天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

夜行特急「まりも」、今夜ファイナルラン

2008-08-31 | 鉄道
先程、北海道の札幌駅と釧路駅から夜汽車が最後の旅に出た。
8月31日出発の列車を最後に廃止される夜行特急「まりも」。
札幌と釧路を長年に渡り走り続けてきた、伝統ある名門夜行列車。
2008年の夏休み最後の日の今夜、ファイナルラン。

僕も先週末に有給休暇とマイル特典航空券を利用して、一足先に「まりも」に別れを告げてきた。

平成20年8月24日

深夜11時を過ぎても、人通りの絶えない大都会札幌の玄関口、JR札幌駅。
いつの間にか超高層ビルまで聳え立った煌びやかな北の大ターミナル駅から、「まりも」は出発する。


プラットホーム軒先に提げられた「まりも」の乗車位置表示。
ヘッドマークと同じ、夜の阿寒湖と月と星、そして波間に漂う毬藻のどこか神秘的な意匠が旅情をそそる。


スラントノーズの国鉄型車輌を先頭に、「まりも」が札幌駅に入線して来た。
最新鋭のL特急「スーパーカムイ」と並んで停止する「まりも」を、鉄道愛好家や旅行者がカメラに納める。


早速車内へと入る。
今夜予約してある席は、座席車主体の「まりも」編成に1輌だけ連結されたB寝台車の下段ベッド。
廃止間近でお別れ乗車で混み合う「まりも」でも最も人気のある席なので、寝台指定券の確保には苦労したのだ。
尤も、「まりも」をはじめとする道内夜行列車は先ずB寝台から売れる傾向があったので、昔からピーク時期の寝台券の入手には苦労したものだ。


定刻の23:08、札幌発車。
発車の時間も遅いし、明日の朝は早暁6時前には終着駅の釧路に到着してしまうので、かつては「乗ったら一刻も早く寝たもん勝ち」といった趣があったが、あと1週間で廃止となる夜行列車との別れを惜しむ乗客が大半の今夜ばかりはそういう訳にもいかず、皆すぐに眠りに就こうとはせず思い思いに「まりも」の夜を楽しんでいるようだった。
それでも午前1時を回り、列車が石勝線の山中区間に入り車窓から灯りも消えるとB寝台車の車内は寝静まった。


洗面所に設置されたソフトドリンクの自販機で買った、北海道限定の「リボン ナポリン」を飲みながら「まりも」の旅を味わう。
以前は車内自販機で、同じく道内限定品のビール「サッポロクラシック」や何故かおつまみセットまで買うことができて、車内で意気投合した見知らぬ旅人同士ささやかな酒宴を開くことが出来たのも懐かしい。もちろん、寝台車内で飲み合うと周りで寝ている「堅気の旅人」に迷惑なのでデッキや洗面所での立ち飲みだったりしたのだが、お互い若くて元気で楽観主義だけは溢れんばかりの貧乏旅行者同志の酒盛りは楽しかったなぁ…

「まりも」は寝台車を連結する夜行列車にも関わらず、機関車が牽くブルートレインのように専用の客車編成ではなく昼間の特急と共通のディーゼル車輌で編成され運転されている。そのため寝台車はディーゼルカーに挟まれるかたちで編成に組み込まれ、前後のディーゼル動力車から推されたり牽かれたりして走ることになるのだが、そのせいで独特のフワフワとした乗り心地となり、これがまた眠気を誘うゆらぎのリズムで気持ちが良いのだ。
僕も九州からの長距離フライトと苫小牧での宇宙ステーション「ミール」見学の疲れが出て眠くなった。いつまで起きていたいが、暫くベッドに横になることにする。
但し、朝の太平洋は是非見たいので束の間の眠りとなるが。


ベッドの中で気が付くと、もう車窓は明るくなっていた。
高緯度の北国の夜明けは本当に早い。
早速ベッドから飛び起きて、車窓に広がる道東の風景を見つめる。




原野の彼方に太平洋が見えてくると、もう終着駅釧路が近い。
寝台車から眺める夜明けの原野も、夏の終りの鉛色の大海原も、これで見納め。


午前5時50分、特急「まりも」は定刻に釧路駅に到着した。
余りにも朝の早い、もっと乗っていたいと名残惜しくなる7時間足らずの夜の旅だった。

夜行列車「まりも」は昭和26年に釧路と函館を直通する急行列車の愛称として名付けられ誕生した、歴史ある名門列車である。
但し、その後2回程「まりも」の列車名はダイヤ改正の余波で消滅と復活を繰り返しており、現在の特急「まりも」は平成13年に再々復活を遂げて登場したものということになる。
登場しては消え、そしてまた現れる数奇な列車名として、旅人の中には「是正しく阿寒湖の毬藻の如くダイヤの波間に浮き沈む列車」と呼ぶ風流な御仁も居たように思う。
僕自身、学生時代には長期休暇の度に学生課からせしめた学割証で買った虎の子の「北海道ワイド周遊券・学割」を握り締め数え切れないほど渡道し、そして夜には当時札幌を中心に道内各地へ向かって北海道の夜を走っていた道内夜行列車を宿代わりにした口だが、数え切れないほどの回数乗車した札幌と釧路を結ぶ夜行特急は当時「おおぞら13・14号」を名乗っていた。
だから僕は再々復活した「まりも」にはよく考えたら今回が初乗車だということに気がついたのは、釧路駅から乗り換えた釧網本線の普通列車の車内から朝の釧路湿原を眺めている時だった。
「そうか、本当に“最初で最後”のまりもの旅だったんだな…」

僕の学生時代、夜の北海道は夜行列車が行き交っていた。
札幌から釧路を結ぶ「おおぞら13・14」号、いくつもの峠を越えて網走へ行く「オホーツク9・10号」、最北端の稚内を目指す「利尻」、これらは寝台車つき夜行ディーゼルカー三姉妹。
そして函館まで走る「列車のユースホステル」こと夜行快速「ミッドナイト」、この列車は青春18きっぷで乗れたしカーペットにゴロ寝できたので有り難かったなぁ…
一体、幾つの夜を北海道の夜行列車の中で過ごしたことだろう。

気が付くと、みんないなくなってしまった。



翌日、再び乗り込んだ「まりも」の上り札幌行き列車で迎える朝。
これが本当に最後の、北海道の夜汽車の朝。

日本から、夜汽車が消えていく。

スピードと効率重視の前には、夜明けを目指しひたすら夜の底を走り続ける旅さえも許されない、そんな国になっていくのだろうか。
それは即ち「夜の闇の深さと寂しさ」そして「夜明けの光の温かさ」さえも知らぬ心が空っぽの国になっていくということではないのか?

そんな国には、「本当の夜明け」さえももう二度と来ないんじゃないか…?

でも、僕はそれでも「まりもは再び波間に浮かび上がることがあるかも知れない」と微かな希望を捨て切れなかったりもするのだ。

深夜の狩勝峠越え、寝静まった寝台車のデッキから、あの頃の若い旅人達が
「なーに、大丈夫大丈夫!俺達みたいなどうしようもない奴らがしぶとく旅をし続ける限り、この国にも列車は走り続けるよ。お客が居る限り、走るのを止める訳にはいかないからな!だから、これからも旅を続けないといけないな!人生死ぬまでが旅だよ」と缶ビール片手に笑い合う声が、ふと聞こえてきたような気がした。

ありがとう、そして…
「いつかまた会おう!わが青春の夜行列車よ!」

平成20年8月31日、最後の道内夜行列車「まりも」、ファイナルラン


SAVE OUR SHIP ~ミール、懐かしき宇宙船。苫小牧~

2008-08-31 | 宇宙
遅い夏休み、懐かしい宇宙ステーションに会ってきました。

平成2年というから、あれからもう18年も経つのか。この年、日本人が初めて宇宙へと旅立った。
その日本人は宇宙開発事業団NASDAの宇宙飛行士ではなく、テレビ局勤務のサラリーマンだった。そして、宇宙へと向かった先は同盟国アメリカ・NASAのスペースシャトルではなく、ソ連の宇宙ステーションだったのである。


北海道、苫小牧市科学センターの一角にある、ミール展示館



ミール展示館へはJR苫小牧駅から歩くこと約20分。
まだ真夏だというのに肌寒い木枯らしのような風の吹く8月23日、僕は再び北海道の地を踏んだ。
つい1週間前にも青春18きっぷの旅で北海道を縦走したばかりだが、また来てしまった。今回は航空会社のマイル特典航空券を使ったので、実質的に旅費はタダなので、まあいいか。

今回、北海道に来たのは、今月限りで廃止となるある夜汽車への別れを告げるためだが、件の札幌発釧路行き臨時夜行特急「まりも」号の発車は午後11時過ぎ。1日に1本だけ運行されている九州福岡空港から北海道新千歳空港へのANAの直行便の到着時刻は午後1時過ぎなので、余りにも時間がある。それに、新千歳空港は苫小牧からも程近い。という訳で、この機会に以前から一度行ってみたいと思っていた苫小牧市科学センターへと足を運んだのである。
ここには、地球上に唯一遺された「本物のミール」があるのだ。

ミールは、ソビエト社会主義共和国連邦が建造した宇宙ステーション。
日本も実験棟「きぼう」で参加する国際宇宙ステーション(ISS)の運用が開始される遥か以前の1986年から地球周回軌道を飛び続けた歴史ある宇宙ステーションである。
ロシア語で「平和」を意味するこの宇宙船は永らく宇宙ステーションの象徴として軌道上に君臨し続け、老朽化やソ連の崩壊とロシアの経済混乱によりにより運用継続が困難となり2001年に南太平洋上ニュージーランド東方2000キロの洋上に落下して消滅するまでに地球周回軌道を86331回周り、世界各国から延べ100人以上の宇宙飛行士たちが訪れ滞在した。そしてその中には日本人として始めて宇宙へ行った秋山豊寛さんが含まれている。

苫小牧駅の観光案内所で「あの~、ミールを見に来たんですよ。宇宙ステーションの」と言うと、すぐにパンフレットの地図にチェックを入れて行き方を教えてもらえた。
陽射しも弱く寒々とした苫小牧市街を歩いて、目指す苫小牧市科学センターに到着。ミール展示館は何故か外から見るとヘリコプターの機体が収納されているのが見えたり、前庭に蒸気機関車C11が鎮座ましましていたりする。


中に入ると、いた!
ミールが、宇宙ステーションが目の前に現れた。
思ったほど巨大ではない。以前、種子島で打ち上げがキャンセルされたまま倉庫に納められたH-IIロケットを見たことがあるが、狭い倉庫にぎっちり詰まって馬鹿でかく見えたH-IIに対していかにもシンプルでコンパクトに見え、「本当にこんな小さな宇宙船に何人も生活していたの?」という感じだ。
尤もここに納められているのはミールの中核となる「コアモジュール」と科学実験モジュール「クバント1」のみで、実際には地球周回軌道上のミールは最終的には7つものモジュールと時にはNASAから迎え入れたスペースシャトル・オービターまでもが連なる宇宙の一大建造物集合体だったのだ。


ここにあるミールは的川泰宣先生の「YMコラム」バックナンバー(2000年1月19日)によると「地上の訓練用に使われた本物」とある。ミール展示館の解説案内によると「予備機」とあるので、いずれにせよ万一ミールのコアモジュールとクバント1の打ち上げが失敗した場合には代わりに宇宙へと行く筈だったものということになる。
この「宇宙へ行けなかったミール・コアモジュールとクバント1」は、その後のソ連革命による連邦崩壊とそれに続くロシアの経済混乱で競売に掛けられる憂き目に会い、そして苫小牧の建設会社によって競り落とされ「地元北海道苫小牧の子供たちに見せてあげたい」ということでここに安置されるに至ったのである。まさにようやく地上の安住の地を得たのだ。


コアモジュールとクバント1の結合部。
外殻の径が同じなのでロケットの1段目と2段目の結合部のように見えるが、中央部には「人が通る通路」が貫かれている。




コアモジュールに翻る赤旗と「鎌と槌」、ロシア語による正式国名表記Сою́з Сове́тских Социалисти́ческих Респу́бликを表すCCCP。
現在ではある種の懐かしさすら感じる、社会主義超大国の残滓。


船内を見られるようになっている区画もあるのだが、もはや「アナクロな懐かしさ」しか感じないのだ。
アナログのダイヤルが並んだコンソールのレトロフューチャー、これは宇宙研の内之浦宇宙空間観測所で見た時代遅れのロケット制御用最先端機器と同じ哀愁をもって、僕に何かを訴えかけてくるのだ。


秋山さんがミール船内で筋トレをしているVTRを見た記憶があるのだが、こんな狭い区画でトレーニングしていたのか。


コアモジュールのドッキングポート。
ここに数多くのモジュールが接続され、宇宙ステーション「ミール」を構成していた。
そして遂には東西イデオロギーの垣根を越えて宿敵アメリカのスペースシャトル「アトランティス」までもがミールに繫がったのである。

ミールはまさに文字通り「平和」を体現した宇宙船だったのだ。




ミール展示館の一画にはこんなものも展示されていた。
固体燃料ロケットモーターの推力中断実験って、宇宙研は苫小牧でこんな実験もしていたんだ。
確かに、JR日高本線に乗って苫小牧駅を出発すると嫌になるくらい広大な工業団地予定地とか荒野が広がってるから、多少の固体燃料大爆発は問題にならないくらいの場所は目一杯ありそうだもんなぁ。。。

この後、プラネタリウムの上映があるとの案内放送があったので科学センター本館に移動してプラネタリウム鑑賞。
小振りなドームだったけど、機材が僕の地元熊本市立博物館のものと同じメーカー製なもので上映中の雰囲気がそっくりだったりして面白い。
それにしても、本館との渡り廊下の途中にあった実験室のレトロな雰囲気はどうだ。
友人のKたちとつるんで科学談義に熱中した中学校の理科実験室を思い出した。


激動の20世紀末を地球上で漂流した宇宙船がようやく安住の地を得た、苫小牧市科学センターミール展示館。
そこは懐かしい最先端が眠る、不思議な雰囲気が楽しい博物館でした。

科学センターを後に苫小牧駅へと向かう。
裏手の小学校の前で、Kに電話をかけた。
「もしもし…『これ、本番ですか?』」
「え?何だお前どこにいるんだ?」
「また北海道だよ。それより、『これ本番ですか?」には『カエルは元気だよ』だろ?」
「…ミールだな。」
「そうだよ。ミールに会ったよ。今、苫小牧にいる。♪SAVE OUR SHIP永遠に漂流する魂だから…」

♪せめて今は強く抱いて

さあ、札幌駅に行こう。夜行特急「まりも」が待っている

白鳥英美子・中村由利子ジョイントコンサート~FRIENDS~ を観る

2008-08-31 | 映画・演劇・コンサートを観る
地元の、というか我が家から徒歩圏内のホールでのコンサートでした。

中村由利子さんは、萩尾望都の名作「トーマの心臓」をモチーフにした実験的な映画「1999年の夏休み」に使われたアルバム以来ずっと聴いていました。
硬質なピアノとでもいうのか、結晶のような弾き方が耽美的。

ジョイントコンサートということで、白鳥英美子さん(トワ・エ・モワの人だそうですが、すみません僕はトワ・エ・モワ自体よく知らない…)の歌がメインの構成で、中村さんのオリジナル曲は数曲しか聴けなかったのが残念。
それでも「ディア・グリーン・フィールド」のイントロがホールに流れた瞬間、「1999年の夏休み」のワンシーンやこの映画について上級生の女子生徒と図書準備室で語り合った高校生のあの日の情景、ヘッドホンステレオでこの曲を聴きながら旅した北海道や南部縦貫鉄道の車窓が甦ってきたよ。

夏休みは汽車に乗って~鉄道博物館、夏休みの思い出

2008-08-30 | 旅行
青森からは、往きに来た道程をそのまま引き返して、次の日の夜には首都圏に到達した。
今夜は都内には入らず、大宮…いや、いまは「さいたま市」というのか、とにかく大宮駅前のビジネスホテルに投宿。
駅寝やネットカフェ泊が続いていたので、ちゃんとしたベッドがありがたい。

翌朝は大宮駅からニューシャトルに乗って、一度は行ってみたいと思っていた場所へ。

鉄道博物館
一昨年に惜しまれながら閉館した東京神田の交通博物館の、鉄道に関する展示を引き継いだ話題の博物館だ。
開館当初から鉄道愛好家や家族連れのみならず幅広い層の見学客が殺到する人気ぶりだったが、この日も夏休み中の週末とあって大混雑。入場30分待ち!


やっと館内に入れて、まず見に行ったのがこれ!
初代ブルートレイン20系客車、ナハネフ22。
20系は僕が初めて乗った寝台車でもあるので、愛着がある。優雅な曲線で構成された、どこか愛嬌もある顔を見ていると、初めてブルートレインで旅した小学生の夏休みの思い出が甦る。
念願叶って乗り込んだ博多発東京行き寝台特急「あさかぜ82号」。
とにかく嬉しくて、車内をくまなく見て回り、門司や下関での機関車交換に興奮し、深夜に到着した広島駅で追い抜いていった「カートレイン九州」の編成に連なるA寝台車を羨望の眼差しで見送り、早朝の浜名湖の風に睡眠不足の眠気を吹き飛ばし、並走する京浜東北線103系電車に初めて見る“首都東京”を感じた…

あの日に乗った初体験のブルートレインと同じ列車名をテールサインに掲げた寝台車は、僕の旅の原点の一つ。ここで巡り会うことができた。


黒光りする重厚なモーター、切っ先鋭く輝く歯車。
「ちから」の権化のようなこのマシンを搭載するのは、国鉄最強の電気機関車。


東海道山陽本線重貨物列車用大型電気機関車、EF66。
大重量貨物列車を率いて日本の物流の大動脈を貫く使命を背負って生まれた機関車は、
最後に残されたブルートレイン「はやぶさ・富士」の牽引という重責を担い今も現役である。


「コックピット」という呼び名が似合う、緊張感漂うEF66の運転席。

博物館に収まるのはまだ早い、いつまでも本線を疾走し続けるのが似合うEF66も、既に廃車が進んでいる。
懐かしいロクロクに会いに鉄道博物館を訪れる日が来るのも、そう遠いことではない。


「日本の鉄道の象徴」とも言える、東海道山陽新幹線0系。
誰からも好かれた丸っこい顔が愛らしい、おそらく日本の鉄道で最も愛された車輌であろう0系も、今年秋に最後に残った山陽新幹線区間からの完全引退が決定している。
ところで、この鉄道博物館の0系は以前は交通博物館の外壁に設置されていたカットモデルなので、よく見ると鼻に薄っすら「交通博物館」の文字が…


一々紹介しきれないほどに、とにかくたくさんの車輌が詰め込まれた夢のおもちゃ箱のような鉄道博物館。
いつまでも見ていたかったが、生憎天候が急変し雷でニューシャトルが止まる可能性があると緊急の案内があり、後ろ髪引かれる思いで後にする。
また来たい!!

幸い、ゲリラ雷雨が襲来する直前に逃げ切って東京駅まで来ることができた。
良かった、今夜の列車に乗り遅れずに済んだ。

夏休みの旅の最後は個室寝台車。
「はやぶさ」のB寝台ソロ個室に収まって、旅を締め括ることにする。
列車の先頭に立つのは、勿論EF66。
機関車はやっぱり長大編成を率いて疾走している姿が一番よく似合う。


すっかり乗り慣れた「はやぶさ」のソロ個室で自宅のように寛いでいるうちに、熊本に到着。
かくして神田の交通博物館に始まり北海道を巡ってさいたまの鉄道博物館に辿り着いた汽車に乗る夏休みも、これで終わり。



今年の夏休みは汽車に乗っていろいろなところに行ってきました。
いろいろなことをして、いろいろなものを見てきました。
皆さんも素晴らしい夏休みを過ごされましたか?

天燈茶房亭主 mitsuto1976 拝

夏休みは汽車に乗って~北の秘境駅、終着駅と鉛色の海

2008-08-30 | 旅行
東室蘭駅はいつの間にか駅舎がモダンなデザインの新築に建て替わっていたが、待合室の中にあった畳敷きの「仮眠スペース」はなくなっていた。
駅近くの交番で夜勤のお巡りさんに教えて貰ったインターネットカフェでシャワーを浴びてフラットブースで横になり仮眠。すっかりネットカフェの住人になってしまったような気分。

翌朝、小糠雨降る東室蘭から始発鈍行列車で出発。
遠路遥々大阪からやって来た寝台特急「トワイライトエクスプレス」とすれ違ったりしながらずっと噴火湾沿いに走り、長万部の手前でトンネルを抜けたところにある小さな駅に到着する。
山と海と線路しかない場所に何故か忽然とあるこの駅が、“秘境駅”として名高い小幌駅。




周辺に建物も何もなく、何より駅に通じる道すら見当たらない、まるで白昼夢のようなこの駅、たまに釣り人が訪れる位しか利用者がいないのだが、その余りの“秘境”ぶりに鉄道愛好家の間では大変に有名である。
この列車からも数人の「その筋のモノ」と思われる乗客が下車していった。
僕もいつかは降りてみたい、こんな場所で日がな一日過ごしてみたいものだ。

来る時は居眠りしていて見られなかった海と大沼公園の眺めを堪能し、特例で青春18きっぷでも特急列車に乗れるが該当する列車本数が極端に少ない青函トンネルを難儀して乗り越え、北海道に別れを告げる。

このまま南下して東京を目指しても、東北地区は普通列車の運行本数の少なさと乗り継ぎし難さで余り距離が稼げないので、のんびり寄り道しながら行くことにする。
青函トンネルを擁する津軽海峡線から分岐するローカル線、津軽線に乗り換え、終着駅の三厩まで行ってみることにする。何も用はないのだけれど。


いかにも終着駅らしい雰囲気の漂う三厩駅。
この付近の地下には青函トンネルが貫通しているらしいのだが、当然ながら地上からはそんな気配は全く感じることが出来ない。




駅前の一本道を暫く歩くと、海に出た。
鉛色の、冬のような寂しい海。
東北の夏は、すでに終わろうとしているかのようだった。

(つづく)

夏休みは汽車に乗って~最北端を目指せ!

2008-08-29 | 旅行
旭川始発の宗谷本線の普通列車で出発。
今日はいよいよ、鉄路の最北端を目指す!


列車は塩狩峠を越えてひたすら北上していく。

旭川を出てしばらくは田んぼの中を走っていくが、かつて「北海道最後の長大ローカル線」である深名線が分岐していた名寄駅を過ぎるといよいよ最果て感が高まってくる。


車窓には天塩川が寄り添う。
冬季には地吹雪が吹き荒れる日本の極北の地だが、この区間の風景は何故か灼熱のベトナム・中国国境の熱帯気候地帯を行くラオカイ線を思い起こさせる。

このまま一気に最北端の稚内まで駆け抜けろ!
と思ったが、そういう訳にも行かない。今日中に札幌以南まで戻らないと、夏季休暇中に熊本へ戻れなくなるのだ。勤め人のつらいところである。
宗谷本線のダイヤを吟味したが、やはり只でさえ運行本数が希薄な区間なので終着駅稚内到達は不可能と判明した。
という訳で、最北端の駅まであと3駅というところで泣く泣く列車を降り、行き違う上り列車を待つ。


稚内へ向かって去っていく列車。
「ああ、終着駅までもう少しだったのに…」

降り立った勇知駅は稚内の3つ手前。
小さな集落の中。





駅前広場。


車掌車を改造した小さな待合室。
地元の方の心づくしの座布団、そして駅ノート。
正統派の「北海道の田舎の駅」の佇まい。
つい学生時代の性分が出て「お、この駅はステビー(駅寝)しやすそうだ」とか思ってしまう。

稚内には到達できなかったが、初めて降りた小さな駅の滞在を楽しんだ。
最後に駅ノートに記帳して、「さあ、旅の目的は済んだ…帰ろう!」


明日は北海道を離れる。
北海道で見る最後の夕陽に旅愁と安らぎを感じつつ、気ままに普通列車を乗り継いで南下していく。

当日中の乗り継ぎ列車がなくなった東室蘭で、この日の行動は終了。

(つづく)

夏休みは汽車に乗って~鈍行列車で北海道を駆け抜けろ

2008-08-28 | 旅行
(写真:赤い青春18きっぷと青い夏空、鈍行列車。北海道、函館本線山線にて)

北海道に上陸して最初に迎えた朝、函館発長万部行きの始発鈍行列車で早速出発。


長万部に到着。
途中、大沼公園や噴火湾の美しい風景の中を走った筈なのだが、久し振りの駅寝の疲れか車内でも熟睡してしまい、気が付くと列車は終点に到着していた。残念。

ここ長万部で乗り換える小樽行き普通列車の出発は、約3時間後。
足止めを喰らってる間に、ちょっと温泉に入ってこようかな。
長万部駅の裏手には温泉街が広がっているのだ。


適応症に神経痛とあるから、鈍行の直角シートに乗り続ける青春18きっぷの旅の疲れを癒してくれるに違いない。

長万部温泉、
猛烈に塩辛い、海水を煮詰めたような、でも不思議とさっぱりしたお湯でした。


駅と温泉街を結ぶ跨線橋を渡ると、札幌行きディーゼル特急「スーパー北斗」号が猛然と通過していく。
最高速度時速130キロ、振り子式車体を備えた日本最強の気動車特急がエンジンの轟音と共に通過していく様子は胸がすくようで壮観だ。



「スーパー北斗」号は長万部で分岐する線路の右方向、噴火湾沿いに走る室蘭本線を経由して札幌へ向かうが、
今から乗り込む鈍行列車は左方向の函館本線へと向かい、山を越えて倶知安、そして小樽を目指す。

かつては日本最大最強の蒸気機関車C62が重連で挑んだ函館本線山越え区間、通称“山線”を難なく越えた鈍行ディーゼルカーは倶知安駅で小休止。
急行「ニセコ」号を率いる重装備のC62が一時停車して、釜の蒸気圧を限界値ギリギリまで焚き上げて峠越えの死闘に備えたという倶知安の駅前では、真夏の雪だるま君が出迎えてくれた。


倶知安から、宇宙飛行士の毛利衛さんの出身地である余市を経由して小樽へ。
ここから先、札幌を過ぎて一気に北上しようとしたのだが、札幌と旭川の間はL特急「スーパーカムイ」が30分おきに行き交う幹線区間であるにも関わらず普通列車の運転本数は極端に少なく、結局旭川駅に到着した時には既に22時を回っていた。

二晩続けてのステーション・ビバークはさすがにきついので、駅近くのインターネットカフェに飛び込んでナイトパック料金で沈没。
おつかれさまでした。

(つづく)

夏休みは汽車に乗って~夜の急行「はまなす」で北海道上陸

2008-08-27 | 旅行
夜の大館駅から弘前経由で青森駅に到着して、すぐに乗り換えた夜行急行「はまなす」号の自由席は満席。
青春18きっぷでは乗れない「はまなす」号の青函区間の急行料金と運賃を追加で払ったのに、仕方なく立ったままでの青函トンネル通過と北海道上陸となる。

こういう昔ながらの雑多な夜汽車って、最近はホント滅多に見かけなくなったね。
尤も立ちんぼうは結構ツライんだが…


深夜2時前に函館駅に到着した夜の急行「はまなす」は、札幌を目指し発車していく。
優等列車には乗れない青春18きっぷの乗客である僕はここで降りて、明日の始発の函館本線の鈍行を待つ。

結局このまま、昔取った杵柄とばかりに駅前でステーション・ビバーク(駅寝)。
「函館駅では学生時代に何度も駅寝したなぁ…懐かしい。青函連絡船時代の三角屋根の駅舎にはホント世話になったもんだ…」


以前は函館駅には野良ねこが住み着いていて、朝には始発前になると駅寝している野郎達を起こして周ってくれていたのだが、今朝はねこのモーニングコールはなくて朝露の冷たさで目が覚めた。
盂蘭盆会前だというのに北海道の夜明けは既に秋の気配だ。
寝呆け眼でプラットホームへ行くと、朝陽を顔一杯に浴びて長万部行きの始発鈍行が待っていた。

(つづく)

夏休みは汽車に乗って~ローカル線、八幡平。そして夕暮れ

2008-08-27 | 旅行
青春18きっぷの利用者を満載して東北本線を北上した快速「みちのく」号と盛岡で別れ、ここで花輪線経由大館行きの快速「八幡平」号に乗り換え。
なかなか上手い具合に組まれたダイヤだと感心するが、この「八幡平」号は途中の好摩駅まで第3セクターのIGRいわて銀河鉄道を経由するので別料金を取られる。
新幹線が八戸まで延びるまでは、青森まで一直線に同じ東北本線だったのにね…



夏休みの想い出。
思わず途中下車してみたくなる駅。
列車はその名の通り八幡平の景色の中を走って行く、北を目指す青春18きっぷの旅行者を乗せて。


単なる途中駅なのに行き止まり式のスイッチバック駅となる十和田南駅で日が暮れた。




この辺りはゴールデンウィークに十和田湖や小坂鉄道、白神山地をドライブした時にも通ったね。この近くに「ストーンサークル」や「キリストの墓」なんてミステリースポットがあったような。


夜の大館駅に到着。折りしも上野行きブルートレイン「あけぼの」が発車していく。

駅前には、小坂鉄道の大館駅事務所がそのまま残されていた。
小坂鉄道復活の日は来るのだろうか?

(つづく)

またしても旅に出てしまいました

2008-08-25 | 旅行
残暑お見舞い申し上げます
天燈茶房 TENDANCAFE 亭主 mitsuto1976 拝

さて、「夏休みは汽車に乗って旅行記」ものんびり進行で連載中ですが、天燈茶房亭主は去り往く夏を惜しむ余り、
この週末にまたしても行ってきてしまいました、北海道に。
いやね、航空会社のマイレージが結構貯まってたんで、特典航空券を発券してもらって、タダで行って参りましたんです。

かくして2週連続での北海道入りと相成った訳ですが、今回はこんなもの達に会ってきましたよ。


苫小牧に安住の地を得たソヴィエトの宇宙ステーションや…


去り往く想い出の道内夜行列車に…


バスでもなければ列車でもない、世界最先端の不思議な乗り物とか。

早速、旅の話を書き始めたいところですが、
何しろつい先程帰宅したばかりで疲労困憊、明日は仕事もあるしね。それに何より「夏休みは汽車に乗って旅行記」がまだ途中だし。
という訳で、明日以降再び旅行記をのんびり再開します。宇宙ステーション「ミール」や夜行特急「まりも」、夢の乗り物「デュアル・モード・ビークル」の旅物語はその後で。
暫しお待ちを!

しかし、北海道は既に寒かった…九州熊本もだいぶ涼しくなってきたね。

夏休みは汽車に乗って~快速「みちのく」号、北へ…!

2008-08-22 | 旅行
赤い青春18きっぷに日付印を入れてもらい、東北本線の始発電車に乗って一路北を目指す。

途中、こんな勇ましい貨物列車と遭遇したりして…

自衛隊の火器か何かですかね?

福島からは臨時快速「みちのく」号に乗車。

福島から盛岡までの東北本線を一気に走破してくれるこの列車、青春18きっぷ利用者向けのサービスで運転されてるようなのだが、
全車自由席の快速なのに名車として名高い寝台特急電車583系が使われている。
大盤振る舞い!


国鉄の最高傑作の一つに数えられる“月光型”こと583系。
特急列車と見紛う風格。


車内は寝台で昼寝し放題…という訳にはいかず、
さすがに寝台はしっかり畳んであるが、それでもここまで乗ってきたロングシートの普通電車に比べたら快適そのもの。
なんてったって特急電車だもんね。


盛岡へ向かい、いざ出発。

(つづく)

夏休みは汽車に乗って~東京散歩、嗚呼懐かしの交通博物館

2008-08-19 | 旅行
ブルートレイン「はやぶさ」を横浜で途中下車し、JAXA宇宙研の相模原キャンパスで友人Kと落ち合う。
翌日、秋葉原界隈を歩いていて見つけたのがこの看板。


神田の交通博物館が閉館してから、もう2年も経つのに、どっこい生き続けてるこの看板。
それに導かれるようにフラフラとこの先200メートル歩いて行くと…


あった!
交通博物館、看板は剥がされてるけど建屋は健在だった!

それにしても、狭くて古くて小さい、こんな都心のど真ん中の路地裏に突如存在していたまさに“異空間”だったんだなぁ。。。


かつては新幹線0系と蒸気機関車D51のカット車体が鎮座して街往く鉄道少年に睨みを効かせていた場所には、線路だけが残されていた。
その脇をいつの間にやら新型車両になったオレンジ色の中央線電車が駆け抜けていく。

近所の学校か何かから、夕方のオルゴールチャイムが聞こえてくる。
♪おててつないで みなかえろ からすといっしょに かえりましょう・・・

僕も帰ろう、いや、出かけよう。
とりあえず、明日の始発で北に向かうか…

(つづく)

夏休みは汽車に乗って~ブルートレインで出発

2008-08-19 | 旅行
夏休みは汽車に乗って出かけよう。
まずは、ブルートレインで出発。九州と東京を結ぶ唯一の寝台特急「はやぶさ・富士」。
「はやぶさ」の始発駅熊本の出発時刻は午後4時前。まだ会社で仕事を片付けている時間だ、とても間に合わない。
でも、新幹線「のぞみ」で追いかければ、3時間以上遅れて熊本を出発しても大丈夫。
最終の「のぞみ」は広島で見事に「はやぶさ」に追いつく。




鍵の掛かる個室寝台でゆっくり眠って、一夜明けるともう東海地方。
朝寝を決め込んで思いっきり寝坊できるのも個室寝台のいいところ。
熱海を過ぎた、そろそろ起きようか。

(つづく)

帰ってきました

2008-08-17 | 旅行
夏休みも今日でおわり。
という訳で、本日旅行から帰宅しました。

ブルートレイン「はやぶさ」で出発した初日のJAXA相模原キャンパスの一般公開からもう1週間以上経ってるんだなぁ。。。
長い夏季休暇旅行だった。

JAXA相模原キャンパス以後、加速量は小さいけれど効率はムチャクチャいい、そうまるでイオンエンジンのような(ちょっと強引か…)「青春18きっぷ」で日本を北上して、最終的に稚内のちょっと手前まで到達したところで行き違い列車スイングバイで軌道修正して、最終区間は再びブルートレイン「はやぶさ」に乗って一気に熊本へ。
いや~北海道も東北も涼しいというか夜は寒いくらいだったけど、流石に高湿度日本一の熊本(ソース:某漫画『動物のお医者さん』)は蒸し暑い!
爽やかな北国が懐かしいよ…


旅行記は明日以降、ぼちぼちまとめます。


僕と入れ違いに盂蘭盆会は熊本の実家に帰省していたmogから「京都は盆地でジメジメしてるから熊本より暑い!バカになりそうなくらい暑い!!モモコも暑いんでひっくり返ってる」と残暑見舞い(見舞われ?)メールが来てたが、モモちゃんは夏空の向こうの何を見ているのかな。
ちょうど今、ギラギラ太陽の向こう側には「はやぶさ君」がいるけど。。。


では皆様、まだ暑い日々が当分続きますが、
時には青空や夜空を見上げて宇宙に想いを馳せつつ爽やかな気分で残暑をやり過ごしましょう

天燈茶房亭主 mitsuto1976 拝

もうひとつの北の終着駅

2008-08-14 | 実況
宗谷本線勇知駅で夏の旅に一区切りを付けて、九州熊本に帰る道すがら寄り道した、ここは津軽半島の果て青函トンネルの上に立つ本州最北端の津軽線三厩駅。
北海道より色濃く最果て感の漂う、竜飛崎に程近い北の海の町。

特急列車しか走らず青春18きっぷの旅行者泣かせの青函トンネルで大幅時間ロスを強いられたせいで今日は青森県から南下出来ず足止め。明日は一気に東北を駆け降りなければ。