天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 9、ダマスカス市内へ

2009-08-30 | 旅行
ダマスカス・カイロ2009夏旅行 8、ダマスカス国際空港の前払いタクシーには要注意!からの続きです

空港のカウンターで手配した前払い制タクシー(実は極悪ぼったくりタクシーなのだが…)で、ダマスカス市内へと向かいます。

空港は砂漠というか荒野の只中にあるのですが、一直線の空港道路を時速100キロでぶっ飛ばせば市内までは30分ほどで到着。
道路が混み合ってきました。



ホテルでチェックインする際に、前払いで要求された宿泊費がバウチャーに記載されたUSドルの金額より多少高額になっているというゴタゴタがありましたが、よくよくホテルマンの話しを聞くと本来ユーロ建てになっている宿泊費を当日のレートでドルに換算した為に誤差が生じていたことが判明、理由が分かればホテルマンも代金の端数を負けてくれたりして結構親切。

 
これが、ダマスカスでの宿「Al Majed HOTEL」の部屋。ちゃんとメッカの方向を示す矢印がありますね。
日本のビジネスホテルより安い宿代でダブルベッドにバスタブ付きの部屋なので申し分ありませんが、如何せん窓がない「塗り籠め部屋」だぁ~
独りで部屋にこもってると鬱になるので、早速街へと繰り出します!


Al Majed HOTELはダマスカスの中心街の大通り「5月29日通り」から1本裏の路地というかなり便利なロケーションにあります。
5月29日通りをぶらぶら歩いてみました。夕暮れ時の都市の街角、行き交う人も多くて賑やかです。


5月29日通りの突き当たりはシリア中央銀行本店。
この付近は中央銀行ビルをはじめとして大通りに沿ってビルが建ち並び、近代的な風景です。
ここから左手に折れると、道は上り坂。
旧約聖書にも登場する(カインがアベルを殺した場所とされる)カシオン山へと続いています。

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 10、ダマスカスの夕暮れ散歩に続きます

地球への長く険しい道~HAYABUSA The Voyage Home~

2009-08-30 | 宇宙
写真:小惑星探査機「はやぶさ」の小惑星イトカワの地表サンプルを納めた回収カプセルの模型。
独特の形状から「中華鍋」と呼ばれる。
来年6月、この「中華鍋」の実物が真夜中のオーストラリア・ウーメラ砂漠に舞い降りる。


来年6月の地球帰還を目指し、今日も宇宙(そら)を独り旅し続ける“奇跡の宇宙船”小惑星探査機「はやぶさ」
実はこの夏休み、はやぶさ君にトラブルが発生していた…!?

JAXA/ISAS宇宙科学研究本部のサイトで毎週更新されている今週のはやぶさ君の2009年8月27日更新分によると、何と8月13日にはやぶさ君がセーフホールドモードに入っているのが発見されたという。
「はやぶさ」に何らかのトラブルが発生したのだ!

その後、夏休みを返上しての宇宙研はやぶさ運用チームの臼田さんによる情報収集と原因究明が行われた結果、
「はやぶさ君の姿勢を監視している機器にシングル・エラー・アップセット(SEU)が起こり、間違った情報を出し、これを異常だと判断した はやぶさ君がセーフホールドモードに移行した」ようだということが判明した。
その後、宇宙研の「軌道の魔術師」に率いられた軌道計算グループによって、セーフホールドモードに移行した際にはやぶさ君が勝手にイオンエンジンを止めてしまったことから誤差が生じてしまった軌道計画の修正に取り組み、「お盆の後半から一週間、検討に検討を重ねた結果」、
「はやぶさ君の新しい軌道計画が作られました。幸いにして、はやぶさ君は、予定通り地球に帰ってこられるはずです。」というのだ。

トラブルを見事に、何事も無かったかのように乗り越えてしまうはやぶさ運用チーム…
「はやぶさ」も充分過ぎるほど奇跡な宇宙機だが、それを支える運用チームも凄い、凄すぎる!

それにしても、僕がエジプトのカイロ市でパスポートを失い、「日本に帰るために」四苦八苦していたまさにその頃、宇宙と相模原キャンパスでははやぶさ君と運用チームの皆さんも「地球に帰るために」懸命の努力の日々を送っていたなんて…
つらい思いをして闘っていたのは僕だけじゃなかったんだなぁ…
おこがましいけれど、僕とはやぶさ君との因縁めいたものを感じてしまいますよ。

そんな訳で…

「同じように苦労を味わった旅人同士、僕の『はやぶさ』への想いはますます強くなった…
長旅を終えて故郷に帰って来る旅の仲間を出迎え、苦難の旅路を労い、心からの祝福を贈らずにはいられない…!
僕は、彼を出迎えに行きたい!会いに行きたい!!」

新しいパスポートを作ったら、最初に行く国はオーストラリア。
来年6月、僕は夜行長距離バスを乗り継いで真夜中のウーメラ砂漠に降り立ち、宇宙(そら)を見上げたい。

奇跡の宇宙船を、旅人を、友を出迎える。ただそれだけのために!!

平成21年11月26日 追記:関係者様のご迷惑となるかと思われますので、ウーメラへの渡航は自粛します。
経緯をこちらに記載しておりますのでご参照下さい。
そこへ行かずとも、我らの想いは届く… ~HAYABUSA The Voyage Home~
天燈茶房亭主 mitsuto1976 拝

映画「宇宙へ。」を観てきました

2009-08-30 | 映画・演劇・コンサートを観る
金曜夜のレイトショーで観てきました、
宇宙へ。



NASAの50年間の宇宙活動の、集大成ドキュメンタリーなんですが…
「ああ、やっぱり宇宙(そら)を目指すことって素晴らしい!!」と素直に感動。
宮迫博之の日本語版のナレーションも落ち着いてて違和感無かったし、ゴスペラーズの主題歌もいい感じ。



でも、やっぱりフォン・ブラウンのNASAと宿敵セルゲイ・コロリョフ率いるソ連との、月を目指すロケット野郎たちの熾烈な宇宙競争も描いて欲しかった…!

エンディング近く、朽ち果てたロケット打ち上げ施設をバックに語られるナレーションが珠玉。
「それでも、我々は宇宙を目指す!何故なら、僕らは、人類はまだ滅びたくないから!」と強く思わずにいられない。

「宇宙へ。」おススメです。
そのうちDVDにもなるでしょうが是非映画館で観てみて下さい。

九州新幹線工事進捗レポート2009-8:八代市鏡町・鏡川橋梁付近

2009-08-30 | 鉄道
随分お久し振りの、ご近所の九州新幹線工事進捗レポートです(写真は御馴染、熊本県八代市鏡町の鏡川橋梁)。
このところ特に目に見えた変化が無く、レポートできるネタが無かったのですが、遂に動きがありました!


架線が張られています!
但し、上り線側のみのようですね。
今のところ、八代郡氷川町付近から八代市千丁町辺りまでは既に上り線に架線が張られているようです。
また、防護壁も所々パネルが1枚増し積みされて高くなっています。



新品の架線は、銅の地金の色をしています。
文字通り「銅色」に輝いていますよ。

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 8、ダマスカス国際空港の前払いタクシーには要注意!

2009-08-27 | 旅行
ダマスカス・カイロ2009夏旅行 7、エジプト航空MS721便の機内食(エコノミー)からの続きです

午後5時、シリアの首都ダマスカスの空の玄関、ダマスカス国際空港に到着しました。
ダマスカス空港は首都の国際空港とは言え日本の地方空港程度の規模しかない小さな空港です。どことなく、僕の地元熊本の「阿蘇くまもと空港」にターミナルの雰囲気が似ています。


空港のロビーには巨大なアサド大統領の肖像が掲げられています。
大統領の肖像は、この後も街のいたるところで目にしました。公共の場には必ず飾られています。
アサド大統領はシリア国民からは絶大な支持を得ている世襲のカリスマ政治家(言い方を変えれば2代目の独裁者)だそうです。

さて、初めて訪れる国の空港に着いたら、先ずは銀行で両替して現地通貨を手に入れなくてはなりません。
ダマスカス空港の銀行は、ロビーの小さな詰め所の窓口に「BANK」とプリントしたコピー用紙が貼ってあるだけ。
しかも窓口のおっちゃんは「うん、すまない。ちょっと今、売り上げレシートをプリントしてるんで仕事出来ないんだ。あと10分してからまた来てくれ」とのこと。

現地通貨のシリアポンドが無いと、バスにもタクシーにも乗れません。
仕方がないので、BANKの前に座って待ちます。その間にも、両替待ちの行列が伸びる伸びる。
ロビーには待ちくたびれた子どもが座り込んで遊んでいます。
でも誰も「早くしろ!俺は急いでいるんだ!!」なんて怒り出したりしません。悠々と待ちます。
インシャアッラー…

30分後、やっと売り上げレシートのプリントが終わった窓口で手持ちのUSドルをシリアポンドに替えて(キャッシャーには1万円札も入っていたので、日本円からの両替も問題ないようです)、先ずはタクシーで空港から市内のホテルへと向かいます。
ここで海外旅行での毎度恒例の困った問題、「ぼったくりタクシー対策」を講じなくてはなりません。
空港で客待ちしているのは、メーターを使いたがらない、或いは最初からメーターが付いていないぼったくり前提の雲助タクシーばかりなので、必ず乗車前に運転手とキッチリ交渉して目的地までの料金をしっかり決めておくことが大事なのですが(乗車後に料金を決めようとすると、まあまず間違いなく運転手に強気に出られて泣く泣くぼったくられる羽目になる)、これが実に面倒臭い。
何しろ、こっちは長旅を終えて到着したばかりで疲れているから一刻も早くホテルで休みたいし、現地の物価もよく分からない。
そこで便利なのが、「プリペイド(前払い)タクシー」。市内の各地区毎に料金が決まっていて、乗車前にチケットを購入して利用する明朗会計のタクシーです。
「地球の歩き方 ヨルダン シリア レバノン」にも「交渉がわずらわしいときは、空港内にカウンターのある前払い制タクシーを利用するのもいい」とあったので、早速カウンターを探します。


空港ロビーの到着ゲート側の奥に前払い制タクシーのカウンターを発見。
早速、ダマスカス市内の予約してあるホテルの名を告げると、市内までの料金は1500ポンドとのこと。
何も考えずに言われるまま支払い、ホテルに到着してから気が付いたのですが、これはとんでもないぼったくり価格です!
やられた!!
「地球の歩き方」を読み返してみると、「空港から市内までのタクシー代の相場は500ポンド前後」とあります。
実に相場の3倍も取られた!!

警告!ダマスカス空港の前払い制タクシーのカウンターは外国人旅行者から平気でぼったくります!!
絶対に利用してはいけません!!


僕の隣でタクシーチケットを買っていた白人旅行者は
「ホテルの予約をしていないので、ホテルを紹介して連れて行ってくれ」とか言ってたけど、
彼はどんなホテルをあてがわれた挙句、タクシー代と合わせてどれだけぼったくられたのか気になる…

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 9、ダマスカス市内へに続きます

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 7、エジプト航空MS721便の機内食(エコノミー)

2009-08-27 | 旅行
ダマスカス・カイロ2009夏旅行 6、バスに乗ってエジプト考古学博物館へからの続きです

いよいよ旅の最終目的地、シリアの首都ダマスカスに向けてエジプトの首都カイロを飛び立ちます(余談ながら、かつてエジプトとシリアは1958年から1961年まで「アラブ連合共和国」という一つの国家を形成していた時期があったそうです。当時は互いに国境を接していない両国間を行き来する場合はパスポートの要らない「国内旅行」扱いになってたんでしょうかね?)。

ダマスカス行きエジプト航空MS721便。
機材はエアバスA320が使われています。小型機ですが国際線らしく、機内はビジネスクラスとエコノミークラスにきっちり等級分けされています。僕の席はもちろんエコノミーですが。

機体のホルス神(はやぶさ)の塗装が日本乗り入れ機とは違って明るく洒落たものになっていますね。

エジプトのカイロからシリアのダマスカスまでの飛行時間は僅か1時間半程度。
それでも、カイロ国際空港を午後3時半に飛び立ったダマスカス行きエジプト航空MS721便ではちゃんと機内食のサービスがあります。

ハム盛り合わせと、付け合せはきゅうりのぶつ切り。
ぶどうの葉の塩漬け?で包んだ香料の効いたライスと、これまた香辛料たっぷりのミートパイ。
オリーブの実。
何故か2個配られたパンと、デザートは激甘チョコケーキ。
紙パックのジュース。
いわゆるコールドミールですが、まさしく「さあ冷えたビールを飲め!ワインも合うぞ!」と言わんばかりの「おつまみメニュー」なのにムスリムの国エジプトのエアラインではアルコールのサービスが一切無いのが悲しい…

ハムをむしゃむしゃ食べているうちにも、MS721便は荒涼とした中東の地を飛び続けます。
  
砂漠、瓦礫の荒野、そして地中海…

午後5時、ダマスカス国際空港に着陸。
タッチダウンと同時に機内は乗客の拍手に包まれました(笑)素朴でいいなぁ~

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 8、ダマスカス国際空港の前払いタクシーには要注意!に続きます

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 6、バスに乗ってエジプト考古学博物館へ

2009-08-26 | 旅行
写真:エジプト国立考古学博物館正面玄関
ダマスカス・カイロ2009夏旅行 5、カイロに到着からの続きです

今日は午後3時のシリア・ダマスカス行きの飛行機に乗るまで待ち時間があるので、バスに乗ってカイロ市内の考古学博物館を見に行きます。
空港のバスターミナルにいた人たちに聞きまくって、どうにか見つけた市内ダウンタウン行き356番バスに乗って、空港から市内までは1時間足らずで到着。運賃は2エジプトポンド。
考古学博物館はダウンタウンのバスターミナルのすぐ隣にあります。


考古学博物館は午前9時開館ですが、開館時間より1時間も早く着いてしまいました。
でも、既に玄関前庭には世界各国からの観光客が集まっています。



いよいよ午前9時、空港の手荷物検査並みの厳重なチェックを済ませてから入館。入場料は60エジプトポンド、物価の安いエジプトでは破格の高価なり。
先ずは考古学博物館の誇るエジプトの至宝、2階の奥にある“ツタンカーメンの部屋”へ一目散!
団体ツアー客が大挙してやって来る一足先に、「黄金のマスク」を独り占めしてじっくり鑑賞します。
(※考古学博物館内は撮影厳禁の為、残念ながら写真でご紹介できません。悪しからず!)

ツタンカーメン関連以外にも、考古学博物館内には幾多の古代エジプトの遺物がそれこそ「物置に詰め込まれたように」ぎっしり展示されています。
丁寧に見て回ると、恐らく数日はかかるであろう凄まじい展示数です。
古代エジプトが好きな人なら、それこそ此処に住みたくなるかも知れませんね。
でも、僕には午後3時に次の目的地ダマスカスへのフライトが控えているので余り時間がないし、警備に当たっているツーリストポリスや博物館職員が頼みもしないのに展示の説明を始めてしつこくバクシーシ(喜捨・いわゆるチップ)をねだってくるのに嫌気が差して、昼前には退散(ホント、エジプトの国の顔とも言うべき施設なんだから、職員教育はしっかりして欲しい…)。

再び356番バスに乗って、空港へと戻ります。


カイロのバスの車内はこんな雰囲気です。動画で体感してみて下さい。


バスはカイロ国際空港のターミナル1前のバスターミナルに発着しますが、僕の次のフライトがターミナル3からだと知った運転手から「ここで降りたほうが近い」と途中で降ろされてしまいました。
 
こんな場所で降ろされました。ここも確かに一応空港の敷地内ですが…


炎天下をしばらく歩いて、ようやくターミナル3が見えてきました。
「確かに3タミへの近道かも知れないけど、これなら終点の1タミまでバスで行ってターミナル間連絡バスに乗り換えた方が暑い中を歩かなくていいし楽だったかもな~」

もうすぐダマスカス行き便の搭乗手続き開始時刻です。

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 7、エジプト航空MS721便の機内食(エコノミー)に続きます

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 5、カイロに到着

2009-08-26 | 旅行
ダマスカス・カイロ2009夏旅行 4、エジプト航空MS963便の機内食(エコノミー)からの続きです

エジプト航空のカイロ行きMS963便の右舷側窓から見た空の上の景色です。

カスピ海上空を飛行中ですが、雲が多く地表は見えません。雲の向うに夕焼けが見えていますね。
夏の季節、日本からヨーロッパや中東方面へ飛ぶフライトは延々10時間近く夕陽を追いかけて飛び続けます。

MS963便は現地時間の午後10時頃、カイロ国際空港に到着しました。

沖止めで、一旦タラップを降りてバスに乗り換えます。
滑走路には砂漠の夜風が吹き抜けています。

2009年8月10日

カイロに到着した翌朝、カイロ空港ターミナル1の前にあるバスターミナルで市内ダウンタウン行き路線バスを探します。

エジプトの路線バスには、「時刻表」はありません!
いつ、どこのレーンに来るとも知れないバスを待つ乗客たちは、バスの運転席窓に表示された手書きアラビア文字の路線番号を睨んで車道をウロウロ…
バスはそんなのお構い無しにひっきりなしに発車していくので、気を抜くとバスに轢かれます!
これが、エジプトの日常の風景。慣れない外国人旅行者はとにかく疲れる…
市内行き「356番」のバスはどこだ~!?
でも、困ったらそこら辺にいる人に聞くと大抵、親切にバスの乗り方を教えてくれます。
人と人が自然に助け合うのもまたエジプト流。

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 6、バスに乗ってエジプト考古学博物館へに続きます

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 4、エジプト航空MS963便の機内食(エコノミー)

2009-08-25 | 旅行
ダマスカス・カイロ2009夏旅行 3、エジプト航空エアバスA340-200からの続きです

関西空港を離陸したエジプト航空のカイロ行きMS963便、日本海を飛び越え朝鮮半島を突っ切り黄海上空にさしかかった頃に昼食の機内食が配られました。

客室乗務員さんからメニューが手書きされたメモを見せられ、とりあえずチキンをオーダー。
(メニューはチキンの他にもビーフとシーフードがありました。エコノミーで3種類もメニューが用意されているのは珍しいのではないでしょうか?)


こちらがチキンの機内食。
鶏肉が柔らかくて、無難に美味しかったです。
但し、イスラームの国のエアラインなのでアルコールのサービスは一切無し。注いでもらった飲み物はウーロン茶です。

その後はひたすら、シルクロードに沿うようにユーラシア大陸の上空を飛び続けます。

照明が落とされ「おやすみモード」になって暫らくたってから「夜食」が配られました。
コンビニおにぎり1個と水。
ちょっと寂しい。

カイロ到着前、カスピ海上空で夕食の機内食が配られます。
メニューはチキンとビーフの2種。

昼食に続いて、再びチキンをオーダー。
卵とじの焼き鳥丼風ですが、昼食と似たような無難な味でした。
茶蕎麦とゴマ団子が添えられています。
ちなみに、隣に座って居られた方はビーフをオーダーされていたのですが、こっそり覗ったところチキンと全く同じ料理に見えました(笑)

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 5、カイロに到着に続きます

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 3、エジプト航空エアバスA340-200

2009-08-25 | 旅行
ダマスカス・カイロ2009夏旅行 2、関空2期空港島現場見学ツアーからの続きです

関西空港で出発準備中のエジプト航空機。

ヨーロッパ製のエアバスA340-200です。
スカンジナビア航空の日本乗り入れ機と同形式ですね。塗装のパターンも似ています。


垂直尾翼に描かれた、エジプト神話の天と太陽の神「ホルス(Horus)」。
「はやぶさの神」です。
部品が次々故障しようが、通信途絶しようが、燃料がカラになろうが、何が何でも目的地まで飛び続けそうな頼もしさを感じますね(分かる人には分かるジョーク)。

カイロ直行のMS963便は午後2時過ぎに滑走路へと向かいましたが、暫らく待たされて結局午後3時頃に離陸しました。
淡路島上空を旋回した後、神戸空港の真上を飛び越えて日本海へと抜け、そのまま朝鮮半島を横断して中国上空へと向かいます。

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 4、エジプト航空MS963便の機内食(エコノミー)に続きます

韓国ロケット、残念でした

2009-08-25 | 宇宙
韓国のKSLV-Iロケット、衛星の軌道投入失敗です。

韓国衛星、軌道に乗らず失敗 初のロケット打ち上げ(共同通信) - goo ニュース

このKSLV-I、僕の住む九州西岸に近い航路を飛ぶもんだから、今日は午後5時の終業と同時に職場の裏の不知火海に面したマリーナに走ってロケット雲の軌跡でも見えんもんかと西空に目を凝らしたが、生憎雲が多くて何も確認できず。

この次の再チャレンジでは目視確認しやすい夜に打ち上げてくれないかな~

それにしてもJAXAの内之浦や種子島からのロケットも目視確認出来る上に、今後は韓国のロケットも見えるようになるかも知れないんだから、ロケット好きにとっては実に恵まれた場所で暮らしてます、我ながら。

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 2、関空2期空港島現場見学ツアー

2009-08-24 | 旅行
ダマスカス・カイロ2009夏旅行 1、プロペラ機で関空へからの続きです

関西空港に着きましたが、まだ朝9時5分。
エジプト航空963便カイロ行きの出発時刻は午後2時15分なので、ずいぶん時間があります。
そこで…


これ何だか分かりますか?
正解は「関空2期空港島の護岸の藻礁を泳ぐ魚」です!
待ち時間を利用して関空2期空港島現場見学ツアーに参加して、グラスボートに乗って藻場を観察しています!

グラスボートに乗った後は、2期空港島に聳え立つ見学台に登って、既にオープンしている新しい滑走路に降りてくる飛行機を眺めます。

これは多分、MD-11でしょうかね(スミマセン、航空機にはあまり詳しくないもので…)。
ちなみにFedExの貨物機です。
晴れていたら滑走路の向うに淡路島も見えるそうです。


2期空港島から現行の関西空港島方向を見るとこんな景色です。
何もない広大な空き地が広がっています。これすべて、海を埋め立てて造った土地だというから驚きです。



丁寧な案内付きで色々なものが見られて、結構楽しめました、関空2期空港島現場見学ツアー。
ちなみに無料ですので、関空での乗り継ぎ待ちの際に参加してみられてはいかがですか?(関西空港のホームページに予約電話番号が載っています)

さて、そろそろエジプト航空963便カイロ行きの搭乗手続きが始まる時間です。

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 3、エジプト航空エアバスA340-200に続きます

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 1、プロペラ機で関空へ

2009-08-24 | 旅行
2009(平成21)年の夏休み、エジプトのカイロ経由でシリアの首都ダマスカスまで旅をしました。

結果としては、日程最終日の帰り際にカイロでの乗り継ぎ待ち中に市内でパスポートを盗まれるというトラブルが発生してしまい大変な旅になったのですが…
(※詳しくはこちら→エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで
でも、最終日までは平穏無事に旅をしてました。
そんな訳有り曰く付きの、旅日記です。

2009年8月9日
今回はエジプト航空のカイロ行き便を利用しますが、エジプト航空は曜日によって関西空港か成田空港を交互に発着するダイヤを組んでいます。
今日は関西空港の発着日なので、先ずは関空を目指し出発です。
福岡空港朝7時55分発、関空行きANA1642便、機材はボンバルディアDHC8-Q400。



ジェットエンジンは搭載しておらず、プロペラ機です。


僕の指定席は何と、プロペラの真横の窓側。
ガラス窓越しとは言え、身体のすぐ隣で巨大なプロペラがブルンブルン唸りをあげて旋回するのは余り気持ちの良いものではありません(笑)
増してやボンバルディアDHC8といえば一時期、世界中で重大トラブルを頻発していたという暗い過去(?)のある機種。
台湾辺りに発生している台風の影響か窓の外には雲もたちこめて、何とも緊張感漂うフライトでしたが、何のトラブルも無く無事に関西空港に到着。

ダマスカス・カイロ2009夏旅行 2、関空2期空港島現場見学ツアーに続きます

エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 5日目と6日目(帰国日)

2009-08-23 | 旅行
エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 4日目からの続きです

2009年8月18日火曜日

少し遅めに起きて、ゆっくりビュッフェの朝食を食べてからNOVOTELカイロエアポートを正午にチェックアウト。
送迎バスで東京成田空港行きのエジプト航空964便の出るカイロ国際空港ターミナル3へと向かう。

出国ゲートに並び、イミグレで僕の「帰国のための渡航書」を手にした審査官は一瞬「おや?」という顔をしたが、すぐに出国のスタンプをポンと押してくれた。
当初の予定から4日遅れで、やっとエジプトを出国することが出来たのだ。
「終わった…」

搭乗ゲート前のカフェテリアでエジプト国産ビール「ステラ」と「サッカラ」を買って、ゆっくり飲む。
暫らく振りのアルコールが、じんわり沁みていく。
「いろんな人に会ったな…」
この数日間で本当にたくさんの人たちに会った。
パスポートを失うという重大ミスを犯して立ち往生している見知らぬ外国人の僕に、親身に応じてもらい励ましてもらい、そして時には相手に呆れ時には相手に大声を張り上げながらも、僕はたくさんたくさんの人たちに助けてもらった。

「こうして無事に生きて日本に帰れるのは、みんなのおかげです。みなさん、本当にありがとうございました。」

大変な目に遭ったが、その分たくさんの大切なものをもらえた。
今となっては、そう思えてならない。
…まぁ正直言うと、昨日まで、日本に帰るべくカイロ市内を右往左往駆け回って手続きをしていた間は、とてもそんなことを考える余裕は無かったけどね。
ともあれ、終わったんだ!さぁ日本に帰ろう!!そして…帰ったら、迷惑掛けた人たちに謝らなきゃいけないね。

2009年8月19日水曜日

エジプト航空964便は定刻に成田空港に着陸した。
入国審査窓口に「帰国のための渡航書」を渡すと、ここでも「おや?」という顔をされる。
苦笑しながら「スミマセン、パスポートを盗まれまして…」と伝えると、VIP用?のような広々とした審査ゲートに誘導された。
パスポートを失った間抜け旅行者なのに、随分丁重に出迎えてくれるんだな、やっぱり祖国は有り難い。
ああ、素晴らしき我が母国ニッポン。僕はとうとう帰って来たぜ~。

帰国の感動を味わっている僕の目の前で、「帰国のための渡航書」に丸い帰国スタンプがポンと押されたのと同時に、渡航書は失効した。
帰国のための事務手続きのすべてが、事実上完全に終了した。

帰国後すぐに家族や勤め先に電話して「たった今、無事帰国しました」の報告をする。
皆、僕をからかったり笑っていたり。「笑い話」として済ませてくれる優しさが本当に嬉しい。
さぁ、明日からは頑張って働くぞ。何しろ3日も欠勤してしまったからね。

今、僕の手許には、3つのスタンプが押された失効済みの「帰国のための渡航書」が残っている。
この渡航書は、今後新しいパスポートを作成する際に事務方に提出することになると思うのだが、出来れば無効印か何かを押してもらって一生持っておきたいと思う。
そして、今後旅に出る度、出発前に取り出して見るようにしたい。
エジプトのカイロ市内でパスポートを失ったことを、その都度思い出すようにしたい。慢心が招いたミスを、そして多くの人たちに迷惑を掛け、助けられたことを一生忘れない為に。
(でも、今後暫らくは自戒の意味で海外渡航は自粛します)

…以上、僕がエジプトでパスポートを失ってからどうやって帰国したかの顛末でした。

最初にも書きましたが、今回の事はやはり僕の油断と慢心からきた、ある意味“起こるべくして起きた失敗”だと思います。
僕は10年前、海外個人旅行を始めた頃は、パスポートを「腹巻」に入れて所持していました。しかしいつの間にか「暑苦しい」「動きづらい」という理由でパスポートをポーチに入れるようになり、内ポケットに入れるようになり…盗まれた時点ではズボンのポケットに入れていました。
もし腹巻に入れていたら、多分盗まれることは有り得なかったでしょう。 10年間も何事も無く世界中を旅してきたという自信が何時しか慢心となり、「僕は大丈夫」という傲慢さが大事なパスポートをポケットに入れて平気で街を歩き回るという危険な愚行に走らせてしまったのだと、今にして思います。

僕の体験を間抜けな旅行者の苦労談として笑って頂いて、そして皆さんの今後の旅の危機管理に役立てて頂ければ僕としても幸いです。

皆さん、どうぞよい旅を!

天燈茶房亭主mitsuto1976 拝

エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 4日目

2009-08-22 | 旅行
エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 3日目からの続きです

2009年8月17日月曜日

日が昇るのと同時に、夜明かししていたカイロ空港ターミナル3の出発ロビーからシャトルバスに乗って、カイロ市内行き冷房バスの出るバスターミナルのあるターミナル1へと向かう。
カイロ国際空港は3つのターミナルを有し、しかもそのうち2つ(1タミ及び2タミ)は出発ゲートと到着ゲートが別の場所にあり(1タミに至っては建屋まで別になっている)、しかも各々のターミナルがえらく離れた場所にあって道路も曲がりくねって走っており直結すらしていないという、もうわざと解かり難く造ってるんじゃないかとしか思えないような複雑怪奇で面妖な構造の空港なのだが、
ここ数日空港のホテルに泊まって(昨夜はとうとう空港そのものに泊まってしまったが)空港の中を行き来しているので、気が付けばカイロ空港についてすっかり詳しくなってしまった。
カイロ空港から市内へと向かう冷房バスも毎日のように乗ってるので、もうすっかりバス通勤しているような気分だ。
ちなみにエジプトでは、原則として「時刻表」というものは存在しないようで、バスも「待っときゃ来るだろ、来たら乗れ」って感じである。
バスターミナルでも皆、道路に並んで突っ立って、次々到着するバスの路線番号(手書きのカードが運転席に貼り出してあるのだが、アラビア語で書かれているので外国人は慣れるまでは読み取るのに非常に苦労する)を見て次々に乗り込んでいる。いつバスに轢かれてもおかしくないような、日本ではありえない衝撃的な光景なのだが、気が付くと僕も自然に道路に並んで立ってバスの運転席を睨んでいたりするようになってしまった。
今朝も30分近く道路に立って市内行きバスが来るのを待って、これもすっかり御馴染になってしまったラムセス・ヒルトン前のバスターミナルに到着。今朝は途中でタクシーと乗用車が3台も事故ってペチャンコになっていたせいで事故渋滞しており、通常は30分ほどの道程がかなり時間がかかった。

今日も先ずは日本大使館へと向かうのだが、昨日大使館でもらったパンフに最寄の地下鉄駅からの詳細な道案内が載っていたので、地下鉄に乗って行ってみることにする。地下鉄は均一運賃で1ポンド、タクシーで行くよりスムーズだし安いし、言う事無し。
バスターミナル近くの高速道路高架下にMETROの看板があったのでそこから地下にもぐり(駅名はよく判らなかった)、ヘルワーン(Helwan)方面行きの電車に乗車してHADAYEK EL-MAADI駅(読み方が面倒臭いので、以降『肌焼き』駅と呼んでいた)へ。地下鉄は途中で地上に出て、ナイル河をチラチラ見ながら走って肌焼き駅に到着。
プラットホームに日の丸と「日本大使館最寄駅」の日本語看板が出ている。
結局、駅前からずっと道端に「日本大使館はこちら」という道案内の看板があり、おかげで迷わず大使館に辿り着くことが出来た。

大使館では昨日も会った若いエジプト人の警備員から「おはようございます!」と爽やかに挨拶され、今日もスムーズに館内へ招き入れられる。
領事部の窓口で「すみませーん」と呼ぶと昨日の女性大使館員が顔を出して、
「ああ、渡航書出来てますよ。」
「どうもお世話になりました。ところで、あの、実は昨夜ホテルが取れなくて空港のロビーで夜明かししたんですよ。それで、実家に連絡する余裕がなくて、戸籍謄本のFAXがまだ送れてないんですよね…あの、僕が帰国したらすぐ自分でこちらにFAXしますんで、それまで待っていただくって訳にはいきませんか?」
そう言うと女性大使館員はちょっと困ったような怒ったような顔になったので、「もし戸籍謄本がないと渡航書は渡さないとか言われたら困るな…」と脅えたが、
結局彼女は「ちょっとお待ち下さい」と奥に引っ込んで何やら誰かと相談しているようだったが、
「わかりました、戸籍謄本は後で結構です。ただし御帰国後すぐに戸籍謄本を送ると一筆書いておいてください」と言われ一安心。
「帰国のための渡航書」も貰って、本当に一安心。
「ああ~良かった!これで明日の飛行機で日本に帰れますね!」
「ええ、でもその前に『モガマ』に行って頂いて、エジプトに入国していることを証明するスタンプを忘れずに押してもらって下さい。」(※モガマとはカイロ市役所の愛称のようで、ここがエジプト外務省のパスポートセンター窓口になっているらしい)
「わかりました。え~っと、それってどこにあるんですか?」
「考古学博物館をご存知ですか?あの近くに、扇形の大きなビルがあるんですが、それがモガマです。」
「ああ、あのでっかい扇形のビルね、見覚えがあります!(数年前にカイロに来た時、考古学博物館の近くにボロくてバカでかい異様なビルがあったのが印象に残って憶えていたのだ)。え~っと、あそこって地下鉄の最寄り駅はサダト駅でしたっけ?」
「ちょっとお待ち下さい。」
女性大使館員はデスクの本棚から「地球の歩き方 エジプト」を取り出して調べてくれた。
「そうですね、サダト駅が一番近いです。地上に出たらすぐに見えると思いますよ。ではどうぞお気を付けてお帰り下さい。」
「どうもありがとうございました!ホント、色々お世話になりました、おかげで日本に帰れます…それじゃこれで、失礼します。
あ、それから…」
「何か?」
「日本大使館でも『歩き方』使ってるんですね!」
この2日間、終始沈着冷静だった女性大使館員氏の表情が、初めて緩んで笑顔が覗いた。

さあ、後はモガマとやらへ行って渡航書にスタンプを押して貰えば事務手続きはすべて完了だ。やっと日本に帰れる!
しかし、この最後の手続きが実は最大の難関だったのだ…

地下鉄のサダト駅で降りて地上に登ると、目指す扇形のビルはすぐに見つかった。
しかし、中に入るとそこは実に混沌とした込み入った建物で、しかも異様に人が多くてとにかくごった返している。
モガマは日本大使館の理路整然とした事務手続きとは対極にある、エジプトの喧騒の縮図のような大混乱ぶりを呈したお役所だったのだ。
どこに行けばスタンプが貰えるのか判らないので、職員風の人をつかまえて渡航書を突きつけて「I want スタンプ!」と迫ると、「2階の42番窓口に行け」というのでそこを目指す。2階には何やら無数の小さな窓口が並んでいるが、どれも大勢の人たちが群がり大声で何かを要求していて、とにかく異様な雰囲気だ。誰も順番など守っていないのでどの窓口も大混乱していて、あれではどんな手続きもまったく進まないだろうなと思う。
何だかもう、お役所というより、香港の九龍城に迷い込んだような感じだ。実際、行列に疲れて休んでいる人たち相手に飲み物や軽食を売り歩く行商人すら入り込んでいるのである。
正直、こんな場所には足を踏み入れたくないし、早く立ち去りたい気分なのだが、兎にも角にも「帰国のための渡航書」にスタンプを押してもらわないことには渡航書が有効にならずエジプトから出国できない。日本に帰るためには、何が何でもここでスタンプを貰わなければならないのだ!
意を決して、目指す42番窓口を見つけ出して(PASSPORT LOSSと英文の表記があった)、突撃する。
行列が出来ていたが押し合いへし合いで誰も順番を守っていないから、文字通り突撃しないと永遠に自分の順番なんか回ってこないのだ!

窓口を奪うようにしてしがみ付き、中にいるおっちゃんに「I want to go to Japan!スタンププリーズ!」と叫んで渡航書と盗難届けを突きつける。
おっちゃんは書類を一瞥すると、「パスポート紛失届書」のような用紙を手渡し「これに記入して、写真と一緒に出せ」という。この手の書類は既に警察に提出済みだし、だからこそ僕の手許にパスポート盗難届けがあるのだが、さすがエジプトでもお役所仕事、また似たような書類が必要になるらしい。一旦窓口を離れて、用紙(英文とアラビア語併記だった)への記入をしてから昨日撮った残りの証明写真を添えて、再び42番窓口に突撃しおっちゃんに手渡そうとする。
するとおっちゃんは「コビー、コビー!ダウンフロア、You go!」とか何とか言うのだが、意味が解からん。
何度も聞きなおすが、おっちゃんは「とにかく下の階に行って来い、話しはそれからだ」と譲らない。窓口を奪われたくないが、このままだと全く埒があかないので、仕方なく言われた通り1階に降りる。

1階をウロウロしていると、通りすがりの女性が「あそこに行きなさい」と指差すので行ってみるとそこは写真屋で、店員が僕の手から渡航書をひったくって複写機にかけて「はい、0.5ポンド!」と代金を要求する。この間、僅か十数秒。手馴れたものだ、店員の動きが殆ど自動化されている。
同時に、僕もさっき42番窓口のおっちゃんから何を言われていたのか理解した。
「なーんだ、提出する資料の“コピー”が必要だと言いたかったんだな。」
コビーならぬコピーを手に、42番窓口に戻り、みたび突撃しておっちゃんに渡航書とそのコピーと盗難届けを押し付けることに成功。おっちゃんは「やっと分かったか、間抜けな日本人め」とでも言いたげだったが、それでも書類を手に取り「今から処理してやるから、終わったら名前を呼んでやるから暫らく座って待ってろ!」と言った。

やっと少し落ち着いて、窓口前の狭い通路の壁際にならんだベンチに腰を降ろす。
しかし、やはりというか案の定というか、待てど暮らせどおっちゃんは僕の名前を呼んではくれない。
ふと隣の席に目をやると、そこには白人のバックパッカー風の青年がやはり草臥れ果てた表情で座っていて、アイコンタクトで「アンタもパスポートかい?」と合図を送ってくるので、苦笑しながら「そうさ。お互い参ったね全く」と返す。
旅人同士だと、例え言葉は通じなくても、こういう意思はすぐに伝わるのだから面白い。
それにしても不思議なのは、見た限りではパスポートをLossしてこの窓口に並んでいるのは僕と白人パッカーの彼だけのようで、他の連中は皆、ちゃんとパスポートを手にしているという事だ。
パスポートを持っているのに、何の用があってPASSPORT LOSSの窓口に殺到しているのだろう?それに42番窓口のおっちゃんも、あんなに忙しそうに一体何の業務をやっているのだろうか??

そんなことをぼんやり考えながら、ただひたすら待っていると、白人パッカー青年から「いま僕の名前が呼ばれたけど、多分その次は君の番だよ!一緒に行こう!」と声をかけられる。困ってる旅人同士、自然に助けてもらえるのが嬉しい。
青年について窓口に突撃すると、果たして彼の書類の下に僕の渡航書が置いてあるのが見えた。
青年(おっちゃんとのやりとりから、クロアチア人だと分かった)は書類を渡されながら「これを持って38番窓口に行け」と指示され、そのまま行ってしまった。クロアチア人だと分かれば「ドバルダン!僕、去年ザグレブに行ってきたぜ」位の挨拶はしたかったが、その余裕すらなかったので残念。まぁこの引き際の良さも旅人同士ならではか。
さて、おっちゃんは僕の渡航書とコピーと盗難届けをしげしげと眺めて(っていうか、今まで待たせたのに全然見てなかったんかい!何のために待たせてたんだよ)、「うむ!あい分かった!」と言わんばかりに威勢良く渡航書にスタンプを押してなにやら書き込み、最後に刻印まで押してくれた。
そしてそのまま、完成した渡航書を僕に放って寄越した。
「これで終り!?本当の本当に!?」
「ああ、そうだ!さっさと行きな!」
喜びで、思わず叫ぶ。
「やったー!!I can go back to JAPAN!!」
「Y・E・S!!とっとと国に帰んな、日本人!」
ここで何故か、周りの行列から拍手が巻き起こった!エジプト人のノリの良さにホトホト呆れるやら、それでもやっぱり嬉しいやら。
とにかく、やるべき事はすべて終わった。闘いは済んだ、そして僕はそれに勝利したのだ!!(←…本当にこんなことを考えたんである、あの時は!実際にはパスポートを盗まれてる時点で既に負けで、それも無条件降伏してるんだが。やっぱバカだな~我ながら)
拍手に送られて、僕は魔窟モガマを後にした。スタンプを1つ押してもらっただけなのに、既に夕方になっていた。
「…結局、4時間かかったのか」

さて、後は明日の夕方、カイロ空港から東京成田行きのエジプト航空直行便に乗って一路日本を目指すだけだ。
その夜は、またバスで空港に戻ってNOVOTELに泊まった。今夜は空室があった。
飛行機のチェックインは夕方で時間は余裕があるのでそのままカイロ中心部に泊まっても良かったのだが、明日はとにかく一刻も早く飛行機にチェックインしたいという気分だったのだ。それに預けたままになっている手荷物もピックアップしに行かないといけないし。
空港で手荷物を受け取るまでにはまた無駄に長いこと待たされたりしたのだが、何とか無事に戻ってきた荷物の中からヒゲソリを取り出して久し振りに髭を剃る。
バッテリーが切れたままになっていた携帯電話の充電器も戻ってきたので、携帯も復活した。早速、妹mogmogや家族、勤め先のSさんに「帰国のための手続き、無事完了しました!明日、帰ります」と連絡する。

その晩は心底ぐっすり眠った。

エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 5日目と6日目(帰国日)に続きます