天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

2015夏 ドイツ/クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紀行 9:ザグレブ散歩~トラムに乗って現代美術館へ

2015-09-27 | 旅行記:2015 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
Photo:MUZEJ SUVREMENE UMJETNOSTI ZAGREB(MSU)/ザグレブ現代美術館


8:ザグレブ技術博物館のニコラ・テスラからの続き

ザグレブ技術博物館では数々の宇宙展示やカールツァイスのプラネタリウムを堪能し、天才発明家ニコラ・テスラの世界にも浸り、更には博物館のボランティアスタッフが「せっかくだから参加しなさいよ」とわざわざ呼びに来てくれたので「クロアチアの鉱物資源と鉱山の展示コーナーのガイドツアー」にも連れて行ってもらって(←この鉱山のガイドツアーは博物館の地下フロアに組まれた広大な鉱山の地下坑道を模したコースを歩いて見て廻る、実に本格的で興味深いものだった!) 、大満足で見学を終えた。

…実のところはもっと見ていたかったのだが、今日は日曜日なので昼には博物館を閉めてしまうとのこと。名残惜しいが、博物館のボランティアスタッフの皆さんに礼を言ってザグレブ技術博物館を後にする。

さて、午後は何をして過ごそうか。
せっかくのいい天気だし、トラム(路面電車)の一日乗車券も持っているので、ちょっとピクニックがてらザグレブの郊外にトラムで繰り出すことにしよう。

…という訳でトラムに乗って、サヴァ川を渡った市街地の南側に広がるノヴィ・ザグレブ(ザグレブ新市街地区)にやって来た。
ここには、MUZEJ SUVREMENE UMJETNOSTI ZAGREB(MSU)ザグレブ現代美術館がある。



2009年に完成した、まだ新しい建物のザグレブ現代美術館は、大型ショッピングモールやマンションが立ち並ぶザグレブ新市街地区ニュータウンのランドマーク的な施設で、大変充実した展示を誇る(館内は撮影禁止だったようなので写真は撮っていないが、ユーゴスラビア解体とボスニア・ヘルツェゴビナ紛争をテーマにした壁一面を覆う巨大なタペストリー作品が印象的だった)。
クロアチアの新しい文化的シンボルである。



ザグレブ現代美術館でコンテンポラリー・アートを堪能した後は、大通りを挟んだ斜向かいにある大型ショッピングモールでウィンドウショッピング。

“市場を見ればその国が解かる”とはよく言われる事だが、郊外型のショッピングモールの館内はクロアチアでも日本でも雰囲気はほとんど同じ。つい二十年ほど前にユーゴ紛争を経験したこの国も、今では順調に経済発展を遂げて豊かな消費生活を送っているということが見て取れる。

…などと偉そうに経済論を述べながらも、もう昼過ぎだ、今日は朝に寝台列車LISINSKI号の車内で小さなパンとお茶の朝食プレートを食べただけなのでお腹が空いて足元がフラフラする(笑)
せっかくなのでショッピングモールの中のスーパーマーケットで何か買って食べよう。


という訳で、スーパーマーケットで買ってきたのはJAPANが世界に誇る国際食SUSHI!
ちゃんと日本語のひらがなでどうぞめしあがれと書いてあるぞ。ちなみにこれはOSAKAというセットですが、ちゃんとTOKYOもありました。

“SUSHIを食べてみればその国の食文化と食生活レベルが解かる”というのは僕の持論だが、クロアチアのSUSHIは米の炊き方がふっくらとしていてかなりの上出来でとても美味しかった。
お見事な寿司でした、あっぱれクロアチア!

寿司を食べたらついでに夕食の買い出しも済ませて、スーパーマーケットの買い物袋を提げてトラムに乗って中央駅前のビジネスホテルに帰る。




シャワーを浴びて汗と街の埃を洗い流してから、スーパーマーケットで買ってきたパンとチーズにトマトで夕食。

真夏のヨーロッパではなかなか日が沈まない。
もう夜8時過ぎなのだが、ザグレブ中央駅前はまだ明るい。ホテルの部屋の窓の下を、さっきザグレブ新市街地区から乗って帰ってきた水色のトラムが夕陽を浴びながら行き交う様子が見える。

  

ようやく日が暮れて辺りの熱気が薄れ、涼しい夜風が吹き始めたらさぁザグレブの夜の街に繰り出そう!
…という体力は残念ながら残っていなかった。
何しろよく考えたら、昨日(実際には時差があるので実質2日前)に日本を出て以来、飛行機と寝台列車を乗り継いでずっと移動していたのだ。更に今日は一日精力的に博物館と美術館を巡ったので身体の疲労もピークに達している。

食事を済ませて歯を磨くと、そのまま自動的に身体がベッドに潜り込んだ。ああ、2日ぶりの動かないベッド…
おやすみなさい。
今夜はぐっすり寝て体力を再チャージしたら、明日はいよいよ朝から列車でボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボに向かう。

10:ザグレブ発サラエボ行き397列車の旅 前編に続く

2015夏 ドイツ/クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紀行 8:ザグレブ技術博物館のニコラ・テスラ

2015-09-27 | 旅行記:2015 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
Photo:ザグレブ技術博物館のニコラ・テスラ像


7:ザグレブ技術博物館の宇宙科学関連展示からの続き

ザグレブ技術博物館の1階展示フロアの奥の方、鉄道車輌や飛行機の展示の陰に隠れるように、その部屋はあった。





“電気の魔術師” と称され、発明王エジソンの最大最強のライバルでもあった天才発明家、ニコラ・テスラ

交流電気の活用により世界中の人々の暮らしを一変させたばかりでなく、21世紀の今日でも社会の基盤となっている交流モーターをはじめ無線技術や高周波装置、蛍光灯にラジオ放送からブレードレスタービン、果ては未だ実現されていない無線送電技術を発展応用した地球規模での究極の総合情報通信ネットワーク構想である「世界システム」までを提唱していた恐るべき男は、今を遡ること一世紀以上前の1856年7月10日にここクロアチアに生まれたセルビア人だった。
ザグレブ技術博物館には、「祖国の偉人」であるテスラの功績を讃える専用の展示室が用意されていたのである。


展示室の入口では、テスラのファンにはお馴染みの「送電線がつながっていないのに妖しく輝く無線電球を手に佇むテスラ」の姿をかたどった像が出迎えてくれる。





テスラ展示室内には、天才発明家の生い立ちから栄光と波乱に満ちた生涯、そして孤独と悲劇に彩られた死とその後の再評価までが一覧できる資料が並ぶ。





ニコラ・テスラの象徴である「テスラコイル」と、交流モーターに関する詳細な展示品。
これらについては学芸員による実演説明も行われた。


交流モーターの回転磁界で金属製のタマゴがくるくる回る「コロンブスの卵」。
世界中の科学館で見かけるこのポピュラーな科学マジックも、その元祖は1893年のシカゴ万国博覧会でのウェスティングハウス・エレクトリック社とテスラの共同展示である。


音叉を使った「共振」の実験中…なのだが、よく見ると音叉が置かれているのはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでテスラが公開実験を行った無線操縦ボートのレプリカのようである。

そして、テスラといえばやはり放電照明とテスラコイルの空中放電!





人類の歴史を変える偉大な功績を残しながらも、やがて波乱万丈の人生の波に飲み込まれ、それでも発明を諦めず見果てぬ夢を抱き続けながらも、誰からも理解されず最期は狂人扱いされたまま孤独のうちに世を去った悲劇の人物でもあるニコラ・テスラ。
だが今、テスラの先見性と天才的な発明の数々は年々再評価が高まり、彼の孤高でドラマチックな人生に憧れ慕う人々は世界中に増え続けている(もちろん僕もその一人だ)

死後半世紀以上を経てようやく正当な評価と、ある種熱狂的な人気をも得たユーゴスラビアの偉人には、彼の地元にある博物館の展示室で会うことが出来る。

9:ザグレブ散歩~トラムに乗って現代美術館へに続く

今夜もマヤ検(高速軌道試験車)が来ていました

2015-09-23 | 鉄道

先日、鹿児島本線を八代方面に下って行ったマヤ検(高速軌道試験車)ですが今日のSL人吉…ではなく、マヤ検(高速軌道試験車)2015年09月20日)、今夜は同じ鹿児島本線を熊本方面に上って行った模様。
帰宅前にJR有佐駅近くで目撃しました。


有佐駅を通過するのかと思いきや、通常の上り普通列車が停車する3番乗り場に一旦停車。
マヤ34の車内には明かりが灯り、乗務している人の後ろ姿も見えます。祝日の夜にお仕事お疲れ様です!(と言う僕も今日は仕事でしたが…(笑)


数分後、汽笛も鳴らさずに静かに発車。
小雨のそぼ降る中を走り去って行きました。

…さて、これで都合2回も珍しい検測車輌である“ドクターブルー”を見送ることが出来たので、きっと何か良いことがある筈(笑)

今日のSL人吉…ではなく、マヤ検(高速軌道試験車)

2015-09-20 | 鉄道

よく晴れたシルバーウィークの日曜日の朝、いつものようにSL人吉を見送ろうかと線路際をウロウロしていると…
なんと「ななつ星」カラーのDE10に牽かれた1輌だけの青い客車が通過。
走りながら線路の検測を行う高速軌道試験車で、車両型式の「マヤ34形」にちなんで通称“マヤ検”と呼ばれる列車です!



新幹線の検測を行うドクターイエローは有名ですが、マヤ検はドクターブルーといったところでしょうかね。
まぁ、どっちにせよ滅多に見られる列車ではないので、ドクターブルーを見られたから何か良いことがあるかも知れません(笑)

さて、肝心のSL人吉は…
この後すぐ、家族で食事会をするとかで家に呼び戻されてしまったので見ることは叶わず。。。(´;ω;`)

今週もクルーズトレイン「ななつ星in九州」が深夜の肥薩おれんじ鉄道を走りました

2015-09-18 | 鉄道

JR肥薩線の一部区間が台風15号の影響による土砂流入で運転見合わせが続いている為、今週もクルーズトレイン「ななつ星in九州」は肥薩おれんじ鉄道線の迂回運転となりました。
という訳で今日(平成27年9月18日)も夜明け前の肥薩おれんじ鉄道・肥後高田駅を通過する「ななつ星」を見に行ってきましたが、先週(平成27年9月11日)より30分ほど早い時間にやって来ました。



肥後高田駅で「ななつ星」を見送った後、隣の駅であるJR八代駅に立ち寄ってみると…


なんと「ななつ星」が停車中!
どうやら肥薩おれんじ鉄道区間を早めに通り過ぎた分、八代駅で時間調整の長時間停車をして通常の運行ダイヤに戻す処置を取ったようです。

さて、2週に渡って行われた「ななつ星」の肥薩おれんじ鉄道線迂回運転ですが、今週土曜日からJR肥薩線が復旧して通常運転を再開する見通しとなっているので、これにて無事終了となります。関係者の皆さん、お疲れ様でした!
…でも、来年の春からは「ななつ星」は正式に肥薩おれんじ鉄道への乗り入れ運行を開始するので、もうすぐ日常的に肥薩おれんじ鉄道線内で「ななつ星」の姿を見ることが出来るようになりますね!

クルーズトレイン「ななつ星in九州」が深夜の肥薩おれんじ鉄道を走った!

2015-09-11 | 鉄道

今日(平成27年9月11日)の夜明け前の、肥薩おれんじ鉄道肥後高田駅。
闇の向こうから突然現れた、煌々とヘッドライトを輝かせた列車…





なんと!JR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」です!!
「ななつ星」が未明の肥後高田駅を通過して行きました!!

「ななつ星」は毎週木曜日の夜に鹿児島を出発して、肥薩線の吉松・人吉を経由して熊本県入りしますが、現在肥薩線が一部区間で台風15号の影響による土砂流入が発生して運転見合わせとなっており、急遽肥薩おれんじ鉄道線を迂回して運行されたようです。

…そして奇しくも昨夜、来年春から「ななつ星」が肥薩おれんじ鉄道への乗り入れ運転を開始することがJR九州と肥薩おれんじ鉄道から正式に発表されました。
災害対応の深夜の緊急迂回運転という思わぬ形で肥薩おれんじ鉄道乗り入れを一足早く果たしてしまった「ななつ星」ですが、来年春からは日没時間帯に合わせて夕刻から夜にかけて肥薩おれんじ鉄道を走るダイヤが組まれたようです。

不知火海の美しい海岸線をゆく「ななつ星」の車窓から眺める海の夕陽は、本当に最高でしょうねぇ…

ちなみに、来年春からの新ダイヤでは肥薩おれんじ鉄道線通過後に阿蘇駅での朝食までの約8時間もの間、「ななつ星」は熊本県内の八代駅~阿蘇駅の区間のどこかで時間調整をするようなダイヤ設定になっているのですが…
ひょっとして、待避線があって長時間停車可能などこかの駅で延々停まったりするのでしょうかね…?
それが可能な駅って…えっひょっとしてうちの最寄りの有佐駅とか?さて、どうなりますことやら。
詳細なダイヤが明らかになるのが楽しみだ!

今朝のクルーズトレイン「ななつ星in九州」(平成27年9月6日) “中の人”のお見送り編

2015-09-06 | 鉄道

今朝は久し振りにクルーズトレイン「ななつ星in九州」のお見送り。
今回は豊肥本線の平成駅付近で待ち構えました。

さすがに9月に入ると日の出時刻もかなり遅くなって、熊本市内を走行する早朝の時間帯は真っ暗ですね。
今朝は雨も降っていたので、なおさら暗い朝に…


さて今朝の「ななつ星」には、実は僕のfacebookのお友達でTwitterのフォロワーさんでもある方が乗車されていました!
事前に「見送りに行くんで、最後尾の展望車のカーテンを上げといて下さいね~」と連絡して段取りしておいたので、車内から手を振ってくれている様子がバッチリ見えましたよ(さすがに写真は暗すぎてピンぼけ状態ですが…)

以前から僕と一緒に「ななつ星」の応募を繰り返して高倍率の抽選の当選チャンスを狙う仲だったのですが、今回めでたく乗車されて「ななつ星の中の人」になられたYさん、おめでとうございます!引き続きよい旅を!!
この次こそは…僕も乗りますよ!!

2015夏 ドイツ/クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紀行 7:ザグレブ技術博物館の宇宙科学関連展示

2015-09-05 | 旅行記:2015 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
Photo:ザグレブ技術博物館のカールツァイス・プラネタリウム投影機


6:ザグレブ技術博物館を見学するからの続き


ザグレブ技術博物館の本館2階展示室に登っていくと、先ずは天井から吊り下げられた宇宙機模型が出迎えてくれる。
世界の2つの超大国が冷戦期に威信を懸けて争った宇宙開発競争時代を象徴する、米ソの宇宙機のドッキング状態での展示だ。

展示されていた模型はかなり年季が入っていたので、おそらく旧ユーゴ時代から展示されているものと思われるが、ユーゴスラビアは共産主義国とはいえ冷戦期にはソビエト連邦とは反目していたせいか、ソ連に偏らずアメリカ側の展示もしっかり行っているのが興味深い。

とはいえ、展示フロアの真ん中に鎮座ましまして圧倒的な存在感を放っていたのは、ソ連が世界に誇った月面ローバーだった。



人類史上初めて月に送られた探査ロボット、「ルノホート」の実物大モックアップ。
説明パネルにはモックアップについての詳細は記載されていないが、かなり精巧に作られたものである。






「ルノホート」の隣には、ライバルであるアメリカの月ロケット「サターンV」の姿が見える。

ルノホートの奥には、これまたソ連の記念すべきロケットが。



「ボストーク」ロケットの模型。
このロケットは人類史上初の有人宇宙飛行となったユーリ・ガガーリン少佐を乗せた宇宙船「ボストーク1号」の打上げにも使われた。
これもかなり年季の入った模型だが、かなり手の込んだ精密な仕上がりになっている。


ロケットの台座には、ソ連のロケットの特徴であるぎっしり束ねられた「クラスターロケット」の構造がよく見えるように鏡が仕込まれているという丁寧さ。


ペイロードの衛星が搭載されている様子も見えるように、フェアリングが一部透明になっている。
展示スペースの隅っこに置かれて埃まみれなのが惜しい、実によく出来た模型だ。


そして、宇宙展示コーナーの真ん中にあるこのドーム。
これがザグレブ技術博物館のプラネタリウム投影ドームである。

…随分と小ぶりなドームだが、プラネタリウムの鑑賞は大人1名20クーナの博物館の入場料金とは別に一律15クーナの特別料金が必要だ。
そしてプラネタリウムの投影は一日一回のみ。間もなく、投影開始時刻の正午になる。
入場チケット販売窓口のおばちゃんに言われた通りにドームの入口前で待っていると、プラネタリアンの初老の男性が現れてドームの中に招き入れてくれた。


ドームの中では、小さなプラネタリウム投影機が待っていた。
「これは…!小さいけれど凄い名機だ。カールツァイス・イエナのZKP-1だ!!」


ザグレブのカールツァイス・イエナプラネタリウム投影機、プレートに刻まれたナンバーは164番。

この日のザグレブ技術博物館のプラネタリウムの観客は、僕以外には親子連れの父親と子供の3人だけ。
ZKP-1は調整にかなり手間取ったようで投影が始まるまでに15分ほどもかかったが、投影機本体の横に腰掛けたプラネタリアン氏が丁寧に慈しむようにカールツァイスを手のひらで包み込んで操作する様子を見ているだけで、僕は何だか胸が一杯になってしまったのだ。
そして始まった、カールツァイス・イエナZKP-1の生み出す星空の投影。
…それは、世界で一番小さいけれど世界で一番あたたかくて、心に染み入るような星空だった。

投影が終わり、後片付けを始めたプラネタリアンさんに「あの…ありがとう!素晴らしい投影でした」と英語で声をかけた。
プラネタリアンさんは東洋人から突然話しかけられたので最初は少し戸惑っているようだったが、僕がプラネタリウム投影機を指差して「カールツァイス・イエナ…VERY GOOD!!これは本当に素晴らしいプラネタリウムです」と言うと満面の笑顔で「これ、今年で50歳になるんだよ」と教えてくれた。
「50歳…ベリーオールド、バット、ベリーグッド‼︎」

片言の英語で少し言葉を交わしただけなのだが、やっぱりプラネタリウム好き同士、お互いに気持ちが通じ合うんだなぁ…
プラネタリウムってやっぱりいいな、星空には国境も人種も言葉の壁も、何も無いんだ。


とびきりの星空と一緒に、素敵な出会いと豊かな心をくれたザグレブの街のカールツァイス・プラネタリウム。
やっぱり、ザグレブ技術博物館に来てよかった!

でも、ザグレブ技術博物館はこれだけで終わりではない。
ここには、僕が敬愛する天才発明家の功績を称える展示もあったのだ。
数々の脅威の発明で世界を、社会と人々の暮らしの姿そのものを一変させながらも、人々からはその天才性を全く理解されず、狂人扱いされたまま孤独のうちに世を去るという数奇な人生を送った、僕が大好きなあの“稲妻博士”に、これから会いに行こう!

8:ザグレブ技術博物館のニコラ・テスラに続く

2015夏 ドイツ/クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紀行 6:ザグレブ技術博物館を見学する

2015-09-05 | 旅行記:2015 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
Photo:Tehnièki muzej. ザグレブ技術博物館


5:真夏の朝のザグレブ中央駅からの続き

ザグレブ市街地のトラムの走る道をミマラ博物館を横目に見ながら歩き、鉄道線路の高架ガードをくぐり抜けたところに、ちょっとした木立に囲まれた建物がある。


ここがTehnièki muzej.ザグレブ技術博物館だ。

さっき前を通り過ぎたミマラ博物館は美術館的な施設のようだが、ここはザグレブ市内にある唯一の科学技術系を専門に扱う「理系」の博物館である。
事前にネットで検索して調べたところ、僕の大好きなプラネタリウムもあるらしいので、これは見逃せない!



入場チケット販売窓口では僕のブロークンな英語はあまり通じなかったが、懸命に「入場券、大人1枚!それからプラネタリウムも観たいの!」と身振り手振りで伝えると窓口に座っていたおばちゃんにも大体意志が通じたようで、「プラネタリウムは2階にあるから、お昼の投影開始前には行って待っといて!」と片言英語で言いながら入場券とプラネタリウムのチケットを出してくれた。


これが、ザグレブ技術博物館の館内全景。
社会主義連邦共和国時代の1958年に建てられたという建物はこじんまりとしているが立派なもので、科学技術に関するものなら一通り網羅しているといった印象だ。

館内で一際目立つのはやはり蒸気機関車。
手狭さのある館内にぎっしり並んでいるので、何となく東京神田の交通博物館を思い出す。



ユーゴスラビア鉄道の初期の頃に活躍したと思しき、小さな可愛らしいタンク機関車。
展示されている車輌はどれも保存状態が良く、手入れが行き届いている。おそらく今でもボイラーに火を入れれば自走可能なのではないだろうか。

館内展示のもう一つの目玉は、飛行機!



文字通り翼が折り重なるように並んだ飛行機は、どれも尾翼に赤い共産主義の星を掲げた三色旗をつけた旧ユーゴスラビアの機体だ。
航空マニアにはたまらないコレクションではなかろうか(僕は飛行機には詳しくないのでよくわからないけれど)




トラムの路面電車の隣には、クラシックカーの名車たちもずらりと勢揃い。


鉄道車輌と飛行機と自動車の奥には、もちろん船のコーナーも。
これはさすがに実物は館内に入りきらなかったようで、模型が多数展示されていた。


初期のパソコン…いやマイクロコンピュータと言った方がいいような端末も並ぶ。
ザグレブ技術博物館、展示物の層の厚さと量の豊富さはただものではない!
館の規模は決して大きくないけれど充分に見応えがある、凄い実力派の博物館だ。

…そして、本館の吹き抜け展示に張り出した2階フロアを占めるのが宇宙科学関連の展示だ。
今回の来館の最大の目的であるプラネタリウムもここにある。
蒸気機関車と飛行機を堪能したら階段を登って、いよいよ2階の展示を観に行こう。

7:ザグレブ技術博物館の宇宙科学関連展示に続く

2015夏 ドイツ/クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紀行 5:真夏の朝のザグレブ中央駅

2015-09-01 | 旅行記:2015 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
Photo:ザグレブ中央駅 Zagreb Glavni kolodvor


4:国際寝台列車LISINSKI号の旅からの続き


国際寝台列車LISINSKI号で到着した、真夏の朝のザグレブ中央駅 Zagreb Glavni kolodvor。



この駅に来るのは、今回が2回めだ。
前回来たのは2008年1月4日、クロアチアの隣国セルビアの首都ベオグラードから国際列車インターシティ210列車「SAVA」で雪のパンノニア平原を走り、凍える寒さのザグレブ中央駅に到着したのだった(←2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~5 ザグレブ そして旅の終り

あれから実に7年半ぶりに訪れたザグレブ中央駅。
季節も前回の訪問時とは真逆の陽射し降り注ぐ盛夏で、明るく開放的な駅構内の雰囲気も記憶の中の印象とはだいぶ違う。そして、あの時乗った国際列車SAVA号もその後、廃止されてしまい今ではもう走っていない。




ザグレブ中央駅のプラットホームには、今乗ってきたLISINSKI号の向かい側にちょっと古めかしい水色塗装にセルビア三色旗カラーをあしらった客車を連結した3輌編成の列車が停車していた。

「この列車はもしかして…ああ、やっぱり!」
客車のドア窓に貼り付けられた行き先表示の紙切れにはSARAJEVO(サラエボ)の文字が。
現在、1日1往復のみ運行されているボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボまで走る国際列車だ。

実は、今回の旅の最終目的地はサラエボで、この列車に乗って向かうことにしている。
早速、目の前に停車中の客車に乗車…したいところだが、今日は乗らない。
乗りたくても、肝心のサラエボまでの切符を持っていないのだ。
今回の旅で使う鉄道のチケットはすべて、日本出発前にドイツ鉄道DBの代理店に手配して発行してもらったのだが、ザグレブからサラエボまでの区間は現地の駅でしか乗車券の発券が出来ないと言われたのである。

それに、ヨーロッパの夜行列車は時々夜中に走行ダイヤが大幅に乱れて到着が遅れることがあるので、果たしてザグレブ中央駅でLISINSKI号からサラエボ行き国際列車に無事に乗り継げるかどうか覚束ない。
そういった事情も考慮して、念の為にザグレブで1日乗り継ぎ待ちのスケジュールの余裕を持たせて、サラエボまでの列車の切符はザグレブ中央駅の窓口で直接買う事にしたのだった。

結果としてはLISINSKI号は正確にダイヤ通りに走ってきっちり定刻にザグレブ中央駅に到着してくれたので、こうして念願のサラエボ行き国際列車と対面を果たすことが出来た訳だが、今日はこのまま見送って乗車は明日のお楽しみということになる。
それに先ずは、明日のサラエボまでの切符を手に入れねば!

ザグレブ中央駅の切符売り場の窓口で、事前にパソコンの機械翻訳で四苦八苦して書いた「明日・ザグレブからサラエボ 明後日・サラエボからザグレブ 往復切符」というクロアチア語のメモを差し出し、「あっ、座席は1等車で。ファーストクラスPlease!それから、支払いはクレジットカードも使えたりするかな?」と言い足すと、窓口の中年女性職員氏はチラリとオフィスの窓の外にまだ停車中だったサラエボ行き国際列車の編成を一瞥してから、「あの列車はどうやら2等車だけみたいよ。2等車で切符を切っとくわね」と言うとクレジットカードの暗証番号入力テンキーを差し出して寄越した。
ザグレブからサラエボまで2等車の往復で377.42クロアチアクーナ、日本円だとおよそ七千円なり。

かくして無事にサラエボ行きの切符も手に入り(窓口のおばちゃんがカーボン紙を使って手書きしてくれた「常備券」で、難解なクロアチア語で走り書きされていたので何と書いてあるのか全く判読出来なかったが(笑))、今回の旅の最大の懸案事項が片付いたので肩の荷が下りた気分だ。
切符売り場の隣にあった銀行窓口で手持ちのユーロを少々クロアチアの通貨クーナに両替したらコンコースのキオスクで水とトラム(路面電車)の一日乗車券を買い、ようやくザグレブ中央駅の建物を出て駅前のビジネスホテルに向かう。


予約していたビジネスホテルに荷物だけ預けていくつもりだったのだが、フロントのおじさんは強面で無愛想だが親切な人で、まだ朝9時半なのにチェックインさせてくれた。
部屋は中央駅に面した「トレインビュー」だったので、増々いい気分。駅前広場に静態保存されているSLも見える。

  バスルームはシャワーのみだったが、ひと風呂浴びたら広々としたダブルベッドに突っ伏してこのまま寝てしまいたい気分。
でも、せっかくザグレブで1日の列車乗り継ぎ待ちの休日を得たのだ。さぁ、街に繰り出そう!




ホテルの部屋にトランクを置いてショルダーバッグだけ持って身軽になったら、そのまま中央駅前の停留所から水色のトラムに乗り込んで出発!
おっと、トラムに乗ったらさっきキオスクで買った一日乗車券を黄色い検札機に差し込んで、日付を入れておくのを忘れずに。


トラムの窓から、荘厳な建築物が見えたので下車。
どうやらこれがザグレブの名所の一つであるミマラ博物館のようだ。
博物館と名乗ってはいるが実際には数多くの美術品や所蔵する、どちらかと言うと美術館的なものらしく、大いに興味をそそられるのだが、後ろ髪をひかれつつも素通りする。

今日はこれから、是非とも観に行きたい場所がザグレブ市内にあるのだ。

6:ザグレブ技術博物館を見学するに続く