天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

フェニックスとはやぶさ、そしてきぼう

2008-05-30 | 宇宙
興味深い情報が一度に出てきました。

まずは先日見事に火星への着陸を成功させた探査機フェニックス。
なんと、今まさに火星へと降りていくフェニックスを、上空を周回している別の火星探査機「マーズ・リコナイサンス・オービタ」が見つめていたのだ!

月探査情報ステーション
フェニックス (Phoenix)
08/05/28: フェニックスの着陸をMROが捉える(月探査情報ステーションブログ)

…もはやSFですね。言葉も出ないよ、こんな画像見せられた日には。。。
的川先生の日本惑星協会YMコラム(NO.428)によると、「これはもう運がいいとしか言いようのないハプニング」だそうです。
運がいいにも程があるよ!この調子で火星でもドンドン氷を掘って凄いものを見つけて下さい!

松浦晋也さんのL/Dには、久し振りに「はやぶさ2」と「マルコ・ポーロ」の情報が出ています。

はやぶさ2とマルコ・ポーロ(松浦晋也のL/D)
幕張メッセで開催中の地球惑星科学連合大会で開かれた、「始原天体サンプルリターンミッション会合」のレポート。
「はやぶさ2」についてはイタリア宇宙機関が中心となって開発中の欧州宇宙機関(ESA)のヴェガロケットでの打ち上げが検討されているが、これについて近日中にESAから回答がある(はやければ6月中)とのこと。
「打ち上げは2014年に設定される可能性が大きい」そうです。
「マルコ・ポーロ」はESAの将来探査計画「コスミック・ビジョン」の一次審査を通過。こちらも、まだ先は長い。
相模原キャンパスに建設中の「はやぶさが持ち帰るサンプルの分析と保管を行う施設」の概要も説明されたそうですが、はやぶさを迎える準備も着々と進んでいるということを実感する。
みんな待ってるよ!はやぶさ、帰っておいで!
小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
天燈茶房TENDANCAFE/mitsuto1976は
2010年6月の地球帰還を目指す日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています


はやぶさ2・はやぶさマーク2 ‐はやぶさまとめ‐
天燈茶房TENDANCAFE/mitsuto1976は
日本の小惑星探査機「はやぶさ」の同型機「はやぶさ2」と後継機「はやぶさマーク2」を応援しています


最後に、今度の日曜日は5時半起きが確定してしまったなこれはw
「きぼう」日本実験棟ミッション実況生中継(JAXA)
6月1日(日)の午前5:30~午前7:30頃、「きぼう」の船内実験室とロボットアームを搭載したスペースシャトル「ディスカバリー」の打上げが生中継される。
打上げ予定時刻は日本時間の午前6:02。
星出宇宙飛行士、どうぞいい旅を!

フェニックスは舞い降りた

2008-05-27 | 宇宙
火星探査機フェニックス、火星に無事着陸です!
25万人の搭乗者名簿と数千年未来の子供たちへの遺産を携えて、不死鳥が赤い大地に舞い降りました!

月探査情報ステーション
フェニックス (Phoenix)
08/05/26: フェニックス、火星に着陸(月探査情報ステーションブログ)

早速、赤い大地の写真も送ってきているようです。
08/05/26: フェニックスから写真が届く---探査機の状態は正常

この石ころだらけの地面が、実は地球から遥か彼方、別の天体の風景なんだよねぇ…
いつの日か、遠い未来の我々の子供たちがこの赤い大地に立ち、砂塵に塗れて屹立する不死鳥を見つけ、いにしえの父と母からのメッセージを受け取る、そんな日がいつかきっと来るんだろうね…

さて、もうひとつの不死鳥、僕たちの応援している小惑星探査機「はやぶさ」にも嬉しいニュースが。
「はやぶさ」ビデオ「祈り」が WorldMediaFestival 部門別銀賞受賞!(JAXA宇宙科学研究本部トピックス)
奇跡の宇宙船「はやぶさ」の旅を静かに描いた映像作品、「祈り」 -小惑星探査機 はやぶさ の物語- が世界規模の最新メディアコンペティションである 「ワールドメディアフェスティバル」の“Public Relation: Research and Science”カテゴリで銀賞(SILVER)を受賞したとのこと。
おめでとうございます!
それにしても、宇宙科学にとどまらずあらゆるジャンルで様々な賞を取り続ける「はやぶさプロジェクト」、一体これで何度目の受賞なんでしょうか(笑)

小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
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火星への手紙

2008-05-25 | 宇宙
火星探査機フェニックス、間もなく火星の北極域に着陸します。

月探査情報ステーション
フェニックス (Phoenix)
08/05/24: フェニックス、25日の到着が近づく(月探査情報ステーションブログ)

火星の外殻はこれまでの予測より固くて冷たい マーズ・フェニックス、25日に火星着陸へ(日本惑星協会ホット・トピックス)

先日、日本惑星協会から手許に届いた会報(The Planetary Report3・4月号)によると、フェニックスにはアメリカの惑星協会が提供した石英ガラス製のミニDVDが搭載されており、これには惑星協会会員と公募に応じた人々の合わせて25万人の名前と、“Vision of Mars”と呼ばれる火星関連の文学・美術・音楽を集めた芸術作品集が収められているとのこと。
ボイジャーも「宇宙人への手紙」を収めたアナログレコードを携えて太陽系外に旅立ったが、フェニックスが火星へ持っていくDVDは「火星人への手紙」ではなく、遠い未来に火星を訪れるであろう我々人類の子孫への遺産だ。

宇宙の彼方に存在するかもしれない知的生命への手紙と、遠い将来に産まれる子供たちへの手紙。
宇宙船に託して届けられる、どちらも素敵な手紙。

さて、日本惑星協会の会員は同時にアメリカの惑星協会の会員としても登録されることになっているので、僕の名前もDVDに刻まれてフェニックスに乗っていることになる。
フェニックスの火星着陸が確認できるのはアメリカ太平洋標準時で25日の午後4時53分、日本時間では26日午前8時53分。
「搭乗者」の一人として、火星に舞い降りる不死鳥と名づけられた宇宙船の旅を楽しむことにしよう。


「小惑星への手紙」を無事に送り届けたもうひとつの不死鳥も、再び地球に舞い降りるために旅を続ける。
小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
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追憶の線路を求めて ~番外編 グリーンライン、始まる~

2008-05-25 | 鉄道
過去ばかりでなく未来にも目を向けて…という訳でもないですが、生まれたばかりの線路にも乗りました。


横浜市営地下鉄グリーンライン。ブルートレイン「はやぶさ」で上京し、都内某所に潜伏中に乗りに行ってみた。
生憎、乗ったときにデジカメを持っておらず携帯電話で撮影したので写真が小さいので恐縮ですが。
今年3月30日に開業したばかりの、日本一新しい鉄道です。
島原鉄道南線が廃止される前日に生まれたのかぁ~。

横浜の港北ニュータウンを横断する路線で、地上を走る区間は短いが高架から農地を見下ろしながら走ったりもする、案外と乗ってて楽しい路線でした。車体が小さいから、遊園地のアトラクションの電車に乗ってるみたいだしね。
それに、出来たばかりなので車輌も駅も設備がピカピカで気持ちがいいよ。


「はまりん」も車内のモニターでお客さんの案内を頑張ってます。

去り往く鉄道あれば生まれいずる鉄道もあり。
新たな歴史を歩み始めたグリーンラインでした。

とりあえず今度、夏のJAXA宇宙研本部相模原キャンパスの一般公開を見に行くときに、また乗ろうかな。
小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
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2010年6月の地球帰還を目指す日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています


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追憶の線路を求めて ~エピローグ 去り往くものたちへ~

2008-05-23 | 鉄道
写真:東京駅10番のりばプラットホームで出発を待つブルートレイン「はやぶさ・富士」

平成20年のゴールデンウィーク、長崎県島原半島で自然に還ろうとしている島原鉄道南線跡を辿り最後の九州ブルートレイン「はやぶさ」で夜の日本列島を東進し、更に東北を目指して、眠りに就いた小坂製錬小坂線(小坂鉄道)で過ぎた日の想い出と向き合い今もなお愛され生き続ける南部縦貫鉄道のレールバスに会って、日本を縦断して追憶の線路を追いかけた僕は、再び東京駅の10番のりばプラットホームに立っていた。
最後に再びブルートレイン「はやぶさ」に乗って、今回の旅を締め括りたいと思う。

平成20年5月4日

青森県七戸からの徹夜の長距離ドライブで東京に戻った僕は、そのまま東京駅へと向かう。
USACO、こんな鉄道巡りばかりの無茶苦茶な行程の旅に付き合ってくれてありがとう。この次は、『鉄分抜き』のまともな旅行に一緒に行こう。今度こそは、約束するよ。」

今や東京駅を発着する唯一のブルートレインとなった「はやぶさ・富士」は発車時刻の40分以上前に品川の操車場から回送されてきた。
プラットホームで一旦停車する編成には早速ファンが群がる。


今夜は「はやぶさ」のB寝台1人用個室「ソロ」、往きに乗ったのと同じ寝台を予約してある。ただし、「ソロ」個室には1階部屋と2階部屋があり、往きは2階部屋だったのに対して今夜は1階部屋を指定買いしてある。往きと帰りで違うタイプの部屋を試して乗り比べてみようという寸法なのだ。

東京駅入線後、一旦神田秋葉原方面に引き揚げて機関車を付け替え方向転換(機回し)した「はやぶさ・富士」編成は、改めて10番のりばに入線して据え付けられる。
早速、「ソロ」車輌の連結されている3号車へ向かうが、何か様子がおかしい。出入り口ドア付近にJR東日本の制服を来た社員が待機していて…それに、どういう訳だ?この車輌は個室の小窓が2段に並ぶ「ソロ」じゃなくて、普通の開放型2段式B寝台車じゃないの!?
「3号車のきっぷをお持ちのお客様ですか?」
とJR社員に声を掛けられる。
「何かあったんですか?この車輌は個室車じゃないようですけど」と聞くと、「大変申し訳ありません。窓ガラスが破損するトラブルがありまして、通常型の車輌に差し替えています」とのこと。
「ええ~!?折角個室を予約してたのに残念だなぁ」
「申し訳ないのですが…今夜は個室の部屋番号と同じ番号のベッドをお使い願います。寝台料金と特急料金は熊本駅で半額分お返しします。それから、ベッドは上と下のどちらもお使い頂いて結構ですので。」
えっ?料金半額払い戻しで、しかも2段式B寝台を上下段シングルユース出来るの?
「それなら…ええ、分かりました。異存はないです。」
いや、むしろラッキーだったかも。狭い個室じゃなく2段ベッドを独り占めしてゆったり使ったほうが快適だものね。

かくして定刻の18:03、第1列車寝台特別急行「はやぶさ・富士」は九州に向けて東京駅を発車した。

前回、ブルートレイン「なは」ファイナルラン帰りに乗ったときに比べて、だいぶ陽が高くなったね。東京駅の赤煉瓦や丸の内のビル群が見えている。


さて今夜は、「ソロ」個室1階部屋ではなく一般型の開放2段式B寝台(略称:2段ハネ)に寝ることになってしまったが、このベッドも居住性はそんなに悪くない。何より、壁がなくて広々としているので、「ソロ」より「2段ハネ」の方が快適だという意見も聞く程だ。


せっかく上下段両方が使えるので、起きている間は下段ベッドに腰掛けて車窓を眺め、寝る時はハシゴを登って、走行音や通路の足音が気にならない上段に潜り込むことにした。
いつもは「車窓が見え難い」「起きているときに身の置き所がない」などの理由で敢えて「2段ハネ」上段の寝台券を買うことはないので、上段ベッドによじ登るのも随分久し振りだ。10年以上前、北海道旅行中に下段が売り切れで止むを得ず売れ残っていた上段を買って網走から「夜行オホーツク」号に乗ったとき以来かな。そう云えば「夜行オホーツク」もその後廃止されたんだよな…
それに、JRの「2段ハネ」はヨーロッパの夜行列車の「簡易寝台(クシェット)」と基本的に同じ構造なんだよな…スイスのChurからパリ東駅までクシェットに乗った国際夜行列車は今でもあるんだろうか…
などと、上段ベッドに横になってとりとめもなく考える間もなく、東北縦断の長距離ドライブの疲れですぐに眠りに落ちた。

平成20年5月5日

夢も見ずにぐっすり眠って、朝6時半、ハイケンスのセレナーデと「おはよう放送」で目が覚めた。そろそろ徳山かな、朝食のワゴンサービスが始まるから起きなきゃ…と、
「皆様おはようございます。只今、広島駅を発車しました。」え?まだ広島なの?
「お客様にお知らせします。昨晩、大阪駅から元町駅のガード下で火災があり、その影響で現在『はやぶさ・富士』号は約1時間遅れて運行しています」
ええ~!?昨夜、そんなことがあったのか!爆睡してたから全然気が付かなかったけど。。。
しかし、今まで「はやぶさ」には数えきれない程乗ってるけど、往きも帰りも遅れるとはね。こんなことは初めてだ。


急ぎの乗客は山陽新幹線「こだま」に乗り換えるよう案内があったが、それには及ばない。
なーに、後は熊本の自宅に帰るだけなので多少遅れるくらいは全然構わない。却ってゆっくりダラダラ出来ていいわな…と、下段ベッドに降りて朝の瀬戸内海を眺める。
山陽本線は海沿いを縫うようにカーブを切りながら進んで行く。列車も自ずと速度を落として、1時間の遅れなど気にせず朝の散歩を楽しむかのように軽やかに走る。敢えて回復運転などは行われないが、気にしない。せっかくブルートレインに乗っているんだ、急いで帰ることはない。
心ゆくまで旅を楽しもう!

徳山駅で車内販売員の女性が乗り込み、お待ちかねの朝のワゴンサービス開始。
下りの「はやぶさ・富士」号では徳山から博多までの区間でワゴンサービスが実施される。主に徳山駅で積み込まれる駅弁類や飲み物、そして朝から缶ビールなども販売されるが、最近ネット上の口コミで注目を集めているのが、柳井駅で積み込まれる「幕の内」。
柳井駅前の仕出し屋「水了軒」でその朝に作りたてのものが積み込まれるこの「幕の内」、中身は至って普通の幕の内弁当なのだが、1日限定5個しか販売されず、さらに柳井駅ではこの「はやぶさ・富士」積み込み以外の駅弁販売は既に廃止されているために「ブルートレインに乗らないと買えない、日本一入手し難い幻の駅弁」としてその筋の愛好家から熱い視線を集めている超レア駅弁なのだ。…中身は至って普通の幕の内弁当なんだけど。
という訳で、1号車からワゴンサービスが巡回を開始すると同時にその筋の人たちが車内販売員の許に殺到し、果たして3号車の僕の席までワゴンサービスが周って来た時点では「幻の柳井幕の内」は売り切れ御礼。あ~あ、間違えて徳山駅の幕の内を買ってしまった前回に続いてまた食べ損ねた。

朝食を食いっぱぐれて不貞寝しているうちに、「はやぶさ・富士」は本州最後の停車駅下関に到着。



早速、この人だかり。
切り離される機関車EF66を囲んで、ちょっとした撮影大会状態。


関門トンネル専用機EF81が連結されるのを確認して、車内へと戻る。
すぐに下関駅を出発して、関門トンネルを走り抜けて10分足らずで九州の玄関口、門司駅に到着。


門司駅では機関車を九州内専用機ED76につけ替えて、編成後ろ半分の大分行き「富士」号を切り離して発車となる手筈だが、今日は約1時間の遅れを引きずったまま到着したせいで駅構内が他の列車で塞がれているせいか、なかなか機関車交換が行われない。
暫くプラットホームを散歩して、機関車が交換されるのを待つ。


程なく、機関車ED76が登場。
御馴染みの“ナナロク”の真っ赤な顔を見ると「ああ、九州に帰って来たねぇ」という気分になり、安心します。


で、やっぱりこの人だかり。

この時点で更に列車の遅れが拡大しており、のんびり機関車見物してると発車してしまうかも知れないので、ナナロクの連結を確認したら急いで車内へ戻る。
しかし、「お待たせしました、熊本行き『はやぶさ』号発車します」と放送があったきり、一向に列車は動かない。そのうちに、向かいののりばに停まっていた鹿児島本線の普通電車が先に発車してしまった。
「…一応特急列車なのに、舐められたもんだな。まあいいけどさ。こうなったら気の済むまでゆっくりじっくり行こうじゃないの!」

「富士」と別れて第41列車と名を変えた「はやぶさ」はようやく門司駅を発車し、鹿児島本線を順調に走って行く。と、突如速度を落としたかと思うとやや大きなブレーキ衝撃と共に急停車。
「何かあったかな?」
…あったんである。「お客様にお知らせします。現在、先行しています快速電車が踏み切り通過の際に異常な音を聞いたため緊急停止しました。同時にこの付近にいます全ての列車が緊急停止しております。」何だってー!?

結局、15分ほど停車していただろうか?
「先行快速電車が車輌周辺の点検をしましたが、異常が見つかりませんでしたので発車しました。この列車も間もなく発車出来る見込みです」
やれやれ、石でも跳ね上げたか、犬か何かの動物を轢いたりしちゃったのかな。。。


遅れに遅れが重なり、もうグダグダのリラックスモードの車内。
ベッドも朝寝でこの有様。見苦しい写真で恐縮ですがw

ベッドに寝転がって、僕が時々遊びに行く熊本県民天文台の台長さんも執筆に参加しておられるブルーバックス「発展コラム式 中学理科の教科書 第2分野」を読む。これが実に面白い。「ああ~そうなのか!ああ~そうだったな!」とか独りごちながら、案外忘れてる中学理科の復習をするのもまた楽し。
それにしても、寝台車のベッドでの読書は何故かページが進むんだよなぁ。

緊急停車騒動で更に遅れは拡大し、博多駅を発車した時点でもう午前11時を回っている。
博多で交替して乗り込んできた車掌さんが「あれ?何で今日は個室が付いてないんだ?」と独りごちながら通路を通っていく。
遅れに車輌不具合と、今日の41レ乗務はホントに大変ですね。お疲れ様です。

久留米に到着する頃、正午を回った。
お昼を過ぎても走り続けるブルートレインに乗車する機会なんてそうそうあるものではない。
「そう云えば以前、熊本からさらに西鹿児島まで直通運転していた頃の『はやぶさ』が終着駅に到着するのがちょうど午後1時過ぎだったな。いや、西鹿児島直通最末期にはダイヤが更に繰り下がって午後3時半頃まで走ってたっけ」




午後1時過ぎ、「はやぶさ」は1時間15分遅れで終着駅熊本に到着した。
「着いた~ああ、19時間にも及ぶ長旅だった!
…でも、着いてしまえばあっという間だったな」


そう、どんなに長い旅も、終わってしまえばほんの束の間の出来事だ。
…そして、今となっては全てが過ぎ去った思い出だ。後に残るのは思い出だけ、そして思い出は常に楽しく美しく、愛おしい…

今回、島原と小坂と七戸とを結び、九州から東北まで日本を縦断して、僕の心の中の追憶の線路を求める旅をしてきた。
或るものは地に還り記憶と歴史になり、或るものは奇跡の復活へ向けた模索を試み、或るものは情熱に支えられて見事に生き続けていた。
それぞれすべてが、僕にとってかけがえのない思い出である。
思い出の今を辿り、そしてやがて追憶の彼方へと旅立つ運命の列車に乗って、僕は帰って来た。旅を終えた。
去り往くものたちよ、追憶の、記憶の中の線路よ。それらは記憶の中で永遠に走り続ける…

「mitsutoはいつでも、過去ばかり見ているのね」

ふいに、USACOの言葉が甦ってきた。

「…そうかも知れない」

でも僕は思うんだ。過去と向き合わなければ、人間は未来へ進んで行くことも出来ないのだと。
追憶の線路は、僕に「記憶の中で生き続ける」ことの永遠を教えてくれた。
人の想い出の中にあるそれは、決して消えない。そして、語り継がれる。
僕は、絶対に忘れない。かつてこの地に、人々の絆となった線路があったことを。そこには、たくさんの数え切れない想いがあったことを。
そんなたくさんの想いに支えられて初めて、人は自分自身の旅に出ることが出来るんじゃないかな。

ありがとう、追憶の線路よ。去り往くものたちよ。


大幅な遅れで終着駅の熊本に到着した「はやぶさ」は、約3時間後に迫った折り返し東京行きの発車に備えてただちに熊本車両センターへと回送されていった。
そしてまた、新たなる旅が始まる。

ありがとう「はやぶさ」。やがて去り往く列車よ。
素晴らしい想い出をありがとう。また会おう…

追憶の線路たちよ、ありがとう。
そして僕のパートナーUSACO、いつも大切なことに気付かせてくれて感謝している…

追憶の線路を求めて ~廃線探訪 島原鉄道南線編~

追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編、その1~
追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編、その2~

追憶の線路を求めて ~再び走る日は来るか 小坂製錬小坂線編~

追憶の線路を求めて ~レールバスとあそぼう! 想い出の南部縦貫鉄道編~


人の想い出の中にあるそれは、決して消えない。そして、語り継がれる。

追憶の線路を求めて 終


小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
天燈茶房TENDANCAFE/mitsuto1976は
2010年6月の地球帰還を目指す日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています


はやぶさ2・はやぶさマーク2 ‐はやぶさまとめ‐
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アポロの残像

2008-05-21 | 宇宙
アポロ15号が月の「雨の海」のアペニン山脈とハドリー渓谷の間にある台地に着陸したのは、
1971年7月30日のことだったそうです。

月周回衛星「かぐや(SELENE)」の地形カメラによるアポロ15号の噴射跡の確認について(JAXAプレスリリース)

昔読んだ、子供向けの宇宙科学の本に「将来、月面に残されたアポロ着陸船の発射跡は月の史跡になるだろう」と書かれていたっけ。
人類が、「静かの海」に残された“一人の人間の小さな一歩”を目にする日は、いつか来るのだろうか…

そして、月以外の天体から離陸した最初の宇宙船は今も地球に向けて旅を続ける。
小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
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追憶の線路を求めて ~レールバスとあそぼう! 想い出の南部縦貫鉄道編~

2008-05-20 | 鉄道
写真:七戸駅の腕木式信号機とレールバス

平成20年のゴールデンウィーク休暇、USACOと一緒に十和田湖や奥入瀬渓流白神山地の散策を堪能し、ついでに眠りについた小坂鉄道を訪問した僕は、5月2日に青森県八戸市内に移動して一泊、翌3日に青森県上北郡七戸町へと向かった。
七戸には、かわいいレールバスが待っている。

「七戸へ、レールバスに会いに行こう!レールバスとあそぼう!」

↓七戸の場所はここ


かつて平成9年の春まで、七戸と下北半島の付け根の野辺地との間、約20キロを結んでいた小さなローカル私鉄、南部縦貫鉄道。
国鉄の東北本線のルートから外れてしまった南部地方を文字通り「縦貫」し、この地で採掘される砂鉄を輸送すべく昭和37年に開業した鉄道なのだが、この鉄道の名物だったのが「元祖レールバス」。
南部縦貫鉄道はもともと貨物輸送を目論んで建設された鉄道なので、旅客需要が殆ど見込めないまま開業にこぎつけた関係で、なんとバスの車体にタイヤの代わりにそのまま車輪を履かせただけという車輌が用意されたのだ。
レールの上を走るバスだから、名づけて「レールバス」。

昭和の香り漂う丸っこい小さな車体を揺さぶりながらトコトコ走るレールバスは、その愛嬌たっぷりの姿から乗客や鉄道職員に親しまれた。
そして南部縦貫鉄道沿線ののんびりした雰囲気と可愛いレールバスに魅了されて、この地に足繁く通う「レールバスファン」もいたのである。

…そんな僕もまた、大学に入った年の夏休みに初めて出会ったレールバスがすっかり気に入ってしまい、以来毎年の長期休暇には「青春18きっぷ」を握り締め、熊本県から2日かけて鈍行列車を乗り継いで南部縦貫鉄道に通ったものだ。
現役時代のレールバスは、JRの東北本線野辺地駅の片隅、防雪林の中にあった小さなプラットホームにちょこんと停まってお客さんが来るのを待っていた。でも、乗り込むのは大抵僕一人だけ。狭い車内で車掌さんと向かい合わせに座って、八甲田山を遠くに望む田園をガタゴト走るレールバスの夏休み。車窓は林の中の坂道を駆け上がったり駆け下りたり、春には八甲田の雪解け水を流すであろう河を渡ったり、牧場で競走馬と追いかけっこをしたり。
終点の七戸に着いたら、レールバスは2時間後の折り返し発車までプラットホームで昼寝していたっけ。

僕が大学を卒業する年の春、南部縦貫鉄道は運行を休止し、レールバスも機関庫に納められ眠りについた。
その後、南部縦貫鉄道は運行再開することなくそのまま廃止が決定してしまい、レールバスとももう会えなくなるのかなと思われた。

しかし、レールバスは生き続けた。
レールバスを愛する人たちが集まり、手弁当で保守整備を行っているのだ。
現在、「南部縦貫レールバス愛好会」の皆さんの手でレールバスや南部縦貫鉄道で走った車輌達の修繕と七戸駅構内の整備が行われており、また年に1回、ゴールデンウィークの時期には実際に七戸駅構内に残された数百メートルの線路を走るレールバスに体験乗車することも出来るイベントも実施されている。
お陰さまで、南部縦貫鉄道がなくなった今でも、レールバスには1年に1回会いに行ける。そして、乗ることも出来る。

「南部縦貫レールバス愛好会」の情報はこちら。

おがえもん.com


さあ、レールバスに会いに行こう!



平成20年5月3日

七戸駅に到着した僕とUSACOを出迎えてくれたレールバス、キハ10。ちょうど機関庫の扉が開いたところで、懐かしい軽快なエンジン音(そう、バスそのもののエンジン音だ)をたててレールバスが飛び出してきた。
「ああ、また会えた!元気そうで何より、こんにちはレールバス!」




2輌のレールバス兄弟に続いて、機関庫の奥から凄い形相の機関車が出てきた。
これぞ、冬季の豪雪と闘う南部縦貫鉄道の縁の下の力持ち、除雪機関車DB11。レールバスより小さい身体に大きなラッセルヘッドを着けて、レールバスを助けて頑張り続けた機関車だ。


仲良く並ぶレールバスと除雪機関車。




勢揃いした南部縦貫鉄道の小さな仲間達。


早速、七戸駅構内を走行して軽く足慣らし。


イベント初日の今日は「鉄道ファン向けの企画」ということで車輌展示と撮影のみで、残念ながら走るレールバスに体験乗車することは出来ないのだが、プラットホームに停まっているレールバスの車内に入ることが出来た。


たんぽぽの咲くプラットホームからレールバスに乗り込む。


小さな車体の狭い車内に入ると、想い出が甦る。
このシートに座って、レールバスの豪快な揺れに投げ出されないように足を踏ん張って、初めて見る北国の景色を眺めたっけ…
独りで旅に出た、見るものすべてが新鮮だった、レールバスで旅したあの年の夏休み、今でも昨日のことのように思えてならない…


こちら、運転席の足元。
クラッチペダルと、右側の床にあるのはシフトレバーの差込口だ。
ハンドルこそないものの、運転席も殆どバスそのものなのだ。
ちなみに「ダブルクラッチ」と呼ばれる旧式のクラッチなので運転には職人的テクニックが必要で、熟練した運転士さんでないと上手く走らせられないとか。


運転席窓上に輝く「富士重工 昭和37年」のメーカーズプレートと、鉄道友の会から贈られたエバーグリーン賞のエンブレム。
このレールバス、スバルの富士重工が「バスの部品で鉄道車輌をつくる」というコンセプトを世に問うた意欲作なのである。
エバーグリーン賞はレールバスを永く大切に走らせてきた南部縦貫鉄道の功績を称えるもの。奇しくも運転休止の直前に贈与されている。

お昼近くなってきたので、ちょっと一休み。
今日は普段閉鎖されている旧駅舎の建物も開放され、中にはレールバスグッズの売店や地元商店の出店が営業中。
そんなレールバスイベントで、僕がひそかに楽しみにしているのがこれ、「けいらん」。


ダシの効いたにゅうめんの中にあんこの詰まった白玉だんごを入れたという、ちょっと考えられないような料理なのだが、これが実に…癖になる味なのだ。
甘いんだか辛いんだかよく分からない不思議な食感はUSACOもお気に入りのようで、今日は七戸に来るなり「けいらん食べたい!」と言ってたなぁ。。。
という訳で、お昼ごはんにはお待ちかねの「けいらん」を頂きま~す。


早速だし汁の中の白玉だんごを頬張っているUSACOを横目に、僕は「けいらん」の写真撮影。
と、改札口の隣で豆菓子を売っていたお店の方が「良かったらこれ敷いて下さい」と綺麗な布を貸して下さいました。おお、ありがとうございます!
「私も、よく旅行先で名物の食べ物の写真撮ってブログに載せるんですよ~」とのこと。
という訳で、紅い敷物が眼にも鮮やかな、これが南部地方の郷土料理「けいらん」です。
僕の家の隣町も白玉粉の名産地なんだけど、熊本にはこういう料理はないな。帰ったら再現してみようかな?


「けいらん」や駅事務室で煮込まれたカレーライスを食べてすっかり満足。
腹ごなしに駅舎の裏を散歩していると、開け放たれた機関庫の裏口越しに覗くこの車輌は…
早速、機関庫内に入り込んで見てみると…


機関庫の奥に鎮座ましますこの車輌、レールバスより大きい本格的なディーゼルカー「キハ104」だ。
元は国鉄から譲り受けたキハ10形気動車で、島原鉄道南線のファイナルランで乗車したキハ20形の先輩にあたり、デザインもよく似ている。
キハ104の隣にいる機関車は、南部縦貫鉄道の本来の主役だった貨物列車を牽いていたDD451型。さらにその奥には予備の機関車だったDC251型がいる。

キハ104は現在整備中なので庫外に出ることは出来ないが、エンジンをかけた状態で機関庫内で展示されていた。
2輌の機関車達はまだ充分な整備が行われておらず、エンジンをかけることが出来ない状態だが、いずれはこれらの車輌も元気に外を走れるようになればいいね。


キハ104の車内に乗せてもらった。
座席が一回り小さくて独特の雰囲気だけど、やはりどこか島原鉄道のキハ20を思い出す。
キハ104は現在、腐食の激しい床板を張り替える改修作業中で、愛好会の皆さんが手作業で少しずつ床を張り替えている。いずれは車輌全体を改修して、イベントでも乗車できるようにしたいとのことなので楽しみ。
それにこの車輌、僕が初めて南部縦貫鉄道のレールバスに乗って七戸駅に来た時に改札口前の側線に「納涼ビール列車」の準備をして留置されていたのが印象に残っているんだ。いつかまた七戸駅構内でキハ104のビール列車やれないかなぁ!


午後には、レールバスを七戸駅構内の各「撮影ポイント」に移動させての撮影大会。
まずは、危うく鉄くずになるところを愛好会メンバーの手で救出され、再び建立されて見事に復活した腕木式信号機と並ぶレールバス。
みんなの手で守られているレールバスと南部縦貫鉄道のシンボルのような一コマ。


続いて、七戸駅の構内出口付近、かつて野辺地方面へと続く線路が延びていた辺りの車止め、桜の木の下で。
この桜が今の時期に満開になって素晴らしい絵になる筈だったポイントなのだが、今年は桜前線の北上が異常に早く、既に桜の花は散ってしまっているのが残念。
ちなみに、この辺りの線路の再敷設工事も愛好会の皆さんの手作業によるもの。
皆さんの頑張りには本当に頭が下がります。




撮影会が終了したところで、レールバスは機関庫に戻ります。

レールバスと一緒に過ごせて、楽しい1日でした。さあ、明日からはいよいよイベントの本番、レールバスの体験乗車だ!
鉄道車輌なのにクラッチを踏んでシフトレバーを切り替える貴重な機械変速式走行の職人技と、その愛くるしい外観とは似つかわしくない豪快な走りっぷり(とにかくよく揺れるんだよ、レールバスは…それがまた楽しいんだけど)を堪能するぞ!
…といきたいところなのだが、あろうことか僕達はこれで七戸を後に東京へと戻らなくてはならない。これから九州熊本へと帰らなければならない関係で、どうしても今日中に七戸を出発しなくてはならないのだ。
「ああ~帰りたくないよー!レールバスに乗りたいよー!!」と泣きたい気分だったが、仕方がない。
「必ず、また来るぞ!レールバスに乗るぞ!」と心に誓って、イベント会場で販売されたレールバスグッズ、復刻版の南部縦貫鉄道開通記念パンフレットとレールバスチーズ南部せんべいとレールバス金太郎飴を土産に陽の傾きかけた七戸を後にしたのだった。


バイバイ、レールバス。また一緒にあそぼうね。


「南部縦貫レールバス愛好会」の皆さん、楽しいイベントありがとうございました

追憶の線路を求めて ~エピローグ 去り往くものたちへ~ に続く


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追憶の線路を求めて ~再び走る日は来るか 小坂製錬小坂線編~

2008-05-17 | 鉄道
写真:小坂駅から伸びる線路はまだ生きている 休止線に復活の日は来るのだろうか

平成20年のゴールデンウィーク休暇、長崎県の島原鉄道南線の廃線跡を探訪した後、寝台特急「はやぶさ」に乗って東京へやって来た僕は、相次ぐ列車の延着トラブルに見舞われるもののどうにかパートナーのUSACOと合流、都内某所に潜伏した。
そして数日間の休息後、更なる強行軍に備えて支度を整えた僕とUSACOはクルマで高速道路を北上、南部縦貫鉄道のレールバスに会うべく青森県を目指した。

せっかく青森まで行くのだからと、レールバスに会えるイベント当日までの間に十和田湖や奥入瀬渓流、それに世界遺産の白神山地の入り口と、あちこちを見て走り回ったのだが、これは十和田湖から白神山地を目指して走った行程の途中で出会ったちいさな想い出話。



宿泊した十和田湖畔のホテルを出るとき、カーナビに「白神山地世界遺産センター」の住所を打ち込み、そのまま指示に従って走っていたら、道路標識に聞き覚えのある地名が現れた。

秋田県小坂町。

いや、実のところ十和田湖畔のホテルの住所も小坂町内だったのだが、今走ってるここは小坂の中心部らしい。
小坂町は明治時代から銅や亜鉛や鉛の生産を行った小坂鉱山によって近代的なインフラ整備が進められたという歴史を持つところで、壮麗なルネッサンス風建築様式の小坂鉱山事務所や国指定重要文化財である日本最古の現役木造芝居小屋「康楽館」などの近代化遺産建築群が今も残る(余談だが、天燈茶房亭主の住む熊本県の北部、山鹿市にも江戸時代の伝統的な様式で建てられた国指定重要文化財の芝居小屋「八千代座」がある。ちょっと調べてみたら、どちらも同じ明治43(1910)年に建てられている。奇しくも同年はハレー彗星が前々回に地球接近して肉眼でも観測された年でもある。…閑話休題)。

そして、そんな小坂の鉱山から産出される鉱石製品を運び出す為に建設されたのが、小坂と、奥羽本線との接続駅である大館との間を結ぶ鉄道、小坂製錬小坂線である。

小坂鉱山からの鉱石輸送はその後トラックに移管されてしまったが、鉱石製錬時の副産物である「濃硫酸」を安全に輸送する為に、小坂鉄道ではタンク車による貨物列車の運転が続けられた。
しかし、精錬所が濃硫酸を産出しない新設備を導入したことから唯一の積荷も無くなってしまい、今年3月12日を持って小坂鉄道は列車運行を終了。同17日付けで小坂製錬は国土交通省東北運輸局に今後1年間の鉄道事業休止の申請を提出した。

つまり、現時点では小坂鉄道はまだ廃止されてはいない。小坂から大館までの22.3キロの線路は、1年間の眠りについただけだ。
とはいえ、それは二度とこのまま覚めることのない、1年後の休止期間終了と同時の廃止を前提とした休止であると思われた…


平成20年5月1日

カーナビに指示されるままに小坂の町なかを走っていた僕は、一時停止の標識の左手に見えた建物に思わずブレーキを踏んでクルマを路肩に停車した。
「小坂駅だ…今でも駅舎が残っていたんだ!」
思わず僕は助手席のUSACOに叫んだ。「ここが小坂鉄道の小坂駅だよ!何年ぶりだろう、ここに来るのは?」

実は僕は、小坂鉄道に乗ったことがある。

小坂鉄道は平成6年の秋までは旅客列車の運行も行っていた。
当時、大学生だった僕は学校が長期休暇に入るたびに青春18きっぷで北を目指す旅に出ていた。そんなある年の夏休み、北海道で思う存分「乗り鉄」した帰り道に、僕は大館駅で途中下車して、利用者減少に伴う赤字よる廃止を目前にした小坂鉄道の旅客列車のディーゼルカーに乗って小坂まで1往復した。
ということは、今から14年前か、小坂鉄道に乗ってここに来たのは。

8月の終わり頃、残暑厳しい日。
降り立ったJR大館駅の駅舎を出て炎天下を歩き、貨物ターミナルの一角にあった小坂鉄道の駅から窓の大きな独特なスタイルの小坂鉄道のディーゼルカーに乗車。
車内は名残り乗車する人で満席。
終着駅の小坂では駅の写真を撮っただけで、すぐに折り返すディーゼルカーに乗ってとんぼ返り。
大館までの帰り道、開け放たれた窓から蛾が飛び込んできて、暫く座席の背もたれにとまってバタバタ羽ばたいていた…
窓の外は、うんざりするほどの午後の陽光と深い木立…
それだけしか憶えていない。

そんな断片的な印象しか憶えていないのに、不思議と僕は小坂駅の旧駅舎を見ただけで「以前ここに来たことがある」と直感できた。
でも、その時ここで何を見て何を感じたか、何を思ったかといったことは全く思い出せなかった。



駅舎の中を覗き込んでみる。
旅客営業が廃止された当時そのままの姿をとどめているようだ。
今から14年前の夏、僕はあの窓口で大館駅までの帰りのきっぷを買った筈だ。


駅舎の脇から、駅構内を覗いてみる。
側線が何本も引かれ、入れ換え用の動力車らしきものがポツンと停まっているのが見えるが、人の気配はない。
構内の奥に見える白いタンクは、貨物列車の積荷の濃硫酸タンクか。


線路を挟んで駅舎の向かい側に車庫があり、中に赤いディーゼル機関車が入っているのが見える。
車庫の前には、屹立する腕木信号機。
小坂鉄道は最後までクラシカルな腕木信号が現役だったことでも有名だったのだ。


駅構内の奥の方に、タンク車が留置されているのが見える。
濃硫酸輸送貨物列車の運行終了後、タンク車はすべて廃車回送されたと聞いていたが、小坂駅に残るあのタンク車は今後どうなるのだろう?


小坂駅を出たところにある踏み切りは、遮断棹を抜かれた上に踏み切り装置そのものを簀巻きにされている。
駅構内へと向かう線路には柵と立入禁止の札が…


廃止された島原鉄道南線の踏み切り跡が、殆どそのままの姿で残っているのに対して、小坂鉄道の踏み切りはまだ休止扱いなのに徹底的に道路からその痕跡を消し去ろうとしているかのような印象さえ受ける。


「この線路を走る列車に乗って、ここに来たことがあるんだ。でも、よく思い出せないんだ…
確かにあったことなのに、それを忘れてしまうというのは悲しいね。
それに、今となってはもう新しい思い出をつくることも出来ないんだ。すべてはもう手遅れなんだよ…」

周辺の散策から戻ってきたUSACOに「そろそろ行こう」と促され、僕はクルマに乗り込み小坂駅を後にした。


白神山地を目指すカーナビは、このまま小坂鉄道に沿って大館まで行けと指示している。
かくして図らずも、小坂鉄道の休止線を辿るドライブとなってしまった。
大館までの道路に寄り添うように、小坂鉄道が見える。「ああ、あの年の夏休みに僕は、ここを通って小坂まで走っていったんだなぁ」と思う。

「mitsutoはいつでも、過去ばかり見ているのね」
不意にUSACOから話し掛けられた。
「ブルートレインの『はやぶさ』もそうだけど、なくなるのを悲しがって追いかけてばかりじゃない。
いつもそうよ。
なくなってしまう過去じゃなくて、もっと今と、これからを考えても良さそうなものじゃない…」
「それはそうだけど…」不意をつかれて慌てる僕に、USACOは言った。

「なんだか、なくなるものを有難がってるみたい。それに、それを悦んでるみたい。」

僕は、二の句が継げなかった。

「それを言われると…何も云えん。」
でも、僕は分かっているのだよUSACO、君の言いたいことは。
たまにしか会えないのに、会ってもいつも趣味に夢中になってばかりいたからね。
「ごめん。それから、旅に着いてきてくれてありがとう」
僕は、助手席でふくれっ面をしているパートナーに、心の中で呟いた。
「本当は小坂鉄道に一緒に乗りたかったんだ。今となっては、それも叶わないことなんだけど。
小坂鉄道の夏休みの思い出を共有することはできないから、だから余計に悲しかったんだ…」

クルマは大館市内に入った。ここまでずっと並走してきた小坂鉄道は住宅地に紛れて見えなくなった。
「さようなら、小坂鉄道。二度と目覚めぬ、消え往く線路。
さようなら、あの日の夏休みの想い出…」

さあ、世界遺産の白神山地に行こう!USACOは以前、行ったことがあるんだろう?いろいろ案内してくれないかな?


小坂駅の駅舎内に残されていた「鉄道の日」イベントのヘッドマーク

後日談:
東北の旅を終えて帰宅した僕は、小坂鉄道のその後についてネットで調べてみたのだが、思わぬことが分かった。
秋田の地元紙秋田魁新報社の5月1日付けの「地方点描」によると、なんと、地元に小坂鉄道復活の動きがあるのだ。

「鉄道は小坂鉱山を支えた産業遺産。簡単になくしてしまっていいものか。」と、小坂町産業課の方が立ち上がったのだ。
小坂町は既に鉄道専門のコンサルティング会社などとともに、旅客運行の可能性などを探る調査に動きだしたという(さきがけon The Web 地方点描より)。
小坂鉄道が休止期間を延長するか或いはこのまま廃止するかの結論を出す今年9月頃までに、残された期間はあと4ヶ月ほど。
時間もなく、具体的な計画もまだなにも見えない状態で、ある意味無謀としか思えない話だが、小坂町産業課の担当者は悪あがき承知の情熱を持って小坂鉄道復活の計画に取り組んでいるという。

正直、小坂鉄道の復活はかなり難しいと思う。
何しろ、14年も前に一度、赤字に耐えられず旅客営業を廃止している鉄道なのだ。
ただ鉄道を復活させただけでは、その後の経営が成り立つとは考えられない。これまで鉄道なしでやってきた地元住人が、いきなり鉄道回帰することは有り得まい。
観光と絡めて考えても、小坂鉄道は一大観光拠点である十和田湖までは到達していない。

それでも、無理だと決め付けてしまいたくはない。
無謀としか思えないことでも、地元には小坂鉄道をこのまま失いたくはないと考え、情熱を持って復活に取り組む人がいる。
そのことが、僕は嬉しい。
旅客営業廃止直前に一度訪れただけの、秋田県とは縁も所縁もない九州在住の一鉄道好きに、そんな偉そうなことを言える資格はないが、それでも僕は小坂町の鉄道復活に向けた情熱を嬉しく、有難く思う。
この取り組みが秋までにどんな方向を見出すのか、九州の地から見守っていきたいと思う。

「もしも…もしも、小坂鉄道の列車にまた乗れる日が来たら、君を連れて一番列車に乗りに行きたいよUSACO。
有難迷惑かも知れないけど、その時は付き合ってくれないかな?このどうしようもない『鉄道オタク』にさ!」

追憶の線路を求めて ~レールバスとあそぼう! 想い出の南部縦貫鉄道編~ に続く


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追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編、その2~

2008-05-17 | 鉄道
写真:九州内で寝台特急「はやぶさ」を牽引する機関車ED76、連結器とヘッドマーク

追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編、その1~ からの続き

平成20年4月27日

窓から差し込む淡い朝の光に目を覚まし、時計を見ると午前5時を回っていた。「名古屋辺りかな…」と車窓を見やると、何だか様子が違う…「あれ?今JR西日本の新快速電車がいたような。ここは…米原!?」
その後、午前6時過ぎの「おはよう車内放送」で、昨夜岡山県内を走行中に先行の貨物列車が鹿をはねて緊急停車、その影響で現在1時間以上遅れて運行している旨の説明があった。
「あらら。。。まあ遅れてもその分長く乗っていられるから全然問題ないけど(USACOには待ってて貰おう)。でも鹿が可哀想だね。」
岐阜を過ぎた辺りで、朝陽が昇ってきた。


朝焼けの浜名湖を渡る。


越すに越されぬ大井川を駆け抜ける。


由比の海岸線で太平洋を見る。
朝の風光明媚な東海道を、浴衣姿でベッドに寝転んだまま、或いは通路に立って背筋を伸ばしてのんびりと景色を眺めながら過ごすことが出来るのもブルートレインの醍醐味。それに今日は1時間遅れているから、尚更ゆっくり出来るね。
新幹線や飛行機じゃ絶対こうはいかない!
寝台車での朝寝坊がしたくて「はやぶさ」に乗っている御仁は、僕以外にも必ず居られる筈。
「これで空が春霞じゃなくて、富士山が見えたら最高だったんだけどね。」


顔を洗いに行ったついでに、浴衣にスリッパ姿のままで列車内を遠征して最後尾の「通路ドアの展望デッキ」へ行ってみる。
長旅の一夜が明けたB寝台車内は適度にだらけた雰囲気だが、大きな通路窓から燦燦と降り注ぐ午前の陽射しが実に気持ち良い。


昨夜の門司駅で「はやぶさ」編成の後部に「富士」編成6輌が増結されたので、列車の最後尾までの距離が120メートルも遠くなっていて、揺れて足元が覚束ないので難儀しながら最後尾1号車に辿り着いたのと同時に「はやぶさ・富士」号は熱海駅を発車した。ここからはもう東京直通の近郊列車が行き交う区間で、終着駅東京も間近くなってきた。
列車は白糸川の鉄橋を渡り「初日の出の見える駅」として名高い根府川駅を通過し、海岸線に沿ってカーブの続く東海道本線をラストスパートする。


伊豆急下田行きのリゾート特急「スーパービュー踊り子」と擦れ違う。
「はやぶさ・富士」は九州から東京まで千数百キロを走破する超長距離列車なので、道中出会う列車も多種多様となるが、一晩の旅で幾つの列車と擦れ違うのだろう?
昨日はスタイリッシュなJR九州の特急列車を車窓に見て、今朝は首都圏と伊豆のリゾート地を結ぶ列車と擦れ違う。「日本列島を駆け抜けている」ということを実感させてくれる旅が出来るのもブルートレインだけ。そして、そんな楽しい旅が出来るのも今だけ。

車窓に住宅が増えてきた。
通勤電車が頻繁に行き交うようになり、終着駅東京が近いことを実感させてくれる。
僕もそろそろ浴衣を着替えて、列車を降りる準備をしよう。
「ああ、もう到着か…19時間の旅も好き勝手に過ごしていたらあっという間だったな。…まだ降りたくないなぁ。寝台車の中の別世界に、もっと浸っていたいよ。下界にはまだ戻りたくないなぁ…」

しかし列車はそんな思いを余所に走り続け、定刻から1時間少々の遅れのまま午前11時過ぎに東京駅の10番のりばプラットホームに滑り込んだ。


熊本から東京まで、1315キロを駆け抜ける夢の一夜は終わった。
まさに夢から覚める気分で、東京駅のホームに降り立つ。
僕を乗せてここまで走ってきた寝台車にありがとう。夜を徹しての旅、ご苦労様。
また一緒に旅をしようね。


東京駅10番のりばに掲げられた行き先案内には、現在東京駅から発車する2つの寝台特急…「はやぶさ・富士」と「サンライズ出雲・瀬戸」の終着駅である熊本、大分、出雲市、高松に加えて、先月廃止された寝台急行「銀河」の終着駅大阪の表示がそのまま残されていた。
来年の今頃、この案内表示の駅名は出雲市と高松だけになっているのか…


「はやぶさ・富士」編成は、一旦神田秋葉原方面へと引き上げて機関車付け替え(機回し)を行い、東京駅に再入線してから7時間後の折り返し九州に向けての出発に備えて品川の基地へと戻る。
それを見届けて、さあ僕もUSACOのところへと向かおう。
「寝台列車で来たから一晩待たせたのにその上1時間も遅れたから、きっと待ちくたびれて怒ってるだろうな…途中エキナカでお菓子と花でも買っていくか」
乗り換えのプラットホームへと歩き始めた僕はその時、伊東線での踏み切り事故で東海道線の列車が運転を打ち切り、列車が足止めを食らってダイヤが混乱しているという案内放送に気が付いた。
「あらら~。
…さっき擦れ違ったスーパービュー踊り子号は今頃立ち往生してるんじゃないかな、お気の毒様。
っていうか、僕も東京駅から動けないじゃないか!」

ゴメンUSACO…もう暫く待ってて…

追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編、その2~ 終

追憶の線路を求めて ~再び走る日は来るか 小坂製錬小坂線編~ に続く


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追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編、その1~

2008-05-15 | 鉄道
写真:熊本駅で出発を待つ寝台特急「はやぶさ」 東京まで1315キロ、18時間の旅が始まる

平成20年4月26日、
長崎県島原半島に追憶の線路を求めて、島原鉄道南線の廃線跡を辿った僕は、午後3時半に熊本駅に戻って来た。
これから寝台特急「はやぶさ」に乗り込み、東京で待つUSACOの許へと向かおうと思う。


上り42列車・東京行き寝台特別急行「はやぶさ」は始発駅の熊本をまだ陽も高い15:57に発車し、鹿児島・山陽・東海道本線という日本の大動脈を貫き終着駅東京まで1315.0kmを18時間1分かけて走破する。

「はやぶさ」は現在、大分と東京を結ぶ寝台特急「富士」と共に九州と東京を直通する唯一の夜行列車であり、最後に残された「九州ブルートレイン」として日々走り続けているが、格安な航空運賃や新幹線の高速化が原因で長期低落傾向が続き限界にまで減った乗客数と共に使用される車輌も既に製造後30年以上経過しており、収益が見込めない故に耐用年数を超えた車輌を新製して置き換えることも不可能なことから、今年度一杯での運行廃止が確実視されている。
実際「JR内部では廃止が決定している」との新聞報道もあり、まさに最後の1年を走る、去り往くブルートレインなのだ。

発車時刻の10分ほど前、鹿児島方面からヘッドマークを掲げた深紅のED76に牽かれて、「はやぶさ」編成が熊本駅の3番のりばに入線してきた。

熊本駅は目下、2011年の九州新幹線全線開業に向けた乗り入れ工事の真っ最中で、工事現場の只中にのりばがあるような雰囲気。
昼下がりのような陽射しの下に現れたブルートレインは、ひっきりなしに博多方面行きの新幹線接続特急「リレーつばめ」が発着する熊本駅の一角で他の列車の支障にならないように気を遣っているかのように慌しく出発準備を整える。
それでも、既に世間でも「ブルートレイン終焉近し」の報は知れ渡っているようで、僅かな停車時間の間にもプラットホームに据え付けられた「はやぶさ」の周りには記念撮影をする乗客や見送り客の人だかりが出来た。
「やっぱり、みんなブルートレインが好きなんだ」


僕も早速「はやぶさ」に乗り込む。
今回、僕が一晩過ごすのはB寝台の1人用個室「ソロ」。一般的な開放型の2段式B寝台と同じ寝台料金で個室が利用できるので、とても人気のあるタイプの寝台車だ。
個室寝台車の車内は通路に整然とドアが並び、ヨーロッパのコンパートメント式の車内と共通の、独特な雰囲気。


寝台券に記載された自分の部屋の番号を確かめ、自室のドアを開けると…


いきなり階段が現れる。
この「ソロ」個室車は改造車で、限られたスペースを可能な限り有効に使って部屋割りをするためにこのような特殊な構造になっているのだ。
ちなみにこの部屋は2階部屋で、両隣は1階部屋となっている。1階部屋と2階部屋が交互に組み合わされたような構造となることで、室内の空間を広く取ったまま定員を増やせるという設計の妙、鉄道技術屋さんの工夫の成せる業である。


頭をドア部の天井にぶつけないように気を付けて階段を昇って、「ソロ」室内に入る。


これが「ソロ」個室の2階部屋。
幅70センチのシングルベッドにはシーツと毛布、浴衣とスリッパとハンガーが用意され、あとはサイドテーブルがあるだけの簡素な室内だが、それでもしっかりとドアに鍵がかかる完全な個室構造になっている。車内検札時に自室の鍵が渡されるので、下車するまでの車中でのプライバシーとセキュリティーが完全に守られるのが何より有り難い。
個室床面の「標高」は相当高い位置にあるので、側壁がカーブを描き丸天井に続く部位に曲面ガラスの窓があり、見晴らしはかなり良い。
その分、天井が低くてベッドサイドでは立つことも出来ないが、ドアから続く階段で辛うじて立って身支度を整えること位は出来る。
決して広くはないのだが、窓と階段のおかげで意外なほど圧迫感がなく、居心地は悪くない。


どうです?これなら18時間の滞在も快適に過ごすことが出来そうでしょう?

自室に収まり、ベッドに腰を掛けて発車の時を待つ。
旅の始まりの高揚感を味わいながら、まさに至福のひと時だ。

定刻15:57、編成の先頭に立つ機関車ED76のどこか温かみのある汽笛一声が聞こえ、一瞬の静寂の後に軽い衝撃と共に列車は動き始める。
一夜の夢、ブルートレインの旅が今始まる。

「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴールを聴くと、ああブルートレインに乗っているんだなあ…という気分になる。
熊本駅を発車した車窓が新幹線工事真っ最中の工事現場なので、旅立ちを飾るには味気ないのは少々いただけないけどね。


「はやぶさ」は熊本を離れ、鹿児島本線を一路北上していく。
最後尾に連結された車輌の貫通扉窓からの眺めは、さながら展望車だ。
特急「リレーつばめ」で通るときに眺めるのとは一味違う「旅の風景」が流れ去ってゆく。


先頭の車輌、機関車側の貫通扉窓からは、この迫力の光景。
大出力モーターが唸りを上げ、6輌編成の列車を時速100キロで牽引する機関車ED76の奮闘を間近でじっくりと見ることが出来る。
鉄道ファンならずとも、機関車からのパワーが全身に伝わってくるような、誰しも少年のようにワクワクするであろう、ここは隠れた絶景ポイント。


自分の部屋に戻る前に、「はやぶさ」の車内を一回りしてみよう。
「はやぶさ」の編成は、2段式B寝台4輌とB寝台1人用個室「ソロ」1輌、それに最上級グレードのA寝台1人用個室「シングルデラックス」1輌で構成される6輌編成。すべて国鉄時代に製造された、車齢30年を超える古参の寝台車達である。

最先頭の12号車、機関車の次位に連結されているのは、2段式B寝台車「スハネフ14」形式。昭和46年から製造された、古参揃いの編成中でも大ベテランの寝台車である。
リノリウム張りの床と無味乾燥な化粧板で覆われた「国鉄臭」漂う室内インテリアが郷愁を誘う。
所謂「昭和の夜行列車」のイメージを、最も色濃く残す車輌であろう。


スハネフ14の客室。
向かい合わせに2段式の寝台が並ぶ、最も標準的なB寝台車のインテリアとなっている。清潔なシーツと毛布、スリッパとハンガーが用意されているのは「ソロ」個室と共通のサービス。

この車輌は落成当初は3段寝台だったものをその後2段に改造した関係で窓の天地が広くなっており(3段寝台だった頃は、昼間は上段の寝台を天井に跳ね上げられるようになっていたため)、昼間は燦燦と陽射しが差し込み開放感があって気持ちが良い。


同じくスハネフ14の、ホーローの洗面台。
ここで幾多の旅人が身支度を整えたであろう場所。

それにしても、これ程レトロな水周り設備が今なお現役であることに驚かされる。特に女性は、この洗面台を使うのは生理的に抵抗感があるだろうなぁ…
ブルートレインの設備の老朽化と放置が限界まで進んでいることの現われでもあり、やるせなさも感じる。


こちらはスハネフ14より1世代後、昭和50年代に入ってからの設計となる2段式B寝台車「オハネ15」形式の客室。
基本的な構造は同一だが、ベッドが固定式の2段寝台になった関係で窓の天地が狭くなっているのがお分かり頂けるだろうか?
「合理化」の名目で多少居住性を犠牲にしても設計の簡素化を進めてしまったという、ある意味これも実に国鉄らしい理念を感じる車輌ではある。


オハネ15の洗面台は、近年改装されたらしく水温調整ができる自動水栓になっていた。
このレベルなら、女性でも抵抗感無く使うことが出来るんではないだろうか。


こちらは、僕の乗車している「ソロ」個室車の洗面台。自動水栓に改装されているが、シンクのつくりが微妙に異なる。
「ソロ」はB寝台という位置づけなので、個室車といえども洗面台とトイレは共同だ。


これが、編成中で最もきれいだったB寝台車の洗面台。最近改装したばかりと見えて、真新しくて真っ白なので使い心地も良さそうだ。

このように洗面台に様々なバリエーションが存在するのは、限られた予算で車輌を保守するために「傷んだところから順番に手を入れている」せいで工事に統一性がないためだと思われる。


隣の車輌へと乗り移る際に通る連結部通路の幌は擦り減って穴が空いていた。
穴から線路が流れていくのが見える。それを見ているとやるせなくなる…


車内探訪の最後は、「ソロ」の隣に連結されているA寝台1人用個室「シングルデラックス」オロネ15形式。
日本国有鉄道が最後に新規製造した個室寝台車であり、紛れなく国鉄の最上級豪華寝台車として君臨してきた車輌である。
国鉄のJR化後は、乗客サービス改善の為に個室寝台車が多数登場しているが、かつてはこの国の鉄道では「個室」は限られた列車で限られた客層にのみ提供される特別なサービスだった時代があったのだ。
その「特別な車輌」を連結することを唯一許されたのが東京駅を発着し東海道本線を疾走する綺羅星の如きブルートレインたちであり、それはあの頃の鉄道少年達にとって「いつか、いつの日かあの個室寝台車に乗って遠くへ行くんだ!」という切望めいた夢の象徴だったのだ。

僕がこの「シングルデラックス」に初めて乗ったのは、確か大学2年生の頃。はたちの誕生日の前夜だったっけ。
大枚13350円を叩いてA寝台券を購入し、憧れのA寝台個室で20歳の誕生日を独りで祝い、自販機の缶ビールで乾杯したなぁ。

今日はA寝台券を所持していないので、どっしりとしたソファベッドと専用洗面台が備え付けられた木目張りの室内を見ることはできないが、それでもマホガニー調の重厚なドアが並ぶコンパートメント車の通路を歩くだけで思わず背筋がシャンと伸びるような思いがする。

来年の春までに、「はやぶさ」がなくなってしまうまでに、是非ともあと1回は乗りたい、また乗りたい…憧れのA寝台個室。


車内を見て回っているうちにも列車はどんどん九州を北上。
途中で後続のL特急「有明」に道を譲って小休止したりしながらも、熊本から3時間足らずで陽が沈みかけた九州最後の停車駅門司に到着した。
ここで「はやぶさ」は約30分の大休止。大分からやってくる盟友、寝台特急「富士」との連結作業に取り掛かる。
熊本から「はやぶさ」を牽引してきた九州島内専用の交流機関車ED76が切り離され、関門海底トンネル区間専用の防錆塗装で身を固めた交直流用機関車EF81が連結された「はやぶさ」編成は一旦ドアを閉めて門司駅の構内を退避し、「富士」の到着を待つ。


「はやぶさ」の引き揚げたプラットホームの隣線に到着した「富士」。
こちらからも直ちに機関車ED76が切り離され、「はやぶさ」との併合作業に取り掛かる。



「富士」の前部に、引き返してきた「はやぶさ」編成が連結される。
ここから先は「はやぶさ・富士」号としてひとつの列車となり、一路東京を目指し九州を離れる。


19:15、列車番号が上り2列車に変わった寝台特別急行「はやぶさ・富士」号は門司を発車。すぐに関門海底トンネルに突入して九州の地を後にする。

関門トンネルをくぐり本州に入ると、ブルートレインの車窓もすっかり夜の帳が下りる。
僅か7分で下関駅に到着。ここで1区間だけの牽引ながら九州と本州の橋渡しという大役を果たした機関車EF81を切り離し、東海道山陽本線用の大型電気機関車EF66が連結されると、後はもう唯ひたすら闇の底を切り裂く疾走が続くばかりだ。
食堂車があれば時折現れる瀬戸内の夜の海を愛でつつ一杯やりながら無聊を慰めるところだが、生憎と朝まで車内販売すらないしロビーなどのフリースペースもないのでおとなしく部屋に引っ込んでいるしかない。
それでも浴衣に着替えて「ソロ」個室で持込の寝酒を傾けながら誰にも気兼ねなく夜の旅を楽しむうち、いつしか眠気に誘われるままにベッドに横になり、曲面窓から星空を眺めるうちに夢の中に入ってしまった。

夢うつつに機関車EF66の哀しげな甲高い汽笛が聞こえ、山口、広島、岡山と続く山陽区間各都市の駅に停車する度に微かな衝撃と窓下のプラットホームからの喧騒が枕越しに伝わってくる気がしたが、それも夢の中の出来事と判然としなくなり、深い眠りに落ちていった。

追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編、その2~に続く


小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
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2010年6月の地球帰還を目指す日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています


はやぶさ2・はやぶさマーク2 ‐はやぶさまとめ‐
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お手柄、きずなちゃん

2008-05-13 | 宇宙
きずなちゃん/提供:JAXA

“きずなちゃん”こと超高速インターネット衛星「きずな」(WINDS)が頑張ってます!

超高速インターネット衛星「きずな」(WINDS)による世界最高速1.2Gbpsの衛星データ通信の成功について(JAXAプレスリリース)

やっぱり、打ち上げを見送った衛星が宇宙で活躍する様子を見ることが出来るのはいいねぇ。
搭載している通信機器の電源が自動オフになるという不明事象が発生してるのが少し心配だけど、幸い大事には至らない程度で済んでるみたい。

超高速インターネット衛星「きずな」(WINDS)搭載通信機器の自動電源オフについて(JAXAプレスリリース)

ところで次のH-IIAロケットは、今年度中に温室効果ガス観測技術衛星(GOSAT)の打ち上げが予定されている模様。
今度こそ、種子島の長谷展望公園でH-IIAのリフトオフを見守りたいものだ。
ついでに…長谷から西之表までのナイトハイクにも再挑戦したい気分。

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追憶の線路を求めて ~廃線探訪 島原鉄道南線編~

2008-05-12 | 鉄道
写真:廃止から1ヶ月経過し、赤錆の浮き始めた島原鉄道南線の線路

平成20年4月26日

今日からゴールデンウィーク休暇なので、青森県七戸まで「レールバス」に会いに行こうかなと思う。
平成9年に運行休止され、その後廃止された青森県の野辺地と七戸を結ぶ「南部縦貫鉄道」で走っていた、バス用の部品で作られた小さくて可愛らしい「レールバス」。鉄道廃止後も「レールバス愛好会」有志の方々の手で保存・保守され、年に1回乗車イベントが行われる南部縦貫鉄道のレールバス、ここ数年は乗りに行っていないので久し振りに会いたくなったのだ。

とりあえず、今夜の東京行き寝台特急「はやぶさ」の予約を取っているが、「はやぶさ」の熊本発車時刻は15:57。せっかくの休暇初日に、夕方まで何もしないで夜行列車の出発を待っているのもつまらない。
「そうだ!先月廃止された島原鉄道南線のその後の様子を見て来よう!」


という訳で、早朝6時半に鹿児島本線の普通列車に乗って熊本駅へと向かう。
熊本駅到着前に、前面かぶりつきの車窓にチラリと見えた熊本車両センターの一隅に待機しているこの編成は、3月に廃止された熊本と京都を結んでいた寝台特急「なは」として使われていた車輌。
「なは」ファイナルランの夜に僕が乗車した個室寝台車「ソロ」や「デュエット」を抜いて、2段式B寝台車と電源車だけのシンプルな編成に組み直されている模様。

折りしも明日(4月27日)、この「元・なは編成」は九州鉄道記念館開館5周年と北九州市制45周年記念の臨時列車として、門司港から日田彦山線経由で久大本線の豊後森まで走行する予定になっている。
現役時代の「なは」とは全然関係ない区間での運行だが、これが事実上最後の花道となり、そのまま廃車・解体されるのだろうと思う。
「いよいよ本当に最期か…明日はいい旅を!ありがとう、『なは』。」

熊本駅前のバス停から熊本港行きのバスに乗り、島原外港行きの九商フェリーに乗船。
先月まで、島原鉄道南線に乗る為に何度も通い慣れたルートを辿って、有明海の対岸の島原半島を目指す。
島原外港フェリーターミナルに着いても、今日は今までのように横断歩道を2つ渡って島原鉄道の島原外港駅へは向かわず、ターミナル前のバス停から島原鉄道バスに乗り込む。


島原鉄道南線廃止後、その後を引き継ぎ国道251号線を走る島原鉄道バスの車窓には、南線の遺構が見え隠れする。尤も、廃止からまだひと月も経っていないので、見た目は現役の鉄道路線と変わらない。


島原外港から乗車した島鉄バスは南線の終点加津佐へは行かず、途中の須川港が終点。
南線の西有家駅跡地近くで線路を渡り、バスは鄙びた海沿いの集落を走る。




終点の須川港は海風の吹き付ける漁港だった。

「風が強くなってきたな…帰りの熊本港行きフェリー航路が休航しないといいけれど…」

漁村の中を歩いて、島原鉄道南線沿いの国道251号線へと戻る。
さっきバスが渡った踏み切りは、南線終焉の夜に僕が歩いた35.3キロの野辺送りの途中で小休止して写真を撮ったまさにその場所だった。



遮断棹が抜かれ、警報機が簀巻きにされた踏み切りは廃止の夜から変わっていない。
線路も変わらず敷かれたままで、まるであの夜から時間が静止したままのような、島原鉄道南線のその後の姿。


しかし、線路に近づいてよく見てみると既にレールの表面には赤錆が浮き始めている。
運行が行われ列車が行き来し「生きている」鉄道なら、例え列車の本数が極度に少なく土砂や草に埋もれていても、レールの表面は鈍くとも必ず光っている。
光を失ったレールは、この鉄道が確実に過去のものになってしまったという事実を、静かにそして残酷に物語っているようだった。


せっかくなので、少し線路を歩いてみた。
有明海沿いのとても景色が良くて気持ちがいい区間なので、晴れていれば快適なウォーキング…の筈なのだが、どんより曇った空と容赦なく吹き付ける海風のせいで「南線四十九日の葬列」というような雰囲気になってきて気が滅入る。
「やっぱり、鉄道は『列車が走っててナンボ、乗ってナンボ』だな。廃線跡歩きは寂しいよ…」




足許に注意して、歩くこと暫し。駅が見えてきた。
「ここは…龍石駅か。ここにも野辺送りの夜に立ち寄ったなぁ!」






「ここも最期の夜から何も変わってないね。」
本当に今にもキハ20がエンジン音を響かせながら到着しそうな、そしてそれが却って哀しい海沿いの廃駅。

駅前のバス停から島鉄バスに乗り、南線の終点だった加津佐駅跡を目指す。
バスの終点は「加津佐海水浴場前」だが、そこはまさに加津佐駅の駅前。加津佐は海水浴場の目の前の駅だったのだ。




加津佐駅の駅舎は変わらずそこに建っていた。入り口のドアは施錠されていたが。
中を覗いてみると、やはりここにも「あの夜以来、静止したままの時間」。





駅の裏手にある海水浴場へと行ってみると、鉛の空の有明海からの海風と海鳴り、打ち寄せる波頭。
とてもじゃないが、ひねもす春の海という気分ではない。

この砂浜が夏の陽光と青く輝く海と、海水浴客の歓声に包まれる頃には、島原鉄道南線も夏草に覆われて野辺に還っているのだろうか…


春は名のみの海を見ていたら、何となく自分なりに気持ちの整理ができた気がしてきた。そろそろ加津佐を後にする。
駅前の海水浴場前バス停から島原市内行きの島鉄バスに乗って、今来た路を引き返す。
「しかし…案外と加津佐から島原までは遠いなぁ!我ながらよくもこんな道程を歩いたもんだ。。。」


口之津では天草航路のフェリーに接続。ここからフェリーに乗ると、先日USACO一緒に行った本渡近郊の鬼池港に行くことができます。
USACOは以前、この航路に乗ったことがあるそうな。「この辺の海は新鮮な鯛や平目が舞い踊ってるので有名なのよ~」とか言ってたなぁ。
「鯛や平目の舞い踊る生け作りか…そう云えば、僕の旅には御当地グルメを楽しむ要素が完全に抜け落ちてるなぁ…今日の昼飯も加津佐駅裏のコンビニで買ったコッペパンに海を見ながらかぶりついただけだし」
何か侘しいなあ。我ながら、いつもいつも男ひとりで孤独に歩きまわってるよ。やれやれ。。。







かくして35.3キロを再び辿り、ああバスは楽だなぁ歩かなくてもいいからなぁとか考えているうちに島原外港に戻ってきた。

幸い天候も回復し風も収まって、熊本港行きフェリーも支障なく通常運航しているので一安心。
ああよかった、これで予定通りに今夜のブルートレイン「はやぶさ」に乗ることが出来る。


熊本港行き便の出航まで少し時間があるので、横断歩道を2つ渡って島原鉄道の島原外港駅を見に行ってみた。


南線廃止以降、島原鉄道の終着駅になった島原外港駅。
今までずっと廃線となった南線の遺構ばかり見ていたので、生きている鉄道を見ると何だか嬉しい。
島原外港駅のプラットホームには、折り返し諫早行きの列車が停車していた。
驚いたことに、「下り 加津佐・有家方面のりば」の案内看板がそのまま残されている。
「事情を知らない人が見たら、今でも加津佐まで列車でいけると思うだろうな…」


加津佐まで続く線路も、車止めも何も置かれず、つながったままで残る。
本当に「その気になれば、このまま加津佐まで走っていけそう」な状態なのだ。

「運転士さん、ちょっと…今から、この黄色いキハで水無川の鉄橋を越えて、加津佐の海水浴場に冷たい春の海を見に行きませんか?
今ならまだ行けますよ、僕たった今見てきたんですよ…どうです?」

 …なんてね。


熊本港行きの超高速カーフェリー「オーシャンアロー」は、見る見る島原外港から離れていく。春霞の向こうに、すぐに普賢岳も見えなくなった。

遠ざかっていく島原半島を見やりながら、僕は想った。
島原鉄道がいつまで南線をこのままの状態で残しておくのかは分からないが、出来ることならば線路が夏草に覆われ土に埋もれ、少しずつ自然に還って往くのに任せて欲しいな、と。
島原半島南部を結び、人々の心をつないで走り続けた南線は、島原半島の土となりこの地の自然の一部となり、歴史になる。
そしていつまでも沿線の人々の心に語り継がれる。


それが郷土の鉄道の最期にふさわしいような、そんな気がしたんだ。

さようなら、島原鉄道南線。
僕は忘れない。かつてこの地に在り、そしてこれからも人々の心の中を永久に走り続ける35.3キロの鉄路を。
ありがとう…


追憶の線路を求めて ~廃線探訪 島原鉄道南線編~ 終

追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編~に続く



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自宅PCで、ハイビジョンで見る 「満地球の出」

2008-05-11 | 宇宙
画像提供:JAXA/NHK

ゴールデンウィークが明けてからというもの仕事に忙殺されてますが、そんな毎日の疲れとストレスを爽やかに月軌道の彼方に吹き飛ばしてくれる凄い映像がネットで届きました。
NHKが月探査機「かぐや」の取得した「地球の入り」「地球の出」のハイビジョン画像を、ネットで公開してくれています。
先日の深夜、草臥れて眠る前に巡回してて立ち寄った松浦晋也さんのL/Dで知りました。

かぐやハイビジョン映像のネット公開にあたって(松浦晋也のL/D 2008.05.09)

1280×720ピクセルの画像で見る、遥か月の上空から望む僕らの世界の姿。
今までは赤煉瓦の東京駅前のJAXA i か日本各地の科学館のイベントに行かないと拝めなかった高精細影像が、自宅PCで気軽に楽しめるようになったのだ。これは素直に有難い!
という訳で、ようやく1日フルに休める日曜日、朝からヘビーローテーションでリピート再生して見ています。

乾ききって荒涼とした月面の向こうから現れる瑞々しい碧い雫をみていると、「世界は美しいな」と思う。
実は、こんな美しい星に生きているんだなぁと嬉しくなる。
そしてちょっとだけ哀しくなる。

「ああ、何度見ても見飽きない!」

そう言えば、一昨日の5月9日は小惑星探査機「はやぶさ」の打ち上げから5年目の日だったなぁ…
まだ5年、もう5年。
5年の間に、「3機関統合」により宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発足し、「はやぶさ」を宇宙へと送り届けてくれた名機M-Vは去り、みんなで応援した「はやぶさ」の妹「はやぶさ2」はイタリアのロケットで旅立とうとしている(ベガ2段目テスト 「猫と惑星系」bbsawaさん、いつも最新情報の紹介ありがとうございます)。
そして「はやぶさ」の旅はまだ続く…

「はやぶさ、帰っておいで!」

はやぶさ君へのバースデーカード(JAXA宇宙科学研究本部)

バースデーカードを書いたら、カーネーションでも買いに行こうかな。
今日は「母の日」。

あ、そうそう。ゴールデンウィークの旅行記を早く書かなくちゃ。
書きたいことは山ほどありますが、自由にパソコンの前に座れる時間がないので悩ましい今日この頃、なのです。

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レールバスに会ってきました

2008-05-05 | 旅行
写真:南部縦貫鉄道の可愛いレールバス、五月晴れの青森県七戸町にて

ゴールデンウィークもそろそろ終わりですが、皆さん休日を楽しんでおられますでしょうか?
天燈茶房亭主は長崎県島原や秋田県小坂でこの春に消えた鉄道のその後を訪ね、青森県七戸で鉄道廃止後も生き残りみんなに愛されているレールバスに会う休暇旅行から先程帰宅しました。
昨夜乗車した熊本に向かう寝台特急「はやぶさ」が車輌不具合沿線火災と踏み切り事故?に巻き込まれるという受難の旅となりましたが、1時間以上遅れたけれど何とか終着駅に到着。

天燈茶房亭主は世間様より一足先に明日からお勤めなので、今夜は早めに休んで日常に備えたいと思います。
明日からまた頑張って、夏休みのきっぷ代を稼がなくちゃ。。。

明日以降、旅行記をボチボチまとめるつもりです。
気長にお付き合い下されば、幸いかと。

では今日はこれにて、御免下さいまし!!
天燈茶房 TENDANCAFE 亭主 mitsuto1976 拝

「はやぶさは強いんだ、故障や事故に負けずに終着駅を目指すぞ!
そして必ず到着するんだ!
鉄路の上と宇宙で、頑張れはやぶさ!!」

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さらに、はやぶさハプニング

2008-05-05 | 実況


青森県七戸からの長距離ドライブで疲れていたせいで、はやぶさでは予約してた個室に代わって割り当てられたB寝台2段ベッドの上段に潜り込んだ直後に意識が無くなり夢も見ないで熟睡。
一夜明けてそろそろ徳山かな?柳井駅積み込みの希少駅弁を買わないと…とかボンヤリ考えていると「只今、広島です。昨夜、大阪駅から元町駅のガード下で火災があり約1時間遅れて運行しています」あらら…
下のベッドに移って朝寝していたら、小倉駅を発車して暫くして急停車。「先行の快速電車が踏切で異音を聞いたので全列車が緊急停止しています」とのこと。
さて、いつになったらはやぶさ号は終着駅熊本に着くんでしょうか?