天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

観測ロケットS-310-38号機、上がらず。。。

2008-01-31 | 宇宙
(写真:内之浦宇宙空間観測所KSセンター、ランチャドーム内の観測ロケットランチャ)


1月31日に予定していたS-310-38号機のロケット実験は、観測条件が満たされなかったため、2月3日(日)に打上げを延期しました。
発射時刻は18時12分10秒を予定しています。
(2008年1月31日 [更新] ISASトピックス)

『高度150kmまでの三次元プラズマ分布の観測』を実施する予定だった観測ロケットS-310-38号機、残念ながら打ち上げ延期です。
午後6時過ぎに打ち上げ予定だったので、熊本県八代市からでも夕暮れ空にロケットの飛翔が見えるかも…と職場で残業しながら期待して待っていたけど、今日は雲が多かったし、結局のところ地元でのロケットの目視確認は無理だったかも。去年のオーロラロケットS-520-23号も雲に邪魔されたからなぁ。。。

2月3日は晴れてくれるだろうか…いっそのこと、高速道路をひとっ走りして内之浦まで見に行こうかな?

そういえば、超高速インターネット衛星「きずな(WINDS)」/H-IIAロケット14号機打ち上げまであと2週間か。
こちらは打ち上げ見学の為に種子島まで高速船で乗り込む予定なので、是非予定通り一発で打ち上がって欲しいところ。

まあこればっかりは運次第ですがね。
ロケットは生ものの超精密機械だし、天候のことは神様任せです。
だからこそ、ロケット打ち上げを見るのは面白いんだけどね。

H-IIAロケット14号機による超高速インターネット衛星「きずな」(WINDS)の打上げまで、あと15日!
きずな/H-IIA14号機特設サイト(JAXA)

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COUNTER from 07 NOV 2007

2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~5 ザグレブ そして旅の終り

2008-01-30 | 旅行
(写真:ベオグラード発ミュンヒェン行き国際列車の車窓、パンノニア平原の朝陽)

←2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~4 白い街の休日 からの続き
2008年1月4日

インターシティ210列車“SAVA”は夜明け前のベオグラード郊外をゆっくりと走っている。昨日、トラムの車窓から見えた貨車ヤードの脇をかすめ、高層住宅の連なる団地を抜け、白い街が段々と遠ざかっていく。
やがて雪野原の地平線から朝陽が昇り、列車はバルカンに横たわるパンノニア平原を駆ける。

今朝は6:20発のこの列車に乗るために未明から起き出し(ホテル・スラヴィアのウェークアップコールは御丁寧に10分おきに2回もかかってきた。二度寝しないか心配だったんだろうか)、朝食も摂れずに早朝チェックアウトした後は駅に直行したがキオスクもまだ開いておらず、しかしホームに鎮座ましましたミュンヒェン行き国際特急にはセルビア鉄道の食堂車が連結されており、荷車から食材が積み込まれているのを確認したのですっかり嬉しくなってしまった。
「よし、食堂車で朝飯食うぞ!」

ヨーロッパの鉄道旅行の楽しみの一つが、食堂車での食事である。日本ではほぼ全廃されてしまった食堂車が欧州では健在で、地域色豊かな沿線の名物料理も味わうことが出来る。筈なのだが…
去年乗ったルーマニアのインターシティの食堂車では何故か飲み物しか出なかったけど、セルビアの食堂車では確かシュニッツェル(ウィーン風カツレツ)が名物だったな。奮発して朝からカツレツとセルビアワインで豪勢にいくか!」
コンパートメントの同室の客は、スロベニアのリュブリャナまで行くという一家と一人旅のお婆さん。リュブリャナ行きの一家は仲良く川の字になって寝息を立てている。お婆さんに「ちょっと御飯食べてきます」と伝え、ワクワクしながら食堂車へ向かう。


食堂車は赤ビロード張りの椅子と真っ白なテーブルクロスの豪華なインテリア。
誰もいないが、厨房を覗くとウェイター氏がいて「いらっしゃい」というようなことを言う。でも、席に着いてもメニューも持ってこない。
「メニュー表ないの?」と聞くと、革張りの立派なものを差し出した。
「何かえらくゴージャスだな、セルビアの食堂車。」

さて、どんなメニューがあるかね…
「おお~!前菜から肉魚料理にデザートまで一通り揃ってる。その気になったらフルコースでも食べられるぞ!」
さすがに朝からフルコースはムリなので、しっかりメニューに載っていたシュニッツェルをオーダーしようとするとウェイター氏曰く「うん、すまない。料理は出せないんだ」ハァ?どういうこと?
「コックが乗ってないんだよ。」
。。。あの~、何で営業してる列車食堂にコックが乗っていない訳?朝から急に風邪でもひいて欠勤したとでもいうの?
よく分からんが、「サンドイッチ位なら僕が作ってあげるけど、いい?」とウェイター氏が言うので、止むを得ずチーズサンドをオーダー。
「何だよ、これでルーマニアに続き二回連続で食堂車でお預けを食らわされる羽目かよ!ついてないな…」


ウェイターのおっちゃんが作ってくれた手作りサンドイッチ。
こうなりゃ朝からやけ酒だ、ビール、ビールも頂戴!セルビア産の、ドメスティックビアね!


本当に「男の手料理」って感じで、チーズをぶった切ってパンに詰め込んだだけだなぁ…しかし、
「ん?意外といけるじゃないか。チーズが美味いんだな。よし、チーズとくればワインだ、おじさんヴィーノだヴィーノ、セルビアの白ワイン頂戴!」朝から飲み倒してやるぞ。

「旧ユーゴスラヴィアの三都、スコピエ、ベオグラード、そして今から向かうザグレブに乾杯ー!」


すっかりゴキゲンで出来上がってると、ウェイター氏が伝票片手に「そろそろ国境ですから、部屋に戻ってパスポートを用意して下さい。それから、お会計をヨロシク」
自分のコンパートメントに戻ると、相変わらず家族もお婆さんも気持ち良さそうに居眠り中。アルコールが入ったせいか、つられてこちらまで眠くなってしまい、ついウトウト。
お婆さんと家族連れのお母さんに肩を叩かれて目を覚ますと、クロアチア共和国の入国審査官が僕のパスポートを待っていた。


セルビアからクロアチアに入っても、別段風景が変わるわけでもなく相変わらず雪原のパンノニアが広がっているが、心なしか列車が快調に走るようになった気がする。
セルビア国内では何もない場所で急に速度を落としたり、鉄橋を徐行して渡ったりしていた列車が、クロアチア国境を越えた途端にヨーロッパの鉄道らしい唸るような勢いで平原を疾走し始めた。時速150キロ以上は出しているのではないだろうか。見事な走りっぷりである。
「クロアチアの鉄道はセルビアより整備が進んでいるのかな?」それに通過する街の雰囲気も小奇麗でこざっぱりしているような気がする。

ミュンヒェン行き国際特急SAVA号は、定刻よりやや遅れて午後1時半にクロアチア共和国の首都ザグレブの中央駅Glavni kolodvorに到着した。セルビア国内での遅れを猛烈な走りでかなり回復しての到着だった。
コンパートメントを出る時、同室の皆さんから「チャオ!」と別れの声をかけられた。
「もうイタリアが近いんだなぁ!ここは、バルカンの付け根なんだ」





手早く機関車を付け替えて発車していくSAVA号を見送り、駅舎の中に入って驚いた。
「うわぁ~、きれいな駅だなぁー!」何と言うか、清潔感があるのだ。

薄暗くて埃っぽい駅を見慣れた目に、光り輝く蛍光灯照明や電光表示機が眩しい。
「…何だか先進国って感じ!」


駅前の広場に出て、威風堂々としたザグレブ中央駅の駅舎を眺める。
この駅はかつて国際寝台列車華やかりし頃、この地を経由してベオグラードそしてイスタンブールへと向かうシンプロン・オリエントエクスプレスを迎えた栄光の過去を持つ。しかし、駅舎は塗り直したばかりのように綺麗でまるで新築のように見える。
「何か凄いなクロアチア。気合入れて街中を清潔にしてるって感じだ」
実際、駅前の通りを歩いてもゴミも落ちておらず、とにかく小ぎれいな街というのがザグレブの第一印象。行き交う人達も心なしか行儀がいいような。
街並みや公園は美しいが何となくゴミゴミした感じがするベオグラードとは対照的だ。

中央駅前のトミスラフ広場に設けられたスケートリンクで遊ぶ子供たちの歓声を聞きながら歩く。
清潔な街並み、人々の活気溢れる街路、そして元気な子供たち…ここがつい十数年前に悲惨な民族間での流血の末に独立を勝ち取った国であることを忘れてしまいそうになるザグレブの街並み。
それは、とても幸せなことなんだろう、きっと。

ザグレブ中心部に突如日の丸が翻る日本国大使館近くの、日本人オーナーさん経営のバックパッカー宿に今日は投宿。日本の人と日本語で会話するのは何日ぶりかな?やっぱり母国語っていいものだなぁ。それに…
「日本は島国だから、どの外国とも地上で国境線を接していないし、それに日本人同士が民族間で衝突することも現在では殆ど考えられない(と、僕は思う)。これって、物凄く恵まれてるってことじゃないかな」

宿のオーナー氏に明日はザグレブ空港発の早朝便に乗るので未明に出立することを伝えておき、空港行きリムジンバスの乗り場へのトラムでの行き方も詳しく聞いた。
一安心したところで、残された時間は余り無いが最後の訪問地ザグレブの街を観て歩こう。
宿の目の前の通りでトラムに飛び乗り、先ずは繁華街イリツァ通りへ。旧市街の丘を望むこの辺りにはお洒落な店が集まり、ショーウィンドウを覗いて歩いているだけで楽しい。クロアチアは実はネクタイやボールペン発祥の地だそうで、これらを扱う店もちゃんとある。
歩き方ガイドに拠るとこの通りから旧市街までの斜面を登る小さなケーブルカーがあり、旧市街の聖マルコ教会まで楽に行けるらしい。このケーブルカーは世界最短距離らしいので、面白いから是非乗ってみたい。しかしケーブルカーの駅を探すが見つからない。イリツァ通り周辺の坂道をうろうろして駅を探し回っているうちに、気がつくと屋根にモザイク模様の紋章が描かれた聖マルコ教会の前に出てしまった。


聖マルコ教会は残念ながら改修工事中で中に入ることは出来なかった。
教会周辺は狭い路地が縦横に走り、丘の上に建物が密集している様子は何となくルーマニアの城塞都市シギショアラを想わせる雰囲気。

すっかり日が暮れてしまい薄暗い旧市街の路地を歩いていると、突然思いがけないものと出会った。

「えっ!?ニコラ・テスラ?何で彼がこんなところに?」

テスラはクロアチア生まれのセルビア人だから、ザグレブに縁があってもおかしくないが…
「…しかし、ニコラ・テスラも多民族が入り混ざるバルカンの象徴のような出自を持つ人なんだな。」
そんなテスラ自身はその後、世界の人種の坩堝であるアメリカに渡り、以後アメリカ人ニューヨーク市民として生涯を送る事になる。そして今、テスラはセルビアとクロアチア双方から祖国の誇りとされている。それは「祖国の偉人の取り合い」に近い様相を呈しているとも聞く。
テスラは、そんな自分の没後の扱いをどう思うだろうか。


旧市街の一角にある、古びた薬局の隣にある石の門の中に設けられた小さな礼拝堂。
大火でも焼けなかったという伝説のある聖母マリアの肖像に、道行く人は往来に跪き祈りを捧げる。
路地裏にある、小さな祈りの空間。
しかしそこにある人々の想いの深さは壮大な聖サヴァ教会大聖堂の祈りの空間と何ら変わることはない。


旧市街を歩き回っているうちに、ようやくケーブルカーの山上駅を見つけた。
駅の看板には「Funicula」とあるが、これってフニクリ・フニクラのことだよね?
駅のすぐ下にはイリツァ通りが見える。本当に短い、エスカレーターの延長みたいなケーブルカーは、僕と孫を連れたお婆ちゃんが乗り込むと旧市街の丘の斜面をゴロゴロ降り始めて、小さな子供がはしゃぎ始める間もないうちに下の駅に着いてしまった。
「ホントに短いな、でも楽しい!ちょっとイスタンブールテュネルにも似てるな。」

♪行こう 行こう マルコ教会 フニクリ フニクラ ザグレブの フニクラ~♪

下りて来たイリツァ通りを歩いて、ザグレブ市街の中心である共和国広場までやって来るとそこにはドイツのクリスマス市のような屋台が並んでいたので、早速立ち喰いで暖まる。
スコピエではチャイの杯が廻されるイスラーム風のバザールだったが、ザグレブまで来てそれはソーセージとホットワインになった。
「ユーゴスラヴィアとは、つまりはそんな国家だったんだな」
「市場を見るとその国が解かる」が持論の僕が見つけた、それが今回の旅の答え。
いいよね、それで。


それなりの旅の答えを得て満足した僕は、共和国広場から歩いて宿に帰る。
途中立ち寄った小さなマーケットで今夜の水を調達。ついでに何かお土産を買っていくかと店内を物色していると、「ワインの種類が豊富だなぁ、それに安い!」よし、土産はワインで決まりだ。

ボトルを手に取り品定めをしていると、見事なあご髭を蓄えた老紳士から丁寧な英語で声をかけられた。
「君は日本人かな?ワインを探しておるのか?」
「はあ。。。ちょっと、手土産にと思いまして」
「うむ。それならば私がいいワインを選んであげよう…これにしなさい。私は、これ以上に美味しいクロアチアのワインを知らない」
老紳士の選んだ「Zilavka」という白ワインを手に、お礼を言う。
「どうもありがとう。貴方のクロアチア一番のワイン、日本に帰ったら飲んでみます」
「うむ。そうするがよい。幸運を!日本の旅人よ」
何だか随分芝居がかった会話だが、実際こんな感じだったのだ。

ワインを手に店を出て、石畳を歩いていると、セルビアで友達になった兵士の言葉が急に甦ってきた。…

…「クロアチアか…あんなとこ行くのは止めとけ!あいつらはセルビア人みたいにフレンドリーじゃないぜ」…

何とも言えない寂しさが襲ってきた。
「クロアチア人もセルビア人もマケドニア人も、みんなフレンドリーだよ。いい人はいい人だよ。でも、分かってる。それは僕が旅の異邦人だからなんだ。
…何故、遠くにいる人とは心と気持ちが通じ合うのに、隣人とはうまくいかないんだろう?」
そして、自問自答する僕には、それを無理に繋げようとしても悲劇が待っているだけだということもわかっている。ユーゴスラヴィア崩壊の歴史が、街路の闇に静かに横たわる。

でも、それを乗り越えようと模索し続けるのもまた人間なのだ。
「ニコラ・テスラは、交流電気の力で人々の心までも通じ合う究極のネットワーク社会を夢みたのかもしれないな。
それによって実現する共存社会こそが“世界システム”の真髄なのかもしれない。」

Skopje Station of Macedonia,2008 New Year's Day


 かつて、東欧バルカン半島にユーゴスラヴィアと呼ばれる国家があった。
それは「七つの国境」「六つの共和国」「五つの民族」「四つの言語」「三つの宗教」「二つの文字」を持つ「一つの連邦国家」。
異文化の多様性をひとつに包み込もうとして、それを果たせず消え去った国家。
その試みは失敗に終わったが、旧ユーゴスラヴィア連邦構成国を駆け足で北上して国際列車で駆け抜けただけの僕でも、こう思わずにいられない。

「何ていう大事業をやろうとしたんだろう!結果はともかく、それは…凄いことじゃないか!
そして…いつの日か、その理想がかなう日が来るかも知れない。そう願わずにいられないんだ。だって、ここバルカンは素晴らしいところじゃないか!」

(2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 終り)

←2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~1 スコピエ
←2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~2 コソボ、閉ざされた鉄路
←2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~3 ベオグラード
←2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~4 白い街の休日
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COUNTER from 07 NOV 2007

パブリックコメントに挑戦

2008-01-29 | 宇宙
写真:種子島宇宙センター大型ロケット発射場

文部科学省が「宇宙開発に関する長期的な計画」に対するパブリックコメントを募集しているそうです。

こういうこと、やってたんだ。知らなかった。
松浦晋也さんのL/Dやhayabusafanさんのはやぶさまとめニュースを巡回していなかったら気が付かなかっただろう。

松浦さんのL/Dにはパブリックコメントについての詳しい解説もある。
「はやぶさ2」を飛ばすため、そして何より「日本が宇宙で何をやっているか、何をやろうとしているか」について興味があり応援している一般市民は大勢居て、現にここにも一人いますよということをささやかながら主張させてもらいたく、僕もパブリックコメントに挑戦してみることにした。
30ページに及ぶ資料を読み解き、自分の考えを整理して自分の声をまとめるのは難儀だが、やりがいもある。何しろこのパブリックコメントは確実に文部科学省に届くのだ。

とはいえ、読むのも書くのも遅い僕はまだ資料を読み返している段階。
締め切りまであと2日…明日も勤め先で昼休みに資料熟読と意見記述の下書き頑張るぞ!
(いや、もちろんお仕事も頑張りますよwww)

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2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~4 白い街の休日

2008-01-24 | 旅行
(写真:ベオグラード市民の憩いの場、カレメグダン公園) GRAPHIC EFFECT by USACO

←2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~3 ベオグラード からの続き
あれこれ話していると寒さも忘れ、あっという間に終点のベオグラードに到着した。
ここでニシュ方面行きの列車に乗り換える兵士とはお別れ。
「15分だけいいだろう?お別れに乾杯しよう」という誘いを勿論快諾し、構内のカフェへ。ビールで乾杯を交わす。
「もう列車が出る時間だ。さようなら!日本の友よ」
「うん。ビールをありがとう!さようなら」
兵士はカフェを出て行った。僕も残りのビールを煽り、プラットホームに出ると、「何だ、ニシュ行きはまだ発車してないじゃん」相変わらずののんびりダイヤのセルビア鉄道である。

プラットホームを歩き車内を覗き込んで、さっき別れた兵士を探してみるとすぐに見つかり、デッキに出てきてくれた。
「また会ったね」
「ああ、…せっかくだから一緒に記念写真を撮ろう。ちょっとあなた、シャッター押してくれない?」
呼び止めた男性は快く引き受けてくれたが、何と彼はキプロスの政府職員だった。バルカン諸国の鉄道が1等車乗り放題のバルカンフレキシーパスを使って休暇旅行中とのこと。
「インターナショナルな3人が揃ってしまったな。」
兵士と一緒に、肩を組んで記念撮影。
「日本に帰ったら、写真をメールで送ってくれよな」
「請合うよ」
昔ならエアメールでプリントを送るところだろうが、インターネット社会では日本からセルビアにも瞬時に情報を送ることが出来る。有り難い話だ。

まだ列車が発車しないので、暫く3人で話す。シャッターを押してくれたキプロスの男性は、以前JICAの仕事に関わっていて、大阪で働いていたとの事。本当に人の縁とは不思議なものだ。

いよいよ、車掌がデッキに出てきて笛を吹いた。
「これでお別れだ。来年、またセルビアに来て、俺の家に泊まってくれ。息子と妻にも会って欲しい。約束だぞ!…もう時間だ。ここはセルビアだ、セルビア式の別れをしよう、友よ」
抱擁と接吻(ホントにする訳じゃなくて、口を鳴らすだけなのが正式なのだ)で兵士と別れる。
「ドヴィヂェーニャ!セルビアの友よ!」

現在、コソボ自治州の独立宣言は時間の問題となっている。セルビア共和国は独立を絶対に承認しない構えで、独立宣言後は経済封鎖等の制裁措置も辞さないとしている。但し、コソボとの武力衝突は有り得ないとセルビア政府は表明しているのが救いだが…
友達になったセルビア軍の戦士がコソボで戦う事がないことを、もう二度と聖地で血が流されることがないことを祈りながら、今から夜行列車でブダペストに向かうというキプロス人男性と別れ(彼の話だと、キプロスではバルカンフレキシーパスが僅か数千円相当で購入できるらしい。羨ましい、日本で買うと約3万円…)、雪の舞うベオグラードの街に出た。
「さて、今夜もホテルを探さないと…」

駅前の大通りを空爆通りを越えて10分ほど歩き、トラムがロータリーしているスラヴィア広場へ向かう。
今夜は広場を見下ろすように建つ高層ビルの「ホテル・スラヴィア」に飛び込んでみる。ここは目立つ建物なので、前回ベオグラードに来た時から気になっていたのだ。それにセルビアの航空会社JATの系列なので安心感がある。
薄暗いレセプションで「予約ナシ。部屋あります?」と聞くや否や目の前にカギが差し出された。早っ!
「え~っと、2連泊したいんだけど、大丈夫?」と聞くと「ノープロブレム!うちは最低2泊から受け付けてるんですよ、お客さん。なーんちゃってワハハ!」…何なんだこのノリの良さは。

陽気なオヤジギャグをお見舞いしてくれたフロント氏にパスポートを預け(セルビアでは外国人旅行者はパスポートを警察署に登録する義務があるそうで、通常はホテルが代行している。でも昨日のアストリアではそんなことやってなかったな)、部屋に入ると、無愛想でだだっ広い箱のような空間にポツンとベッドが置かれ、あとは机と電話があるだけ。テレビもありません。
「おお~!1980年代から改装もせずにそのままですって感じだな。社会主義ユーゴスラヴィア時代の雰囲気だ!!」いや、社会主義ユーゴが実際どんな感じだったのかよく知らないけど、何となくそんな気がしてね。


それでも浴室には立派なバスタブがあった。たっぷり張ったお湯に肩まで浸かるのは何日ぶりだろう?疲れが取れるなぁ。。。やっぱり風呂はいいなぁ。。。

湯上りに部屋のカーテンを開けると、隣のビルの屋根の上にライトアップされたドームが見える。明日はあの「聖サヴァ教会」を見に行こう。

2008年1月3日

「寒い…」
明け方、寒くて目が覚めた。
やたらと広い部屋なのに(シングルルームなのに8畳位ある。その割にベッドは小さいが…)、暖房器具が窓の下の小さなスチームだけなので底冷えがする。
ガタガタ震えながらクローゼットの中から予備毛布を引っ張り出して被り、縮こまって寒さに耐える。
「…こんなホテル初めてだ。社会主義時代の東欧ってみんなこうだったのかな。。。」
結局よく眠れず、縮こまり疲れて朝を迎えた。
こんな時はしっかり朝御飯を食べるに限る。レストランに行くと、一応食べ放題のビュッフェなのだが「魚のオイル漬け」とか「ネギのピクルス?」とか微妙なメニューばかりで、それにパンはよく焼けてなくて中がベトベトする。
それでもしっかり食べたので、なんだか胸焼けがする。

ともあれ、腹ごしらえは済んだ。今日は特にやることがないので、1日ベオグラードをブラブラ見て歩くことにしよう。列車で移動してばかりの旅にも、たまにはこんな休日があってもいい。


先ずは昨夜、「ホテル・スラヴィア」の窓から見えた大ドームへ。
ホテルの前の通りをスラヴィア広場と反対の方向へ5分ほど歩いたところにある大寺院、聖サヴァ教会。


正教会の寺院としては世界最大の規模を誇り、セルビア正教の総本山として建設された聖サヴァ教会は、幾多の戦乱で建設工事の中断を余儀なくされ、今なお完成の目処は立っていない。外観は概ね出来上がっているが、よく見ると細部はコンクリートの地肌が剥き出しのままである。
内部もがらんどうで祭壇も急ごしらえのものしかなく、それでもクレーンや足場が設置され装飾作業が地道み進められているが、この聖堂内部が華麗なイコンで埋め尽くされるまでにはあと数十年、いや数百年はかかるのではないだろうか?

それでも、未完の聖サヴァ教会には朝から信心深いベオグラードの善男善女が集まり、思い思いに何もない祭壇に向かい祈りを捧げる。
ステンドグラスもまだない大ドームの窓からは自然光が差し込み、コンクリート打ちっぱなしの天井に反射してあたかも洞窟の中にいるような気分になる。工事用足場に架けられたタペストリーのキリスト像が光に浮かび上がり、これはこれで独特の崇高な感覚が空っぽの大聖堂を包み込んでいた。
「ここで祈る人がいる限り、聖サヴァ教会の建設は続くだろう。それに、セルビア正教の神の子たちにはこの大聖堂が完成していようがいまいが、豪奢な装飾が無かろうが関係ないような気がするな。きっと、彼らにとってここは自分の神に祈り、神とつながる場所でしかなく、それで充分なのであって、だから今でも彼らの心の中ではここは既に煌く大伽藍なんだ、きっと」

大聖堂の隅にぽつんとあった売店でろうそくを買い、寄進させてもらう。
ついでに、お土産で売られていたイコンの複製画を買う。「これ頂戴」とケースの中のイコンを指すと、隣でろうそくを買っていた若いカップルが「それ、ミカエルだよ」と教えてくれる。
「ミカエル…え~っと、確か四枚羽根のある天使長だっけ?」いや、漫画で得た知識ですけどね。


大聖堂から出ると、丁度10時の鐘が打ち鳴らされ始めた。
白亜のドームが朝日に浮かび上がる。
「この教会は、多分僕の生きているうちには完成しないだろうけど、正教徒と共に歩み続けるこのドームにはまた会いに来たいな。」


聖サヴァ教会からスラヴィア広場へ戻り、そのまま10分ほど歩くとテラジエ広場。ここがベオグラードの中心部で、周辺はブランドショップやレストランが並び賑やか。
でも、デパートとおぼしきビルに入ってみるとエスカレーターは止まっていて店舗のテナントも1つ2つしか営業していない。
寂しいデパートと対照的に、何故かやたらと目立つのが、両替店。ほぼ50メートルおき位の間隔で両替店が並ぶのは何とも不思議な光景。これってやっぱりセルビアの通貨経済がマケドニア同様に外貨のユーロや米ドルとの共存状態にあるからなんだろうか?高価な買い物は外貨でないと出来ないとかあるのかな?
まあ、外国人旅行者にとっては両替店が多いのは便利なので大いに結構だが、気になる。それにしても、最近ユーロが高騰してるせいかセルビアディナールも連動して上がってるねぇ日本円のレートが随分安くなってるじゃないか、こちらも大いに気になるし気掛かりだぞ。

テラジエからお洒落な歩行者天国クネズ・ミハイロ通りを進むと、ベオグラード市民の憩いの場、カレメグダン公園に行き着く。

昨夜の雪で真っ白に覆われたカレメグダン公園。
美しい眺めだが、公園内は坂道や階段も結構多いので歩くのが大変。。。

カレメグダン公園の下を流れるサヴァ河とドナウ河の合流。
「1年ぶりに見た…ここに帰って来れたな!」

ドナウとサヴァの流れが出会うこの地に街が出来、人が住み始めて以来、幾多の戦乱の舞台となり夥しい血が流された場所でもあるカレメグダン。現在は美しい公園となっているこの小高い丘も、元は紀元前より城塞だった。
ベオグラードの歴史はカレメグダンと共にあり、そしてそれは戦乱に血塗られたものなのである。この街が最後に戦火に包まれたのは、NATO軍による空爆を受けた1999年…




白い時計塔を望むスタンボル門。
この門の周囲を巡る空堀の中には、戦車や武器類がずらりと並び、雪を被っている。
戦車の間を縫うように空堀の中を進んでいくと軍事博物館がある。軍事拠点カレメグダンを象徴するような博物館だ。


軍事博物館は有史以前から第2次世界大戦まで、バルカン半島の戦争の歴史の紹介解説と夥しい資料を収蔵展示している。
時系列でバルカンの戦史の説明を見ていると、改めてこの地が入り乱れた民族による気の遠くなるような戦乱に次ぐ戦乱の歴史の上に成り立っていることが分かり、絶望感すら抱いてしまう。


しかし今、雪の降り積もったベオグラードの街は凄惨な過去を雪白で全て覆い隠したようにただ静かで美しい。
「ベオグラード」とは、「白い街」の意。かつて、この街にまさに攻め入ろうとしていたオスマンの将軍が白い朝霧に包まれた街のあまりの美しさに戦意喪失したのが由来という伝説がある。
雪のベオグラード、その名の通り白く美しい街。この平和が、今度こそ永遠に続くよう、そして昨日友達になったセルビア人の兵士の今後の任務での無事を、祈らずには居られない。


カレメグダン公園を出て、再び市街地にやって来た。
共和国広場前に建つ堂々とした国立博物館。ここにはルノワールやピカソ、ゴッホの作品も収蔵されているらしいのだが、残念ながら改装工事で閉館中。




冬の陽がドナウの彼方パンノニア平原に沈み、白い街を赤く染める。
束の間のベオグラードの休日が終わろうとしている。

「そろそろ帰ろうか…」


ホテル・スラヴィアに戻る道すがら、駅に寄ってみるとマケドニアのスコピエ駅で見かけた近郊電車とよく似た車輌が停車していた。
塗装色は違うが、同じメーカーのプレートが取り付けられていたので、同形式だろう。
「どこまで行くのかな。こんな電車にフラッと乗り込んで、気ままに見知らぬ町に行ってみたいよ」
また「乗り鉄」の虫が疼いてきてしまったなぁ。


という訳で駅前からトラムに乗り込んで、終点まで行ってみることにしました。
ベオグラードのトラムの系統は結構複雑で、どこに行くのか見当もつかないが、まあベオグラード市内からそんなに遠くまでは行かないだろうし、終点に着いたら折り返しで帰って来られるので、気楽に行き先不明の小さな旅が楽しめる。


トラムは明々と街灯の燈った住宅地をガタゴト走り、途中で鉄道の操車場をオーバークロスしたり、日の丸とセルビア国旗の描かれた日本からの無償援助の黄色い市バス(遠くてよく読めなかったが日本語とセルビア語で「日本からセルビアの友人へ…」とか書かれていた。こういうのを見るとこちらまで嬉しくなるよ)と競争したりしながら次第に郊外に出て行き、やがてアパートの並ぶ団地のど真ん中でループ線に入り止った。ここが終点だ。
ベオグラードのトラムの車輌は一方通行式で、終点で丸い輪を描いた線路を一周して方向転換するユニークなシステムになっている。ぐるっと輪になった線路にトラムの電車が数珠つなぎになっているのは何とも楽しい光景。
「しかし、日が落ちると寒い!いきなり気温が氷点下に下がるな。写真撮ってると手が冷気に触れて痛いぞ!」
帰りのきっぷを買おうと、線路際の小屋の窓を開けて「トラムバイ、カルテ頂戴」と手を差し込むと「違う違う!あっちのキオスクで買ってくれ!」どうやらループ線のポイント切り替え室だったらしい。失礼しました。

折り返しのトラムをベオグラード駅前で降りて、適当に乗り換えながら市内をグルグル回っているうちにスラヴィア広場の前まで来たので下車。トラムのきっぷは引き返さない限り乗り換え自由なのでこういう遊びが出来て楽しい。
スラヴィア広場のマクドナルドで世界共通の味のビッグマックを頬張りながら、日本で留守番中のUSACOに電話してみる。
「…うん、今ベオグラード、何とか無事。昨日からホテル・スラヴィアに泊まってる。部屋は殺風景だし寒いし朝メシは死ぬほどマズイし、たまらんホテルだよ。スタッフは感じいいけどね」
「ねえ、殺風景で朝食がマズイって、そこきっと米原万里さんが本に書いてたホテルよ!旧共産主義時代の外国人専用ホテルで、部屋が箱に閉じ込められたみたいで食事がまずくてスゴイって、前に読んだことがある」
「ああ、きっとそこだ!間違いないよ。」
「米原さん、最初は外資系のホテルに泊まったけど快適すぎてつまらないから、わざと社会主義時代のユーゴスラヴィアらしいホテルに移ったんだって」
「…成程、ユーゴらしいホテルねえ。。。僕は出来れば堕落した西側資本主義経済圏らしい快適な外資系ホテルに移りたい気分だけどな。今夜も寒さに耐えながら震えて寝るんだぜ。明日は朝の国際列車でクロアチアのザグレブに出発するから、寒い部屋で夜明け前に起きないといけないし」

とか言いながら、実はホテル・スラヴィアのいい加減さが妙に気に入ったりしてるんだけどね。でもさすがに部屋が寒いのだけは勘弁して欲しいけど。


明日はベオグラードを離れる。
凍てついた夜の街並みを、凍えながらそれでも名残惜しく歩いた。

さようなら、僕の大好きな美しい白い街。

→2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~5 ザグレブ そして旅の終り に続きます
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雨の日曜日 ブルートレインとナスカ展とお茶会始め

2008-01-20 | 博物館・美術館に行く
(写真:雨の朝、熊本駅に到着した寝台特急なは)

ここ数日、何だか冬らしい底冷えの日々が続いていますが、今日は朝から冷たい雨の降る陰鬱な日曜日。
でも出かけていろいろしてきました。

先ずは、まだ夜明け前に起き出して鹿児島本線の普通列車に乗り熊本駅へ。
3月のダイヤ改正での廃止が正式決定している寝台特急「なは」を出迎える。


廃止が決まっているせいか、もう車輌設備を手入れする気力は残ってないみたいで寝台車の青い車体は腐食が進みボロボロ。
機関車に取り付けられたヘッドマークも文字が欠け落ちているし、冬の冷たい雨に打たれた「なは」は痛々しかった。

なくなるまでに、もう一度乗りたいんだけど…

車庫に引き上げる「なは」を見送ってから、隣の上熊本に移動。


熊本電鉄の「青ガエル」を見送る。今日は雨に濡れてるから「雨がえる」か。



上熊本駅から少し歩いて、熊本県立美術館本館へ。


現在開催中の「世界遺産 ナスカ展-地上絵の創造者たち-」を観に来た。
美術館のエントランスにも地上絵が見えますね。

ナスカと言うと地上絵が余りにも有名だが、彩色土器もすごい。ダイナミックに神々の描かれた土器の力強さはポップアートさながら。
しかし、一番の見所はやはり今回の展覧会の為に封印を解かれた子供のミイラかな。保存状態が極めて良く、眼球の瞳まで確認出来る少年のミイラ。
図らずも眠りから呼び戻された千年の眼差しが、ひたすら哀しく思えた。

CGでのバーチャル体感ナスカ遊覧飛行を見てたら、ナスカに行きたくなったよ。
行っちゃおうかな?しかし、原油価格高騰の昨今、ペルーまでの航空券代はサーチャージ込みだと幾らになることやら。。。




その後、熊本城周遊バスで熊本市現代美術館に移動して、「日比野克彦 HIGO BY HIBINO」を見る。日比野さんは段ボールアートが原点だったんですね。
なかなか楽しい作品揃いで満足。

夕方、茶道の先生に誘われていたお茶会始めに参加して、今日の日程は終了。
寒い一日でした。
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2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~3 ベオグラード

2008-01-20 | 旅行
(写真:セルビア共和国の首都ベオグラード、冬の朝)

←2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~2 コソボ、閉ざされた鉄路 からの続き
日が暮れてから着いた街で飛び込みでホテルを探すのは、かなりしんどい。
増してや雪も段々激しくなる、足取りも重く、一刻も早く暖かいシャワーと清潔なベッドにありつきたくなる。という訳で、手っ取り早くベオグラード駅前ロータリーの正面に見えるその名も「ホテル・ベオグラード」に飛び込んでみるが、「満室です」あ~あ、ツライなぁ。。。
しかし孤独な一人旅では落ち込んでいても誰も助けてくれない。次いくぞ次!
やはり駅前のロータリー沿いにある「ホテル・アストリア」に入って
「ドブロヴェーチェ…イブニング…I don't have reservation.Do you have a room…tonghit?」
「OK! One night?」
ああ~良かった!2軒目にして今夜の風呂とベッドを確保出来たぜ~!

あてがわれた部屋はこのホテルでは上級ランクにあたるらしいプライベートバスとトイレが付いているタイプだったが、まあ日本のビジネスホテルを思いっきりくたびれさせたようなシングルルーム。前回のベオグラードの宿泊先は空港までお出迎えつきのハイアット・リージェンシーだったから大したランクダウンだが、それでもこっちの方が気を遣わなくていいし気楽で僕に向いてるね。

部屋で一息ついてから、水と夕食を調達するついでに周辺を散歩。



ベオグラード駅周辺は、煌々とライトアップされたビルが並び華やかで威厳のある都市の夜景が広がる。流石、元ユーゴスラヴィア連邦の首都。
但し、これらのビルと通りを1本隔てただけのクネズ・ミロシュ通りには無残に瓦礫の山と化した廃墟が暗闇に不気味に佇む。
クネズ・ミロシュ、またの名を「空爆通り」…1999年のNATO軍によるベオグラード空爆の傷跡は、今なお暗闇から我々に何かを訴え続ける。

ホテル近くの大通りのキオスクでミネラルウォーターや地元産ビールを調達してから、ベオグラード駅へと戻る。明日はまた列車に乗り、アドリア海に面したモンテネグロの港町バールへ行こうかと思うので、チケットを調達しておく為だ。ベオグラードとバールを結ぶ路線は風光明媚な山岳路線として、鉄道旅行者の間ではちょっと有名である。
コンコースに掲げられた黄色い発車時刻案内ポスターで1日1便しかない昼行のバール行き列車の時刻を確認し、行き先別に別れている発券窓口(旧ユーゴスラヴィア最後の連邦を組んでいたセルビア・モンテネグロの分離独立から1年以上経つのに、モンテネグロ方面行きはいまだに国内路線扱いのままだ)に並んで「明日の、バール行き。2等を1枚」と御馴染みの指差し会話長片手に伝えると、何やらWindows XPの端末にカタカタ入力していたが、「明日のバール行き、満席だよ」何ー!?
マケドニアからの国際鈍行はあんなに空いていた(というか僕しか乗っていなかった)のに、モンテネグロ行きは満席かよ…どうなってるんだセルビア鉄道。

しかし、バールに行けないとなると明日以降の計画が大幅変更を余儀なくされるなぁ~、本来は明日からバールまで2日かけて往復し、それから最後の訪問地であるクロアチアの首都ザグレブに行こうと思っていたんだが…
まあ行けないものは仕方がない。取り急ぎ、明日からの替わりの計画を立てなければ。
ベオグラード駅の薄暗いコンコースの柱に貼られた出発時刻表と、トーマスクック時刻表を見比べながら明日の行き先を吟味する。
バール方面行きの路線には、全区間を直通する列車以外にも数本の区間運転のローカル列車が走っているのが分かる。ローカル列車は座席指定ではなく、全車自由席らしいのでこれなら明日の列車でも飛び込みで乗れる。とりあえず明日は適当なローカル列車に乗って適当な駅まで行って適当に帰って来よう。
何だか、使い残した青春18きっぷを期限内に消化するために用もないのに列車に乗る時のような堪らん脱力感を感じるこういうスタイルの旅、実は結構好きだ。。。

という訳で、再び国内路線窓口に並び、11:40発の2103列車の2等切符を入手。行き先はPozegaという駅。トーマスクック時刻表に拠ると、ここで1時間半程度の接続でバール方面から来るベオグラード行き432列車に乗り換えて帰って来ることが出来るようだ(所謂「返し」と呼ばれる乗車テクニックだ。列車に乗って、その日のうちに出発地に帰って来るという、青春18きっぷ等を使い列車に乗ることだけに主眼を置いた常識では考えられない技なのだ。学生時代、北海道や信州で何度となく実践したテクニックが、まさか今こうしてセルビアの地で役に立つとは…)。

さて、明日の予定も決まった。ホテルに帰って一風呂浴びてビールでも飲もう、と駅を出ると「雪が本降りになってきたなぁ…明日、列車が雪で止まらないといいけど」一抹の不安を感じながら、降り積もりぬかるんだ雪に足を取られないように難儀して駅前のロータリーを渡っていると、雪解けの水溜りにモロに足を突っ込んだ。靴の中がびしょ濡れで実に気持ちが悪い。
ホテルに戻ってシャワーを浴びると、ホッとして気が緩んだのか今日の長時間の列車の旅の疲れが出たのか、熱っぽくてフラフラする。良くない傾向だ。こういう時はさっさと寝てしまって風邪と厄を撥ね返すに限る。
濡れた靴をスチームの上に並べてから、ビールを流し込んでそのままベッドに横になると、隣の部屋の会話や廊下の足音が筒抜けで聞こえてくることに気が付いたが、気にせずそのまま就寝。

2008年1月2日

昨夜早寝をしたおかげで、朝にはすっかりいい気分で目覚めることが出来た。
水溜りに突っ込んだ靴もすっかり乾いている。スチームで暖まった靴を履いて、地階のレストランに朝食を食べに行くと、「あれ?何か東洋人のお客が多いな」昨夜は気がつかなかったが、ホテルアストリアには日本人も多数宿泊していたようだ。「地球の歩き方」を手にした家族連れや、バックパッカー風の学生グループを見かけた。アジア人を全く見かけなかったスコピエとはやはり様相が異なる。
このホテルの朝食はビュッフェではなく一々注文を取りに来るスタイルで、ちょっと優雅な気分。まあ出てくるのはコーヒーかチャイと卵料理だけで、スクランブルにするかサニーサイドアップで焼くか聞かれるだけなんだけど。


しっかり朝食を食べて、朝シャンなどもして、ゆっくり身支度を整えてからチェックアウト。
今日乗る列車は昼前発だし、駅は目と鼻の先なのでのんびりダラダラできる。
駅は昨晩降り積もった雪に覆われていたが、列車の運行に大きな支障は出ていないようだ。到着列車は軒並み1時間程度延着しているが、そんなのよくあること。4時間遅れに比べたらマシだ、気にしない。


さて、11時半を回り発車時刻表示版にも11:40発2103列車の出発案内は出ているのだが、肝心の発着番線がまだ決まっていないらしく乗り場案内が空白になっている。
乗客は皆、手持ち無沙汰にプラットホームの端に並んで待っているが、いつまで経っても乗り場案内のアナウンスがない。そのうち、11時40分を過ぎてしまい、発車時刻表示版には10分遅れと表示が出た。雪の積もったホームで待つこと暫し、やがて遅れは20分になり30分になり、いつまで待っても列車に乗れそうにない。
遅れには慣れているであろう地元の乗客の皆さんも、寒さが堪えるのか駅構内の待合所やカフェに避難し始めた。でも、ベオグラード駅構内の放送案内は難解なセルビア語のみなので、構内アナウンスをあてに出来ない外国人の僕はじっとプラットホームで凍えながら発車時刻表示版を睨んで待機するしかない。
「さすがに雪の上に立ってると寒い…いつになったら乗り場が分かるんだ?発車が遅れてもいいから、暖房の効いた車内で待たせてくれよー。。。」
すっかり身体が冷え切り、こりゃまた風邪引きそうだなとすっかり情けない気分になった頃、ようやく2103列車の乗車案内があり、一斉に列車目指し駆け出す乗客の群れを追いかけて、端っこのホームにポツンと停車していた2輌編成のローカル列車に乗り込む。

たった2輌の列車はたちまち超満員。
何とか窓側の席を確保できたが、立ち客で混み合う車内に大荷物を引き込むことが出来ず、トランクはデッキ脇の荷物棚に放置してきてしまった。チェーンロックで括り付ける余裕もなかったので、ちょっと心配。まあ貴重品は入ってないし、万一盗まれてもどうにかなる代物なのだが…

乗り込んだ車内は、ヨーロッパでは珍しい開放式(オープンサロン)。日本のL特急などと同じスタイルだが、コンパートメント(個室)式に比べると風情がない。まあ超満員なので風情も何もあったものではないのだが。
この列車はBijelo Poljeというモンテネグロの国境の街まで行くらしいので、一応国際列車だ。
僕の降りるPozegaはコソボ方面へと続く支線の分岐駅らしいのだが、急遽決めた目的地なので予備知識は全く無く、どんなところなのか見当もつかない。
分岐駅という事はそれなりの街だろうし、もし駅前に良さそうなホテルがあれば今日はそこで泊まってもいいかな…等と考えているうちに、超満員のローカル国際列車は約1時間遅れでベオグラードを発車。

車窓はとにかく一面の銀世界。
列車はモンテネグロ国境の山岳地帯を目指し、山を登っていく。

時々、小さな集落に立ち寄っていくが、辺りに人の気配がなく乗客の乗り降りも殆どない。ということはつまり、車内はずっと超満員のままである。


車内は人いきれで息苦しい位だが、雪山の車窓はそれを忘れるほど美しい。窓側に座れて良かった。
つくづく、セルビアは山国なんだなぁと感心する。隣国モンテネグロもまた、自国を「ツルナ・ゴーラ」黒い山と称する山岳国家である。

雪化粧した黒い山に冬の陽が沈む。山に囲まれた旧ユーゴスラヴィア連邦の首都ベオグラードとアドリア海を結びつける大動脈として、難工事の末に開通したのがこの「バール鉄道」なのだ。
冬は深い雪に閉ざされるセルビアの人々の海への渇望が滲むこの路線の行く手には、今は新しい国境線が横たわる。ユーゴ最後の連邦構成国モンテネグロと袂を分かち、内陸国となったセルビア。
それでも、列車は変わることなく今日も黒い山を越えて走り続ける。


車窓の雪はどんどん深くなり、列車は山路に分け入っていく。
峠の途中で停まった小さな駅には、プラットホームも駅舎もなく物置のような雪避けしかなかった。
「北海道のローカル線みたいだな。」

列車は始発駅発車の時点で既に1時間遅れていたが、途中の雪の峠道で遅れは更に拡大し、今は大体2時間位遅れているだろうか?定刻なら目指すPozegaには14:47到着なのだが、もう4時を回って辺りはすっかり暗くなった。
時々停車する駅の駅名とトーマスクック時刻表に掲載されているダイヤを見比べているのだが、トーマスクックの時刻も実際のダイヤと微妙に違うし、それにセルビアの駅はラテン文字ではなくキリル文字のみの駅名表記が多いので、混乱してしまい列車が今どこを走っているのかよく分からなくなる。
仕方なく、駅に着くたびに隣の席に座っていた女性客に「Pozega?」と聞いて確認してもらう。そのうち、隣の女性が「Pozega!」と教えてくれたので、礼を言って席を立つ。人を掻き分け、デッキで無事にトランクを回収しているうちに列車は減速し、雪の中の駅に停車した。

ここがPozega駅。


Pozegaでは割と多くの乗客の乗降があった模様。やはり乗換駅だけのことはある。
列車が行ってしまってから初めて、プラットホームもない地面に直接降りたことに気がついた。

さて、ここはどんな街なんだろう?
居心地の良さ気なホテルはあるかな…立派な建物の駅舎を通り抜け、駅前に立つと…

ホテルも店も、何にもなかった。
「…ベオグラードに帰るか」

定刻なら、ベオグラード行きの列車が16:28に来る筈なのだが、どうせ雪の山越えでベオグラード方面行きのダイヤも混乱してるだろうから、適当に来た列車に飛び乗ってしまうことにする。往復切符で買ってるから、帰りの分の2等チケットも持ってるし問題ない。
「それに、どうせ帰りはベオグラードまで立ちっ放しだろうからな…」


やがて構内に列車が入線して来た。しかし、これはどう見ても分岐する支線のレールバス。トーマスクックによると、Kraljevoという駅まで行くらしい。
地元の人達が乗り込む暖かそうなレールバスの車内を見ていると、ついフラフラと乗り込んでしまいそうになるが、ホテルも何もない町で放り出される危険があるので我慢。とは言え、やっぱり乗りたい!
「地元密着のローカル線の魅力は抗い難い…今度雪のない時期に、野宿覚悟で絶対バルカン半島ローカル線乗り歩きの旅をするぞ!」と心に誓い、名残りのデジカメのシャッターを押す。

反対側のホームにレールバスが接続待ちをしていたらしいベオグラード行きの列車が入ってきた。早速乗り込むが、予想通り車内は満員。
コンパートメント車の隙間風の吹きぬける通路に突っ立って、暖かくて快適そうな室内で談笑したり居眠りしたりしてくつろいでいる人たちの様子を眺めていると、「あ~僕はバルカン半島まで来て何やってるんだろう…」と情けない気分になったりするが、自分が好き勝手にやってる旅なので誰に文句を言う筋ではない。

通路の車窓からすっかり暗くなったさっき見た風景を逆回しで見ていると、隣の車輌から迷彩服の一団が車内に闖入してきた。バール鉄道は一部区間でボスニア・ヘルツェゴビナとの国境を「越境」しているらしいし(旧ユーゴスラヴィア時代は連邦内の共和国間の国境は無視して線路を敷設できた名残りだろう)、一瞬、国境地帯で何事か起こったかと思ったがそんなことはなく、単に列車に乗り合わせただけのセルビア軍の兵士達らしい。列車に同乗して移動行動中か、或いは休暇で娑婆に帰るのか。
彼らも満員の車内で居場所が無いらしく、僕の隣に立って所在なさ気にしている。
そのうち、仲間内で「おい、東洋人がいるぞ」というような目でこちらをチラチラ見始めた。とうとう、好奇心を押さえきれなくなったのか、陽気そうな顔の兵士がカタコト英語で話しかけてきた。
「キーナ(中国人)か?」
「違う。ヤパンスキー(日本人)だ」
「そうか日本人か!こんなところにいる日本人は珍しいな。何しに来たんだい?」
…この手の質問にはいつも難儀するんだよな。。。「何も用はないけど、鉄道が好きなんで列車に乗りに来た」なんて言ったらあからさまに変人扱いされるからな…でも、僕の拙い英語力で上手く言い逃れる自信はない。下手すると、完全に不審外国人扱いされて面倒なことになるかも知れんし…何しろ相手は本職の兵隊さんだからな、洒落にならん。
という訳で腹を決めて「I like Torain. I like Railroad journey.…I'm,TrainLover!」
…言ってしもうた。。。案の定、兵士はポカーンとして聞いていたが、次には
「TrainLover?あんた、変わった奴だな!」と大笑いされた。
「列車が恋人なのかい?日本人は列車が遅れると凄く怒るとは聞いてたが…面白い奴だ!俺達は今から休暇でNis(ニシュ:セルビア第3の都市)に帰るんだ。これが俺の長男の写真だ、可愛いだろ?」と携帯電話の待ち受け画面を見せてくる。こういう交流のスタイルは日本と変わらないなぁ!
「Nisか、昨日通って来たよ。マケドニアのスコピエから旅をして来たんだ。」
お互いカタコト英語同士で、時々仲間の兵士に英単語を確認したり指差し会話帳をめくったりしながら、意外な位スムーズに意思の疎通が進む。
「俺達はコソボで闘ってきたんだ。…NATOが、アメリカがベオグラードを空爆したのを知ってるだろ?日本もヒロシマとナガサキにアトミック・ボムを落とされて酷い目に合ったよな。」
段々、そっちの方に話題が移っていく。彼らは本物の兵士だ、本当にNATOの空爆やコソボで戦ってきた戦士なんだな…たまたま行き合せた日本人に言いたいことも沢山有るに違いない。
しまいには
「アメリカは××××な奴らさ。日本は1941年にカミカゼでアメリカと戦った。今ならきっと、もっとうまくやれる!」などと物騒なことまで言われてしまった。
そんな話題に少々戸惑い、つい口ごもってしまう僕の姿は、彼らの目には平和にどっぷり浸かった甘ったれな国民に見えたかもしれない。

「ところで今からどうするんだい?」
「ベオグラードから、クロアチアのザグレブに行くよ」
「クロアチアか…あんなとこ行くのは止めとけ!あいつらはセルビア人みたいにフレンドリーじゃないぜ」
「ははは、そうかな…」
「何でセルビアに来ようと思ったんだい?」
「去年、セルビア人のニコラ・テスラに興味を持って、それでセルビアに来たくなったんだ。ニコラ・テスラ知ってる?」
「ああ。彼は有名な電気の科学者だ」
流石、セルビアディナール紙幣の肖像にもなってる天才発明家は知名度抜群だ。

→2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~4 白い街の休日 に続きます
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いける!はやぶさ2

2008-01-17 | 宇宙
最近、年末年始の東欧バルカン旧ユーゴ旅行記にかかりっきりになっていますが、旅行記書く合間に巡回してた松浦晋也さんのL/Dにまたしても嬉しいニュースが。
沖縄で行われている国際始原天体探査ワーキンググループ(IPEWG)という会合で、イタリア宇宙機関(ASI)が「はやぶさ2」打ち上げにベガロケットを使う検討を正式にはじめたことを公表したそうです。

はやぶさ2、ASIが正式検討を開始(松浦晋也のL/D 2008.01.16)

これは…いけるんじゃないですか?
宇宙が見えてきたじゃないですか!
飛べるかも知れない、新たなる小惑星に行けるかも知れない!

(Graphic by JAXA)

飛べ!はやぶさ2!!
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嬉しさついでに、1ヵ月後の種子島行き高速船ロケットのチケットを予約してしまった。
H-IIAロケット14号機による超高速インターネット衛星「きずな」(WINDS)の打上げまで、あと29日!
きずな/H-IIA14号機特設サイト(JAXA)
という訳で種子島まで、見送りに行きます。
H-IIAロケット14号機もガンバレ!

2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~2 コソボ、閉ざされた鉄路

2008-01-16 | 旅行
(写真:マケドニア共和国の首都スコピエ、新市街マケドニア広場と旧市街オールドバザールを繋ぐオスマンの石橋) GRAPHIC EFFECT by USACO

←2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~1 スコピエ からの続き
城塞を降りて、再びオールドバザールの中を雑踏に流されるままに迷子になりながら抜けて、石橋を渡りマケドニア広場に戻ってきた。
ここから新市街の歩行者天国をどんどん進んでいくと、突き当たりにあるのが旧スコピエ鉄道駅。
1963年の大地震で半壊し、「その瞬間」を指したまま大時計も止まってしまった。現在は崩れ落ちた部分をそのままに博物館に転用され、震災の記憶を伝え続けている。


今日は博物館は年末年始休館中で入れなかったが、鉄道設備の遺構が残っていないかと駅舎の裏手に周ってみると、カフェか何かの店舗として使用されていたらしい客車がポツンと置かれていた。


旧駅舎の隣の花市場やディスカウントストアを覗いたりして、スコピエ市民の日常の生活を垣間見ているうちに、そろそろ夕方。
現役の新スコピエ駅へと向かう。午後4時過ぎにスコピエを発車する、とある国際列車を見送る為に。


スコピエ16:13発、IC892列車。
現在、国連の管理下で1日1往復のみ運転されている、コソボへ直通運転される唯一の列車である。


セルビア共和国コソボ自治州。
セルビア人にとっては民族揺籃の地とされる聖地であるが、現在コソボは国連コソボ暫定行政ミッションの統治下に置かれ、さらにアルバニア人武装勢力出身の新首相により2008年2月にも独立宣言がなされるのは確実と見られている。
しかしセルビアとしては聖地コソボの独立は当然容認できる訳がなく、現在コソボは非常に微妙な立場にある。

セルビア側からは同じ国内と見なされるので当然「国境」などは存在せず、それ故にここマケドニアからコソボ経由でのセルビア入国は国境が不明確な為に事実上不可能となり、かつてバルカン半島の主要ルートの一部を形成していたスコピエからコソボを経てベオグラードを結ぶ鉄道路線は分断されている。

ディーゼル機関車に牽引された2輌編成の列車は、定刻にコソボの“首都”プリシュティナへ向かい日暮れのスコピエ駅を発車していった。
発車前に確認した乗客の顔ぶれは、買い物袋を持った家族連れが多かったように思う。政情不安な地帯へと向かう列車にしては、緊張感よりは日常の生活感が感じられた。
ここスコピエからコソボとの国境まで、僅か十数キロしか離れていない。これは殆ど「同じ生活圏」と云っても良い程の近さだ。かつてこの地がユーゴスラヴィアと呼ばれていた頃は、きっと日常的にコソボとの往来があったのだろう。それこそ「買い物に行く」感覚で人々が行き交っていたのかも知れない。

いつの日か、この駅から気軽にコソボへと出かけることが出来るようになるのだろうか?そしてプリシュティナ経由ベオグラード行きの国際特急が賑やかに発車していく風景を、目にすることは出来ないのだろうか?



明日は朝6時過ぎにこの駅から次の都ベオグラードへと旅立つ。
山の上のホテルに帰る道すがら、この街に所縁の深い二人の人物の事を考えていた。

一人は、アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ、マザー・テレサ。
この街で生まれた福者は、生まれ故郷のすぐ近所でくすぶっている聖地を巡る争いをどう思うだろうか?
「…きっと、それより先にお前の住んでる熊本県八代の恵まれない人のことを考えてやりなさいと言うだろうな。愛はまず手近なところから、の人だから」

もう一人は、丹下健三氏。
スミマセン、僕はスコピエに行く事になり色々下調べするまで丹下さんのこと知りませんでした。
日本を代表する建築家で、代々木体育館や東京都庁を手掛けた人だそうだが、スコピエの旧鉄道駅舎を崩落させた1963年の地震の後、再建事業の都市計画を手掛けたのが実は丹下健三さんなのだそうだ。高架のスコピエ新駅ももちろん丹下さんの作品である。
「道理で、何だか駅周辺が妙に日本的な感じがする訳だ!でも、更地のままの場所が残ってて、バブル崩壊後の日本の寂れた地方都市みたいな雰囲気なんだよな…地震から40年以上経ってるけど、再建事業はまだ終わらないのかな?
それに、マケドニアの都市再建に日本人が携わってたなんて多分殆どの日本人は知らないだろうし(僕も全然知らなかったからね)、当地のスコピエ市民も知ってるのかなぁ。こういうことは日本の国際貢献としてもっと積極的にアピールするべきじゃないかな…日本はカネをばら撒くだけじゃなくて、こんな文化的な貢献を果たしてますよと胸を張って言うべきだと思うけど。」
それに、こんな遠い国の小さな街のために働いた日本人が昔いたなんて、それだけで孤独な旅人は嬉しくなってしまうんだよ。

スコピエ新市街の片隅で静かに祈り続けるマザー・テレサの像

すっかり通い慣れた山の上のニュータウンまでの道を歩いて、途中で住宅地の中にある小さな食料品店に寄って地元企業製ヨーグルトを買ったりしてインペリアルホテルに帰る。
フロントのお姉さん(彼女は多分、学生バイト?)に指差し会話帳片手に明日は朝5時にチェックアウトすること(何故か、彼女は頑なに「朝5時にウェークアップコールする」と念を押すのだ。いや、5時にはもう出て行きたいんだよ…)、鉄道駅に向かうのでタクシーを呼んでおいて欲しいことを伝える。何とか意思は伝わった様なので、部屋に戻り荷造りをしたりシャワーを浴びたりしているともう日付の変わる時間。
ベランダに出て街の方を見ていると…
やがて歓声があがり…



マケドニアに2008年の到来を告げる花火が打ちあがる。
新年明けましておめでとうございます


2008年1月1日

年越しの花火を見届けてからベッドに横になり、4時間ばかりでモーニングコールの電話に叩き起こされた。
昨日の約束通り、午前5時に薄暗いフロントに降りて行くと、ホテルの女主人のようなおばさんが待っていてくれた。しかし、あれだけ念を押したのにタクシーが来ていない。やれやれ…

女主人に電話でタクシーを呼んでもらい、待っている間「今からどこに行くの?」
「セルビアのベオグラードに行きます」
「ベオグラード、良いわね。じゃあ今からタクシーで空港に行くのね」
「いいえ、stationですよ」
「じゃあバスで行くの?」
「いやいや、鉄道ですよ。trainです」
「ええっ!?それは…あなたチャレンジャーね!」
「はぁ?鉄道は問題あるの?」
「そうね…鉄道の旅は大変よ。それに…バルカン半島を鉄道で旅行する日本人は珍しいわ。あなた、多分史上初の鉄道でセルビアに行った日本人になるわよ」
「ははは…成程、僕はチャレンジャーなんだね。いや、ストレンジャーかな?」
「その通りね!あはは!!」
「ははは…」
いやはや、ベオグラードまでどんな凄い旅になることやら。


スコピエ6:12発、390列車ベオグラード行き。
現在、マケドニアとセルビアを直結する唯一の昼行列車である。
座席指定もできない全車2等車のみの編成だとチケットを買う時に聞いていたが、実際には1等車も連結されていたりする。
しかし、見たところ食堂車も売店もなさそうだ。トーマスクック時刻表では車内販売のワゴンサービスがあるとアナウンスされているのだが…
バルカン諸国は喫煙率が高いせいか、しっかり喫煙車が連結されていたりするのが面白い。とは言え、タバコ嫌いの僕は禁煙車に乗車。


車室はこんな感じ。古びているが、以前は1等車だったのを格下げ運用しているんじゃないかというような、ゆったりとしていて豪華なコンパートメント車だった。
列車は数人の乗客を乗せると、ラッパや太鼓を打ち鳴らして行列する集団(マケドニア版の獅子舞!?)に見送られ定時に出発。

元日の夜明け前のスコピエの街が遠ざかっていく。さようならスコピエ。
アジアとヨーロッパのごった煮の街。聖女の生まれ育った街。日本人が建て直した街。
またいつの日か…平和になったコソボに向かう旅の途中に再訪したい。

A memory of Skopje GRAPHIC EFFECT by USACO

さて、無事に列車は走り出したし僕一人で独占してるコンパートメントは暖かくて快適だし、そんなに脅かす程チャレンジャーな旅って訳でもなさそうじゃん、ホテルのおばさんも大袈裟だなとか思っているうちに、大事なことを思い出した!
「そうだ…外貨申請書を持っていないんだった…!」
マケドニア入国時には外貨所持申請が必要で、怠ると国境で「全額没収される」とトーマスクック時刻表日本版の解説ページにもしっかり書いてあったりする。しかし、スコピエのアレクサンダー大王空港では入国審査で邪険に扱われたので腹立ち紛れに何も申請せずに来てしまったし…「隠せ!今のうちに、とにかく全部隠してしまうんだ!!」
という訳で、誰もいないのをいいことに手持ちの米ドルやユーロや日本円をトランクの底や内ポケットに緊急避難させる。
その後、内心ヒヤヒヤしながら巡回してきた車掌氏に何食わぬ顔で昨日買っておいた切符を見せ、夜がすっかり明けきった頃、列車は小さな駅に停車。


駅のホームの端に小さな詰め所があり、トリコロールにハプスブルグの紋章を思わせる双頭の鷲があしらわれたセルビア国旗が懸かっている。
「…いよいよ国境だ!どうか無事に、お金を取られず通過できますように…!」


停車した列車の周りを、警察犬を連れた職員が慌しく歩き回り、車輌の床下を覗き込んだりしている。厳重な国境警備が行われているようだ。
暫くコンパートメントの中でじっと待っていると、いよいよパスポートチェックの審査官が登場。でも、僕と同い歳位の童顔の青年審査官は赤い表紙に菊の御紋の日本国旅券をチラッと見ると
「はい、日本人旅行者ね、もういいよ!じゃあさようなら」
とマケドニアの出国スタンプも捺さずに行ってしまった。
「え?…なんなんだ、こんなに簡単でいいの?」
拍子抜けしてしまったが、まあ大事な旅行資金を守れて(?)よかったよかった。




その後、セルビア側の入国審査もパスポートにスタンプを捺すだけで完了。
セルビアに入ると同時に雪が降ってきた。列車は雪に覆われ始めた荒涼とした大地を走る。
現在走っている路線はコソボを避けてマケドニアからセルビアへ直通するためのルート。電化されている幹線なのだが、橋や築堤はおっかなびっくりという感じでゆっくり徐行していく。保線状態が良くないのか、或いはマケドニア独立時やコソボ戦争の騒乱で受けた損傷が完全に修復されていないのか。


降り始めた雪のせいで走行音も吸収されてしまい、雪国の鉄道独特の気だるい静寂に包まれた車内。

…っていうか、いつの間にかこの車輌には僕以外の乗客が一人もいなくなってるぞ。車掌さんも暇を持て余して昼寝してるし。
コンパートメント独占どころか、1輌貸切だぁー!などとのん気に喜ぶ日本人旅行者を乗せ、国際鈍行列車はセルビア共和国の首都ベオグラードを目指し荒野をのんびり駆けるのであった。
しかし、こんなにゆっくり走ってて本当に時間通りに着くんだろうか?予定ではベオグラード到着は14:59。まあ多少遅れてもまだ陽もある時間なので、ホテルも何も予約していないが駅近くの安宿を探し回るのに問題はないだろう。
と、この時は考えていたのだ。


列車は時々、小さな街の小さな駅に寄って、一人二人とお客を降ろしたり乗せたりする。雪が段々と深く降り積もってくる。


列車が空いてるのは居心地が良くて結構なのだが、困ったことにこの列車、車内販売のワゴンサービスは行っていないようだ。
乗車前に持ち込んだ軽食や水は既に全部腹に収まってしまったが、途中長時間停車する駅もないようだし、こりゃこのままベオグラードに着くまで飲まず食わずだな…


それから空腹と喉の渇きを抱えたまま約半日。
国際鈍行390列車が終着駅ベオグラードに到着したのは、すっかり日も暮れた午後7時前。実に4時間近い遅れである。
「海外では鉄道ダイヤの遅れはよくあること。雪の降る中、事故もなく到着できただけで良かった。…しかし、やっぱりずっと飲まず食わずはつらい!インペリアルホテルのおばさんが言ってたのはこの事だったのか。確かに大変だったよ」
駅前のロータリーにあるマーケットのようなところに飛び込んで、去年も食べた直径30センチはあろうかというセルビア風巨大ハンバーガーにかぶりつく。
「ああ、懐かしい!相変わらず不思議な味だけど、空腹にまずいもの無し!!」


1年ぶりにやってきたベオグラード。
セルビア国境から降り始めた雪は本降りになり、ベオグラードはその名の意味通り雪の降り積もる「白い都」の姿になっていた。


幻想的にライトアップされたベオグラード駅。
「綺麗だな…本当にここは白い都ベオグラードだ、雪が良く似合う…でも寒い!早くホテルを探さないと…」


後日談:帰国後、改めてネットで調べ直して分かった事だが、以前はマケドニアとセルビア(旧ユーゴスラヴィア)の国境地帯は武装したゲリラやアルバニアマフィアが出没し列車を襲撃することがよくあったらしい。
外国人旅行者からの身ぐるみ略奪なども多かったそうだ。

→2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~3 ベオグラード に続きます
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2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~1 スコピエ

2008-01-12 | 旅行
(写真:マケドニア共和国の首都スコピエ、マケドニア広場のクリスマスツリー)

 かつて、東欧バルカン半島にユーゴスラヴィアと呼ばれる国家があった。
それは「七つの国境」「六つの共和国」「五つの民族」「四つの言語」「三つの宗教」「二つの文字」を持つ「一つの連邦国家」。
多くの民族が独自の文化と共に共存を実現していた、多種多様な性格を持つこの国は、1980年代以降その多様性を維持できなくなり徐々に崩壊していく。
現在、かつて連邦を構成した「六つの共和国」は多大な犠牲を払いながらも完全に独立を果たし、地上からユーゴスラヴィアは消滅した。

かつて、バルカンに存在した多民族国家。同じ国民として隣人として暮らしながらも、やがて憎しみと流血の果てに別れた人々。
何故、そのような悲劇が起きたのか?

昨年冬、僕はベオグラードからルーマニア、ブルガリアを抜けてヨーロッパの終点イスタンブールまで旅をした
20世紀初頭に電気の力で世界を束ねる脅威のネットワーク「世界システム」を提唱したセルビア人の天才発明家ニコラ・テスラに興味を持ち、孤高の発明家の功績を伝える「テスラ博物館」をベオグラードに訪ねるのが当初の目的だったが、
初めて訪れたバルカンに残された最後の「ヨーロッパの真の姿」に触れ、またこの地に来たいと思った。

あれから1年。
僕は再びバルカン半島へと旅立った。今回の目的地は、前回旅の出発点だった旧ユーゴスラヴィア。今まさに歴史の彼方へと消え去ろうとしている多民族国家の、最期の姿を記憶に留めたい。そんな想いから、今回の旅は始まった。
旧ユーゴスラヴィア連邦を鉄道で北上し縦断、3つの旧構成国を訪ねるユーゴスラヴィア三都物語。
先ずは、旧ユーゴ最南端の共和国マケドニアから旅を始めよう。

2007年12月29日

現在、日本と旧ユーゴ諸国を直結する航空路はない。今回、欧州での乗り換え都市に選んだのはオーストリアの首都ウィーン。流石、かつてバルカンを支配したハプスブルグ家のお膝元だけあり、今もなおバルカン諸国との航空路が集結する一大ハブとなっているのだ。
オーストリア航空の最新鋭機ボーイング777による成田からの12時間のシベリア越えフライトの後、日暮れのウィーンに到着。今夜はこの音楽の都で1泊。
乗り換え待ちの滞在とは云え、折角ウィーンに来たのだ、ホテルに引っ込んでるのは勿体無い!
トラム(路面電車)に乗り込み、ウィーンの街を夜の散歩と洒落込んだ。

ウィーンの中心部を一回りするトラムの環状線「リング」。
道路沿いにライトアップされた金色の像が見えたので停留所で飛び降りた。
シュタットパークの木立の中を歩いて行くと、御馴染みの音楽家の姿が…

ライトアップされ輝くヨハン・シュトラウス像。
この寒い中、ヨハン先生がバイオリンで奏で続けているのは「美しく青きドナウ」だろうか?これからまさに、そのドナウを遡るバルカンの旅が始まるのだ。
明日は一気にドナウを下る。

夜が更けると共に輝きを増すウィーンの街並みに後ろ髪を引かれたが、今夜はそろそろホテルに戻り、これから始まる旅に備えるとしよう。


2007年12月30日

ウィーン・シュヴェヒャート国際空港を飛び立ったオーストリア航空のフォッカー機は、雪雲にべったりと覆われたバルカン半島上空を飛び続け、午後3時過ぎに雲に突入してマケドニアの首都スコピエ近郊にある国際空港に着陸した。

「ここって、ホントにマケドニアの首都の空港?」

…今までに世界中あちこちの空港に降り立ってきたが、こんなに寂しい国際空港は初めてだ。だだっ広い滑走路に沿って、小さなターミナルビルというか事務所棟が建っていて、軍用ヘリが2機停まっている以外はなーんにもない。今乗ってきたフォッカー以外には旅客機の機影は見えない。
滑走路脇には「WELCOME to SKOPJE Alexander The Great Airport」の看板。凄いアレクサンダー大王空港もあったものだ。

タラップを降りて日暮れ間近の滑走路を歩いて事務所に向かい、入国審査。
噂では数年前までマケドニアでは外貨持ち込み申請をしていないと出国時に問答無用で全額没収される、と聞いていたので「何が何でも入国の時に外貨申請書類を貰わないと…でも外貨申請書って現地語で何て言うんだ?」とドキドキしながらパスポートチェック。しかし、入国審査官はパスポートのページを手早くめくってスタンプを捺すと「ほれ、さっさと行け」って感じで文字通り「投げて寄越した」。
流石にこれには頭にきて「チェッ、感じ悪いなあ。分かったよとっとと退散しますよ」とつられてこちらもさっさとゲートを出てしまった。
「しまったー!!申請書を手に入れられなかった!…まあいいか、いざとなったらポリスに袖の下でも渡して見逃してもらうさ」何だか投げやりな気分でのマケドニア入国である。

入国ゲートを出ると、一斉に客引きが群がってきた。
「タクシー?」「ホテル?」「マネー、エクスチェンジ?」
…ここは東南アジアか?何だか雰囲気がベトナム辺りとそっくりなんだが

さて、今日はスコピエ市内にホテルを予約しているので、先ずは市内に向かわないといけないのだが、何とこの空港、市内までの公共交通手段がタクシーしかない。しかも出発前にネットで下調べした情報によるとタクシー料金は一律20ユーロ、高い!
群がってくるタクシーの客引きはぼったくり上等の雲助白タクの可能性大なので(正規料金でさえ充分ぼったくりレートなのに、これ以上むしり取られて堪るか!)、必死で振り払いタクシーカウンターを探す。何故か出発ゲート内にあった市内行きタクシー案内カウンターで「Hello…ドバルダン…I want to go to city of Skopje…」とか云うと「この人たちに20ユーロ払って、連れてって貰いな」結局、群がる運ちゃんに連行される羽目に。

アレクサンダー大王空港からスコピエ市内までは結構遠く、30分程かかった。
近代的なビルが多く、どことなく日本の地方都市のような雰囲気のスコピエ市内を走り抜け、街外れのニュータウンにある「インペリアルホテル」に無事到着。エアポートタクシーの運ちゃんはきっちり20ユーロだけ受け取りぼったくりはしなかったが、何度も「帰りも空港までエアポートタクシーで送るから、電話で俺を指名して呼んでね」と念を押した上に名刺を渡して帰って行った。お気の毒だけど、僕は帰りは空港には行かず駅から列車で出国するつもりなんだけどね。。。

チェックインしたインペリアルホテルはスコピエ市の裏山を切り開いたような場所に建っていて、所謂「山の手の新興高級住宅地」らしく新築一戸建ての豪勢な家が建ち並ぶ中にあり環境はいい。フロントのスタッフも気さくで雰囲気がいいのだが、何しろ山の上にあるので街の中心まで距離があるのが難点。

さて、これから鉄道で隣国セルビアの首都ベオグラードまで移動するために、駅に行ってチケットを入手しておかないといけない。タクシーで行くと簡単だが、値段交渉が面倒くさいし、それに初めて来た街を理解するには自分の足で歩くのが一番だ。日も暮れたし少々遠いが、歩いて行く事にする。
それにしても、ホテル周辺の雰囲気は日本の東京近郊、USACOが住んでいる田園都市線沿線辺りのニュータウンとそっくりだな…日没後も全然危険な感じがしない。


山の手からスコピエの市街地へ降りて、さらに街外れへ歩いてようやく巨大な高架駅のスコピエ駅に到着。
駅の周辺は更地と雑居ビルが点在し、日本のどこかの寂れた地方都市の駅前みたいな雰囲気。巨大すぎて入り口がよく分からないスコピエ駅のエントランスは外観と裏腹にひっそりしていて人けがない。
がらんとしたコンコースのきっぷ売り場に「明後日のベオグラード行き390列車の予約をしたいんですけど」と「クロアチア語指差し会話帳(クロアチア語は旧ユーゴ全土で何とか通じるらしい、とネットで情報を得ていたのだ)」を頼りに身振り手振りで筆談すると、窓口に座って売り上げ計算中のスラブ系美人の駅員は「今日はもう窓口は閉めたのよ。明日の朝6時以降にまた来て下さいな。」とのこと。あらら、暗い中をせっかく歩いて来たのに出直しか。


駅から更地の中を歩いて市街地へと向かう。
スコピエ市内の中心部、マケドニア広場には巨大なクリスマスツリーが飾られ、日本でも御馴染みのスタンダードなクリスマスソングが流れている。
バルカン半島はキリスト教も東方正教会系の文化圏、正教会では年が明けて1月6日がクリスマスという事になっているらしいので、日本や欧米ではとっくにクリスマスが終わった今の時期が当地ではまさにクリスマスシーズン真っ只中ということになる。家族連れの子供たちがツリーや道端で売られているおもちゃに目を輝かせ、カップルが自分達の世界に浸りきる、幸せなクリスマスの情景は世界共通。孤独な一人旅の僕はショッピングセンター地下のスーパーマーケットを物色したりしてから、寂しくホテルに戻ることにする。

2007年12月31日

朝食を食べようかなと地階に降りていくと、フロントもロビーも食堂も真っ暗。
あれ?とキョロキョロ辺りを見回してると、学生バイトみたいな兄ちゃんが「おお、ソーリーソーリー。グッドモーニン」と灯りをつけてくれたが、応接セットみたいなテーブルに申し訳にハムとチーズが並んでいる所謂「セルフサービスでサンドイッチを作ってね朝食メニュー」だった。あ~あ、ヨーロッパではホテルメイドのヨーグルトが朝の楽しみなのになあ…後でスーパーでヨーグルト買ってくるか、とか考えながらさっさと朝食を済ませる。
それにしても、このホテル全然人の気配がないんだけど今滞在してるのは僕だけなのかな?
さて、今日こそ駅でベオグラード行きの鉄道チケットを手に入れなくては。
という訳で、また歩いて街へ向かう。今日は違う道を通って山を降りてみようかね。

昨日、街の中心を一通り歩いたし、ホテルに帰ってからガイドブックの市内地図を記憶と照合したのでスコピエの大体の地理は頭に入っている。中心部は30分もあれば一回りできる位小さな街だが、ヴァルダル河を境に駅やショッピングセンターのある新市街とバザールやモスクのある旧市街とに区切られているようだ。イスラームなムードが漂っているらしい旧市街にも、後で行ってみたい。
まだ現地通貨を持っていなかったので、ショッピングセンターにある銀行で手持ちのユーロを現地通貨ディナールに両替。マケドニアにはあと2日しか居ないし、物価も安いから鉄道チケット代も入れて40ユーロ程度でいいか…1640ディナール返ってきたので、1ユーロ=41ディナール、ということは1ディナール=4円位か。
駅で難なくベオグラード行きチケットを購入。座席指定は出来ないみたいで、全車2等オンリーで1292ディナール、5168円。なお、鉄道チケットはユーロでも直接買うことが出来る。チケットに限らず、マケドニアでは大概のものをユーロや米ドルで購入することができるから外国人旅行者は便利なんだが、それだけ自国通貨ディナールとマケドニア経済が弱いってことだからマケドニア人は複雑な心境だろうなぁ…

ちなみにショッピングセンター地下のスーパーマーケットで買ったPOCAという銘柄のミネラルウォーターは500mlで19ディナールだった。


せっかく駅まで来たので、高架のホームに上がってみると丁度近郊列車らしき編成が入線してきた。
トーマスクック時刻表には掲載されていない列車なのだが、どこまで行くのだろう。


編成前後で車体色が違う不思議な車輌。ヨーロッパでは余り見かけない気がする「近郊電車」らしい。無骨なデザインがいかにも共産圏的だが、果たして運転席脇にCCCPと刻まれたプレートが掲示されていた。ソ連の忘れ形見か…



ちょっと車内に入ってみた。
室内灯が消えているので真っ暗だが、案外きれいで座り心地の良さそうな座席が並んでいる。それに何より電気暖房がガンガン効いていて、日中も軽く氷点下の東欧バルカンの野外を歩き回ってる身には堪らず心地良い。学生の頃、青春18きっぷで旅行中に吹雪の舞うホームで1時間も待たされて乗り込んだ上越線や奥羽本線や函館本線の鈍行を思い出すなあ。。。
「真冬に暖かい列車の車内に入る快楽は世界共通だなあ。。。ああ、いっそこの電車に乗ってどこかに行ってしまおうか?」
本気でそう考えたが、何しろ運転本数が少ないマケドニア鉄道、それもトーマスクック社の国際標準時刻表にさえ記載されていないローカル路線である。見知らぬ町に連れて行かれた挙句、下手したら今日中にスコピエまで帰って来られなくなるやも知れぬ。後ろ髪を引っ張られ捲る思いで下車し、何処へともなく発車していくソ連製電車を見送る。
「いつか、こういう行き先不詳のローカル列車をあてなく乗り歩く旅もしてみたいなぁ…」

駅から真っ直ぐ伸びる大通りの突き当たりに見える、スコピエ市内で一番の豪華ホテル「HolidayInn」を目指して歩くと、スコピエの街を旧市街と新市街とに隔てて流れるヴァルダル河の畔に出る。河原には気持ちのいい散歩道もあるので(寒くてかなわないが)、川の流れに沿って歩いていくと…

見えてきたのはスコピエのシンボル、オスマン帝国時代に造られた石橋。
新市街側のマケドニア広場と旧市街側のオールドバザールを結ぶこの橋の上はいつも買い物客が行き交っている。橋を渡っていると、興味津々顔の子供から恐る恐る「ヤポネ…ハロー?」と声をかけられたりする。


石橋を渡って旧市街側に入ると、雰囲気はいきなりオリエンタルになる。
迷路のような狭い路地、あちらこちらにモスクのミナレット(尖塔)が突き出している風情は、イスラーム文化圏そのもの。




さらに進むと、スコピエ市民の台所のような食料品や日用品の市場に出る。
衣料や靴、カバンから電気製品まで何でも揃った迷路。
積み上げられた肉塊や野菜、香辛料。店先を縫うように小さなチャイの杯を器用に配る出前のお茶売り。
ここは既にヨーロッパではない。


オールドバザールの外れで偉容を誇る、ムスタファ・パシナ・ジャーミヤ。
マケドニアで最も美しいと言われるこのジャーミヤは現在トルコのイスラーム教会の支援の下で補修工事中。残念。


ムスタファ・パシナ・ジャーミヤの裏山を登っていくと、山頂は城塞公園になっている。
小高い丘の上に半ば朽ちかけた石塁が残るだけだが、ここから眺める市街地の風景は素晴らしい。


城塞から見下ろすスコピエ新市街側。共産主義の旧ユーゴ時代の名残りと思しき無機質なビル群が建ち並ぶ様子は、旧市街オールドバザール側とは明らかに異質。
多種多様な民族と文化、宗教、イデオロギーが交錯してきたこの地の風土をそのまま現しているかのような、二面性を持つ街であることが見て取れる。


街並みを見下ろしていたら、城塞の背後から突如現れたマケドニア軍のヘリからパラシュート部隊が降下を始めた。
市街地での実戦訓練とかではなく、大晦日のイベントらしい。巧みに市街地上空を旋回してマケドニア広場に着地、集まった市民の大歓声を浴びていた。



→2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~2 コソボ、閉ざされた鉄路 に続きます
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はやぶさ2は死せず!

2008-01-08 | 宇宙
Graphic:JAXA

バルカン半島旧ユーゴの三都を鉄道で駆け抜けた旅から帰国して3日。
ようやく東欧の強烈な寒気にやられた手指のあかぎれも塞がり、凍結乾燥した外気に涸れた喉の痛みも消えた今日この頃、やっといつもの生活ペースが戻りつつあります。

という訳で、久々に巡回を日課にしているウェブページ群を辿って情報収集をしていると、松浦晋也さんのL/Dが更新されていた。

はやぶさ2計画は生きている(松浦晋也のL/D 2008.01.08)

2008年早々、不死鳥が羽ばたいた!
昨年、予算獲得のために微力ながら勝手に応援キャンペーンに参加させてもらって以来、その後の進展がいまいち見えてこなかった「はやぶさ2」の最新状況。
「はやぶさ2」は生きていた!

松浦さんによると「イタリア宇宙機関(ASI)の長官から立川JAXA理事長に宛てて「共同で計画を進めたい」旨の書簡が届き、立川理事長が「前向きに検討しましょう」という返事を出したとのこと」
つまり、その気になれば「はやぶさ2」を打ち上げられる体制が整いつつあるのだ!

やってしまったか…!
「ロケットは海外から調達してこい」といわんばかりの情勢の中、何と本当に「ロケットを準備してしまった」訳だ。
…凄い、凄すぎるぞ「はやぶさチーム」!!

更に、旅行中にクロアチアの首都ザグレブで投宿したバックパッカー宿のPCを借りてチェックしたJAXAホームページ冒頭では、JAXAの立川理事長による新春インタビューにて「小惑星探査機「はやぶさ」や月周回衛星「かぐや」の後継機となる「はやぶさ2」、「かぐや2」の準備をそろそろ始めたいと思います。」という気になる発言もあった。

まだ、分からない。今の時点で「はやぶさ2」が実現すると断言するのは時期尚早だ。しかし、間違いなく風は吹き始めていた!

飛べ!はやぶさ2!!
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明けましておめでとうございます’08

2008-01-06 | 日記
平成20年、明けましておめでとうございます
今日、バルカン半島旧ユーゴ諸国から帰国しました

旧ユーゴのマケドニア、セルビア、クロアチアを巡った旅の記録は、今後順次旅行記としてアップします。

先ずは、旅行中に撮った写真から、国際列車の車窓、セルビアの大地に昇る朝陽を初日の出代わりに新年の御挨拶を。
今年も天燈茶房TENDANCAFEを宜しくお願いします。

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