天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

全天周映像HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-試写会を観る

2009-03-31 | 宇宙
 「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」より プロモーション画像提供:「はやぶさ」大型映像製作委員会


 HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-

幾多の困難を乗り越えて人類史上初の小惑星へのタッチダウンを成し遂げ、
採取した小惑星のサンプルを地球に持ち帰るべく今日も宇宙の旅を続ける“奇跡の宇宙船”小惑星探査機「はやぶさ」
その「はやぶさ」の使命と旅路の総てを驚異の超高精細CGで描いたプラネタリウム上映作品「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」が遂に完成、
来月1日から大阪市立科学館のプラネタリウムにて1年間のロングラン上映が始まる。

その上映開始に先がけて3月28日に一般向け試写会が催された。
運良く試写会の申し込み抽選に当選したので、京都在住の妹夫婦を引き連れて逸早く観てきました!

会場の大阪市立科学館はここ。

大阪市の中之島、国立国際美術館の隣。お洒落な雰囲気の場所にあります。
今日のHAYABUSA試写会は科学館の閉館後に招待者だけで行われるので、大都市の夕暮れの中を歩いて行く。


会場に入ると、クールなHAYABUSAの告知看板がお出迎え。
内蔵されたモニタでは予告編映像を上映中。


プラネタリウムのドーム内に入ると、その巨大さに圧倒される。
地元の熊本博物館のドームの倍はあるかな?
それに、座席がとにかく座り心地が良いのに感心(フランス製だそうです)。と同時に「寝心地も良さそうだな…」と心配になり、
「kamiちゃん、mogmog、…寝るなよ」と妹夫婦に釘を刺す(笑)

試写会は大阪市立科学館副館長の挨拶からスタート。
通常、こういう挨拶は当たり障りのないもんですが…今回は違った!

副館長曰く
「皆さん、これからHAYABUSAを観るとき、是非ご自分がはやぶさになったつもりで御覧になって下さい。
そして、はやぶさをご自分の一番大事な人…家族、友人、恋人…だと思って観てみて下さい。」

隣に座った妹mogmogから「ミーちゃん(私もう三十路なのに、家族からはこう呼ばれてるのだよ)、今の挨拶、ちゃんと天燈茶房に書いときなよ!」と耳打ちされる。

注意:これ以下の記述に一部、HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-本編の内容説明が含まれます

そして始まった本編。
巨大ドーム一杯に広がる星空、天の河…そこに現れる地球。
よく見ると、何かが地球にぶら下がっている。目を凝らすと…「M-Vロケットだ!」
今まさに、内之浦から「はやぶさ」を乗せたミューロケットが打ち上げられたのだという事がわかる。「はやぶさ」誕生の瞬間だ。
「はやぶさ」が、宇宙に堕ちていく、産み落とされていく…何というオープニング!!

…いきなり素晴らし過ぎます。「ロケットファンを、はやぶさファンを悶え殺すつもりかー!!」


 「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」より プロモーション画像提供:「はやぶさ」大型映像製作委員会

更に、画の美しさ、精密さにはとにかく圧倒される。
実写と見紛う映像の売り言葉は伊達ではない。
そして、プラネタリウムの立体感を生かした画面構成の巧みさ。それが十二分に生かされるのは地球スイングバイのシーンだ。
宇宙空間で地球と出会った「はやぶさ」がどのような軌道を飛翔し、地球の重力を掴み取り自分の加速力に変えるのか。そのプロセスをまさに「3次元的に」表現しているのには感心を通り越して呆れた!
「そういうスイングバイの描き方があったのか!」


 「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」より プロモーション画像提供:「はやぶさ」大型映像製作委員会

横目でkamimog夫婦の様子を伺うと、2人とも寝るどころか息を飲んで映像に見入っているようだ。フランス製快適座席の心配が杞憂に終わって一安心。
2人とも、(僕の必死の努力にも拘らず)宇宙にそれ程想い入れがあるという訳ではない筈だが、そんな観客の心もがっちり鷲掴みにしてしまったようだよ、このHAYABUSAは!

遂にクライマックスの小惑星イトカワヘのタッチダウンシーン。
舞い踊るようにイトカワヘ近付く「はやぶさ」の小ささ、けなげさ。
制御不能に陥り不時着する「はやぶさ」の感じた孤独と恐怖。
傷ついても決して諦めず、再度チャレンジする「はやぶさ」が奮い立たせた勇気。
そして、「たったひとつの勝利」!






 「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」より プロモーション画像提供:「はやぶさ」大型映像製作委員会

「ああ、そうだった。あの時…僕らがインターネットにかじりついて宇宙科学研究本部からの速報や松浦晋也さんのブログで情報を得て一喜一憂していたあの夜、彼はこうして冒険していたのか、闘っていたのか…」
涙が溢れてくる、止め処なく流れる。
「あの時、『はやぶさ』はこうしていたのか…見ることが出来たよ、あの時の彼の姿を!」それをHAYABUSAは、完全に画ききっていた。

エンディング、来年6月に地球に帰って来た「はやぶさ」。
心が騒ぐ。不安に叫びたくなる。「やめてくれ!あのシーンだけは描かないでくれ!」
しかし…
「嗚呼…!」
涙で画面が見えなくなる。見られなくなる。
不死鳥が舞い降りる…

…以上、とにかく泣きましたね。
先日行ったJAXA宇宙探査イベント「宇宙探査の始動 ~Inspire the future~」で「はやぶさ2」プロマネのJAXA宇宙科学研究本部の吉川先生が云われていた通り、「ハンカチじゃなくてタオルが必要な」位にシリアスで壮大な作品に仕上がっています。
kamimog夫婦も圧倒されたようで、それにかなり満足したようで、口々に「よかった!」「凄かった!」と言っていたのでこっちも満足。
mogmogは「映像に迫力があって、USJのアトラクションでやってる映画みたいだった!」とのこと。成程このHAYABUSAをUSJで上映したら確かに面白いかもね。
それに妹よ、これだけは忘れるな。
このHAYABUSAで描かれていることは、総て「はやぶさが本当にやったこと、これからやること」なのだ。ノンフィクションのドキュメンタリーなのだ。
遊園地のアトラクションの、つくり話のSFとは違うのだよ、SFとは!



全天周映像HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-は4月1日、明日から大阪市立科学館プラネタリウムホールで同館オリジナル作品として1年間ロングラン上映されます。
プラネタリウム作品の名作として名高い「銀河鉄道の夜」の後番組となるようですが、HAYABUSAは画質もストーリーもサウンドトラックもそれにふさわしい素晴らしい作品に仕上がっていると思います。
まさに「はやぶさ」は現代の銀河鉄道の列車のような宇宙船ですからね。
(補足:茨城県日立市の日立シビックセンター天球劇場でも短縮版の26分間バーションが明日から6月まで上映されるようです)


 HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-

さて、帰ろうか…でもその前に、大阪市立科学館に来たら会っておきたい方がいる。

それがこの方(ちょっと写真暗いですが)、
昭和3年に造られた東洋初の日本製ロボット、いや人造人間オートマトンと言った方が似合ってるかな、
その名も「學天則」!の復元品。
それまでの欧米製のロボットが「人間の奴隷」として工業用機械として製造されたのに対して、
學天則は「人間のよき友人」として、考え、学び、成長する人造人間を目指していたという。

でもそれって、「ドラえもん」や「鉄腕アトム」と同じコンセプトだよね。日本人って、80年も前からみんなに愛されるロボットを造っていたんだ!

そしてそれは…學天則は小惑星探査機「はやぶさ」のルーツとも言えるんじゃないかな?
「はやぶさ」も地球にいる人たちに励まされ支えられて成長し、みんなと一緒に宇宙の大冒険に挑むロボットだからね。
それに何より、みんな「はやぶさ」のことが大好きで、応援して見守っているんだからね!




京阪中之島線に乗って、さあ帰ろう。
実は今日は僕の誕生日、これからkamimog夫婦がバースディパーティをしてくれるらしい。

HAYABUSAも堪能できて、素晴らしい誕生日の1日になりました。ありがとう!

(4月2日補足:試写会で配布された「全天周映像『はやぶさ』プロモーション用DVD」に収録されていた画像を
「個人レベルのホームページ・ブログでも自由に使用してもよい」との記載があったことに今日気が付きましたので、
記事中に公式プロモーション画像を追加しました。
天燈茶房亭主mitsuto1976 拝)



閉館後の大阪市立科学館にて

2009-03-28 | 実況
…何だかんだで、結局観に来てしまいました。
「HAYABUSA - BACK TO THE EARTH-」完成試写会@大阪市立科学館!

震えたよ、地球から宇宙に「堕ちていく」M5ロケット打ち上げシーン、
歓喜したよ、タッチダウンに至る冒険、太陽系大航海、
泣いたよ、美しくて残酷過ぎるエンディング…


後でレポート書きます。

レールスター乗車中

2009-03-27 | 実況
山陽新幹線の快適列車「ひかりレールスター」に乗ってます。
車内放送がカットされる4号車のサイレンス・カーなので更に快適。

お洒落なサルーンシートで優雅にくつろごうかとワゴンサービスからワインのミニボトルを買ったら、氷入りのグラスが一緒に付いてきましたが…
白ワインのロックってお洒落なんでしょうか?

ポテトチップチョコレート(北海道名物、らしい)

2009-03-24 | 日記
先日、勤め先のFさんが「最近、どうも自宅のパソコンの調子が悪くて…」と困っておられたので、
ちょっと見に行ってみたんですよ。
まぁ僕もそんなに詳しい訳ではないんで、
ありきたりにハードディスクのエラーチェックをしてデフラグして、要らないおまけソフトを消しまくって、ついでにシステムをアップデートしただけなんですけど、
それ以上あれこれいじると本格的にパソコンをぶっ壊す可能性があるので、僕にはこれ位が限界です。

で、それなりに一生懸命パソコンをいじりまくってたらFさんが
「ごくろーさん。一服したら?」と飲み物とお菓子を持ってきてくれたので、
モニタを睨んでマウスをぐりぐりしながら片手でお菓子をつまんで口に放り込んだら

「…?なんじゃこりゃぁー!?」

チョコレートなんだが、塩辛い?
何これふざけてるの?


北海道の有名チョコメーカーROYCE'が出してる「ポテトチップチョコレート」だそうです。
中に入ってるのはあっさり塩味のポテチ。
そういえば以前、柿の種チョコとかいうのをコンビニで見かけたことがあるが…
何故、塩っ辛いものをチョコで包もうなんて考えるんだ?


で、これが妙に癖になる味なんですね。ビールが欲しくなります。
結局、パソコンを診終わるまでに一箱殆ど食べてしまった。

Fさん、栄養ドリンクにも詳しいので、最近入院したりして体調がイマイチの僕のために「おススメ栄養ドリンク」を順次紹介してくれるそうです。
せっかくなので、そのうちここで紹介しようかな。

ちなみに、Fさんのパソコンはあんまり調子良くなりませんでした。
僕はポテトチップチョコを食べに行ったようなもんだ、Fさんスマン。

ETCを付けてみようか

2009-03-23 | 時事
何かアレヨアレヨという間に、ETCを付けてるクルマは高速道路代が上限1000円になる制度が始まるみたいですね。
土日祝日限定で、期間限定2年間らしいですが。

僕の愛車ヴィヴィオ・ビストロ君(地球に優しい660cc軽自動車、製造14年物の年代品、総走行距離15万キロくらい)には勿論ETCなんて洒落た物は付いていません。
大体、高速道路に乗るのはJAXA内之浦宇宙空間観測所の特別公開に行く時か、種子島までロケット打ち上げを見に行く時に鹿児島港まで乗りつける程度。
年に2~3回しか走らんからETCなんか必要ないわい。
でも今後2年間は休日は高速道路に千円で乗り放題となると話は違う。
ちょうど来月、車検に出す予定だったし、ついでにETC付けてもらうことにした。

さて、ビストロ君にETC付けたら高速道路でどこ行こうかな。
「もうすぐゴールデンウィークだし…よし、青森まで行ってみようか!」

青森県の七戸で、毎年ゴールデンウィーク恒例の「南部縦貫鉄道のレールバスと遊ぼうイベント」があるのを思い出したのだ。




去年もレールバスに会いに行って、楽しかったのだ
「よし、今年も行こう!」

ちなみに七戸はこの辺。

「と…遠い!熊本県八代から一体どの位の距離があるんだ!?」

早速Googleでルート検索してみました(Googleってホント色んな機能があるなぁ。。。)。
約2000キロ、所要時間25時間か…まぁ、丸2日くらいかけてサービスエリアで休憩したり仮眠しながらゆっくり行けばいいんじゃないかな?

という訳で、ゴールデンウィークは軽自動車に乗って日本を縦断してレールバスに会いに行こう!と考えてます。
走行距離が半端じゃないから、「走行ダイヤ」を作成して綿密に計画しないとね。
でもって、「ダイヤ表」をプリントして運転席の横に貼り出さないとね。
で、インターチェンジとかを通過するときは「八戸通過、定時!」とか指差呼称しないとね(鉄オタの哀しい性が…)。
ああ面白そう。

ちなみに七戸でレールバスのイベントをやったり、レールバスや設備を保守しているのは南部縦貫鉄道レールバス愛好会のみなさん。
手弁当で貴重なレールバスを守っておられます。

レールバスイベントについてはこちらで詳しく紹介されています。
おがえもん.com

しかし、ゴールデンウィーク中はETC付けたクルマで高速道路混むだろうなぁ。渋滞を避けて深夜から明け方にかけて走行するようなダイヤを組まんといかんな。
それに、僕みたいに意味も無く無茶苦茶な距離を走る暇人が増えるだろうから、排気ガスの排出量が増えるだろうなぁ。
お上は口では「エコ」とか言ってるけど、やってることは滅茶苦茶いい加減だなぁ(まあ、自重せずに喜んで走り回ろうとする僕が一番バカだが)。
いぶき」が恐ろしい観測データを取得しないといいけど。

さくらが咲いたよ

2009-03-22 | 日記
全国的にさくらの開花が報告されているようですが、
九州熊本県八代市でもいつの間にやら、さくらが咲いています。
でも開花早々、雨に打たれています。

雨の中のさくらもそれなりに風情があるのですがね、あっという間に散ってしまわないか心配。

今日はつばめが飛んでいるのも見ました。もう渡って来てるのか。

そういえば一昨日は門司港駅から長崎駅までブルートレイン「さくら」が復活運転してたなぁ。「はやぶさ」で小遣いを使い果たしたんで見に行けなかったけど。
その「さくら」も再来年は山陽九州直通の新幹線の列車名として復活するんだよなぁ。
その時、在来線特急「リレーつばめ」はどうなるのかなぁ。

やれやれ、やっぱり最後は鉄道ネタになっちゃった(苦笑)。

タイのブルートレイン

2009-03-22 | 鉄道
写真:タイ王国南部トランTrang駅に到着した急行83列車



ブルートレイン「はやぶさ」「富士」のファイナルランから1週間過ぎました。

もう大阪より南にはブルートレインは走らない…
だが、しかし!
もっと南に行って日本を飛び出してみれば、どっこいブルートレインはバリバリの現役で毎晩運転しているのだ。

そこは“微笑みの国”タイ王国。
夜行列車の需要が高いが、赤字経営故に寝台車の不足が深刻化していたタイ国鉄に、寝台特急「彗星」「あかつき」を相次いで廃止したJR西日本から余剰となった14系15型寝台車が無償譲渡されてブルートレインが海を渡った。

タイへ上陸したブルートレインは、タイ国鉄仕様に改造されて早速現地の夜行列車の編成に組み込まれ活躍を開始したのだが、タイ国鉄規格より車体が一回り大きい日本のブルートレインは投入線区を限定して運用されているらしく、今のところ定期運用が確認できているのは首都バンコクとタイ南部のビーチリゾートの拠点となるトランTrangという街を結ぶ「第83/84列車」の1往復のみ。

という訳で、「はやぶさ」廃止を1ヵ月後に控えた2月中旬、寂しくなった僕はふらっと休暇を取ってふらっとタイに行ってしまった。

現地に着いたら、先ずはブルートレインの始発駅バンコクのフアランポーン駅へと向かった。バンコクにはつい半年程前に来たばかりなので勝手は解かる。
チケット予約窓口に並んで、国鉄職員のおっちゃんに
「サワディーカー(こんにちは)…I want to get on The Japanese“BLUE TRAIN”! I'm Japanese Train Lover! I Want to go to Trang,By Express 83…」とか捲し立てると、おっちゃんは「わかったわかった」という感じでみどりの窓口のマルス、じゃなかったウィンドウズベースのチケット予約発券システムに何やらカタカタ入力して、打ち出されたチケットにペンでアンダーラインを引きながら
「トラン行き83列車。お前さんの乗りたいブルートレインだよ。ここを見ろ、2 ANSJRと書いてあるだろ、ANSJRは日本のブルートレインだ、間違いないから安心しなさい!発車は17:05、4番のりばだよ。」とえらく親切に対応してくれた。きっと僕と同じようにブルートレイン目当てで来る日本人の「乗り鉄」が多いんだろうなぁ。。。
「ありがとう!やった、これで念願のタイのブルートレインに乗れるよ!」
ところで僕、挨拶をサワディーカーと言ったけど、これって実は女性言葉なんだよね…後で気が付いた(男性の場合はサワディークラップになるらしい)。窓口のおっちゃんも突然「オネエ言葉」で話しかけてきた日本人鉄オタに面食らっただろうな。

さて念願のタイのブルートレイン、僕がアサインされた車輌は「スハネフ15」だった。廃止間近の「はやぶさ」「富士」でも同形式が使用されているが、タイのそれは通路と寝台区画の間に仕切り扉の付いた、日本では京都と南宮崎を結んでいた「彗星」に使用されていた車輌だ。
タイの「スハネフ15」、タイ国鉄規格に合わせて線路幅が1000mmの「メーターゲージ」の台車に履き替えて、日本のものより低いプラットホーム高さに届くようにドアにタラップが追加され、車体妻面が黄色く塗装変更されている以外は殆ど日本時代のまんま!車体の色も日本時代同様、濃紺に白ライン2本だが、よく見ると刷毛か何かで塗り直したような塗装ケバがあったので、わざわざタイ国内搬入後にJR時代と同じ青色で塗り直したらしい。窓口のおっちゃんもハッキリ「ブルートレイン」と呼んでいたし、この青い車体色を大切にしてくれているんだなと思うと嬉しくなる。

車内もJRの「彗星」時代と殆ど変わっていない。
何しろ、「寝台使用中は禁煙」とか「このハンドルを引くとハシゴになります」とかの日本語表記はそのまま残ってるし(さすがにタイ語の表記が追加されていたけど)、寝台のモケットもカーテンも見慣れたJR西日本仕様のものがそのまま使われている。
バンコクを発車して、夕暮れの郊外を走っていると、一瞬ここがタイなのか日豊本線の宗太郎越え辺りなのか分からなくなる。

しかし、タイ国鉄急行第83列車がJR西日本の「彗星」に対して絶対に勝っているものが2つあった。
1つは食堂車を連結していること。
車内販売も無く、駅弁かコンビニ弁当を食べて缶ビール飲んで寝るしかなかった「彗星」に対して83レでは厨房で直火を使って調理されたタイ料理を肴に喉越しの良いタイビールを飲むことが出来る。
もう1つは車内サービスが充実していること。
往年の1等車並みに「列車ボーイ」が乗務し、夜が更けると開放2段式B寝台のベッドにマットレスを広げてシーツをピシッと敷いてベッドメークまでしてくれる。

「おいおい、タイ国鉄に負けてるぞ、ブルートレイン『彗星』!」

でも、寝る前に向かいのベッドのタイ人青年が「このタイプの寝台車、初めて乗るんだけど、日本から来たんだね!これすごく良いよ、今度からこれに乗るよ!」と声をかけてくれたのが嬉しかった。

という感じでタイのブルートレインを楽しんできたのですが、何故か帰国後体調を崩してそのまま入院してしまったのです。
本当はもっと記憶が鮮明なうちに詳細な乗車記を書きたかったのだけど、それどころじゃなかったので残念。
まあいいさ、また今度タイに行って、またブルートレインに乗ってくるよ。
何しろ、JR西日本はその後もブルートレインを廃止し続けて、大量の寝台車をタイに追加譲渡したからね。
僕もその後フアランポーン駅に戻った時に「あさかぜ」で使用されていた24系25型寝台車がタイ仕様に改造整備されてピカピカの状態で留置されてるのを確認しました。勿論車体色は濃紺に白帯、ブルートレインの姿のまま!
これらの新しくタイに渡ったブルートレインは、今年中にはバンコクから各方面へと向かう夜行列車に続々と投入されることになっているという。つまりもうすぐタイ中をブルートレインが走り回ることになるのだ!

「なーんだ、日本のブルートレインは廃止になったんじゃなくて、タイ国鉄に転属しただけじゃないか!」

待ってろよ、南の国のブルートレイン。思いっきり乗り廻しに行ってやるからな!
…でも勿論、帰国後倒れたりしない程度に身体に気をつけて、ね。僕ももう若くないんだから(苦笑)


トランTrang駅に到着後、引き上げる「回83レ」。
10輌以上つないだ長い編成中、3輌がJR組。基本的にスハネフ15+オハ14+オハネ15でユニットを組んでいるようです。


折り返し84レとなる編成がトラン駅に入線。


トラン駅でのブルートレイン折り返し待ちの間に、トランの先にある終着駅カンタンKantangまで乗り鉄してみました。



トラン―カンタン間の列車は1日1往復のみ!
しかもカンタンとバンコクを直通する長距離夜行鈍行列車だ。この超絶長距離鈍行にも一度全区間通しで乗ってみたいなぁ。

そらちゃん里帰り、チャーミー登場

2009-03-21 | ねことか
久し振りに行きつけのS美容院に行きました。
このところ、海外に行ったり入院したりブルートレインに乗ったりと忙しくて、髪は伸び放題。
いい加減むさ苦しかったし、それにS美容院の看板ねこ「宇宙(そら)」ちゃんにも会いたかったしね。

で、日が暮れてからS美容院に行くと、何故かこの子がお出迎え。
「あれ?今日は犬がいる。」
この子の名前は「チャーミー」、10歳。オーナーご夫婦の実家で暮らしていたんだけど、最近、体調がすぐれないので美容院に連れてきて面倒を見てあげているんだそうです。

見たとこ元気もあるし、人の傍にいるのが嬉しい様子。カットしてもらってるとチェアの足下まで寄ってくるよ。

「そう言えば、そらちゃんはいないんですか?」
「ええ、そらちゃんは代わりに実家で留守番なんです。あれからだいぶ育って、随分大きくなりましたよ。」
わぁ~、会いたいなぁ~。
「今度来られる時は、連絡してください。そらちゃんをお店に連れてきますから」
おお、そりゃ楽しみ。

という訳で、看板ねこに代わって看板犬のいるS美容室なのでした。

JAXA宇宙探査イベント「宇宙探査の始動 ~Inspire the future~」に行く

2009-03-21 | 宇宙
2009年3月14日、横浜で催されたJAXA宇宙探査イベント「宇宙探査の始動 ~Inspire the future~」に参加してきました。

さて、この日3月14日は折りしもブルートレイン「はやぶさ」「富士」のファイナルラン、最終列車の到着日。
そして僕も最後の東京行き「はやぶさ」に乗車することになっていた。
なんという偶然!

かくして、JAXA宇宙科学研究本部の誇る小惑星探査機「はやぶさ」の名前の由縁となった列車、それも最終列車に乗ってJAXA宇宙探査イベントに行ってきました。

2009年3月14日午前11時33分、定刻より1時間半遅れて終着駅東京に到着した「はやぶさ」が「富士」と共に回送列車となり去っていくのを見送った僕は、「はやぶさ」「富士」出迎えの人々でごった返す東京駅で友人Kと合流し、そのまま一緒に横浜へと向かった。
途中、品川の操車場にさっき見送った「はやぶさ」「富士」の編成が到着し留置されているのが見えた。
あのブルートレインは、もう二度と乗客を乗せて走ることはない。そう思うと思わずこみ上げてくるものがある。

横浜でJRからみなとみらい線に乗り換えて会場のパシフィコ横浜に到着。


途中で食事をしたので時間が押しており、そのまま会場へ。
今回は定員370名の参加枠がすべて埋まっており、会場の小ホールも空席が殆ど無い状態。
やはり大都市部でのイベントは参加者数の勢いが違う。

14:00、「第1部 音楽と探査映像の世紀」がスタート。
宇宙探査イベントだというのに、ステージ上にはジャズバンドの機材がセッティングされ、ライブ会場としか思えない異例の雰囲気のなか、
JAXA公認「はやぶさ」公式アルバム『Lullaby Of Muses』で御馴染のジャズピアニスト甲斐恵美子さんとバンド「Jazz Odyssey」が登場!
それも、実際に「はやぶさ」を打ち上げたM-Vロケット5号機のカウントダウン音声と共にミュージシャンがステージに現れ、カウントゼロでリフトオフの爆音と共に演奏を始めるという凝った演出だ。
これは、かなり格好いいライブです!

アルバム『Lullaby Of Muses』の収録曲から選りすぐった数曲が演奏され、「はやぶさ」の帰還を祈る名曲「Back to my arms」でライブは締め括られた。
ステージ脇のスクリーンに映し出される「小惑星探査機 はやぶさの物語:祈り」の名シーンに乗せて「Back to my arms」を聴いていると、つい目頭が熱くなってしまった。

続いて土居裕子さんが登場。
音楽座のミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」以来の土居さんのファンである友人Kは大興奮。
月周回衛星「かぐや」をテーマにしたステージで、土居さんの澄み切った歌声が「かぐや」のハイビジョンカメラが捉えた数々の映像とマッチングする美しいライブだった。



ライブ終了後、一旦休憩。
「第2部 宇宙探査、構想から実演へ Are you ready to go?」へ。
開会の挨拶は、「はやぶさ」プロジェクトマネージャでありJSPEC プログラムディレクタである川口淳一郎先生。
「宇宙開発は文化である」、また第1部のライブを挙げて「JAXAと文化のコラボレーション」であると。「かぐや」の満地球映像は印象的であるということから、無人探査と有人探査の関係。
そして「今日は、JRの寝台特急はやぶさが消えた日です」と言及されたのが印象的。宇宙船「はやぶさ」のプロマネも、やはり名前の由縁となったブルートレインのことを気に掛けていて下さったかと思うと嬉しかった。

次いで、
「今後の探査への期待」としてNHK解説委員の室山哲也さん。
友人K曰く「流石テレビの人。解説が上手い。」
人間の冒険心=知的好奇心について。
かぐやのハイビジョン映像について「(月はそうなっていることを)知ってはいたが、実際に見たらびっくりした!」という国立天文台の先生の感想の紹介。
「はやぶさに感情移入するというのは、人間ならでは」とのこと。僕もそう思います。

月・惑星探査プログラムグループ助教の大竹真紀子先生による「月探査計画について」
大竹先生によると「月はパラダイス。何故ならサンプルが残ってるから」

ここで「はやぶさ」プロジェクトの吉川真先生が登場。
「小天体探査計画について」
ここでもいきなり、ブルートレイン「はやぶさ」の紹介。川口プロマネといい、宇宙科学研究本部「はやぶさチーム」のメンバーがブルートレイン「はやぶさ」に思い入れがあるのは間違いないようですね!
吉川先生によると「今週は私が探査機はやぶさの運用当番なんだけど、今日は他の人に代わってもらいました」とのこと。
プログラム的探査について、はやぶさ―はやぶさ2―はやぶさマーク2(マルコポーロ)の説明。

「何故、太陽系の小天体を探査するか?」

キーワード1:科学(サイエンス)
太陽系及び生命の起源と進化を探る

キーワード2:スペースガード

キーワード3:宇宙資源
小天体は資源の宝庫(たぶん)

キーワード4:有人ミッション
アメリカでは既に、小惑星への有人探査が本格的に検討され始めている

キーワード5:技術(エンジニアリングテクノロジー)

そして
キーワード+α
「文化の創造」
「次世代の育成」
はやぶさのアウトリーチとしてのジャズアルバム『Lullaby Of Muses』やビデオ作品「小惑星探査機 はやぶさの物語:祈り」

ここで、全天周映像『HAYABUSA-BACK TO THE EARTH-』の予告編を初公開。


最後に「小天体探査は始まったばかり!」とのことでした。

小休憩を挟んで、「意見交換セッション ー探査活動の未来ー」
司会の山根一眞さん、突如「カーラジオからICレコーダで急遽録音した」という「はやぶさ」タッチダウン成功の第一報を伝えるNHKラジオのニュースを流すなど、とにかく素敵に熱い方。こういう人の話ってとにかく聞いてて面白いし、いつまでも話を聞いていたくなるんだよなぁ。

意見交換も熱く進む。

川口先生と山根さんのやりとり、「小惑星に有人探査に行けるか?」という山根さんの意見に対して川口先生は「お金はかかるが、目指すのは『知らないことを知りたい』ということ。無人でも有人でもゴールは同じ。未踏の地など、危険な場所にはロボットが行く」

土井隆雄宇宙飛行士の「ISSのロシアのモジュールは潜水艦、アメリカのモジュールは飛行機が基になっている印象」
「日本は優れた海洋造船技術を持っているので、これを航空宇宙技術と融合させて日本版の有人ロケットをつくろう。海洋探査と宇宙探査を融合させて日本版の有人宇宙探査をしよう」というプレゼは興味深かった。

会場のボルテージは上がり続け、「日本は“宇宙をやる”という旗印がない。これは政治家が文系で感性が薄くて宇宙を分かってないから」
ついには「もう土井宇宙飛行士に首相になってもらうしかない。土井新党の旗揚げだー!!(ここで満場一致の拍手!)」と総決起集会のノリになったところで時間終了、JAXA 月・惑星探査プログラムグループの主要メンバーが勢揃いして挨拶し閉幕となった。

「いや~…熱いイベントだった!!」


閉会後、ホワイエに並ぶ展示物を見る。「中華鍋」こと、御馴染「はやぶさ」のサンプル回収カプセル。

「マルコポーロ」のリーフレットが平積みになっていたので、JAXAのスタッフジャンパーを羽織ったスタッフに「あの~これ貰っていいですか?」と聞くと
「どうぞ持って行って下さい。あれ?ブルートレイン『はやぶさ』に乗って来られたんですか?」ジャケットの襟にこっそり付けていた車内限定販売の「はやぶさ・富士ヘッドマークピンバッヂ」を見つけられてしまった。
「あはは…見つかっちゃった。それにしても、よくブルートレイン「はやぶさ」のバッヂだって分かりましたねぇ!」やっぱりJAXAの中の人は、ブルートレイン「はやぶさ」の事を意識してるぞ、間違いない!
「宇宙研のはやぶさチームの方なんですか?お名前をお伺いしていいですか?」
「ええそうです。矢野といいます」ええーーー!?サンプラーホーンを担当された矢野創先生?
…矢野先生とタメで話してしまった。しかも先生、鉄道もお詳しいんですね。。。
気さくな好青年、という感じの素敵な方でした。

その後、会場から出てこられた吉川先生にもお会いして挨拶。
「先生、来年の6月にはオーストラリアまで『はやぶさ』の出迎えに行きたいんですけど、一般人もウーメラ砂漠に近づけるんですか?」
「ウーメラは軍事基地だから、軍事エリアの外でなら大丈夫だと思いますよ。大気圏に突入する回収カプセルが流れ星みたいに光って見える筈です。」
「そうですか!…でも、回収カプセルの後に『はやぶさ』本体も大気圏に突っ込んでくるんですよね…」
「そうです。きっと、回収カプセルよりもっと明るく輝くはずです」
先生、僕必ずオーストラリアに「はやぶさ」を迎えに行きますね!


こちら、完成したばかりという「はやぶさペーパークラフト」。
何とターゲットマーカやミネルヴァが可動式で取り外せるという怒涛のクオリティ!製作は勿論、「JAXAのペーパークラフト職人」にして「宇宙研のイケメン天文学者」阪本成一先生!
って、阪本先生、これ組立説明書もないし、メチャクチャ製作難易度高そうなんですけど…
しかも本体を支えてるのは、あの「ファイト一発」の公式ドリンクじゃないですか!素晴らし過ぎます。

おまけ画像

小惑星探査機「はやぶさ」の旅路を支えるイオンエンジン…

ではありません。これ実は、ブルートレイン「はやぶさ」のB寝台1人用個室「ソロ」室内、天井のエアコン吹き出し口。


ちなみにこれが「はやぶさ」のイオンエンジン(画像提供:JAXA)。
どう見ても同じ形をしています。こんなところに、意外な接点が…

だが今となってはもう二度と「ソロ」個室の天井を見上げることはできない。悲しい。

LIFT OFF! 平成21年3月14日朝、寝台特急「はやぶさ」ファイナルラン

2009-03-20 | 鉄道
はやぶさは旅立った 平成21年3月13日夜、寝台特急「はやぶさ」ファイナルランからの続き


東京行き「はやぶさ」最終列車の方向幕 東京駅へと向かうブルートレインは「はやぶさ」「富士」を最後に消滅した

平成21年3月14日


東京行き寝台特急「はやぶさ・富士」の、最後の夜が明けた。
車窓には、尚も涙雨。



一睡もせずに最後の夜を過ごした「ソロ」個室の室内は、一夜明けるとこの有様。





名古屋に到着。
昨夕の北九州での人身事故に端を発する遅延は夜間走行中に拡大したようで、現在1時間半程度遅れて走行しているとの車内放送がある。
「1時間半といわず、2時間でも3時間でも…いや、いつまでも終着駅になんか着いて欲しくない!機関車EF66よ無理するな、もっともっとゆっくり走れ!」
僕だけでなく、おそらく総ての乗客がそう願った筈。



だが、列車はあくまでも誠実に、涙雨を振り払いながら朝の東海道本線を駆け抜けていく。
名鉄の“パノラマスーパー”に見送られて、豊橋駅を通過。ブルートレインがスカーレットの名車“パノラマカー”と併走してコントラストの妙を競い合ったのも、今は想い出。







新幹線と並んで浜名湖を渡り、浜松駅に到着。
ここでも多くの人たちから出迎えと見送りを受ける。


浜松発車後、乗客全員に、乗務している下関の車掌さん達から手作りの乗車記念証が配られた。

乗務員の方々からの心尽くしの、思わぬプレゼント。丁寧に台紙にセットされた綺麗なカードだった。
下関の車掌さん達、ありがとうございます。



「はやぶさ・富士」は尚も東海道本線を東進する。
金谷駅を通過し大井川鐡道の線路を見て…



大井川を渡り…

晴れていればそろそろ富士山が見えてくるのだが、空は泣き止まない。

静岡駅を発車直後、東京へと向かう300系の新幹線「こだま」が「はやぶさ・富士」を追い抜いていった。
否、追い抜き去るのではなく、「こだま」は暫らくの間加速せず、鉄路の大先輩列車に寄り添うように走っていた。
見ると、「こだま」の乗客たちが手を振っている。そして、全ての乗務員室の窓が開き、新幹線の乗務員達が窓から身を乗り出して「はやぶさ・富士」に敬礼を送っている。
「はやぶさ・富士」の乗客と乗務員も、手を振り交わし敬礼を送り返しそれに答える。
やがて300系のタイフォンとEF66の汽笛が鳴り交わされ、2つの列車は離れていった。誇り高き鉄道員たちと、鉄道を愛する旅人たちの心がひとつに重なった瞬間だった。


終着駅東京が近付いて来る。
旅の終りが近付いて来る。


最後の停車駅横浜を出発。
「まだ終わりたくない、はやぶさと別れたくない!このまま時間が止まればいいのに…!」






平成21年3月14日午前11時33分、第9002列車寝台特別急行「はやぶさ・富士」号は終着駅東京に到着した。







「着いてしまった…終わってしまった…」
頭の中が真っ白になっていくのが分かる。

このときが来ることは、2年前に「九州ブルートレイン全廃」が新聞報道された時から解かっていた。覚悟もしていたつもりだった。
しかし、現実に自分が「はやぶさ」の旅の終りに立ち会っていると総てが崩れ落ちた。

「ああ…駄目だ、泣いちゃ駄目だ!」自分に云い聞かせる。
「さあ、行こう。降りなくちゃ…もうすぐ回送列車が出発する…」でも、その前にもう一度だけ…


「ありがとうございました!」

「はやぶさ」への、別れの言葉。誰もいなくなった寝台車の車内に向かって、僕は心の底からの感謝の気持ちを捧げた。それが精一杯だった。

 声も出さずに、僕は泣いた。




平成21年3月15日

正午前、熊本駅に帰って来た。


一昨日とはうって変わって、春うららのいい天気。
だが、熊本駅の3番のりばには、昨日までこの時間にはそこにいた筈の碧い列車の姿はない。

「終わってしまったんだな…」

八代行きの普通電車に乗り換えようとプラットホームを歩く僕の背後で、ふいに逞しくて暖かい声が聞こえた。
「えっ?今の汽笛は…」


蒸気機関車が、そこにいた。
「あそBOY、いやSL人吉のハチロクだ!もう熊本で試運転をやっていたのか!」
台枠の損傷という鉄道車輌の致命傷から奇跡の復活を遂げ、来月から熊本と人吉を結ぶ「SL人吉」として運転開始することになっている8620型機関車がやってきたのだ。
しかも…見慣れた、そして昨日別れを告げた、碧い寝台車を連れている!


「ハチロク、はやぶさを連れて来てくれたのかい?…ありがとう!
…また会えたね、はやぶさ!」


不死鳥のように甦った奇跡の機関車が僕を励ましてくれた、これもちょっとした奇跡。

そしてその時、僕は思い出したんだ。「はやぶさ」もまた不死鳥であることを。

大隈半島の山の中にある宇宙空間観測所。
そこへロケットで宇宙船を打ち上げるために通った宇宙工学者や天文学者を乗せて走り続けた夜汽車にちなんで「はやぶさ」と名付けられた小さな宇宙船が
宇宙の彼方へ旅立った。

宇宙船「はやぶさ」は名前の由来となったブルートレインにも負けない長旅をして、星の王子さまが住んでいそうな小惑星に辿り着き、星のかけらを拾った。
独りぼっちの宇宙船「はやぶさ」は長旅の大冒険で全身傷だらけだ。何度も倒れそうになった。
それでも「はやぶさ」は旅を続けた。たくさんの人たちが「はやぶさ」を愛し、励ましてくれたからだ。数々の困難に打ち勝ち旅を続けた「はやぶさ」は、いつしか不死鳥、奇跡の宇宙船と呼ばれるようになっていた。
今、宇宙船「はやぶさ」は、星のかけらを抱いて宇宙の旅の終着駅である地球を目指し旅を続けている。
懐かしい故郷の終着駅まで、あと少しだ…

宇宙船「はやぶさ」の旅路は、まさにブルートレイン「はやぶさ」の旅そのものではないか。
「はやぶさ」は宇宙を行く夜汽車だ。多くの人たちの気持ちを、情熱を、愛を運ぶ夜行列車だ。故郷の駅へと帰って来る夜行列車だ。
ブルートレイン「はやぶさ」はきっと昨日、そんな同じ名前と心を持つ宇宙船に会うために旅立ったんだ。

だから僕は、ブルートレイン「はやぶさ」にさよならはもういわない。
こういって送り出してやるんだ。

ブルートレイン「はやぶさ」、LIFT OFF!行ってらっしゃい…


はやぶさは旅立った 平成21年3月13日夜、寝台特急「はやぶさ」ファイナルラン

2009-03-20 | 鉄道
 目を瞑り耳を澄ますと、今も僕の心の中に碧い列車が駆け抜ける、汽笛が聞こえてくる… mitsuto1976



最後の「はやぶさ」9042列車を牽く機関車ED76 ヘッドマークが涙雨に滲む

平成21年3月13日

午前10:00 熊本駅



最後のブルートレインを送り出す準備の整えられた熊本駅はまさに「はやぶさ一色」。


コンコースには歴代ブルートレインと急行列車のヘッドマークが並ぶ。


正午前、東京駅からやって来た下り「はやぶさ」が到着。




この編成が4時間後には折り返し熊本発の最後の「はやぶさ」となる。




熊本駅に到着した「はやぶさ」は、整備点検を受け最後の熊本駅発「はやぶさ」となるべく、車輌の籍を置く基地・熊本車両センターに回送される。
住み慣れた“我が家”に戻るのもこれが最後となる。


約3時間後、熊本駅、15時頃。



「はやぶさ」出発式が始まり、多くの見送り客が集まっていた。


15時半頃、最後の「はやぶさ」となる編成が真紅の交流電気機関車ED76の90号機に牽引され到着、5番のりばに据え付けられる。
涙雨は降り止まない。



これから乗車する車輌、オハネ15 2002 B寝台1人用個室「ソロ」。
これまで幾度と無く乗車し、自分の部屋のように棲み慣れた「ソロ」が、僕の「はやぶさ」での最後のベッドとなる。
「ソロ」車の隣には、見知った顔の客車がつながっているのに気が付いた。最上級車輌のA寝台1人用個室「シングルDX」のオロネ15 3002は、かつてはオロネ25 2を名乗っていた車輌。忘れもしない、家族に連れられた12歳の僕が初めて「はやぶさ」に乗った時に連結されていた車輌だ。
「いつかはこのA寝台車に乗って、一人旅をするんだ」と憧れ夢見た車輌だ。

今夜は馴染みの定宿のような気の置けない車輌や幼い日に憧れた車輌に囲まれて、最後の「はやぶさ」の夜を過ごすことになるのか…



編成最後尾には、テールライトの下に赤い反射板が取り付けられていた。
この編成が、終着駅到着後はもう二度と再び乗客を乗せることもなく、車内電源を落とされたまま回送される運命にあることを示す、哀しい証。


平成21年3月13日15時57分、第9042列車寝台特別急行「はやぶさ」は熊本駅を出発した。




「ソロ」個室の小さな窓から眺める風景。
流れ去る車窓の、一瞬一瞬がもう二度と見ることの叶わぬ最後の景色。



「ああ…美しいな。夜行列車の窓から見る夕景は、何故こんなにも哀しくて美しいんだろう…」

「はやぶさ」は二度と再び辿らぬ通い慣れた鹿児島本線を走り続ける。
途中、博多駅発車直後に対向する下り貨物列車に発生した人身事故の影響で足止めされた為1時間ほど遅れて、九州最後の停車駅となる門司駅に到着。
ここで大分からやってくる僚友「富士」の到着を待つ。




遅れた「はやぶさ」を門司駅の手前で待ってくれていた「富士」が到着。
併結運転を始める前から、同じ編成を共に使い合う仲だった「はやぶさ」と「富士」。そんな親友同士のような2つの列車が連結され、1つの寝台特急「はやぶさ・富士」となる。
最期の時まで手を取り合い、一緒に旅を続けようとするジョバンニとカムパネルラのように。





門司駅を発車した第9002列車寝台特別急行「はやぶさ・富士」は関門トンネルに突入し、九州を離れる。
真紅のED76に代わって碧い列車の先頭に立つのは交直流電気機関車EF81-400番台。
旅客用、即ちブルートレイン牽引用としては僅か2輌が在籍するのみの、海底トンネル区間専用という文字通り“縁の下の力持ち”に徹した孤高の機関車は、今夜と明日の朝、最後の「はやぶさ・富士」を率いて関門海峡を渡りその任務を全うした後、ただひたすら黙々と往復し続けた海底の鉄路から静かに去っていく。
ここにも人知れぬ別れのドラマがあった。



本州に上陸した「はやぶさ・富士」は下関駅に到着。
ここで機関車EF81-400番台は切り離され、国鉄最強の大型直流電気機関車EF66が登場する。



“ヘラクレス”EF66がブルートレインの先頭に立つのも今夜が最後。
その最後の雄姿を一目見ようと押しかけた人々で、先頭車周辺は立錐の余地もない程。



カメラの放列の向うに現れた、重量感そのものの剛鉄の塊。
磨き抜かれ輝くナンバープレートを見ると…「あっ!42号機だ!」
何と、これまた僕が初めて「はやぶさ」に乗った時に牽引を担当していたEF66 42ではないか!
「最後の夜に、懐かしい顔が揃ったなぁ…!東京まで、今夜もまた頼むよ42号機!
今夜はオロネ25 2もいるんだ。1時間も遅れているからって怪力任せの回復運転に夢中にならずに、牽き出しと停止は特別丁寧に頼むよ!」



14系15型寝台車及び24系25型からの編入改造寝台車からなる、12輌編成のブルートレイン「はやぶさ・富士」はEF66 42に導かれ雨の山陽本線を邁進する。

昭和40年代、下関で水揚げされた海産物を逸早く大都市東京へと運び出す「鮮魚列車」を牽くために造られた、当時国内最速最強を誇った巨大機関車EF66。
速さと強力さを宿命付けられた貨物列車専用の機関車はしかしその後、東海道山陽本線の華であり最優等列車であるブルートレイン専用機に大抜擢される。
国鉄の分割民営化を睨んだ寝台特急「はやぶさ」の接客設備改善の為の「ロビーカー」連結に伴う編成の超重量化に従来の旅客用機関車が耐えられないことが判明、しかし強力型旅客機関車を新製する余裕のなかった国鉄は牽引力と高速走行性能共に余裕のある貨物機に着目したのだ。
かくして、新時代の東京発九州方面行き寝台特急専用機関車としてEF66に白羽の矢が立った。それはまさに、「はやぶさを牽引するため」だったのだ。
「はやぶさ」の為だけに用意された国鉄史上最重量級、15両編成の24系25型客車を率いて最高時速110キロで東海道本線の難所「関が原」を、山陽本線の難所「瀬野・八本松」を駆け抜けること、総距離1000キロを超える東京―下関間を交替なしで走破すること。これがEF66に与えられた新たな使命。
その過酷極まりない使命を、EF66は20年以上に渡って毎夜黙々と果たし続けてきたのだ。



だが、それも今夜まで。
今夜は、身軽になって少し軽くなった12輌編成の客車たちと一緒に、最後の夜を味わってくれ。そんなに頑張るな、走るのはゆっくりでいいんだ。
…もういいんだ、実直な巨人よ。剛鉄の身を削るような、機械の身体からも血が滲み出るような凄惨な任務はもう終わるんだ。
せめて今夜は、最後の旅を楽しんでくれ…


「はやぶさ・富士」は夜の山陽本線を進む。
停車駅毎に、多くの人達の見送りを受けながら。
「いつもいつも、通る夜汽車…」沿線の人々にとっては、生活の一部となっていたであろう夜行列車。
明日からは、もう想い出となる夜汽車…





午前4時過ぎ、大阪駅に到着。
大阪駅では乗客の乗降は行われない運転停車で、時間も時間なのでプラットホーム上には人の気配はなかったが、数人の鉄道員が無言で敬礼して見送ってくれた。
鉄道員にとってもブルートレインは特別な列車であるということはよく聞く。最後の「はやぶさ・富士」を見送る彼らの姿に、プロフェッショナルの誇りと寂しさを見た気がした。


京都駅でも鉄道員の敬礼と、夜明け前にも関わらず集まった鉄道ファン達に見送られてゆっくりと通過。
琵琶湖をかすめ関が原を乗り切った頃、車窓が薄っすらと青い光を帯びた。
「朝になったか…」
「はやぶさ・富士」最後の夜が明けたのだ。


LIFTOFF! 平成21年3月14日朝、寝台特急「はやぶさ」ファイナルランに続く

はやぶさは駆け抜けた

2009-03-14 | 実況
東京駅で最後のブルートレイン「はやぶさ」の旅を終えた僕は、友人Kと落ち合って横浜へ向かった。
ちょうど今日、パシフィコ横浜で開催されたJAXA宇宙探査イベント「宇宙探査の始動」に参加したのだが、演壇に立たれた小惑星探査機「はやぶさ」プロマネ川口淳一郎先生、同じく「はやぶさ2」プロマネ吉川真先生が何れもブルートレイン「はやぶさ」廃止を話題にされたのが印象に残った。
宇宙探査の世界的第一人者の先生方が登場するステージにはバンドの機材がセッティングされ、いきなり御機嫌なジャズのライウ゛で幕を開けるというお洒落な宇宙科学イベントで大いに楽しんで、東京駅に戻って来た。
そこにはもう「はやぶさ」はいない。寂しくて堪らなくなって、僕は上野駅に向かった。そこには今日も変わらず、ブルートレインの姿があった。
北へ向かう「あけぼの」の旅立ちを見送った僕は、東京駅から「サンライズ出雲・瀬戸」に乗り込み九州へと帰る。

「はやぶさ」は駆け抜け、走り去った。
だが旅はまだ終わらないのだ、いつまでも。