもりだったのだが、この暑さでは鯖も傷んでしまうのか、
日本人を見つけると「へい旦那!鯖だよ鯖だよ、食って行きな~」と妙に流暢な日本語でしつこく声をかけてくるエキメッキ売りの屋台も見当たらない。
残念…


アヤ・ソフィアは観光客で大混雑。
内部の装飾が素晴らしく、特に大聖堂の壁に掲げられたイスラームの言葉が刻み込まれた巨大な銘板の美しさは今でも忘れられず、是非また見たいところだが…
暑さと人混みに負けて近寄ること無く退散。
いつかまた来ます…


アヤ・ソフィアの向かいにあるスルタンアフメット・モスク(ブルーモスク)も僕にとっては思い出深い場所(内部の見学中あまりの見事さに感動して見入っていたら礼拝が始まって施錠されてしまい、やむを得ずそのまま礼拝に同席してしまった)だが、この時点で暑さと歩きまわった事による体力の限界が…


真夏のイスタンブールは街歩きには過酷すぎる…
今度また涼しい時期に来て、ゆっくり散策しよう。




イスタンブール発ベオグラード行きのターキッシュエアラインズ1083便は午後7時前に離陸。
眼下に夕陽に照らされたイスタンブールの街並みが広がる。


ベオグラード便でもしっかり機内食が出た。


チーズとトマトの簡単なサンドイッチだが(確かハムも選べた気がする)、ちゃんと加熱してあるのでチーズがとろけて美味しい。


そして、何とデザートにヨーグルトが!
ターキッシュエアラインズのオリジナルのはちみつ入りヨーグルト。

トルコとセルビアでは時差があるので1時間繰り上がって、午後7時半にベオグラードのニコラ・テスラ空港に到着。
僕が大好きな天才発明家の名前を戴く空港なのでテンションが上がる…(笑)
ここで、事前に打ち合わせしておいた通りにタクシーにピックアップしてもらう。
今回の旅で世話になった、地元ベオグラード在住の方に紹介してもらった運転手さんと握手を交わし、今夜の宿泊先へ。


今夜の宿泊先…って何だこの室内インテリアの派手派手さは!複製画とかまで飾ってあるし。
ベオグラード駅前のアストリアホテル、数年前に一度予約なしの飛び込みで泊まったことがあるが、あの時は薄暗くてボロい安ホテルだったのにいつの間にこんなことに(笑)
ホテル名がクイーンズ・アストリア・デザインホテルと仰々しいものに変わっていたが、ちょっと気合い入れてリニューアルし過ぎた印象。


以前は薄汚かったバスルームも、バスタブは無いがすっかりきれいになっていたのは嬉しい。


無事にホテルにチェックインして、運転手さんと明日の予定を打ち合わせして別れてから、ホテルの目の前のベオグラード駅へ。
ここでソフィアへの帰りの国際列車の切符を無事に購入出来た。よかった、航空券を払い戻せば差額でかなり旅費が安上がりになった。

せっかくなので、ちょっと夜のベオグラード駅の構内を見ていくことにする。






ちょうど列車が到着したところで、大勢の乗客が降りてきた。
…それにしても、ベオグラード駅の独特の雑然さとプラットホームの暗さは相変わらずだなぁ。


そんなベオグラード駅にもピカピカの新型車両の姿が。
スイスのシュタッドラー社製の底床電車。この他にロシア製の新型気動車も導入されているらしいが、この日は姿が見えなかった。


チェコスロバキアのプラハ製のメーカーズプレートを掲げていた構内入換用の小型ディーゼル機関車。
これとよく似たプラハ製の小型DLを、以前ベトナムのハノイ駅で見た記憶がある。


出発準備を整えたブダペスト・ケレティ駅行き国際寝台列車。


リュブリャナ経由スイス方面行き国際寝台列車に連結されていたチェコ鉄道のクシェット(簡易寝台車)。
近年バルカン半島でも夜行列車が減っている傾向にあるが、夜のベオグラード駅はそれでもまだまだ国際色豊かな鉄道車両を見ることができて楽しい。


プラットホームの片隅にあった洗面・水飲み台。
蒸気機関車の煤煙の洗い落としと夜行列車明けの朝の洗顔に欠かせない設備。日本でも門司駅や下関駅、肥薩線の大畑駅にもこれと同じものがまだあった筈…


そろそろホテルに帰ろうか…


ホテルで今日の「家計簿」をつけて財布の整理をしていたら、
ベオグラード駅の切符売り場の窓口でおつりに貰ったニコラ・テスラの100ディナール札が出てきた。
こんばんはテスラ博士。僕はまたあなたの祖国にやって来ましたよ…
もっともテスラ自身はセルビア人とはいえ生まれも育ちもクロアチアだし、ベオグラードには一晩滞在した事があるだけらしいけどね。

明日はいよいよ、旧ユーゴスラヴィアの残り香のような「チトーのブルートレイン」を見に行く
おやすみなさい…。

3日目(2017年8月14日)に続く

2017年夏休み セルビア・ブルガリア旅行記 1日目(2017年8月12日)

2017-09-18 | 旅行記:2017 セルビア・ブルガリア

朝9時40分、熊本空港発東京羽田行きANA3714便で出発。
ソラシドエアのコードシェア便だ。

…熊本県南部の田園地帯にある自宅から熊本空港に来るまでが一苦労だった。
オンラインチェックイン済みとは言え朝8時台には熊本空港に着いておきたいのだが、この時間帯だと自宅から最寄りJR駅までの公共交通が動いていない。
始発のバスは午前9時台で話にならない、しかもタクシーも朝早いと運転手が起きていない!(※本当です)
結局、早朝にキャリーを引いて田舎道を30分歩いて駅へ。
田舎住まいだと、自宅エリアから脱出するのが一苦労なのです。


頑張って歩いた甲斐あって無事に乗り込んだソラシドエアのB737で熊本空港を出発!
隣は成田行きのLCCジェットスター機。
ジェットスターも熊本就航した当初は関空便とセントレア便もあったのだが、九州新幹線に負けたのか今や成田便だけになってしまったなぁ…


羽田に着いたら、国際線乗り継ぎ客だけが使えるショートカットルートを通って国内線2ターミナルから国際線ターミナルへ…


羽田空港国際線ターミナル12:30発、ミュンヘン行きANA217便に乗り継ぐ。
東京からのヨーロッパ便が次々に成田から羽田に移ってきているので、熊本などの地方空港からの乗り継ぎは本当に便利になった。
以前は福岡市内に前泊して早朝の福岡―成田便に乗るか、渋滞を気にしながら三千円も払って羽田から成田までリムジンバスで移動したものだ…


ANA217便は最新鋭機B787。この飛行機、とにかく乗り心地が良いので大好きだ。
羽田―ミュンヘンはほぼ同じ時間帯にルフトハンザ便も就航しているけど機材が古めのエアバス機なので、どうせならANA便に乗った方がいい。


ANA217便のB787は羽田から上越新幹線と同じルートで新潟に向かった後に日本海を北上し、ウラジオストック付近からロシア上空へ。
日本海上空でウェルカムドリンクのノンアルコールビールを頂く。
ANA国際線はエコノミークラスでもメニュー表にしっかりノンアルコールビールを記載しているけど、オーダーする人があまりいないのか毎回待たされてCAさんがビジネスクラスから持ってくる。
それが分かっているからノンアルビールを頼むのは少々申し訳なくて気が引けるのだけど、やっぱりビールっぽいものが飲みたくてつい毎回頼んでしまう(笑)


ANA217便の1回目の機内食は目玉焼きのせハンバーグ!
…なんだかファミレスのお子様ランチみたいだけど、これが案外美味しかった。


デザートはハーゲンダッツのアイスクリーム!やった~
さすがANA、エコノミークラスでもいいもの出すなぁ…でも夜食は配らないんだよね(笑)


夏のヨーロッパ直行便、シベリア上空はずっと太陽が沈まない…


2回目の機内食は鮭弁当風定食をチョイス。
…こってり系の洋食好きの僕もさすがに四十路になると、長時間フライトの後はあっさりした和食が有り難いようになりました。


現地時間の午後5時半、ミュンヘン空港に無事に到着。
ここでブルガリアの首都ソフィア行きに乗り継ぐ。


日本人の団体ツアー客が多いANA便から乗り継いでシェンゲン協定圏外の東欧ブルガリアに向かう乗客は僕一人だけだったようで、誰もいない連絡通路を延々歩いて欧州域内国際線の搭乗ゲートへ。


ミュンヘン発ソフィア行き、ルフトハンザ1706便エアバスA320(…いやA319だったかな?うろ覚えw)。
翼に大きなシャークレットを付けたちっちゃいエアバス機でブルガリアへ向かう。


2時間ほどのフライトでも、国際線なのでちゃんと機内食が出る。
…サンドイッチだけだけどね。でもさすがヨーロッパのエアライン、ハムチーズサンドが美味い。


バルカン半島上空に、長かった8月12日の太陽がようやく沈む…

ほぼ定刻通りの夜22時半、ソフィア空港に到着。
ブルガリアの首都空港は熊本空港とあまり変わらない規模の小さな空港だったが、ちゃんと夜でもターミナルは明るいしATMは稼働しているし、そして何よりソフィア空港には地下鉄が乗り入れている!


ソフィア空港の国際線ターミナルのすぐ横まで乗り入れているソフィア地下鉄。
外国の空港に夜遅く着いた時に一番困るのが市内へのアクセスが極端に悪い事だが、ソフィアでは真夜中まで地下鉄が運行していて格安で街まで行くことができる。これは本当に有り難い!
薄暗くて薄気味悪くていつ街に着くのか誰にも分からない路線バスや、ぼったくり上等の雲助タクシーで悪戦苦闘しないで済むなんて素晴らしい…


ソフィア地下鉄の車内はとても清潔で落書きもゴミも無い。冷房も効いているし、ますます素晴らしい…

という訳で安心して地下鉄でソフィア市街地へ向かうが、残念なことに地下鉄はホテルのある中央駅前に直行しておらず大きく遠回りするルートなので、途中の駅で降りて歩いてホテルを目指す。
ソフィアの街は夜中でも人通りが多くて治安も良さそう。道行く人をつかまえて片言英語で道を聞くが、最初に聞いたおばちゃんは「NONO!英語ダメねー」という感じで逃げられてしまったが、次に聞いた若いカップルは親切に「タクシーで行った方がいいかもだけど、この道をあっちへまっすぐ15分位だよ」と教えてくれた。
気遣いは嬉しいが、ここでタクシーに乗ると恐らく100%ぼったくられるので(ソフィアのタクシーは悪質らしいのだ)テクテク歩いてホテルへ…


日付が変わる頃にようやく辿り着いてチェックインしたソフィア中央駅前のラマダホテルは、併設のカジノの方がメインのような巨大ホテル。
去年泊まったNYロングアイランドのラマダはビジネスホテルそのものだったけど、同じ系列でも随分違うなぁ…
部屋は広くて快適。


やった、このホテルにはバスタブがある!

ゆっくりお風呂に浸かって長時間フライトと夜中の街歩きの疲れを取って、とにかく眠る。
明日もまた忙しいぞ…おやすみなさい。

2日目(2017年8月13日)に続く

Plavi voz ~チトー大統領のブルートレイン 3:ブルートレインよ永遠に

2017-09-17 | 旅行記:2017 セルビア・ブルガリア
Photo:朽ち果ててゆくチトーのブルートレイン専用機関車


2:ようこそ、ユーゴスラヴィア大統領専用列車へ!からの続き

チトー大統領の専用列車Plavi voz「ブルートレイン」の車内を見せてもらった後、車庫の外に置かれていた鉄道車両を見て周る。
実は、この車庫に来た時から外に放置されている車両が気になっていたのだ。


職員のクルマやレール等の資材に囲まれるように置かれたこの車両…
かなり傷みが激しく、廃車前提で放置されているような状況だが、車体の規格が車庫内のブルートレイン車両とは明らかに異なる。



その奥には、3両のディーゼル機関車がこれまた雨ざらしのまま朽ち果てた状態で置かれていた。



車体は腐食が進み塗装も剥げ落ちて、かなり荒廃しているが、元は流線型の車体にブルートレインと同じ青い塗装をまとった美しいデザインだったことが分かる。

これは1957年に西ドイツのクラウス社に発注されたブルートレイン専用機関車JZ-D66型で、それぞれ“Dinara”“Kozara”“Sutjeska”と愛称が付けられていた…らしいのだが、車体の荒廃が激しくて表記も見えなくなっており、どの車体がどの愛称を持つものかは判別出来なかった。


ちなみにこれが、ブルートレインの車庫のオフィスに飾られていたJZ-D66型の納車時の記念写真と思われるもの。
3両が導入されたJZ-D66はブルートレイン牽引時は2両重連で、常に1両が予備車として待機するという運用だったらしい。


後日訪問したベオグラード市内のセルビア鉄道博物館にも、JZ-D66の鉄道模型車両が展示されていた。
…やはり、本来は丸っこい車体に艶やかな青色塗装のとても美しい機関車だったようだ。


3両のJZ-D66のうち1両は青い客車と連結された状態で置かれていた。


「この位置で見ると、まるで今にもブルートレインを牽いて走り出しそうだなぁ…」

旧き良き時代のユーゴスラヴィアとチトーのブルートレインの記憶がそのままの姿で永遠に化石になったような、哀しくも美しい光景だった…
夜に星空の下で見たら、きっと幻想的だろう。


機関車JZ-D66の他にも、何両かの客車が車庫の外に留置されていた。

まだ比較的新しい車両でブルートレインと同じ青い塗装をまとっているが、なぜ運用から外されてしまったのかは不明…
いや、車庫のスタッフの方に聞いてみたのだが、僕の稚拙な語学力では詳細は聞き出せなかったというのが実情(苦笑)

だが、どうやら修理する予定等は無く、このまま荒れるに任せて放置される運命らしい…

車両の見学を終えて、ブルートレインの車庫で管理業務を行っているセルビア鉄道の関係者の皆さんにお礼を言って、ベオグラード市内に帰る。
数時間の滞在だったが、内容の濃い充実した時間を過ごすことが出来た…
何しろ、夢であり幻だったチトーのブルートレインに実際に会い、車内に乗って見ることが出来たのだ!

今回お世話になった皆さんにはひたすら感謝、である。ありがとうございました!

ベオグラード市内に戻り、夕刻に駅まで散歩に行ってみた。すると…



なんと、ベオグラード駅につい先程見たばかりの青い客車が停まっているではないか!



これは、まぎれもなくチトーのブルートレインの青い客車だ。
しかも、車庫に収められて磨き上げられたチャーター専用の保存車両ではなく、営業運転する列車に連結されて土埃にまみれながら現役で稼いでいる車両である。

実は、夏季のバカンスシーズン限定で、チトーのブルートレインの客車がベオグラードとモンテネグロのバールとを結ぶバール鉄道(チトー大統領の専用客車の一般団体レンタル運行でも走行可能な線区だ)の臨時夜行列車に連結されて、きっぷを買えば誰でも乗れる寝台車として使用されているのだ。
もちろん車両は豪華な大統領専用車などではなく、随行するスタッフが使用した一般型の個室寝台らしいのだが…




1959年製のブルートレインの車両と、近代的で明るい塗装のモンテネグロ鉄道の寝台車が連結されている。
さらにその後ろにはカートレイン用の自動車運搬車も連結されており、雑多で賑やかな凸凹編成を組んでモンテネグロを目指すようだ。


ブルートレイン車両のデッキのドアに張り出された号車番号札とサボ(方向幕)。この車両が生きた運用に就いている証明である。
サボの表記によると、ベオグラード発バール行きの433列車で「Lovcen」(モンテネグロ国内にあるロブチェン山という山の名前)という愛称が付いている。


ブルートレインの車体を飾る「燃える松明」のユーゴスラヴィア国章エンブレムも勿論健在。


驚いたことに、屋根上にはチトーの執務室のユーゴ各国首脳直通ホットライン電話の送受信や車内テレビ、ラジオの受信に用いられたと思われるアンテナまで設置されている。
現在はもちろんチトーのホットライン通信など使われていないし、車内でテレビやラジオのサービスを行っているとも思えないので、単にかつて大統領専用列車に連結されていた頃に使われていた設備が撤去されずそのまま残されているだけだと思うが…

ともあれ、思いがけず早々にチトーのブルートレインとの再会を果たしてしまった。
ブルートレインは今でも生きている。こうして夏休みの楽しい行楽に出かける旅行者を乗せて、今夜も走っていたのだ…

「40万円用意して大統領専用車両をチャーターする前に、バール行きの寝台列車に乗る方が手っ取り早いな(笑)

という訳で、僕は思ったよりずっと早くずっと安く(笑)チトーのブルートレインに乗れるかも知れません(いや、それでもいつかは大統領専用車両を貸し切って自分たちだけの為の特別列車を仕立てて乗るけどね、勿論!)。


ブルートレイン車両を連結したバール行きの寝台列車ロブチェン号が出発した後、すっかり日が暮れて夕闇に包まれたベオグラード駅の片隅で街灯りに浮かび上がるこの蒸気機関車…

実はこれもチトーのブルートレインの専用機関車。
ディーゼル機関車のJZ-D66型が1957年に登場する前にブルートレインを牽いていたSLだが、ちょうどJZ-D66の投入と同じ時期にブルートレインの車両が新造(1959年)されているので、このSLが牽いていたのはユーゴスラヴィア建国直後に登場した先代(初代)のブルートレインということになる。

そして数日後、ベオグラードを去り次の目的地ブルガリアの首都ソフィアへと向かう国際列車バルカン号に乗車して、ベオグラード駅を発車してしばらく走ると…




何と、見憶えのある懐かしい青い車両たちがバルカン号の車窓に…

思いがけず、あのブルートレインの車庫のすぐ隣を通ってベオグラード市を後にするルートを走っていたのだ。
一瞬ではあったがこれで二回目のブルートレインとの再会、もはや偶然とは思えない。

「やっぱり、いつかまた乗らずにはいられない運命のようなものがあるんだろうな…
よし、それまでベオグラードの森の中で待っていてくれ。
いつか必ず、僕たちだけの専用列車を仕立てて乗るぞ、チトー大統領の専用列車Plavi voz。『永遠のブルートレイン』に!」

それでは皆さん、今度は車庫から外に出て線路の上を走っているチトーのブルートレインの車内でお会いしましょう!
天燈茶房亭主mitsuto1976 拝

Plavi voz ~チトー大統領のブルートレイン 2:ようこそ、ユーゴスラヴィア大統領専用列車へ!

2017-09-16 | 旅行記:2017 セルビア・ブルガリア
Photo:チトー大統領専用列車Plavi voz車内、会議スペース

1:ベオグラードの森の中に眠る青い列車からの続き


ベオグラード近郊の森の中にある車両基地の車庫に眠るPlavi voz、チトー大統領専用列車「ブルートレイン」…
かつて、連邦共和国の国内各地を視察するチトーと世界各国から訪れた首脳たちを乗せてユーゴスラヴィア中を駆け巡った車両の車内に、これから“乗車”する。

かつては赤絨毯の敷かれたベオグラード中央駅のプラットホームに据え付けられていたであろう専用車両のデッキに車庫の床からタラップを使ってよじ登って、いよいよ夢のブルートレインの車内へ…


先ずは、長い通路が続くコンパートメント車両。

ヨーロッパの標準的な個室寝台車のスタイルで、日本のJRのブルートレイン「はやぶさ」や「富士」のA寝台1人用個室「シングルDX」と似た構造だが、木目調のインテリアと絨毯で豪華な雰囲気である。
ただし、これはチトーが寝起きしていた車両ではなく、随行するユーゴ政府高官や賓客が使用した寝台車だ。




賓客や政府高官が使用したコンパートメント内。
ベッドは日本のA寝台より一回りほど広く、幅1mはあるので寝心地は良さそうだ。







コンパートメント内には専用のデスクとトイレ、さらには立派なバスタブを備えたバスルームも用意されているので、JRのブルートレイン「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」のシャワーしか無いA寝台ロイヤル個室よりも豪華だ…

尚、同じ車両内にバスルーム無しのコンパートメントもあるようで、この辺りはおそらく使用する政府高官の身分や賓客のランクで差を付けていたと思われる。


次の車両は、車端部に気の利いた感じの小粋なウェイティングバーが…




バーの奥はもちろん食堂車…磨き上げられたマホガニー細工の壁が印象的な会食用サロンである。
今は灰皿が一つぽつんと置かれただけのテーブルにも運行時にはテーブルクロスがセットされ、チトーが賓客をもてなす豪華な食事の皿が並んだのであろう…




会食用サロンの隣は貴賓用サロン。
食後のくつろぎスペースといったところか。


貴賓用サロンの壁に埋め込まれたブラウン管テレビとカーラジオをそのまま流用したようなチューナー。
…この車両が製造された1959年当時としては最先端のハイテク装備だったんだろうなぁ、きっと!


食堂車には会食用サロン以外に、日本の「北斗星」のグランシャリオや「トワイライトエクスプレス」のダイナープレヤデスに似たプルマンカ―スタイルのテーブルが並んだ区画もある。
チトーの旅の随行員や同行する記者等のスタッフは、ここで集まって皆で一斉に食事したのかな。


食堂車の隣は会議車両。
休憩用のソファが並ぶ区画の奥には、チトーが世界の首脳たちと相まみえた「列車内首脳会談」の舞台となった、長いテーブルの会議室が見える…


長テーブル中央の、この席でチトーがイギリスのエリザベス2世やソ連のブレジネフ書記長、ルーマニアのチャウシェスク大統領やリビアのカダフィ大佐といった世界60カ国以上からユーゴスラヴィアを訪れた名だたる首脳たちと対面し、語り合った。

そして1980年、ユーゴ北部リュブリャナの病院で死去したチトーの遺体が首都ベオグラードへとブルートレインで最後の旅をした際にも、会議車両のこの位置に棺が置かれていたという…


会議車両の車内を彩るマホガニーの壁細工。
いにしえのオリエント急行のワゴン・リ寝台車の車内はアール・ヌーヴォー調の硝子細工とマホガニーとで飾られていたというが、チトーのブルートレインは繊細な硝子細工が見当たらないかわりに随所に磨き上げられたマホガニーの壁があり、豪華絢爛というよりは質実剛健な雰囲気が漂う。




会議スペースの端の壁には、“秘密の仕掛け”がある。
普段は絵の額縁が掛けられて隠されている壁のパネルを外すと…




なんと壁の裏が映写室になっていて、映写機が現れるのだ!
う~ん、PHILIPS社製の映写機が何ともレトロで、まるで懐かしのTVドラマ「スパイ大作戦」の世界!(笑)
…要は会議中に使うプロジェクターな訳だが、これもチトーの現役中は最先端装備だったんだろうなぁ。


歴史の舞台でありレトロフューチャーが詰まった会議車両を堪能したら、いよいよブルートレインの最重要車両であるチトー大統領夫妻の専用車両へ!
車両連結部の貫通幌も「オリエント急行」や「ななつ星」と同じように丁寧にビロードの幕で覆われている。これはまさに特別中の特別車両への入り口の装備だ…


マホガニーの壁に覆われた、チトー大統領の執務室。
チトーのブルートレインの中枢部である。




執務室を飾るマホガニーの壁細工は帆船のモチーフ。
チトーにとってはブルートレインは地を駆ける彼の船だったのかも?


チトーのブルートレインは空は飛ばないがユーゴスラヴィア版の「エアフォース・ワン」であり、「走る大統領官邸」だ。

執務室のデスクに置かれた電話はユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国の各構成国の首脳部と常に直結されたホットラインであり、チトーはここで走るブルートレインの車中からユーゴ各国の首脳へと重要司令を発していたという。

その為、ブルートレインの車両の屋根上にはホットラインの通信用アンテナが設置されており、他の一般形車両と見分けるポイントになっている(記事の最初に載せたブルートレインの車両の写真をもう一度よく見て頂きたい。車端部屋根上にアンテナがあるのがお分かり戴けるかと思う)。


執務室の隣はリビングルーム。
仕事を終えたチトーがくつろぐ様子が目に浮かぶ…




リビングに置かれたラジオ。
…食堂車の貴賓用サロンにはテレビがあったが、チトーのプライベートなリビングにはラジオしか無いのが不思議な気がする。
まあ、仕事が忙しくてテレビを見ている暇がなかったのかも知れないが。


チトーの寝室。
最初に見た随行するユーゴ政府高官や賓客が使用した寝台車と違い、線路と平行にベッドが置かれたゆったりとした造りになっている。

…が、案外素っ気なくシンプルな印象。
元パルチザンの闘士だった男は寝室に睡眠に必要ない無駄な豪華さなど求めなかった、と言えばちょっとチトーを持ち上げすぎだろうか。


寝室の隣は大統領夫妻専用のバスルーム。


そして、チトーの妻であるヨヴァンカ夫人の寝室。
夫の寝室と同じ間取りだが、さすがにファーストレディのベッドルームだけあって花柄を用いた華やかなインテリアデザインになっている。

余談だが、チトー大統領夫人であるヨヴァンカ・ブロズは17歳でパルチザンの狙撃手となったという“女性革命闘士”で、チトーの3番目の妻が結核で倒れた際にチトーの世話人となり、その先妻の死後に30歳も歳上のチトーの再婚相手となった。
さらにチトーの死後は政府によって軟禁状態に置かれた挙句、ユーゴ崩壊後は財産を没収されベオグラード郊外の粗末な家で一人暮らしをしていたという。
同じベオグラード郊外の森の中の車庫に眠る、かつて夫とともに乗車してユーゴスラヴィア各地を走り回り夜は同じ車両で眠った思い出のブルートレインをヨヴァンカ夫人がその後再訪した事があったかどうかは分からないが、波乱万丈の生涯を送り2013年に88歳で亡くなったヨヴァンカ・ブロズは現在、チトーと同じ墓に埋葬され眠っている…


チトー大統領夫妻の専用車両の隣は、ブルートレインの編成全体に電力を供給する電源車。

…実際のブルートレインの運行時には大統領専用車両のすぐ隣に電源車が連結されることは無かったと思うが、現在は豪華なビロード張りの貫通幌の向こうに無骨なディーゼル発電機が覗くという格好で編成が組まれている。




ブルートレインの電源車のディーゼル発電機はダイムラー・ベンツ社製。


電源車の配電盤。
夏は猛暑で冬は雪が降るユーゴスラヴィアでは、車内の冷暖房をまかなうための電源車の連結は必須だ。

…賓客と随行員用の寝台車から食堂車、会議用車と大統領夫妻専用車と電源車まで、チトーのブルートレイン「Plavi voz」の車内を一通り見てまわった。
ユーゴスラヴィア大統領専用列車ブルートレインの車内訪問はこれにて終了。名残惜しいが、青い列車を降りる。



「素晴らしい体験だった…この列車にはチトーと彼の時代の薫り、ユーゴスラヴィアの歴史がそのまま詰まっている。
このブルートレインに、また乗れる事はあるんだろうか?」

…実は、あるらしいのである。

ずっと車内を案内してくれた、ブルートレインが収められている車庫と車両の運用管理をしているセルビア鉄道の関係者の方によると、
このブルートレインの車両は現在、一般の団体客向けにレンタル運行を行っているそうなのだ。
今まで見てきた4両の専用客車(寝台車・食堂車・会議用車・大統領夫妻専用車)に冷暖房用の電源車を連結して、セルビア国内及びバール鉄道(モンテネグロ共和国)を丸一日(最低12時間)走っておよそ3,000ユーロ(約40万円)程とのことである(※ただし、チトー大統領夫妻の専用車の寝室やバスルームは使用できないとのこと)。

チトーのブルートレインを丸一日、自分だけのために走らせて約40万円…これって、考え方次第ではとても安いのではないだろうか?
だって、日本でクルーズトレイン「ななつ星in九州」に乗ろうと思ったら、一番リーズナブルな一泊二日コースでも一人あたり50万円以上するのだ。チトーのブルートレインを1編成丸ごと1日貸し切るよりも「ななつ星」の個室を一部屋だけ一晩使う方が高いのである!
チトーのブルートレインなら、乗車する人数を集めて頭数で割ればさらに割安になるではないか。
「これは…乗りたくなってきた!本気で乗りたいぞ、自分たちだけのために走らせるチトーのブルートレイン!!」

…日本からセルビアまでの往復の航空券代を足しても、例えば10人以上参加者を集めれば「ななつ星」よりも相当安く乗れるチトーのブルートレイン。
天燈茶房亭主は本気でいつか乗るつもりです。参加者が集まればいつでも乗ります!
もし、読者の方で「乗ってみたい」と思われた方が居られたら、是非とも乗ってみて下さい。セルビア鉄道への連絡手配等の相談には応じますよ(笑)
そして、チトーのブルートレインの旅の様子を聞かせて下さいね!


3:ブルートレインよ永遠にに続く

Plavi voz ~チトー大統領のブルートレイン 1:ベオグラードの森の中に眠る青い列車

2017-09-03 | 旅行記:2017 セルビア・ブルガリア
Photo:ベオグラード近郊の車庫に眠るPlavi voz(セルビア語で「青い列車」の意味)


ヨーロッパの東側、アドリア海を挟んでイタリアと向かい合うバルカン半島にかつて「ユーゴスラヴィア」と呼ばれる国があった。

「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字」を有する「1つの国」、ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国は今日では完全に解体され地上から消滅しているが、この余りにも多くのものを内包していた混沌とした地域を30年以上に渡り「1つの国」としてまとめ上げていたのが、ヨシップ・ブロズ・チトー大統領

クロアチアの田舎の小学校を卒業後すぐに錠前工として働き始めた少年は、やがて労働運動に身を投じ、徴兵され、ナチスドイツに抵抗するパルチザンのリーダーとなり、遂には新たに生まれた連邦国家の終身大統領にまで上り詰めた訳だが、この稀代のカリスマが1980年に死去するとユーゴスラヴィアは崩壊への道を歩み始める…

今日、チトーはようやく落ち着きを取り戻した“旧ユーゴスラヴィア”諸国において、ある種のノスタルジーをもって語られる事が多いという。
旧き良き時代、懐かしいあの頃の象徴として、連邦解体と凄惨な民族紛争と内戦を乗り越えてきたこの地において、チトー大統領もようやく安らかな眠りに就けたということだろうか。

そんなチトー大統領の生前を偲ばせる意外な遺産が、実は今日も秘かに存在している。
それは何と、鉄道車両
チトー大統領の専用列車として特別に製造された車両が、今でもかつてのユーゴスラヴィアの首都であったセルビア共和国のベオグラード近郊の車庫で保管されているのだ。

美しい青い塗装を施され、セルビア語で「青い列車」を意味する「Plavi voz」と称されるチトー大統領の専用車両は、日本でも海外の鉄道好きの間では「チトーのブルートレイン」と呼ばれてそれなりに名の知られた存在であったが、何しろ日本では現地セルビアの情報が少なく「幻の列車」という印象だった。
だが今回、インターネットを通じて知り合ったベオグラード在住の方にお世話になって、実際にこの「幻の列車」に直接対面することが出来たのである!
インターネット時代の文字通り世界を越えた人と人とのつながりの素晴らしさと、遠く離れた街でわざわざ手配を整えて下さった事にひたすら感謝です。

…それでは、天燈茶房読者の皆さんもご一緒に「チトーのブルートレイン」に会いに行きましょう。
青い列車たちは、ベオグラード近郊の森の中の車庫にひっそりと眠っていました…


(取材日:2017年8月14日)


朝から、タクシーで「チトーのブルートレイン」が保管されている車庫へ。
ベオグラードは大都市だが都心からでも少し車を走らせるとすぐに緑豊かな森が広がる。この森の向こうにブルートレインが眠っている…


やがて、木立の中に線路と鉄道車両が留置された工場のような建屋が現れた。
「あっ、青い客車がいる!」間違いない、どうやらここがブルートレインの車庫のようだ。

車庫に着いて、現在ブルートレインの整備を担当しているセルビア鉄道の関係者の皆さんに挨拶。
「今からブルートレインの電源を入れるからちょっと待ってて」と整備場の詰め所に案内される。

鉄道員の皆さんは突然訪れた日本人に対してとても親切で、「ラキヤ(バルカン半島で客人に振る舞われる蒸留酒)飲まないかい?」と勧められたが、断酒中だし度数40度(!)もあるラキヤなんか飲んだらひっくり返るに決まっている!(笑)
「せっかくですが、アルコールは駄目なんですよ」と丁重にお断りしたら、大笑いされた後に濃いトルコ風コーヒーが出てきた。皆さん本当に気さくでもてなし好きのようだ。


ブルートレインの電源を立ち上げるのに時間がかかるようなので、その間に車庫の整備工場を見学させてもらう。
工場長のデスクにはしっかりユーゴスラヴィアの国旗が掲げられていた…


そして壁には、ブルートレインの主であるチトー大統領の姿を列車と共に収めた写真が…

電源の準備にもう暫く時間がかかるようなので、車庫の中のブルートレインの外観をじっくり眺めてみる。



ブルートレインの車両は、車体に波型のコルゲート(ビード加工)が入った重厚なもの。
青く塗られているが、車体そのものは旧共産圏やかつての中国などでよく見られた緑色の「社会主義国の標準客車」と同じもののように見える。
セルビア鉄道の公式サイトによると1959年に製造されたとあるから、新製から既に60年近く経過したとても古い車両ということになるが、きれいに整備されているのでまるで新車のようだ。




車体に英語表記が一切無いのでよく分からないが、窓配置が異なる車両は食堂車かコンパートメント車かも知れない。


ブルートレイン車両の車体を飾るエンブレムは、6つの共和国を表す「燃える松明」をあしらったユーゴスラヴィアの国章。
ただし、オリエント急行のワゴン・リ車の「向い獅子」や「ななつ星in九州」の五芒星のエンブレムと比べたら非常に小ぶりで、控えめに掲げられている印象。


車庫にずらりと並ぶ磨き上げられたブルートレイン車両。壮観である…


ふと「そういえばチトー大統領が健在だった頃は『ブルートレインは実は常に2編成が運用されており、チトーが乗っているのとは別の影武者編成が暗殺者の目を誤魔化す為に走り続けている』なんて噂もあったらしいなぁ…」などと独り言をつぶやいたり。
この車庫の中には相当な数のブルートレイン車両が収蔵されているようなので、その気になれば実際に2編成運用も可能だったかも?

やがて詰め所の方から「電源の準備が出来た!列車の中に入れますよ」と声がかかった。
…お待たせしました、赤いテールランプの灯るデッキのタラップを登って、いよいよ幻のチトーのブルートレインの車内に入ります!



2:ようこそ、ユーゴスラヴィア大統領専用列車へ!に続く