天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

皆既月食2007

2007-08-28 | 宇宙
今夜は日本全国的に皆既月食が見えた。
夏の終りの天体ショーです。。。でも、天気が悪くて見えなかった地方も結構多かったみたいですね。
僕の地元熊本県南部は多少雲があって(それも何故か東側の月が昇ってくる空に多くて)日が暮れてもなかなか月が見えなかったのだが、
残業を切り上げて帰宅した夜7時半頃から雲も切れて赤黒い皆既食の月が姿を現した。
という訳で自宅の庭に停めたクルマの座席をフルリクライニングして、カーラジオでNHK-FMのクラシックを聴きながら(午後9時を過ぎたらNHK-ラジオ第1「真打ち競演」を聴きながら…堺すすむのギター漫談面白過ぎwww)月食観測を楽しみました。

肉眼で見るとちょっと異様な赤銅色の皆既月食も、双眼鏡のレンズを通すと白っぽく見えたのが面白い。ただ、皆既食はコンパクトデジカメでは全く感光せず撮影は出来なかったのが残念。


午後8時25分頃、ようやく1時間半続いた皆既食が終り月の左下に光が戻ってきた。
それと同時にコンパクトデジカメでの撮影が可能になったので、部分食を追って撮影していくことにする。


午後8時45分、月はどんどん光を取り戻していく。
畏れを感じる赤き月が、いつものお月様の顔に戻っていく。


午後9時、半分以上光が戻った月。
漆黒の闇だった辺りが、段々と月明かりに照らされ明るくなっていくのが分かる。


午後9時15分、もう部分食もほんの一部を残すのみ。
天体ショーももうすぐ終り。。。


午後9時30分、ほぼ完全に満月に戻った。
この後も1時間ほど地球の影の影響を受けて「半影食」が続くらしいのだが、この時点で既に見た目はまったくいつもの満月だ。

…以上、熊本県南部での皆既月食レポートでした。
尚、表記時刻は正確に測ったわけではないので数分くらい誤差があると思います。
さっそく皆既食の色を国立天文台の「皆既月食どんな色?」キャンペーンに報告しよう

さて、皆既月食が終わったら今度は21世紀のかぐや姫の出番だ。
月周回衛星「かぐや(SELENE)」とH-IIAロケット13号機、打上げまであと16日!

↑SELENEミッションマーク(画像提供:JAXA)をクリックしてJAXAの「かぐや/H-IIA13号機特設サイト」へGO!

小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
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「はやぶさ2を実現させよう」勝手にキャンペーン
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夏の終りの皆既月食、夏の終りの打ち上げ花火

2007-08-27 | 宇宙
明日の夜、全国的に皆既月食が見えるそうです。
夏の終りの天文ショーってとこだろうか。

で、この皆既月食中の月の「色」を観察して報告しようという面白い企画が国立天文台で準備されている。

「皆既月食どんな色?」キャンペーン

今回の皆既月食は観測条件が良くて、夕刻に食が始まった状態で欠けたお月様が昇ってくる。
そして18時52分から約1時間半も皆既食が続くとのこと(詳しくは上記リンク先ページを参照下さい)。
この間、月は完全に真っ黒にはならず赤黒い妙な色になるのだが、その色の具合を観察してドンドン報告しよう!というのがキャンペーンの趣旨である。
器材もテクニックも要らず、誰でも簡単に観察できるので、皆さんも国立天文台の粋なプロジェクトに参加してみられては如何?
勿論、天燈茶房亭主も明日の夜は残業の合間を見て観察してみるつもりです。

ところでお月様といえば、我らの21世紀のかぐや姫が月に旅立つ日も刻一刻と近づいて来るねぇ。。。
月周回衛星「かぐや(SELENE)」とH-IIAロケット13号機も打上げまであと17日!

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夏の終わりの打ち上げ花火、オーロラロケットS-520-23号も8月30日(木)の打ち上げ準備が着々と進んでいる模様。こちらも楽しみ。
観測ロケットS-520-23号機打上げ日程決まる!(JAXA宇宙科学研究本部トピックス)
2007.8.30~ オーロラ出現!? S-520-23号ロケット実験を観察しよう薩摩川内市せんだい宇宙館ニュース)

今年の夏ももうすぐ終り。夏の最後の宇宙イベントを堪能しましょう!(…って言っても毎年恒例の猛暑のせいであと1ヶ月位は気温30度越えの日が続くんだろうなぁ。。。情緒ある日本の秋はどこに行ったんだ?)

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白い空、緑の田圃、紅い河~2007年夏ベトナム鉄道漂流 その3

2007-08-26 | 旅行
(写真:かつてベトナムと中国の国境のイミグレーションがあった中越友好橋。現在は鉄道専用橋になっている)


ベトナムと中国の国境の街ラオカイ。
新中越友好橋のたもとから河向こうの中国を見ていたが、せっかくなので橋を渡って中国に行ってみることにする。
ベトナム側のイミグレーションオフィスに向かうと、怪しいオヤジが「中国行くね、マネーチェンジするよ」と声を掛けてくるが完全に違法営業だろうし、第一中国で何かを買うつもりも全然ないので(段ボール入り肉まんや鉛入り玩具のニュースが報じられた直後だしね)中国通貨なんぞに用はない。

イミグレーションでの手続き自体は空港で行うものと全く同じで、ホーチミンの空港で渡された入国カードの半券を渡してパスポートに出国スタンプを捺すだけで終了。
そのまま歩いて新中越友好橋に向かう。

夕焼けの中、巨大なゲートをくぐり橋を渡り中国の国境の街河口に向かう。
ゲートでは中国に向かう大型トラックが順番に並んでいたが、クルマは越境の手続きが煩雑なのか中々進まない。その横を通行人がどんどん行き交い、歩いて国境を越えている。
買い物袋を提げてベトナムに戻る主婦や、手にパスポートを持ったまま足早に中国に向かう荷担ぎ行商人、それにツアコンに引き連れられた中国人団体旅行客の姿が目立つ。何か、えらくお気楽な国境だ。
所謂「アジアを歩くバックパッカー」風の深夜特急的旅人は見かけない。

中国側イミグレーションの入国手続きも、ビザ不要の日本人は入国カードを記入してパスポートに添えて提出するするだけで簡単。
イミグレの女性係官は事務的にテキパキと「入国の目的は?目的地は?」と聞いてくるので、「ジャスト・サイトシーイング…すぐにラオカイに帰るから、目的地なんかないよ」と答えるとパスポートにポンとスタンプを捺してくれる。これにて入国手続き完了。


「やったー!歩いて国境を越えたぞ!」とミーハーな感慨に耽りながら河口のイミグレオフィス前の通りを見ると、小奇麗な建物と広い道路が続いている。
中国の街はもっとゴミゴミゴチャゴチャしているようなイメージがあったので意外な気がする。
それに何故か人の姿が少なくてひっそりしている。軒を連ねる商店も大半は閉まっていて、まるでゴーストタウンのようだ。

河口には用があって来た訳ではないので何もすることはないのだが、せっかくなので少し歩いて街を見て回る。が、やはり街中がひっそりしていて全然活気がない。
間が持たないので、もうベトナムに帰ることにする。
「大きなビルが建ち並んでるのに、何でこんなに人けがないんだろう…不思議な街だな」
結局、中国河口には僅か15分の滞在でベトナム側のラオカイに帰る。
出国前、イミグレに並んでいると、どこからか現れた中国人が次々に平気な顔で割り込んでくるので順番死守の闘いをする羽目になる。
「ああ、最後の最後にいかにも中国らしい体験をしてしまった…」

再び新中越友好橋を歩いてベトナム側ゲートを目指す。
橋の上から、遥か彼方の妙義山のような不思議なかたちをした山並みに夕陽が沈んでいくのが見える。いにしえの昔に阿倍仲麻呂やマルコ・ポーロも見たであろう夕陽だ。
夕陽の反対側に目をやると、以前は中越国境として徒歩での越境が行われていた中越友好橋が見える。現在は鉄道専用の橋となっていて、貨物列車が橋を渡り行き来している。
欄干にもたれて、日本の家族に携帯電話をかけてみた。
「もしもし、僕今どこにいると思う?中国とベトナムの国境の橋の上だよ」
こんな能天気な会話をすることができるなんて、平和でいいなあ。。。
今日は終戦記念日。
これからも世界中を旅したいので、どうか世界が平和でありますように、と夕陽に願った。


またラオカイ駅まで1キロの道のりを線路に沿って歩いて戻る。
途中、貨物列車が警笛を鳴らしながら国境方向に走り去った。中越友好橋を渡って中国に向かうのだろう。走り去る貨物列車を見ながら、「いつの日か中国が民主化することがあれば、列車で中越友好橋を渡って中国まで行ってみたいな」と思った。それがいつの日になるかはまだ分からないけれど。


さて、ラオカイ駅に戻ってきて日が暮れた。
ハノイ行き夜行列車に乗り込む前に、どこかで腹ごしらえをしておきたい。
駅前には旅行客相手の食堂が並んでいて白人観光客がビアホイ(ベトナムの地ビール)で盛り上がっているが、もっと地元の人が行くような店で食べたいな…
駅前からしばらく歩くと市場があったので入ってみる。

薄暗い市場の中を進んでいくと、奥に屋台がいくつか並んでいた。地元の家族連れが集まって賑やかに夕飯を囲んでいる。どこかに空席はないかな、と屋台を覗いて周っていると、人の良さそうな若い女将さんと目が合った。すぐに笑顔で空席を指し示してくれたので「ここにするか」

この屋台は所謂「定食屋さん」らしく、いくつか並んだおかずを指差しで指定すると大盛りのご飯に載せて出してくれた。それに南北統一鉄道の車内食でも出た「木の葉っぱ入りスープ」とニョックマムの小皿が付いて、値段は日本円で50円位?安い!
肉っぽい感じのおかずは「トンカツ」だったので、これは「ベトナム風カツ丼」ということになるな。実に家庭的でいける味。
地元の家族連れと肩を並べて、テレビのニュースを見ながら食べる夕飯はうまい。
テレビで、日本の終戦記念日と安倍首相が靖国神社に行かなかったというニュースをやっている。女将さんが僕の背中をつついて「ジャパンのニュースよ」と声を掛けてくる。

すっかり腹もくちくなったので、女将さんに御馳走様と言って駅に戻る。
ラオカイ駅ではハノイ行きの夜行列車が2本立て続けに出発するので、乗客が集まって大変な賑わい。
僕が乗るのは後発の21:00発SP4列車。隣のホームに停車中の先発のSP2列車はツアー会社がチャーターした特別仕立ての豪華寝台車を連ねたえらく煌びやかな編成。乗客は欧米人と中国人らしい団体客が中心。僕の乗ったSP4も編成端にリゾートホテルの名前を冠した特別車輌が2輌繫がっている。
ハノイ~ラオカイ線は昼間はみすぼらしいエアコンなし列車しか走っていないのに、夜は豪華寝台列車が雁行する華やかな観光路線に変貌するらしい。
とは言え、どの列車もハノイには夜明け前に着いてしまうから随分せわしないクルーズトレインなのだが。

今夜僕が乗るSP4はかなりハイグレードな列車らしく、チャーター豪華寝台車以外の車輌もトリコロールカラーで小奇麗。中国国境路線らしく、「越南鐡道」と漢字のロゴが入った寝台車もある。
車内も南北統一鉄道TN8列車のヨレヨレシーツにブランケットの寝台車と違い、シーツもピシッと張られた清潔感のあるベッドには綿入りの掛け布団と枕がきちんとセッティングされている。
早速ベッドに横になり、エアコンの心地良い冷気を堪能していると、同室の乗客がワイワイ言いながら入ってきた。
しかし、彼らの荷物の多いこと!大きな段ボール箱と麻袋が大量にコンパートメント内に運び込まれる。
僕が呆れて見ていると「ゴメンネ、荷物が多くて」と済まなそうにしている。
それから彼らは魔法のような手際でそれらの大荷物をコンパートメント内のデッドスペースに収納してしまったのである。
僕がまたしても呆気に取られてると「アナタ日本人?歩き疲れてるみたいだね。僕らももう寝るよ」とベッドに潜り込みすぐに寝息を立て始めた。
何というか、実にテキパキした人たちである。
僕も暫くベッドで揺られていたらすぐに眠くなった。明日は早暁5時にハノイに着く。もう寝よう。


2007年8月16日
ちょっと寝たと思ったら、もう列車はロンビエン橋を渡っている。SP4列車は定刻の5:05に夜明け前の薄暗いハノイB駅に帰って来た。
「快適な寝台車だったから、2~3時間位遅れてくれても良かったのにな…」

さて、これで今回の旅の主目的であるベトナム鉄道の行程はすべて終了した。あとは日本に帰るだけである。
今日は特に予定がないので、ホテルに入ってのんびりしたいのだが、幾らなんでも朝6時前にチェックインさせてくれないだろう。どこかで半日ばかり時間を潰さなくては…

先ずは朝飯でも食うか、と駅近くの屋台を見て周る。
「せっかくだから、ベトナム名物のフォーを食べたいな。まだインスタントのカップ麺フォーしか食べていないし」
ハノイ駅の北側に、食堂や屋台が集まった一画があるらしいので行ってみるが、朝早すぎるせいか開店準備中の店ばかりで全然活気がない。
ハノイ屋台横丁を抜けてそのまま何となく予約したホテルのあるホアンキエム湖のほうに向かう。
途中、道端で子供たちが朝食中の屋台を見つけて、そのまま座って注文。
これがトマトが入った酸っぱいフォーでとても美味かった!変てこな匂いのする葉っぱを刻んだものを大量に載せて食べるといかにもベトナムでものを食べてるという気分になった。

フォーを食べた後、腹ごなしがてらこのままホアンキエム湖まで歩くことにした。
と言ってもホアンキエム湖まではそんなに距離がなく、15分ばかり歩くと湖というより池のような水面が見えてきた。
ハノイ市内のど真ん中にあるホアンキエム湖の湖畔は市民の憩う公園になっているので、ベンチに座って湖を眺めながら暫くのんびりする。

それにしても、朝陽が昇ると暑くてかなわん。エアコンが恋しい…
結局、我慢できずに予約していたホテルに向かう。
「モーニン…今からチェックインできる?」フロントマンは暫く電話でどこかと連絡を取り合ったりして調べていたが、
「今から掃除をしますから、あと1時間待って下さい」
仕方がない。荷物だけ預かってもらって、時間潰しに「革命博物館」を見に行く事にする。

いかにも共産主義国家ベトナムらしい「革命博物館」、展示もいかにも大時代的で、フランスの植民地として虐げられていたベトナム人民がいかに革命を戦ったか、近代兵器で迫り来るアメリカ軍に対して塹壕やゲリラ戦でベトナム戦争を戦ったか、そして躍進する現代の共産ベトナムと革命指導者ホー・チ・ミンの偉大さを高らかに謳い上げるというもの。
ホー・チ・ミン自身は気さくで高潔な人物だったらしいから(写真で見るとまさに好々爺って感じだ)、自分が死後ここまで祭り上げられると却って厭なんじゃないだろうか…
増してや、街の名前になったり遺骸を廟に永久保存されたりしたんじゃなあ…
そして、こんな旗も展示されていた。


ようやくホテルにチェックイン出来て、早速熱いシャワーを浴びる。
サッパリしてクーラーの効いた部屋でのんびりしてると、あの埃にまみれた灼熱の鉄道旅行は一体何だったんだろうという気がしてくる。
でも、鉄道に乗るのが好きなんだから仕方がない。これはもはや業(カルマ)だね、乗りたいから列車に乗るんだ。よく言うじゃないか、「そこに山があるから登るんだ」って。「そこに線路が敷かれてるから列車に乗るんだ」。これからも僕は世界中を鉄道に乗って漂流するぞ…いかん、湯上りのハノイビアが効いてきたようだ。

酔い覚ましに、ベトナム歴史博物館を見に行く。
日本の援助金が入っているようで、日本語のパンフも用意されていたのが有難い。
中部ベトナムに存在したチャンパ王国の石のシヴァ神像などが興味深い。チャンパには阿倍仲麻呂も遣唐使の帰り船で難破して流れ着いたりしてるんだよな確か。阿倍仲麻呂もこのエキゾチックで妖しい石の像を見たのだろうか。
それからホアンキエム湖の周りを一回り。湖畔には「ひたすら水面を釣竿でかき回す釣り人」とか「体重計り屋のおばさん」とか面白い人達がたむろしている。


ホアンキエム湖近くの路上市場。
ここは食料品が中心で、色とりどりの果物や野菜、それに輪切りになった巨大鯰や目の前で捌かれる蛙などなかなか迫力がある。

市場の片隅の屋台でフォーを食べて、さあそろそろ帰ろうか。
明日は朝5時にホテルにエアポートタクシーが迎えに来る手筈になっている。
ハノイ・ノイバイ空港から一旦ホーチミン空港に戻り、EVA航空の台北行きに乗り換えて台湾経由で日本に帰ることになる。

ベトナムの印象は一言で言えば「何でもあり」の国だということだった。
楽しいこと、つらいこと。親切な人、胡散臭い奴。ドイモイの掛け声の下発展を続ける経済と、今でも国を支配する共産主義体制。フランスの植民地にされアメリカ軍に枯葉剤を撒かれた悲しみの歴史と、どこかあっけらかんと今日を生きる人々の姿。それらすべての上に白い空が広がり、緑の田圃が覆い、紅い河が流れる。
南北統一鉄道でホーチミン(サイゴン)からハノイまでベトナムの脊梁を駆け上がり、さらにホン河に沿って中国との国境までを列車で一気に駆け抜けただけの旅ではこの国のほんの一部しか見えてこないことは分かっている。何でもありの国ベトナムの持つ別の顔を見るために、またいつかこの国を訪ねたいと思う。
それに、またあの美味い屋台の飯が食べたいしね。

すっかり暗くなったホアンキエム湖の畔をホテルに帰る。湖畔では店仕舞いした体重計り屋のおばさんがライトアップされた「伝説の亀の塔」を見つめ、その傍らでは釣り人が水面を釣竿でかき回し続けていた。


<後日談>
翌8月17日の未明、エアポートタクシーは時間通りにホテルに迎えに来てくれてぼったくる事もなく僕を空港に連れて行ってくれた。
オーバーブッキングや遅延が多いとされるベトナム航空の国内線も定時に離陸し無事にホーチミンに到着、EVA航空台北便も問題なく台湾桃園空港に到着した。

予定ではここから台北駅に移動して、台湾国鉄が導入したばかりの新型特急「タロコ号」に乗って台湾東海岸の花蓮に向かい、そのまま夜行列車に乗り換えて台北に引き返し翌朝の福岡行きEVA航空キティちゃんジェットで帰国、という段取りを考えていたのである。
ところが、ホーチミンから到着した台湾は大雨でバスは2時間も遅れて台北駅に到着、「タロコ号」のキップを買おうとすると「台風が来てるから全部運休だよ」
何と、超大型の台風8号が台湾に接近しており、明日朝にも台湾に上陸するとのことだったのだ。鉄道も既に台風対策で長距離列車はすべて運転を止めており、これでは「タロコ号」にも乗れないね、などという以前に明日朝8:10発の福岡行きキティちゃんジェットも欠航するかも知れないじゃないかー!!

まあ、今更じたばたしても始まらん。気を取り直して日本の家族に連絡し、台風情報とEVA航空の運航状況を逐一メールで連絡してくれるように頼み、後はもう自分で出来ることはないから士林の夜市に出かけて腹ごしらえ。
その夜はホテルも予約していないし、翌朝は朝5時の空港リムジンバス始発便に乗ってとにかく朝一で桃園空港に向かい状況を確認しなきゃならんということで、台北駅のロビーで同じように台風で足止めを食らった乗客と一緒に夜明かしした。

さて翌8月18日は朝から凄い大風と土砂降りの雨である。こりゃフライトは無理かなと思いつつ空港に向かうと、何と福岡行きキティちゃんジェットは時間通りに出発するという。台風が来る寸前に台湾を離陸して逃げ切ってしまうつもりらしい。本当に大丈夫かよ、夏休みで満席の便を欠航させたくないのでムリに飛ばすつもりなんじゃないだろうな?と思いつつ、最新型のエアバスA330-200は大風をものともせずに離陸、無事に台風を振り切って福岡空港に定時に到着した。
福岡は台湾を襲っている巨大台風など知らぬ顔の入道雲もくもくの快晴であった。

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白い空、緑の田圃、紅い河~2007年夏ベトナム鉄道漂流 その2

2007-08-26 | 旅行
(写真:サイゴンから1726キロを走破してハノイ駅に到着したベトナム南北統一鉄道TN8列車)

2007年8月14日
ベトナム南北統一鉄道TN8列車の旅もいよいよ3日目、最終日になった。
今朝は地元歌手の歌?らしい妙にだるくなるスローバラードで午前6時過ぎに叩き起こされた。

今朝配られた朝メシはこれ。パッケージに何故かロンドンの空港特急ヒースローエクスプレスの写真がプリントされたインスタントラーメン。いや、インスタント「フォー」か?
「嗚呼、ハノイに着いたら本物のフォーを屋台で食いたいなぁ…」とか思いながらカップ麺を啜る。


カップ麺を平らげ、ベッドに寝そべってダラダラしていると、列車の速度が極端に遅くなってきた。時々停車しながら、恐る恐るといった感じで進んでいく。車窓を見ると一面の赤土の海だ。どうやら数日前まで線路が冠水し寸断されていた現場に近づいたようだ。
日本を出発する直前にチェックしたネット経由の情報では、記録的な集中豪雨で数十人規模の死者まで出ているという。線路と平行した道路には、被災者の救助が続いているのか、救急車も出動している。





水害の傷跡はまったく酷い有様で、線路が崩壊せずに残ったのが不思議な程だ。乗客も驚愕の表情で車窓を見ている。水の中を歩く人影も見えたが、水害後の復興は大変そうだ。どうか気を落とさず前向きに生きて下さい、と願わずに居れない。
列車は歩くほどの速度で徐行して水害区間を通り抜けた。

さて、所定のダイヤでは我がベトナム南北統一鉄道TN8列車は今日の昼12:05に終着駅ハノイに到着することになっているのだが、先程の大徐行で大幅に遅れるなこりゃ…

昨日みかんをくれた同室のオジサン達が下車するので握手して別れたり、空席になったベッドに若い男性が乗り込んで来て(ベトナムでは寝台券を複数の乗客に売るんだな、大らか…)、多分水害区間の徐行のせいで散々待たされたせいだろう、疲れきった様子でそのまま寝てしまったり、そうこうしている内に昼飯が配られた。
今日も同じメニューかと思いきや、豚の角煮がエビになっている。
しかし、もう12時を過ぎたのにハノイに着く気配はない。時々停車する駅名を苦労して読み取って地図と照らし合わせると、ハノイにはまだ大分距離があるぞ。日が暮れるまでに着けるかな。。。

それでも着実にハノイは近づいているらしく、車窓に人家が増えてきた。列車も何とか遅れを取り戻そうとしているかの如く午後の通り雨の中を速度を上げて疾走する。
やがて車内放送で哀愁を含んだ女性歌手のバラードが流れ始め、旅の終りが迫ったことを告げる。同室の若い男性と上段ベッドの母娘(彼女達は結局、僕と同様に全区間を乗り通してしまった。ご苦労様。。。)も降り支度を始め、僕に「やっと着いたネ」というように笑いかける。

午後5時過ぎ、TN8列車は定刻から約5時間遅れで終着駅ハノイに滑り込んだ。

ハノイに着いたら、先ずは市内の日系旅行会社に手配を依頼していた明日乗車する列車のチケットを受け取りに行かないとならない。歩いて行けない距離ではないが、ベトナム縦断列車の旅で疲れているし荷物は重いし、何よりじっとりべったり蒸し暑いのでタクシーに乗ることにする。しかし、ベトナムは世界に名だたる悪質雲助タクシーの巣窟なのだ…
言い寄ってくるぼったくりバイクタクシーや白タクを完全シカトして、駅前で大手会社のタクシーを捕まえる。旅行会社の所在地の通りを告げると「5ドルでいいか?」と聞いてくる。こいつもかよ…「NO!メーターで行ってくれ」
旅行会社のオフィスでチケットを受け取り、
「水害で徐行して5時間遅れで到着ですよ」
「ええ~!?それはそれは御疲れ様でした」
「いやいや、運休されるのに比べたらマシです」とか会話。ついでに「ホテルに帰るんで、『まともな』タクシー呼んでくれますか?」とちゃっかり依頼。
それでもホテルに着いたタクシーの運ちゃんは平然とメーター額の10倍以上の金額の100000ドン紙幣を「オ~、チップねサンキューサンキュー」と懐に入れようとするのだった。
「誰がそんなにチップをやるか!いいからお釣りを返しな!」ああ、疲れる。。。


2007年8月15日
ベトナム南北統一鉄道2泊3日の旅を終えて、ようやくシャワーを浴びて揺れない広いベッドで眠れたのだが、今日も夜明け前に起きて列車で出発するのだ。
目指すのは中国国境の街ラオカイ。
ベトナムと中国雲南省の間は線路が直通していて貨物列車が両国間を行き来しているが、今のところ旅客列車の国際列車は走っていない。それでもラオカイまでは1日数本の旅客列車が運行していて、ラオカイと中国・河口の国境を越えて昆明行きの列車に乗り換えることも出来るらしい。
とりあえず、ベトナム最深部の国境の街まで列車で行ってみたい。しかし、この区間は夜行列車中心のダイヤが組まれていて昼間にハノイからラオカイまで直通する列車はたったの1往復のみ、しかも早朝6:10発!
でも、せっかくだから昼間の列車に乗りたい、車窓が見たい。乗るしかない!
…という訳で、せっかくのホテルの立派なベッドを夜明け前に捨てて昨日着いたばかりのハノイ駅に戻って来たのだ。

某歩き方ガイドブックによると、ハノイ駅は南北統一鉄道の列車が発着する駅とラオカイやその他2路線ある北方路線の列車専用の「ハノイB駅」とに別れているらしい。昨日着いたハノイ駅の真裏にあるB駅目指して、駅前の路地を歩く。


駅構内から北向きに出る線路を跨いで…




ハノイB駅に到着。
僕が乗るラオカイ行きLC3列車は4番乗り場か。
でも4番乗り場って昨日サイゴンから到着したプラットホームのすぐ隣じゃないか。何でわざわざ行き先ごとに駅舎を分けるんだろう?不便だし、イマイチ意図が分からないぞ。


これが、今日一日10時間乗車するラオカイ行きLC3列車。南北統一鉄道の箱型車体のディーゼル機関車とは別形式の、赤いアメリカ風スタイルの機関車が先頭に立つ。


車体のメーカーズプレートにはプラハの文字が。
共産主義時代の同志から提供された機関車らしい。
しかし今やチェコはEU加盟国となり共産主義時代は過去の記憶となった。そしてこのプラハ製機関車のベトナム人運転士も「ハロー!グッドモーニング!」と英語で陽気に声をかけてくる。時代背景は移り変わり、物言わぬ機関車だけが歴史の生き証人として走り続ける。




LC3列車の編成を最後尾まで見て歩く。
全車両、濃緑色のエアコンなし車輌で、ソフトシート車とハードシート車、そして食堂車か車内販売準備車?と思われる車輌と荷物車で編成を組む。


さて僕の指定された車輌は、ソフトシート車が売り切れだったのでハードシート車。
この木のベンチシートに10時間も座り続けるのはキツイだろうな…


定刻にハノイを発車したLC3列車は、線路際に建て込んだ家の軒先をかすめるようにしてハノイ旧市街を走る。
エッフェルが設計したとも伝えられるロンビエン橋でホン河を渡り、ハノイ市と別れを告げた列車は後はひたすらこのホン河に沿って中国国境を目指す。


列車は早朝のすがすがしいハノイ近郊を快調に飛ばしていく。
木のベンチシートも、微妙に身体にフィットする角度が付けられているので案外座り心地がいい。
時々停車する駅の側線には、漢字表記の中国の貨車の姿が目立つ。この路線は国際貨物列車の行き交う物流の動脈であることを認識させられる。


辺りは一面の田圃。どこまでも広がる緑の絨毯を眺めていると、何とも言えない懐かしさを感じる。
やっぱり僕も瑞穂の国の人だから。






車窓にだんだん熱帯性の植生が目立ってきた。風景が山がちになり、小さな峠を越えて走っていく。
だいぶ陽が高くなってきて、車内も蒸し暑くなってきた。
時々周って来るワゴンサービスから氷で冷やしたハノイという銘柄の缶ビールを買って飲むが、ちょっといがらっぽいような独特の味がする。喉越しスッキリという訳にはいかない。


車窓にはホン河が流れる。中国雲南省から流れてくるこの河はベトナムの他の川と同様、たっぷりと土(風化した玄武岩らしい)を溶かし込んでいて真っ赤に見える。さすが漢字で書くと「紅河」となるだけの事はある。
水蒸気で白く輝く空と、濃厚な緑の熱帯林、そして紅の河。日本ではありえない凄まじいコントラストの、インドシナの風景がある。
でもホン河に沿って遡上する列車の旅は、どことなく北海道の宗谷本線の音威子府辺りを天塩川に沿って走ってるのと似た雰囲気のような…?気候も風土も全然違うんだけど、不思議。




だいぶ山の中に入ってきた。時々、棕櫚や竹林の間から幻のように棚田と集落が現れて列車が駅に停車する。駅の信号はノスタルジックな腕木式だ。
かなり中国が近づいてきたせいか、まるで桃源郷伝説のような幻想的な風景が展開する。

駅に着くとプラットホームを物売りが行き来する。中にはそのまま列車に乗り込んで来て車内販売を始める人までいる。時々車掌がそういった売り子を叱り付けたり、荷物車に押し込んでデッキのドアにカギを掛けたりしているので、あれは不法乗車の無許可営業なんだろうか?
でも、弁当も何も持っていない僕にとっては有難い存在。さっそく、茹でたとうもろこしを買ってみたが、懐かしい「もちとうもろこし」だった。僕が買うとつられた様に他の乗客も買い始めるのが面白い。
ただ、ベトナムの乗客は車内で飲み食いしたゴミを車窓に投げ捨てる習慣があるのには閉口した。まあ、とうもろこしの芯はすぐに分解して土になるだろうから、と考えて僕も郷に入れば郷に従うことにする。

昼下がり、車内はますます蒸し暑くなり、西陽の当たる側の席にはとても座っていられないような蒸し風呂照り焼き状態。ハノイを出て既に8時間以上が過ぎ、乗り疲れもあって乗客もバテバテ、売り子も疲れたのか空いている席に勝手に座ってサボっている。それでも商魂逞しい彼女ら(売り子はリーダー格のオバサンに引き連れられた若手数人組みというチームが多い)は、目ざとく外国人乗客の僕を見つけて売れ残りのジュースを買わせようと押し付けてくる。苦笑しながら冷えたジュースを氷の入ったバケツに戻すと、今度は隣から「ワタシ怪しいベトナム人です」と言わんばかりのリーゼントにパンダサングラスでくわえタバコ(笑)の出来そこないの西部警察みたいな男が「アナタ中国行くね、私のバスに乗るね」と声を掛けてくる。
いい加減ウンザリして「ジュースも水も飲まんしバスにも乗らん!」とぼやいているうちに、LC3列車は定刻通り16:35、国境の街ラオカイに到着した。

ラオカイには列車に乗るために来たので、何も用はない。着いたら引き返すだけである。今夜のハノイ行き夜行列車のきっぷを手配してあるのだが、出発は21:00、あと4時間半ある。
せっかく国境の街に来たのだから、暇つぶしがてら国境を見に行く事にする。
毎度御馴染み某歩き方ガイドによると、駅前の通りを右に曲がって1キロばかり進むと国境の「新中越友好橋」に着くはずだ。リュックを背負い、駅前に出た途端「バイクに乗れ」「バスに乗れ」「ホテルに泊まれ」と群がってくる連中を振り払って歩き出す。

暫く歩くと、ラオカイ駅から伸びる線路が見えてきた。この線路を通って、貨物列車は中国とベトナムを行き来している訳で、あれ?という事は昆明までは中国国内も標準軌ではなくメーターゲージなのかな?などと考えつつ、バイクが行き交う埃っぽい道を傾いた西陽に向かって汗をかきかき歩く!

道路標識が見えてきた。ベトナム語表記なので全然読めないが、「真っ直ぐ600m行くと国境」と書いてあるんだろうと強引に解釈してさらに歩く!

怪しく延びる線路。何だか山に登っていくような気配だけど、本当にこの先に国境の橋があるのかいな?

行く手の街路樹の先に妙な形の橋が見えてきた。国境に違いない。さあもう少し、ベトナムの端っこは近い!

着いた、国境です!いや~駅から1キロは遠かった。
さっき見えた妙なデザインの建造物は橋の向こうの中国側ゲートだったようで、これ見よがしに「中国 河口」というバカでかい看板が出ている。橋のこっち側にも異様に巨大なベトナム側ゲートが「見せびらかす」ように建っている。これはもうお互いに「俺の国の方が強いんだぞ!」と意地を張り合ってるとしか思えない。
新中越友好橋のたもとには小ぢんまりした公園があり、観光客が河(ホン河の支流だ)の対岸の中国を眺めることが出来るようになっている。やれやれとリュックを降ろし、「あれが中国かぁ~」とアホみたいな感想を呟きながら一休み。
「本当に、川一本挟んだ向こうが外国なんだなぁ…陸上の国境越えは列車でしかしたことないから、じっくり自分の目で国境を眺めるのは初めてだなぁ…ああ、中国とは時差があるんだな、向こう岸の公園の時計は1時間進んでるぞ」

ふと、国境の橋を見ると、歩いて渡ってる人が結構いる。
荷担ぎの行商人ばかりでなく、ちょっと川向こうまでお出かけ中という感じの普段着の人や、大きなトランクを引きずった見るからに観光客っぽい人も行き交う。

「さて…」僕はまたリュックを担いで歩き出した。
「ひとつ僕も国境を越えてみるかな」
(→白い空、緑の田圃、紅い河~2007年夏ベトナム鉄道漂流 その3 に続きます)

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白い空、緑の田圃、紅い河~2007年夏ベトナム鉄道漂流 その1

2007-08-25 | 旅行
(写真:ハノイ駅出口の踏切を通るラオカイ行き列車)

猛暑の日本を出て、もっと暑い国へ行こうと思う。
目指すはベトナム。
特に理由があった訳ではない。「ディープなアジアの、板張りベッドの寝台車(硬臥)に乗ってみたいな~」とか考えながらネットで東南アジア方面の格安航空券を物色していたら、たまたま台湾経由ホーチミンシティ行きの手頃な物件を見つけたので何も考えずその場で予約してしまった。
さて、チケットを押さえてからベトナムについてあれこれ泥縄で調べたのだが中々面白そうな国だ。
共産主義国でありながら積極的な経済発展を目指すエネルギッシュさ、路傍の屋台の魅惑のB級グルメ、対日感情も概ね良好。
そして何より国土を縦断して走る「南北統一鉄道」。
ベトナムの鉄道に乗りに行こう!

2007年8月11日
出発前にインターネットでベトナムの現地情報を最終チェックしていたら、何と「大雨で統一鉄道は寸断され麻痺状態」という最悪のニュースが飛び込んできた。
「列車はすべて運休、水が引いてから点検終了するまで運転できない」とのこと。
しかし今更どうする事もできない。明日までに水が引けば運行は再開される、とも取れる記事だし、ええ~いこのまま行ってしまえ、何とかなるさ!!

気を取り直して福岡発台北行きのEVA航空2105便に乗るべく、熊本駅から特急リレーつばめ号で出発。
EVA航空の出発時刻は昼過ぎなので、博多駅から新幹線博多南線に乗って暇つぶし。

旧「グランドひかり」の100系こだま号に乗って、10分間の新幹線ショートトリップ。
終点の博多南駅の側面では新八代駅まで延びる九州新幹線延伸工事の真っ最中。

「あと4年したら、福岡空港に向かう時はここを新幹線つばめ号で通ることになるんだねぇ」

EVA航空2105便はお馴染みの「キティちゃんジェット」。
福岡離陸後は熊本市上空まで南下してから右旋回し、そのまま雲仙普賢岳上空を飛び越えて天草経由で東シナ海に抜ける航路を取った。ちょうど左舷側の窓側席だったので、数時間前に出発した自宅周辺がよく見える。しかし…わざわざ早起きして福岡空港まで行ったのに、離陸後数分で出発地上空に戻ってしまうのは何だか悲しい。


到着した台湾・桃園空港はしとしと雨。
今日はこのまま台湾で乗り換え待ちで1泊となる。
せっかくなので台湾高速鐡路(台湾新幹線)に乗車。前回ゴールデンウィークにもロンドンへ向かうキャセイパシフィック航空を途中降機して台湾新幹線に乗ったが、今回は南下列車の普通席に乗ってみる。
きっぷ販売窓口が長蛇の列だったので、自動券売機に台湾元の紙幣を突っ込もうとしていたら、案内役の女性職員が親切に買い方を教えてくれる。

台湾新幹線700Tは相変わらず車体の洗浄が手抜きで泥んこ状態だったが車内は綺麗。
とりあえず、1日のうちに日本と台湾の新幹線を乗り比べられて満足。
台北を出発して南下するにつれて空模様はどんどん凶悪そうな雨雲に覆われ、終点の高雄左榮駅に到着する頃には土砂降りになった。
高雄からはそのまま台鐡在来線を乗り継ぎ、東部幹線経由で台北に戻る。
雨で列車が遅れないか心配だったが、定刻に台東駅での乗り継ぎを成功させ翌朝5時10分に台北駅に戻ってきた。
さあベトナム・ホーチミンシティに出発だ。雨が上がって統一鉄道の線路から水が引いていますように!

2007年8月12日
台北発EVA航空391便のジャンボジェットは南シナ海上空を3時間ほど快適に飛行し、ホーチミン・タンソンニャット国際空港に向けて降下を始めた。
窓の下に初めて見るベトナムの風景が広がる。いかにも東南アジアらしい明るい緑に覆われた大地を、土砂をたっぷり溶け込ませた赤茶けた大河が流れる。所々、その土の河が平野を飲み込み、家々が水中に孤立しているように見えるのが気がかりだ。
「やはり大雨が降って洪水状態みたいだな…」
滑走路近くに線路が延びていて、長い編成の旅客列車が見えたが、駅でもないところに停車したままのようだった。
「やっぱり鉄道のダイヤは混乱しているのかな…予定では今夜からハノイ行きの統一鉄道縦断列車に乗ることになってるんだが…」かくして不安を抱えたまま、ベトナムの地に第一歩を印す事になった。

空港内の両替所でとりあえず手持ちの米ドルをベトナム通貨のドンに替え(レシートも何もくれない。既にぼったくられてる?)到着ロビーを出ると、途端にタクシーの客引きに取り囲まれる。
ここで連中のなすがままにタクシーに乗せられると、まあ間違いなくぼったくられる訳で、しつこくまとわり付く客引きの誘いを華麗にスルーして市内行きのバスを探すが、バス停がないなぁ。
空港関係者か軍人かよく分からないけどカーキ色の制服を着た人に「バスはどこですか?」と聞くと「あと2時間はバスはないよ」とのこと。何ー!?某歩き方ガイドブックには5分間隔で出てるなんて書いてあったが…仕方がない、タクシーに乗るぞ。空港内ではぼったくりの心配がないタクシーチケットを売っている筈なので、それらしきカウンターに行って「市内までのチケット下さいな」と言うと「ハイハイ、10ドルですよ」とにっこり。「嘘付け!チケットは一律5ドルだろ!それ位前もって調べて知ってるぞ!」と抗議すると悪びれもせず「ハイハイ、5ドルね」とチケットを切って寄越す。「何て国だ。。。手ごわい!」

ともあれ、チケットタクシーで無事にホーチミンシティの中心部、デタム通りに到着。ここで南北統一鉄道の列車の寝台券の手配を依頼していた日系の旅行会社オフィスへ立ち寄り、きっぷを受け取る。
流暢な日本語で対応してくれるベトナム人スタッフに「大雨はどうなりましたか?」と聞くと「はあ?何の事ですか?」
「いや、大雨で洪水になって列車が止まってるって聞いたんですけど。もう復旧してますかね?」
「はあ~?よく分かりません」
「今夜の、私が乗る列車は予定通り発車するんでしょうか?」
「大丈夫大丈夫ですよ」
何だかうまく話が伝わらない。本当に大丈夫なんだろうか。

さて、列車のきっぷは入手出来たが発車時刻までまだ半日ある。昨夜の車中泊明けとぼったくりとの闘争、そして街を覆い尽くす喧騒と暑さと湿気でさすがに疲れた、駅近くのホテルにデイユースでチェックインして一風呂浴びて休憩する。ホテルのコンシェルジュに「今夜のハノイ行き列車に乗るんですが、大雨で止まっていませんか?」と聞くと親切に駅に電話して聞いてくれた。その結果「大丈夫、今夜の列車は時間通りです」とのこと。やれやれ、良かったぁ~

安心して風呂に入ってそのまま昼寝。
目が覚めるとだいぶ陽が傾いている。さて、そろそろサイゴン駅に行くか!

ベトナム南北統一鉄道の南の終着駅は、街の名前がホーチミンに変わった今でも旧市名のサイゴンのままである。駅前には電飾をまとった蒸気機関車が展示されているが、ご丁寧にも空に向かって飛び立っていくかのように傾斜をつけて置かれているので、懐かしの某アニメのワンシーンを彷彿とさせる。

統一鉄道サイゴン~ハノイ間には毎日数往復の直通列車が設定されており、いずれの列車も2晩かけて全長1726キロを走破する。今から僕が乗るのは速度が遅くて、寝台車以外にエアコンなしハードシートの座席車も連結した「TN8」。庶民的な鈍行的列車だが、それ以外にも速度が速くて所要時間が短く、エアコン付き車両のみで編成を組む優等列車「SE」も走っている。
丁度、「TN8」を先行する「SE2」の発車時刻が迫っており、サイゴン駅構内はごった返していた。





今夜から2昼夜に渡って乗車する「TN8」との対面を果たす。
DOI MOIのロゴが誇らしげな大型車体のディーゼル機関車に牽かれた客車11輌と荷物車と有蓋貨車という堂々たる長大編成。機関車と荷物車は軽快なトリコロール塗装だが、客車はすべてダークグリーンで車体にビードの入った無骨な共産圏標準スタイル。


編成の端に連結された1輌だけのエアコン付きソフトベッド車輌、日本式に言うとA寝台が僕の指定席。4人部屋のコンパートメントの下段が僕のベッドだが、同室の客は小学校に入ったばかり位の女の子を連れた若いお母さんと、初老の男性2人連れ。
互いにちょっと挨拶を交わすと、皆それぞれ自分のベッドに横になる。
19時40分、「TN8」は定刻にサイゴン駅を出発した。

すぐに車掌氏が周って来て車内検札。しかし、僕のベッドに腰を下ろした車掌氏は大学ノートに乗客の乗車区間をゆっくり記帳した後もしばらくそのまま世間話をしたりして何とも悠長。
やがて毛布が配られ、同室の乗客は皆早々に眠りに入った。僕も今日は早めに寝て明日以降のハードな鉄道漂流に備えるとしよう。

2007年8月13日

まだ薄暗いうちから車内放送で大音量のJポップが流され叩き起こされた。
統一鉄道の旅の最初の夜が明け、列車は南ベトナムの田園地帯を快走している。ベトナムの鉄道の軌間はちょうど1メートル、いわゆるメーターゲージと呼ばれる規格で、狭軌の日本のJR在来線よりさらに狭い。その狭い線路の上を列車はかなりの速度で走っていく。時速100キロは出ているのではないだろうか?
僕の宿であるエアコン付きソフトベッド車は、列車の最上級クラスの車輌なのに随分と年期の入った車体で、窓には頑丈な鉄の網まで被せられている。監獄にいるようで実に気持ちが良くないが、車窓にはいかにも東南アジアらしい萌え上がるような緑の平野と大気にたっぷり含まれる水蒸気のせいか白く霞んだ空が広がる。

車窓に南シナ海が見えてきた。
インドシナ半島の沿海州の国であるベトナムの、その海岸沿いに国土を縦貫する統一鉄道の車窓には終始南シナ海が見え隠れする。
列車から見える海はいいなあ。。。


デッキについている小さな流し台で顔を洗ったりして身繕いを済ませると、ワゴンサービスで朝食が配られる。統一鉄道のTN8列車では行程中のすべての食事が提供される。ただし食堂車はない(昨夜サイゴン駅で乗車前に確認したところ、荷物車の一部にビュッフェのようなコーナーがあったがおそらくワゴンサービスの準備室と思われる)。
今朝のメニューはクリームパンとミネラルウォーターのミニボトル。
「せっかくベトナムの列車に乗っているんだから、フォーや生春巻きが食べたいなぁ」と思っていたら、後から串焼き肉や天ぷらを売りに来た。でも朝から食べるにはこってりし過ぎなので遠慮する。

朝食を食べてしまうと、後は何もやることがない。夜行列車特有の、気だるい午前の時間が車内に流れる。
このまま二度寝を決め込んでしまうのも乙なものだが(実際、大半の乗客はそうしているが)、せっかくなので今のうちに列車の編成を一通り観察して回ることにする。

編成の最後尾に連結された、僕のベッドがあるエアコン付きソフトベッド車の隣は、エアコン付きハードベッド車。クッションのない硬いベッドの3段式寝台車だった。その隣が、エアコンなしハードベッド車。

冷房の効いた車輌からエアコンなしハードベッド車に移ると、身体を湿った熱い風が包み込んで気だるさが増す。
それでもこの車輌のインテリアデザインは素晴らしい。優雅な飾りの施された風通しの良い仕切りと、ゴザの敷かれたベッドの車内には、旧き良きインドシナの時間が流れているようだった。


3輌の寝台車の隣は延々と座席車が連なる。
こちらはエアコン付きソフトシート車。日本のムーンライト夜行快速とよく似た雰囲気だ。


そしてこれがエアコンなしハードシート車。
文字通り、木のベンチの座席。この座席で一夜を過ごすのはさすがにつらそうだ。

列車内の探検を終えて自分のベッドに戻る。しばらくヘッドフォンで音楽を聴いたり文庫本を読んだりして自分だけの時間を過ごす。活字を追うのに疲れたら、隣のハードベッド車輌との境のデッキに行って、金網の嵌っていない通路窓からインドシナの景色を堪能する。



正午前に、昼食が運ばれてきた。
今度は本格的なホットミールで、ご飯とおかずが2品とスープ。
おかずは煮た豚肉と、ザーサイのような高菜のような酸味のあるものを煮たもの。スープは木の葉っぱのような形の野菜が入っている。煮物汁物ばっかりだがポロポロしたタイ米のご飯によく合ってとてもおいしい。
車内食を平らげると、向かい側で食事を終えたオジサンがベッドの下の荷物入れからセロハン紙に包まれた小振りなみかんを取り出し、同室の乗客に配った。有難く頂戴したそれは皮が硬くて、素朴で懐かしい味がした。

デザートを済ませてしまうと、気だるい午後の時間が続く。車内は完全にお昼寝モードで静かな時間が流れていく。

時々、駅に停まるのだが、11輌編成+荷物車・貨車の最後尾近くに繫がれた車輌に乗っているせいで停車位置が駅の端っこになる上に、窓には金網があるので見晴らしが利きにくくて駅名が確認できず、どこの駅に着いたのかよく分からない。
ベトナム語と英語の案内放送はあるけど、駅名はよく聞き取れないから自分が今どの辺りを走っているのかよく分からなくなってきた。同室のベトナム人のおじさん達と母娘連れはお昼寝中だから聞く事もできないし。
それに、鉄道が水害で寸断されたという割には車窓には雨の降った痕跡もない。
よく分からないまま列車は坦々と北に向かって走って行く。

それにしてもいい天気だ。のんびり列車に揺られる気だるい午後、明るい日差しとよく効いたエアコンと隣近所から聞こえる気持ち良さそうな寝息に、僕も眠くなってきた。
ちょっと昼寝しよう。。。

突然、枕もとのテーブルに食事を載せたトレイが置かれて目が覚めた。
「あ~あ、もうご飯なの?」
感覚的に長距離飛行の飛行機に乗ってる感覚に近いな、食事攻め…
さて今日のディナーは…わはは、昼ご飯と全く同じメニューだ。
豚の角煮みたいなおかずをぱく付きながら隣のオジサンの方を何となく見ていて一つ気がついた。「車内食」には竹箸とプラスチックのレンゲが添えられているのだが、僕は日本人的感覚で「箸でご飯を掻き込み、レンゲでおかずを掬って」食べるのだが、ベトナムの人は「レンゲでご飯を掬い、箸でおかずを挟んで」食べているようだ。更に僕はおかずの汁をレンゲで丹念にすすったりご飯にかけ回したりしてきれいに平らげてしまったのだが、オジサンは汁は残してるみたいだ。
「う~ん、きっと僕の食べ方はベトナム的には行儀が悪いんだろうな…」でも煮物の汁がおいしいんだもん、残すのは勿体ない!


食事が済んでもまだ日は暮れず車窓は明るい。そのうち段々人家が増えてきて、列車は結構大きな駅に到着した。駅構内には露店が並び、売り子や乗客で賑わっている。同室のオジサン達と母娘も降りて買い物に行ったようだ。僕もちょっと降りてみよう。

停車中のTN8は給水ホースを繫がれたりゴミ袋を降ろしたりしている。この駅は統一鉄道の中間補給基地的なんだな。

駅構内の露店を覗いたりしていると、TN8の編成の最後尾の有蓋貨車に機関車が連結されている。ここで列車は進行方向を変えるらしい。サイゴンからハノイまで一直線に敷かれたベトナム南北統一鉄道の中間点にスイッチバック駅があるのは不思議な感じだ。旧宗主国フランスの影響だろうか?
「ガッチャーン!」という感じで荒っぽく機関車を連結した列車は逆向きに発車。

車内で某歩き方ガイドブックの地図を見ると、ベトナム中部の商業都市ダナンで鉄道がスイッチバックしていることから列車の現在位置が分かった。ダナンは人口90万、港町の商業都市だそうだ。そしてダナンを出た列車はもうすぐ統一鉄道最大の難所にして見所であるハイヴァン峠を山越えする筈なのだが、もう日が暮れてしまった。山越えの車窓は見えないな、残念。

ダナンを発車したTN8は美しい夕暮れの海を見ながら走る。暫くすると列車の速度が極端に遅くなり、窓から曲がりくねって走る編成後部の車輌の窓明かりが見る程の急カーブを描きながら山越えにかかる。ハイヴァン峠だ。日中なら車窓に海と空を望む素晴らしいパノラマが展開するらしい魅惑の山越えだが、日も落ちすっかり暗くなったので喘ぐ機関車のエンジン音と車輪のフランジがレールを擦る音でその嶮しさを想像するしかない。
ハイヴァン峠を境に列車は北ベトナムへと入る。明日の昼には列車はいよいよ終着駅・首都ハノイへと入る…筈だ。

(→白い空、緑の田圃、紅い河~2007年夏ベトナム鉄道漂流 その2 に続きます)

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ベトナム鉄道旅行から無事帰国しました

2007-08-18 | 旅行
(写真:中国国境の街ラオカイに到着したベトナム鉄道ハノイ発LC3列車)

残暑御見舞い申し上げます
天燈茶房亭主mitsuto1976拝

日本はここ数日、気温が40℃を超えるところもある異常猛暑だったようですが、インドシナ半島も暑かった。
そんな熱いベトナムを、列車で旅して来ました。
暑さと湿度と巨大台風、そして容赦なく襲い掛かる土埃にまみれて、無骨な共産主義スタイルの濃緑車体板張り座席客車に揺られて密林を水田を往くベトナム鉄道紀行、これからぼちぼち書いていきますのでお付き合い下されば幸せです。
とりあえずその前に、東南アジアの喧騒に疲れた身体を休める時間を下さい。三十路の身体に東南アジアのエネルギッシュさは流石に応えた。。。(w

ところで、ハノイのホテルで見たNHK衛星放送によるとJAXAの月周回衛星「かぐや」の仕切り直しの打ち上げが9/13の10時35分47秒(日本標準時)に決まった(JAXAプレスリリース)ようですね。う~む某巨大掲示板のかぐやスレの打ち上げ日予想が的中した。。。
という訳で、カウントダウンリンクも再開!
月周回衛星「かぐや(SELENE)」とH-IIAロケット13号機も打上げまであと26日!


↑SELENEミッションマーク(画像提供:JAXA)をクリックしてJAXAの「かぐや/H-IIA13号機特設サイト」へGO!

ちなみに僕は9月13日の予定日当日の打ち上げは延期されると見て、14日の種子島行きフェリーの予約を入れているのだがどうなることやら。

延期されていたオーロラロケットS-520-23号8月30日からに決まったようですね(せんだい宇宙館ニュース)。

そして小惑星探査機「はやぶさ」は7月28日にイオンエンジン-Cのプラズマ点火に成功(JAXA宇宙科学研究本部トピックス)していた模様。
いいねいいね~♪
(旅行中にインターネットカフェでチェックしたはやぶさまとめニュースで知った。管理人のhayabusafanさんいつも乙です。)

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22時、雨上がりの台東駅

2007-08-11 | 実況
今日からベトナムを目指して出発しました。
…が、なぜか台湾を一周中。台湾新幹線から南廻線に乗り継ぎ、夜行列車で台北を目指す。

しかし、今朝の時点でベトナムは熱帯低気圧の直撃を食らって死者まで出ており、南北統一鉄道も寸断され水が引くまで運休中…らしいのだが、明日夜までに復旧するだろうか?
さてこの先どうなる?

夏だ、旅に出よう

2007-08-07 | 日記
(写真:種子島・西之表フェリーターミナルの「待合ベッド」)

8月に入って1週間、夏真っ盛り。

「ああ~旅に出たいなあ~!」

まあ本来、今の時期はあんまり旅に向いた時期ではない。
暑いから体力消耗するし、身体は汗臭くなるし。
でも、何故かしらこの時期には旅に出たくなる。

学生の頃は1ヶ月以上の夏休みだった。期末試験が終われば、もうあとは「青春18きっぷ」を買って始発の普通列車に飛び乗るだけだ。
日本は南北に細長い国で、僕は南の方に住んでるから、遠くへ遠くへと列車を乗り継げば自ずと北へと進路をとり北海道に着く。あの頃、北海道の地方主要幹線には道内夜行列車が健在で(今では札幌~釧路の「まりも」号だけみたいだけど、これも臨時格下げされるみたいね…)、こういった亜幹線の駅には深夜急行に乗る人のための「雑魚寝サービスコーナー」みたいなものが大抵あった。
内地の都市の駅だと「諸般の事情」で考えられないサービスだが、今から10年ほど前まで北海道はのんびりしていたのだ。
で、こういった「待合ベッド」にお世話になる事も多かったのである。
今でも思い出す、ヤニで色褪せた畳に新聞紙を敷いて「時刻表」を枕に眠った待合室のベッド。時々通過する貨物列車の地響き、蛍光灯にまとわりつく蛾の羽音。。。

この「待合ベッド」に思わぬ場所で再会した(写真)。
場所は北海道から2000キロ以上離れた種子島、西之表港のフェリーターミナル。
H-IIAロケット12号機の打ち上げを見送った後、10時間のナイトハイクの末に辿り着いた九州本土行きの港でこれを発見した時は思わず新聞を敷いて寝そべりたくなったぜ。

この「雑魚寝ベッド」に限りなく近いと思われる寝台車が東南アジアには走っているそうな。
いわゆる「硬臥(ハードベッド)」と呼ばれるもので、板張りの寝台に布を敷いただけ!
という訳で、来週からの夏季休暇にベトナムまで、ハードベッド寝台車を連結した
「南北統一鉄道」のホーチミン(サイゴン)→ハノイ直通列車に乗りに行ってきます。
とはいえ、三十路を過ぎた不摂生男には板張りベッドの2泊3日はきつい。ハードベッドは眺めるだけにして、エアコン付きクッション付きの「軟臥(ソフトベッド)」でぐうたらするつもり(何だそりゃ)。
あ~あ、我ながら軟弱になったものだ!10年前までは「青春18きっぷ」でムーンライト快速の座席車10連泊とかやってたのにな。

…我ながら、極端な旅ばっかりしてるな。
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「はやぶさ2」とその先、実現のお願い

2007-08-02 | 宇宙
写真:内之浦宇宙資料館に展示されている、日本初の人工衛星「おおすみ」打ち上げ成功の際に地元の小学生から贈られた作文

日本の小惑星探査機「はやぶさ」の後継機「はやぶさ2」、そしてその発展型である大型探査機「はやぶさマーク2」の実現を、ファンが勝手に応援してしまおうという「はやぶさ2を実現させよう勝手にキャンペーン2007」。

昨日、早速財務省 財務行政へのご意見・ご要望の受付
文部科学省に関するメールでの御意見・お問い合わせ窓口案内
そしてJAXA 広報(メールアドレスは proffice at jaxa.jp)に
「はやぶさ2」と「はやぶさマーク2」の実現をお願いするメールを送信させて頂いた。

あまり偉そうに意見や見解は述べず、ただ純粋に「はやぶさプロジェクト」の素晴らしさとそれに対する感動、そしてそれを次世代に受け継ぎたいという望みを綴らせて貰った。
「はやぶさ」が旅立った内之浦宇宙空間観測所の中にある小さな博物館で見た、日本初の人工衛星「おおすみ」の成功に寄せられた地元の子ども達の活き活きとした感動を伝える作文(写真)、あの純粋な感動と希望を綴った素朴な文章のような、そんな気持ちを関係機関各位の方々に伝えたかった。

うまく気持ちが伝わるといいのですが…

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