天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 14:The Gate of Infinity ~旅の終わりに思ったこと

2015-07-05 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
Nádraží Praha-Bubny 2015


13:チェコの首都プラハを走る鉄道からの続き

プラハの街外れ、裏町の住宅街の片隅にひっそりと、その駅はあった。



プラハBUBNY駅
プラハ都心と郊外とを結ぶ非電化のローカル線の駅である。



首都の駅とは思えないほど閑散としていて、乗客の姿も無い駅だが、
それ以上に奇妙なものを駅前に見つけた。





天に向かって突き出した、これは鉄道の線路のようだが…
不思議な線路のオブジェの根本に掲げられたプレートにはThe Gate of Infinity とある。

The Gate of Infinity…これは一体何を意図しているのだろうと不思議に思いながら駅舎に近づくと、黒い看板が並んで張り出されているのが目に止まった。
そして、そこに書かれた英文の説明を読み始めて瞬時に、あのオブジェの意味を僕は理解した。
いや…あのオブジェの理由が心に突き刺さってきた。



天空の門を目指して続く線路は、ホロコーストからの旅路を象徴していた。
ここは、かつてプラハに暮らしていたユダヤ人たちを収容所へと送り出した駅だったのである。



駅舎の建物に入ってみると、中にはホロコーストの資料パネルが展示されていた。





この小さな駅舎内が、収容所送りとなる人々で溢れかえった日があったのだ。




ホロコーストの犠牲者たちを追悼する花が手向けられていた。




BUBNY駅に、小さなレールバスが到着したのが駅舎の窓から見える。
ホロコーストの犠牲者たちは、この駅から家畜用の貨車に乗せられて旅立ったという。
人々は当時のチェコスロバキアとドイツ・オーストリアの国境近くにあるテレジーンの収容所へと送られ、その後はポーランドのアウシュビッツへと移動させられた。






この駅から旅立つ時、ホロコーストへと向かう人々は
線路の彼方の旅路に何を思い何を見たのか…





現在、BUBNY駅はプラハの裏町の静かな通勤駅として、今なお鉄道駅としての役目を果たし続けている。
駅舎裏に貼られた小さな時刻表には、早朝から深夜までプラハ市内に暮らす人々の日常を支えて走る近郊列車の発着時刻が並んでいた。

やがて、BUBNY駅にまた列車がやって来た。



もう二度とこの駅から、いや世界中のすべての街の駅から、ホロコーストに向かう列車が発車することが無いように…

僕にはそう祈ることしか出来ない。
でも、世界中の人々が皆そう祈り、心を一つにすることが何よりも大事なのだ、きっと。

皆の祈りの心が一つになった時、この駅は本当のThe Gate of Infinityになるのだろう。
そう思いながら、今回の旅を終えることにしよう。


Nádraží Praha-Bubny 2015 ~The Gate of Infinity~


…次の旅は、2015年の夏休み。
闘いの傷跡から平和への願いを込めて、生まれ変わる街サラエボを目指す。
久々の旧ユーゴスラビア、クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナを旅します。
真夏のバルカン半島で、またお会いしましょう。
天燈茶房亭主mitsuto1976 拝

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 13:チェコの首都プラハを走る鉄道

2015-07-05 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
Praha hlavní nádraží 2015


12:オランダ鉄道の旅からの続き

チェコ共和国の首都プラハの鉄路の玄関、プラハ本駅(中央駅)。
美しいアール・ヌーヴォー調の駅舎で知られるが、大ドームで覆われたプラットホームは閑散としている事も多く、首都の中央駅としてはどこか寂しげな雰囲気が漂う。







朝のプラハ本駅プラットホームには、通勤列車が停車中。
ヨーロッパではドイツ圏でよく見かける、2階建て客車に運転室を設けた推進運転可能なペンデルツーク式の列車だ。
(※この通勤列車はペンデルツーク式の客車列車ではなく電車だと読者の方から指摘がありましたので訂正します)



チェコのペンデルツークにはCity Elefantという楽しい愛称が付けられていた。
確かに運転室付き2階建て客車の巨体はどことなく「象さん」のような愛嬌がある。




プラハ本駅の地下にもぐれば、メトロ(地下鉄)のC線も運行中。
かつては共産圏時代からの古いソ連製車輌が多く走っていたというが、今では近代的なインバータ制御の電車が軽快に行き交う。

プラハ市内ではメトロやトラム(路面電車)以外にも、チェコ鉄道の近郊列車も都市交通の一端を担う。







プラハ市内で宿泊していたホテルの近くを散歩していたら、偶然見つけた電化されていない線路の踏切を通過する近郊列車。
チェコ鉄道の長距離国際列車ユーロシティと同じ青と白のツートンカラーをまとった客車を、ディーゼル機関車が推して走る推進運転列車だった。






同じ踏切を、小さな車体のレールバスも通過する。
おそらく近郊の小さな町とプラハ都心とを結んで走っているこの列車に乗って、ふらりと鉄道の旅に出てみるのも楽しそうだ。

それにしても、この列車たちにはどこで乗れるのだろう。この近所にも駅はあるのだろうか。
線路に沿って暫く歩いて、プラハの裏町の駅を探してみることにした。

14:The Gate of Infinity ~旅の終わりに思ったことに続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 12:オランダ鉄道の旅

2015-07-05 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ

11:ホテルあれこれ アムステルダムとプラハでの住処からの続き

鮮やかな黄色に濃紺のアクセントが入った車体が特徴のオランダ鉄道の列車たち。
冒頭に載せた写真の列車はICMと呼ばれるタイプの電車で、先頭車の前面に貫通扉があり運転台が高い位置にあるデザインは、日本の懐かしい国鉄型特急485系や183系によく似ている。

実際、車輌の見た目以外にもオランダ鉄道が日本の鉄道に与えた影響は大きく、毎時同じ間隔で発車する「パターンダイヤ」で高頻度運行された国鉄の「エル特急」や大都市圏の電車網はオランダ鉄道のシステムを参考にしたとも言われている。




こちらは、全車2階建てのDD-IRMという新型車輌。
今回の旅では、スキポール空港の地下駅からLeeuwarden(レーワルデン)まで行くインターシティとして運行されていたこのDD-IRMに乗車してオランダ鉄道の旅を楽しんだ。






DD-IRMの2等車・2階車内。
オランダ鉄道のインターシティは日本のJRで言うと「新快速」的な位置づけの列車であり、主要駅以外には停車せず高速運転を行うにも関わらず「特急券」のような追加の特別料金は必要としない。
座席も全て自由席であり、2等車でもこのようにゆったりとしたクロスシートで快適な旅を満喫出来る。






インターシティの終点となるLeeuwarden(レーワルデン)駅。





Leeuwarden(レーワルデン)駅のプラットホーム上に設置されたこの設備は、ICカード乗車券の「乗り継ぎ機」。

オランダ鉄道では自動券売機で発行される乗車券類は全て紙製ながらもICチップが埋め込まれたICカード乗車券となっており、またインターシティの終点となる駅から発着するローカル線は第3セクターに移管された別会社が運営する地方鉄道となっているケースが多い。
インターシティからそういった地方鉄道に乗り継ぐ場合でも1枚のICカード乗車券で通しで乗車出来るようになっているのだが、乗り継ぎ前にはちゃんとICカード乗車券をリーダーにかざして「乗り継ぎ手続き」を行う必要がある。

おそらく、この手続きを怠って乗車し続けてそれが車内検札等で発覚した場合は、相当高額なペナルティが容赦なく科せられる筈。
何事も厳格なルールが適用される契約社会のヨーロッパでは「うっかり忘れました、すみません」等という言い訳は一切通用しない。旅先での思わぬ出費に泣く羽目に陥らない為にも、くれぐれも「乗り継ぎ手続き」は忘れないように注意!




こちらがLeeuwarden(レーワルデン)駅から乗り継ぐ地方鉄道のディーゼルカー。
丸みのある愛嬌のあるデザインの近代的なローカル列車に乗って、世界で最初のプラネタリウム「Eise Eisinga Planetarium(アイジンガー・プラネタリウム)」があるFraneker(フラネケル)の町にさぁ出発!

13:チェコの首都プラハを走る鉄道に続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 11:ホテルあれこれ アムステルダムとプラハでの住処

2015-07-02 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
Airport hotels in Amsterdam


10:空の旅の窓から 飛行機からの眺め、離陸風景からの続き

今回の旅で、アムステルダム到着後すぐにチェックインしたのはスキポール空港近くのトランジットホテル。
アムステルダムには一泊しかしないし、空港駅から列車に乗って出かけたり飛行機にも乗る予定があったので、居心地云々よりもロケーションと利便性を第一に考えて選んだのだが…



スキポール空港からは、早朝から深夜まで頻繁に運行されている無料の送迎シャトルバスがあるのでアクセスは容易。
忙しい旅では、この利便性が何より価値がある。例えホテルのロビーがまるでスーパーマーケットかファミリーレストランのような雰囲気で、豪華さからは程遠くても、そんなことはこの際どうでもいい。




コンビニのレジのようなフロントでカードキーを受け取り、部屋に入ってみると何とロフト風の2段ベッド!
2段ベッドに寝るのは夜行列車の寝台車以外では、小学校の林間学校以来だなぁ。




室内は徹底的にシンプルで簡素、人間が一晩寝るために最低限必要なもの以外の余計なサービスは一切無し、といった雰囲気。
でも殺風景ではなく清潔感もあって、寝るだけだと割り切ってしまえばむしろとても快適だ。




そしてドアの裏にはしっかり禁煙禁ドラッグの警告が。
ここは比較的軽めの(とされる)ドラッグは使用者の自己責任でお咎め無しの国、オランダ。
どうやらドラッグはタバコと同じ位置づけらしい。
ちなみに、ホテルの室内でタバコを吹かしたりドラッグをキメたりすると特別清掃料金として100ユーロを請求されるらしいのでご用心!
…僕はどちらもやらないから関係ないんだけど、こうもハッキリとドラッグが合法の当たり前のものという前提で表示されてるとやっぱりドキッとするね。




アムステルダムからプラハに飛行機の夜間飛行で移動後、深夜にチェックインしたのはヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港近くのエアポートホテル。
二晩続けての空港ホテル泊だが、プラハの空港ホテルは随分とデラックスで昨夜のアムステルダムとは対照的。



ベッドも2段ベッドではなくクイーンサイズのダブルベッド!




窓からの眺めも緑豊かで申し分無し。
…昨夜のホテルの部屋からは、スキポール空港近くの工業団地とKLMオランダ航空の機内食ケータリング工場しか見えなかったからなぁ(笑)




でもバスルームはシャワーブースのみだったのが、唯一残念。
例え深夜にチェックインして早朝にはチェックアウトしてヨーロッパを慌ただしく飛び回る旅でも、寝る前にはしっかり熱いお湯に時間をかけて浸かりたいと願う、それが日本人という人種なのだ。




ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港からプラハ市内に移って、プラハでの滞在拠点にしたのは街外れのスポーツアリーナとイベント会場に面したシティホテル。



ちょっと懐かしい雰囲気というか、ややくたびれた感じもするツインルームに通された。




でも、バスルームには立派なバスタブがあったので大満足!ここは大当たりのホテルだ(笑)
かくして、今回の旅に出て3日目にして初めてたっぷりの熱いお湯を張った「お風呂」に浸かって、旅疲れを流し去ったのだ。
ああ、極楽極楽…




風呂上がりに窓の外を眺めると、スポーツアリーナの大きな体育館が見える。
何とも味気無い風景のようにも見えるが、この体育会の裏手に広がる森の奥にプラネタリウム・プラハ(PLANETÁRIUM PRAHA)があるのだ。

…部屋からプラネタリウムの建物は見えないが、今夜は森の中のプラネタリウム・プラハで上映中の全天周映像作品「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」(チェコ語ではHAJABUSA-příběh sondy, která se vrátila)の夢を見ながら眠ることにしようか。



12:オランダ鉄道の旅に続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 10:空の旅の窓から 飛行機からの眺め、離陸風景

2015-07-01 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ

9:機内食あれこれ KLMオランダ航空東京アムステルダム便の食卓からの続き

近年、飛行機内での電子機器の取り扱いルールが大幅に緩和され、従来は禁止されていた離発着時のデジタルカメラの使用が認められるようになった。
そこで今回、夜のアムステルダムのスキポール空港を出発するプラハ行きKLMシティホッパーのエンブラエル機で離陸の際の機窓からの眺めの撮影にチャレンジ!

迫力ある機内からの、アムステルダムの夜景を飛び越える離陸風景をご紹介します。



離陸開始!滑走路を一気に加速しながら駆け抜ける。




リフトオフ!














離陸後は旋回しながら、アムステルダムの運河の街並みの上をぐんぐん上昇していく。
街明かりが途切れたら、ドイツの黒い森の上をチェコ目指しひとっ飛びだ。




一方こちらは、日本の国内線の機窓。
アムステルダムからKLM機で成田空港に到着後、成田から福岡までのANA機はよく晴れた日本列島の上を飛んで行く。





京都市上空。
御所と碁盤目の街並みが眼下に広がる。






明石市上空。
淡路島を望みながら、子午線を飛び越える。


飛行機の窓から眺める空の上の風景は、やっぱり楽しい。
旅する時は窓側の席に座り、童心に戻ってワクワクしながら機窓に見入るのもまた一興!

11:ホテルあれこれ アムステルダムとプラハでの住処に続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 9:機内食あれこれ KLMオランダ航空東京アムステルダム便の食卓

2015-07-01 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ

8:空港にて ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ空港とスキポール空港からの続き

空の旅の楽しみの一つは、機内食。
日本とオランダを結ぶKLMオランダ航空のジャンボジェット機内に入ると、趣向を凝らした片道2回の機内食が空の長旅に臨む乗客をもてなしてくれる。

2015年ゴールデンウィーク期間のKLMオランダ航空、東京―アムステルダム便の食卓をご紹介しましょう。

東京→アムステルダム
1回目の食事






成田で積み込まれた、和食のそぼろご飯と鮭。

東京→アムステルダム
2回目の食事






時間帯的には、日本時間だと深夜の夜食、オランダ時間だと午後遅い時間のランチなのだが、朝食扱いのトマトソースのパスタ。



アムステルダム→東京
1回目の食事






アジアンメニューはカレーのかかったナシゴレンのような焼き飯。
日本のカレーライスよりずっとオリエンタルで、タイカレー風。

アムステルダム→東京
2回目の食事






ヨーロッパのエアラインの朝食メニューの定番、マッシュポテトとキッシュ。

アムステルダムで積み込まれた機内食は、味はもとよりオランダ陶器の食器を模したデザインが現れる凝った容器ラベルのレイアウトが見ても楽しい。



2回の楽しい食事を終えたら、ジャンボジェット機は目的地に無事到着。
「ごちそうさま~!さぁ、着いたぞ!!」


10:空の旅の窓から 飛行機からの眺め、離陸風景に続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 8:空港にて ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ空港とスキポール空港

2015-07-01 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
Letiště Václava Havla Praha 2015


7:夕暮れのプラハ散歩 プラハ城と聖ヴィート大聖堂からの続き

チェコ共和国の首都プラハの空の玄関、ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港。





首都の国際空港とは言え、こぢんまりとしたヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ空港の国際線ターミナル内を歩いていると、こんな看板を見つけた。
とにかくピアノを弾かせたいらしい。
…この、公共スペースで通りすがりの人にピアノや楽器を弾かせようという一種のアートプロジェクトは最近ヨーロッパで流行っているらしくて、ヨーロッパ各地の空港や駅にピアノが設置されている光景をよく見かける。



プラハの空港のターミナルビルにはチェコの国産車シュコダ(Škoda)のクラシックカーと並んでアップライトピアノが置かれ、実際に音楽好きの旅行者が演奏を楽しんでいた。
何気ない公共の場所がアートな空間に変わる、こんな取り組みは素敵だ。日本でも普及すればいいのにな…





KLMシティホッパーのエンブラエル機に乗り込み、機内食のオーガニックなサンドイッチを食べているうちにドイツを飛び越えて1時間半あまりのフライトで、オランダの首都アムステルダム近郊のスキポール空港に到着する。







展望デッキから滑走路と駐機スポットを望むと、以前ミラノまで行った時に搭乗した事のある、見覚えのあるKLM旧塗装のリバイバルカラーをまとったボーイングB737-800を見つけた。



こちらは、展望デッキの上から滑走路の飛行機たちを見守る退役したKLMのフォッカー100。
スキポール空港は様々な飛行機を見て楽しめる空港だ。

旅の通過点である空港も、ちょっと見方を変えると色々な楽しみ方があることがわかる。
それは、慌ただしい旅の途中の一瞬を束の間、豊かな時間に変えてくれる。空の旅の醍醐味である。

9:機内食あれこれ KLMオランダ航空東京アムステルダム便の食卓に続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 7:夕暮れのプラハ散歩 プラハ城と聖ヴィート大聖堂

2015-06-28 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
PRAHA 2015


6:トラムに乗ってプラハ散歩 旧市街ではシティマラソン開催中からの続き

もう夕暮れ時。トラムを降りてカレル橋を歩いて渡り、迷路のような旧市街の城下町の丘を登っていく。







丘を登り切ると、そこがプラハ城だ。
昼間は観光客でごった返す場所だが、日暮れ時にはもう人も少ない。
モノトーンの静かな空間が広がっていた。

プラハ城の「本丸」には聖ヴィート大聖堂の大伽藍がそびえ建つ。





かつてここプラハ城に居を構え、国王としての政治の仕事よりも己の好奇心を優先させるかのようにプラハを芸術家と天文学者が集まる星の都に変えた神聖ローマ皇帝ルドルフ2世も、この聖ヴィート大聖堂に眠っている。

プラハを訪れる度に、この宇宙科学と芸術を愛した偉大でそしてどこか憎めない敬愛すべき人物の墓に参りたいと願っているのだが、どういう訳だかいつも聖ヴィート大聖堂に来ると日が暮れてしまっていて廟の中に入れず、果たせないでいる。
そして今日もまた、聖ヴィート大聖堂の玄関は固く閉ざされてしまっていた。

ルドルフ2世にはいつも大変申し訳無いのだが、これはきっと「また出直して来い。お前はもう一度、プラハへ来い!」 と王様から言われているのだろうと勝手に都合よく解釈しておくことにする。
…それに実際、今度の年末年始休暇にはワルシャワからウィーンまでオペラ観劇しながら鉄道での旅をしようと思っているので、その旅の道程の途中にあるプラハにも恐らくまた立ち寄ることになるだろう。



今回の旅は、これで無事に終わった。
明日にはプラハを後にして、日本への帰途に就く。
駆け足でオランダとチェコのプラネタリウムを巡る、短いながらも充実した旅だった。



8:空港にて ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ空港とスキポール空港に続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 6:トラムに乗ってプラハ散歩 旧市街ではシティマラソン開催中

2015-06-28 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
Pražský orloj


5:星の街プラハ散歩 ヨハネス・ケプラー博物館からの続き



2015年5月3日

今日は朝からトラム(路面電車)に乗って、プラハの街を散歩。
プラハ市内の公共交通に一日中乗り放題の24時間チケットを買ったら、停留所で適当にやって来たトラムの電車に乗って出発!
あてもなくプラハの街をトラムでさまよい、気が向いたら適当な場所で降りて街並みを観て歩くのも楽しい。





ヴルタヴァ(モルダウ川)の橋を渡る。
トラムの車窓からは、プラハの街を貫くヴルタヴァの流れを頻繁に目にする事が出来る。




トラムの最後尾は運転台が無く展望車のようになっているので、街並みを眺めるのには最適。




プラハ市内には幾つものトラム路線があり、街中を絡みあうように錯綜しているので、時には他系統のトラムの電車が合流し追走してくる事もある。
鉄道好き・路面電車好きにはたまらない光景。




郊外に出ると、車窓には豊かな緑が広がる。
プラハは小さな街なので、賑やかな都心からほんの10分も走るとトラムの車窓はこのようなのどかな風景になる。

また、都心にも自然豊かな山林をそのまま生かした広大な公園が広がっているのもプラハの街の特徴の一つ。
プラハ城の城下はそのまま森林公園になっていて、観光客で賑わう旧市街のカレル橋からトラムに乗ってほんの数分も走ると、このような景色を楽しむことが出来るのだ。





この丘の上にはトラムからフニクラ(ケーブルカー)に乗り換えて登ることも出来るのだが、今日はこのいい天気に誘われピクニックに出かけるプラハ市民や観光客でフニクラは大混雑。
乗客が駅に入りきれないほどだったので、登山は諦めて再び街へ。

旧市街をトラムの軌道沿いに歩いていると、通りを遮断してシティマラソンを開催していた。
「ああ、昨日プラハ市内に着いた時にNádraží Holešovice駅前で地元の人から『あなたもマラソンに出るの?』と聞かれたのは、この事だったのか!」







みんな頑張れー!
…ああ、プラハの旧市街を走るなんて、なんだか楽しそうだな。
僕も思い切って走ればよかったかな?(笑)




マラソンランナーを見ていたら、何だかこちらまで気分がHEAT UPしてきたので、街角のスーパーマーケットで買ったチェコビールの缶でクールダウン。
…レモンミント風味のノンアルコールビールだけどね(笑)



マラソンが終わり、道路封鎖も解除されたので旧市街の広場へ。
プラハのシンボル・天文時計オルロイの前は今日も観光客が群がり大混雑。



7:夕暮れのプラハ散歩 プラハ城と聖ヴィート大聖堂に続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 5:星の街プラハ散歩 ヨハネス・ケプラー博物館

2015-06-15 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
KEPLEROVO MUZEUM V PRAZE


4:プラネタリウム・プラハはカールツァイスと宇宙の博物館からの続き

プラネタリウム・プラハ(PLANETÁRIUM PRAHA)で全天周映像作品「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」(チェコ語ではHAJABUSA-příběh sondy, která se vrátila) を観た後、プラハの街に降り立った小惑星探査機「はやぶさ」の感動の余韻に浸りつつプラハ城下の旧市街、カレル橋界隈に繰り出した。

カレル橋のたもとにある宮殿Colloredo-Mansfeldský palácで毎夜開催されているロイヤル・チェコ・オーケストラのコンサートを鑑賞する。



ロイヤル・チェコ・オーケストラとは名前を聞いたことがあるような無いようなオーケストラだが、かなりラフでリラックスした気軽なコンサートで、聴衆も観光客が中心だった。
モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークに始まりスメタナの「わが祖国」のモルダウに終わる定番曲のオンパレードだったが、旺盛なサービス精神を感じる演奏には結構満足出来た。
ちなみに会場のColloredo-Mansfeldský palácは映画「アマデウス」のロケにも使われたそうだが…どのシーンだったかな?

そんなColloredo-Mansfeldský palácの入口がある観光客でごった返す小路に、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の時代にこの街で研究活動を行った天文学者ヨハネス・ケプラーの名前と肖像を刻んだレリーフが掲げられている事は、この前の一昨年にプラハに来た時に気が付いていた


※2012年12月31日撮影

今日はロイヤル・チェコ・オーケストラのコンサート前に少し時間があったので、一昨年以来気になっていたこのケプラーのレリーフのある路地に入ってみた。



すると、路地のすぐ奥に小じんまりとした建物の入り口があるのを発見した。
窓ガラスにKEPLEROVO MUZEUMとある。どうやら、ヨハネス・ケプラーの博物館らしい。
一見すると小さな雑貨店のようにしか見えないが、ともあれドアを開けて入場料60チェコ・コルナを支払い入ってみる。





受付の女性が「展示はこの間口一間だけですよ」と言っていたが、本当に小さな部屋一つだけの博物館だった。
…いや、博物館というより展示室と言った方がいいかも。
展示もパネルが中心である。



この小さなプラハのヨハネス・ケプラー博物館、2009年の世界天文年に合わせてかつてケプラーが住んでいた部屋を改築してオープンしたとのこと。



プトレマイオスの天動説図と、コペルニクスの地動説、そしてケプラーの師ティコ・ブラーエの修正天動説のCG図解。実際に太陽系の軌道図が動くので理解しやすい。



パネル展示の最後にはNASAのケプラー宇宙望遠鏡の紹介も。
そういえば確かケプラーはヨーロッパ宇宙機関(ESA)の国際宇宙ステーション補給機ATVの2号機の愛称にもなっていたような。



星の街プラハの路地裏にひっそりとある、小さなヨハネス・ケプラー博物館。
観光客だらけのプラハ城下カレル橋界隈の散策に疲れたらちょっと立ち寄って、好奇心の塊のような偉大な王様のもとに集まった占星術師や錬金術師たちと共に働き毎夜この街角から星空を見上げていた“童話の天文学者”たちの活躍に思いを馳せてみるのも、また一興かと。


6:トラムに乗ってプラハ散歩 旧市街ではシティマラソン開催中に続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 4:プラネタリウム・プラハはカールツァイスと宇宙の博物館

2015-06-05 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
PLANETÁRIUM PRAHA Carl Zeiss Jena Universal 23/2 (UPP 23/2)


3:HAYABUSA - příběh sondy, která se vrátilaからの続き

チェコ共和国の首都プラハ。
かつてハプスブルク帝国の王城が置かれ、当時世界最先端の宇宙科学に傾倒していた神聖ローマ皇帝ルドルフ2世によって召集されたティコ・ブラーエやヨハネス・ケプラーといった名だたる天文学者が観測を行った“星の古都”であり、旧市街には天文時計オルロイが数百年の時を超えて今なお、刻一刻と変わりゆく宇宙の姿を表わし続ける。
近年では2006年の夏にこの街で開催された国際天文学連合 (IAU) 総会で冥王星が太陽系の惑星としての地位から追放されたことが記憶に新しい。



中世から21世紀まで、その歴史は常に星と天文とともに在ったプラハ。
そんなプラハの街外れの公園の森の中に、プラネタリウム・プラハ(PLANETÁRIUM PRAHA)はある。





2015年4月より、プラネタリウム全天周映像作品「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」(チェコ語ではHAJABUSA-příběh sondy, která se vrátila)の上映も始まったプラネタリウム・プラハ。
遠く日本のフルデジタルCG全天周映像作品も上映する気鋭のプラネタリウムは同時に、非常に充実した展示内容を持つ宇宙科学とプラネタリウム投影機そのものの博物館の機能も持っていた。

「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」の鑑賞前に見学したプラネタリウム・プラハの博物館の展示を、ここで紹介したいと思う。



展示スペースが限られるので、宇宙科学関連はモニター画面を使用したパネル展示がメインとなるが、それでも宇宙科学の各ジャンルを網羅していて大変見応えがあるデータベースとなっている。





世界各国の太陽系惑星探査を紹介する展示では、しっかり日本の「はやぶさ」も取り上げられている。



人類初の有人宇宙飛行を果たしたガガーリン少佐の立派な胸像が飾られていた。



こちらは宇宙食各種。最近のフリーズドライ食品から、食欲をそそらない無機質な缶詰やチューブに入った初期のソ連製のものまで。
かつてここが共産圏チェコスロバキア共和国の首都だった頃の名残りか、ソビエト連邦の宇宙開発に関する資料が非常に充実している印象を受けた。



プラハのシンボルである、旧市街の天文時計オルロイを詳しく解説したコーナーも。



そして、展示フロアで一際存在感を放つのが“御本尊”ことプラネタリウム投影機本体。
恐らく引退した先代の投影機だと思うが、この独特のフォルムとシルエットは…
そう名機カールツァイス・イエナ!!



機体に輝く銘板に刻まれた製造番号は65番。



カールツァイス・イエナ投影機本体のみならず、制御装置や各種パーツ類も丁寧に並べられ展示されている。
これはプラネタリウムファン、カールツァイスファンには堪らない…!



モデル番号は23/2とあるが、これは日本国内で最古のカールツァイス・イエナとして知られる明石市立天文科学館の御本尊であるUniversal 23/3の姉妹機ということだろうか?
確かに、2つの恒星投影球を持つ投影機の独特で美しいシルエットが無骨に組み上げられた脚部の上に載っている独特のフォルムは明石のカールツァイスに酷似しており、恐らく同型式だと思われる。
(ちなみに明石のカールツァイスの製造番号は天文科学館の公式サイトによると38番らしいが…)

そしてカールツァイス投影機本体の全体図を見ると、この投影機は台枠の上に載っていて何と車輪があることが分かる。




実際に車輪を見ることも出来る。
…僕も、結構長いことプラネタリウム巡りをしていてカールツァイスもそれなりに見ていたつもりですが、御本尊にこんな隠された仕掛けがあるなんて知りませんでした。
(後日、明石市立天文科学館のプラネタリウムが大好きで足繁く通っている宇宙ファン仲間に教えてもらったのだが、明石の御本尊にも外からは見えないがちゃんと車輪があるとのこと。し、知らなかった!

…それにしても、隠された脚部に車輪を持つカールツァイス・イエナ、実は自走式だなんてますます格好いい機械じゃないか!!





プラネタリウム・プラハの展示フロアにはもう一つ別のカールツァイスもあった。





こちらは小型の投影機で、製造番号は72番。
小さなドーム天井のある専用の部屋に置かれていて、御本尊の展示用であると同時に投影能力も持っているように見える。
今でも実際に星空を投影することがあるのだろうか。



かくして、プラネタリウムの投影が始まるまでたっぷり楽しめるプラネタリウム・プラハ(PLANETÁRIUM PRAHA)。

もしあなたがプラハの街を訪れて、森の中のプラネタリウムに「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」を観に行くことがあれば、投影開始時刻まで充分に余裕を持って行かれることを強くお薦めする。
館内に並ぶ魅惑的な展示類に見入っているうちに、すぐに時間が経ってしまう筈だ。

お目当てのHAJABUSA-příběh sondy, která se vrátilaの投影を告げるどこかノスタルジックなチェコ語のアナウンスが聞こえたら、さぁ階段を上がってドーム天井のプラネタリウム投影室へと急ごう。
そこには現役機種のカールツァイス・イエナと素晴らしい画質の全天周映像が、遥々訪れた旅人のプラネタリウム鑑賞者を待っている…!




5:星の街プラハ散歩 ヨハネス・ケプラー博物館に続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 3:HAYABUSA - příběh sondy, která se vrátila

2015-05-30 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
PLANETÁRIUM PRAHA


2:Franeker 世界で最初のプラネタリウム“アイジンガー・プラネタリウム”からの続き

2015年5月2日

昨夜遅く、アムステルダムから最終便の夜間飛行でチェコ共和国の首都プラハに到着した。
プラハのヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港は市街地からはやや遠く、しかも夜遅くなると唯一の公共交通である路線バスもプラハ本駅行きAEバス(空港リムジンバス)も運行を終えてしまう。
自家用車で迎えに来てもらえない旅行者はタクシーに頼るしかないが、プラハのタクシーは「ぼったくり常習犯」が多いらしく評判が非常に良くないので、もう市街地に出るのを諦めて空港近くのホテルから送迎に来てもらってチェックイン。

一晩ぐっすり眠ってから再び空港に戻り、改めてAEバスに乗ってプラハ市内へ向かう。



プラハ本駅からメトロ(地下鉄)C線に乗り継ぎ、やや街外れにあるNádraží Holešovice駅で下車。
この駅から少し歩いたところに巨大なスポーツアリーナとイベント会場があり、その一画にあるホテルをプラハ市内での滞在先として予約してある。

Nádraží Holešoviceの駅前をキャリーを引きながら歩いていると、親切な地元のカップルに「どこに行くんですか?道は分かる?」と英語で声をかけられる。
どういう訳だか「あなたもマラソンに出るの?」と聞かれたが、翌日プラハ市内でシティマラソンが開催されるそうで各地から市民ランナーが集まっていたらしい。
「残念ながら僕はマラソンには出ないよ。走りませんよ(笑)」と答えて礼を言って別れる。

僕がプラハにやって来た目的は、マラソンではなくプラネタリウムだ。
スポーツアリーナとイベント会場の隣にある公園の中にあるプラネタリウム・プラハ(PLANETÁRIUM PRAHA)先月から上映が始まったプラネタリウム全天周映像作品「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」(チェコ語ではHAJABUSA-příběh sondy, která se vrátila)を観るために、僕はプラハまでやって来たのだ。



ホテルにチェックインして部屋に荷物を置いたら、すぐにプラネタリウム・プラハへと向かう。
事前にGoogle Mapsで調べてプラネタリウムから一番近い場所にあるという理由でこのホテルを選んだのだが、本当にすぐ近くで歩いて10分もあれば行ける。



スポーツアリーナとイベント会場の前を歩いて、隣の公園の入り口まで来ると、早速こんな道標を発見。
チェコ語の文字混じりでPlanetárium(プラネタリウム)と書かれた方角に向かって進んでいく。
…ちなみにチェコ語は非常に複雑で難しいことで知られる言語だそうだが、プラネタリウムの綴りは英文と同じなのですぐに理解出来たのが有り難い。



公園の森の奥へとトラム(路面電車)の線路が続いている。この線路の先に、目指すプラネタリウム・プラハがある。





森のなかに、トラムの電車が停まっている。
この公園の森はどうやらトラムの路線の終点になっているらしい。ヨーロッパではよく見かける方式なのだが、トラムの電車は一方走行で、終点についたら丸く輪を描いた線路をぐるりと一周りして進行方向を買えるしくみだ。
緑溢れる森の中に敷かれた、おもちゃの電車のような丸い線路を走るトラムはどこか現実離れしていて幻想的で、白昼夢のような雰囲気さえ漂う。





森のなかの線路の向こうに、これまた幻想的な建物が姿を現した。
丸いドーム屋根が「この建物は、宇宙とつながっている」 と主張しているかのようで、一目でそれと分かるプラネタリウムの建物…
ここがプラネタリウム・プラハ(PLANETÁRIUM PRAHA)だ。







建物の外にある掲示板にもしっかりと「HAYABUSA-příběh sondy, která se vrátila」のポスターが貼り出されている。
間違いない、ここでHAYABUSAを上映している!

…日本の小惑星探査機「はやぶさ」の壮大な旅と地球帰還を描いたプラネタリウム全天周映像作品「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」。
僕は、まだ「はやぶさ」が地球に帰還する以前の2009年の作品完成直後に、大阪市立科学館で行われた最初の一般向け試写会で初めてこの作品に出会った
以来、何度プラネタリウムのドームの中で「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」を観たことだろう、何度感涙に咽んだことだろう…
気がつけば僕は「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」を観る為にプラネタリウムを渡り歩くようになり、日本各地のみならず海外にも配給され上映されるようになったHAYABUSAを追いかけて、ドイツのハンブルグまで行ったのもいい思い出だ。

そして今回、ヨーロッパではハンブルグに続いて2度めの上映となるHAYABUSAを追って、僕はこの「約束の地へ」やって来た。
芸術と宇宙科学を愛したハプスブルクの神聖ローマ皇帝ルドルフ2世がティコ・ブラーエを、ヨハネス・ケプラーを呼び寄せた“星の都プラハ”にある、プラネタリウム・プラハまで!



早速、プラネタリウム・プラハでの「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」のチケットを購入。
チケット窓口に座っていた受付の女性は突然現れたチェコ語を解さない東洋人の男に戸惑ったようだが、すぐに笑顔で対応してくれた。英語が堪能な若いスタッフも応援に駆けつけ、何とか「HAYABUSAが観たい。翻訳ガイドのイヤホンは要らない。」という意志が通じて、無事に午後3時半からの上映回のチケットを買うことが出来た。

プラネタリウム・プラハは客席が指定席制のようで、チケット券面には座席番号と思しき数字が振られている。
価格は150チェコ・コルナで、これは日本円に換算するとだいたい750円くらい。日本国内のプラネタリウムの鑑賞料金とあまり変わらない。
ちなみに英語と日本語の翻訳ガイドのイヤホンをオプションで追加すると50コルナ増しとなるが、これは不要だ。チェコの人々にチェコ語で「はやぶさ」の旅を語りかける“チェコのHAYABUSA -BACK TO THE EARTH-”が観たいからだ。
…それに、何十回も観たのでナレーションの内容はもうほぼ完全に暗記してるしね(笑)



HAYABUSAの上映が始まるまで、プラネタリウム・プラハの館内を観ることにする。
ここはプラネタリウムであると同時に「宇宙科学館」としての役割も持っているようで、かなり充実した展示が並んでいた。



館内の展示を見て回っているうちに、「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」の上映開始時間である午後3時半となった。
展示フロアの上層階にあるプラネタリウム投影室へと向かうことにしよう。



プラネタリウム投影室に入ると、名機カールツァイス・イエナの投影機が出迎えてくれた。





現在、現役の投影機として使用されているこのカールツァイス・イエナ、脚部がかなり大胆に改造されていて、何と全天周映像を投影中は投影機が視界を遮って邪魔にならないように脚を折って「うつ伏せ」に出来るようになっている。

今回の投影では全天周映像作品「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」の上映のみで、カールツァイス・イエナを使っての星空投影は残念ながら行われない。
観客が「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」の世界に心置きなく浸りきれるように、投影機はうつ伏せになって遠慮してくれている訳だ。

観客もドーム天井の下の指定席に集まってきた。僕もカールツァイスばかり見ていないで、自分の指定席に着こう。
「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」のプラネタリウム・プラハでの上映は在チェコ日本国大使館とチェコ日本人会が共催・協力して実施されているそうなので、観客も地元チェコの人々に混じって在留日本人と思われる人々もかなり多い。
僕の隣の席も、日本人の親子連れのご家族だった。

そしていよいよ始まった「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」…
第一印象は「あっ、画像が明るくてきれい!」だった。プラネタリウム・プラハの全天周映像は眩しいほどに明るく、そして画質が素晴らしく鮮明だった!
「こんなに明るくきれいに見えるHAYABUSAは初めてだ… 世界最高水準の高画質なんじゃないか!?凄いなプラネタリウム・プラハ!!」

日本中で、そしてドイツでも、今までに何十回と観た「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」の世界が、チェコの言葉で語られる。
僕はもちろん、チェコ語は全く分からない。
それでも、宇宙を旅する「はやぶさ」に優しく時に力強く語りかけるようなチェコ語のナレーションには胸が熱くなった。
「はやぶさ」の旅と、それを全力で応援した我らの想い。それを完璧に切り取って超高精細なCGで描き出した名作「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」…
僕らの想いが今、日本から遠く離れた中欧の古都で綴られる。チェコの人々に、伝えられていく…



「はやぶさ」が今、星の都プラハの街に降り立った…



エンディングテーマ「宙よ」が流れ終わった時、プラネタリウム・プラハのドームの下は一瞬の静寂と、啜り泣きに包まれた。
想いは、確かに伝わった。

上映終了後、隣に座っていた日本人家族の奥さんに挨拶して話しかけてみた。
「はやぶさ」のことは日本から伝え聞いてはいたが、プラハでは情報が殆ど無く詳しいことは知らなかった。でも、今日「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」を観たのでやっと「はやぶさ」についてよく知ることが出来たので良かった。それに作品も映像が美しくて素晴らしい内容だったので感動した、とのこと。
お母さんの手をしっかり握りながら小さな女の子が「最後に泣きそうになった。もう一度観たいな」と言うのを聞いて、なんだか僕の方が泣きそうになったよ…

これで、今回の旅の目的は果たした。
満ち足りた気分でプラネタリウム・プラハを後にする。

「あの子、もう一度、お父さんお母さんに連れられてプラネタリウムにHAYABUSAを観に行けたらいいな…
プラネタリウムで日本から来た旅行者に会ったことなんか忘れてしまってもいいから、小さい頃にプラハの街で小さな宇宙船が旅をした物語を観たことと、その物語に泣きそうになるほど感動したという想い出は、いつまでも忘れないでいて欲しい…」




夏至も近づく初夏のプラハの街は夕刻になってもまだ明るく、当分は陽の沈む気配もない。
さぁ僕も、旅の成功を祝って今からプラハの街に繰り出そう!
今夜は実は、カレル橋のたもとにある宮殿で開催されるロイヤル・チェコ・オーケストラのコンサートを予約してあるんだ。モーツァルトとスメタナの音楽で、HAYABUSAの余韻に浸ることにしようか…

…さて、僕がプラハでクラシック音楽を堪能している間、読者の皆様はプラネタリウム・プラハ館内の宇宙とプラネタリウムの博物館の展示をお楽しみ下さい。
そこには、日本の老舗プラネタリウムとの意外な結びつきを想わせるものとの出会いの秘話があったのです。


4:プラネタリウム・プラハはカールツァイスと宇宙の博物館に続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 2:Franeker 世界で最初のプラネタリウム“アイジンガー・プラネタリウム”

2015-05-24 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
Eise Eisinga Planetarium


1:アムステルダム コンセルトヘボウでエルサレム弦楽四重奏団を聴くからの続き

2015年5月1日

朝早く起きてホテルをチェックアウト。送迎バスにスキポール空港まで送ってもらい、コインロッカーに手荷物を放り込んでから、空港地下のオランダ鉄道スキポール駅を8時半発のLeeuwarden(レーワルデン)行きインターシティで出発する。



列車は北部オランダの平野を走って行く。
この辺りは一面、干拓地なので高低差のない真っ平らな大地が地平線まで続いている。
僕が普段暮らしている熊本県南部の八代平野も同じ干拓で作られた土地なので見慣れた風景のような気もするが、やはりオランダの干拓地は北海からの厳しい海風に晒されるのだろうか、温暖湿潤な熊本の干拓地では見られない荒涼とした原野の風景も広がる。



干拓地をゆく線路をダイヤ通りに快調に飛ばすインターシティは、スキポールから2時間半弱で終点のレーワルデン駅に到着。ここでローカル私鉄のディーゼル列車に乗り換えておよそ10分で、Franekerという小さな駅に着いた。







Franeker(フラネケル)はオランダ北部フリースラント州にある人口2万人ほどの小さな町だ。







フラネケルの町は運河に囲まれた島のようになっており、町外れの駅から歩くといくつもの運河に架かる橋を渡って行くことになる。
そしてまさに「まるでオランダ絵画のような」運河を中心とした美しい風景をそこかしこで見ることが出来る。







町中に建つ道標には「Planetarium」の文字が。
その道標に従って歩いて行くと…




フラネケルの市庁舎と小さな運河を挟んで向かい合い建つ、赤煉瓦の可愛らしい家の正面玄関に「PLANETARIUM」の看板が。
これが、人類史上初めて作られた世界で最初のプラネタリウム
「Eise Eisinga Planetarium(アイジンガー・プラネタリウム)」 だ。

アイジンガー・プラネタリウムが作られたのは18世紀後半の事。
1774年5月8日の明け方に太陽系の4つの惑星(水星、金星、火星、木星)と月が東の空の非常に近い位置に集まって見えるという天文現象があり、当時すでに正確な天文学の知識が確立されていたのでそれが「非常に珍しいが、単なる見かけ上の現象」ということは判っていたにも関わらず、新聞は「星が地球と衝突する」「世界の終わりだ」と無責任に騒ぎ立て、人々は根拠の無い不安と終末論に恐れ慄いたという。

このような事態に非常に心を痛めた男が、ここフラネケルの町にいた。
当時まだ30歳の若き羊毛加工業者として、親から受け継いだ工房を市庁舎前に構えるアイゼ・アイジンガー(Eise Eisinga) である。
腕利きの羊毛職人として国際コンクールでの優勝経験もあったというアイジンガーだが、実は彼には本業以外にも情熱を傾ける対象があった。アイジンガーは、家業の傍ら独学で高等数学をマスターしてその知識をもとに天体観測に励む熱烈な宇宙ファンであり、市井の数学者にして科学愛好家だったのである!

宇宙科学を愛する者として、正しい科学知識を無視して面白おかしく騒動を煽る新聞とそれにいともたやすく煽動される市民の姿を目の当たりにしたアイジンガーはある決意をする。
「人々に、正しい宇宙科学の知識を伝えなければならない。誰にでも分かりやすく、理解して貰わなくてはならない…!」

その時から、アイジンガーの地道な努力の日々が始まった。
彼は自らの持つ豊富な天文知識と数学を駆使して、自宅の小さなリビングの天井に大宇宙のしくみを描き出そうと考えたのだ。
計算を繰り返して割り出した当時世界最先端の宇宙科学、太陽系の惑星の運行を目に見える形で振り子時計のからくりで駆動させることを思いつき、天井裏を大改造して歯車を組み合わせた精密な機械を自作して設置し、最後には自ら絵具と筆を取りその大装置の表装を美しく彩色までした。

こうして、彼が孤独な闘いを続けること7年。1781年に遂に完成した「天井に広がる大宇宙」を、アイジンガーはこう名付けた。
「Planetarium(プラネタリウム)」
…これが、プラネタリウムが名実共に世界に出現した瞬間である。

アイジンガーはその後、プラネタリウムとなった自宅のリビングに町の人々を招き入れ、太陽を中心に地球と月、そして当時発見されていた5つの惑星(水星・金星・火星・木星・土星)の運行をリアルタイムで正確に表示する様子を見てもらった。
「見る」ことの力は大きい。それまで宇宙の正確な状態を頭のなかで描いて理解する事が出来ず、それにつけ込む無責任で悪質な新聞のデマにいとも簡単に踊らされていた町の人々も、目の前で理路整然と分かりやすく、そして美しく表示される太陽系の運行の様子にまさに目が覚めるような思いで「真実の科学」を知ったことだろう。

アイジンガーのプラネタリウムは評判を呼び、やがてオランダの名だたる天文学者たちもこれを見学に訪れるようになり、その精巧な出来の素晴らしさに感嘆した科学者たちの推薦でアイジンガーはフラネケルの大学に招かれ、とうとう本職の天文学者として教授に就任したという。
宇宙と科学を愛した男の真摯な情熱が人生において実を結び、彼は大いなる夢を叶えたのだ。



宇宙が好きでプラネタリウムが好きで、好きが高じてとうとうプラネタリウム全天周映像作品「HAYABUSA2 -RETURN TO THE UNIVERSE-」出演を果たしてしまった僕にとっても、アイジンガー・プラネタリウムは憧れの場所だった。
今日、ついに憧れの聖地に来ることが出来たのである。

アイジンガーの作り上げたプラネタリウムがある彼の自宅は、今ではそのまま博物館となっている。
玄関のドアを開けると小さなエントランスがあり、チケットを購入するとすぐに受付の女性職員からリビングに招き入れられた。憧れの聖地の憧れの部屋の天井と、いきなりのご対面である。



博物館の女性職員は親切に英語であれこれ一通り説明してくれたが、説明が終わった後も僕は部屋を出ることが出来なかった。
憧れの聖地アイジンガー・プラネタリウムを、じっくりと、とにかくじっくりと見たい!
女性職員にお礼を言ってから、「一人でもっと見たいんです」と告げ、暫し見入ることにした。



アイジンガー家のリビングの天井にある大宇宙。
天井には輝く太陽を中心に太陽系の軌道図が描かれ、そこから金色の球体の太陽と地球も糸に吊るされて提げられている。
太陽の周囲を、楕円の軌道を描いて地球と月と5つの惑星たちが巡り、そしてそれが淡い青で美しく装飾されている。

綺麗だ。アイジンガー・プラネタリウムはとにかく美しい。
宇宙の真理を描こうとした男の、心の奥底にある強い愛情を感じるような気がした。アイジンガーは、自分の愛する宇宙の真実の美しさをこのプラネタリウムで表したかったのかも知れないと、ふと思った。







天井の隅には星座表と各種のカレンダー類の計器盤が並ぶが、驚くべきことにこれらの計器類は作られてから200年以上が経過した今でも正確に動き、機能を維持している。
カレンダーに表示された「2015年5月1日」を示す年号と日付を針が正確に指しているのを見た時は、思わず背筋が寒くなった。
…アイジンガー・プラネタリウムはまるで製作者の魂と意志が乗り移っているかのように、今もなお宇宙の運行と共に生き続けている。





部屋に掲げられた、この家とプラネタリウムの主アイゼ・アイジンガーの肖像。
死後200年が過ぎ去った今もなお、自分のプラネタリウムを見るために世界中から訪れる人々を迎え、見守り続けている。



部屋の一画の壁際には、アイジンガー夫妻のベッドルームがあった。ベッドの脇にはプラネタリウムを操作する振り子の調整装置もあり、ここは今でいうところの「コンソール」的な機能を持っている。
…やっぱりアイジンガーは、人々に見せるよりも先ず自分がじっくりプラネタリウムを見たかったんだろうなぁ。
夜遅く、皆が寝静まった後にプラネタリウムを独り占めして調整装置を握り締め、少年のような満面の笑みで天井を見上げるベッドの中のアイジンガーさんの姿が目に浮かんで、思わず吹き出してしまった。

プラネタリウムを室内から堪能したら、今度はバックヤードに潜り込んでみよう。
急角度の階段を登って天井裏の部屋に行くと、そこにはアイジンガー・プラネタリウムを動かすメカニズムが詰まっている。











青く美しいプラネタリウムの天井裏には、得体の知れない異様な機械の世界があった。
狭く薄暗い天井裏の空間に犇めく無数の歯車と、辺りを支配するように一定のリズムを刻み続ける低く垂れ込めるような振り子の駆動音。
アイジンガー・プラネタリウムの「投影装置」は、機械式のギアと歯車で構成された巨大な振り子時計のシステムである。
この複雑怪奇な機械もまた、すべてアイジンガーが設計し自作したもの。彼が自ら一本一本打ち付けたのであろう歯車に並ぶ無数の釘が、200年以上も正確に動き続ける脅威のプラネタリウムを支えている。



博物館の一画には、プラネタリアンであるアイジンガーのもう一つの顔である本業の羊毛加工業を紹介するコーナーもあった。
アイジンガーさんはとにかく何事も徹底的にやらないと気が済まないタイプらしく、本業の方でも腕利きの職人であり、また目端の利く羊毛仲買人でもあったそうだ。



アイジンガー・プラネタリウムの2階からは、おそらく200年前から変わっていないであろうフラネケルの町かどの風景が見える。
きっとアイジンガーさんも日々の仕事で疲れた時に、ふと自宅の羊毛工房から町並みを眺める瞬間があった筈…



プラネタリウムとなっているアイジンガー家のリビングの隣にある客間から見る裏庭には、小さな池や生け垣があり思わず心が和む。
でもきっと、この家の主にはこの小さな庭の向こうに無限に広がる大宇宙とそこを運行する天体の美しい秩序が見えていたと思う。
そしてそれは彼が作り上げた天井の人工の宇宙とつながっていた筈だ。

アイジンガーは宇宙の一部を正確に切り取って人々に世界の真実を伝え、
そして彼自身の心はさらにその先に無限に広がる大宇宙へと自由に羽ばたいて行ったに違いない…


「あなた、プラネタリウムを随分長い時間見ていたわね。楽しめた?」
こう言って見送ってくれた受付の女性職員に大いに感動した事と長居した礼を言って、僕はアイジンガー・プラネタリウムを後にした。
ふと、あのプラネタリウムを作り上げた時のアイジンガーさんと今の自分とがほとんど同じ年齢であることに気がついた。
「僕は、アイジンガーさんみたいに生きれるかな?…いや、生きねば!」
柄にもなくそんなことを考えながら、オランダ北部の小さな町フラネケルに別れを告げる。

今夜中に、オランダを出て次の国に向かう。
次に向かうのはチェコの古都プラハ。そこにもまた、プラネタリウムが僕を待っている。

3:HAYABUSA - příběh sondy, která se vrátilaに続く


2015初夏 オランダ・チェコ紀行 1:アムステルダム コンセルトヘボウでエルサレム弦楽四重奏団を聴く

2015-05-10 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
Het Concertgebouw, Amsterdam


2015年4月30日

成田から12時間のフライトでシベリアを飛び越え、ユーラシア大陸を横断してオランダの首都アムステルダム郊外にあるスキポール空港に到着した。
出発前に中央ヨーロッパ夏時間に合わせておいた腕時計は午後3時過ぎを指しているが、日本ではもう夜10時過ぎだ。



KLMオランダ航空のジャンボジェット機内では食事の時間以外はひたすらずっと寝ていたので、やや時差ボケ気味ではあるが眠気は無い。
今日はこれから、到着早々アムステルダムの街に繰り出してコンサート鑑賞の予定なので、必死に睡眠を取って音楽鑑賞に備えて体力を蓄えておいたのだ。
空港近くのトランジットホテルにチェックインして荷物を部屋に置き、軽く寝癖の付いた髪をとかして背広を羽織ったら、さぁ出かけよう!

スキポール空港の真下にあるオランダ鉄道スキポール駅から快速列車に乗って、アムステルダム中央駅までは約10分。
東京駅丸の内駅舎に似ているとも、無関係の他人の空似とも言われる赤煉瓦のアムステルダム中央駅舎を通り抜け、トラム(路面電車)のチケット売り場で往復乗車券を買う。
「コンセルトヘボウに行きたい」と何度言っても通じず、面倒になって綴りのメモを見せると「おお、Concertgebouw(コンセートゲボー、と聞こえた…)か!」
親切に、降りる停留所の名前とトラムの路線番号を教えてくれた。






教えられた停留所でトラムを降り、通りを渡ると…
見えてきた。初夏の明るい夕陽に包まれてそびえる、一目でそれと分かる威風堂々たる音楽堂。
世界に名だたるクラシック音楽の殿堂、コンセルトヘボウ

僕がコンセルトヘボウの名を初めて耳にしたのは高校生の頃だ。
当時はクラシック音楽よりはロックやポップスを聴いていたのだが、ある時校内に日本各地を巡回公演している海外のオーケストラのコンサート告知チラシが貼り出された。
何気なくそれを眺めていると背後から、親しかった国語教師に話しかけられた。
「これは世界的に有名な素晴らしいオーケストラだよ。こんなコンサートが熊本で聴けるなんて、滅多に無い機会だ。」

それがコンセルトヘボウを本拠地とするロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の1990年代初め頃の日本公演ツアーだったのだが、チケット代が高校生には高価だったこともあって結局、熊本公演には行かずじまい。
でも、その独特の響きのオランダ語の名称と先生の言葉が何となく忘れられず、またその頃からクラシック音楽を好きになって聴き始めたこともあって、以来ずっと「ああ、やっぱり無理してでもチケットを買ってコンサートを聴きに行けば良かった」と思い続けて幾星霜…

ついに、僕はやって来た。高校生の頃から想い続けたコンセルトヘボウに。




コンセルトヘボウの正面玄関ファサードは、広々としたミュージアム広場に面している。
ミュージアム広場の周辺にはゴッホ美術館やアムステルダム市立近代美術館もあり、広場では子供連れのファミリーが散歩をしていたり、ゲイやヘテロのカップルが仲良さそうにデートをしていたり、かと思うとこの国では合法であるドラッグをキメていると思しきジャンキーが奇声を張り上げていたり…
ある意味、アムステルダムの街を象徴するような一画に、コンセルトヘボウはある。

まだ明るいが、午後8時の開演時間が近づいた。
建物脇にあるボックスオフィスで日本からネット予約しておいた今夜のコンサートのチケットを受け取り、さっそく音楽の殿堂に足を踏み入れよう。





憧れのコンセルトヘボウ…だが、今夜聴くのは実はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団ではない。
今夜のプログラムは、コンセルトヘボウの小ホールで開催される室内楽アンサンブル。演奏するのはエルサレム弦楽四重奏団。

…熊本公演を聴きそびれて以来想い続けている大ホールでのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏は、次回アムステルダムに来た時までとっておこう。
今夜は、コンセルトヘボウまで来ることが出来た喜びと、イスラエルから来た四重奏団の演奏に心ゆくまで酔いしれるとしよう。


僕の席は、一番安い価格帯のチケットを買ったせいでかホールの一番後ろ側のバルコニーの下で、しかも目の前には柱が(笑)
でも、ホール全体の雰囲気がよく分かるし、コンセルトヘボウらしい素晴らしい音響はどの席で聴いても変わらない。





今夜演奏されたのは、
モーツァルト 弦楽四重奏曲第14番
シュルホフ Fünf Stücke
スメタナ Eerste strijkkwartet in e 'Uit mijn leven'
ハイドン 弦楽四重奏曲第74番 ト短調『騎士』


アンコールとして
モーツァルト 弦楽四重奏曲第4番より第2楽章 アンダンテ

(※エルヴィン・シュルホフは20世紀前半に活躍したチェコのユダヤ人でダダイズムの音楽家であり、その後に作品がナチスによって退廃音楽と見なされ迫害を受け、さらに本人も1942年に強制収容所で亡くなるという波乱の人生を送った人。
この作品を持ってくるあたりがいかにもエルサレム弦楽四重奏団らしい?)



コンサートが終わり、現実に戻る。
だが、まだ旅は始まったばかり。コンセルトヘボウを出るとアムステルダムの夜の街の雑踏が広がるが、そのどこかしら猥雑な街のカオスもまた夢の続きの一部なのだという気がしてくる。

さぁ、夢を果たしたコンサートの余韻に思い切り浸りながら空港のホテルに帰ろう。そして、シャワーを浴びてさっさと寝てしまおう。
明日も、朝早くから出かけるぞ…!オランダの北の小さな町にある、世界最古の、人が初めて作り上げたプラネタリウムを見に行くんだ。

2:Franeker 世界で最初のプラネタリウム“アイジンガー・プラネタリウム”に続く




オランダとチェコから帰ってきました

2015-05-05 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ

皆さん、今年のゴールデンウィークはいかがでしたか?
天燈茶房亭主mitsuto1976も今日無事に旅から帰ってきました。

今回の行き先は、先日お伝えした通りオランダとチェコ。
好対照な二つのプラネタリウムを巡る旅を満喫してきました!

…今回も旅行記を書こうと思います。
でも、今夜はとりあえず充分な睡眠が必要。僕ももう若くはないので、旅から帰ると疲れと時差ボケが身体に堪えるようになってきました。
それに、世間では明日までゴールデンウィーク休暇という人が多いようですが、僕は明日から通常出勤。また次の旅の資金を稼ぐために頑張らないと!

とりあえず、今夜はチェコのプラハの街の中にある森の奥に佇むプラネタリウムの写真を、旅先からの絵葉書代わりに。
それでは、おやすみなさい。旅の話は、また明日以降じっくりと…