天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

加津佐駅にて

2008-03-31 | 実況
島原鉄道南線、最後の日。
終着駅加津佐に到着した最終列車。
ありがとう。ご苦労様。

さて、最終列車も回送で引き揚げて行ったし、僕も帰ろう。これから島原に向かいます…歩いて。

ブルートレイン「なは」 夢のあと

2008-03-30 | 鉄道
平成20年3月15日のダイヤ改正で廃止された、熊本と京都を結ぶ寝台特急「なは」。

先々週にファイナルランに乗車してきたが、その後「なは」に使用されていた編成はJR九州の手元に戻されて廃車となり、解体を待っていると思われた。
しかしまだ解体用重機のあるJR小倉工場に回送搬入されたという情報はネット上でも伝わって来ないので、
「ひょっとしたら、まだ熊本車両センターにいるかも知れないな」
という訳で、島原鉄道南線の名残り乗車後に現地まで見に行きました。



先日出かけた熊本車両センターの中が伺えそうな場所へと行ってみると…

「いた!あの二つ星のDUETロゴは間違いなく24系25型車輌、『なは』の編成だ!」


今でも「なは」のテールマークが掲げられたままなのが確認出来る。


隣の留置線にはファイナルランで僕が乗車したB寝台1人用個室車「ソロ」の車輌の姿も見える。




少し場所を移動して、もう1枚。
車輌まで距離があるので車輌番号を読み取ることは出来なかったが、外板の痛み具合やロゴの欠け落ちの形から恐らく僕が乗車した京都行き上り列車のファイナルランに使用された編成だと思う。
平成20年3月30日現在、まだ熊本車両センターにいます。

「なは」と同時に廃止となった長崎行き列車「あかつき」の車輌は、海を越えタイへと譲渡され、彼の地で第二の人生を送るという。
一方「なは」の車輌は譲渡や転用の予定は無い。
それでも最後に、九州鉄道記念館開館5周年と北九州市制45周年記念の臨時列車として、編成組み直しの上で平成20年4月27日に門司港―豊後森間を走行する(九州鉄道記念館・イベント情報)ことになっている。
それを最後に、そのままJR小倉工場へと運ばれて解体されるのだろう。

ブルートレイン「なは」号、ファイナルランご苦労様でした。
小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
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島原鉄道 涙雨

2008-03-30 | 鉄道
写真:加津佐駅のキハ20

今月限りで廃止される島原鉄道南線(島原外港―加津佐)と旧型気動車キハ20形。
昨年暮れ先月にも乗って来たが、
最後の日曜日となった今日、また乗って来ました。

いつものように熊本県八代市郊外の自宅を夜明け前に出発、クルマで熊本新港へ。
午前7時発の九商フェリー島原港行き始発便で有明海を渡る海の旅。
いつもはプロムナードデッキで海を眺めたり有明海航路名物のカモメが餌をねだる様子を眺めて過ごすのだが、今日は冷たい春の雨が降ってるし早起きのせいで眠いので、2等船室の座席に突っ伏して就寝。接岸の汽笛で目覚めて、急いで下船。フェリーターミナルから数百メートル離れた島原鉄道島原外港駅へと向かう。




乗り継ぎ時間が僅か7分しかないのに途中で赤信号に引っ掛かったりして不安だったが、何とか加津佐行き第105列車に間に合った。
今日の第105列車は島鉄オリジナル塗装のキハ2018+2019。
「ありがとう南線」ヘッドマークを付けての登場。

車内は始発の諫早駅から乗り通してきたらしい乗客でボックス席が全部ふさがっている状態だったが、相席で座ることが出来た。
車窓は涙雨、そして停車駅ごとに地元の乗客から贈られた別れと感謝の挨拶の看板が列車を出迎える。







桜が咲いたのに降りやまぬ冷たい雨と人いきれで曇ったガラス窓、静かに最後の旅を噛み締めるような独特の雰囲気のまま列車は坦々と走り、約1時間で終着駅加津佐に到着した。





加津佐に着いても雨は降り続いていたが、それでも乗客はカメラ片手に濡れるのも厭わずに、或いは傘を差して遠巻きにキハ20を取り囲み、名残りを惜しんでいた。







加津佐駅には30分足らずの停車で、島鉄色キハ20の2輌編成は南島原駅に引き返す。
帰りの車内も名残り乗車の乗客で盛況だったが、やはりしんみりとした静かな道中だった。沿線では踏み切りや民家の窓から列車に手を振る人の姿もあり、多くの人たちから親しまれたローカル鉄道にもいよいよ別れの時が近づいたことを感じさせた。


原城駅で旧国鉄一般色の編成と列車交換。
南線廃止後はキハ20形も全車廃車となるので、来月以降はこの駅も車輌もどちらも消えてなくなってしまう。


観光トロッコ列車の最終運行とも擦れ違う。
この雨ではずぶ濡れの旅だったろうが、涙雨には濡れて行くのが相応しかったのかも知れない。


島原外港駅に到着した。
隣の終着駅南島原へと走り去って行くキハ20を見送り、フェリーターミナルへと向かう。

「また明日、来るよ。最後にまた会おう!」

という訳で、明日3月31日は島原鉄道南線最終列車に乗ります。
最後の時は、そばにいたいから!

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花見の野点

2008-03-30 | 日記
春です。
九州熊本県南部では桜も見頃です。

という訳で、今日は市内の神社で境内をお借りして花見の野点。


人様の前で御点前を見て頂くのはこれが初めてでして、桜花なんか見ている余裕はなかったですね、ハイ。
まあ、御師匠が横についててプロンプターをやって貰えたので、何とか一通り最後までやれましたが。
ああ、もっと練習して精進しないとな~
しかし出番が終わってから、水屋で頂いた薄茶の美味しさは格別でした。

そういえば、「きぼう」日本実験棟の船内保管室を見事国際宇宙ステーション(ISS)に取り付けた土井宇宙飛行士は今回のミッション中宇宙日本食を楽しんでおられたようだけど、そのうちISSで茶会を催したら面白いかも。「きぼう」って小ぢんまりしてて詫び寂びな茶室っぽいし。
微小重力下で点てられる抹茶とか開発されませんかね。でも、粉末状だと色々面倒(つうか、危険!)だからペースト状になるのかな。味気無いなー。。。

全然関係ないけど、侘寂(わび・さび)っていう小惑星があるね。
10585 Wabi-Sabi (1996 GD21)(NASA/JPL)
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春眠ねこ暁を覚えず

2008-03-28 | ねことか
桜も咲いて春雷も鳴ってすっかり春だというのに色々野暮用が多くて、春眠を貪ることも出来ない今日この頃。
ももちゃんやもぐさん達と一緒に、仕舞い忘れた炬燵で昼寝したいよ。

という訳で春眠ねこのももちゃん(画像提供:kami&mogmog)

明日はお花見に行くんですけど、只の花見じゃありません。
春の野点です。
僕も下っ手くそな御点前を疲労…(おっ、ナイスな変換ミス)披露する羽目になりましたが、どうなることやら。
とりあえず、袱紗捌きの練習でもするか(今からこんなんで本当に大丈夫か?)。

まあ、茶道はお茶で宇宙を表現する総合芸術ですからね(知ったか振り)。
明日は「はやぶさ」や「かぐや」やM-Vロケットのことを想いながら御点前することにするか。
って、どんな野点になるんだろう…?

野点が終わったら、島原鉄道で最後の乗り鉄。
あ~あ、今週も春眠する暇もない(遊び回ってるだけじゃないかよー)。
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COUNTER from 07 NOV 2007

春が来た

2008-03-27 | 日記
今日は九州熊本県南部は突風は吹くわ雹は降るわ雷は鳴るわで
とんでもない天気だったんだけど、これは「春雷」だね。
春が来ましたよ。
そろそろねこ達も毛の生え変わるシーズンだなぁ。。。

写真:春なので眠いももちゃん

春は別れの季節だけど、つい先日ブルートレイン「なは・あかつき」を見送ったばかりなのに、今月末には今度は島原鉄道南線が廃止になる。
今週末は島原鉄道南線に乗れる最後のチャンス。
という訳で、乗りに行くつもりなんだけど、でも全国から集結した乗り納めの乗客で一杯だろうなぁ…しかし泣いても笑ってもこれで最後なんだよなぁ。。。
乗るよ、やっぱり。
今乗っておかないと、後で絶対後悔するから。

国際宇宙ステーション(ISS)に「きぼう」日本実験棟 船内保管室を取り付けた土井宇宙飛行士、無事帰還です。
ご苦労様でした。
JAXAデイリーレポート 飛行17日目(Flight Day 17)

ちょうど今週は、日本各地からISSを見やすい条件にあるそうで、今日も九州地方からは夕暮れ空にISSを見ることが出来たらしいのだが、残業していて気が付きませんでした、残念!
以前、毛利飛行士や向井飛行士の搭乗しているスペースシャトルの航跡を見たことがあるが、遥か彼方を往く夜行列車の車窓の灯りのようでとても幻想的だった。
「あの灯りの中に、人がいる」
と思うと、やはり感慨深いものです。

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最後のブルートレイン

2008-03-23 | 鉄道
写真:寝台特急「はやぶさ・富士」のヘッドマークを付けた機関車EF66

平成20年3月15日朝、
京都駅で寝台特急「なは・あかつき」最終運行列車での旅を終えた僕は、
向日町の操車場へと帰っていく「なは・あかつき」の車輌を見送って何ともいえない寂寥を感じていた。

「もう会えないんだ…やっぱり寂しいよ…」

しかし、ブルートレインはすべて消え去った訳ではない。
まだ走り続けている列車がある、まだ乗れる!
「そうだ!はやぶさに乗って帰ろう。」

という訳で、東海道新幹線に乗って東京駅まで移動。
京都駅を発車し、車窓に近江の田園を眺め、途中伊吹山や浜松のアクトタワーが見えたような気がするのだが、300系こだまの車中ではすっかり熟睡し気がつくと新横浜駅を発車するところだった。
「ああよく寝た!…そうか、昨夜は夜通し起きて車窓を見てたもんな。」

東京駅に到着する前、品川で今日から最後の九州行き寝台特急にして唯一の東京駅に乗り入れるブルートレインとなった「はやぶさ・富士」号の編成が留置されているのがチラリと見えた。
大規模な再開発が進む東京都心で、最新系列の通勤車輌が行き交うなかに佇む濃紺の寝台車は、そこだけ異質な時間と空気に包まれているようで、そしてとても寂しげに見えた。

東京駅では、地下鉄に乗り換える前に通る丸の内オアゾにある「JAXA i 」に寄り道。
月周回衛星「かぐや」ハイビジョン月面映像を見ていこうと思ったら、ちょうど土井宇宙飛行士が「きぼう」船内保管室へ入室した(JAXAデイリーレポート 飛行5日目(Flight Day 5))とのことで、国際宇宙ステーション(ISS)からの中継が行われていた。
「土井さん、宇宙で頑張ってるなぁ!」宇宙で投げたブーメランもちゃんと戻ってきたらしいね。

この日は田園都市線沿線某所に潜伏、USACOと会って一緒に食事。
「そういえばそろそろ横浜市営地下鉄グリーンラインが開業するんだっけ。これで田園都市線やJR横浜駅から淵野辺駅下車の宇宙科学研究本部相模原キャンパスにも行きやすく…なるかな?」あんまり変わらないか。まあ、宇宙研本部に行くのは年に1回か2回ですがね。

一夜明けて3月16日、午後4時過ぎに東京駅へ戻る
熊本行き寝台特急「はやぶさ」の出発時刻は18:03。
発車までまだ時間があるが、昨日のダイヤ改正で大阪行き寝台急行「銀河」が廃止された関係で「はやぶさ・富士」の東京駅への送り込み回送の手順が変更されており、東京駅10番のりばへの入線据え付け時刻がかなり早くなったらしい…との情報を某巨大ネット掲示板で得ていたのだ。これは是非、実際に自分の眼で見て確かめねば。



果たして午後5時過ぎ、ブルートレイン「はやぶさ・富士」の編成が品川から回送されて来た。
ダイヤ改正以前は「銀河」の牽引機EF65PFによる回送だったと思うが、「銀河」が消えてしまったので「はやぶさ・富士」の牽引機EF66が自分で牽いての入線。
10番線に据え付け後、EF66は切り離され下関方に移動(機回し)する。これはブルトレブーム最盛期の昭和50年代頃の東京駅入線手順と同じだ。奇しくも九州ブルートレイン最後の1年に、華やかりし頃の風景が甦った訳だ。



ダイヤ改正以前は、発車の10分ほど前に入線して慌しく出発していたが、入線から発車まで40分以上もあるのでゆっくりとプラットホームを歩いて自分がこれから乗る列車を端から端まで見て歩くことが出来るようになったのも嬉しい。
「内田百先生も駅で出発前に編成を見て歩くのが愉しいと仰ってたなぁ!」最後尾には「富士」のテールマークを掲げたスハネフ14。大分行きの「富士」号は途中、門司まで「はやぶさ」と道中を共にする。


編成の先頭までは全長240メートル、12輌の碧い客車が連なる。
かつては編成中ほどに食堂車やロビーカーも連結され賑やかだったが、今では全てが寝台車。
「食堂車の近くに寄ると、プラットホームにもドミグラスソースの香りが漂ってきて食欲をそそられたものだよ…」今夜の食事は駅のコンビニで買った弁当、侘しいなぁ。。。


編成の先頭には、機回しを終えた貨物用大型機関車EF66が立つ。
東京から下関まで約1000キロ、日本の大動脈東海道山陽本線を夜を徹して走破する厳しい任務が始まろうとしている。
そこにあるのは夜汽車の旅情ではなく、あくまでも特急列車牽引という重責を担う緊張感だ。
一瞬のローンチ・ウィンドウを狙ってあやまたず打ち上げられる、探査機を載せたM-Vロケットのリフトオフ前にも似た、張り詰めた空気が辺りを支配する。


そろそろ発車時刻だ。僕も車内に入ろう。
今夜乗車するのは、B寝台1人用個室「ソロ」。「なは」最終運行列車で乗車したのと同じタイプの寝台だが、「はやぶさ」で使用されている「ソロ」は車輌の構造が「なは」とは異なり、ベッドの幅が若干狭いが個室内の空間が広くて起きている時間の居住性が良い。


18:03、第1列車寝台特別急行「はやぶさ・富士」号は熊本と大分へと向け、東京駅を出発した。
熊本駅まで1317.9キロを18時間弱で走破する、日本最長距離運転列車の旅が今始まる。




















東京駅を発車すると、あとはただひたすら、淡々と東海道本線を走って行く。
何しろ食堂車もロビーカーも連結されていないので車内にフリースペースが一切無く、自室にこもって弁当を食べ終えてしまうとあとは何もやることがない。しかし、この何もやらない時間がまた心地良く贅沢なのだ。
浴衣に着替えてベッドに寝転がるもよし、編成最後尾に遠征して貫通扉窓から流れ去る湘南や由比の夜の海を眺めるもよし、はたまた先頭車から力行する機関車EF66の奮闘ぶりを見守るもよし。

午後9時を前におやすみ車内放送があり、車内は減光され就寝態勢に入る。
実際、寝るしかないとばかり早々とカーテンを閉め寝入ってしまう乗客が大半だが、「ソロ」個室では周囲を気にせず好きに過ごせるのが良い。それでも、関が原を越えて運転士交代で運転停車する米原駅を発車する頃には眠くなった。新潟へと向かう583系寝台電車の夜行急行「きたぐに」と擦れ違い、「なは・あかつき」ファイナルランの日の熱気が嘘のように閑散とした京都駅に到着したのを確認してから幅70センチのシングルベッドに横になった。


翌3月17日
「ソロ」個室2階部屋の天窓から差し込む朝の光で眼が覚めた。
「はやぶさ・富士」は山口県内を走行中。暫くベッドの中でダラダラしていると、おはよう車内放送が流れる。列車は定時で運転中、徳山駅発車後に弁当の車内販売が実施されるとのこと。
さて、「はやぶさ・富士」下り列車の車内販売といえば、柳井駅で積み込まれる水了軒謹製幕の内弁当である。
数量限定、僅か数個が「はやぶさ・富士」号車内で販売されるのみという、恐らく日本でも最も入手困難な柳井の駅弁、中身は何の変哲もない幕の内弁当なのだが、これは是非とも食べておきたい。
徳山発車後、部屋のドアを開けて待つこと暫し。「あなごめしいかがですか~」と周って来た車内販売のおばちゃんを捕まえて、「あなごめしじゃなくて、幕の内下さい!」無事、超レア駅弁入手成功!
…と思いきや、個室に入って包みをほどこうとすると「あれ?何かこの前食べた時と折り詰め箱のデザインが違うな…ああ~しまった!これは柳井駅水了軒の幕の内じゃなくて、徳山の駅弁だ!」
迂闊でした、徳山駅でも幕の内を積み込んでいたとは。しかし今更おばちゃんを追いかけて「柳井で積んだ幕の内と替えてちょうだいな」と頼むのも億劫だし…仕方がない、これで我慢するか。
「この次から、弁当買う時には『柳井の幕の内』と名指ししないといけないな。」
徳山駅の幕の内、可もなく不可もない標準的な駅弁の味でした。

8:32、「はやぶさ・富士」は下関に到着。ここで東京から列車を牽引してきた機関車EF66は任を解かれる。プラットホームに降りて、その様子を見守る。

朝陽を浴びたブルートレインの機関車には、大役を果たし任務を終えた安堵感が漂っているようだ。
しかし「はやぶさ・富士」の旅はまだ続く。ここで関門トンネル専用機関車EF81に交換。




先程切り離されたEF66が車庫に入っていくのを横目で見ながら、関門トンネルに突入、10分足らずで九州に上陸。
「ああ~帰って来たなぁ」





門司駅で御馴染みの九州島内専用機関車ED76が登場。同時に編成中間では熊本行き「はやぶさ」と大分行き「富士」の切り離しが行われる。
8:59、「富士」を置いて身軽な6輌編成となった「はやぶさ」は発車する。




九州に上陸したが、熊本はまだ遠い。
しかも、今回のダイヤ改正では熊本駅到着時刻が繰り下げられ11:49着となった。殆ど正午、真っ昼間である。
という訳で、再び浴衣に着替えて二度寝を決め込む。こうして思う存分好き勝手に過ごせるのが個室寝台の魅力。そしてこの贅沢に何もしない時間を過ごせるのが、ブルートレインの醍醐味。
今しか味わえない、まもなく失われてしまう旅の悦楽。






ブルートレイン「はやぶさ」は定刻に終着駅熊本に到着した。
「着いてしまったか…まだ降りたくない!もっと乗っていたいよ。また乗りたいよ!」

寝台特急「はやぶさ・富士」は来年、廃止される。
あと何回、「はやぶさ」に乗れるだろう…?

「今年はもう海外旅行には行かないぞ!乗れるだけ乗ってやろう、『はやぶさ』が想い出になる前に!」



帰宅後、僕はすぐにゴールデンウィーク休暇初日の熊本発「はやぶさ」の寝台券の予約を入れた。
という訳で、来月また乗ります!

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「はやぶさ」が切手になった

2008-03-21 | 宇宙
Graphic:JAXA

日本天文学会創立100周年だそうで、記念切手シートが発売されました。
で、そのシートの中にしっかり入ってます、小惑星探査機「はやぶさ」(JAXA)

それ以外にも宇宙機ではX線天文衛星「すざく」(JAXA)が登場してます。

今日、仕事帰りに郵便局に寄って1シート買ってきたのだが、80円切手10枚組みのかなり大きいシートで、絵も美しくていい感じです。早速パソコンデスクの隣に飾ろう。
何より、日頃応援している宇宙船がとうとう切手の図案にまでなってしまったのが嬉しいね。
「はやぶさ」の隣に描かれてる小惑星がどう見てもイトカワじゃないのはご愛嬌だが。

さて、我らの宇宙船「はやぶさ」だが、現在イオンエンジンを停止してひと時の眠りについている。

日本惑星協会メールマガジン「TPS/J メール」より
☆☆ YMコラム ☆☆ (NO.420) 「はやぶさ」近況

もちろん、JAXA宇宙研の「はやぶさチーム」による運用は休まず続けられており、今この時も故郷地球への帰還を目指し懸命の航海が続いている。

宇宙船「はやぶさ」の地球帰還は、2010年6月。
しかしその時、この宇宙船の名の由来となった地上の碧い星はもういない…


寝台特急「はやぶさ」、2009年中に廃止予定。
せめて、あともう1年、走り続けて欲しかった。共に奇跡の宇宙船の帰還を迎えたかった…

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京都駅、ブルートレイン名優顔見世

2008-03-20 | 鉄道
京都駅に到着した寝台特急「なは・あかつき」号の最終運行列車は、
回送列車となって引き揚げる前にプラットホームに降りた乗客や出迎え客に粋なサービスをしてくれました。

車体側面の方向幕が「回送」のコマになるまで、これでもかとばかりに繰り出される綺羅星の如き古の名列車と懐かしい終着駅の数々。
京都駅での名優の顔見世、一挙公開。
生憎手持ちのデジカメが連写に対応しておらず、方向幕巻上げのスピードについて行けず数コマ撮り落としてるかもしれませんが、そこは御勘弁を。

























































…以上、京都駅での最後の顔見世でした。

九州を走ったほぼ全てのブルートレインを見ることが出来たのではないでしょうか?
急行「日南」(門司港行き)が出てくるのに注目。
かつては鹿児島区所属の24系25型は東京行き「はやぶさ」「富士」から新大阪系統の「なは」、果ては九州内夜行急行までと実に幅広い運用範囲をこなしていたのだなぁ。でも、同じ九州内夜行の「かいもん」が出てこないね、撮り逃したかな?

大阪行きの「あかつき」も興味深い。「あかつき」は向日町運転所でさばききれない編成を宮原客車区に回送していた関係で、新大阪で新幹線に接続せず大阪始終着となる系統があった、ということは昭和40年代の関西地区は文字通りブルートレインで溢れかえっていたということ。

そして今となっては、すべてが「兵(つわもの)どもが夢の跡」…

「なは・あかつき」はEF66に連れられて、向日町へと帰っていった。
さて、僕もそろそろ行こうか。

そうだ…最後の九州ブルートレイン、はやぶさに乗ろう。」(続きます)

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ブルートレインは駆け抜けた 平成20年3月15日朝、寝台特急「なは・あかつき」京都駅到着

2008-03-20 | 鉄道
写真:ブルートレイン「なは・あかつき」、最後の夜明け

ブルートレインは駆け抜けた 平成20年3月14日夜、寝台特急「なは」ファイナルラン からの続きです 

平成20年3月15日
夜を徹して山陽本線を走り続けた京都行き寝台特急「なは・あかつき」最終運行列車は、兵庫県内で朝を迎えた

終着駅京都の予定到着時刻は7:53。
昨夜の各駅での見送り客の大混雑の影響か、定時より若干遅れているようだが、それでももうすぐ列車は終着駅に到着する。
そして「なは・あかつき」は夜を駆け続けたその歴史に幕を下ろし、記憶の彼方へと旅立つ。

「終着駅になんか、永遠に着かなければいいのに…」

それでも列車は、最期の時までその使命を全うしようとしているかの如く、朝の山陽本線を軽快に駆け抜けていく。

昨夜は一晩中、1人用個室「ソロ」の車窓から星空と流れ去る夜景を見ていた。
徹夜明けの眼に、朝陽が眩しい。
夜明け前に少し朝霧がかかっていたが、陽が昇る頃にはそれもすっかり晴れて、不思議とすがすがしくて気持ちの良い朝だ。
「暁を目指して走り続けた列車にふさわしい、素晴らしい朝になったな。」

「おはよう車内放送」と、目覚めた乗客が個室のドアを開ける音、通路を行き交い、洗面所を使う水音。
いつも変わらぬ、ブルートレインの朝の音の風景が「ソロ」個室の中にも聞こえてくる。
僕の部屋は山側を向いているので見えないが、今頃列車は明石海峡大橋付近の美しい海岸を疾走している筈だ。

通勤電車と頻繁に擦れ違うようになり、列車は神戸市街に入っていく。
トアロードを跨ぎ阪急電車の高架と並走し、住宅地の谷間を縫って走り淀川の向こうに高層ビル群を眺め、終着駅へと近づいていく。


大阪駅では、向こうのプラットホームに「なは・あかつき」と同時に廃止される東京発の寝台急行「銀河」の最終運行列車が滑り込んで奇しくも同時到着となった。
「銀河」との束の間の出会いの後、「なは・あかつき」はいよいよ最終区間へと向かい一路京都駅へとラストスパートする。

最後の車内放送。
車掌さんの「なは・あかつき」への想いも織り交ぜた長い放送に、乗客の誰もが聞き入っていた。























第32列車寝台特別急行「なは・あかつき」最終運行列車は、定刻より若干遅れて終着駅京都に到着した。


向日町の基地へと引き揚げていく「なは・あかつき」編成を、乗客は最後まで見送っていた。





日本本土への復帰を願うウチナーンチュとヤマトンチュの想いを乗せて、高度成長の希望に輝く暁を目指して、それぞれに夜を駆け抜けたブルートレインは今、旅人の記憶の彼方で永遠に輝く碧い星になった。

旅の想い出をありがとう碧い地上の星たち。ありがとうブルートレイン。
そして…「僕に旅への憧れを教えてくれてありがとう。これからも、僕は旅を続けるよ。」

  
乗客に配られた、「なは・あかつき」号乗車記念カード

ありがとう、「なは」。そして「あかつき」。
僕は忘れない、いつまでも…

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ブルートレインは駆け抜けた 平成20年3月14日夜、寝台特急「なは」ファイナルラン 

2008-03-19 | 鉄道
写真:鳥栖駅に到着した最後の「なは」

熊本と京都を結んで走る寝台特急「なは」。
最後に残された九州と関西を結ぶブルートレインとして、長崎発着の「あかつき」と共に手を取り合い夜の山陽路を走り続けた碧い列車たちの、これが最後の旅です。

平成20年3月14日
JRのダイヤ改正を翌日に控えたこの日、寝台特急「なは」の京都行き最終運行列車が熊本駅を出発して、二度と戻らぬ最後の旅に出る。
「なは」の最後の夜を、ファイナルランに乗車して見届けるべく、僕も暮れなずむ熊本駅へと向かった。


乗車案内に「なは」の列車名が表示されるのも、これで見納め。


熊本駅発着ブルートレインの両雄が並んだ乗車位置表示。
明日以降、熊本駅を出発するブルートレインは「はやぶさ」ただひとつとなる。

今夜は「なは」を送るべく「さよなら出発式」が催されることになっているが、「なは」の発車するプラットホームはまだ「なは」が入線していないのに詰め掛けた見送り客でごった返し大変な状況なので、隣のホーム上から遠巻きに見守ることにする。

出発式では「なは」の名にちなんで沖縄の伝統芸能エイサーが披露されたようだが、人が多過ぎて見えず音楽と掛け声しか聞こえない。
やがて「なは」が入線してくる時刻が近づいたので、人並みを縫うようにして乗車位置に移動。今夜は出発式の関係か、通常使用していた5番のりばではなく隣の3番のりばからの発車となるようだ。
20時少し前、熊本車両センターから回送されて来た「なは」編成が入線。たちまち見送り客に取り囲まれる。各車輌のデッキにはJR社員がチケットチェックに立ち、寝台券を持たない者の車内立ち入りを排除するという物々しさ。



今夜は3号車に連結されたB寝台1人用個室「ソロ」に乗車する。
「なは」の編成は車体外板の傷みが酷く、「ソロ」のシンボルマークである一つ星のロゴも欠け落ちているのが痛々しい。



それでも車内は綺麗に整備されている。今夜僕にアサインされた部屋は、ルームナンバーが奇数の1階部屋。
「ソロ」の室内はシングルルームというよりはカプセルホテルに近い狭さだが、有効スペースの平面全てを使った幅1メートルのゆったりベッドとJR九州の専属デザイナー水戸岡鋭治氏の手によるアメニティ。そして何より、個室の宿泊客専用の大きな窓が嬉しい。
今夜はこの部屋で一人、心ゆくまで「なは」との最後の夜を過ごすことになる。


部屋に荷物を置いて、発車時刻までのひと時プラットホームに降りて、熊本駅に据え付けられた「なは」を見て歩く
編成最後尾に連結された電源車カニ24の、沖縄の青空と熱帯植物を描いた群青と緑のイラストテールマークと紅いテールライトが心に染み入るようだ。
ウチナーンチュとヤマトンチュの想いが、熊本の夜に小さな明かりを灯している。


先頭に立つ深紅の機関車ED76の周辺は、この人だかり。
機関車の先では出発式典が進行中なのだが、この人ごみではとても式典を見る余裕はない。
皆、思い思いに機関車や寝台車を取り巻いて、撮って、「なは」との別れを惜しんでいた。
そろそろ出発時刻だ、部屋に戻ることにする。

そして20時14分。
機関車の長声一発、第32列車寝台特別急行「なは」は熊本駅を出発した。


すぐに「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴールが鳴り、車掌氏の挨拶に続いて車内放送が始まる。
「ハイケンス」を聴くと、ブルートレインに乗っているんだなぁ…という実感が湧いてくる。






車内検札も終り、出発の熱気も落ち着いたようなので車内を見て歩くことにする。
今夜の「なは」最終列車の指定券は1ヶ月前の全国発売からわずか数分で全席売り切れたので話題になったが、今のところB寝台1人用個室「ソロ」は空いている部屋もある。この先、博多や小倉での乗車組もあるのだろう。

「ソロ」の部屋の入り口にはアンリ・ルソー風?の絵が飾られている。とにかく、インテリアに凝った車輌なのだ。



4号車に連結されたB寝台2人用個室「デュエット」にもまだ空室があった。ドアが開いていたのでちょっと失礼して、空室の室内を撮影させてもらう。
こちらは落ち着いたインテリアで、豪華な雰囲気。
「一度、この部屋にUSACOと一緒に泊まりたかったなぁ!」


4号車「デュエット」のデッキには、鳥栖駅から先で「あかつき」編成と連結する為のものと思われるスイッチがあった。
このスイッチが使われるのも、今夜が最後。


熊本を出発して約40分、最初の停車駅大牟田で5分停車。後続の特急「リレーつばめ62」号に追い抜かれる。


大牟田駅にも見送りの人達が集まっていたが、さすがに熊本駅程の騒ぎではなくゆっくりと列車を見たり写真を撮ったりできていい感じ。
ここで初めて、今夜の牽引機ED76の顔を真正面から拝み、先日不心得者に1枚盗まれてしまったヘッドマークの残された1枚がしっかりと取り付けられているのを確認する。
「やっぱりヘッドマークは機関車の顔に取り付けられて初めて美しく輝くものだ。盗んで自分のものにしても、虚しいだけだろうに…」


部屋に戻る前に、機関車に連結された客車に赤い反射板が取り付けられているのに気が付いた。
これは客車を回送するための装備で、この編成が最後の「なは」として終着駅京都に到着した後はただちに九州へと回送される予定であることが分かる。そして、九州に戻ってきた客車は、恐らくそのまま廃車解体されるのだろう。

リレーつばめの発車を待って、再び夜の闇の中へ。
暫く、静かな時間が車内に流れる。久留米駅に停車後、長崎からやってくる盟友「あかつき」を待ち受ける鳥栖駅に到着。
鳥栖駅は…見送り客で大混雑!

「なは」と「あかつき」の最後の出会いと旅立ちを見届けようと集まった人達で、鳥栖駅ホームは警察官が出動している程の凄まじい騒ぎに。
到着した「なは」から、「あかつき」との連結に備えて切り離される機関車ED76の周囲は人に取り囲まれ、近づくことも出来ない有様。

そして長崎から「あかつき」が到着、鳥栖駅の興奮も最高潮に!

「あっ!オリジナルのあかつき単独ヘッドマークを付けてる!」


鳥栖駅で、駅構内を埋め尽くすギャラリーに見守られながら「あかつき」は「なは」に併結、一つの列車になった京都行きブルートレインは鳥栖駅を定刻より10分程遅れて発車する。
「多少の遅れなんて、構うものか!いや、誰もがきっと、いつまでも終着駅に着かないで欲しいと思っているんじゃないかな…」

この後も博多駅、小倉駅と、大勢の見送り客でごった返す停車駅を過ぎて、列車はいよいよ九州最後の停車駅である門司に到着。

九州内で「なは」と「あかつき」を牽引した赤い機関車ED76が切り離される。
「あれ?いつの間にかヘッドマークがあかつき単独のものから通常のものに変わってるな。いつ取り替えたんだろ?」


ここで関門トンネル区間専用の交直流電気機関車EF81が連結され、「なは・あかつき」は九州を離れる。もう二度と、関門トンネルをくぐることはない。


10分足らずで関門海峡をくぐり抜けた「なは・あかつき」は本州最初の停車駅下関でEF81を切り離し、東海道山陽本線用の貨物用大型機関車EF66を連結する。


そろそろ日付が変わろうかという時刻だが、多くの乗客と見送り客で下関駅のホームは熱気に包まれていた。
そんな下関駅では、列車を支える鉄道員の小さなドラマが…

下関駅でJR西日本のクルーと交代して列車を降りるJR九州の車掌さん達。
最後の「なは・あかつき」行路、ご苦労様でした。

下関を発車すると、車内も寝静まった。
僕も自分のベッドを整える。でも、このまま寝る気にはならなかった。
今夜は一晩、心ゆくまで最後の夜を味わいたい。このまま夜明けまで「なは」と語らっていたい。そんな気分だった。

ベッドの上に腰を降ろし、部屋の明かりを落として、個室の自分専用の窓から暗い車窓を見る。
「うわー…今夜は星がきれいだなぁ」

星空を見ていると、「なは」との想い出が次々に甦ってきた。

「なは」の車窓の月明かりがきれいで、寝るのが惜しくて結局夜明かししてしまったのは、あれは大学1年の夏休みだったっけ?青春18きっぷの北海道貧乏旅行からの帰り、せめて熊本に着くまでの最終区間では贅沢しようと思って、旅行資金の残金をかき集めて「なは」の寝台券を買ったんだっけ…あの時も「ソロ」個室に乗ったけど、鈍行に比べて余りの快適さに感動したっけ。

その半年後、阪神大震災で壊滅的被害を被った山陽本線で最初に復活した特急が「なは」と「あかつき」だった。
震災復興の大動脈として連日満席で活躍した「なは」のB寝台で仲良くなって、互いに手持ちの文庫本を交換した若い自衛官、震災地から佐世保基地に帰る途中だと言ってた彼は元気にしてるかな…僕と同い年位だったから、今ではすっかり出世して士官になってるかもな…

一度、当時直通運転していた西鹿児島駅まで通しで乗ってやろうと乗り込んだ下り「なは」で乗り合わせた、阪神大震災で家族を失ったというおばさん。
次の朝は同じB寝台の区画に乗り合わせた全員で、東シナ海を見ながら黙祷した。夏の海は涙雨に滲んでいた。



楽しい想い出もある。
平成2年。伯母に連れられて出かけた大阪、「花と緑の博覧会」。
あの時、初めて「なは」に乗ったんだ。まだ乗客も多くて、熊本でB寝台車を2輌増結していた。それでも満席だったな、夜中まで賑やかで騒がしくて寝付けなかったのを憶えている。
いや、寝付けなかったのは憧れのブルートレイン「なは」に乗れて嬉しかったからかな?
何しろ、「花と緑の博覧会」のことは殆ど憶えていないのに、「なは」車中の印象や車窓ははっきりと覚えているんだ。

僕が初めて本物のブルートレインを見たのは、小学3年生の時だから昭和59年か。
「ケイブンシャの鉄道大百科」で写真を見て憧れるだけだったブルートレインを、父に連れられて買い物に出かけた帰りの国鉄熊本駅で生まれて初めて間近に見たんだ。



仕事人間だった父と一緒に出かけること自体、滅多に無いことだが、何でまた帰りが午後8時過ぎにまで遅くなったのか、今となっては記憶も曖昧でよく分からないが、それでも夜の熊本駅に停車していた碧い客車の美しさとそれを見てワクワクしたことははっきりと憶えている。
「お父さん!これ、ブルートレインだよね!わーい、本物のブルートレインだ!」
「ああ、これは大阪行きの『なは』たい。ブラインドの隙間から中ば覗いてみろ、ベッドがあるだろが。これで寝て行けるとたい。」
「僕もブルートレインに乗りたいなあ!ねえお父さん、いつか僕をブルートレインに乗せてよ、寝台車で遠くに行きたいよ!」
父は「そうだな、いつか行けるといいな」とか言ってたが、僕には仕事一筋の父が息子の為に休暇と大枚をはたいてブルートレインに乗せてくれることは、まあまず無いだろうなと薄々気が付いていた。

そんな訳で、「どこかに行きたいなら、何とかして自分で、自力で行くしかない」という真理?を学んだ僕は、気が付くと困窮に耐え仕送りを貯め込んで日本中の鉄道を独り乗り歩く「乗り鉄学生」になり、今では休暇と給料を工面して世界各国を鉄道旅行する「リーマンパッカー」になっていた。



「僕の旅への希求の原点は、『なは』だったんだなぁ…ねえ、僕は、あの夜のブルートレインに乗りたいとずっと思っていたんだよ。
…やっと乗れたね。そうでしょう?」


車窓が明るくなってきた。
朝陽が昇り、また新しい一日が始まる。

第32列車寝台特別急行「なは・あかつき」は、終着駅京都を目指し、ただひた走る。


ブルートレインは駆け抜けた 平成20年3月15日朝、寝台特急「なは・あかつき」京都駅到着に続きます

小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
天燈茶房TENDANCAFEは日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています

「はやぶさ2を実現させよう」勝手にキャンペーン
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COUNTER from 07 NOV 2007

ブルートレインは走り続ける

2008-03-16 | 実況
「なは・あかつき」のファイナルラン以降、唯一の九州行き寝台特急にして最後に残された東京駅発着ブルートレインとなった「はやぶさ・富士」。
「なは」が想い出になった今、無性に「はやぶさ」に会いたくなって、東京駅10番のりばにやって来た。
今夜は孤高の碧い列車に乗って、今回の旅を締め括ることにしようと思う。

最後の夜

2008-03-15 | 実況


京都行き寝台特急「なは・あかつき」は最後の夜を駆ける。
九州最後の停車駅門司で機関車を交換し、もう二度とお客を乗せてくぐる事のない関門トンネルを抜けて、九州に別れを告げた「なは・あかつき」は、ただひたすら夜明けに向かって山陽本線を行く。
終着駅京都まで、あと6時間余り。