天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

ロンドンに着いた

2007-04-30 | 実況
キャセイパシフイックの夜行便でロンドン・ヒースロー空港に早朝到着。ロンドン市内行き空港特急ヒースローエクスプレスと地下鉄を乗り継いで、キングスクロス駅に来た。
ここから、大英帝国の栄光の名列車フライングスコッツマンの名を受け継ぐエジンバラ行き特急に乗り、北を目指す。

台湾新幹線に乗車中

2007-04-29 | 実況
高雄の隣、新左營駅まで台湾国鉄の通勤電車で移動し、ここから遂に念願の台湾高速鐵路(台湾新幹線)に乗車する。
台湾新幹線700Tは外観も車内もJR東海の700系そのものの雰囲気。
台湾西海岸の田園風景の中を、新幹線が疾走する!高雄から僅か1時間半で首都・台北だ。

普快車で行く台湾鐵路の旅

2007-04-29 | 実況
昨夜は東部幹線の花蓮から夜行列車に乗り継ぎ、今朝、台東に到着。
そのまま南廻線の普快車に乗り継いで、台湾南部の都市・高雄を目指す事にする。
南廻線の坊寮駅で、インド製近郊型車輌の藍色普快と日本製改造冷房車の復興色普快が並ぶ。鐵路迷(鉄道ファン)には堪らなく魅惑的な1コマ。

「夜回り先生」水谷修先生講演会を聴く

2007-04-27 | 日記
「夜回り先生」こと水谷修先生の講演会を聴いてきた。

夜間に繁華街を回り、「夜の世界」に生きる子供たちに声を掛け続けてきた夜回り先生。
夜の街で直接子供と向き合い、話し、夜の世界から昼の世界へと戻るようにと訴え夜回りを続ける水谷先生の話しを一度直接聴いてみたいものだと思っていたのだが、この程地元熊本県八代市の青年会議所主催で講演会が行われることとなり、早速聴きに行ったのだ。

水谷先生のお話からは、とにかく「子供と向き合うこと」「人間としての優しさ」そして「ドラッグ(薬物)の恐ろしさ」が痛いほどに伝わってきた。
実際に講演会場に来ていた中高生に、ドラッグについて身の回りで使っている人がいないか、知っている生徒に挙手を促したところ、会場中からかなりの手が挙がったのである。
「こんな片田舎の八代もこんなにドラッグ汚染が広がっていたとは…!」
戦慄する事実である。しかし、そんな目を覆いたくなるような悲惨な世界に生きる少年少女と直接向き合って、水谷先生は夜回りを続けてきたのだ。
時にユーモアを交えて、会場の笑いを誘いながらも容赦なくそんな現実を突きつけてくる、夜回り先生の渾身の講演だった。

とりあえず、「話す・伝える」ことの大切さ、そして「優しさ」ということ、つい忘れてしまいがちなこのことを再確認した。
明日から、挨拶することから始めよう。そんなことを考えながら、講演会場を後にした。


はやぶさ、帰還宣言

2007-04-25 | 宇宙
24日午後4時半から、小惑星探査機「はやぶさ」帰還に向けた記者会見がJAXA東京事務所で行われていたそうだ。

松浦晋也さんのブログに詳しいレポートが掲載されているが…
状況は極めて厳しい!

これまでは「はやぶさ」の各機能が順調に調子を上げている様子や、バッテリーの奇跡的な復活とイトカワ地表サンプルの入ったカプセルの蓋閉めも無事成功、と割と楽観的な状況が伝えられ、「この調子なら、何とか無事に地球に帰って来れるかな。」という安心感すらあったところに、いきなり厳しい現実を突きつけられてしまった。

当初、2台を噴かす予定だったイオンエンジンはそのうち1台の中和電圧が上昇する異常が発生した為に1台のみの運転となり、さらに3台中2台が故障した姿勢制御用リアクションホイールの最後に残った1台を常時回転させながら地球を目指す事になる。

まるで綱渡りだ…

川口プロマネの「今日の会見は「こんなに困っています」という報告の会見です。それが私の主旨です。「これから出帆するぞ」ではないです。」(松浦さんブログより引用)という悲壮感の漂う言葉に、「はやぶさ」の置かれた状況がいかに厳しいか、地球への旅路がいかに困難に満ちた、絶望的なものであるかが滲み出ている。

それでも、「帰還できないと決まったわけではない(川口プロマネ)」のだ。
最後の最後まで、いや最後になっても諦めない。そんな「はやぶさチーム」の根性の帰還運用を信じて、「はやぶさ」の地球帰還を待ち続ける。


はやぶさ地球帰還用バナーby ALUMIIさん
2007年4月25日17時、「はやぶさ」帰還開始。

茶道を始めてみた

2007-04-24 | 日記
僕の勤め先には終業後に活動しているサークルがいくつかあるのだが、
最近、そのサークルの一つである茶道部に入部してしまった。
同じ職場の人から「一度見に来ない?」とか誘われて、本当にお茶を一杯頂くだけのつもりで遊びに行ったら、そのまま入部することになってしまったのだ。

実はうちの母が以前茶道を習っていたらしく、実家には茶道具が一式揃っていたが、本格的に使ったことはない。
実質生まれて初めての茶道体験である訳だが、やってみると面白い。
人と一緒にお茶を飲むという行為を芸術にまで高めてしまった茶道、動作と仕草の一つ一つに「相手を思いやり、共に楽しむ」という意識が感じられ、仕事で凝り固まった神経も抹茶の香りとお菓子でほぐれていくような気がする。
なかなかいいものですな。

しかし、ひとつ意外だったのは茶道は結構「肉体労働」であるということ。
茶筌(ちゃせん)でお茶をかき回すのは正直かなり力を使う。
手首のスナップを効かせて、それこそ茶碗がひっくり返りそうになるくらい力強く手早くシェイクする…などと書くとまるで卓球の練習法みたいだ。
それに、茶釜や移動式の炉などはかなりの重量があるのだ。
茶道と云うと「女性のたしなみ」みたいなイメージがあったが(実際、茶道部のメンバーは大部分が女性だが)、もともと茶の湯は戦国武将の遊びだった訳だし、むくつけき野郎達が野原に鉄の釜を運び出し、凄い勢いで茶碗の中身を引っ掻き回してお茶を点てている、というのが茶道の原風景なのかもしれないな。

ところで、今日も終業後に茶道部の練習に出たのだが、先日の「宇宙科学講演と映画の会」でお土産に買ってきた「宇宙食・ストロベリーケーキ味」をお茶菓子替わりに使ってもらおうと持っていったら部員の皆さん一同唖然としておられた。
「くそ、うけなかったか。。。」


東京散歩日記

2007-04-17 | 日記
この週末、金曜日から休みを取って上京してきた。
まあ、上京するなり羽田空港から京急で品川駅に直行し、そのまま「ムーンライトながら」に乗って飯田線の秘境駅に行ったりしてるのでかなり迷走してるのだが。

JR飯田線には3年ぶりの乗車だったが、あの独特の雰囲気はいつ行ってもいいなぁ。
駅間距離が極端に短いので、ちょっと走ってすぐ停まるを100回近く繰り返して天竜川を遡上しアルプスの山々を望みながらの旅で日頃の疲れも癒えた。
それに乗客が素朴な人たちなのもいい。
今時、席を詰めてやっただけで「ありがとうございます!」と爽やかに挨拶する男子高校生なんてなかなか会えないぞ。

飯田線から東京に戻り、新宿の明治安田生命ホールで開かれた「宇宙科学講演と映画の会」に参加してきたのだが、会場は大入り満員で「全部の補助椅子を出したんですが足りません」程。日本にはこんなに「宇宙大好きな人々」がいたんだなぁ。。。早めに会場入りしたおかげで前の方で見れて良かった。
講演の内容はかなり専門的だったので正直ついて行けない点もあったのだが、宇宙科学の最先端で活躍する先生方の話は本当に面白い。お蔵出しの世界初公開「はやぶさ」によるイトカワ近接画像もお披露目されたし、科学衛星三兄弟のプロマネ先生方が「プロマネ権限で解析中のを分捕ってきました」というレア画像も見れたし。日本の宇宙科学の文字通り「最先端」を垣間見ることが出来た。
夏の相模原キャンパス一般公開も楽しみだ。今年もブルートレイン「はやぶさ」に乗って見に行こう。

「宇宙科学講演と映画の会」からの帰り、乗っていた山手線の電車が恵比寿駅で突然急停車。渋谷駅で人身事故とのこと。結局そのまま30分車内に缶詰になったのだが、他の乗客は皆「またか」という顔で平然としている。何か、「人身事故」「自殺」に皆慣れっこになっているような…これが東京の現実なのか、と地方在住者が殺伐としていると、突然
「何で自殺するんでしょうね」
と声をかけられた。
見ると隣に座ってる、茶髪にジャージ姿のいかにも…な若造である。
「自殺するのって、怖いでしょうね。何で死のうと思ったんでしょうね」とさらに続ける。
僕は暫く考えて
「そうだね…きっと、本人にしか解らない事情があったんだよ」
すると彼は
「これって、自然淘汰でしょうかね?東京で生きられない人がどんどん消えていくような」
「どうだろう。自然淘汰とはちょっと違う気がするな。何て言うか…本来なら死ななくてもいい人が死んでるような気がするんだけれどな」
「…良いこと言いますね」
「うん…列車に飛び込むなんて、きっと凄く恐いと思うよ。その恐怖に打ち勝って飛び込むエネルギーを、『死なないで生きる』方のベクトルに向かわせられたら、って思うよ。でも、僕らはあくまで第三者だから、当人の気持ちは解らないんだよね。きっと…第三者の無責任な感想なんて及びもつかない事情があったから、死んでしまったんだろうね。でも…」
自分でもよく分からなくなり考えていると、振り替え輸送開始の案内放送があった。
若造は「話をしてくれてありがとうございました。さようなら!」と飛び降りていった。

遅れた山手線の電車で品川まで行き、名物の立ち食い「お好みそば」をかき込む。それから一晩、若造に話した事を反芻してみたが、結局結論は出なかった。

そして次の日、羽田空港に向かうべく乗っていた京浜東北線の電車は人身事故の影響で急停車したのである。

生きるって、死ぬって、どういうことなんだろう…?



宇宙科学講演と映画の会

2007-04-14 | 実況
今日は昼から新宿に来て、「第26回 宇宙科学講演と映画の会」に参加。
前半は宇宙研の藤原顕 元教授から探査機はやぶさの活躍についての詳しい話を聴くことが出来た。小惑星イトカワを3D回転画像で見るコーナー、イトカワ地表に落ちる影が実にリアルで面白い。壇上で見ていた宇宙研の的川先生も「ラッコが宇宙で廻ってるね」とご機嫌。
後半ではあかり、すざく、ひのでの科学衛星三兄弟の功績を担当プロマネの各先生方が紹介。「今まではNASAやヨーロッパから借りた写真を使って説明してたけど、自前の写真が使えるのは本当に嬉しい」との言葉が印象的だった。「日本人が皆100円、いや150円出してくれたら凄いことができます。」と的川先生。本当にそうですよね。

終演後、的川先生に挨拶する。
「今年も相模原キャンパスの一般公開に遊びに来て下さいね」「はい、駆け付けさせて頂きます!」握手してもらって大感激。
さて、熊本に帰るか…

秘境駅の休日

2007-04-13 | 実況
突然だが、休暇を取ってここに来てしまった。
JR飯田線田本駅。
天竜川沿いの谷間にある、人里離れた秘境駅。
次の列車は2時間後、人の気配の無い駅を風だけが吹き抜けていく。

JR九州20周年記念「スタンプラリー20」の旅 さよならナイスゴーイングカード編

2007-04-08 | 旅行
(写真:ナイスゴーイングカードで最後に乗車した「ホームライナー」が都城駅に到着)

このところ毎週末毎に九州内各地を駆け回って、JR九州の駅と列車内に設置された20個のスタンプを集める「スタンプラリー20」の旅を敢行しているが、先週末も行ってきました。

平成19年3月31日。年度末の土曜日に出発。
今日は「青春18きっぷ」ではなく「ナイスゴーイングカード」で割り引いたきっぷを使う。JR九州が発行しているこのナイスゴーイングカード、16歳から29歳なら年会費500円で週末祝日の101キロ以上利用のJR九州線の運賃料金が40%割引(九州新幹線利用の場合は30%割引)になるという破格のカードなのだ。
30歳未満の九州在住者なら知らない者はいないとも言われるこのナイスゴーイングカード、昨年3月に三十路を越えてしまった僕が使えるのは期限最終日の今日までとなる
大学在学中にサービス開始と同時に入会して以来、毎年更新しながら10年以上つきあってきたナイスゴーイングカードと一緒に行く旅も、今日が最後だ。


先ずは熊本駅から特急「リレーつばめ38号」で久留米へ。
タバコが苦手な僕にとっては有難い話だが、「リレーつばめ」をはじめJR九州の主な特急は、今月のダイヤ改正から全車禁煙になっている。今日は試しに従来喫煙車だった7号車に乗車してみた。ダイヤ改正日以降、喫煙車の車内は染み付いたヤニを抜くべく徹底クリーニングを実施したそうだが、それでも少し臭いが残っているような…まあ我慢できないレベルではないが。
これまでは点灯することのなかったインフォメーションボードの禁煙サインが灯る横には、JR九州が誇る名車「つばめ型787系」の誇りである「ブルーリボン賞」メダルが掲げられている。このメダルが今後ヤニで汚れることがなくなるのも嬉しい。

小一時間で久留米に到着。

東京から遥々やってきたブルートレイン「はやぶさ」が到着。終着駅熊本まであと一っ走り。


「はやぶさ」が去ったホームに入線してきたリゾート特急「ゆふいんの森3号」。
この列車に乗って九州を横断する。先週に引き続き、同じ久大本線の旅になるが、今日はナイスゴーイングカードを使って大盤振る舞いの高原リゾート列車の旅だ。


ゆふいんの森号に乗車し、車内検札が済んだらすぐにスタンプを捺すべくビュッフェへ。
カウンターに設置されたスタンプを無事ゲットした後は、勿論そのままビュッフェで買った列車特製生ビールとゆふいんワイン、ハムとチーズを並べてさあ始めよう。
「ナイスゴーイングカードに乾杯ー!」


ゆふいんの森号は日田の街並みを過ぎ、天ヶ瀬温泉郷をかすめて走っていく。つい先週に見たばかりの景色だが、お洒落な欧風リゾート列車のビュッフェで美味いワインを飲みながら見る景色はまた格別である。時々薄日も射して、気持ちの良い春の日だ。
久大本線の車窓の見所の一つ、慈恩(じおん)の滝のすぐ横を通過する際はキャビンアテンダントによる車窓案内もある(写真はちょっと失敗した。。。手前に流れているのは満開の桜なのだ)。


豊後森駅を過ぎると一瞬車窓に見える廃墟。
これは実はかつての蒸気機関車の機関庫の遺構。SLを方向転換するターンテーブルの周りをぐるりと取り囲むように半円形に造られた、古代の円形劇場の遺跡かコロシアムのような独特の雰囲気の車庫が、今でもそのままの形で残っている。しかし線路は撤去されているので、主役である機関車の姿がなくどこか寂しげである。

由布院駅を過ぎると車内の乗客が入れ替わる。
高原リゾート地へと向かう乗客を乗せて走っていた「ゆふいんの森」号は今度は温泉地別府へと向かう行楽列車へと姿を変える。
このまま大分へと向かう僕は、沿線に桜舞う春の日差しに気持ちが良くなりワインの酔いも回ってウトウト…
気がつくと既に列車は大分市の近郊を走行していた。

大分で日豊本線下りの普通列車に乗り換え、スタンプ設置駅の臼杵へと向かう。


臼杵駅の改札口では、巨大ふぐ?の親子と金魚がお出迎え。
スタンプを捺して「さあ、次の下り普通列車は…えっ!?2時間後?」
まあいい、どうせ急ぐ旅ではない(というか、目的地のある旅ですらない。。。)。せっかくだから臼杵の町を見て歩こう。

臼杵は国宝の臼杵石仏で有名だが、仏像にはイマイチ興味がないので町を見て歩くことにする。
駅前通りは桜並木が満開だ。


駅の地図で見ると、臼杵の町は城跡のある丘を中心に小さくまとまっているので、徒歩でも一通り見て回れそうだ。
城跡公園は桜の名所らしく、麓を歩いていると上空から桜吹雪が降ってくる。
旧市街らしき通りはレトロな感じに整備されていて、歩いていて楽しい。


城跡へと続く旧市街の町並み。
この曲がりくねった小路の感じ、先日旅したトランシルヴァニアの古都シギショアラの旧市街に似ているような気がする。案内板によるとこの界隈は臼杵城下の武家屋敷が集まっていて、キリシタン大名の大友宗麟がこの地を統治していた時代には市街戦の舞台となったこともあるという。キリスト教統治と要塞都市、意外な共通点がルーマニアと大分県の小都市を結んでいた。


シギショアラのことを想い出しながら臼杵の旧市街を歩いていると、こんな碑を見つけた。
明石原人の発見者は臼杵の人だったのか!
帰宅後、ネットで明石原人について少し調べてみたが、発見者の直良信夫さんは学歴がなかったので化石人骨を発見しても専門家にはまともに取り合ってもらえず、やがて化石の現物も戦時中に東京空襲で焼失してしまったらしい。明石原人自体が最近の研究では縄文以降の新人であり原人ではないとされているらしいが、何しろ化石の現物が既にないので真相は謎に包まれている。
いずれにせよ、意外な歴史の謎と人間ドラマの舞台が、意外な場所に佇んでいるものである。

臼杵の旧市街は町並みを望む小高い丘の上まで続いている。
うねうねと続く坂道を登っていると、小さな土蔵のような建物がある。通りに面した戸を開け放して、中の座敷で写真展をやっているらしい。座敷が風通しが良くて気持ち良さそうだったので、ちょっと覗いてみる。
畳敷きの広間の壁に並んだ写真をよく見ると、日豊本線の特急にちりん号じゃないか!それ以外の作品も、美しい風景の中を走る列車が写っている。この写真展は一体?
「良かったらお茶を飲んで行かれませんか?」
写真展の主と思しき初老の男性から声を掛けられ、座敷に座ってお茶を振舞われる。
「鉄道写真が好きで、あちこちで撮って回ってるんですよ。今回、地元の日豊本線関連の作品を集めて展覧会を開いてます。」とのこと。
「“撮り鉄”をされてるんですか。僕は“乗り鉄”です。今日も例のスタンプラリーの途中でして」と僕も妙な自己紹介をして、意外な場所で“鉄談義”が始まる。
「花の咲く中を走る列車を撮る為に、毎年花の時期には沿線の花を調べて回ってます。花の咲くポイントは意外と年によって変わるから、結構大変なんですよ。それに、坂を登って行く列車がいいですね。世界一きつい急勾配を撮りたくて、スイスのルツェルンまで遠征した事もあるんですよ。」
…ここにも愛する鉄道を追いかけて世界を股にかける“素晴らしき鉄道野郎”がいた。

そろそろ列車の時間だ、駅に行こう。「お茶ご馳走様でした」


桜吹雪の舞い散る臼杵の城下町を駅まで戻ってくると、駅前のJRバスの営業所の前に人が集まっている。何事かと近付いてみると、営業所の入り口に「さよなら臼三線」の貼紙が。
今日、平成19年3月31日限りで、ここ臼杵駅とJR豊肥本線の三重町駅を結ぶ大分県内唯一のジェイアール九州バス路線「臼三線(きゅうさんせん)」が廃止になるという。偶然、最終日に立ち会ってしまった。

午後5時発の最後のバスが、駅前ロータリーで出発を待っている。
ジェイアール九州バス臼三線は当初は鉄道を建設する事を目指しながらもバス路線として営業していた、所謂「鉄道未成線」だったらしい。走ることのなかった列車に続いてバスも走らなくなり、臼三線は幻の鉄道として人々の記憶からも消えていくのだろう。


臼杵から佐伯まで南下。佐伯から先、大分と宮崎の県境を通り延岡までは通称「宗太郎越え」と呼ばれる、日豊本線の“秘境区間”だ。この区間には毎時特急にちりんが運行しているが、各駅停車の普通列車は1日に3往復しか運転されていない。その貴重な各駅停車の、午後の可視時間帯に走行する列車に乗車して延岡を目指す。


夕暮れの山中を走る列車は、峠の駅宗太郎に停車。ここで上りの特急にちりんを退避する。


1日3往復の各駅停車普通列車が停車するホームの脇には、由来がよく分からない石碑が列車を見守るように建っていた。


やがて特急にちりんが通過。
1時間に1往復の特急が通過する幹線の駅であるにも拘らず、1日3往復の列車しか停車せず、乗降客数はほぼゼロに近いと思われる宗太郎駅の雰囲気は過疎ローカル線の秘境駅そのものだった。
夕闇に包まれて、長く静かな1日を終えようとしている秘境駅を普通列車は発車していく。

延岡で快適な宮崎空港連絡列車「サンシャイン」に乗り換えて、更に日豊本線を南下。真新しい高架駅に生まれ変わった日向市駅でこの日最後のスタンプを捺し、すっかり暗くなった中を宮崎目指して南下を続ける。
今日は宮崎から先、日付が変わるまで乗り続けて都城まで行こうと思っている。このまま普通列車で行ってもいいのだが、最終区間となる都城へは追加料金300を奮発して「ホームライナー」で乗り付けることにした。ナイスゴーイングカードで乗車する最後の列車だ。

涙雨のような霧雨の中を、僕一人で貸し切り状態のホームライナーは走る。1時間足らずで終着駅都城だ。
思えばこれまで、ナイスゴーイングカードを使って割り引いたきっぷを使って色々な所へ行ったな。。。確か、初めての海外旅行でヨーロッパに行った時も、博多駅までナイスゴーイングカードを使って特急つばめに乗って行って、国際線の飛行機に乗り換えたんだっけ。

ホームライナーは定刻に、雨上がりの都城駅に到着した。
「今までありがとう、さようならナイスゴーイングカード。」

一夜明けて、新年度の4月1日。
今日は「青春18きっぷ」の最後に残った1コマに日付印を入れて、都城駅から出発。鹿児島へと向かう。鹿児島中央駅から、指宿行きの観光特別快速「なのはなDX1号」で指宿へと向かう。

「なのはなDX」と名乗っているこの列車、具体的にはどの辺がデラックスなのかと云うと、座席指定の「DX車両」が1両連結されているのだ。

これが件のDX車両の座席。


一方、こちらはデラックスじゃない方の自由席車の座席。
何か、こちらの自由席の方が重厚な色合いでデラックスに見えるような気が。。。


小一時間程、錦江湾沿いを走って温泉郷の指宿に到着。今日も雨。


雨が降ってるが、駅前をちょっと歩き回ってみる。
駅前広場に居並ぶ怪しい温泉一家の像。
「足湯」の中に立ってるのだが、何も全裸で家族団欒しなくても…お父さんなんか仁王立ちしてるしw
足湯に入ってる間、目のやり場に困ると思うぞ。


こちらは待合室で生き埋めになってる女性…じゃなくて、「砂蒸し温泉でくつろぐ乙女の像」。

…(´・ω・`)
…指宿はシュールな銅像が好きな町、らしい。。。

指宿には別に妙な像を見に来た訳ではない。
今回のスタンプラリー行程で最後の、指宿駅のスタンプを捺すために来たのだ。
無事にスタンプもゲットしたし、さあ帰ろう!

九州新幹線開業以降、鹿児島県と熊本県を結ぶ在来線の鹿児島本線は川内~八代間が「肥薩おれんじ鉄道」としてJRから経営分離したので、青春18きっぷでは通し乗車出来なくなってしまった。結果、両県を結ぶ唯一のJR路線となった肥薩線でのんびり山を越えて熊本県に帰ることになる。
以前、種子島でのH-IIAロケット12号機打ち上げを見送った帰路に通った同じ路線を今回も乗車。ただし、今日は青春18きっぷでの乗車なので特急「はやとの風」ではなく鈍行ディーゼルカーで峠のジャンクション吉松駅を目指す。


霧雨に煙る吉松駅に、山を越えて「いさぶろう」号が到着した。
折り返しの「しんぺい」号に乗車する。しかし今日は団体客の乗車があったので指定席券は売切れ。仕方なく、席無しで立席乗車する。
でも、途中停車駅では列車から降りるしカウンター席で立って見る景色もなかなかのものだし、「しんぺい」の旅は立ちっぱなしでも問題はない。


矢岳駅でのデゴイチ見学停車中に駅前に出てみると、里山にも春が来ていた(去年の夏の写真と見比べてみて欲しい)。
峠の駅は今、春爛漫である。




はやぶさ、出発 ~地球へ~

2007-04-06 | 宇宙
4月中旬より地球への帰還に向けた本格的な巡航運転を開始する予定です。(宇宙科学研究本部 宇宙ニュース 「はやぶさ」の現状について)

とうとう探査機「はやぶさ」が小惑星イトカワの軌道を離れ、故郷へと旅立つ。
2010年6月の地球到着まで、その旅路には想像を超える困難が待ち構えている事が予想される、厳しい旅立ちである。

それでも、奇跡の宇宙船「はやぶさ」は不屈の「はやぶさ運用チーム」に導かれ、必ずや懐かしい故郷へと帰って来るだろう。そう信じて、待ち続ける。

はやぶさの地球帰還まで、あと3年2ヵ月。

南九州で「乗り鉄」中

2007-04-01 | 実況
今週末も「JR九州スタンプラリー20」で活動中。
10年連れ添ったナイスゴーイングカードとの涙の別れや、坂道を登る列車をこよなく愛する鉄道写真家との語らい、偶然立ち合ったローカル路線バス最期の日など今回も色々なことがあったのだが、詳細は帰宅後に追って書きます。