天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

JAXAタウンミーティングin 佐賀県立 宇宙科学館 に行ってきました

2008-09-28 | 宇宙
第31回JAXAタウンミーティング」が佐賀県宇宙科学館で開催されたので、行ってきました。


ここに来るのは2年前の秋に特別企画展『はやぶさ』の挑戦を見に来た時以来だ。
今回はクルマで高速道路を走って来たので、熊本県八代からは2時間余りで到着。

さて今日は、JAXA理事の井上一先生と宇宙研対外協力室の阪本成一先生が登場するという豪華な内容。
さらに会場はプラネタリウムのドーム内という、宇宙ファンにはたまらない心憎い演出がなされている。
佐賀県宇宙科学館、さすがだな。

先ず、井上先生から「日本の宇宙科学」と題して、「ひので」「あかり」「すざく」を中心に宇宙研の打ち上げた衛星の説明。

続いて質疑応答に入るが、固体燃料ロケットと液体燃料ロケットについての解説や「あかり」の遠赤外線全天サーベイについての質問への説明に続いて、現役女子高校生からの「宇宙の研究者になりたいがどんな勉強をすればいいのか。大学はどう選べばいいのか。」という質問に対して井上先生は「まずは理科と数学の勉強が大事です」と前置きしてから
「好奇心を持って、物事を筋道立てて考えることが大事。大学も総合大学以外もよく調べれば、宇宙と関わる対象となるところは多い」とアドバイス。
さらにマイクを阪本先生が引き継いで
「私は高校生の頃は映画を撮っていたし、大学でも天文学ではなくスポーツの合宿に打ち込んでいた。でも、その経験は大事だった。
トップになってやる!と思うことが大切。何でも一番になるにはどうすればいいか、自分で考えることができる。
人の意見の寄せ集めはダメです。だからあなたには『人の真似の練習』だけはするな、と言いたいです。」
とのこと。
うむむ、成程。

続いて「H-IIAロケットでの打ち上げも出来ないかも知れない『はやぶさ後継機』に対して天文衛星は優遇されているのでは?」という質問には
「天文衛星の優遇はないです」とした上で
「『はやぶさ』は非常に大事な、全く新しいことをやった。それ故、2番手の計画はどうしても結果が薄れるということがあり、必ずしもコンセンサスを得られない点がある。
でも『はやぶさ2』は、やる方向で動いています。
井上理事から直接このお言葉が聞けたのは、やはり嬉しい。

それから僕と同じ列に座っていた、やはり熊本から参加したという大学浪人生さんから「以前、きみっしょんに参加したが、指導してくれた先生方は気さくな人たちばかりで感激した。天文学者は気さくな人が多いのか?」という質問には井上先生も思わず笑顔で
「天文学者は気さくだよ」と即答。
続いて阪本先生も
「今日はネクタイなんか締めてるけど、我々は普段の相模原キャンパスではジーンズにポロシャツ着てウロウロしている。それに理系の研究者は理事だろうが学生だろうが対等で、お互いの事をさん付けで呼び合う同格です。
だからあなたも将来我々の研究チームに来れば、学生でも対等の研究者です。」
すっかり和やかな雰囲気になって、第一部は終了。

休憩時間、阪本先生に挨拶する。
「先生、お久し振りです、先日の相模原キャンパス一般公開ではお世話になりました。」
「あ~あの時の熊本の方!」
阪本先生、相変らず激務の日々のようですが、どうぞお身体にだけはお気を付けられて下さい。

席に戻ると、先程井上先生に質問していたきみっしょん経験者の浪人生さんから声をかけられ、暫し歓談。
この方、何と東大合格を目指し勉強中とのこと。
「宇宙をやりたいのに医学部受験の特待コースに入れられて困ったんですよ~♪」とのこと。何か凄い悩みだな~。。。

続いて第二部。
阪本先生から「そと(宇宙)に出てはじめて分かるうち(地球)」と題して、「はやぶさ」や「かぐや」などの探査機の情熱ある解説。
「行けるところには行ってみるのが一番」
「探査機の撮った、丸くて天体だと認識できる地球のイメージは大事」
そして「すべては地球の理解のために
宇宙探査機のミッションの何たるかを言い切った、まさに名言だなぁ・・・

続いて質疑応答。
僕も質問しました。
「僕は、『はやぶさ』の大活躍に感動した一宇宙ファンです。
現在、日本中に僕のような宇宙ファンは大勢居ます。そして僕も含めて、みんなインターネット上で集まったりして自分なりに『はやぶさ』やそれ以外のJAXAのミッションを応援したいと思っています。
そんな一宇宙ファンが出来る応援の方法にはどんなものがあるでしょうか?」
阪本先生「とにかく、輪を広げて行って欲しい。こんな面白いことをやっているんだぞって、みんなにどんどん紹介して下さい。」
井上先生「基礎科学の大事な面だと思う。科学衛星のミッションに掛かる費用はだいたい200億円、国民1人当たり200円程度の金額だ。是非、インターネットを活用して政治家に財務省に呼びかけて欲しい。」
そうか、以前松浦晋也さんの呼びかけで財務省やJAXA上層部や内閣府、文部科学省に「はやぶさ2」実現をお願いするメールを送ったり、はやぶさまとめはやぶさ2を実現させよう勝手にキャンペーンをやった方向性で合ってたんだな。

それから、「是非子供たちに『かぐや』の地球の出ハイビジョン映像などを見せてやって欲しい」という意見には
「JAXA宇宙教育センターとしても全国の学校とコンタクトを取って、子供たちに見てもらいたいです」という回答。
最後に井上先生から「宇宙基本法」と絡めて「人類として尊敬される宇宙科学を」との挨拶で「第31回JAXAタウンミーティング」は無事全予定を終了した。

帰り際、東大を目指す浪人生さんに「今しかできないことだから、チャレンジして。近い将来、JAXA研究者になったあなたと相模原キャンパスで再会できるのを楽しみにしていますよ」と挨拶(ちょっとキザ過ぎるセリフだったかな?)。
それから、井上先生と阪本先生にお礼。阪本先生、明日からイギリス出張だそうですがどうぞお身体に気を付けられて、お元気で。
井上先生には握手して頂きました。ホントに気さくな方で、感激。


タウンミーティング終了後、プラネタリウム隣の天文台で昼の金星を見る。
それから再びプラネタリウムのドームに入り、「サタデーナイトプラネタリウム」と銘打ったオペレーターさん生解説での星空解説。「月うさぎ」という可愛らしい番組もあり。

さらに日が暮れるまで待って、「夜の天体観望会」にも参加。
アルビレオを生で見て感激。「銀河鉄道の夜」を読んで以来、一度この眼で見てみたかったんだよね。

かくして、JAXAタウンミーティング以外にも盛り沢山の佐賀県宇宙科学館でした。
しかし、今度僕の地元の熊本県でもJAXAタウンミーティングをやってくれないかなぁ…


平成20年10月17日補足
JAXAホームページに開催報告が掲載されています

JAXAタウンミーティング開催報告 第31回:武雄市 2008年9月27日開催

泰国鐡路漂流記~3、国境。ノーンカーイ・ターナレーン、そしてラオス~

2008-09-27 | 旅行
タイ・ラオス国境の街ノーンカーイ郊外、ラオスへと続く鉄路

←泰国鐡路漂流記~2、夜汽車。そしてフワランポーン駅のブルートレイン~からの続き

ノーンカーイ駅はタイ国鉄東北本線の終着駅なのだが、線路は途切れることなく駅の先へと続いている。
僕は迷うことなく、線路に沿って歩き始めた。
「この線路の先に、ラオスとの国境がある筈だ!」根拠などない。ヤマ勘である。
実際、ガイドブックにもノーンカーイ駅から国境の友好橋周辺の地図は掲載されておらず、ただ「イミグレーションオフィスまではトゥクトゥクで行こう」としか書かれていない(何とアバウトな…洋書のガイドってこんなもんなのか、さすがバックパッカー御用達のロンリープラネット…)。


暫らく線路に沿って歩いていくとレールが2方向に分かれており、真っ直ぐ続く線路はレールが切り離され放棄されていて、新しく敷き直された線路が左方向へとカーブしている。
そのままレールのつながった左方向へと進んで行く。
雨は小降りになったが、猛烈に蒸し暑い。線路の周りは草むらで、今になって考えると蛇が出てきてもおかしくないような状況である。ちなみに、タイにはコブラをはじめ各種の毒蛇が生息している。


分岐した廃線の方は、水牛の放牧地になっているようだった。
レールが切り離され、もはや永久に列車の走ることのないであろうあの線路、かつてはどんな列車が、どこに向かって走っていたのだろう?

雨はやんだかと思うとまた降りだし、たまに薄日が差すと蒸し暑さと草いきれに眩暈を覚えそうになる。
「これは…相当きついウォーキングだな」
線路のバラストの上を歩いていると、気を付けないと時々巨大なカタツムリを踏み潰してしまい気色が悪い。
「ああ、何でいつの間にか熱帯踏破サバイバル訓練みたいなことやってるんだ?国境はどこだ~?」



やがて線路の行く手は、フェンスと施錠されたゲートに遮られた。
「あれ?ここで行き止まりなのか。」
線路はフェンスの先へとさらに続き、カーブして茂みの先で視界から消えているが、歩いてはこの先へは進めない。
「まさかここが国境か?う~む、ここまで歩いて来て行き止まりとは、無念なり!くそっ、こんなフェンス乗り越えてやろうか…」

腹立ちまぎれにフェンスを乗り越えなくて本当に良かった。
何故なら、ここは本当に友好橋脇の「タイ・ラオスの国境地帯」だったのである。
このまま国境を越えてしまうとそれは即、タイからの密出国となる。もし国境警備隊に発見されたら逮捕されても、場合によっては麻薬の運び屋か何かと思われて発砲されても文句は言えないシチュエーションだったのだ。
我ながら、何やってるんだよホントに…

しかしその時はそんなことは知る由もない。
今来た歩き難くて蒸し暑い線路沿いを引き返したくないので、何とか「抜け道」がないかと探すがそんなものは無く、線路から離れて周囲の田んぼの畦道に出るにしてもいつの間にか小高い築堤上を進んでいるので相当高い壁面を飛び降りないといけない。雨で濡れた地面へのジャンプは即、転んで負傷することを意味する。こんなところで骨折したりするリスクを背負い込むほど無謀ではないので、「引き返す勇気」を発揮して線路上を再び歩く。
結局、また30分程歩いてノーンカーイ駅近くの踏切から一般道に入った。
「雨の中、藪の中の線路を延々歩いた挙句、よく分からんフェンスを見ただけで無駄足か…線路の先の国境なんてロマンを想像せずに最初から標識のある道路を歩けばよかった。まあ仕方がない、早く友好橋へ行こう」

踏切から集落の方に歩くとすぐに大通りに出て、その先は友好橋へと続く国道だった。

国境と云っても、大型トラックや観光バスが停まって順番待ちしている光景は高速道路の料金所みたいな雰囲気だ。
徒歩で国境越えする旅行者なんて他にいないようで、皆クルマで直接イミグレーションオフィスに乗り付けるような構造になっているので、どこに肝心のイミグレがあるのかよく分からず少し迷う。
それらしきブースがあったので適当に行列に並ぶが、ラオスへの入国に関する知識が何もないので果たして何か必要書類等があるのか、手数料を取られるのか、どんな質問をされるのか不審者扱いされないか(これが一番心配)。

でも結局、ここメコンの畔でも天下無敵の菊の御紋を戴く日本国旅券の威光は健在だった。バンコク・スワンナプーム国際空港でステープルで留められた入出国カードの半券をちぎり取られ、タイ出国の三角形のスタンプをポンと捺されただけで難なく出国手続き完了。

「さあ、ラオスへ行くぞ!歩いて友好橋を、メコン川を渡るぞ!歩いての国境越えはベトナムのラオカイから中国の河口までホン河を渡った時以来だな~」
そう言えばあの時も、国境の街まで列車で来てそのまま何となく国境を越えちゃったんだっけ。何だか、毎度毎度同じようなことやらかしてるな我ながら。

イミグレを出たところで20バーツの出国税(本来ラオスの通貨で払うことになっているようだったが、ラオス通貨にはまだ両替していなかった)を支払い、さあ友好橋へ向かおうとすると呼び止められる。
「ビエンチャン(ラオスの首都)へ行くのか?」とか聞かれるので、違う、国境を越えるだけだと答えると、バスでしか行けん、バス代は10バーツだという。
大きなお世話でそのまま歩いて行こうとするも、「あれ?歩道がない?」
ひょっとしたら密入国やテロ防止等の防犯上の理由で徒歩越境が出来ないのかも知れん。仕方がない、ここは素直にバスに乗ったほうが良さそうだ。

結局、超満員の路線バスに立ち乗りしたままで風情無くメコンを越えることになってしまった。

隣の窓側に立っている人の頭越しに、初めて見るメコン川の水面。
「広いなぁ~…そして紅いなぁ~…ああ、今またインドシナの国境を越えてるんだなぁ…」
感慨に耽る間もなく、数分で友好橋を渡り終えて、ラオス側のイミグレに到着。

タイ側とよく似た建物のイミグレで入国手続き。入出国カードに必要事項を記載してパスポートを見せるだけで、地味なデザインのラオスの入国スタンプを捺されてあっけなく終了。

「さて…これからどうするかね?」

初めて入国したラオスだが、何もする予定がない。
とりあえず、バンコクへ戻る帰りの列車が出る午後6時過ぎまでにはノーンカーイに戻らないといけないが、まだ昼前だ、時間はたっぷりあるので、乗り合いバスかトゥクトゥクに乗って首都のビエンチャン市まで行ってみるか、ここ国境から20キロ程しか離れていない筈だと思い国境の建物を出ると、たちまち群がって来るわ来るわ「トゥキャピタル?」「ビエンチャン?」「ホテル?」客引きの集団には、毎度の事ながらウンザリ…
「いらんいらん!ビエンチャンにも行きたくないしホテルにも泊まらん!」
あんなのと交渉してビエンチャンまでの足を確保するのが心底面倒になってしまった。もうどうでもいや、その辺を散歩して来よう…

国境を出ると、舗装道路が通っている。
「雨ももう降ってないし、その気になれば歩いて行けるかな?」などと考えながら道路を進んでいくと、TrainStationという気になる看板が。
あれ?この辺に駅があるのか?さっき歩いたノーンカーイ駅から延びて国境のフェンスの先に消えた線路がここまでつながっているのかな?


舗装道路から看板の指し示す裏道へ入る。
山羊の群れとすれ違ったり、牛に通せんぼされたりしながら、ラオスの農村を歩く。
辺りには民家がぽつぽつあって、家族で食事していたり昼寝しているようすが道路からも見えて、のどか。
山羊が軒先に上がりこんで、吊るしてあったバナナをつまみ食いしていたりもする。
「ああ~何もないところなのに、なんだかみんな楽しそうだなぁ。僕も、こんなところで生まれ育ったら、わざわざ世界を放浪する気にもならなかったかもなあ!」


村はずれまで来ると、踏切が見えた。やはり、鉄道が通っている。駅もあるようだ。
しかし、何だか「シムシティでさっき作った鉄道」という感じなのだ。不自然に真新しくて、列車の走ってる気配がない。
軌道工事用のトロッコがぽつんと停まっているし、まだ開通していない新線なのか?


線路は国境の友好橋の方角から続いている。
これはやはり、さっきタイ側のノーンカーイで歩いた、フェンスの先に続いていた線路の続きなんだろうか?
だとすると、これはタイとラオスを結ぶ国際鉄道だ。


踏み切りの先には、鉄道模型のレイアウトのような小ぢんまりとした駅が見える。
とりあえずあの駅まで行ってみよう。






ピカピカの新築の駅舎が建っていた。
切符売り場の窓口や、イミグレーションオフィスと思われるコーナーが既に完成している。床も磨き上げたように光っていて、この辺りに来てからこんなに綺麗で清潔な建物は初めて見た。
駅舎の入り口に、タイ国旗とラオス国旗のあしらわれた碑文があり、タイ語とラオス語と英語でこの駅の素性が書かれていた。それによると、これはタイの援助により建設された鉄道の駅で、友好橋に鉄道を通してタイとラオスとを結ぶことになる…とのこと。
「やっぱりタイとラオスの国際路線だったんだ!こんな鉄道作ってたのか、全然知らなかったよ」
丁度正午過ぎの時間だったので、駅舎の中では工事作業者が昼休みでシエスタの最中だった。睡眠の邪魔にならないようにこっそり中に入り、プラットホームに出てみる。
人けのない、がらんとした構内に、もうすぐタイから国際列車がやって来ることになるのか。


プラットホームの先に、駅名表示があった。
「THANALENG…ターナレーン、と読むのかな?」


ターナレーン駅の裏は牛の遊び場になっていた。


そして駅構内は地元の子供の遊び場にもなっている。
どこからともなくやって来た子供たちは不審な外国人旅行者を警戒しているのか、なかなか近寄ってきてくれない。
しかし大人たちは人懐っこい。シエスタを終え、トロッコを動かして午後の仕事に取り掛かった作業員の一人が、タバコ片手にカタコト英語で声をかけてきた。
「アンタ外国人だね。どこから来たの」
「日本だよ」
「日本ね、知ってる国だよ。ここで何してるの?この駅はまだ列車は来ないよ」
「駅があったから見に来たんだ。僕、鉄道が好きなんだよ」
「ふ~ん」(意外にもスンナリ納得してくれた。ラオス人は酔狂な趣味人に理解がある?)
「ここは、いつから列車が来るの?」
「来月だよ」
「来月!もうすぐ開通じゃないか。僕は、今度は列車に乗ってこの駅に来たいよ!」
すると、彼はニヤッと目配せをしてこう言うのだった。
「うん、来月開通することになってるよ、About…ラオスだからね」
ははは…確かに、もっと気長に待った方がよさそうだ。

ターナレーン駅の待合室(となる予定の場所)に腰掛けて、話しながらくつろいでいると、がらんどうの駅舎の中を風が吹きぬけて気持ちがいい。僕もシエスタしたくなったが、遠くの方で雷鳴が聞こえる。夕立が来るのかもしれない。
列車の時間もあるし、そろそろタイに戻ろう。
「僕はそろそろ帰るよ」と言って立ち上がると、「バイクを呼んでやろうか?」と持ちかけられたので
「No ThankYou!僕は歩くのが好きなんだ。今までだって、世界中を歩いてきたんだ。タイ、台湾、ベトナム、ルーマニア、マケドニア、セルビア…そして、ラオスもね。じゃあサヨナラ」
友好橋と思われる方角へ続いている、まだ列車の来ぬ線路に沿って、僕は歩き始めた。

線路沿いの畦道を歩いて行くと、小さな集落の中を抜けた。
未舗装の小路、用水路。トタン屋根の家。
どこか懐かしい、ラオスの風景。


僕も小さい頃、こんな風景の中で遊んだような記憶がある。
アジア人の心の原風景は、日本もラオスも驚くほど似通っている、と思う。

結局ラオスにはほんの一刻の滞在となり首都ビエンチャンにも行けなかったが、僕はこの見知らぬ懐かしい国を大いに楽しんだ。そして、ラオスに俄然興味が湧いてきた。
「僕はこの国を全然知らなかったけど、何だか好きになったよ。日本に帰国したら、もっとこの国について調べよう。そして、また来よう!その時は、勿論列車に乗って、ね」

→泰国鐡路漂流記~4、再び国境。驟雨。インドシナの闇の底を、夜汽車は走る~に続く

平成21年4月25日、「SL人吉」号出発!

2008-09-25 | 鉄道
遂に運行開始日が発表されました。

愛称は「SL人吉」 来年4月25日に出発進行 熊本─人吉間、JR九州発表 SL復活 肥薩線は36年ぶり(西日本新聞) - goo ニュース

写真:蒸気機関車58654 JR九州小倉工場にて

実際に「営業運転する列車」としての、元あそBOYの機関車58654の復活後の姿が見えてきた。
やはり嬉しい。ワクワクする!

「あそBOYは、ハチロクは本当に甦るんだ!もうすぐ、また会えるんだ!!」

ハチロクとの再会もさることながら、それにも増して楽しみなのが「SL人吉」号の運行形態だ。
3輌編成の専用客車が用意されるとのことだが、ガラス張り展望車を備えているとの事なので当然、現行の「あそBOY」号専用客車のリニューアルだろう。
ビュッフェの設置を強調しているのが嬉しい。恐らく「ゆふいんの森Ⅰ世」同様に本格的な供食スタイルになるのではないか。
木材を多用する車内インテリアはJR九州のデザイン顧問、水戸岡鋭治氏の得意とするところなので、そつなくまとめられることだろう。同氏らしく「和のテイスト」を一捻りした、決して「遊園地の乗り物」的なものではない一筋縄ではない客車になるのではないか。こちらも楽しみだ。
また、今後のホームグラウンドとなるJR肥薩線は球磨川沿いの素晴らしい景観があり、終点の折り返し駅となる人吉駅にはターンテーブルや石造りの美しい車庫が残されている。これらの鉄道建築文化資産をどう活かすか。こういった受け入れ側のソフト力、企画力にも期待大である。

とりあえず、来月の毎年恒例JR九州の小倉工場一般公開ではまたかなりの情報が出てくるだろう。ひょっとしたら「実機・実車展示」もあるかも知れない。

でも、実は今一番期待しているのは、来年のデビュー直前、3月に予想される寝台特急「はやぶさ」ファイナルランへのゲスト出演だ。
最初で最後のサプライズとして、「はやぶさ」最終運行への参加、そう例えば熊本駅から引き揚げる「はやぶさ」を牽引して最後の花道を飾るなんてどうだろう。

そんな訳で、来年春まで、蒸気機関車の夢は尽きそうにないのだ。

泰国鐡路漂流記~2、夜汽車。そしてフワランポーン駅のブルートレイン~

2008-09-22 | 旅行
ノーンカーイへと向かうEXP69列車の最後尾からの朝の眺め、Khon Kaen付近

←泰国鐡路漂流記~1、出立。台北・バンコク~からの続き


大河を進むチャオプラヤー・エクスプレスの船上で陽が暮れ、また雨が降り始めた。ライトアップされた寺院が水面に美しく映える。


チャオプラヤー・エクスプレスからスカイトレインに乗り換え、戻ってきたフワランポーン駅。
雨の中にライトアップされたドームが寂しげに浮かび上がり、上野駅のような独特の風情を醸し出していた。


コンコースに入ると、更に上野駅っぽい雰囲気。
フワランポーン駅は実際、タイの各地方から出稼ぎなどで上京してきた人が最初に降り立って今後の生活の不安と故郷を思い出して悲嘆にくれる場所、というようなイメージがタイ国内ではあるらしい。




さて、僕の乗るノーンカーイ行き夜行急行EXP69列車はどこのプラットホームに入線しているんだ…と見回すと、タイ語と英語併記の電光看板が点いていてすぐに分かった。
看板にはSPECIAL EXPRESSとあるので、実はこの列車は特急列車なのかも知れんが、手許のチケットにはSPECIALの表記はないので実際はどっちなのかよく分からん。
まあ、そんなことは大概の乗客にはどうでもいいことなのだろうが。
僕に割り当てられた1等の寝台車は最後尾に連結されたステンレス製の冷房車。小奇麗で快適そうだが、デッキの銘板を見ると韓国製の車輌だった。

まだ発車まで時間があるので、駅構内に停車している車輌を見て歩く。
EXP69の停車している隣のプラットホームには、明かりを落とした寝台車が連なって停められている。何となく順番に見て歩いているうちに、僕は思わず息を呑んだ。

「…いた。タイに、フワランポーン駅に、日本のブルートレインがいた!!」



タイ国鉄オリジナル塗装の寝台車に挟まれて、見慣れた碧い客車が停車していた。
車体の妻面はタイ国鉄標準の黄色い警戒色が塗られているが、車体側面の紺色地に2本の白ラインと大きな窓は、紛れもない日本のブルートレインである。

「ホントにいたんだなぁ…よくぞまぁ、こんな遠いところにやって来たなぁ…」


妻板には「日本国有鉄道」と「新潟鐵工所」のプレートがそのまま残されていた。
新潟鐵工所のメーカーズプレートには昭和53年とある。この年に製造された車輌ということで、これは14系15型寝台車の緩急車「スハネフ15」だという事が分かる。京都と長崎・佐世保を結んでいた「あかつき」や、新大阪と大分・南宮崎を結んでいた「彗星」、大阪から福知山線を通って山陰の出雲市まで行っていた「だいせん」に使われていた車輌だ。
みんな今ではもう走っていない列車だが、僕はそのいずれにも乗ったことがある。想い出がある。

「そうか、ここにいたのか…懐かしいなぁ。
「あかつき」には今年春のファイナルランに盟友の「なは」と一緒に乗ったばかりだよ「彗星」も小倉まで見送りに行ったなぁ…。「だいせん」は、学生時代に山陰ワイド周遊券で放浪した時に出雲市駅と福知山駅の間で宿代わりに連泊したっけ。尤も、寝台車なんて乗れなかったから自由席車から羨望の眼差しで見てたんだよなぁ…」

窓から車内を覗き込むと、殆ど手が加えられずに日本時代そのままの仕様で使われているようだ。この車輌は日本での最晩年には「あかつき」で運用されていたらしく、一時期「あかつき」に連結されていた「セミコンパートメントスタイル改造」と言われる簡単なパーティションで寝台区画と通路を仕切る構造になっているのも分かる。驚くべきことに、窓側テーブル下の瓶入り飲料用の「センヌキ」までそのまま残っているのも見える。



フワランポーン駅の片隅に停められたブルートレイン「スハネフ15」は、運休しているトラン行き列車の編成なのか、今夜はもう動く気配はない。
夜に見る、車内の暗くなった寝台車ほど寂しいものはない。
だがしかし、僕の胸中には「次なる目標」がふつふつとこの時湧き上がってきていたのだ。

「今夜は、このまま行こう。でも、この次は必ず乗る!タイ王国で、日本のブルートレインに乗って旅する!!」

静かに眠るブルートレイン車輌に誓いを立てて、さあそろそろ午後8時だ。行こう、ノーンカーイ行きの列車が出る。


夜行急行EXP69列車は定刻より微妙に遅れてフワランポーン駅を発車した。駅を出ても速度をほとんど上げず、ごろごろとバンコク市内を走っていく。

さて、今夜の僕のベッドはタイ国鉄の寝台車でも最上級クラスの1等寝台だが、個室にソファベッドと小さな洗面台が設えられた構造のヨーロッパでよく見かけるタイプのコンパートメント寝台だった。
隣の部屋とコネクティングルームの大部屋にして使うことが出来るドアがある点もヨーロッパ式だ。
いざ寝る段になったらこのソファベッドを2段式のベッドにして使う、相部屋の2人部屋になっている。この個室の相部屋というシステムは日本では考えられないもので、いくら寝台車の旅は道連れ世は情けとは言え、鍵の掛かる密室での見ず知らずの人間との同居と言うのは何とも気疲れしそうだ。
今夜は下段ベッドの予約が取れたという事は、このまま同室の客は現れずに1人で部屋を占有できる可能性が高いが、明日は確実に下段ベッドを使用する見ず知らずの先客と相部屋になる訳で、今のうちから覚悟を決めておかなければならない。


隣の2等寝台車の様子を覗きに行ってみた。
通路に張り出したハシゴが異様にゴチャゴチャした印象だが、車体の中央に通路があり線路に平行にベッドが並ぶ所謂プルマンスタイルで、日本の581/583系寝台電車と同じ構造だ。

部屋に戻ると、車掌の検札に続いて人懐っこそうなおっちゃんが挨拶に来た。彼は「列車ボーイ」らしく、何か食うかとメニュー表を出して聞いてくる。1等寝台にはルームサービスしてくれるらしい。
「おお、まるで内田百先生の阿房列車の世界!優雅だねぇ~」
メニュー表を見ながら、適当にチキン料理をオーダー。「ビールも飲むか?」と聞いてくる。
「勿論!」

暫らくするとおっちゃんがタイ産ビールの大瓶と定食を運んできた。
チキンのカシューナッツ炒めのようなものと、八宝菜みたいなもので、何とも印象に残らない味。
まあこういう車内のケータリングは、味より雰囲気を楽しむものなんだよね。それにしても、出来合いの冷凍食品ではないようだが一体車内のどこで調理しているんだろう。

ルームサービスの定食を食べてしまうと、もうやる事がない。
窓の外は真っ暗で、田んぼのど真ん中でも走っているようだ。
明日に備えて、列車の目的地であるノーンカーイについて手持ちのガイドブック「ロンリープラネット日本語版・タイ」のページを繰って調べてみると、「メコン川に沿った美しく魅力的な地域。ラオスへ渡る友好橋Friendship Bridgeがかかる国境の街」とある。
へぇ~ラオス国境の街なのか~、全然知らなかった。ラオスには日本人はビザなしで入国出来るのか…
「よし、明日はラオスに行くか!」
ところでラオスってどんな国だっけ。確か共産主義国だったような気がするんだが…


見知らぬ国境の街を思い描きながら真っ暗な車窓を見ていると個室のドアがノックされ、若い車掌が現れた。カタコトの日本語で「ゴメンナサイ、ベッド作ります。ちょっといいですか?」と言うので廊下に出て待つ。
「日本のブルートレインも、初期の頃は専任の係員が寝台を組み立ててくれてたらしいなぁ…」などと考えながら、ベッドメイキングを見学。
結構丁寧にマットレスを敷いて、ピシッとシーツを張ってくれた。
上段のベッドにはマットレスを敷かなかったので、今夜はコンパートメントを独り占め確定だな、ああ良かった。
車掌から「オヤスミナサイ」と挨拶されて、さて明日は急遽「越境」することになったからもう寝るか。

2008年9月13日







清潔で快適な1等寝台のベッドでぐっすり眠って、目が覚めると列車は朝靄の中を快走していた。
昨夜は何だかごろごろ走ってるなぁと思っていたが、今朝は快調に田んぼの中を疾走している。
時計を見ると朝の6時だ、昨日フワランポーン駅で貰った時刻表のリーフレットを見ると、定刻なら列車はKhon Kaenという駅を出たところか。

「オハヨウゴザイマス」とか言いながら、列車ボーイのおっちゃんが現れた。朝食はどうする?というので、ハムとサニーサイドアップのウェスタンスタイル朝定食をオーダー。

やっぱり全然印象に残らないルームサービスの朝食を片付けていると、おっちゃんが来て言うには「列車が1時間遅れているよ」とのこと。
まあ、その程度の遅れは充分想定の範囲内だ、多少遅れようと、無事に国境の街の終着駅に着いてくれさえすればいい。

おっちゃんが持ってきたネスカフェを飲んでいると、Udon Thaniという駅に到着。時刻表と照合すると、やはり1時間遅れている。
しかしUdon Thaniとは「うどん」を連想させるし、プラットホームに響く駅名の連呼も「うどん谷、うどん谷」と聞こえて何となく可笑しい。

うどん谷駅を発車したところで、おっちゃんがルームサービスの伝票を持ってきた。
夕食と朝食、ビール大瓶とネスカフェで〆て480バーツ。チップ込みで500バーツ札を渡す。
バンコクからノーンカーイまでの寝台車のチケットが千バーツちょっとだと考えるとべらぼうに高いが、それでも日本円に換算すると1600円位か。
まあ僕の場合は鉄道のサービスを体験するのも趣味の範疇なので躊躇しないが、普通のタイ人乗客はあまり利用したがらないだろうな、さすがに高価すぎて。

この後、終着駅ノーンカーイ到着まで小一時間程度なのに車掌がキッチリ寝台を片付けに来てくれた。日本のブルートレインだと終着駅に到着するのが正午近くなる熊本行きの「はやぶさ」でも最後までベッドを敷きっぱなしでぐうたらと旅を終えるのだが、きちんと部屋を片付けて居住いを正して終着駅への到着を待つ。タイの寝台車はとても行儀がいいのだ。

午前9時半、約1時間遅れのまま、EXP69列車は雨のノーンカーイ駅に到着した。





列車から降りた乗客達は、迎えのクルマや観光バスに乗り込み駅を後にする。列車も雨の中を引き揚げて行き、プラットホームには僕独りが残った。
暫らくすると、雨が小降りになってきた。誰もいなくなったプラットホームの先に、線路が続いているのが見える。

僕はバックパックから取り出した折り畳み傘をさして、線路伝いに歩き始めた。タイとラオスの国境、Friendship Bridgeを目指して。

→泰国鐡路漂流記~3、国境。ノーンカーイ・ターナレーン、そしてラオス~に続く

泰国鐡路漂流記~1、出立。台北・バンコク~

2008-09-21 | 旅行
バンコク・フワランポーン駅の夜。夜行列車が出発を待つ。

タイ王国に行こうと思った。
特に行きたい理由がある訳ではないが、タイにはまだ行ったことがないし、一度くらいは“微笑みの国”に行ってみるのも悪くないかな。
そんな気分で勤め先にリフレッシュ休暇願いを出して、貯まっていた航空会社のマイレージで特典航空券を手配したのが半年程前。
その後、日本国内で廃車になったブルートレインの寝台車が大量にタイに無償譲渡されて彼の地で第二の人生を歩んでいるという話を思い出し、渡航の理由が後付け出来た。
「日本からインドシナに旅立った寝台車たちの、その後の様子を見に行こう!ブルートレインは元気にしているだろうか?」

出発日も近付き、押入れからバックパックを引っ張り出して荷造りを始めた頃になって、タイで反政府団体が蜂起して首相府を占拠しバンコクに非常事態宣言が出された。何というタイミング!
しかしネットで現地情報を集めてみると、こういうことは「タイではよくあること」なので危険はないらしいことが分かった。
「今更渡航中止なんて面倒くさいし、自己責任で行っちゃえ!」
という訳で、予定通り出発したのである。

2008年9月11日
バンコクでは反政府団体の首相府占拠が泥沼化し、にっちもさっちも行かなくなったタイ政府は早々に非常事態宣言を解除するとの見方が報道されていたが、今のところ非常事態宣言は解除されていない。
折りしも今日は911同時多発テロのXデーで、こんな状況でこんな日に飛行機に乗るのは何とも気が進まないがそんなことを言っていても仕方がない。行くと決めたからには行くのだ、タイへ!


先ずは福岡空港から胡蝶蘭の特別塗装機のチャイナエアラインで出発、台北へと向かう。
バンコクまでは福岡からも直行便が2便も出ているが、マイレージ特典航空券では提携しているチャイナエアライン便しか利用できないからだ。
まあ、台湾は大好きな国なので寄り道するのに異存はないが。


到着した台湾桃園国際空港ではバンコク行き便への乗り継ぎ待ち時間が半日以上あるので、路線バスに乗って台湾国鉄の桃園駅へと向かう。
5日後の日本への帰り路では、台湾で更に長く殆ど丸一日の乗り継ぎ待ちとなるので、待ち時間に台鉄の新型特急「太魯閣(タロコ)号」に試乗してみようと思い全席指定の「太魯閣号」のチケットを予約しておこうと思ったのだ。
JR九州の885系「白いかもめ」と同系列の、日本製振り子式電車で運転される「太魯閣号」には僕はまだ乗ったことがない。乗ろうとするといつも全席満席なので、門前払いを食わされ涙を呑んでばかりだ。日時に余裕のある今回こそは指定席券を押さえて念願の「885T白いタロコ」に乗るぞ~と意気込んで予約窓口へ向かうも、目的の列車はやっぱり「無座」。
あ~あ、何でタロコってこんなに混んでるんだ?って言うか、タロコの指定席券ってホントに台鉄の駅窓口で売ってるのか?

そのまま空港に引き返しても面白くないので、ちょうどやって来た台北方面行きのキョ光号(急行列車)の切符を買って乗り込む。
台北駅前から空港行きバスに乗って桃園空港に戻り、台北トランジットは収穫なく終了。
アムステルダム・スキポール空港行きKLMオランダ航空のジャンボジェットで、一路経由地のバンコク・スワンナプーム国際空港へ。

夜10時、バンコクの空港に着陸したジャンボの窓には激しく雨が叩きつける。
機外の気温も湿度も相当のもののようで、ターミナルビルの窓が結露しているのが分かる。
「…このままアムステルダムまで飛んで行きたいな。こんな蒸し暑そうな熱帯夜の雨の街に降りたくないなぁ」
それがバンコクに到着した第一印象。
それでも、チケットを持たない客は無情にも快適なジャンボの機内から排除される。

空港からバンコク市内までは空港バスや終夜運転の路線バスで行けるらしい…と、手持ちのガイドブック「ロンリープラネット日本語版・タイ」(いつもは『地球の歩き方』を使うのだが、今回はこれにしました)にあったので、早速、空港バスの窓口を探して係員に「ハロー、さわでぃかー…私、バンコク市内に行きたいアルヨ」と言うと「あんたバンコクのどこに行きたいの?」と問い返される。
バンコクのどこと言われても困った、僕は今夜のホテルも決めていないので、適当に安いホテルのある場所まで連れてってくれとでも言いたいが、とりあえず明日は駅に行ってブルートレインに会いたかったので「トレインステーション、え~っと、フワランポーン!バンコクセントラルステーション!」と応えると「そりゃ残念。フワランポーン行きは30分前に終バスが出たよ」とのこと。
結局、次に出るバスに乗ってスカイトレイン(バンコクの新都市交通システム)に乗り換えてフワランポーン駅に向かうという事にした。
空港バスに乗り込むと、乗客は僕と日本人の中年男性だけ。
中年男性から「日本人ですか?バンコクは初めて?」などと声を掛けられる。
「ええ、まぁ…」
「ああ、そうですか。どこのホテルに行かれるんです?」
「いや、まだ決めてなくて」
「ええ~!?こんな時間に大丈夫なんですか?」
「ええ、まあ何とかなるでしょう。いざとなればフワランポーン駅で寝ますよ。駅寝には慣れてますから」
「…(唖然)そりゃまあ、何ともはや…まあ、お気をつけて」

中年男性から呆れをもって見送られて降り立ったスカイトレインのSala Daeng駅は、既に終電の出た後だった。
しかも雨がどんどんひどくなる。

スカイトレインの高架から豪雨に濡れる屋台を眺めていても、事態は解決しない。
とりあえず今夜雨露を凌げる場所を探さないと。意を決して雨の中に飛び出し、雨除けのテントを好き勝手に張り出しているので歩きにくいことこの上ない夜市みたいな場所を歩き回って安ホテルを探す(後で気がついたのだが、まさにそこがゴーゴーバーが密集していることで有名な歓楽街パッポン通りだったのだが、ホテル探しに集中していたのでとにかくゴミゴミしてて鬱陶しい夜市だとしかその時は思わなかった)。しかし超高級で超値段が高そうなホテルはすぐ近くに見えているのに、お誂え向きの安宿はなかなか見つからない。

結局、全身すっかり濡れた頃になって裏道に華僑系のホテルを見つけて飛び込む。値切りが効かず大して安くなかったが、いい加減面倒臭くて疲れていたのでそのままチェックイン。一番安いランクのシングルにしてもらったのだが、部屋に入ると窓無しの「塗籠(ぬりごめ)部屋」だった。

シャワーを浴びて、濡れたTシャツと作業ズボン(所謂ベトナムズボン。僕はハードな行程が予想される旅で愛用してます。工具を差すポケットがたくさん付いているので何かと便利)をエアコンの冷気が直撃する位置にハンガーで掛けてから就寝。
タイ入国早々から手荒な歓迎を受けてしまった気分で、この先が思いやられる。それでも疲れと清潔なシーツを得た安心感から非常に速やかに眠りに落ちた。


2008年9月12日
どんなにしっかり眠っても、塗籠(ぬりごめ)部屋の目覚めは重苦しい。
日出処の太陽の国の日本人としては、朝は爽やかに差し込む朝陽と共にありたいところなのだが、枕元の腕時計の針は朝を指しているのに部屋の中は昨夜眠りに着いたときと同じ暗闇なのは非常に気が滅入る。
とりあえず睡眠はしっかり取れたので、もう長居する理由はない。さっさと朝飯を食って、さっさとチェックアウトしてしまうに限る。
ホテルを出ると、昨夜の雨はすっかり上がっていて、青空まではとはいかないが雲に切れ間も見える。
「ああ、朝から雨が降っていないとこんなにも気持ちがいいものなのか!」

昨夜はホテル探しに必死で気がつかなかったが、スカイトレインのSala Daeng駅周辺はバンコク市内でも有数の繁華街で、いかがわしいパッポン通りに隣接して日本人駐在員御用達らしい外国人向け高級クラブが建ち並ぶタニヤ通りもある。
「こんな盛り場で格安ホテルを見つけようとしていたのか…我ながらアホなことしてたな」
一夜明けて雨も上がって、猥雑な歓楽街も今ではビジネスマンが行き交うこざっぱりした朝の顔になっていた。


昨夜乗れなかったスカイトレインに乗って、いざフワランポーン駅へ!
スカイトレインは交通渋滞が慢性化したバンコク市内の移動改善の切り札として登場した高架鉄道で、冷房完備の車内は快適だし何より文字通り空中から街を見下ろすようにして走るので乗っていてとても楽しい。

空中を滑るように走って、あっというまにフワランポーン到着。「こんなに近かったのか…昨夜も雨さえ降ってなかったら、30分もかからずに歩いて行けたな。」

ヨーロッパ式のファサードとドーム屋根を持つ、威風堂々たるタイ国鉄フワランポーン駅。

駅前の銀行で手持ちの米ドルをタイバーツに替えて、さあこれで多少高額な寝台券でも何でも買えるぞ!
先ずは駅のコンコース入り口に掲示された各方面行き列車の発着時刻表をチェックする。
出発前にインターネットで情報収集したところに拠ると、日本から来たブルートレインの車輌はタイ南部のトランというところへ行く夜行列車に集中投入されて使用されているらしい。
南部方面の時刻表を見ると、確かにTrangという駅へと向かう列車が記載されている。これだ、間違いない!
「アナタ、どこに行きますか?」
不意に英語で話し掛けられた。振り向くと、ポロシャツを着た若い男が爽やかな笑顔で立っている。
ガイドブックには「フワランポーン駅で声を掛けてくる“親切なガイド”には要注意!2階にある旅行代理店に連れ込まれて、法外なマージンをぼったくられる」とあったのを思い出して無視していると、「列車の切符は、あそこのタイ国鉄の窓口で買って下さい。」などと言う。よく見ると、胸にタイ国鉄職員証のタグも付けているし、怪しい旅行代理店の回し者などではなさそうだ。
「私は、トランに行きたいです。この列車で、寝台車で」と時刻表を指差して言うと、困ったような顔で「この列車は、運休してます」と言う。

何ぃー!?運休?

ああ、ここまで来て何てこったい、ブルートレインに乗りたくてタイに来たのに、いきなり来た意味がなくなってしまったじゃないか。

がっかりしていると、若い国鉄職員氏は「アナタはトランに行くには、途中まで列車で行ってバスに乗り換えて下さい。南部方面に行く列車は全部運休してますから」と親切に教えてくれる。「うん?南に行く列車は運休?という事は…北に行く列車は走っているんですか?」
「北に行く列車は走ってますよ。でも、トラン行きは運休ね」
「いやいや、この際トランじゃなくても、ブルートレインじゃなくても良いんだ。私は、寝台車に乗りたいんだ、タイの夜行列車に乗りたいんだ。北に行く夜行列車の時刻を教えて下さい!」
「ハァ!?アナタ、一体どこに行きたいの?」
若い国鉄職員氏、呆気に取られたような顔になった。無理もない。
「私は、鉄道が好きなんです。I'm TrainLover!私は、タイの夜行列車に乗りに日本から来たんです!」
こう説明すると、国鉄職員氏は呆れながらもようやく状況を理解できたらしく「ちょっと待ってて、今夜乗れる夜行列車の時刻表を持ってきてあげるから」と有り難いことを申し出てくれた。
結局、国鉄職員氏が時刻表のリーフレットにペンでチェックを入れて勧めてくれたタイ北東部路線のNong Khaiという駅へと向かう夜行列車EXP69号に乗ることに決めて、窓口に並ぶ。
「I want go to…え~っとこれはノンカーイと読むのかな? tonight,by Express Train No,69. And return to Bangkok,tomorrow.」
「return tomorrow? 明日すぐに帰るのか?」
「ヤー。滞在なしですぐバンコクに帰るよ。それから、ファーストクラスのスリーピングカーでお願いします」
「ファーストクラスのスリーパーね…ベッドは上段と下段、どっちがいい?」
海外でこういうことを聞かれるのは珍しいが、寝台車のベッドは下段の方が広いし出入りしやすいから快適なのは日本もタイも同じだろうから「Lower bed,please」と即答すると、オンライン予約システムのウィンドウズ端末にカタカタ入力していた窓口氏が「残念だが明日のバンコク行きはアッパーベッドしかないよ、それでいい?」
「of course! 列車に乗れるんなら、上段でも下段でもどっちでもいいよ。それに、行きと帰りで両方のベッドを試せたほうが面白いし」
かくしてめでたく、プリンタで印字され打ち出されたNong Khaiまで往復の寝台券が手許に差し出された。
価格はやはり下段ベッドの方が高くて、行きは1317バーツ、帰りは1117バーツ。
「やったー!これでタイ国鉄の寝台車に乗れるぞ!」

思わず笑みを浮かべながらチケットを手にして窓口を離れると、さっきの親切な若い国鉄職員氏が「どうだった?切符取れた?」と話し掛けてきた。見ると、側らには可愛らしいタイ美人の女性職員も伴っている。「妙な日本人旅行者が来てるぞ」と連れ立って見に来たのかも知れない。
「Yes! ノンカーイまでの往復の寝台券が取れたよ!ありがとう、あなたのアドバイスのおかげだよ!」
すると、タイ美人の女性職員氏が僕のチケットを手に取って、表示をペンチェックしながら「あなた、今夜、ノーンカーイに行きます」と日本語で話し掛けてきた。
「はい、そうです!私は今夜、寝台車でノーンカーイに行きます。私は、鉄道が大好きです!タイの鉄道に乗りたくて、日本から来ました」とこちらも日本語で応えると、
「鉄道好きはタイ語で○○○と言います」と即席のタイ語レクチャーをしてくれた(スミマセン、メモに取ってなかったので発音を忘れてしまいました。今度タイに行く時までに調べ直しておきます)。
親切な若いタイ国鉄職員氏達と握手して別れ、フワランポーン駅を後にする。

「さて、無事にチケットも押さえたし、今夜20時のEXP69の発車まで、バンコク市内見物でもして時間を潰そうかね」




…市内見物とか言いながら、それでも結局スカイトレインと地下鉄乗り潰しをしてしまうのだった。まあ、いつものことだが。

スカイトレインがそのまま地下に潜ったようなバンコクの地下鉄はフワランポーン駅と郊外の国鉄駅Bang Sue駅を結んでいる。
地下鉄の終点に隣接した国鉄Bang Sue駅はバンコク市内とは思えないほど閑散とした駅で、どうやらタイ国鉄はバンコク市街地の近郊輸送などは行っていないらしく列車の運転本数もえらく少ない。
それでもなぜか駅構内には人が大勢たむろしていて、いつになったら来るのか分からない国鉄の列車を待っている風の学生やサラリーマンもいるが、特に用もないのに駅で時間を潰している路上生活者っぽいオヤジやトゥクトゥク(バイクタクシー。外国人観光客は歩くATMだとしか思っていない)の客引き、何を勘違いしたのか郊外の駅なのに迷い込んでしまったらしい白人バックパッカーや、更に何を考えてるのか分からない謎の日本人鉄道オタクなど一癖も二癖もありそうな輩が真っ昼間からうろうろしている。


Bang Sue駅の裏手は操車場になっていて、国鉄の客車が留置されているのが見える。
JR西日本から来た寝台車がいないか探してみたが、生憎ブルートレインの姿は見えなかった。


プラットホームから操車場の方をボーっと眺めていると、ディーゼル機関車に牽引された長い編成が引き出されて行った。
このままフワランポーン駅まで回送されて、長距離列車として出発するのだろうか。それにしても、古そうな客車やら新しいのやら電車か気動車からの改造車っぽいのやら、いろいろなハコを雑多につないだ実に味のある「雑客列車」だな。


操車場の隣にはこんな長閑な風景が。
何故か懐かしさを感じる、アジア人の心の琴線に触れる景色がバンコク市内に残っていた。



暫らくBang Sue駅でのんびりしてから、「ちょっと船に乗ろうかな」

バンコク市内を貫く大河チャオプラヤー。
僕は中学校の地理で「メナム河」と習ったような気がするのだが、そのチャオプラヤー川の名物がバンコク市内各所の桟橋を結んで大河を行き来する水上交通「チャオプラヤー・エクスプレス」。
交通渋滞が酷いバンコク市において、スカイトレインや地下鉄と並んで渋滞の影響を受けない快適で便利な市内交通として利用価値が高い。また、水の上からバンコクの風光明媚な景観を楽しむことが出来るロマンチックな乗り物として観光客からの人気も高い。
僕もチャオプラヤー・エクスプレスのボートに乗り込んで、さてとりあえず終点まで行ってみるかね?



チャオプラヤー・エクスプレスの終点は、バンコク北部のノンタブリーNonthaburiという桟橋。
ここはバンコクのベッドタウン的な郊外なのかな?桟橋周辺は下校中の中高生で一杯。「中高生の生態は日本もタイも面白いくらいそっくり同じだなぁー」とか思いながら上陸して、その辺をうろつき回ってみる。


市場を覗く。夕飯の買出し中のお母さんや、制服姿のまま家業の屋台を手伝ってクレープみたいなものを焼く小学生。
昭和30年代頃の日本もこんな感じだったのかな。

日も暮れてきたし、そろそろ帰ろうかと、桟橋に戻ると何やら警察車両が出て物物しい物騒な雰囲気。一体何事だ?

桟橋近くにはステージが設置され、シュプレヒコールを挙げて盛り上がっている。
「…これは、ひょっとして反政府集会か!?」
そうなのだった、バンコクは今現在、反政府団体によって首相府が占拠され非常事態宣言が出されている真っ最中なのだった。
「街中が平穏無事で何事もないもんですっかり忘れてたぜ、今ここはクーデターやってるんだったよな。それによく考えたらトラン行きのブルートレインが運休してるのもクーデターに国鉄が同調してるせいだったんだ。」
まったく傍迷惑な話しだが、反政府団体もそれなりに主義主張があってやってるんだろうから、僕みたいなお気楽外国人旅行者風情が出る幕ではない。ここは大人しくさっさと立ち去ることにする。
幸い、チャオプラヤー・エクスプレスの桟橋が封鎖されてしまうような事はなく、丁度出航しようとしていたバンコク市内方面行きのボートに飛び乗ることが出来た。

「さあ、フワランポーン駅に戻って、列車に乗るぞ!」
タイ国鉄東北本線 Nong Khai行き夜行急行 EXP69、20:00発!いざ行くぞノーンカーイへ!

「ところで、ノーンカーイってどんなところだ?」

僕はそこが大河メコンを挟んでラオス人民民主共和国と向かい合う国境の街だということなど、全く知らなかったのである。

→泰国鐡路漂流記~2、夜汽車。そしてフワランポーン駅のブルートレイン~に続く

帰国しました

2008-09-17 | 旅行
インドシナから無事に帰ってきました。
いや、正確にはあんまり無事じゃなかったんだけど。
特にお腹が(苦笑)

写真:ラオス、タイ国境付近の裏町の道路

当初は「タイに渡った日本のブルートレイン車輌に会いたい、あわよくば乗りたいなぁ」程度の気分で何となく渡航したんだけど、
気が付けば反政府活動と非常事態宣言真っ只中のバンコクへ乗り込み、成り行きでメコン河を渡って、
予備知識なしで未知の共産国ラオスにまで入り込んでしまった。
まったく、我ながら何やってきたんだか…
でも、結果ブルートレインには無事お目に掛かれたし、久々にバックパッカーの真似事も出来たし、旅らしい旅が出来たよ。

「終わりよければ全てよし!」
という訳で、これからぼちぼち旅行記も書きますので、気長にお待ちを。
先ずは生存報告と帰国の報告まで。

天燈茶房亭主mitsuto1976 拝

幻滅のカオサン・ロードにかかる虹

2008-09-15 | 実況
ラオス国境からバンコクに戻って来た。
素朴でのんびりゆっくりしたラオスに比べて、バンコクの何と騒々しく慌ただしいことか。

バンコクには一泊して台湾に戻るが、そのまえに一度行って見てみたかった『バックパッカー通り』ことカオサン・ロードに向かうが、そこはもはや完全に若者向けのお軽い観光地となっていて、かつて世界中の若い貧乏旅行者がバックパック一つ担いで集まったといういかがわしくて胸が締め付けられるような安宿街は既に幻想になってしまっていた。
幻滅のバックパッカー通りに、雨上がりの虹がかかる。

ラオス、国境。列車の来ない駅

2008-09-14 | 実況
無事、ノーンカーイからの国境越えに成功。
タイ・ラオス友好橋を乗り合いバスで渡って、さてビエンチャンの街にでも出てみるかとイミグレーションを出ると早速群がって来る怪しげなバス屋タクシー屋シクロ屋(この辺りではトゥクトゥクと言うんだったっけ?)にウンザリして、適当に通りを歩き出すとTRAIN STATIONの看板が。おや?こんな所に駅が?
看板に従って2キロばかり歩くと、真っさらピカピカの駅があった。まだ営業は始まっていないようで構内に列車や乗客の気配は無く、山羊や牛や子供たちの遊び場になっているTHANALENG STATIONは話しかけてきた作業員氏によると来月開業とのこと。
友好橋まで鉄道をつなぐプロジェクトらしいから、将来はタイとラオスを結ぶ国際列車が走るのかな。
いずれ列車に乗ってまたこの駅に来たいものだ。

さて、遠くで雷鳴も聞こえるし、今のうちに友好橋まで歩いて戻るか。

バンコク、フアランポーン駅20時発

2008-09-12 | 実況
タイ王国に入国しました。
いろいろあったタイの初めての夜が明けて、バンコクの中央駅フアランポーンに行ってみると果たして、今回の旅の目論見の一つだった「元・JR西日本のブルートレイン」を連結する南部幹線のトラン行き夜行急行は首相府占拠と非常事態宣言の余波で運休!
ああ、ここまで来てなんてこったい…

しかし、何故か北部方面行きの夜行列車は通常通り走っているとのことだったので、急遽予定を変更。
国境の街ノーンカーイへ向かう夜行特急の寝台券を確保して、今からラオスを目指す。

って、今夜のノーンカーイ行き夜行特急の隣りには日本のブルートレイン、スハネフ14を連結した編成が留置されてるじゃないの!ウヤになったトラン行きの編成だろうか。
「ああ…やっぱり14系ブルートレインに乗りたかった…」

台湾も夏の終わり

2008-09-11 | 実況
今日からリフレッシュ休暇。予定通りバンコクに向かいます。
当地では相変わらず反政府団体が首相府を占拠してるし、当の首相は料理番組に出演したせいで退陣させられたりと混乱続きだけど、まあ差し当たっての危険は無さそうだし何とかなるでしょう。

で、何故か今、台北に居るのである。
って、バンコク行きマイレージ特典航空券がチャイナエアライン便利用で組まれたから、単なるトランジット滞在なんだけどさ。
午後一杯時間があるから、桃園空港から路線バスに乗って台湾国鉄の桃園駅へ行って、日本製新型振り子特急『タロコ號』の指定席券を手に入れようとするも敢え無く「無座」。あ~あ、昨年のゴールデンウィークに続いて、また満席か!ホントにタロコの指定席券って台鉄の窓口で売ってるの~?

などと泣き言を云いつつ、台北までキョ光號で移動して國光客運の空港バスで桃園機場に戻る。
台北駅近くの朽ち果てつつある日本家屋密集地帯、保存運動があるらしいけど何か工事をやってるね~とバスの窓から携帯電話で撮影。

さて、いよいよバンコクへと飛ぶが、「あれ?台北バンコク間はKLMオランダ航空のフライトだ」
航空券のルート設定の妙は奥が深いですな。

音威子府駅で買い食い

2008-09-08 | 食べる
北海道、日本最北端を目指す鉄路、宗谷本線。
その宗谷本線のほぼ中間点にあり、かつては支線が分岐していたターミナル駅だった音威子府駅は今では静かな駅だが、ここには宗谷本線を語る上で外せない名物が存在する。
「日本一の駅そば」とも讃え称される音威子府そばが食べられる駅なのだ。
そばの実をそば殻ごと挽いて打たれた麺は、何と真っ黒!
その強烈な見た目と力強い味わいは、いかにも北の鉄路の駅そばというインパクトでもって立ち食いそば好きな旅人を魅了してやまない。

しかしこの音威子府そば、営業時間が短いし駅に発着する宗谷本線の列車運転本数自体も少ないし、なかなか食べることが出来ない幻のそばでもある。
実際、青春18きっぷで北を目指す途中で長時間停車する普通列車からこれ幸い、学生時代以来暫らく振りに真っ黒そばを食べようと改札を出たところにある立ち食いスタンドに行くと無情にもまだ開店前で、開店時間は列車の発車時刻の30分後だった。
「ああ、なんてこったい!」

仕方がないので駅前の寂しい目抜き通りをぶらぶら散策してたら、パン屋さん兼お菓子屋さんのような店があった。
そこの店先に「名物!鮭の照やき」とあったので、缶ビールの肴にでもしてみるかと買ったのがこれ。
尾頭付きの豪勢なシャケの照り焼き…ではなくて、正体は「みそパン」なのだった。
「鮭みそパン」はそばと並ぶ音威子府の名物なんだって。「へぇ~初めて知った」

さて、ご丁寧に背鰭まで表現された尾頭付きのシャケは、ほんのり甘くて素朴な味のパンでした。
残念ながらシャケのほぐし身がパンに練りこまれているようなことはなかったけどね。

「かたちを模しただけなのか。餡子に焼酎が入っている訳ではない熊本の人吉球磨焼酎もなかと一緒だな。」

ちなみに、ミニサイズのもの以外に何と実物の鮭と同じ大きさのものもあるらしい。
等身大の「鮭みそパン」を宗谷本線の車内で頭からかぶりついていたら注目されること間違いなしだな。
今度来た時やろう(笑)

下関駅で立ち食い

2008-09-07 | 食べる
下関駅の立ち食いうどんは、この駅で機関車交換するブルートレイン「はやぶさ・富士」の停車中に食べられることで有名。
また下関らしく名物の河豚を使った「ふくてんうどん・そば」なるメニューがあり、これも評判がいい。

青春18きっぷでの乗り鉄中に何となく立ち寄って何となく食べてみた。

かやくうどん
勿論、火を付けても爆発したりはしない。

麺はやわらかめ、だしはまろやか。
「かやく」とは刻み揚げと野菜のことらしいです。干ししいたけが美味。何故か紛れ込んでる卵焼きも嬉しい。
ブルトレの停車中に慌しくかき込むのも、或いは車内に持ち込んで食べるのもいいけど、駅のホームのスタンドに仁王立ちして悠然と食べるのもまたいいもんです。

青春18きっぷを使い切れ!紙切れになる前に

2008-09-06 | 旅行
写真:重要文化財、JR門司港駅

この夏は京都で赤い青春18きっぷを買いに行ったり、それを使って北海道に行ったり、それで1冊使い切ってもう1冊買ってまた北海道に行ったりと何かと大活躍したJRの普通列車が乗り放題になるこのきっぷ。
8月も終り、ふと机の上に放り出したままの2冊目の青春18きっぷを手に取ると、
「しまった…まだ2コマ残ってるじゃないか!」

1冊1万千五百円で5回分、普通列車が1日中乗り放題となる青春18きっぷ。
使用期限は9月10日までで、この期間内に5コマに区切られた区画にそれぞれ改札印を捺してもらい、5回分を使い切ってしまわないと残りのコマは一切無効となり、9月11日からはただの紙切れとなる。
「もったいない!特に行きたいところはないけれど、どこかに行かなければ!」
という訳で9月第1週の週末、本末転倒な旅に出てきました。

正直、この夏はやたらと列車に乗りまくったので乗り鉄は少々食傷気味なのだが、ちょうど今JR九州主催で鉄道スタンプラリー「トレインピック2008」というのをやっており、まあこのスタンプラリーは昨年もやっていて僕もついつい全スタンプをコンプリートしてしまったりしたのだが、さすがに2年続けて今年もやるモチベーションが上がらず(それでもしっかりスタンプ手帳は入手していたのだがw)様子見だったので、丁度いい、ちょっと近場を周ってスタンプを集めて来よう。
とりあえず5個集めれば参加賞の「オリジナルストラップ」を貰えるらしいし。

さて、どこの駅に行けばスタンプがあるのかね~
とりあえず地元の熊本駅で1個ゲットだな。それからそのまま鹿児島本線を北上して、北九州近辺で掻き集めれば何とか合計5個くらいたまるだろう。

で、熊本駅の改札口の金魚の隣にあるスタンプを捺してそのまま大牟田行き普通列車に乗車、荒尾で隣のホームに停まってる811系電車に何となく乗り換えて、居眠りしているうちに気が付くと小倉。
消化試合みたいな旅行なので、乗り鉄してても全然テンションが上がらない。
小倉でも何となくスタンプを捺して、鹿児島本線の基点駅門司港へ。

門司港駅でスタンプを捺した後、駅を出て徒歩5分ばかりの場所にあるここへ。

九州鉄道記念館。
ここにもトレインピック2008のスタンプが設置されていて、しかもスタンプラリー参加者は入館料が2割引になる。
先月行ってきた大宮の鉄道博物館ほど大規模ではないが、それでもなかなか凄い車輌たちが展示されている。


中央ゲートでお出迎えしてくれた9600型「59634」の奥にいる、
これが名機として名高いC59型のトップナンバー機「C59 1」。
高速旅客列車専用の純血種サラブレッドのような機関車で、大きさは貨物機改造型のC62型に及ばないが、華麗で貴公子然とした雰囲気が漂う。
最期は熊本に集結してブルートレイン「みずほ」を牽引していた。


磨きぬかれた剛鉄の輝き。もはや芸術品のような機能美を見せる、C59 1の大動輪。
高速旅客列車に特化した設計故に動輪に掛かる軸重が重過ぎ、大幹線の電化後は行き場を失ってしまったという皮肉な宿命を背負った動輪には、ある種の悲壮感すら感じる。


C59の奥には、見憶えのあるこの車輌。
先月、東北本線で乗車した快速「みちのく」号に使われていた583系寝台電車と同系列の、581系“月光型”。
関西と九州を結ぶ特急「月光」のために世界で初めて開発された「寝台座席両用型車輌」で、583系より1世代前の車輌だが設計やデザイン等には共通点が多い(実際、大阪と新潟を結ぶ急行「きたぐに」号では今でも両系列が共通運用されている)。


581系の車内。
当然のことながら、快速「みちのく」号と全く同じ雰囲気である。
尤もこの九州鉄道記念館の581系は晩年に普通列車用に改造されて転用されていたという過去を持つ車輌で、写真に写っていない車内の端っこにはなぜかロングシートが設えられていたり洗面台が塞がれていたりとかなりチグハグな姿となってしまっているのだが。


こちら、581系の昼の姿。
向かい合わせボックスシートが並ぶ。


これが夜の姿。
ボックスシートは実はソファベッドになっており、背もたれを引き出すと広々とした寝台が現れる。これに荷物棚の奥に収納された上段と中段のベッドを引き出して覆いかぶせると、3段ベッドの寝台車が出来上がり。これぞ世界初の寝台座席両用車の実力!


門司港の街並みにマッチしたレトロな赤煉瓦の本館内には鉄道に関する資料の展示や鉄道模型の大パノラマ、ミュージアムショップやカフェもあって楽しめる。
特にカフェにはさり気無く特急「つばめ」のビュッフェで使用されていたカウンターバーの実物が置かれて今でも使用されていたりして、小粒でもやたらとピリリと辛くて侮れない九州鉄道記念館なのだった。

門司港鉄道記念館でもスタンプを捺してから、せっかくなので関門トンネルを潜って本州側の下関へと向かう。
以前から寝台特急「はやぶさ」に乗ってこの区間を通ると、下関の隣の幡生駅の構内にブルートレインの車輌が留置されているのが見えて気になっていたので、実際に現地に見に行く事にする。

幡生駅のプラットホームを広島方に歩くと、やはり隣接する構内に数輌の寝台車が停め置かれていた。
今年に入ってからJR西日本の運行するブルートレインは「あかつき」、「日本海」、「銀河」と軒並み廃止されており、不要になった寝台車がここに集められ解体を待っているらしい。
「あのオハネ25なんか塗装も綺麗でまだまだ使えそうじゃないか…勿体ない。でも確か、状態のいい寝台車はタイに無償譲渡されるんだよな。ここにいる寝台車も重機で潰されるんじゃなくて、タイへの船積み準備で集められたものならいいのにな」


さて、そろそろ帰ろうか。途中で博多駅の隣の竹下駅で途中下車してスタンプを捺せば、ちょうどスタンプ5個。これで参加賞は貰えるね。
幡生駅で下関行きの列車を待っていたら、やたらと派手なディーゼルカーがやって来た。
地元出身の詩人金子みすゞをモチーフにした観光列車「みすゞ潮彩」号だ。これはラッキー、隣の駅までの僅かな乗車だけど、珍しい車輌に乗ることが出来た。尤も指定席券がいらない自由席の車内は何の変哲もない無改造のままだったけど。

ところで、僕は実は来週からまた旅に出るのです。
いや、異国に旅立っていったブルートレインの車輌たちのその後の様子が気になるもんで、ちょっとバンコクまで。
職場でも「なるべくリフレッシュ休暇を取るように」と言われてたし、航空会社のマイレージもまだまだ残ってたもんで、半年前に休暇とタイ行き無料特典航空券を確保してたんですよ、まさか今年の夏がこんなに青春18きっぷでの乗り鉄三昧になるとは予想してなかったもので、つい、ね。
ですから、「さすがに遊び過ぎだろ!」「勤め先から愛想を尽かされて干されても知らんぞ!」とのご心配は無用です。

という訳で、ちょっと後ろめたくて申し訳ないけれど、最後に残った青春18きっぷの1コマを使って福岡空港まで移動してから、バンコクに行って来ます…
って、「バンコクで反政府団体が首相府占拠!?非常事態宣言!?何それ!」どうなることやら。

終着駅脱走作戦~石狩川を渡れ!

2008-09-06 | 旅行
写真:JR札沼線の終着駅、新十津川駅に到着した列車

遅い夏休み、北海道で宇宙ステーション「ミール」に会い夜行特急「まりも」に別れを告げ夢の乗り物DMV(デュアル・モード・ビークル)を楽しんだ僕は、再び「まりも」に乗って札幌駅に戻ってきた。
午後の新千歳空港発福岡直行便で九州熊本に帰るのだが、まだ朝6時。いかにも早い、時間がある。
手許には、数コマ使い残した「青春18きっぷ」がある。それなら、話ははやい。
「どこかの路線を乗りつぶして時間をつぶそう。さて、どこの路線に行くか…」

札幌は北海道の中心都市だけのことはあって、JRも各路線が札幌駅を中心に各方向へと伸びている。暇つぶしの乗りつぶしの行く先には事欠かないが、逆にこれだけ路線が多いとどこに行ったものか迷う。
「函館本線で小樽の海や羊蹄山を見に行くか…いや、つい先週乗ったばかりだな、あそこは。それなら旭川方面に行ってみるか…でもあの区間は札幌近郊区間って感じで乗ってても大して特色がないんだよなー。千歳線で追分まで出て室蘭本線の末端区間に乗って岩見沢に抜けてみるのも面白そうだが…結構時間がかかるし運転本数も少ないから微妙だな。それなら、ここは一つ札沼線に乗ってみるか、あの渋い路線に!」

JR札沼線、札幌に住んでおられる方なら「学園都市線」と言った方が通りが良いかも知れないが、札幌と郊外の住宅地とを結ぶ路線であり、また沿線に教育機関が多くあることから通勤通学客で賑わう大都市近郊路線である。
但し、それは札沼線の札幌側半分の区間のみの話。終着駅となる新十津川駅へと近づくと、路線の表情は一変する。
ニュータウンや大学のある石狩当別駅や北海道医療大学駅で大半の列車は折り返してしまい、その先へと向かう列車は激減、終着駅の新十津川には1日に僅か3本の列車しか到達しないのだ!

しかも新十津川駅は行き止まりでどん詰まりの終点、所謂「盲腸線」の終着駅なので、更に最果て感が高まる。

途中までは大都会札幌の郊外区間なのに、気が付くと見渡す限り田んぼの中の終着駅に着いてしまう札沼線、タイミング良く午前7時台に札幌駅を出る列車に乗ると、1日3本の新十津川行き列車に接続することが出来る。
そのまま折り返して来れば、午後1時までに新千歳空港に戻ることが出来るので帰りも安心だ。
早速出かけよう!


石狩当別駅まではよくある大都会の近郊線。東京・横浜や大阪にいるのと変わらない。
一つだけ変わっているのは、列車が電車ではなくディーゼルカーであること位だろうか。
しかし列車を乗り換えて末端区間に進んで行くにつれて、車窓は一面の田んぼになる。石狩川流域のこの辺りは道内一番の米どころ。


札幌を出てから約2時間半、田んぼの中の終着駅、新十津川に到着。
かつてはここから更に田んぼを越えて留萌本線の石狩沼田という駅まで線路が延びていたそうだが、今では無情に路線がぶった切られて、完全に行き止まりの終着駅と成り果ててしまっている。
1日3本のみという運転本数の少なさが物珍しいせいか、車内には「乗り鉄」中らしい乗客の姿が散見された(というか、殆どその筋の乗客しか乗っていなかったが)。

列車は新十津川で十数分停車し、折り返して札幌へと帰って行く。
僕も停車時間中に駅舎を眺めたりして発車を待っていたが、駅前の道路を見ていてふと思い立った。

「ここって確か、石狩川を挟んで滝川市のすぐ隣にあるんだよな…この道を歩いて行けば、石狩川を渡って滝川駅に行けるかも知れない…
行ってみようか?歩いて滝川駅まで!」

次の瞬間、僕は早歩きで駅前道路を歩き始めていた。
「滝川駅まで行けば何とかなる!函館本線の新千歳空港直通特急がガンガン発着してた筈だ!面白い!終着駅から折り返しの列車に乗らずに、歩いて逃げ出してやろう!」



道路地図も何もないので、滝川市へと向かう道順は分からないが、それでも駅から「東のほう」だと思われる方角目指してひたすら歩けばそのうち石狩川に出るはずだ。後は、川を渡る橋を見つければ滝川市への道路標示くらい出ているだろう。
という訳で、とにかく歩け歩け!
しかし新十津川ってのは長閑なところだなぁ…駅前に大きな病院がある以外は、殆ど人けがない。田んぼ、時々牧場。


暫らく道なりに歩いていくと、大きな道路に出た。この先左折すれば滝川、との道路表示も出ている。
「よし、道は分かった!歩け歩け…」


この先を左折すると、長大な橋を渡った。これぞまさしく石狩川、対岸は滝川市だ。
「本当に近いな、滝川市は文字通りすぐ隣じゃないか。」
しかも橋の向こうをL特急「スーパーカムイ」号が走っていくのが見える。
「あそこがJR函館本線だ!よし、滝川駅までもう一息!」
しかし、もう一息が長かったのである。。。


石狩川を渡りきってしまうと、河原が気持ちの良さそうな公園に整備されていたのでそちらへと抜ける。
「この河川敷の公園、僕の地元の熊本県八代市の球磨川の公園とよく似ているな~。秋には花火大会とかやるんだよな、最近は全然行ってないけど」
ちなみにこの石狩川河川敷の公園、グライダーの飛行場にもなってるらしい。


石狩川の向こう、さっき歩いてきた新十津川の方を仰ぎ見ると、新十津川駅近くの病院の白い建物が見える。
「あそこから歩いてきたのか。しかし、田んぼばかりで空が広いから、遠くの風景もよく見えて歩いてて気持ちがいいねぇ~。」

河川敷公園から降りてJR函館本線の踏切を渡り、さて滝川駅はすぐ近くの筈だ、先を急ごう!しかし…
「さっきから駅構内や駅前のビルらしきものは見えるが、道があらぬ方角へ向いているのでなかなか駅に近づけないな…」
まあ、こんな場所から歩いて駅に行く人はあまりいないのかも知れんが…
やたらと直角に曲がってばかりでだんだん線路から離れていく道路に業を煮やして、空き地や児童公園や民家の裏道みたいなところをショートカットして何とか函館本線に併走して滝川駅を目指す。


そうこうしているうちに、函館本線を列車が走り抜けていく。
あれは富良野行きの「フラノラベンダーエクスプレス」か。前面展望車や2階建て車輌や個室車も連結する豪華なリゾート特急で、僕も何度か乗車したことがあるが、こうして外から走行している様子を眺めるのは初めてだ。
それに、スタイルは全然違うがJR九州のリゾート特急「ゆふDX」と同系列の兄弟車輌なんだよな確か。

しかし、列車はあっという間に滝川駅へと滑り込んでいくが僕はなかなか滝川駅に近づけない。
だんだん焦ってきた頃、ようやく駅前広場へと抜ける道に出た。
見ると、滝川駅のプラットホームには赤い普通電車が停車して発車を待っているではないか。
「あれはきっと岩見沢方面行き普通電車だ!あれに乗れば札幌駅まで青春18きっぷで帰れるぞ!」
思わず駆け出す。「急げ急げ、まだ発車するな!」
しかし、駅の改札口で青春18きっぷを駅員氏に見せて通り抜けた瞬間、無情にも車掌氏が吹く笛の音が聞こえた。

「あ~あ…間に合わなかったか…」

トボトボと改札口に戻り、さっきの駅員氏から「あらら、やっぱり間に合いませんでしたか」と同情されて「ええ、タッチの差だったんですけどね、ははは…」などと答えつつ、内心「ああ~悔しい!何てこったい!!」
時刻表を見ると、次の普通列車は1時間半後!?そんなに悠長に待っていられるか、こっちは飛行機の時間があるんだ。泣く泣くみどりの窓口で特急のきっぷを購入。次の特急「スーパーカムイ / エアポート」は20分後、しかも新千歳空港直通。これに乗ればそのまま空港に連れて行ってくれる。
でも僕は、敢えて札幌行き普通列車との乗換駅である岩見沢駅までのきっぷを買った。青春18きっぷを持っている限りは安易に特急に逃げたくない、そんな意地があったのだ。まあ「追加料金をできるだけ安く上げたい」との思惑もあったのだが。

「スーパーカムイ / エアポート」の発車まで時間があるので、待合室を覗いてみると、嬉しいことに立ち喰いそばのスタンドが営業中だったので飛び込む。
僕は立って食べるのが面白いし何より値段が手頃でおいしいので立ち喰いそばが大好きなのだが、最近は立ち喰いスタンドもどんどん淘汰されているので寂しい限りだ。
だから最近は旅先で立ち喰いそばやうどんを食べる度に記録写真を撮ったりしているのだが、もう結構な枚数がたまったので天燈茶房 TENDANCAFEでそれを紹介していっても面白いかも知れないな?最近は「食い鉄」なる鉄道趣味のジャンルも登場してるみたいだし(そう思って「鉄道で食べる」というカテゴリーもつくりました)。

さて滝川駅の立ち喰いスタンド、地方にしては珍しく「カレーそば」がメニューにあったのでこれをオーダー。
しかし残念ながら滝川駅構内立ち喰い店のカウンターには「携帯電話の通話と店内写真撮影お断り」の表示があり、記録写真は残せなかった。残念!
ちなみにそばは麺が柔らかめ、カレーは二度かけのボリューム満点のカレーそばでした。

かくして終着駅新十津川から滝川まで、石狩川を越えての移動時間は約40分、移動距離は直線距離で3キロ程度らしいがやはり石狩川の迂回と滝川駅周辺の遠回りが響いて5キロ弱といったところか。
僕はよく夜寝る前に下宿と最寄の鹿児島本線の駅との間、往復約5キロを歩いているので、この程度の距離なら慣れているし気分転換に調度良い運動になった。

「今度から、旅先で一駅歩くっていう企画をやってみようかな?それに、見知らぬ土地を歩くのって何だか楽しいよ!」

バスだ?列車だ?DMV(デュアル・モード・ビークル)だ!

2008-09-04 | 鉄道
写真:JR北海道が開発した世界初の「DMV(デュアル・モード・ビークル)」 浜小清水駅にて

夜行特急「まりも」で釧路についた僕は、釧網本線の網走行き始発列車に乗り換えた。
朝霧の釧路湿原を一路、オホーツク海へと向かい走っていく。


釧路湿原国立公園の中にある無人駅を結んで走っていく。


「まりも」の夜の寝不足のせいで暫く居眠りした後、列車交換で緑駅に停車しているのに気が付いて慌てて降りる。
確か、この駅の近くに気持ちのいい公共の温泉があった筈。何年か前に一度、一風呂浴びて行ったことがあるんだ。
夜汽車の疲れを癒すのには、朝風呂に限る。

緑町の温泉センターは、僕の記憶以上に立派な施設で、高級温泉旅館並みの岩風呂露天風呂まで備えていた。一番風呂で思う存分手足を伸ばして、ああ生き返った!
…尤も、時間が早すぎて営業開始時間まで2時間も駅の待合室で待たされてからの入浴だったが。


湯上りに乗る鈍行列車の旅はまた格別。
天気はイマイチだが、それでも車窓には北海道らしい風景が展開し、窓を開けて風を受けながら火照った身体を冷ますのは最高の気分。
山頂は雲に覆われているがが、日本百名山オンネヌプリこと斜里岳も見えてくると釧網本線はそろそろオホーツク海岸に出る。


小清水原生花園の只中にある、夏のシーズンだけ開いている原生花園駅で途中下車。




荒涼としたオホーツク海が間近に迫る遊歩道を歩いていくと…


そこかしこに小さなお花畑が広がっている。
小さなトマトのような実をつけている、この草は一体なんなのかな?

暫し原生花園観光を楽しんでから、一つ隣の浜小清水駅へと戻る。
浜小清水駅で乗り換えるのは、この“夢の乗り物”

駅裏の砂利道をガタゴト走ってきたこの黄色いバス、ただのバスではない。
いや、正確にはバスですらない!
これぞ、JR北海道が数々の困難を克服し世界で初めて開発に成功したDMV(デュアル・モード・ビークル)!
道路も線路も自由自在に走り回れる、鉄道とクルマを融合させた脅威の乗り物なのだ!!




並んだDMV兄弟。
現在、冬季を除く週末と長期休暇シーズンに、ここ浜小清水駅をベースに付近の観光地を結んで釧網本線の線路と一般道を走る周遊コースでの「試験的営業運行」が行われている。
実用化を目前にしたDMV(デュアル・モード・ビークル)の、まさに開発の総仕上げとも言うべき「試験的営業運行」をこれから体験してみます!

乗り込む前に、「謎に包まれた」車体を間近からじっくり観察。

線路上を走行する際にもスリップすることなくレールへと動力をスムーズに伝達できるように、1年を通じてスタッドレスタイヤを履く。


タイヤの脇には、跳ね上げられて収納された鉄道走行用車輪が見える。


出発前に、足慣らしとばかりに実際に鉄道車輪を降ろして動作確認。
除雪機メーカーとの協力で完成したという車輪昇降システムを作動させ、バスが列車になっていく!






最終点検を終えて、異常なし。いよいよ出発!
まずは「列車モード」として走るべく浜小清水駅近くのDMV専用「モードインターチェンジ」から釧網本線の線路に乗り、車輪を降ろす。

バスの運転士さんから列車の運転士さんに交替して、クラクションを鳴らして線路の上を出発!

これは楽しい!
バスなのに列車として線路を走り出す、この乗り物は一体なんなんだ!?
いや、この乗り心地には覚えがある。この不思議で愉快な感触、これは…

そうだ!青森県七戸の南部縦貫鉄道のレールバスにそっくりなんだ!
南部縦貫のレールバスは「バスの車体に鉄道の車輪を履かせたもの」なので道路は走れないけれど、バスと鉄道の融合という点ではコンセプトが同じなんだね。
それにどちらも小さくて可愛らしいし、本当にそっくりじゃないか!


さっき降りた原生花園駅を通過。
DMVを一目見ようと大勢の観光客が待ち受けていた。


しばらく線路を走る。
オホーツク海に最も近い駅として、また待合室を埋め尽くす旅行者の名刺で有名な北浜駅を通過していく。


藻琴駅の手前で線路を降りて、再びバスの運転士さんがハンドルを握り、ここからは観光バスとして道路を行く。


さっきまで線路の上を走っていたのに、普通のバスに変身して道路を走るDMV。
重い鉄車輪を装備しているせいか段差での衝撃が大きい気もするが、それでも乗り心地は普通のマイクロバスと大差ない。



ガイドさんの名調子でさんごそうの群生する藻琴湖や濤沸湖をひとまわりして、DMVは浜小清水駅に帰って来た。

さっき列車として通過した踏切を、今度はバスとして渡り、浜小清水駅裏手でDMVの旅は無事終了。
ああ、面白かった!

ここで乗客もガイドさんも皆下車するが、僕はこのまま網走駅までDMVで送ってもらう。
網走市街が近くなり、他のクルマと並走すると、凄い視線を感じる。
隣の車の助手席から携帯電話のカメラで撮影されたり、興味津々と言った感じで覗き込まれたり。
地元でもDMVは注目の的のようだ。さすが、夢の乗り物!


網走駅前で僕を降ろして、走り去って行くDMV。
「今日はありがとう!」
また乗りたいな。

という訳で、本当に「乗ってて楽しい、ワクワクする乗り物」でした、世界初のDMV(デュアル・モード・ビークル)。
先の洞爺湖サミットでは更なる改良の施された最新版のDMVもお目見えして話題となっていたし、日本各地から導入を検討するという意見が寄せられ、静岡や遠路遥々僕の地元の熊本でも実際に車輌を借り入れての走行試験が実施されている。

鉄道とバスのいいとこどりで地球環境にも負荷をかけないDMV、これからどう活用されていくのか楽しみです。
それに何より、こんなに楽しい乗り物ははやく実用化されて欲しいね。
北海道だけでなく阿蘇の大自然の中をDMVが走る日が、はやく来て欲しいよ!