天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

2009-2010 冬の旅 8、北の秘境駅 室蘭本線小幌駅

2010-01-31 | 鉄道
夕陽に染まる小幌駅構内 函館方向より札幌方向を望む

2009-2010 冬の旅 7、苫小牧市科学センター ミールに会える街からの続きです

苫小牧駅を13:04発の函館行き特急「スーパー北斗12」号に乗車…のつもりが、列車の到着が遅れている。
数十分遅れてやって来た「スーパー北斗12」号の自由席車内は超満員、立ち席の乗客であふれるデッキに何とか潜り込んで発車。
今日(2009年12月29日)はもう年末の帰省ラッシュのピーク時期、札幌から道南各地に帰省して年越しをする人が集中しているのだな。乗降に時間がかかって延着したのだろう。

「スーパー北斗12」号は懸命に走って遅れを徐々に回復しながら、洞爺駅に到着。ここで下車。
 
洞爺で14:37発長万部行き普通列車478Dに乗り換えて、これから向かうのは4つ先にある室蘭本線の無人駅、小幌駅
何故そんな駅へ向かうかと言うと…実はこの小幌駅、ただの駅ではない。
駅の周囲には人家も何も無く、何より駅につながる道路が見当たらない!
一体、誰が利用するのか。いや、そもそも利用する人などいるのか?
それ以前に、利用することが現実的に可能なのか?
「列車でしか到達出来ず、列車でしか脱出出来ない」という、有り得ない条件下にある謎の駅。

以前から鉄道愛好家と一部の好事家の間で秘かに語り草となっていた、そんな謎の駅は今、インターネットの普及によってその存在と面白さが一気に世間に広く知れ渡ることとなり、いつしかこう呼ばれることとなった…
曰く、秘境駅と!

全国に幾つかある秘境駅の中でも、特に小幌駅は冬には積雪によって完全に鎖される北海道の海岸に面した山中という極めて厳しい地理的気象的条件と、駅につながる道路が全く存在せず文字通り「駅から外界へは完全に遮断されていて鉄道以外の手段では到達・脱出不可能」であることから極付けの秘境駅とされており、
故にこの駅に憧れ、ただ下車して訪れ、また乗車して去る旅人は数多いという。
かく言う僕も実は2008年の夏に小幌駅を鈍行列車で「停車」して、そのまま走り去っている。この時、「いつかは降り立ってみたい…」と強く想ったのだが、1年あまり経って遂に実際に小幌駅に「降り立つ」ことになった。
しかも厳冬期。秘境駅が雪に鎖される、最も厳しい季節を選んでの“小幌駅上陸”である。自ずと到着前から、期待と覚悟が高まる!

 
15:03、長万部行き普通列車は小幌駅に到着した。
唯一人、僕だけを降ろして、列車はプラットホームを離れ、トンネルに吸い込まれて行く。
思わず「あ…取り残された!」という感覚。




降り立った長万部方面上りプラットホームでは、煤けて朽ち果て始めた駅名板が出迎えてくれた。
列車の走行音がトンネルの奥に消えた後は、辺りは山から海から吹き抜ける風の音と水音に支配される…水音?
何と小幌駅は雪解けの渓流の真上にある「橋上駅」スタイルだった。足元を、冷たそうな水が結構な勢いで海へと流れて行く。思わず足がすくむほどの、寒さを感じる渓流の水音。


小幌駅の発車時刻表。
1日に停車する列車は上下合わせて8本のみ。早朝深夜には普通列車さえも通過してしまう。


プラットホームを離れて函館方向から札幌方向を見る、これが小幌駅の全景。
ホームの先で線路はすぐにトンネルに吸い込まれている。


一方、函館方向を見るとこちらもこの通り、駅の先はすぐトンネル。
小幌駅はトンネルとトンネルの谷間にあるのだ。






小幌駅から見る海側の風景。
短いプラットホームと、保線業務用と思われる建家があるだけで、その先は原野。
原野は海岸に続いていて、木々の向こうから打ち寄せる波の音が聞こえる。


しかし、海へと向かう道などは一切見当たらない。
それでも恐らく原野を強引に乗り越えて海へと向かう釣り人はいるようで、密漁禁止を呼びかける立て看板が原野の向こうに見える。
そう言えば確か、この駅を「利用する」とされる乗客は殆ど釣り客のみだと聞いたことがあるが、それにしてもこの原野を乗り越えて行くとは…。
増してや雪に覆われた今の状態でこの原野に足を踏み入れることは、即「遭難」を意味するとしか思えない。
実際、雪の上には足跡一つ付いてはいなかった。


山側にはトンネルの出入口にやはり保線業務用らしき小屋があり、駅の真下を流れる渓流が続いているだけで、こちらにも道らしきものは一切見当たらない。
山の上には国道が走っているそうで、時折自動車の走行音が聞こえてくるが、相当距離と高低差がありそうで、徒歩での到達は不可能だろう。
勿論、雪に覆われた今は即「遭難」となることも想像に難くない。

「…本当に、ここは秘境だ。
誰も近付けないし、どこにも出られない、正真正銘の秘境駅だ!
山と海と雪に閉じ込められてしまった。」



秘境駅を、特急列車が高速で通過して行く。
特急の車内にある日常社会と、秘境駅に一人取り残されている僕とでは、まるで別世界にいるようだ。
世間と隔絶されてしまったような、孤独感が深まっていく…




午後3時を回ると、北海道の短い陽は傾き始める。
小幌駅は早くも夕闇の気配に包まれる。

「寂しい…もう帰ろう!」

しかし、この時、驚くべきものを目にしてしまった。

駅の海側、海岸へと続く原野の脇のほうに、小高くなった丘があるのだが、保線小屋の裏手の方からその丘の上へと足跡が続いていたのだ。
さっき海側に来たときには気が付かなかった。
「…!誰か、ここから海の方の丘の上に行ったんだ!でも一体、何の為に?」
でも僕には、その足跡を辿って登って行こうという気力は無かった。
夕陽に照らし出される足跡を見ているうちに、何とも言えない気分になってきた僕は足早に次に来る東室蘭行き普通列車の停る下りプラットホームへと戻った。

そしてそこでもまた、驚くべきものを発見。

ホームの奥の斜面に、木に結わえ付けられ雪に埋れたこれは…
「駅ノート!?」
そう、これはまさしく、全国各地の無人駅に旅人が自主的に設置する形で発生し、それを見かけた旅人が自主的にコメントを書き込み、勝手連的に維持管理を行う「原始的アナログBBS」とでも言うべき情報掲示板システム、「駅ノート」!

かつてインターネットが普及していなかった頃はかなり有効な情報交換ツールとして多くの旅人に愛用されており、実際に質量共に現在のネット掲示板にも匹敵する情報がノート上の手書きコメントでやり取りされていたのだ。
ネット掲示板全盛の今もなお、その独特の温かみと叙情的な雰囲気に惹かれる駅ノートファンは多く、日本各地の無人駅には旅人のコメントで埋め尽くされたノートがひっそりと次の旅人の書き込みを待っているのを見かけることは数多い…
という事は僕も知っていたし、実際に駅ノートを見かけると必ずコメントを書き残すようにしているのだが、それにしても待合室すらないこの小幌駅で、雪の中から駅ノートを掘り出す事になろうとは!
雪の中から出てきた「小幌駅駅ノート」は、北海道の山中に野晒しという過酷な保管状況にも耐えるよう頑丈なビニールケースに2重に収められており、管理人氏の情熱の程が伺える。
その熱意に感心し敬服しつつ、今日この日この時間に九州は熊本から酔狂な旅行者がこの秘境駅を訪れたということをしっかり書き込ませて貰った。




駅ノートを元通りにケースに戻して、木の根元の雪の中に埋めると、列車の接近を告げる自動放送のアナウンスが小幌駅に響き渡った。
「さあ帰ろう!」
ワンマンのディーゼルカーが僕の目の前に停車し、ドアが開いた。
暖房の効いた車内に入ると、秘境から日常に戻ってきた気がした。
小幌駅15:26発、東室蘭行き普通列車487D。23分間の“秘境滞在”だった。

16:16、伊達紋別で487Dから下車。
ここで16:37発の函館行き特急「スーパー北斗16」号に乗り換えて、今来た線路を函館方向へと引き返す。
小幌駅のように停車する列車が極端に少ない場合、目指す方面へと向かう列車を待つより先に来る逆方面行きの列車に乗ってしまい、改めて目指す方面へと向かう特急に乗り換えてしまった方が結果的に速く目的地に到着出来る場合というのがたまにある。
「乗り鉄」をやる連中の間で「返し」などと呼ばれるテクニックで、今回の旅のように特急も乗り放題の周遊きっぷなどを使っている場合は特に有効とされ、このテクニックを駆使出来るようになれば一端の「乗り鉄」として認められるというか、まぁ立派な重症患者に認定という訳である。
ともあれ、函館目指しひた走る「スーパー北斗16」号はやがて、さっきまで滞在していた“秘境”を駆け抜けて行く。
トンネルの谷間に雪に鎖された秘境駅は既に闇に包まれ、特急の車中からはその存在を確認することすら出来なかった…

ここまでの鉄旅データ
走行区間:苫小牧駅→洞爺駅→小幌駅→伊達紋別駅→函館駅(室蘭本線・函館本線経由)
走行距離:321.5キロ(JR営業キロで算出)


2009-2010 冬の旅 9、最北のブルートレイン 寝台夜行急行「はまなす」に続きます

2009-2010 冬の旅 7、苫小牧市科学センター ミールに会える街

2010-01-31 | 博物館・美術館に行く
苫小牧市科学センター・ミール展示館の宇宙ステーション「ミール」
現在、世界で唯一現存する実物予備機である


2009-2010 冬の旅 6、室蘭市青少年科学館 北の街のプラネタリウムからの続きです

苫小牧駅に着く頃にはすっかり日が暮れていた。
駅からホテルまでの道沿い、公園を彩るイルミネーション。
 

夜の街へと繰り出したい気分にもなったが、今夜は長旅の疲れを取るためにホテルの部屋で寛いで、早めに就寝。

第3日目 2009(平成21)年12月29日

ぐっすり眠ったのでスッキリ起床。今日はいい天気。
チェックアウトする際にフロントに手荷物を預かってもらって、歩いて目指すは苫小牧市科学センター
ここには世界で唯一、ロシア(旧ソ連)の宇宙ステーション「ミール」の実物予備機が展示されているミール展示館があるのだ。



実はここに来るのはこれで2回目。
前に来たのは2008年の夏の終わりだったが、早くも秋の気配が色濃く漂う街にはとても風情があり、「また苫小牧にミールに会いに来たい」と思っていたのです。
苫小牧の街の中心部にも程近く、散歩がてらに気軽に歩いて訪れることが出来る科学センター。
さっそくミールと再会。
先ずは展示館の職員さんに挨拶して、写真撮影とネットでの公開可否を伺います。快くOKを出して頂けたので、安心して見学と撮影開始。


展示館の2階通路、定番の撮り位置から見下ろすミール。
右奥のコアモジュール(居住区)の手前側にクバント(天体物理観測モジュール)が結合した状態です。


1階フロアに降りて、至近距離から見るミール。
船体の赤旗ソ連国旗、船外活動用の手摺が印象的。




クバント側から見るサイドビュー。
さすが宇宙ステーション、圧倒的な重量感があります。




コアモジュールのドッキングポート。
このドッキングポートを介して各種のモジュールが接続され、ミールの実機は世界最大級の宇宙建造物となったのです。




ドッキングポートの巨大なインターフェースコネクタ(と思われる接続部)。
これって、実際の軌道上でもカバーも無しで剥き出しだったんでしょうかね?

外観を見て歩いていたら、展示館の職員さんから「船内もご覧になりませんか?」と声を掛けられたので、喜んで見せて頂きました。



コアモジュール内のドッキングポートに続く部位にある操縦席。
夥しい数のアナログなボタン・スイッチ類が並んでいて、如何にも操縦が難しそう。
さらに中に入って初めて気が付いたのだが、操縦席の足元部には地球を確認するための小さな窓もあります。
案内して下さった職員さんによると「本当は、この窓から地球の映像が見えるような展示とかもやりたいんですけどねぇ」とのこと。
また「展示館の天井に黒いスクリーンを張って、ミールが実際に宇宙を飛んでいるように見せたりもしたいと考えてます」おお、それは実現したら楽しそう!
「それならいっそのこと、ドッキングポートに実物大の他モジュールやソユーズを風船で再現してドッキングさせてみたりしたらどうでしょう!?」
「ええ、そういったこともやりたいんですが、展示館内のスペースに限りがあるから難しいんですよ」
制約がある中で、いろいろと展示方法を工夫しておられるんですね。

「ところで、今日は本州から来られたんですか?」と聞かれたので、
「いえ、もうちょっと遠く…九州の熊本からです」と答えると「そんな遠くから!」と驚かれました。
いえいえ、実はここに来るのは2回目なんですよ!
それだけの価値があるんですよ、何しろミールに会えるのは今では地球でもここだけなんですから。それに宇宙にあったミールの実機も2001年3月に大気圏突入し、失われていますから。
でも、実は現在ミールに代わって地球周回軌道を飛んでいる国際宇宙ステーション(ISS)のズヴェズダと呼ばれるロシアのモジュールは、基本的にこのミールのコアモジュールと同じ構造となっています。
偉大なる先駆者としてのミールの業績はISSに引き継がれ、今なお宇宙を飛び続けているのです。


ミール展示館にはミール関連の資料もあります。
これはミールで使われたノート。一緒に付いているのは低重力環境でも使える「宇宙ペン」でしょうか。
はて、「一方ソ連は鉛筆を使った」という有名なジョークもあるのだが、あれはやっぱりフィクションだったのかな?


ミールに搭乗した歴代の宇宙飛行士達の名鑑。
随分初期の頃から、ソ連のみならず当時の「東側陣営」諸国の飛行士達がミールを訪れていたんですねぇ。
僕がダマスカスで資料館を探し歩いたシリアのファーリス(ファリス)飛行士の名前もあります。

ここでいきなり、お宝グッズが登場!

説明も何も無く宇宙食のパックなどと並んで展示されているこのキーホルダーとピンバッヂ、
何と宇宙科学研究本部のM-Vロケット5号機と小惑星探査機「はやぶさ」の公式グッズです。
確か「はやぶさ」の公式グッズは今のところこのバッヂとキーホルダーのみしか作られていない筈。
それにしても、こんな貴重なお宝グッズが何故、ミール展示館に!?謎は尽きない(笑)

ミール展示館を満喫したので、ミール船内を案内して下さった職員の方にお礼と「また熊本からミールに会いに来ます」と挨拶してから、ミール展示館を後にします。
次は科学センター本館の方へ。

ミール展示館との連絡通路の先には、宇宙開発史の年表と歴代の世界のロケットが勢揃いした展示パネル。
これはカッコいい!


そして僕のお気に入りの場所は、連絡通路脇にあるこの図書スペースだったりします。
科学館・博物館には大抵あるこの図書スペース、何気にいい本が揃っていたりしますからねぇ。
ここでも小学生の頃に学校の図書室で読み耽った「学研まんがひみつシリーズ『コロ助の科学質問箱』」を見つけて、暫し立ち読み。
ああ懐かしい!

 
苫小牧市科学センター本館は「昭和45年1月、当地方の科学する心を育成し、郷土文化の向上・発展を図るため、苫小牧市青少年センターとして開設しました」(公式ホームページ「施設の概要」より転載)という、とても歴史のある施設。
展示も年季が入っていますが、見やすく解りやすいように工夫されていて味があります。


昭和45年の開設から平成元年まで使われていたという、旧プラネタリウム投影機。
延べ50万人が、この投影機が映し出した星を見たそうです。


そしてこちらが、現在使用されているプラネタリウム投影機。
苫小牧市科学センターのプラネタリウムは、昨日の室蘭市青少年科学館のものより一回り大きめのドーム。
今夜の苫小牧の星空案内と、室蘭と同じくオリオンとプレアデス星団がテーマの「冬の星空とプレアデスの七人姉妹」の物語が上映されました。

ミールとプラネタリウムを堪能して、すっかり満足。
ホテルで手荷物をピックアップして、駅に向かいます。ミールに会える街、苫小牧を後にしてこれから行く先は…秘境駅!

2009-2010 冬の旅 8、北の秘境駅 室蘭本線小幌駅に続きます

2009-2010 冬の旅 6、室蘭市青少年科学館 北の街のプラネタリウム

2010-01-27 | 博物館・美術館に行く
室蘭市青少年科学館のプラネタリウム投影機

2009-2010 冬の旅 5、北海道へ。白鳥と北斗からの続きです

室蘭駅に着いたら先ずは駅前の交番で道を聞いて、向かった先はここ。

室蘭市青少年科学館
公式ホームページによると「青少年に対する科学知識の普及、啓発を図るための主要施設として、昭和38年4月1日北海道の第1号館として開設され」たそうで、歴史のある施設だ。
また、ここにはプラネタリウムもある。

僕は子供の頃から博物館やプラネタリウムが大好きなのだが、地元の熊本博物館以外にはあまり行ったことがない。知らない街の博物館には興味がある。
そんな訳で、以前から「日本各地の博物館・プラネタリウム巡りをしてみたら面白いだろうなぁ…」と考えていたのだが、今回の旅から実際にそれを始めることにしたのです。
その第1回目の訪問先として、北海道乗り鉄の旅のルート上に位置する室蘭市青少年科学館を選んでみました。



玄関横の受付で入館料料金とプラネタリウム入場料金を支払い、来館目的を説明し館内の写真撮影とネット上での公開の可否を確認すると快くOKを出して頂けた。
「プラネタリウムが始まるまであと1時間くらいあるから、それまで是非見学されて遊んで行かれて下さい」とのことなので、早速館内の見学。

手作りの展示品が並び、なんとも懐かしい雰囲気のエントランス。
1階では体験型の展示が行われていて、冬休み中の子供達が職員の方に指導されながら楽しく実験中。
思わず僕も一緒に実験体験をしてみたくなる。

2階は科学や宇宙に関する展示中心。
これまた何とも味のある展示で、子供時代に戻ったような気分にさせてくれる。




アナログだけど、丁寧な展示。
昔の科学少年少女たちは皆、ドキドキしながらこんな展示を食い入るように見つめて宇宙科学の基礎を学んだものだ…



これぞレトロフューチャー!希望に満ち溢れた宇宙科学の未来を予感させるロケットの模型。
ここに展示されている未来のロケットの内、イオンロケットは見事に実現し今この瞬間も小惑星のかけらを抱いて地球へと向かう小さな宇宙船の翼として羽ばたいている。
僕もいつの間にか、あの頃夢見た未来の世界に生きていたんだなと感じる瞬間。


日本が世界に誇る固体燃料ロケットの最高峰、
ISAS宇宙科学研究所のミューロケット第1世代M-4Sロケットの模型がありました!
これは2号機のようだが、実際のM-4Sの2号機は昭和46年2月16日に鹿児島宇宙空間観測所(内之浦)から打ち上げられています。


M-4Sロケット2号機が打ち上げた衛星である試験衛星「たんせい」の模型もちゃんとあります。
日本のロケットと宇宙科学の黎明期の、熱気と勢いの残り香が濃厚に漂ってくるようです。
宇宙好き、ロケット好きにはたまらない展示だ。

 JAXA関連の展示コーナーもあります。
日本の宇宙への道を切り開いたミューロケットから現在活躍中の日本人宇宙飛行士の紹介まで、
日本の宇宙科学と宇宙開発の歴史が一通り見られるようになっていますね。


中庭に出てみるとこんな感じ。
中央のUFOのような丸い物体がプラネタリウムドームらしい。
いかにも…な設計と外観ですね。


中庭の隅に鎮座まします蒸気機関車、D51-560。
除煙板の前方が欠き取られて小さくなっている独特のスタイル、北海道仕様なのかな。
上屋を最近建て直したばかりのようで、車体の状態も良好、しっかりメンテされています。


中庭には温室もあります。
温室を保有する科学館は全国的にも珍しいとか。


うさぎさんもいます。
何だか、昔の小学校のようだね。

一通り見て回ったところで、午後3時のプラネタリウム上映時間になったので先程中庭から見えた丸いドームの中へ。


この先がプラネタリウムのドーム。
雰囲気出てます。


プラネタリウム投影機。
ドームは小ぶりですが、6,000個の星を投影することが出来ます。




ちょっとクラシカルなプラネタリウム投影機器。

僕のプラネタリウムでの定位置、「投影機器の近く、オペレーターさんの目線と近い視野でドーム内を見渡せる席」に座って、暫し小さな人工の星空の中へ。
今夜、室蘭市内から実際に見える星座と惑星の紹介のあと、オリオンとプレアデスの物語上映というプログラム、上映時間は約30分でした。
ちょっと短いので少し物足りないかな。もっと長く星空を観ていたい気もしますね。
全体的に手作り感たっぷりの室蘭市青少年科学館プラネタリウムでした。

プラネタリウムが終わると、もう閉館間近。
冬期には午後4時で閉館してしまうのです。もう少し館内を見て回りたかったのだけれど、残念。
玄関横の受付で、先程対応して下さった職員の方にお礼を言って帰ります。
「今日(2009年12月28日)は今年最後の開館日だけど、来年は1月4日から開館しますのでまた遊びに来て下さいね」とのことでした。
また来たいです、室蘭市青少年科学館。今日はお世話になりました!

 室蘭駅まで戻って、列車に乗ります。
16:42発普通列車。但しこの列車、途中の東室蘭からL特急「すずらん7」号になって札幌まで直通します。
「すずらん7」号で苫小牧まで行って、今夜は苫小牧で一泊。
明日は…宇宙ステーション「ミール」に会いに行こう。

ここまでの鉄旅データ
走行区間:室蘭駅→苫小牧駅(室蘭本線経由)
走行距離:65.0キロ(JR営業キロで算出)


2009-2010 冬の旅 7、苫小牧市科学センター ミールに会える街に続きます

2009-2010 冬の旅 5、北海道へ。白鳥と北斗

2010-01-24 | 鉄道
“日本最強の振り子特急”FURICO283。
キハ283系は当初、道東方面行きの「スーパーおおぞら」に運用投入されたが、近年では「スーパー北斗」にも使用される。


2009-2010 冬の旅 4、北へ。ブルートレイン「日本海」からの続きです

ブルートレイン「日本海」は数年前までは青森から先、青函トンネルを越えて北海道の玄関口函館駅まで直通していたのだが、現在は北海道新幹線乗り入れ工事が行われている関係で青函トンネルの輸送力に余裕がないらしく、青森駅止まりとなっている。

さらに北を目指すべく、次の列車に乗り換える。

特急「白鳥45」号
青森と函館を結ぶ、かつての青函連絡船航路を引き継ぐ。
また、列車名の白鳥は平成13年まで、ブルートレイン「日本海」と同じ大阪から青森までの日本海縦貫線を千キロ以上に渡って昼行運転でロングラン走行していたことで名高い名列車の愛称を、翌年に復活させて引き継いだもの。
ブルートレイン「日本海」号から乗り継いで北を目指すのにふさわしい名を持つ列車である。

08:57、特急「白鳥45」号青森発車。
ちなみに今回の旅ではJRの周遊きっぷ「札幌・道南ゾーン」を使用しているのだが、ここ青森から先は特急列車の自由席が乗り放題の「周遊ゾーン」に入る。

青森を発車した「白鳥45」号は、途中で先程まで僕が乗っていたブルートレイン「日本海」号だった車庫行きの回送列車を追い越し、津軽海峡線に入って行く。
世界最長の青函トンネルを擁する、本州と北海道を直結する大動脈津軽海峡線…とは言え、実際には青森駅から先の暫くの区間は元来ローカル線だった津軽線を補強しただけのつなぎ区間。
列車はのどかな農村の雪景色の中をガタゴト進んで行く。

 
しかし、JR東日本とJR北海道の境界駅となる中小国駅を過ぎると、突如列車は高規格の高架橋を走り始める。
ここから先は青函トンネルと同時に開業したJR海峡線、将来の新幹線乗り入れも考慮して当初から新幹線規格で建設された区間だ。
今までローカル線を走ってきた白鳥号は、新幹線の高架を高速運転で疾走し始める。

 
そして、青函トンネルに突入!
雪の積もった津軽半島から年中気温や湿度の条件が変わらない超長大トンネルに入った列車の窓は瞬時に結露し、このトンネル内の異質な環境が実感される。



青函トンネル内では北海道新幹線の乗り入れ工事が行われている筈なのだが、高速で走行する白鳥号の車内からはトンネルの闇の中にそれらしき形跡を認めることは出来なかった。
海面下200メートル以上の大深度地下を白鳥号は轟音と共に駆け抜ける。そして…

北海道上陸!

函館に近づくと、列車は元ローカル線の江差線を走る。
車窓には北海道の海が見えてきた。


海の向こうに臥牛山こと函館山が見えてくると、終着駅の函館はもうすぐ。

10:49、特急「白鳥45」号は函館に到着。
ここでまた列車を乗り継ぎ、さらに北を目指す。

次に乗車するのは…

白鳥号の到着したプラットホームの向かい側で待っていた、この列車。
編成を増結し長大な編成を組んで札幌を目指す、この列車は…


特急「スーパー北斗7」号
北海道を代表する特急列車の一つで、ディーゼル列車ながらも日本で初めて最高速度時速130キロでの営業運転を行った俊足ランナーである。
高水準の技術力を誇るJR北海道がエアラインからのシェア奪還を狙って開発投入した超高性能気動車特急キハ281系HEAT281及びその発展形である“日本最強のディーゼル特急”キハ283系FURICO283を使用し、表定速度時速100キロ以上の超高速運転を行う文字通りのスーパー特急である。


「スーパー北斗7」号の札幌側先頭車として連結されたFURICO283の先頭部からの前面展望。
FURICOの愛称の通り大傾斜角のデジタル制御振り子装置と自己操舵(セルフステアリングシステム)台車を備えた、北海道の過酷な自然環境やカーブ区間が連続する線形をものともせず高速で駆け抜けるために生まれた最強の怪物マシン…それがFURICO283である。

11:00、函館発車。車内は、近年北海道旅行ブームが加熱しているという台湾や中国からの観光旅行の団体で大賑わい。
函館市街を離れた列車は、大出力ディーゼルエンジンを唸らせ振り子装置で身をくねらせながらJ函館本線をどんどん加速していく。

車窓には駒ヶ岳の姿が。



函館本線も2手に分かれて勾配を避け迂回する山岳区間を乗り越えると、内浦湾(噴火湾)沿いを走る。
搭載する振り子装置を活かして、海岸沿いに敷かれた線路を車体を傾斜させながら迫力ある速度で一気に突っ走り、途中の長万部駅で室蘭本線に乗り入れ、
13:01東室蘭駅に到着。
ここで「スーパー北斗7」号から下車。


東室蘭で、13:41発の室蘭行き普通列車4474Dに乗り換え。
東室蘭―室蘭間は歴(れっき)とした室蘭本線の一部なのだが、室蘭の市街地が半島の先に位置している関係でこの区間は分岐して支線となっており、函館と札幌方面を結ぶ列車とは東室蘭駅で支線の列車と接続するダイヤになっている。
しかし、室蘭駅への支線区間はまるでローカル線のような佇まいで、この室蘭行き普通列車も電化区間であるにも関わらず1両単行の気動車キハ40形式でワンマン運転される。

長大編成を組み時速130キロ走行する「スーパー北斗」とは何とも対照的な小さなディーゼルカーで、霙がそぼ降る室蘭の町をのんびり走ること暫し。
13:54、室蘭駅に到着。東室蘭から13分、僅か7キロの支線の旅だった。



さあ、この旅の最初の目的地である室蘭に着いた。
列車を降りて手荷物を駅のコインロッカーに押し込んで身軽になったら、鉛色の雲が垂れ込め冷たい海からの風が吹き抜ける街へと歩き出す。
目指すは…博物館とプラネタリウム!

ここまでの鉄旅データ
走行区間:青森駅→室蘭駅(津軽海峡線/津軽線・海峡線・江差線・函館本線・室蘭本線経由)
走行距離:356.9キロ(JR営業キロで算出)


2009-2010 冬の旅 6、室蘭市青少年科学館 北の街のプラネタリウムに続きます

金星行き「あかつき」、地球出発は5月末!

2010-01-24 | 宇宙
金星に到着する「あかつき」 イメージ画像提供:JAXA

金星の大気の謎に挑むべく、今年度打ち上げられる世界初の惑星気象衛星あかつき

金星探査機 PLANET-C「あかつき」プロジェクトサイト

昨年秋から行われていた、「あかつき」に名前とメッセージを搭載して金星へと共に旅しようという「あかつき」メッセージキャンペーンも既に受付を終了、
「あかつき」への乗車手続きを済ませて記念乗車券も手に入れたら、後は我々“乗客”に出来ることは、出発の時を待つことだけ。

その、気になる「あかつき」の“地球発車時刻”はどうやら5月末になりそうだ。
現在、JAXAの会員制サイト「JAXAクラブ」で公開されている「あかつき」特集一番星(いちばんぼし)を目指(めざ)せ!の<第6話(だいろくわ)>にて、文中に
私(わたし)たちは「あかつき」を、2010年(ねん)の12月(がつ)に金星(きんせい)に到着(とうちゃく)させる予定(よてい)です。旅(たび)にはおよそ半年(はんとし)かかるので、その年(とし)の5月末(がつまつ)に打ち上(うちあ)げるとちょうどいいわけです。との記述がある。
これは「あかつき(PLANET-Cプロジェクト)」の中村正人プロジェクトマネージャから直接の発言の記述のようなので、間違いないと思われる。

 JAXAクラブ
一番星(いちばんぼし)を目指(めざ)せ! ※記事閲覧にはJAXAクラブへの入会(無料)とログインが必要です

中村プロマネがアイパッチにマント姿も凛々しい某SF作品の宇宙海賊を思わせる、その名も“キャプテン・スカイラーク”に扮して「あかつき」プロジェクトについて詳しく解説してくれるこの特集、
子供向けの読み物の体裁なのだがなかなかどうして大人の宇宙ファンが読んでもニヤリとさせられる面白いものに仕上がっている。
また、実際に上記の打ち上げ日時予告のような貴重な最新情報が盛り込まれているので、何気に必見の資料なのだ。
JAXAクラブ、侮れない!

また、<第7話(だいななわ)>には「あかつき」を搭載するH-IIAロケットのフェアリング内の仕様図と思しき図面も掲載されているのだが、大型衛星の静止軌道投入を前提にしたフェアリング内にちょこんと収まる「あかつき」の何と小さいこと!
重量3トンもの巨大衛星「かぐや」を月周回軌道に送り込む能力を持つパワフルなH-IIAに対して、「あかつき」は当初M-Vロケットでの打ち上げを前提に設計された関係で重量は僅かに500キロ、H-IIAにとって最も軽いペイロードとなるのだ。
こういった事も、実際に絵図面で視覚的に見るとより理解が深まるというもの。この図面、必見である。
(…それにしても、これだけフェアリング内に余裕があるなら、元々ミニサイズの「イカロス」や他のあいのり衛星以外にも、もう1機くらい別の衛星をこっそり積み込んでもそのまま打ち上げられるんじゃないの?内緒で衛星を積んじゃえばいいのに…
「はやぶさ2」とかw)

ともあれ、5月末に打ち上げられるということは、「あかつき」は感覚的には出発直後に地球帰還直前の「はやぶさと“すれ違う”訳だ。
…奇しくもどちらも、今はもう走っていないブルートレインと同じ名を持つ探査機。
しかも、「あかつき」「はやぶさ」共に同じ九州を走った夜行列車。実際に、かつて2つの列車は毎夜出会っていたのだ。

間もなく、2つの列車は宇宙で再び出会いすれ違う。


「あかつき」、出発!そして…


「はやぶさ」、到着。

一瞬のすれ違いの後、「あかつき」は金星へと旅立ち、「はやぶさ」は地球へと到着する。
その瞬間を地上から静かに見守りたいと思う。

「あかつき」、行ってらっしゃい。いい旅を。
「はやぶさ」、おかえり。そしてありがとう。

ももこに謎の荷物届く

2010-01-22 | ねことか

お正月明けのある日、ももちゃん(アメリカンショートヘアーの女の子、3歳)のところに大きな段ボール箱に入った荷物が届きました。
「なんだ、これ?」


箱を開けると…
正体不明、よく分からないものの詰め合わせ。


よくわからないけど興味津々。
とにかく嗅ごう。覗き込もう。


ももちゃんに届けられた謎の荷物の正体はいったい…?

(つづく)

2009-2010 冬の旅 4、北へ。ブルートレイン「日本海」

2010-01-21 | 鉄道
終着駅・青森に到着したブルートレイン「日本海」の機関車EF81。
かつて「日本海」はこの先、津軽海峡を越えて函館まで到達していた。


2009-2010 冬の旅 3、最後のキハ181系 特急「はまかぜ」からの続きです

特急「はまかぜ」で国鉄の名車キハ181系の走りと旧き良き国鉄時代の薫り漂うグリーン車を堪能した後は、
今まさに日本から消え去ろうとしている残り僅かな夜の青の列車、ブルートレインに乗り継ぐ。
大阪から日本海に沿って青森までひたすら北上する「日本海縦貫線」、総延長1,000キロを超える北へのルートを走破する寝台特急「日本海」だ。


大阪駅に入線する「日本海」。
やはり年末年始の帰省シーズン真っ只中のせいか、家族連れやグループ旅行者の乗客が多い。

僕も早速、車内へ。
思えばブルートレインに乗るのは、3月の「はやぶさ」上り東京行き最終運行列車に乗ったとき以来だ。
そして、今後はあと何回乗ることが出来るのだろうか…


これが僕の今夜のベッド。
標準型の2段式B寝台とは、ベッドの配置が異なるのがお解り頂けるだろうか?
余裕のある幅広ベッドと真横にある大きな窓…そう!特急「はまかぜ」のグリーン車に引き続き、寝台特急「日本海」でも奮発してA寝台の下段を奢ったのだ。下段A寝台料金、1万5百円なり。
「日本海」号のA寝台は、「はやぶさ」に連結されていた個室のコンパートメントタイプとは異なり、昭和40年代に設計された開放型の2段式A寝台、オロネ24形式。
寝台列車黎明期のアメリカで考案された由緒あるスタイルとされ、考案者の名を取って「プルマン式」と呼ばれる。


プルマン式A寝台車の車内はこのように、中央部に通路が通り、その左右に沿うようにして進行方向向きにベッドが配置されている。
一見、狭そうに見えるが、実際にはベッドの幅は1メートルもあり非常にゆったりとしている。
また、下段ベッドは大きな窓を独占出来るのが魅力の一つ。
ベッドの中から走行中の夜景の車窓を楽しむことが出来るのだ。


ちなみに上段ベッドはこの通り、ロフトか屋根裏のようで枕元に小さな覗き窓があるのみ。
(※上段席が空いていたので、カーテンの端から撮影させて頂きました。勿論立ち入ったりはせず、リネン類にも一切手を触れていないので念の為)
下段とはかなり居住性に差があるので、寝台料金も上段は千円程安く設定されている。
尤も、線路から離れているので走行音も聞こえず廊下の足音も響かず静かで、揺れも伝わりにくいので、寝心地は上段の方が格別に良いという話も聞くのだが…
それでも寝台列車に乗りたくて旅に出たのだから、ここは是非とも下段に乗って車窓を楽しみたいところ。

しかし、現在このプルマン式A寝台に乗れるブルートレインは「日本海」のみ、非常に稀少性が高いとあって乗客の人気も高く、「日本海」号のA寝台下段はシーズンには発売と同時に売り切れる状態だという。
実際、僕も寝台券を発売日に手配したが下段は売り切れで入手出来ず、上段を買って出発したのだ。
そして今日、当日キャンセルが出ていることを期待して米子駅での乗り換え待ち中にみどりの窓口で空席確認をしてもらったところ見事に下段に1席空席が出ており、その場で上段の寝台券と交換してもらったのである。
最後まで諦めなければ、時にはこんな幸運もあるのだ。

17:47、寝台特急「日本海」は始発駅の大阪を発車した。
すぐに隣の新大阪に停車、その後は東海道本線を京都へと向かい走る。
この区間を寝台車で通るのも、「はやぶさ」以来。車窓を眺めて想い出に浸りたいが、そんな場合に便利なのがここ。

A寝台車のデッキ脇にある喫煙室兼談話室。
寝るまでのひと時、車窓を眺めてくつろいだり、勿論、乗り合わせた見知らぬ旅人同士で旅談義に花が咲くこともある。
元々は国鉄時代に2等(現在のA寝台)以上の等級の寝台車に1人ずつ乗務して給仕や雑用を担当していた「列車ボーイ」の詰所スペースの名残だというから、これまた旧き良き時代の残り香である。


喫煙室兼談話室の隣には更衣室も。
こういったちょっとした共用スペースにふんだんに場所が割かれているところに、往年の優等車輌の風格が感じられるのは僕だけだろうか。


三面鏡のある洗面台。
同年代に製造されていた0系新幹線の洗面台と似ている印象。
但し相当使い込まれているようで、冷水のコックの調子が悪くてすぐに熱湯が出てくるので困ったが。

A寝台車オロネ24の車内を観察しているうちに列車は京都駅を発車、東海道本線から湖西線へと入って行く。
車内検札も終り、寝台車の車内もだいぶ落ち着いてきたようなので、A寝台車から編成を一通り見て歩いて最後尾まで行ってみよう。

今日(12月27日)は既に帰省ラッシュのピークに入っているが、それでも「日本海」号の車内は満席ではなく、号車によっては殆ど乗客の乗っていない車輌まである。僕の乗っているA寝台車も、下段は既にすべてふさがっているようだが上段には空席が残っている。
まだこの先に停車駅があるので、これから乗車してくる乗客も相当数あるかとは思うが、車内が思ったより寂しいのはちょっと気がかり。


編成中間に連結された車掌室付き車輌の貫通ドアに表示された「日本海」のテールマーク。
編成最後尾にはこれと同じマークが電照されて、琵琶湖岸の闇夜を往く列車の後ろ姿を美しく飾っている筈。


その最後尾までやって来た。
固く鎖された貫通ドアの窓ガラス越しに、夜の景色が飛び去る。
線名の示す通り琵琶湖の西岸を縦断する湖西線は殆ど全区間が高架橋かトンネル区間で、列車は北陸の日本海を目指し一路、湖岸を駆け抜ける。




琵琶湖の東岸を北上してきた北陸本線と合流する近江塩津駅に到着。
ここでドアを開けず客扱いをしない運転停車。後続の特急電車を先に通すとの車内放送が入る。
暗く侘しい人の気配も無い駅で、暫し小休止。


やがて彼方から前照灯を煌々と輝かせた特急電車が現れ、プラットホームの向かい側を轟音と共に通過。
大阪駅を「日本海」号の約30分後に発車した特急「サンダーバード41」号だ。
「日本海」号を待たせて追い抜いた後、終着の金沢駅には20分以上も早く到着してしまう。
最新型の高性能電車と、設計製造から既に40年が経過した旧形式の機関車が牽引するブルートレインとでは、走行性能の差は如何ともし難い。

北陸の玄関口・敦賀を過ぎて、北陸トンネルを抜けると、車窓にも夜の底を白く染める雪が見え始めた。
窓から、しんしんと冷気が伝わってくる。
自分の席に戻り、A寝台の広々としたベッドに潜り込んで分厚い毛布をかぶると、ベッドの下からじんわりと効く電気暖房と心地よい振動とが相まって途端に眠気が押し寄せてきた。
せっかく手に入れた眺望の良いA寝台下段、ベッドサイドの大きな窓を独り占めしてもっと夜の車窓を観ていたかったが、いつしか睡魔に負けて寝入ってしまったようだ。

第2日目 2009(平成21)年12月28日


目が覚めると雪の朝。
まだ夜は明けきっていないが、レースのカーテン越しに白い冬の朝の気配がベッドにまで差し込んでくる。
列車は先程秋田駅を発車して、秋田県内の奥羽本線を走行しているようだ。


車窓が明るくなると、そこは一面の雪景色。
午前6時半頃、ハイケンスのセレナーデと共におはよう放送が入り、「日本海」号は定刻通り走行しているとの事が告げられる。
冬の高波打ち寄せる日本海沿いを夜通し走行する行程だったが、幸い昨夜の列車の運行には支障が無かったようだ。
無事に朝を迎えた「日本海」号は、沿線の町ごとに停車しながら秋田県から青森県へと旅の最終区間を進んで行く。

夜が明けてしまえば、車内には寝台列車特有の気怠い朝の時間が流れる。
特にA寝台車は終着までベッドの解体も行われないので、これ幸いと朝寝坊を決め込む乗客も多い。
それでも最後の停車駅である弘前を過ぎると、下車の支度で車内は慌ただしくなった。


弘前駅発車後、車内放送で左側の車窓に岩木山がよく見えているとの案内が入る。
僕のベッドは左側、大きな窓からの見事な眺めを堪能出来た。
この季節に、これ程はっきりと岩木山の姿が見えるのは非常に珍しいそうだ。「日本海」号の旅の最後に、嬉しい車窓のプレゼントだった。




08:34、寝台特急「日本海」は定刻通りに終着駅青森に到着した。

到着後すぐに、任務を終えた先頭の機関車が切り離される。
始発の大阪駅からここまで、1,000キロを超える道程を「日本海」号を牽いて走破したのは交直流用電気機関車EF81型。
昨日乗車したディーゼル特急キハ181系と同じ昭和43年に設計製造された、交流直流の電化方式の違いを問わず日本国内殆ど総ての電化区間を走行することの出来る、これまた国鉄の生み出した名機である。
九州へと向かうブルートレイン「はやぶさ」でも、同型機が関門トンネルをくぐる下関―門司間の海底区間の僅か1駅間のみで使用される「縁の下の力持ち」として牽引任務にあたっていたが、
日本海縦貫線ではこの「日本海」号や豪華クルーズ列車「トワイライトエクスプレス」の先頭に立って直流・交流60ヘルツ・交流50ヘルツの3種の電化方式が入り乱れる同線区を交直流機として持てる性能を活かしきっての直通運転を行い、まさに主役として表舞台で大活躍している。


機関車EF81が離れた後、プラットホームに残された編成の端に連結されていた電源車カニ24型式。
JR東日本所有の、車体に金帯を3本巻いたこの車輌はかつては東京と博多を結んでいたブルートレイン「あさかぜ」号に使われていたグループの生き残りだと思われる。
九州路を走っていた車輌に、厳寒の北東北の冬はさぞ厳しかろう。どうか寒さに負けず1日でも長く走り続けて欲しいと思う。




次の列車の待つ乗り場へと向かうべく「日本海」号に別れを告げる。
プラットホームを去る間際、振り返って見た青い列車は降り注ぐ朝の光に包まれて一瞬、金色に染まった。
それは無事に旅を終えた「日本海」号が見せた、ブルートレインの一番美しい瞬間だった。

さあ、旅はまだ続く。次の列車に乗ろう。そして…北海道へ行こう!

ここまでの鉄旅データ
走行区間:大阪駅→青森駅(日本海縦貫線/東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由)
走行距離:1023.4キロ(JR営業キロで算出)


2009-2010 冬の旅 5、北海道へ。白鳥と北斗に続きます

茶道お稽古初め

2010-01-20 | 日記
今日は今年のお茶のお稽古初め。
先生の持ってきて下さった今夜のお菓子は、花びら餅と干菓子、和三盆
花びら餅は、やわらかいお餅で牛蒡を挟んだという何とも斬新な感覚のお菓子。
でも、元は宮中での茶会で用いられていたという由緒あるものなんだそうです。

先生が仰るには
「牛蒡は若鮎を見立てたもの。
昔のものが無い時代にも身の回りにあるもので、季節の感覚をうまく表現されていたのね」
とのこと。成程。

今年も精精精進して、上達とまでもいかずとも、お茶の精神世界という宇宙に少しでも近づけたら…と思います。

準天頂衛星の名付け親になりました!

2010-01-20 | 宇宙
準天頂測位衛星初号機「みちびき」 画像提供:JAXA

日本が進める「準天頂衛星システム」の開発計画の第1段階として、今年度打ち上げられる準天頂測位衛星初号機(QZS-1)
その準天頂衛星の愛称が昨年秋から暮れにかけて募集されていたのですが、今日その募集結果が発表されました。
応募総数11,111件の中から最終的に選ばれた愛称は…

「みちびき(MICHIBIKI)」です!

準天頂衛星初号機の愛称募集結果について
(JAXAプレスリリース)

応募総数中の有効応募総数10,336件のうち「みちびき」は提案者数328名で、最上位の支持を得たそうです。
そして…
その328名の名付け親の中には、僕も含まれます!
ついに、とうとう…
念願の「衛星の名付け親」になることが出来ましたー!!

実は「みちびき」以外にも、天の頂きにある衛星だからと冗談半分で「てっぺん」とか、「銀河鉄道の夜」から着想を得ての「ぎんがステーション」という愛称も応募していたのですが、
やはり「みちびき」の方が語呂も良いし準天頂衛星のイメージに似合いますね。

という訳で、僕の可愛い我が子になった準天頂衛星「みちびき」。
打ち上げの詳細な日程はまだ発表されていませんが、和歌山県在住の方が名付け親の代表として種子島宇宙センターでの打上げ見学に招待されるそうです。いいなー!!うらやましいぞ。

もちろん僕も我が子の旅立ちを見送りに、また種子島まで打ち上げを見に行きたいと思っています。

2009-2010 冬の旅 3、最後のキハ181系 特急「はまかぜ」

2010-01-17 | 鉄道
浜坂駅で発車を待つ大阪行き特急「はまかぜ4」号。
いまや日本で最後に残された唯一の、国鉄の名車キハ181系で定期運転される特急列車である。


2009-2010 冬の旅 2、振り子特急とタラコ気動車と足湯と鉄子の部屋からの続きです

浜坂駅前の足湯で温まってから、駅前の大きな酒屋さんでアルコールを物色(珍しく、沖縄ビールとして有名なオリオンがあったので即購入)。
改めて改札口を通り構内に入る。
13:17、大阪からやって来た特急「はまかぜ1」号が到着する。


大阪駅を今朝09:36に発車した「はまかぜ1」号。
栄光の「列車番号 1D」を名乗り、日本国有鉄道の最高傑作車輌の一つに数えられる名車「キハ181系」を現在唯一、定期運用で使用する、
鉄道愛好家の間では名高い名列車である。
この列車は終着の浜坂駅に到着後、僅か13分で折り返し大阪行きの特急「はまかぜ4」号となり出発する。
その「はまかぜ4」号に、これから乗車して大阪へと向かうのだ。

浜坂駅に据え付けられ、折り返し発車を待つ僅かな間にプラットホーム上からキハ181系を観察してみた。


ゴツゴツと角張ったランプケースが印象的な、精悍なフロントマスク。
塗装はJR西日本仕様のものに塗り替えられているが、基本的に昭和43年の製造開始時以来そのままのデザインである。
運転室後部の巨大なルーバーが実に力強い、見事な造形美。
実際、逞しいのは外観だけでなくキハ181系の走行性能は凄まじい。水平対向12気筒、ターボチャージャー付きディーゼルエンジンの出力は1台500馬力!
この超強力なエンジンのエキゾーストノートはジェット機の爆音を彷彿とさせるとされ、俊足な特急電車にも引けを取らない最高速度120キロでキハ181系は疾走する!
これ程の性能を持つ車輌を、国鉄は今から40年以上も前に開発し実戦投入していたのだ。キハ181系が名車と語り継がれる所以である。



そろそろ発車時刻なので、車内へと乗り込む。
今回乗車するのはデッキの四ツ葉のクローバーマークも誇らしげなこの車輌、2号車に連結されたグリーン車だ。
奮発したグリーン料金は浜坂→大阪間で4千円也…




グリーン車の車内。
ずらりと並んだ座席は真っ白な枕カバーも目に鮮やかだが、登場以来40年以上も走り続けてきたキハ181系は今なお高水準にある車輌の走行性能とは裏腹に車内設備の老朽化と陳腐化の感は否めない。
特に日頃JR九州のハイグレードな特急車輌に乗り慣れた九州からの乗客の目には、いかにも旧態依然に映る。
しかし今日はその事に文句を付けるつもりなど毛頭ない。
何しろ僕は、この旧態依然さを味わう為に高額なグリーン料金を支払ったのだから!
今となっては、この古めかしい国鉄時代から変わっていない座席に座れる列車は、日本全国でもこの「はまかぜ」号くらいのものなのだ。


ちなみにこちらが、隣に連結されている普通車の座席。
割と新しいタイプのリクライニングシートに交換されており、レベル的にはグリーン車の座席と殆ど差異が無いことが分かる。
…これを見ると正直、我ながら酔狂なことに大枚叩いているな、などと思ったりもする。

ともあれ13:30、定刻に浜坂駅を発車。
この時点では車内はガラ空きで、グリーン車には僕以外にはこれまた鉄道ファンと思われる乗客が数人乗っているのみ。

そして発車後すぐに、この列車の沿線で一番の見所を通過する。

餘部鉄橋
40メートルを超える高さで、足元まで視界を遮るものが何もないトレッスル橋から眺める冬の日本海…
これまでに幾度となく旅人の語り草となってきた、何とも恐ろしくも見事な眺めに暫し見惚れる。
しかしこの名所も現在、鉄橋の架け替え工事が進められておリ、来年には海と反対側に並行して架けられる新しいコンクリート橋が完成予定。明治45年以来、多くの旅人に親しまれた赤いトレッスル橋は解体され撤去される運命だという。
そして…ほぼ時を同じくして、いま餘部鉄橋を渡っているこの「はまかぜ」号も老朽化が進んだキハ181系から新型車輌に置き換えられる事になっている。
長きに渡って当たり前のようにそこに在り続けた山陰のふたつの鉄道風景が、間もなく姿を消そうとしている。



餘部鉄橋を渡った「はまかぜ4」号は、その性能を持て余し気味にゆったり流すといった感じで山陰本線を走っていく。
車内は静かで日差しも暖か、のんびり乗り鉄を愉しむには絶好。
だが、温泉地として名高い城崎温泉駅で大量に乗車があり、いきなりグリーン車もほぼ満席となった。
城崎温泉の行楽客が大阪に帰る需要があるのだな、などと思う。
すっかり賑やかになった車内で、ワゴンサービスのおばちゃんから
「次の豊岡駅で車内販売は降りますよ。これが最後の巡回ですよ~」と声を掛けられ、餘部鉄橋からの眺めを肴に飲み干したオリオンビールの補給に缶ビールを購入。なかなか商売上手なり。

豊岡駅で車販のおばちゃんを降ろした後、和田山駅で山陰本線から播但線に入った「はまかぜ4」号は、山間ののどかな農村地帯を軽快に駆け抜けて行く。
リズミカルな走行音と車内に響く軽やかなエンジン音、2本目のビールのせいですっかり気持ち良くなり、うつらうつらとしているうちに列車は町並みへと入って行き、16:03、姫路駅到着。


ここ姫路駅の構内で列車はスイッチバックして進行方向を変え、山陽本線へと入って行くのだが…
気が付けば車内は何と無人になっている。どうやら、グリーン車に乗っていた僕以外の乗客は全員、姫路駅で下車してしまったらしい。
おかげで遠慮なく自席の前の座席を回転させて、広々としたグリーン座席の向かい合わせ1区画を占領しての乗車となったが、貸し切りグリーン車というのは何とも寂しくて落ち着かない…

特急「はまかぜ4」号は姫路駅に3分停車後、16:06に発車。
ここからいよいよ最終区間、西日本の大動脈である山陽本線だ。複線・複々線で電化された高規格路線、最新系列の高性能電車が時速130キロ運転の新快速列車として行き交う高頻度高速走行区間だ。
姫路駅構内でのスタートダッシュの感覚が、今までの非電化ローカル区間とは違う気がする。列車の、キハ181系の走りっぷりが、明らかに違う!
「速い!これが…キハ181のちからか!」


水平対向12気筒、500馬力エンジンのパワーが解き放たれた。
キハ181系は夕陽に照らされながら時速120キロで山陽本線を駆ける!
実際、この区間では時にキハ181系特急「はまかぜ」は最高速度時速130キロで先行する新快速電車を煽ることさえあると聞く。
40年以上前の、昭和43年の高速設計理念が、今まさにその真価を思う存分発揮しているのだ。




車窓には明石海峡大橋が見る見るうちに近づいてくる。
この区間は以前、熊本発京都行きのブルートレイン「なは」号で夜明けに何度も通った事があるが、この時間帯に走るのはこれが初めてなので新鮮な感覚だ。
それに、この素晴らしいスピードはどうだ。通過駅を容赦なく加速しながら、エンジン音を豪快に轟かせて走り抜けるのだ。
しかも、僕の乗っている2号車グリーン車の乗客は僕1人、僕だけの専用車輌だ。
特急「はまかぜ4」号の編成中1輌だけ連結されたグリーン車キロ180形式に搭載された500馬力のエンジンは今や、僕だけのために咆哮し轟音をあげ、巨大な力を車軸に伝えて山陽本線を疾走しているのだ。
…これは、もはやエクスタシーである。

キハ181系の走りに酔い痴れているうちに、「はまかぜ4」号は神戸駅で東海道本線に入り、大都市区間を一路終着駅大阪を目指す。
17:11、大阪駅到着。


大阪駅にキハ181系が登場するのも、あと1年余り。
名車の貴重なシーンを記録しようと、到着した「はまかぜ4」号はすぐに鉄道ファンや親子・家族連れに取り巻かれ、盛んにカメラのシャッターを切られていた。

「はまかぜ4」号だったキハ181系が乗客を降ろし車内の灯りも消して、回送列車として宮原の車両基地に引き揚げるのを見送ってから、さぁ次の列車が待つ北陸方面系統の乗り場へと行こう。
次に乗るのは、いよいよブルートレイン
大阪発青森行き、日本海縦貫線の夜の女王。寝台特急「日本海」号

ここまでの鉄旅データ
走行区間:浜坂駅→大阪駅(山陰本線・播但線・山陽本線・東海道本線経由)
走行距離:232.5キロ(JR営業キロで算出)


2009-2010 冬の旅 4、北へ。ブルートレイン「日本海」に続きます

2009-2010 冬の旅 2、振り子特急とタラコ気動車と足湯と鉄子の部屋

2010-01-16 | 鉄道
鳥取駅に到着した特急「スーパーまつかぜ6」号。
ハイテク振り子気動車・キハ187系が使用される。


2009-2010 冬の旅 1、出発・九州から山陰へからの続きです

米子駅からは特急「スーパーまつかぜ6」号に乗り換え。
スーパーまつかぜは山陰本線の鳥取駅以西の区間を運行するローカル特急だが、
地方の非電化区間の高速化を狙ってJR西日本が投入した高性能な振り子式車輌「キハ187系」が使用されておリ、最高速度時速120キロで疾走する。
スーパー特急の称号は伊達ではない、なかなか侮れない実力派ランナーなのだ。

米子駅09:50発。
 「スーパーまつかぜ6」号の車内。
JR西日本らしくシックなインテリアで落ち着いた感じにまとめられている。
振り子装置を作動させて車体を傾斜させながら、重厚なエンジン音を響かせてのキハ187の走りっぷりを堪能すること1時間余り。
みぞれのような小雨のそぼ降る山陰本線を東進して、
10:55、終着の鳥取駅に到着。

鳥取駅でもすぐに列車を乗り継ぎ、さらに山陰本線を上っていく。

「スーパーまつかぜ6」号の到着したプラットホームの向かい側で待っていた、
浜坂行き普通列車530D
昔懐かしい国鉄時代の標準色、朱色一色の塗装に身を包んだキハ40系ディーゼルカーだ。
口さがない利用者やファンからは親しみとからかいを込めて「タラコ」とも呼ばれたこの塗装、実は車輌の塗装を単色に統一してコストを減らすJR西日本の経営対策の一環として、この程復活することになったのだという。
郷愁を誘うタラコ色の気動車が、昨今の厳しい経済状況のせいで図らずも復活するとは、世の中は何と皮肉なものである事よ…

タラコ気動車で鳥取駅11:10発。
山陰本線を各駅停車、学生時代の「青春18きっぷ」での旅を想い出しつつ、暫しのんびりゆっくり鈍行列車の旅。


11:53、浜坂駅に到着。
小さな駅舎と小ぢんまりとした駅前商店街、どこか寂しげでどこか懐かしい雰囲気。



ここ浜坂駅で是非見ておきたいのが、駅舎内にあるミニ鉄道資料館。
その名も「鉄子の部屋」!



ちょっと狙い過ぎの感もあるネーミングとは裏腹に、なんとも暖かな手作り感漂う資料館。
ボリュームは無いけれど丁寧に整理された、浜坂駅周辺の山陰本線に関する鉄道用品のコレクションが展示されています。


壁に並んで展示されていた、波間のカニが可愛い臨時列車「あまるべマリン号」の歴代のヘッドマーク。
そう、山陰本線一番の見所であると言っても良いであろう名高い餘部鉄橋はここから程近いのだ。
この後で乗り継ぐ列車で、その餘部鉄橋を通過することになるので楽しみだ。

暫く「鉄子の部屋」の展示を眺めて楽しんでいたが、この部屋は正午からお昼休みとのことで管理人のおじいさんが帰り支度を始められたので、お礼を言って退散することにした。
写真撮影にも快く応じて下さり、ありがとうございました!

さて、次に乗る列車の発車時刻までまだ1時間半程もあるのでどうしようかなと駅前をぶらついていたが、いいものを見つけた!

 お見苦しいものをお見せして申し訳ありません(笑)、
駅前のバス停横に無料の足湯があったので、さっそく靴と靴下を脱いでズボンをたくし上げて、足だけ一風呂浴びることに。
「う~っ、いい湯加減じゃ。。。そうか、ここは温泉の町だったんだな」
何しろ浜坂駅の所在地は町名そのものがズバリ新温泉町(しんおんせんちょう)、温泉と松葉かにで有名な観光地なのである。
日本中あちこちを「乗り鉄」で訪れているが、本当に鉄道に乗るだけで通過するだけの旅しかしていないので無知な自分が、我ながら情けない…

足湯の効能はなかなかのもので、しばらく足先を温泉に突っ込んでいたら身体中が汗ばむ位に温まった。
すっかりホカホカの湯上り気分になったところで、そろそろ行こう。
温泉と松葉かにの町と関西圏とを直結する特急列車、次に乗車する特急「はまかぜ4」号が間もなく浜坂駅に到着入線する時間だ。

ここまでの鉄旅データ
走行区間:米子駅→浜坂駅(山陰本線経由)
走行距離:125.1キロ(JR営業キロで算出)


2009-2010 冬の旅 3、最後のキハ181系 特急「はまかぜ」に続きます

「今週のはやぶさ君」ファミリーに新キャラ登場

2010-01-15 | 宇宙
数々の困難を乗り越えて小惑星イトカワへのタッチダウンを成し遂げ、
今年6月の地球帰還を目指し、今日も宇宙を駆ける我らの小惑星探査機「はやぶさ」

 画像提供:JAXA
小惑星探査機「はやぶさ」

1月14日にはプロジェクトマネージャの川口淳一郎先生からの「はやぶさ」地球引力圏帰還宣言も出され、
まさに地球への旅路もクライマックスを迎えつつある「はやぶさ君」の最新の動向を、
運用サイドの現場の最前線から毎週楽しく伝えてくれるゴキゲンなコーナーとして全国のはやぶさファンから大人気なのが、
JAXA宇宙科学研究本部オフィシャルページの「小惑星探査機はやぶさ」内にある今週のはやぶさ君

今週のはやぶさ君(毎週木曜日更新)

さて、この「今週のはやぶさ君」では、
「はやぶさ」をはじめとする探査機・衛星のみならずJAXAの施設などが突如「はやぶさファミリー」のキャラクターとして文中に登場して、読者を楽しませてくれるのだ。

これまでに登場したキャラで、僕が一番気に入ったのはこの方かな。

うすださん
長野県の山中にどっしり腰を据えて、
「はやぶさ」をはじめとする探査機・科学衛星との通信運用を担う、東洋最大の直径64mパラボラアンテナなんだけど…
もう今では僕の中では、このパラボラは「JAXA臼田宇宙空間観測所 口径64m大型パラボラアンテナ」ではなくて
「今週のはやぶさ君 に出てくる うすださん」なんですよ!

そんな「うすださん」に、今週新しい仲間ができた。


うっちーさん
「はやぶさ」が旅立った鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所にある直径34mのパラボラアンテナです。
お皿の大きさはうすださんの半分くらいだけど、台風の直撃にも耐えるし超高速で旋回して地球周回衛星の追跡もこなす凄い奴。
現在、改修工事中で運用出来ないうすださんにかわって、うっちーさんがはやぶさ君と交信中。

…という訳で、このままだとJAXAの施設をすべて擬人化して「さん付け」「ちゃん付け」で呼びだし兼ねないのがちょっと気がかりだったりする今日この頃(笑)。
などと言いつつ、「今週のはやぶさ君」の中の人には、今後も新キャラ登場期待してます。
JAXAのモノをどんどんキャラにしちゃえ!

はやぶさが、帰ってくる…!~地球引力圏帰還宣言~

2010-01-14 | 宇宙
画像提供:JAXA

遂に…遂に、彼は、「間違いなく」、
地球に帰ってくる…!!
「はやぶさ」プロジェクトマネージャの川口淳一郎先生による、
地球引力圏帰還宣言が出たのだ!

「はやぶさ」地球引力圏軌道へ!地球まであとわずか
(JAXA宇宙科学研究本部トピックス)

「はやぶさ」は、地球の引力圏を通過する軌道へ乗った。
この事はつまり、
「はやぶさ」が例え今この瞬間に宇宙を駆ける翼であるイオンエンジンの羽ばたきを失ったとしても、そのまま弾道飛行で地球近傍の引力圏内まで到達できる状態にあることを意味している。

則是、「はやぶさ」は…、
地球帰還出来たのである。

 小惑星探査機はやぶさ、地球帰還

 画像提供:JAXA
小惑星探査機「はやぶさ」


不死鳥は、遂にその行く手に懐かしい故郷をしっかりと捉えた。
地球までの距離は今や約6000万kmを残すのみ。
彼が、帰ってくる!

「はやぶさ」は今後2ヶ月間イオンエンジンの翼を翻し地球へ向かって羽ばたき続け、
帰還予定地の地球南半球、オーストラリア・ウーメラ砂漠へと向かう軌道へと精密に誘導され、サンプル回収カプセルの分離投入と地球帰還に備える。
そのことは、カプセルを地球に降ろして総ての任務を全うした後にそのまま地球大気圏へと突入した彼の身体が、
南十字星の夜空に煌めく流れ星となる日が刻々と近づきつつあることを意味している。

…彼の帰る日は、彼との別れの日でもあるのだ。

だが今は、僕は何も云わない。
それは、彼を愛するすべての人がわかっていること。心の奥底で必死に耐えていること。

今はただ、彼にこう呼びかけてやりたいんだ。

「はやぶさ…よく頑張ったね。
もう少し…本当にあともう少しで、君の故郷に着くよ。皆、君の帰りを待ちわびていたんだよ!!」


おかえり、はやぶさ。
そして、彼を支える「はやぶさ運用チーム」の皆様、
彼を地球引力圏まで導いて下さって本当にありがとうございました。
天燈茶房亭主mitsuto1976

2009-2010 冬の旅 1、出発・九州から山陰へ

2010-01-10 | 鉄道
東京駅から西へと向かう唯一の夜行寝台列車「サンライズ・エクスプレス」。
岡山で2つの編成に分かれ、1つは四国へ、もう1つは山陰へと向かう。
写真は米子駅に到着した「サンライズ出雲」。


この冬も旅に出ました。夜行列車に、寝台車に乗りたくなったのです。
行先は、日本の北の方。
残り少なくなった国内の夜行寝台列車を乗り継ぐと、必然的に行き着くのは北海道。
今や、日本の殆どの夜行列車が北国を、北海道を目指して走るのです。

2009年の暮れから2010年へ、夜汽車で辿った旅の記録です。

第0日目 2009(平成21)年12月26日

今年は12月26日が勤め先の仕事納め。
定時退社して帰宅、大急ぎで身支度を整え、自宅最寄り駅から普通列車で熊本駅へ。

熊本駅から19:10発、特急「有明30」号で博多駅へと向かう。
この列車は、熊本から関西方面行き山陽新幹線「のぞみ」へと接続する最終列車。
九州から本州へと直通する寝台特急、ブルートレインが消滅した現在となっては、その日最後の本州関西圏まで到達可能なダイヤを走る貴重な列車となった。

博多駅に20:37到着。
ここで本日最終の新大阪行き「のぞみ600」号に乗り換えればそのまま日付が変わる前には大阪に着けるのだが、今夜は敢えて各駅停車の「こだま」に乗り継ぐ。

博多駅20:45発、山陽新幹線「こだま780」号、岡山行き。
「こだま780」号に使用されている100系はかつて「2階建て新幹線ひかり」として一世を風靡したのも今は昔、既にシンボルの2階建て車輌の食堂車やグリーン車も連結されず、やや草臥れた感があるが、車内は廃車されたグリーン車の座席を転用したゆったりシート。
座り心地の良さに仕事の疲れが手伝ってすっかり気持ちよく寝入ってしまい、気が付くと終着の岡山駅に到着するところだった。
23:32、岡山着。
今夜はここで一旦列車を降り、駅近くの格安ホテルに投宿。

第1日目 2009(平成21)年12月27日

早朝6時にホテルをチェックアウト。
まだ真っ暗な街を歩いて、再び岡山駅へ。

岡山駅06:33発、寝台特急「サンライズ出雲」号出雲市行き。
現在、東京駅を発着し西日本を結ぶ唯一の夜行寝台列車として運転されているのがこの「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」。
「サンライズエクスプレス」と呼ばれる新製の寝台電車を使用し、ここ岡山駅で分割と併合を行い山陰の出雲市と四国の高松へとそれぞれ運行される。
これから乗車するのは下り東京発出雲市行きの「サンライズ出雲」で、東京駅から一緒につながって走ってきた「サンライズ瀬戸」の編成から切り離され、相方が瀬戸大橋線に向かい発車した後で山陽本線と伯備線の分岐する倉敷駅方面に向かい発車して行く。


「サンライズエクスプレス」は個室主体の豪華な寝台列車だが、実は1編成に1輌だけ座席車扱いの車輌が連結される。
それが「ノビノビ座席」と呼ばれるもので(写真)、座席と称しているものの見ての通りの完全にフラットな区画。
カーペットが敷かれただけの、シングルベッドと同じ程度の面積しか無い床面に文字通りの雑魚寝となるが、それでもゆったりと横になっていける上に寝台料金は不要という“乗り得車輌”として旅慣れた旅行者の間ではなかなか人気が高い。
僕も今回、「寝台車に乗りたくて旅に出た」のだからと、寝台特急「サンライズ出雲」への乗車にこだわってみた、という訳。

夜が明けてからの区間乗車なので尚更、高額な寝台料金が免除される「ノビノビ座席」の存在は有難い。
僕にあてがわれた区画は岡山まで“先客”が乗っていたらしく、用意された毛布には使用された形跡が有ったが、幸い先客はマナーの良い方だったようで毛布は綺麗にたたまれて片付けられていたので不快感はない。
また、車内検札後に車掌さんから新しい毛布を改めて支給してもらえたので嬉しい。


山陽と山陰を結ぶいわゆる陰陽連絡線の大動脈である伯備線を、「サンライズ出雲」は走って行く。
中国山地に分け入ると、車窓には雪も見えてきた。
真新しい毛布にくるまって寝転がって車窓の雪景色を見ていると、昨夜しっかり寝た筈なのにそれでも心地よく眠くなってくる。
寝台車の朝寝は、これがまた格別なのだ。

09:03、米子に到着。
ここで「サンライズ出雲」を降りる。
僅か2時間半の、朝の夜行列車乗車だった。




米子駅構内、0番乗り場に停車していたJR境線の名物「鬼太郎列車」


境線の終着駅、境港出身の漫画家水木しげるさんの代表作「ゲゲゲの鬼太郎」にちなんで、鬼太郎と仲間の妖怪たちの姿が描かれた列車は観光客や鬼太郎ファンに大好評だとか。

ここまでの鉄旅データ
走行区間:熊本駅→米子駅(鹿児島本線・山陽新幹線・伯備線経由)
走行距離:719.5キロ(JR営業キロで算出)


2009-2010 冬の旅 2、振り子特急とタラコ気動車と足湯と鉄子の部屋に続きます

七草粥を食べよう

2010-01-07 | 日記
今日はもう1月7日。今年も何だかんだで1週間過ぎました。
さて、1月7日と言えば春の七草、七草粥。
僕も元日以来、お酒とおせちを暴飲暴食したので、今日はさっぱりとした七草粥が食べたくなりました。で…
勤め先の皆さんに「今夜は七草粥食べたいよね~。ところで、七草って何の野菜のことだっけ?」と聞いてみたところ、なかなかナイスな回答が集まった…そこで、集計結果を発表!
これが僕の勤め先の方々の考える「七草」だ!(カッコ内は回答者数です)

◎なずな・・・(2名)
◎よもぎ・・・(2名)
◎はこべ・・・(1名)
◎つくし・・・(1名)
◎れんげ・・・(1名)
◎ペンペン草・・・(1名)
◎ドクダミ・・・(1名)

…おまいさん方、何が悲しゅうてドクダミが入ったお粥なんぞ食わんといかんのだ!?
という訳で予想通りの無茶苦茶な集計結果に満足して、大笑いして帰宅したのだが、
帰ってからぐぐって詳しく「本当の春の七草」を調べてみたところ、更に驚愕することになった。

「…半分は本当に春の七草だった。。。」

皆さん、今日は新鮮な雑草もとい七草を炊き込んだお粥を食べて、今年も1年無病息災でいきましょう!